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高知地方裁判所 昭和41年(わ)274号 判決 1970年10月23日

主文

被告人両名をそれぞれ懲役三月に処する。

ただし本裁判確定の日から一年間右各刑の執行をそれぞれ猶予する。

訴訟費用は、全部被告人両名の連帯負担とする。

理由

第一  事件に至る経過および罪となるべき事実

(事件に至る経過)

一、文部省は昭和三一年度から全国小中学校を対象に、全部あるいは一部抽出の学力調査を行なわせて来たのであるが、昭和四一年度も、全国小中学校のうち二〇%を抽出し、それを対象に全国一斉の学力調査を実施することを計画し、地方教育行政の組織および運営に関する法律(地教行法と略す)五四条二項に則り、文部省初等中等教育局長、同省調査局長名義の昭和四一年四月二五日付通達をもつて、各都道府県教育委員会教育長、知事および国立大学長に対し調査の実施と調査結果の報告を求め、これに応じて高知県教育委員会(県教委と略す。以下同様の省略を行なう)は、同県にあつては二〇%の抽出校を対象とするのではなく、悉皆による学力調査の実施とその結果報告を求めることとし、地教行法五四条二項に基づいて、同年五月二五日付文書をもつて、管下市町村(学校組合)教育長に対し、右趣旨の学力調査の実施方とその結果報告を求め、この求めに対し、各市町村教委は、これを地教行法二三条一七号に関する事務として同法四三条一項、二項に基づき所管小中学校長に対し教育長名義をもつて右学力調査の実施を命じたが、高知県高岡郡佐川町教委においてもその例にもれず、実施方を決定するとともに、同年六月七日付文書をもつて、佐川中学校外管下小中学校長宛に、文部省の求めるとおり、六月二四日学力調査を行なうよう命じたものである。

二、右のような全国一斉の学力調査に対しては、佐川町における、部落解放同盟高知県連合会佐川支部(被告人ら両名もその一員である、以下解同佐川支部と略す)は、昭和三七年の支部結成以来、右学力調査は、同和教育を阻害するとして反対して来ていたが、昭和四一年度において、六月二四日実施と決められた同年学力調査に対しても反対することに決定し、高岡郡教職員組合北一支部とともに反対運動を行なうこととし、同月二〇日佐川町教委、同教委管下の小中学校に向けて、学力調査は同和教育を阻害しないものかどうか、その理由と実施する場合の具体的効果を明らかにするようにといつた要請書を出して回答を求めたり、翌二一日には佐川町教委に対し同和教育について話合いをするよう申入れたりし、あるいは県教委に対し中止を申入れ、調査実施の前日の二三日には、代表者が佐川地区労、日本共産党の代表者とともに、佐川町教委に赴き、町教委および町教育長らと交渉を行なつたが物別れに終つた。一方そのころ、高知県教職員組合から北一教組に対して、実力による阻止をしない旨の指示が伝えられた。

三、ところで被告人両名はあくまで学力調査の中止方を要求するため、昭和四一年六月二四日、佐川町教育委員会が学力調査の対象校としている高知県高岡郡佐川町甲一、二三二番地所在佐川中学校に赴き、主たる出入口である、表門、脇門(北西側)および玄関の、関係者以外の立入を禁止する旨の貼紙を無視して同校内に入り込み、同様来校していた解同佐川支部の二〇名位とともに、同校職員室内ならびにその付近において、同町教育委員会委員長石川潔、同教育長横畠義弘、同校校長石元安幸らに対し、更に学力調査の中止を要求したが、同人らから拒否され、午前八時三〇分ごろ、同校教諭安部範子らの学力調査補助員が学力調査問題用紙を携え、前記横畠教育長らの先導のもとに一時間目学力調査を行なう同校三年の教室に赴くべく同職員室を出ようとしたところ、被告人両名が、ほか数名とともに同室内においてその進路に立塞がり、これを妨害する、の挙に出たものである。

(罪となるべき事実)

被告人両名は、同八時四〇分ごろ、同校管理者たる佐川町教委教育長横畠義弘および右同校校長石元安幸から、右横畠が退去命令書を読上げて被告人両名らに対し、前記職員室からの退去を要求したにかかわらず、この要求を受けながら、ほか二〇名位と共謀のうえ、同一一時四〇分ごろまでの間、右職員室内およびその付近を立去らず、もつて其場所より退去しなかつたものである。

(なお、退去要求を受けたのは、右の如く、一時間目の学力調査開始ごろの午前八時四〇分ごろであり、その後二時間目の学力調査開始前の午前九時ごろ同町教育委員長石川潔が前記退去命令書を読上げて再度退去を要求しているが、最初の退去要求が撤回されたものではなく、その間初めの要求の効果は維持されていたものであると当裁判所は認める。)

第二  証拠の標目<略>

第三  弁護人らの主張に対する判断

一、本件学力調査が違法であるとの主張について

弁護人らは、(一)本件学力調査は、憲法二六条および教育基本法三条に保障されている児童生徒の能力に応じてひとしく教育を受ける権利を侵害するものであり、(二)教育基本法一〇条に違反するものであるとともに、さらに(三)文部省および教育委員会には学力調査実施権ないし計画権は存在せず、その他(四)実施に至る過程が手続的にも違法であると主張する。

右主張の成否は、被告人らの問擬されている本件不退去の罪の罪責の消長にただちに結びつくものとは限らないが、後述の正当行為、可罰的違法性の論議と結びつき又情状にも関係して本件と重要な関連性を有するので順次判断を示すこととする。

(一)  まず弁護人らは、昭和三六年に全国一斉悉皆学力調査を実施するに至つた真の意図は、教育統制と人材開発(いわゆるマンパワーポリシー)にあり、この学力調査の結果、教育現場にテストによる教育効果の測定を行なおうとする傾向が一般化するに至り(テスト体制の確立)、これが成績主義、競争心をあおり、一方にゆがめられたエリート意識と他方に卑屈な劣等感をいだかせるなどの弊害を生むとともに、このテスト体制は、社会的、経済的、生活的に差別され、貧困にあえいでいる同和地区の児童生徒に対し教育上の差別を激化させ、ひいては教育における機会均等を破壊するに至るのであつて、従つて学力調査は教育の機会均等の原理を定めた憲法二六条および教育基本法三条に違反すると主張する。

案ずるに、前掲証人奥田真丈の尋問調書によると、昭和三一年から全国小中学校を対象として開始された学力調査が、中学校対象のものについては、昭和三六年度から同三九年度にかけて抽出による学校を対象とすることを改めて、全校を対象とする悉皆調査として行なわれたこと、小学校については相変らず抽出によつていたが、自主参加もあつて事実上悉皆であることが認められるが、これらの学力調査が、所謂教育の国家統制と体制側の人材開発に真の意図があるか否かの議論については、当裁判所の抽象的に論ずべきところでないが(弁護人らは、「教育の国家統制と人材開発」を、日本人民の子供達に、米日独占資本の超過利潤追求の体制にすすんで奉仕する勤労意欲を侵透させ、資本の搾取に忍従する人材を養成するもの、と意義づける)、前示第一の一事実に関する証拠によると、学力調査は、個々の児童生徒に対する学力テストという形態をとつていることが認められるところ、これが成績を意識するときは、生徒児童の間、各クラスの間、担任教師の間、学校間に成績競争が起り、その結果、多少の弊害が生ずることは想像に難くなく、田宮章一に対する事件の宗像誠也に対する鑑定証人尋問調書から、一部の地方にそのような事態の生じたことがあつたと認められるけれども、前掲各証拠によると、重大な欠陥を生ずる程度の全般的現象とはいえず、この調査の目的は、教育基本法一〇条二項における教育の目的を達成するための必要とされる教育課程に関する方策の樹立、学習指導の改善、教育条件の整備のために、有効な資料を得ることを目標にしたものであること、前記各種弊害の除去については、各県ごとの成績発表は行なわず、又高知県教委においても学習指導要録の取扱いについて配慮するよう指導しているのであつて、弁護人らの指摘する弊害は、学力調査自体の掲げる目的に比較すれば少なりというべきである。

しかして同和地区の児童生徒を差別するに至るとの主張は、理念的には逆であつて、恵まれない児童生徒に対してこそ、実状に則した教育条件の整備を行なおうとして基礎的資料を集めようとするものであるから、当面直ちに満足すべき施策がとられないとしても、方向としては真に機会均等の原理を実現するのに役立つべきものである。

勿論、弁護人らの主張し憂慮するところも、一概に曲解とのみきめつけることの出来ないような現実もないではないと思われるので、この点は特に教育行政に当る者の反省と努力とによつて除去しうべきであり、又これに待つところが大きいが、これにつき従来の当事者の配慮が著しく欠けていたとも認められないので、結局、弁護人らの本件学力調査が憲法二三条、教育基本法三条に違反するとの所論は理由のないものである。

(二)  弁護人らは、憲法二三条の学問の自由に含まれる教育の自由が大学以外の教員にも保障されるとする学説もあり、しかも合目的的に考えても教育内容、教育方法などは専門職たる教員の自律に待つて決定されるべきものであり、教育基本法一〇条一項は教育に対する不当な支配を禁じているが、それは沿革的意味からいつて、特に教育の国家統制を排するもので教育の政治的行政的中立性を保障したものであり、従つて教育行政機関は教育内容および教育方法などに関与しうるとしても、大綱的基準の定立、法的拘束力を伴わない指導、助言、援助を与える程度にとどめるべきであるところ、形は調査行政であるが、学力調査は試験を課す方法で行なわれざるをえない以上、対象児童生徒全般の成績評価たることを免れず、その試験問題は正規の教科およびその試験問題と内容的に一体であつて、しかもその結果が指導要録に記入されるのであるから、各児童生徒の成績評価学力評価であり、それと同様に活用されるのであつて、かような教育活動を文部省あるいは地方教育委員会が行なうことは、国又は地方公共団体の教育行政機関が職員の学校教育の領域に介入し、教育活動に対し法的拘束力ある行政的支配を行なつたもので、教育行政からの教育権の独立を保障した教育基本法一〇条に違反するものである、と主張する。

まず、小学校、中学校などの下級教育機関においては、理解力判断力が足らず、教えられるものを批判的、主体的に取捨選択して受けとる能力を未だ備えていない、心身未発達の児童生徒を対象として教育を行なうものであり、しかも教育の機会均等の実質的保障という面から考えると、全国的な規模で、教育内容の質と水準を維持しようとする画一化への志向が存在することは否定しえないものであるから、大学を心とする高等な研究機関におけると同様な意味での教育の自由(教授の自由――憲法二三条の学問の自由のうちに教授の自由が当然含まれるものではないとする説もあるが、仮りに含まれるとする立場に立つても)、があるとは到底考えられない。

憲法二六条は教育を受ける権利を保障しているが、これに対応して国家は、この国民の権利を実質的に保障する責務を負つているのであつて、従つて、国家の行なう教育行政は、普通教育を行なうにあたつて、全国的規模で一応の水準にある妥当な内容をもつ教育を確保、保障するために大きな役割を担当しているというべく、従つてその目標は、内容的にも「教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立」(教育基本法一〇条二項)にあると考えるべきであつて、教育行政がいわゆる教育の外的条件の整備のみに専念したのでは、前述の如き国家の責務をはたすことにはならない。

最近、国の教育行政は、教育内容について介入することは基本的に許されず、公教育を維持していく上での必要最少限度の大綱的事項を限度としてしか、法的拘束を加ええないとする見解もあるが前記の趣旨から賛しえない。

教育の専門家である教員の自律的、集団による努力研さんに待ち、この者達が、直接国民に責任を負つて教育をなすと説いたとしても、万一国民的総意に反した教育が行なわれた場合、むしろ責任を問うべき国民の側に是正の公的手段がないことを無視すべきではない。

現行民主主義法秩序のもとにあつては、そもそも国家は国民の総意を基盤としてのみ成立つているもので、教育に対する不当な支配を禁止する教育基本法一〇条一項の意義も、この点を忘却して解釈されてはならず、法の支配下にある教育行政からの絶縁をうたつたものではないというべきで、国家が国民の総意に基づいて、公教育を実質に維持し保障していくことは教育に対する不当な支配とならないのである。

ただ、公教育の有すべき普遍的性格からして、時流に流されて、国家権力によつて、戦前の一時期の教育の様に、軍国主義的な内容をおしつけたり、独裁主義、無政府主義といつた、民主的な憲法秩序に明らかに反する内容を教育内容として定めたときは、教育行政の中立性を云々する以前に、それは国民に対し直接責任をもつ教育の名に値いしない違法なものである。

とにかく、教育行政機関が、教育内容および教育方法などについては、大綱的基準の定立、法的拘束力を伴わない指導助言を限度としてしかこれに関与しえないものでなく、教育全般につき責務を負い、そしてその職務を達成するため行政調査を行ない、そのための基礎的資料を蒐集する権限を有することは当然で、地教行法五四条などはその一例である。

即ち、本件学力調査は行政調査であつて、その趣旨が学力につき調査を行なうため形態が教育過程における(テスト学科試験)と類似するにすぎないものである。

もとより、右調査は教育行政に役立たしめるために行なわれるものであるから、現に進行している学校の教育が妨げられ阻害されるものであつてはならないところ、前示第一の一事実に関する証拠に照すと、本件学力調査は、一年に一度、しかも午前中のみ行なうこと、受験のためことさら受験勉強することは禁じて行なわれなくてはならぬ性質のものであるから児童生徒の負担も小さいこと、などが認められ、これから考えて、学校における正規の教育課程の変更は極くわずかで、与える影響は小さいものであると考えられる。

以上、調査の問題が正規の教育における試験問題と内容的には一体であるとしても、それは事柄の性質上当然であり、前掲証拠からすると、その結果が指導要録に記入されることがあるが、これは行政調査の趣旨と矛盾するともみられるが、総じて学校の行なう教育活動に介入したり、これと齟齬するものではなく、弁護人らのいうところは既に前提において正しくないというべきである。

(三)  弁護人らは、まず本件学力調査は、全国一斉のものであつて、技術的に地方的判断を容れる余地はなく、実施主体は文部省であること明白であるところ、文部大臣は学校教育法二〇条、三八条、同法附則一〇六条によつて小中学校の教科に関する事項を定めうるとするが、前記(二)で主張したとおり教育基本法一〇条において教育課程、教育内容に対する行政機関による権力統制、権力的組織化を排除しているのであるから、右文部大臣の権限もごく大綱的な基準事項にとどまるべきで、現行の学習指導要領にみられるような詳細な教科内容、方法を指示し、法的拘束力あるものとして定めることは許されないはずであつて、この指導要領を唯一の基準とする本件学力調査は文部省の権限をこえるものである。そして、たとえ調査の実施主体が佐川町教育委員会だとしても、教委の教育課程についての権限も、前述と同じ理由から大綱的基準の設定以上に出るべきでなく、いずれにせよ実施権限がなく、本件学力調査は違法のものである、と主張する。

ところで、国家が前記(二)のとおり教育について責務を有する以上、教育課程、教育内容については大綱的基準の定立、法的拘束力のない指導、助言、援助程度しかなしえないとすることは理由のないことである。

もつとも公教育、普通教育の普遍的性格から、国家の教育行政機関が、時の政争から遮断された組織をもつべきか否かは全く政策上の問題であつて、現行法の解釈としては、教科に関して責務を有し権限を有するのは文部省と解する外ない(小学校――学校教育法二〇条、中学校――同法三八条、高等学校――同法四三条、以上の条項と、ならびに附則一〇六条)。

前掲第一の一認定の事実に従えば、本件学力調査は、地教行法五四条二項に則り、文部大臣が県教委に対し、県教委が佐川町教委に対し、それぞれ学力調査をした上での結果の報告を求めたものであり、同認定の証拠によると、佐川町教委は地教行法二三条に従い実施を決定し管下小中学校長および教員(本件では佐川中学校)に対し職務命令を発して、調査の実施とその結果の報告を求めたものであり(同法四三条一、二項)、同教育委員会の権限に基づき教育についての調査を行なつたものである。

右証拠によると、文部省が調査の期日、時間割を企画し定め、文部省自らが学習指導要領に示されている各教科の目標および内容の基本事項について学力を見るべく作成した問題で、県教委の示した実施要綱の指示に基づき行なわれているが、全国的な学力水準を測定するという調査の性格上、調査報告の方法としてこれを指定することはやむをえないものであつて、これをもつて実施主体が文部省と見るのは早計であろう。

そして、学習指導要領に対する弁護人らの見解は、前記(二)に述べた前提に照すとき採用しえず、教育の普遍性からの脱政争性の要求を如何に確保するかという高度な政策論は別として、現行法の下においては現行学習指導要領の制定は文部大臣の権限であり、それは又法的拘束力をもつもので(ただし拘束力といつても事柄の性格上発現の態様が異ることがある)、佐川町教委が、これに準拠して作成した問題によつて学力を測定することは何ら違法なものではない。

弁護人らの、主としてこの点を攻撃する主張は理由がない。

(四)  弁護人らは、本件学力調査は、文部省当局の見解によると、地教行法五四条二項によつて地方教育委員会によつて行なわれた調査の結果報告を文部大臣が求めるものであるとするが、同条による調査とは外的な教育条件に関する事項についての調査を意味し、本件学力成績評価の実質あるものは含みえないもののみならず、そもそも地方教育委員会が地方事務として自主的に行つた調査の結果を報告させるものであつて、本件のように一切の企画、内容を実質的に文部省が作成し地教委に何らの裁量のない学力調査の報告を同条により地教委に義務づけることはできず、この点からも違法であると主張する。

よつて案ずるに、国家が外的な教育条件についてのみこれを整備する責務を負い、いわゆる教育の内的事項については、責任もなくましてや権限もないとする議論を前提とする弁護人らの論難を支持することのできないことは、今まで述べて来たところで明らかである。

地教行法五四条二項が、本件学力調査のように、文部省の企画のもとに行なわれ、現に施行する側が自ら決定して従つたとしても、結局調査の趣旨からして、従う以外選ぶ余地の少ないようなものを、予想していたか疑問だが、あえて違法とするまでのことはないと考える。

又右条項が、既に調査蒐集されている資料についてのみ、提出あるいは報告を求めることができるという、硬直した解釈をとる根拠はなく、本件の如く調査施行方を依頼され、これに応じて調査を開始し、その結果を報告することも、含まれると考える。

以上(一)ないし(四)に述べたとおり、弁護人らの主張はいずれも採用しえないのみならず、当裁判所としては、本件学力調査は、実質的にも、手続的にも違法とする点はないものと考える。

二、被告人らの行為が正当であるとの主張について

弁護人らは、被告人らの、本件所為は、国民および父兄として教育に対し有する発言権を行使したものであつて、親の教育権の行使であり、あるいは憲法一六条に保障された請願権の行使であつて、いずれにしても正当な行為であつて無罪である、と主張する。

(一)  まず、教育権の行使の点であるが、弁護人らは、同権利に基づいて、佐川町永野地区の子女の教育を受ける権利を侵害し、教育基本法に違反する違憲違法な学力調査に対し、中止を求めるため、佐川中学校職員室に話合いに赴いたもので、正当な行為であると主張する。

しかしながら、本件学力調査が違憲違法のものであるとの前提が誤つていることは先に説示したところである。

なお付言すれば、判示第一の二、三事実に関する証拠を総合して考えると、被告人ら両名を含めて、解同佐川支部関係者とおぼしき二〇名位が、話合いを求めると称して佐川中学校校内に立入り、退去を求められても居すわり続け、それ以前の学力調査反対運動と前日の中止交渉の経過からみて、被告人らの意図は、相互理解の話合いよりも、学力調査の実力阻止(暴力の使用はなかつたが)にあつたことは明らかで、親の教育の権利が自然的権利だとしても、権利の行使の名に値いせず、適法妥当なものとは到底いえないものである。

(二)  次に、請願権の行使の点であるが、請願権の行使は平穏に行なうことが要件であるところ、前示第一の三の認定事実ならびに同事実に関する証拠に照すと、被告人らは佐川中学校長らに対し、かなりしつこく中止要求を行ない、学力調査実施の時間が来ると、調査補助員が教室へ赴くのを妨害し、ために退去命令を発せられるに至つているのであつて、これらの事実に照すとき、弁護人らは、単なる憲法上の権利に名をかりて被告人らの行為を正当化しようとしているにすぎず、採用しうるものではない。

三、可罰的違法性を欠くとの主張について、

弁護人らは、被告人らの本件行為は、目的において正当であり、手段において相当であつて、侵害法益と比較衡量すれば、可罰的違法性を欠くと主張する。

しかしながら、前記第一の三の事実ならびに第二の一および二に各説示したとおり被告人らの所為が、目的において正当、手段方法において相当ということのできないこと明らかであるところ、判示のとおり、多衆とともに佐川中学校校内に三時間ほどとどまり、校内の秩序平穏を害するところ大であつて、到底可罰性を欠くとは考えられない。

弁護人らの主張は、いずれも採用しえない。

第四  法令の適用

被告人らの判示各所為は、それぞれ刑法六〇条、一三〇条後段、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するところ、所定刑中各懲役刑を選択し、その刑期の範囲内で被告人をいずれも懲役三月に処し、情状により刑法二五条一項を適用して本裁判確定の日から一年間いずれもその刑の執行を猶予することとし、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文、一八二条を適用して被告人両名に連帯して負担させることとする。

よつて主文のとおり判決する。(白石晴祺 鍵山鉄樹 荒木友雄)

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