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高知地方裁判所 昭和51年(ワ)23号 1985年6月27日

原告

宮﨑康行

右訴訟代理人弁護士

山下道子

右同

山原和生

右同

土田嘉平

右同

梶原守光

被告

土佐電気鉄道株式会社

右代表者代表取締役

久米滋三

被告

山本貞雄

被告

谷間隆

右三名訴訟代理人弁護士

戸梶大造

右同

林一宏

主文

一  原告の各請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  原告と被告土佐電気鉄道株式会社との間において、原告が被告土佐電気鉄道株式会社の自動車運転手として雇用契約上の権利を有することを確認する。

2  被告土佐電気鉄道株式会社は、原告に対し、

(一) 金二九四〇万三六九九円及び

(1) 内金一七〇万三七三七円に対する

昭和五一年三月二六日以降

(2) 内金二七一万五二二九円に対する

昭和五二年三月二六日以降

(3) 内金二九八万四七五二円に対する

昭和五三年三月二六日以降

(4) 内金三一三万六二四七円に対する

昭和五四年三月二六日以降

(5) 内金三二九万八七二七円に対する

昭和五五年三月二六日以降

(6) 内金三五二万五八二七円に対する

昭和五六年三月二六日以降

(7) 内金三七七万六六二四円に対する

昭和五七年三月二六日以降

(8) 内金四〇三万七四二二円に対する

昭和五八年三月二六日以降

(9) 内金四二二万五一三四円に対する

昭和五九年三月二六日以降

各支払済みまで年六分の割合による金員

(二) 昭和五九年四月以降同年七月末日までは、毎月二五日限り金二六万七九二二円、同年八月一日以降は、毎月二五日限り金二七万〇九二二円及び右各金員に対するその月の二六日以降支払済みまで年六分の割合による金員

を支払え。

3  原告に対し、

(一) 被告土佐電気鉄道株式会社は金三〇〇万円、

(二) 被告山本貞雄は金五〇万円、

(三) 被告谷間隆は金三〇万円、

(四) 被告らはそれぞれ右(一)ないし(三)の各金員に対する昭和五〇年七月一三日以降支払済みまで年五分の割合による各金員

を支払え。

4  訴訟費用は被告らの負担とする。

5  2、3項につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する被告らの答弁

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  (請求の趣旨1の請求について)

(一) 被告土佐電気鉄道株式会社(以下「被告会社」という。)は、軌道業、自動車による一般運送業等を目的とする株式会社であり、原告は、昭和三五年三月二一日、被告会社との間で雇用契約(以下「本件雇用契約」という。)を締結し、バス車掌として勤務していたが、昭和四一年から資材課トラック運転手として、昭和四三年一二月からバス見習運転手として、昭和四四年一二月から自動車部輸送課(のちに運輸部自動車課に改称)高知営業所所属のバス運転手としてそれぞれ勤務してきたものである。

(二) 被告会社は、本件雇用契約が、昭和五〇年七月一三日以降は存在しないと主張している。

2  (請求の趣旨2の請求について)

(一) 原告は、右のとおり、被告会社との間において本件雇用契約を締結しており、被告会社に対して賃金請求権を有している。そして、原告は、被告会社から、毎月二五日に賃金の支払を受けることになっている。

(二) しかるに、被告は、原告に対し、昭和五〇年七月一三日以降賃金の支払を拒否している。

(三) 原告の昭和五〇年七月一三日以降昭和五九年三月三一日までの各年度(四月一日から翌年の三月三一日まで)の年間賃金は、別表(略)「年間賃金」欄記載のとおりであり、その合計金額は二九四〇万三六九九円である。

(四) 更に、昭和五九年四月一日以降の賃金については、被告会社と土佐電気鉄道労働組合(以下「組合」という。)との間で、同年四月分から同年七月分までは平均月額七〇〇〇円、同年八月以降は平均月額一万円の割合で賃上げする合意が成立し、原告の昇給額は右平均額を上まわるので、原告の同年四月一日から同年七月三一日までの賃金は月額二六万七九二二円を、同年八月一日以降の賃金は月額二七万〇九二二円を上まわる。

3  (請求の趣旨3の請求について)

(一) 原告は、昭和五〇年七月一二日、被告会社から、バス料金の窃取(以下「不正着服」ともいう。)等を理由として懲戒解雇(以下「本件懲戒解雇」という。)された。

(二) 被告会社は、従業員を懲戒解雇するに際しては、まず、懲戒解雇事由に該当する事実の存否について、確たる証拠を収集し、被懲戒者の反論、弁明等に対しても、これを論破し得るか、第三者をして、右事実の存在について、容易に心証形成させ得る状況を形成したうえ、かつ、就業規則、労働協約等に定める懲戒手続を遵守し、しかも、過去、現在及び将来における処分との均衡性を保ちながらこれを行なうべき注意義務がある。

しかるに、被告会社は、信用性の極めて乏しい関係者らの供述を安易に採用し、これについての確たる裏付け調査もなさず、また、他に信用性の高い供述を得るとか、物的証拠の収集に努める等の努力も全くなさず、客観的には原告のバス料金の不正着服行為についての心証形成が存否いずれとも決し得ないものであることを知りながら、あえて本件懲戒解雇に及んだ。

更に、被告会社は、安上がりの首切り、合理化を企図して、原告を他の従業員に対するみせしめ、生け賛とする目的のもとに、原告がバス料金の不正着服をしていないことを知りながら、関係者らの虚偽の供述を捏造しているとも考えられる。

また、後記再抗弁のとおり、本件懲戒解雇には、手続に違法があり、また、処分の不均衡があり、被告会社はこれらの事情を容易に知り得べき状況にあったにもかかわらず、あえて本件懲戒解雇をした。

(三)(1) 被告山本貞雄(以下「被告山本」という。)及び被告谷間隆(以下「被告谷間」という。)は、いずれも被告会社の従業員であり、本件懲戒解雇当時、被告山本は、自動車課運転係長、被告谷間は、元バス運転手(昭和五〇年五月一日退職)であったものであるが、被告会社による本件懲戒解雇に積極的に加担し、かつ、原告の名誉を侵害した。

(2) (被告山本の不法行為)

(イ) 被告山本は、昭和五〇年五月下旬ころ、被告会社内において、訴外高野栄治(以下「高野」という。)に対し、同人が原告と共同してバス料金を不正着服した旨の虚偽の事実を認めるよう強要し、そのころ(日曜日)、右虚偽の申述を拒否する高野を訴外山﨑榊助役(以下「山﨑助役」という。)をして被告山本の自宅へ連行させ、約六時間にわたって原告との不正を認めるよう恫喝し、遂に高野をして、ありもしない原告とのバス料金の不正着服を認めることを余儀なくさせたうえ、同人に原告とバス料金を不正着服したとの虚偽事実を記載した始(顛)末書二通(昭和五〇年五月二六日付け及び同月二八日付け)を作成させて被告会社に提出させた。

(ロ) また、被告山本は、同年六月二〇日、被告会社内において、前記虚偽の申述を取り消す旨を申し出た高野に対し、「一度言ったことは取り消すわけにいかん。嘘を言ったとなれば(原告から)名誉毀損で訴えられるぞ。」と脅し、高野が原告とバス料金を不正着服したことはないという真実を述べたときは重大な不利益を被るものと信じ込ませ、同年七月七日の賞罰委員会において、「昭和四九年八月二四日と同年一〇月六日、原告と組んでバス料金を不正着服した。原告とバス料金を不正着服したとの申述を取り消すと申し出たのは、原告から『会社へお前が言うたうが。その事で今晩中に話をつける。』と脅されたからである。」旨の虚偽の陳述をさせた。

(3) (被告谷間の不法行為)

被告谷間は、原告が不正行為を理由に解雇されることを念願し、昭和五〇年七月一一日の賞罰委員会で、「昭和四九年の梅雨ころの雨の日の昼ころ、知寄町車庫で、原告が所携の合鍵で金庫を抜き、金庫内の金銭を取り、それを二人で分けた。」旨虚偽の陳述をし、同日、同様の虚偽事実を記載した証言書を作成して被告会社に提出した。

(四) 原告は、被告らの前記不法行為によって本件懲戒解雇を受けた。そして、本件懲戒解雇によって原告の被った精神的苦痛は筆舌に尽し難いものがある。

通常の懲戒解雇であっても、労働者の被る精神的苦痛は多大であるが、原告は、被告会社により、窃盗犯人の汚名を着せられて懲戒解雇されたのであるから、職場における同僚との関係で、地域における知人、友人との関係で、また、家庭における家族との関係で、その他社会におけるあらゆる関係で耐え難い屈辱を受け、社会的、家庭的に極めて大きな精神的打撃を受けた。

(五) 被告会社の前記不法行為により被った原告の精神的損害は三〇〇万円、被告山本の前記不法行為による同損害は五〇万円、被告谷間の前記不法行為による同損害は三〇万円に相当する。

4  (結論)

よって、原告は、被告会社に対し、原告が被告会社との間において、被告会社の自動車運転手として雇用契約上の権利を有することの確認並びに賃金請求権に基づいて、金二九四〇万三六九九円及び内金一七〇万三七三七円に対する弁済期ののちである昭和五一年三月二六日以降、内金二七一万五二二九円に対する弁済期ののちである昭和五二年三月二六日以降、内金二九八万四七五二円に対する弁済期ののちである昭和五三年三月二六日以降、内金三一三万六二四七円に対する弁済期ののちである昭和五四年三月二六日以降、内金三二九万八七二七円に対する弁済期ののちである昭和五五年三月二六日以降、内金三五二万五八二七円に対する弁済期ののちである昭和五六年三月二六日以降、内金三七七万六六二四円に対する弁済期ののちである昭和五七年三月二六日以降、内金四〇三万七四二二円に対する弁済期ののちである昭和五八年三月二六日以降、内金四二二万五一三四円に対する弁済期ののちである昭和五九年三月二六日以降各支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金、昭和五九年四月以降同年七月末日までは、毎月二五日限り金二六万七九二二円、同年八月以降は、毎月二五日限り金二七万〇九二二円と右各金員に対する弁済期の翌日であるその月の二六日以降支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の各支払と、不法行為に基づく損害賠償として、金三〇〇万円及びこれに対する不法行為の翌日である昭和五〇年七月一三日以降支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の各支払を求め、被告山本に対し、不法行為に基づく損害賠償として、金五〇万円及びこれに対する不法行為の翌日である昭和五〇年七月一三日以降支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の各支払を求め、被告谷間に対し、不法行為に基づく損害賠償として、金三〇万円及びこれに対する不法行為の翌日である昭和五〇年七月一三日以降支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の各支払を求める。

二  請求原因に対する被告らの認否

1  (一)、(二)の各事実はすべて認める。

2  2について

(一) (一)のうち、原告と被告会社との間において、かつて雇用契約の存在したこと及び被告会社が原告に対し毎月二五日に賃金を支払っていたことは認め、その余は争う。

(二) (二)の事実は認める。

(三) (三)については、被告と原告との雇用契約が継続していた場合、原告の賃金が(三)のとおりとなることは認める。

(四) (四)のうち、昭和五九年四月一日以降の賃金について、被告会社と組合との間で、原告主張の合意が成立したことは認め、その余の事実は否認する。

3  3について

(一) (一)の事実は認める。

(二) (二)の事実は否認する。

(三) (三)につき

(1) (1)のうち、被告山本及び同谷間が被告会社による本件懲戒解雇に積極的に加担し、かつ、原告の名誉を侵害したことは否認し、その余の事実は認める。

(2) (2)(イ)、(ロ)の各事実は否認する。

(3) (3)のうち、被告谷間が昭和五〇年七月一一日の賞罰委員会において、原告主張の内容の陳述をし、同日、同内容の事実を記載した証言書を作成して被告会社に提出したことは認め、その余の事実は否認する。

(四) (四)及び(五)の各事実はいずれも否認する。

三  被告会社の抗弁(解雇)

1  被告会社は、昭和五〇年七月一二日、原告に対し、本件懲戒解雇の意思表示をした。

2  本件懲戒解雇は次の理由によるものである。

(一) 高野との共謀によるバス料金の不正着服(以下「東坪池事件」という。また、後記(1)、(2)、(3)の各事件については、それぞれ「東坪池(1)、(2)、(3)事件」という。)

(1) 昭和四九年八月二四日午前一〇時四〇分ころの件

原告は、昭和四九年八月二四日、被告会社の運転手として旅客乗合自動車(以下「バス」という。)である車両番号高2い五二九三号のバス(以下「Aバス」という。)に車掌高野と乗り組み、三五仕業に従事し、同日午前一〇時一五分、始発地高知県南国市所在の後免を出発し、終点地同市所在の東坪池に向って同バスを運転中、里改田付近において、スイッチを切って料金箱内の回転している送りベルトを止め、乗客の投入した料金が右送りベルト上に停滞するようにしたまま終点地東坪池に至り、高野と共謀のうえ、同日午前一〇時四〇分ころ、同所バス回し場に停車していたAバス内において、同人に見張りをさせ、自ら木箸をもって、料金箱内の送りベルト上にあった被告会社所有の料金約一〇〇〇円をはさみ取ってこれを窃取した。

(2) 昭和四九年八月二四日午後零時三分ころの件

原告は、同日、運転手としてAバスに車掌高野と乗り組み、三五仕業を継続中、同日午前一一時四〇分、始発地後免を出発し、終点地東坪池に向って同バスを運転中、浜改田付近において、スイッチを切って料金箱内の回転している送りベルトを止め、乗客の投入した料金が右送りベルト上に停滞するようにしたまま終点地東坪池に至り、高野と共謀のうえ、同日午後零時三分ころ、同所バス回し場に停車していたAバス内において、同人に見張りをさせ、自ら木箸をもって、料金箱内の送りベルト上にあった被告会社所有の料金約六〇〇円(一〇〇円硬貨約六枚)をはさみ取ってこれを窃取した。

(3) 昭和四九年一〇月六日午後零時五分ころの件

原告は、同年一〇月六日、運転手として被告会社の車両番号高2い五二三九号のバス(以下「Bバス」という。)に車掌高野と乗り組み、三五仕業に従事し、同日午前一一時四〇分、始発地後免を出発し、終点地東坪池に至り、同人と共謀のうえ、同日午後零時五分ころ、同所バス回し場に停車していたBバス内において、同人に見張りをさせ、自ら同車備付けの料金箱の金庫の封印をはずし、合鍵二個を用いて、料金箱から金庫を取りはずしたうえ、金庫の蓋を開け、中にあった被告会社所有の料金約四〇〇〇円(一〇〇円硬貨約四〇枚)を取り出してこれを窃取した。

(二) 被告谷間との共謀による知寄町車庫内におけるバス料金の不正着服(以下「知寄町車庫事件」という。)

原告は、被告谷間と共謀のうえ、昭和四九年七月四日午前一一時二一分三〇秒ころから同三一分ころまでの間、高知市知寄町所在の被告会社バス駐車場(以下「知寄町車庫」という。)南側中央付近に停車していた被告会社の車両番号高2い五二二二号のバス(以下「Cバス」という。)内において、同車備付けの料金箱の金庫の封印をはずし、合鍵二個を用いて、料金箱から金庫を取りはずしたうえ、金庫の蓋を開け、中にあった被告会社所有の料金約六〇〇〇円を取り出してこれを窃取した。

(三) 北秦泉寺におけるバス料金不正着服(未遂、以下「北秦泉寺事件」という。)

原告は、昭和五〇年四月八日、被告会社の一一六仕業に従事し、被告会社の車両番号高22あ五六号のバス(以下「Dバス」という。)を運転して北秦泉寺線終点地金谷橋の北方約一五〇メートルの県道高知本山線の通称北秦泉寺バス回し場に同日午後七時一二分ころ到着したが、あらかじめ、料金箱内の回転している送りベルトを止め、乗客の投入した料金が右送りベルト上に停滞するように操作し、右回し場に到着した。その後原告は、同バスを高知市内方向に向けて右県道左側に停車させたうえ、右ベルト上に残存する料金を料金箱投入口から竹箸のようなものをもって取り出して窃取しようとしたが、被告会社従業員訴外保木英雄助役(以下「保木助役」という。)に発見されたため、その目的を遂げなかった。

(四) 高野に対する暴言・脅迫

原告は、高野が原告との共謀による前記2(一)(1)ないし(3)の不正着服を被告会社に申告した事に憤激し、かつ、右申告を撤回させる目的で、昭和五〇年六月二〇日正午ころ、高知市知寄町所在の被告会社自動車課事務所(以下「知寄町事務所」という。)において、同人に対し、「お前が会社に言ったろうが。その事について今晩中に話をつける。場所はお前の家でもどこでもよい。」などと暴言を吐き、もって被告会社に対する前記申告の取消を迫って脅迫した。

(五) 訴外猪野卓弘に対する暴言・威圧

原告は、昭和五〇年七月一〇日午後三時三〇分ころ、被告会社から、翌一一日開催の賞罰委員会に出頭するよう召喚を受けた事に憤激し、知寄町事務所において、組合の執行委員であり、かつ、賞罰委員会委員でもある訴外猪野卓弘(以下「猪野委員」という。)に対し、「賞罰委員会へ木刀をもって暴れ込んでやる。」などと暴言を吐き、もって同人を威圧した。

(六) 訴外大久保大に対する暴言・脅迫

原告は、被告会社の従業員である訴外大久保大(以下「大久保」という。)が原告の不正行為を知っていて、これを被告会社に申告するものと思い、右申告を思い止まらせる目的で、昭和五〇年四月ころから同年五月ころまでの間数回にわたり、知寄町事務所において、同人に対し、「おんしゃあ横着しよったら俺に撲られるぞ。」などと暴言を吐き、もし不正を会社へ申告すれば如何なる危害を加えるかも知れない気勢を示して脅迫した。

3(一)  被告会社の就業規則(昭和四三年一月一日実施、以下単に「就業規則」という。)一〇六条一項には、「懲罰は、譴責、減給、出勤停止、降職、懲戒解雇の五種類とし、懲戒解雇は予告期間を設けないで即時解雇し、解雇予告手当は支給しない。」旨の規定があり、また、就業規則一〇七条、一〇八条には「従業員が、『会社内で暴行脅迫を加え、又はその業務を妨げたとき』(一〇八条二号)、『職務上の指示命令に不当に反抗し、職場の秩序を紊したとき』(同条三号)、『勤務成績著しく不良のとき』(同条四号)、『不正行為をなし、従業員としての体面を汚したときに該当し、その情状の重いとき』(一〇七条九号、一〇八条一一号)、『その他前各号に準ずる行為のあったとき』(同条一二号)に該当し、情状重きときは解雇する。」旨の規定がある。

そして、被告会社と組合との間で締結した労働協約(以下単に「労働協約」という。)四七条ないし四九条には、就業規則一〇六条ないし一〇八条に対応する同様の規定がある。

(二)  そして、前記2(一)ないし(三)記載の各事実は、就業規則一〇八条四号、一一号、一〇七条九号、労働協約四九条四号、一一号、四八条九号、に該当し(原告は組合員である。)、かつ、「その情状重きとき」に該当し、同(四)ないし(六)記載の各事実は、就業規則一〇八条労働協約四九条の各二号、三号、一二号に該当し、かつ、「その情状重きとき」に該当する。

4  なお、被告会社は、原告に対し、右2(一)ないし(六)記載の各事実で本件懲戒解雇をしたのち、次の事実(以下「得月前事件」という。)が判明したが、これによっても原告の情状が重いことが裏付けられる。

原告は、昭和五〇年、一月二一日、二二一仕業として被告会社の車両番号高2い五二七四号のバス(以下「Eバス」という。)に運転手として乗務し、同日午後七時五〇分ころ、始発地福井を発車し、同八時二六分ころ、西方からはりまや橋交差点に到着し、本来同交差点を右(南)折して終点地はりまや橋バスターミナル(以下「バスターミナル」という。)に入るべきところ、正常の運行コースをはずれ、同交差点をそのまま東方に直進して被告会社の本社(当時、以下「本社」という。)前東方でUターンして高知市南はりまや町所在の得月前停留所(以下「得月前」という。)に停車した。そして、原告は、被告谷間及び原告の実弟の訴外宮﨑敏郎(以下「敏郎」という。)と共謀のうえ、同日午後八時三〇分ころから同八時四五分ころまでの間、Eバス内において、同車備付けの料金箱から金庫を抜き出し、同金庫内の被告会社所有の現金(金額不明)を窃取した。

四  抗弁に対する認否及び原告の反論

(認否)

1 1の事実は認める。

2 2の(一)ないし(六)の各事実はすべて否認する。

3 3について

(一) (一)の事実は認める。

(二) (二)の事実は否認する。

4 4の事実は否認する。

(原告の反論)

1 東坪池事件について

(一) 高野の同事件に関する申告及びその後の供述は以下の理由により信用できない。

(1) 高野が被告会社に東坪池事件を申告したのは、昭和五〇年六月一日、被告山本及び山﨑助役から長時間にわたって強制的な取調べを受けたことによるものである。

(2) 高野は、昭和五〇年四月二五日、訴外白石幸四郎運転手(以下「白石運転手」という。)と乗務中、高知県南国市所在の久枝車庫において、被告会社のバスの料金箱から一〇〇〇円紙幣二枚を針金で引きあげて窃取し、白石運転手にうち一枚を渡そうとしたが拒否され、一枚を着服し、一枚を料金箱に戻した(以下「久枝車庫事件」という。)。その後同年五月二六日、白石運転手が久枝車庫事件を被告会社運転助役に申告したため、被告会社に同事件が発覚した。そして、その後に高野は被告会社に東坪池事件を申告したものであるから、同人は、同事件を申告した当時、既に久枝車庫事件により懲戒解雇を免れ得ないことを自覚していた。従って、高野の東坪池事件についての申告は、決して「首をかけた証言」ではなく、「だめでもともとの証言」であり、被告会社側の求めに迎合的な供述をすれば、解雇必至という絶望的立場から脱出できるかもしれないとの希望を抱いてなした「打算の証言」である。

(3) 高野は、一度東坪池事件を申告したものの、その後昭和五〇年六月二〇日、右申告を被告会社に撤回するとともに、原告に対し、右申告が虚偽であったと認めて陳謝した。

そして、高野が右申告を撤回し、原告に陳謝したのは、知寄町事務所内であり、原告と高野の回りには訴外宗竹啓介運輸部長、同淡中新作課長(以下「淡中課長」という。)、被告山本、その他多数の被告会社の事務職員がいたのであるから、原告が高野を脅迫することはあり得ず、高野の右申告の撤回及び原告に対する陳謝は真意に基づくものである。

(4) 高野が東坪池事件について作成した書面及び同人の供述には、不正着服の時期、方法、金額等について大きな相違がある。

(二) 東坪池事件は、次の各点において不自然であり、また実行不可能である。

(1) 東坪池事件全部について

同事件があったとされる時刻、東坪池停車場にはいずれも被告会社の後免発のバス(これが原告運転のバスに当る。)と土電会館発のバスが相前後して発着している。そして、同所には乗り換え客も必ずおり、しかも待ち合い所がないため、乗客はバスが到着すると直ちにバスに乗り込むのが通例である。従って、同所においてバス料金を不正着服しようとすれば、これを同僚や乗客に発見される危険性が極めて高く、このような状況下でバス料金を不正着服することは不可能である。

(2) 東坪池事件(1)及び(2)について

Aバスの料金箱のカバーは、投入口が広く、手首まで手が入るものであるにもかかわらず、料金箱内の送りベルト上の金銭を手でつかまず、わざわざ木箸ではさみ取ったというのは不自然である。

(3) 東坪池事件(2)について

同事件当時のバス料金は、始発地後免から、里改田までが七〇円、浜改田までが九〇円、東坪池までが一二〇円であり、犯行時間帯の乗降客の人数、乗客の降車状況からすると、料金箱内の送りベルト上に一〇〇円硬貨が六枚もたまることはあり得ず、従って同事件は実行不可能である。

(4) 東坪池事件(3)について

同事件では、原告は料金箱の金庫の封印をはずして料金箱から金庫をはずし、金庫の蓋を開けて約四〇〇〇円を取り出したとなっている。しかしながら、封印は一度封をすれば絶対にはずせないし、仮に封印をはずしたとしても、これを係員に発見されないように傷つけないでもと通りにすることは容易でない。そしてまた、右方法により金銭を窃取するためには、まず封印をはずして金庫を抜き出し、金庫から金銭を移し出してその中から硬貨をより分け、更に金銭を窃取したのち金庫をもと通りにしなければならないが、前記(1)のとおり、東坪池停車場には相前後して土電会館発のバスが到着するのであるから、同バスの乗客等に発見されないで右一連の行為を実行することは不可能である。

2 知寄町車庫事件について

(一) 被告会社は、同事件があったとする日時について、本件訴訟に先立って原告が申請した地位保全仮処分事件(昭和五〇年(ヨ)第一二七号、以下「本件仮処分事件」という。)において、「昭和四九年六月ころの正午ころ」と主張しながら、原告が病気のため同年五月二八日から同年七月三日まで欠勤していたことから右日時には知寄町車庫事件があり得ないことが判明すると、その後「同年七月四日午前一一時三〇分ころ」と主張を変更しており、この点からして同事件が存在しなかったことは明白である。

(二) 知寄町車庫事件には、以下のとおり極めて不自然かつ不合理な点が多く、また、同事件は時間的物理的にも実行不可能である。

(1) 被告谷間は、昭和四九年三月一一日被告会社に入社し、同年六月下旬試採用期間を終えて本採用になったばかりであり、また、原告は、前記のとおり同年五月二八日から同年七月三日まで病気で欠勤していたので、双方の間に個人的な接触は殆どなく、単に同じ白木谷班の乗務員として互いに顔を知っており、儀礼的な挨拶をかわす程度であった。しかも、被告谷間がバス料金を不正着服するようになったのは同年六月中旬以降であり、原告は、右のとおりその前から同年七月三日まで病気で欠勤し、職場に出ていないのであるから、被告谷間がバス料金を不正着服していることを知る由もなかった。

従って、原告がかかる間柄の被告谷間に対して料金の不正着服を誘いかけるはずがない。

(2) 被告谷間がCバスを停車させたと供述する位置は、被告会社がツーマンカーの置場として指定していた位置と異なっているが、バスの置場についてはこれを遵守するよう指導されていたのであるから、本採用になったばかりの被告谷間が被告会社の指定した以外の位置にバスを停車させることはあり得ないし、また、この時間帯の車庫内の混雑状況に照らせば、知寄町車庫に入庫後二分三〇秒では被告谷間の供述する停車位置に停車できない。

(3) 被告谷間がCバスを知寄町車庫に入庫したのは、前夜、前浜で泊ったのち最初の同車庫への入庫であったが、このように泊り明けの仕業で最初に知寄町車庫に入庫したときは、入庫の時点で金庫係がバスの料金箱の金庫を抜き取るはずであり、また、洗車係が停車後直ちにバスに乗り込み、次の発車までの間に車両を洗車する。現にCバスについても、被告谷間が停車した後に誰かが動かした形跡がある。かかる状況下でバスの料金箱の金庫を抜いて中の金銭を窃取するということはあり得ない。

(4) 被告会社は、昭和四九年七月四日午前一一時二一分三〇秒ころから同三一分ころまでの間に、原告が金庫の封印をはずし、合鍵で料金箱から金庫を取りはずしたうえ、金庫の蓋を開け、料金六〇〇〇円を取り出したと主張するが、右時間内に被告会社主張の右方法により料金六〇〇〇円を取り出すことは不可能である。

(5) 被告谷間は、原告と被告谷間が知寄町車庫事件を遂行していた際、その現場に訴外吉田基志運転手(以下「吉田運転手」という。)及び同篠原三男助役(以下「篠原助役」という。)がいたと供述するが、同人らの勤務状態からして、知寄町車庫事件があったとされている日時に同人らが知寄町車庫にいることはあり得ない。

3 北秦泉寺事件について

(一) 原告の北秦泉寺バス回し場における行動は次のとおりである。

原告は、北秦泉寺バス回し場でDバスを回し、いつも停車する県道高知本山線上に停車し、行き先を表示する方向幕を「はりまや橋」に変えたうえで、小用のため急いで乗降口に行ったが、あわてていたためドアを開け忘れていたことに気付き、運転席へ帰ろうとした。その途中、得月前に到着後時間待ちの際運転席直後の乗客席で楽な姿勢をとるため、外部から見えないようにと思って、前もって運転席直後の乗客席のカーテンを無造作に引き、運転席に着こうとした際、料金箱内の送りベルト上に一〇円硬貨が数枚残っていることに気付いたので、運転席から料金箱を叩いていた。そのとき、保木助役が運転席横の窓越しに、「こら何しよりゃあ。」と怒鳴ったのである。

(二) そして、このことについては、昭和五〇年四月九日、Dバスの料金箱が欠陥品であることが判明し、訴外別役三蔵次長(以下「別役次長」という。)が原告に「宮﨑君の言う料金箱の故障が今日の検査によって明らかになった。それで、この件はこの場でなかったことにして水に流して欲しい。」と詫び、原告において顛末書を作成して決着した。

(三) 保木助役は、原告が箸で料金箱から金銭を取り出そうとしているのを見たと供述している。

しかしながら、保木助役は、バス料金の不正着服を摘発することを目的として北秦泉寺バス回し場に張り込んでいたのであるから、仮に原告が箸で料金箱から金銭を取り出そうとしているのを発見すれば、唯一の物的証拠の確保に努めるはずである。

しかるに、保木助役は、<1>唯一の物的証拠である箸から目を離し、<2>原告が積極的に許容しているにもかかわらず原告の身体を含めて箸の所在を探索しようとせず、<3>Dバスから降りて原告から目を離し、結果として箸の所在を見失っている。

右<1>ないし<3>の行為は、バス料金の不正着服を摘発することを目的とする者の行為としては極めて不自然かつ不合理なものといわざるを得ず、結局保木助役の右供述は信用できないものである。

4 抗弁2(四)の事実について

原告は、昭和五〇年六月二〇日午後三時ころ、高野が虚偽の事実である東坪池事件を申告したものであるとの確信を持って知寄町事務所に行き、被告山本に「嘘の申告をしたのは高野君だと思われるので、今から会って本当のことを聞きます。」と断ったうえで、高野のいた簡易応接セットに同人と向い合って座り、高野に「本当に僕が高野君と不正をしたかよ。」と質問したところ、高野は、原告に対して虚偽の申告をした事実を認め、陳謝したものであり、原告は、高野に対し、被告会社主張のような暴言は吐いていない。

そして、原告が高野と右会話をしている際、その回りには、前記1(一)(3)のとおり、被告山本やその他被告会社の従業員が多数いたのであるから、被告会社主張のような暴言を吐き、高野を脅迫することなどできるはずがない。

5 抗弁2(五)の事実について

原告は、昭和五〇年七月一〇日、知寄町事務所入口で、訴外樋口直孝車掌(以下「樋口車掌」という。)から、翌一一日の賞罰委員会に呼び出されていると話しかけられた。それまで原告は、既に不正の疑いは晴れたものと確信していたので、何故賞罰委員会に呼び出されるのか不審に思いつつ、樋口車掌に「僕はしょう腹が立つよ。棒でも持って暴れちゃおか。」と軽口をかわした。この時原告は、近辺に猪野委員がいたことは知らなかったし、同人が賞罰委員会の委員であることも知らなかった。

また、仮に原告の右言動が猪野委員に向って行なわれたものであったとしても、この程度の言動は職場秩序を乱すものではなく、懲罰事由とすることはできない。

6 抗弁2(六)の事実について

(一) 被告会社は、当初、原告が大久保に対して暴言を吐き、脅迫したのは原告以外の者の不正行為の申告を防ぐためであると主張しながら、のちに原告の不正行為の申告を思い止まらせる目的でしたと主張を変更しており、不自然である。

(二) 原告は、乗務員詰所で将棋相手の同僚に牛乳を渡したところ、大久保から「俺にも牛乳をおごってくれ。」と言われ、「おんしになんの義理があらあ。飲みたかったら自分で買うて飲め。」と冗談話をしたことがあるだけで、被告会社主張のような暴言を吐いて大久保を脅迫したことはない。

7 得月前事件について

(一) 被告谷間の得月前事件についての供述は、そのなされた経過からして不自然であり、信用できない。

すなわち、被告谷間は、昭和五〇年四月、知寄町車庫事件について被告山本に供述し、その後も同事件については昭和五〇年七月一一日の賞罰委員会でも述べ、また、同日付けで詳しい「証言書」なる文書も作成して被告会社に提出している。しかるに、得月前事件については、原告に対する懲戒解雇がなされた後である同年一一月六日になって初めて供述している。

(二) 被告会社は、「原告は、西方からはりまや橋交差点に進入し、本来同交差点を右折して終点地のバスターミナルに入るべきであるのに、路線を変更し、同交差点をそのまま直進し、本社前の東方でUターンして得月前に停車し、同所において得月前事件を遂行した。」と主張する。

しかしながら、運転手であれば、勝手に路線や終点を変更したことが発覚したときは厳しい処罰を受けることになることを十分知悉している。そして、路線や終点の変更は発覚の危険性が高い。しかも、原告が路線変更したとされているはりまや橋交差点及びバスを停車させたとされている得月前は、高知市内において最も交通量が多く、かつ、本社及びバスターミナルにも極めて近いところにあり、発見の危険性は極めて高い。従って、被告会社の主張する右事実はあり得ない。

(三) また、被告会社の主張する得月前事件を遂行するためには、<1>敏郎は、得月前で停車後直ちにバスターミナルに入庫しなければならないのに、得月前で停車し続けたことになり、<2>また、この場合にはその車両と電車軌道との間は一車線を残すだけという形で停車していたことになって非常な交通妨害となるし、<3>原告は、バックすることを禁止されていたにもかかわらずEバスをバックさせたことになり、<4>原告、敏郎及び被告谷間のバスが得月前にいたという時間帯には、被告会社のバスだけでも一〇台にのぼるバスが得月前で発着している。

従って、右<1>ないし<4>の諸点からしても、被告会社主張の事実はあり得ない。

(四) 被告山本は、得月前事件の際、原告がEバスを運行した距離が正常の経路を運行した場合の距離よりも長いと供述するが、右供述自体信用性が乏しいうえ、仮に運行距離が長かったとしても、バスターミナルにおいて後から入庫したバスに押し出されることがあったのであるから、このことによって原告が路線を変更し、得月前に停車したことにはならない。

五  再抗弁

1  解雇手続の違法

(一) 就業規則一一四条違反

就業規則一一四条には、「所属長は、部下従業員に懲罰に該当する行為のあったときは、本人の始末書を必ず添付したうえ、文書により直ちに報告しなければならない。」旨規定されている。そして、従来、被告会社においては接触事故等のように事故原因及び事故態様が客観的に明らかであり、しかも、事故の程度が軽微なときには始末書をとらないこともあったが、重い懲罰を科す場合、殊に懲戒解雇をなす場合には、例外なく本人から始末書をとって、これを添付して所属長は報告義務を尽くし、そのうえで賞罰委員会にかけるという手続がとられてきた。

右就業規則の規定及びこれに添う被告会社の過去における懲罰手続の履践は、本人に始末書を作成させることによって、本人に当該懲罰の対象となるべき事実を自認させ、一定の懲罰に該当することを認めさせることにより、本人との間において、事実関係について争いを残さないことを目的とするものである。

従って、右就業規則の規定がある以上、所属長は、懲罰該当行為を報告するためには本人の否定し得ない客観的証拠を示し、あるいは、説得するなどして、本人に自認をさせたうえで右報告をしなければならず、右自認がなされない以上(始末書を作成させることができない以上、換言すれば、懲戒該当行為の存否に争いを残す以上)、所属長は右報告をしてはならず、また、被告会社は懲罰手続をそれ以上進行させてはならない。

ところで、本件懲戒解雇においては、原告に懲罰該当行為の存在を認める始末書を作成させておらず、所属長たる被告山本は、始末書を添付することのないまま報告をなし、被告会社は、その後の懲罰手続を進めた。これは、明らかに就業規則一一四条に違反し、この懲罰手続は、前記手続規定によって保障されるべき労働者たる原告の権利を侵害しているので、本件懲戒解雇は就業規則一一四条に違反し無効である。

(二) 就業規則一一五条二項違反

労働協約四四条には、「会社が表彰及び懲戒を行なうには、会社及び組合より選出した委員をもって構成する賞罰委員会の意見を徴しなければならない。」と規定されている外、就業規則六章三節に賞罰委員会の性格、構成及び議事についての規定がある。そして、右就業規則の規定によると、賞罰委員会は、賞罰に関し、常勤重役会に対する諮問機関であり、労使双方各四名で構成することとされ、また、必要に応じ事実調査ができるとされている(一一六条、一一七条)。

このような賞罰委員会についての諸規定に照らすと、賞罰委員会は、諮問機関とはいえ、実質的には、懲罰が会社の恣意的判断によってなされることのないようにチェックする機能を果すべきものである。すなわち、賞罰委員会は、懲罰を科すことの可否(対象となる事実の存否を含む。)及びどの程度の懲罰を科すかの選択について、事実調査をなし、労使双方の委員が、それぞれの立場(労働者側委員は主として労働者保護の立場、使用者側委員は主として企業の秩序及び対外的信用維持の立場)から、意見を交換して採決に至るべきものであって、いわば懲罰の公正を担保すべき役割を担っているのである。

しかるに、本件懲戒解雇の場合、事実調査はもっぱら被告会社が行なっており、原告が事実を否認しているにもかかわらず、組合は何ら具体的調査を実施しておらず、当初から原告を「黒」と決めつけ、被告会社が収集した証拠で十分であると判断し、独自に調査して事実を確定すること、あるいは事実の存否についての十分な心証を形成することを頭から問題としていない。また、賞罰委員会全体としても、原告が事実を否認している状況の下で、十分な調査をせず、真偽いずれかを合理的に決するには不十分な資料で強引に原告の不正着服行為を認定している。

従って、本件においては、賞罰委員会が本来果すべき公正な懲罰を担保するという機能は全く果されていないといえる。

就業規則一一五条二項には、「従業員は、賞罰委員会の議を経ずして賞罰を受けることはない。」と規定されており、この規定は、殊に懲罰に関しては単に形式的に賞罰委員会の議を経ればよいということではなく、懲罰の実質的公正を担保するための手続規定であり、その手続の実質は、右目的を達成し得るものでなければならない。そして、右目的を達成するためには、前記のあるべき賞罰委員会の議を経るという手続が必要である。

よって、本件の如く、賞罰委員会が、あるべき姿から大きく乖離し、手続目的を達成し得ない実態にあるときは、仮に形式的に賞罰委員会の議を経ていても、本来履践されるべき手続は履践されておらず、手続的瑕疵が存し、手続として違法である。

2  懲戒処分の不均衡

被告会社における料金の不正着服行為は、広く乗務員の間に蔓延していた。そして、被告会社は、順次不正着服行為に及んだ者を摘発し、賞罰委員会にかけ、懲戒解雇していったが、なかには任意退職を申し出る者もいた。

ところで、事態の予想外に大きなひろがりを察知した組合は、昭和五〇年八月二五日付けをもって、被告会社に対し、不正着服行為に対する調査を一時凍結すること、組合が不正着服行為者の自己申告書を提出させること、そして右申告書にもとづき一括処分を申し出ること、処分は申告者全員を一旦懲戒解雇として原則的に全員再採用を求めることなどを申し入れた。そして、被告会社も右申し入れを了承したので、組合で右自己申告書を提出させたところ、一〇六名が申告した。そして最終的には、被告会社と組合との間で覚書(以下「本件覚書」という。)が交換され、申告者は、諭旨解雇から譴責までの処分を受けたが、被解雇者も退職金、賃金等では一定の不利益を甘受しながら再採用され、被告会社の従業員としての地位が確保された。

ところで、原告が料金の不正着服行為を理由として懲戒解雇されたのは、組合が前記申し入れをする僅か一か月半足らず前の昭和五〇年七月一二日である。同じ被告会社において、同じ不正着服行為を行なった者あるいはその疑いをかけられた者の処遇が僅か一か月半足らずの時の隔りによって、一方は被告会社との雇用関係を断たれ、しかも退職金も全く支給されていないのに対し、他方は被告会社との雇用関係を継続しながら、しかも退職金の一部も支給されているという不合理な差別的取扱いは許されない。

原告を含む既処分者も本件覚書により救済された者も、同じ被告会社の従業員であり、同じ組合の組合員であり、不正着服行為を行なったかその疑いをかけられた者である。前者と後者との違いは、発覚時期の僅かな違いのみである。更に厳密にいえば、発覚時期は、原告と異ならず、昭和五〇年七月一一日の同じ賞罰委員会に喚問されながら、後日の実情調査委員会の調査に付され、結局は、本件覚書により救済された者が五名おり、これらの者と原告との間には、異なった事情は全くなく、被告会社あるいは組合の恣意的処遇によって、非常に異なった取扱いとなっており、その不合理性はあまりにも歴然としている。

してみると、原告ら既処分者と本件覚書により救済された者との処遇は、余りにも均衡を失し、被告会社は、本件懲戒解雇をなすに際して、その裁量権の範囲を著しく逸脱していることは明らかである。

従って、被告会社としては、本件覚書を交換するに際しては、原告を含む既処分者に対する処分も一旦撤回したうえで、当時在職していた従業員と同様の機会を与えるべきであった。

以上のとおり、原告に対する本件懲戒解雇は、被告会社が本件覚書を交換した時点で、労働者の平等取扱いの原則を大きく踏みはずすこととなっており、事後的に裁量権の範囲を著しく逸脱する結果を招来しているから無効である。

六  再抗弁に対する認否及び被告会社の反論

1  1について

(一) (一)のうち、就業規則一一四条に原告主張の規定があること及び原告が懲罰該当行為の存在を認める始末書を作成していないことは認め、その余は争う。

右規定は、本人が事実を認め、始末書を作成した場合にはこれを添付することを定めた規定であって、他の証拠から本人が不正行為をしたことが明らかであるにもかかわらず本人が自白せず、また、自白しても始末書を書かないときは賞罰委員会に付することができないと解釈すべきではない。もし原告の主張するような解釈をすれば、正直に事実を認め、自白した者だけが処分を受け、殊更事実を否認し、始末書を書かない者については処分ができないことになり、甚だ不合理、不公平な結果となり、これが正義に反することは明らかである。

(二) (二)のうち、労働協約及び就業規則に原告主張の規定があることは認め、その余の事実は否認する。

2  2について

(認否)

2のうち、料金の不正着服が被告会社の乗務員の間に予想以上に蔓延していたこと、被告会社が不正着服行為をした者を順次調査し、賞罰委員会にかけ、懲戒解雇をしたこと、なかには任意退職を申し出る者がいたこと、組合が被告会社に対し、昭和五〇年八月二五日、原告主張の申し出をし、被告会社がこれを了承し、組合で自己申告書を提出させたこと、申告者は諭旨解雇から譴責までの処分を受け、被解雇者のうち再採用された者もいたこと、昭和五〇年七月一一日の賞罰委員会に喚問されながら諭旨解雇、再採用になった者が五名いることは認め、その余は争う。

(被告会社の反論)

被告会社は、自動車課で連日不正を行なったとされた者の調査を続けていたところ、昭和五〇年八月二五日、組合から被告会社に対し、別紙記載の申し入れがあった。

被告会社としては、不正問題に対しては今後も当然厳正な態度を貫くべきであり、それまでやってきた調査を半ば中断し、組合の申し入れをのむことは決して望ましいことではないが、後述する理由から結局これを受け入れざるを得ないと判断した。被告会社としては、公共輸送機関としての使命と責任を果たすためには、安全で正確な輸送は一刻たりとも疎かにできないため、誠にやむを得ない措置であった。

<1> 不正者の調査と処分が繰り返されていく過程で、乗務員の間に動揺が見られ、それが運転事故を誘発し、重大事故を引き起こすことが憂慮された。

<2> 不正者が多数にのぼることが予想され(一〇〇名を超えるという噂があったが、事実、のちに組合に申告した者は一一一名に及んでいる。)、正常な運行が不可能となる危惧があった。また、それらの多数の不正者を一人一人調査し、不正事実を立証し、処分をしていくには果てしない時間を要し、職場は混乱するばかりとなる。

<3> また、当時は台風五号(昭和五〇年八月一七日)による被災従業員の調査と救済に忙殺されており、他方ではバス運転手の新採用のため学科、適性検査、実技試験及び前歴調査等に追われ、そのため不正問題の調査、処分が大幅に遅れていた。

その時点において原告や高野の如く賞罰委員会へ正式に付議され、審議を終え不正事実ありとして処分を決定されたもの(一〇名)もあったが、調査を継続中の者(一旦賞罰委員会にかかりながら、未だ不正事実を認定できるまでに至っていなかった者も含む。)も数名いた。

そして、調査継続中の者のなかには、賞罰委員会の審議の際には不正事実を否認しながら、その後組合へ「申告書」を提出し、労使間で合意した諭旨解雇処分を受けたものも何人かいた(原告のいう五名はこれに当る。)。

組合は、同年九月八日、不正問題に関する自己申告書提出者の名簿と同人らに対する処分方法及び再採用の条件を被告会社に提示してきた。それによると、申告者は合計一一一名(当初一〇六名、のちに五名追加)であり、その内訳は

(イ) 不正を承知で着服、分配、飲酒した者 一〇三名

(ロ) 不正の金を一旦受けたが返還、その他 八名

であった。

そして、組合の処分案は、右(イ)に該当する者については懲戒解雇、また、(ロ)に該当する者については譴責、出勤停止処分をそれぞれ適用されたいというものであった。更に、当申告により解雇した者は条件を付して再採用の案が付されていた。

この組合提案に対し、被告会社は、慎重に検討した上で同意をすることになった。但し、組合処分案が(イ)の該当者は懲戒解雇とあったが、当人達も反省しており、また、再採用という今回の特例的な措置からみて、基本的には懲戒解雇と異なるものではないが、別途本件覚書により「諭旨解雇」の罰目を新設して処分することとした。

被告会社が組合の申し入れを受け、これに同意して不正問題の解決に当った経過は以上のとおりであり、結果的には一か月半で不正行為者の取扱いが変ったことになるが、そこに作為的な意図は全くない。

また、前記のとおり、不正問題の調査を中断した時点で既処分者(懲戒解雇を受けた者)は、原告を含め一〇名であるが、同人らについては賞罰委員会で審議し、処分しているものであって、その処分を変更することは制度そのものを否定することになり、秩序を維持することが不可能となる。

従って、いかなる点から考えても、被告会社が原告と諭旨解雇処分者との間に差別的取扱いをしていないことは明らかである。

第三証拠(略)

理由

一  まず、請求の趣旨1の請求について判断する。

1  請求原因1(一)、(二)の各事実は当事者間に争いがない。

2  そこで、以下抗弁(解雇)について検討する。

抗弁1の事実は当事者間に争いがない。

(一)  東坪池事件について

(1) (証拠略)を総合すると、以下の事実が認められる。

(イ) 原告は、昭和四九年八月二四日の雨の日、運転手としてAバスに車掌高野と乗り組み、三五仕業に従事した。そして、原告は、同日午前一〇時一五分、始発地後免を出発し、終点地東坪池に向って同バスを運転中、里改田付近において、スイッチを切って料金箱内の回転している送りベルトを止め、乗客の投入した料金が右送りベルト上に停滞するようにしたまま走行を続け、終点地東坪池に至り、高野と共謀のうえ、同日午前一〇時四〇分ころ、同所バス回し場に停車中のAバス内において、同人に見張りをさせ、自ら木箸をもって料金箱内の送りベルト上にあった被告会社所有の料金約一〇〇〇円をはさみ取ってこれを窃取し、うち四五〇円を高野に渡し、残金約五五〇円を自ら着服した。

(ロ) 原告は、同日、同じく運転手としてAバスに車掌高野と乗り組み、三五仕業を継続していたものであるが、同日午前一一時四〇分、始発地後免を出発し、終点地東坪池に向って同バスを運転中、浜改田付近において、右(イ)と同様にスイッチを切って料金箱内の回転している送りベルトを止め、乗客の投入した料金が右送りベルト上に停滞するようにしたまま走行を続け、終点地東坪池に至り、高野と共謀のうえ、同日午後零時三分ころ、同所バス回し場に停車中のAバス内において、同人に見張りをさせ、自ら木箸をもって料金箱内の送りベルト上にあった被告会社所有の料金約六〇〇円(一〇〇円硬貨約六枚)をはさみ取ってこれを窃取し、うち三〇〇円を高野に渡し、残金約三〇〇円を自ら着服した。

(ハ) 原告は、同年一〇月六日の晴れの日、運転手としてBバスに車掌高野と乗り組み、三五仕業に従事し、同日午前一一時四〇分、始発地後免を出発し、終点地東坪池に至り、高野と共謀のうえ、同日午後零時五分ころ、同所バス回し場に停車中のBバス内において、同人に見張りをさせ、所携の道具で料金箱の金庫の封印をはずし、金庫取りはずし用の合鍵で料金箱の錠を開けて金庫を取りはずしたうえ、金庫開放用の錠を開けて蓋を開け、金庫を逆さにして中の硬貨等をバスの床上に敷いた紙の上に移し、その中から一〇〇円硬貨約四〇枚、計約四〇〇〇円を取り出してこれを窃取し、残りの硬貨等を金庫に移し込み、金庫を料金箱に差し込み、封印をもと通りに戻した。その後、原告は、うち二〇〇〇円を高野に渡し、残金約二〇〇〇円を自ら着服した。

右認定に反する(証拠略)は、前掲各証拠に照らし措信できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(2) 原告は、高野が東坪池事件の申告をしたのは、昭和五〇年六月一日、被告山本及び山﨑助役から長時間にわたって強制的な取調べを受けたことによるものであり、しかも、高野はそれまでに久枝車庫事件が被告会社に発覚し、そのため懲戒解雇を免れ得ないことを自覚していたのであるから、高野の東坪池事件についての申告は信用できないと主張する。

そこで、高野が東坪池事件を申告した経過について検討するに、(証拠略)を総合すると、次の事実が認められる。

(イ) 高野は、昭和五〇年四月二五日、白石運転手の運転する土電会館発午前一〇時五〇分の久枝行の被告会社のバスに車掌として乗務した。そして、久枝車庫において、乗客が料金箱に投入した一〇〇〇円札二枚を針金で引きあげ、うち一枚を白石運転手に渡そうとしたが断られ、一枚を料金箱に戻したが、一枚を着服した(久枝車庫事件)。

(ロ) 白石運転手は、同年五月二五日、被告会社の従業員(教養係主任)訴外岡村幸雄助役(以下「岡村助役」という。)に久枝車庫事件を報告した。

右報告を受けた岡村助役は、翌二六日の朝、被告山本に同報告を伝えた。

(ハ) そこで、被告山本は、同日午後二時ころ、知寄町事務所二階の録音室において、高野に対して久枝車庫事件について、その真偽を質した。同人は、当初同事件を否認していたが、二〇分位して同事件を認めるに至った。そして更に、高野は、被告山本に対し、「昭和四九年八月頃の雨が降ったり止んだりする非常に蒸し暑い日とそれから一か月位のちの晴れの日、三、四回、後免・東坪池間の便で、原告がスイッチを切って料金箱内の送りベルトを止め、ベルト上の金銭を一回につき一五〇〇円から三〇〇〇円程度はさみ出し、その内から分け前を原告からもらったことがある。」と話した。その後、高野は、ほぼ同旨の内容の顛末書(乙第四号証)を作成して被告会社に提出し、同日午後四時三〇分ころ帰宅した。

(ニ) そして、同月二七日及び二八日の二日間、岡村助役と山﨑助役が高野に運転手点呼簿及び車掌点呼簿を見せて東坪池事件について調査したところ、前記(1)の(イ)ないし(ハ)の各事実が判明し、右調査の終了した二八日、高野は顛末書(乙第五号証)を作成して被告会社に提出した。

(ホ) その後、同年六月一日(日曜日)午前九時三〇分ころ、高野は、山﨑助役に連れられて肩書住所地(略)の被告山本の自宅に赴いた。そして、被告山本は、同日午前一一時三〇分ころまでの間、高野に対し東坪池事件の外にもバス料金の不正着服事件があるのではないかと問い質したが、高野は、東坪池事件については間違いないと認めたものの、他の事件については思い出せないと答えた。

以上認定した事実によれば、なるほど高野が被告山本に東坪池事件を申告したのは、久枝車庫事件が発覚したのちであるが、このことにより直ちに右申告が信用できないとはいえないことは明らかであり、被告山本が高野に対し長時間にわたる強制的な取調べをしたとは認められない。

もっとも、(証拠略)には、高野が当時の同僚であった訴外山本美智雄に対し、昭和五〇年六月一日、被告山本から原告とのバス料金の不正着服についてくり返し聞かれ、自分でも何を言っているかわからなくなって、バス料金を二人で着服した旨述べたとの記載ないし供述があるが、この記載ないし供述は、前掲各証拠に照らし措信できない。

(3) 原告は、昭和五〇年六月二〇日、高野が原告に対し東坪池事件の申告が虚偽であったと認めて陳謝し、同申告を撤回したものであるから、高野の同申告及びその後の供述は信用できないと主張する。

そこで、この点について検討するに、(証拠略)を総合すると、次の事実が認められ、この認定に反する(証拠略)及び原告本人尋問(第一回)中の供述部分は前掲各証拠に照らし措信できない。

(イ) 原告は、昭和五〇年六月一八日、知寄町事務所において、被告山本から東坪池事件について取調べを受けた。その際、被告山本は、共犯者(高野)の氏名は明らかにしなかったが、原告は、同事件を申告したのは訴外森本明車掌か高野であると考え、まず、右森本に右申告の有無を質したところ、同人が否定したので、右申告をしたのは高野であると確信した。

(ロ) そこで、原告は、同月二〇日の昼ころ、高野に会って、同人に右申告を撤回させる目的で知寄町事務所を訪れ、被告山本に「高野に会わせてもらいたい。」と申し出たうえ、同事務所の簡易応接セットに高野と向い合って座った。そして、原告は、高野に対し、「お前が不正のことを会社に言ったのだろう。今夜中に話をつける。場所はどこでもよい。お前の家でもよい。俺は腹がたって仕事も手につかん。もう三日も休んだ。どうしてくれるか。」などと低い声で申し向けて同人を脅迫し、右申告の撤回を迫った。なお、原告が高野を脅迫していたとき、右応接セット付近には、被告山本の外被告会社の従業員が十数名いたが、同人らには原告らの会話は聞きとれなかった。

(ハ) そして、二〇分位して、高野は被告山本に東坪池事件については取り消したいと申し入れた。これに対し被告山本が、「撤回するならするでそれ相当の理由もいるだろう。その説明ができるかよ。」と言ったところ、高野は何も言わなくなった。そして、被告山本は、山﨑助役に高野のところに居てくれと言って、右の経過を上司に報告するため同事務所を出た。その後、高野は、同事務所において、山﨑助役に「東坪池事件についての申告は間違いない。原告に怒られて怖かったので、同事件についての申告を取り消すと言った。」と述べた。更に、高野は、被告山本及び山﨑助役に連れられて高知警察署に行ったが、そこでも山﨑に右同様のことを述べた。

以上認定したとおり、高野が被告山本に東坪池事件についての申告を取り消したいと申し入れたのは、高野が原告の右言動に威圧されて動揺したことによるものであるから、高野が右取消の申し込みをしたことをもって、高野の東坪池事件についての申告及び供述が信用できないものであるとはいえない。

(4) 原告は、高野が東坪池事件について作成した書面及び同人の供述には、不正着服の時期、方法、金額等に大きな相違があり、信用できないと主張する。

なるほど、昭和五〇年五月二六日作成の顛末書(乙第四号証)中には、昭和四九年八月ころ、三、四回、原告に誘われて金庫のベルトを止め、一回一五〇〇円から三〇〇〇円程度を二人で分けて着服した旨の記載があるのに対し、同月二八日作成の顛末書(乙第五号証)では前記2(一)(1)で認定した事実に副う記載があり、時期、方法、金額について差異がある。

しかしながら、前記2(一)(2)で認定したとおり、同月二六日は、久枝車庫事件が被告会社に発覚し、同事件についての調査がなされ、引き続きこれに付随して、何らの資料も示されないまま、東坪池事件の調査がなされたものであり、従って、高野は、同事件については単に記憶に基づいて概要を述べたにすぎず、同日作成の顛末書(乙第四号証)の記載も簡略なものとなっている(但し、不正着服の時期については、この日に八月ころとそれから一か月位のちであったと述べていることは前記認定のとおりである。)これに対し、同月二七日及び二八日には、高野は、運転手点呼簿等を示されたうえ、東坪池事件について詳しい調査を受け、その結果を顛末書(乙第五号証)に書いたものである。従って、右両顛末書に多少の差異が生じることはやむを得ないのであって、このことにより、高野の申告及び供述が信用できないということはできない。

その他、高野が東坪池事件について記載した書面及び同人の供述の間に、その信用性を疑わせるような大きな相違点はない。

(5) 原告は、東坪池事件があったとされる時刻、東坪池では原告運転の後免発のバスと土電会館発のバスが相前後して発着するので、同所においてバス料金を不正着服しようとすれば、同僚や乗客に発見される危険性が高く、このような状況下で不正着服することはあり得ないと主張する。

なるほど、成立に争いのない(証拠略)によれば、東坪池事件があった当時、時刻表上、午前一〇時一五分後免発のバスが東坪池に到着するのが午前一〇時三六分で、同バスは東坪池を午前一〇時四〇分に発車することになっており、午前九時五〇分土電会館発のバスが東坪池に到着するのが午前一〇時三七分で、同バスは午前一〇時四〇分に東坪池を発車することになっている。また、午前一一時四〇分後免発のバスが東坪池に到着するのが午後零時一分で、同バスは東坪池を午後零時一〇分発車することになっており、午前一一時一〇分土電会館発のバスが東坪池に到着するのが午前一一時五七分で、同バスが東坪池を発車するのが午後零時九分であることが認められる。

しかしながら、(人証略)によれば、土電会館発のバスは、右時刻表の予定時刻よりも遅れて東坪池に到着することが多かったこと及び東坪池事件があったときにはいずれも土電会館発のバスが東坪池に到着しておらず、また、バスへの乗車を待っていた客もいなかったことが認められる。

以上認定した事実に照らせば、東坪池事件があった時刻に土電会館発のバスが発着するということをもって、同事件が実行不可能であるとはいえない。

(6) 原告は、東坪池事件(1)及び(2)についてAバスの料金箱のカバーは投入口が広く、手首まで手が入るのに、手でつかまず、木箸を使って送りベルト上の金銭をはさみ出したというのは不自然であると主張する。

しかしながら、(人証略)によれば、昭和四九年八月二四日当時のAバスの料金箱のカバーは検甲第二号証と同一であったものと認められ、同号証によれば、その料金投入口から手首まで手が入るとは認められない。従って、原告の右主張は理由がない。

(7) 原告は、東坪池事件(2)について、後免から東坪池までのバス料金、乗降客の人数、乗客の降車状況からすると、料金箱内の送りベルト上に一〇〇円硬貨が六枚もたまることはあり得ず、従って同事件は実行不可能であると主張する。

(証拠略)によれば、同事件当時のバス料金は、後免から、里改田までが七〇円、浜改田までが九〇円、東坪池までが一二〇円であったこと、東坪池まで乗車した乗客は殆どいなかったことが認められるが、乗客のなかに家族連れや数名の仲間連れがあった場合には料金箱に一〇〇円硬貨が投入され得るのであるから、右認定した事実をもってしても、東坪池事件(2)の実行が不可能であったとはいえない。

(8) 原告は、東坪池事件(3)について、封印をはずしたり、また、封印をはずしたことを係員に発見されないように傷つけずにもと通りにすることは不可能であるし、同事件は時間的にも実行不可能であると主張する。

しかしながら、(証拠略)を総合すると、封印をはずすことは可能であり、これに要する時間は二〇秒ないし二分一二秒であること及び容易に係員に発見されないようにもと通りにすることも可能であり、これに要する時間は三、四秒程度の極めて短時間であることが認められる。そして前記(5)で認定したように、土電会館発のバスは予定時刻より遅れて東坪池に到着することが多く、東坪池事件があったときにはまだ同バスは東坪池に到着しておらず、乗車を待っていた客もいなかったのであるから、東坪池事件(3)の実行が不可能であったとはいえない。

(9) 以上のとおり、原告の主張する諸点を検討しても、前記(一)(1)で認定した事実を覆す事情は見当らない。

(二)  知寄町車庫事件について

(1) (証拠略)を総合すると、以下の事実が認められる。

(イ) 被告谷間は、昭和四九年七月四日の雨の日、運転手としてCバスに乗り組んで一二仕業に従事し、同日午前一一時一九分、知寄町車庫に入庫し、同二一分三〇秒に同車庫の南の列の中央付近に停車し、点呼を受けるために知寄町事務所に行き、点呼を受けた後同事務所玄関へ出た。そして、同所で原告に会い、原告から「いっちょうやるかよ。」とバス料金を不正着服することを持ちかけられ、これを承諾した。そして、被告谷間がCバスに引き返し、同バスに乗り込むと、その後から原告が「時間がないがやるか。」と言いながら同バスに乗り込んだ。

(ロ) そして、原告は、所携の金切り用鋸で作った先の細くなった道具で料金箱の金庫の封印をはずし、金庫取りはずし用の合鍵を用いて料金箱の施錠を開けて金庫を取りはずしたうえ、金庫開放用の合鍵で金庫の施錠を開け、バス内に吊してあった運賃表をはずして床の上に敷き、その上に金庫を逆さにして中の硬貨等を移した。そして、原告は、その中から一〇〇円硬貨約六〇枚、計約六〇〇〇円を取り出してこれを窃取し、残りの硬貨等を金庫に移し込み、金庫を料金箱に差し込み封印をもと通りに戻した。

(ハ) 被告谷間は、原告が右バス料金を窃取している間、運転席の左側(中央部の通路)で、見張りをしていたが、その時、西の方から吉田運転手(但し、当時被告谷間は同人の名前を知らなかった。)が来て、Cバスの東隣に停車していたバスに乗り込んだので、右窃取行為を見られたのではないかと不安になった。また、その後篠原助役が西の方から東の方に走りぬけて行った。

(ニ) 原告は、右窃取行為を終えると、窃取した金銭のうち、三〇〇〇円を被告谷間に渡し、残金約三〇〇〇円を持ってCバスから降りた。

(ホ) 被告谷間は、同日午後二時一五分ころその日の勤務を終え、その後、不正行為直後の同日の原告の勤務が二二三仕業であることを確認し、また、訴外松本秀明車掌(以下「松本車掌」という。)に会い、同人に、「窃取行為を吉田運転手に見られたが……」と相談したところ、松本車掌は、「かまんかまん。あの人は人のことなど何も言わん。」と答えた。

右認定に反する(証拠判断略)、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(2) 原告は、知寄町車庫事件があったとされる日時について、被告会社が本件仮処分事件においては「昭和四九年六月ころの正午ころ」と主張していながら、その後「同年七月四日午前一一時三〇分ころ」と変更しており、この点からして知寄町車庫事件がなかったことは明白であると主張する。

そして、被告山本貞雄本人尋問の結果(第一回)及び弁論の全趣旨によれば、被告会社は、本件訴訟に先立って原告から申請のあった本件仮処分事件の昭和五〇年一〇月二一日付け準備書面において、知寄町車庫事件があったのは昭和四九年六月ころの正午ころと主張していたことが認められる。

そこで、以下被告会社において、本件仮処分事件で右主張をなした経過及び最終的に知寄町車庫事件の日時が判明した経過について検討する。

(証拠略)を総合すると、以下の事実が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

(イ) 被告谷間は、昭和四九年三月一一日被告会社に入社したものであるが、昭和五〇年二月ころ、別役次長からバス料金を不正着服する道具を作っているのではないかと問われたことがあり、また、同年四月九日の夕方、被告会社の友人等と花見の宴をしていた際、同僚から「何か(不正着服の)よい道具を作って来たのではないか。」と言われてけんかをしたことなどから、それまで料金を不正着服していたことを清算しようと決意し、翌一〇日午前一時前ころ、タクシーで肩書住所地所在の被告山本の自宅を訪れた。

そして、被告谷間は、同山本に対し、それまで料金の不正着服をしていたことなどを話し、また、不正着服に使用していた道具を提出した。

(ロ) その後、被告谷間は、同月一一日ころから二〇日まで、被告山本から取調べを受け、その最後ころ知寄町車庫事件について話した。そして、その内容は、「入社して三か月位した梅雨時期の雨の日で被告谷間が前浜線を乗務していた日の昼ころ、知寄町車庫において、原告が被告谷間の乗務していたバスに入って来た。そして、原告は、所持していた合鍵で金庫を抜き、金員を盗み、それを原告と被告谷間で分けた。その時、隣にいた吉田運転手に見られたと思った。また、間もなく、篠原助役が来て驚いた。その日のうちに、松本車掌に『料金を盗んでいたところを吉田運転手に見られた』と相談したところ、松本車掌は、『あの男は何も言やせん。』と言った。」というものである。

(ハ) 被告谷間は、同月一六日付けで被告会社に退職届を提出したまま、同月二二日から被告会社に出社しなくなり、同月二三日ころからは高知を去り、出身地である兵庫県の淡路島へ戻った。そして、被告会社が同年五月一日付けで右退職届を受理したため、同日をもって被告会社を退職した。

(ニ) そして、同年六月下旬、被告山本は、知寄町事務所前で偶然被告谷間を見つけ、同人に知寄町車庫事件についての調べが済んでいないので、後日これの調べに応じてくれと申し入れたところ、被告谷間は、既に高野が東坪池事件を申告しており、このことで原告から脅されていることをかつての同僚から聞いて知っており、このことに対して憤りを感じていたこともあって、被告山本の右申し入れを了承し、住所と電話番号を同人に告げた。

(ホ) 被告山本は、同年七月九日、被告谷間に電話で同月一一日開催の賞罰委員会に出席するよう依頼したところ、同人はこれを了承した。

そして、被告谷間は、右賞罰委員会に出席し、まず知寄町車庫事件等について説明したのち、同事件を否認する原告と対面し、再度同事件を認める供述をするとともに、「宮さん、もういかんぜ。」などと呼びかけた。

更に、被告谷間は、右賞罰委員会終了後、知寄町車庫事件等について証言書(乙第八号証)を作成し、これを被告会社に提出した。

(ヘ) その後、被告山本は、同谷間に何回か電話し、その結果、同年八月中旬ころには得月前事件が判明し、また、知寄町車庫事件についても、運転手点呼簿等に照らして検討した結果、同年九月初旬には、同事件の日時が「昭和四九年七月四日午前一一時三〇分ころ」であることがほぼ判明した。

(ト) 被告会社は、昭和五〇年一〇月三〇日、淡中課長、被告山本及び山﨑助役に、運転手及び車掌の点呼簿(昭和四九年三月から昭和五〇年四月まで)、白木谷班勤務表(昭和四九年七月分)、原告の勤務記録(昭和四九年一月から昭和五〇年七月まで。乙第四号証)、点呼日誌、運行記録紙並びに同紙を解析するためのアナライザーを持って、淡路島の被告谷間の住居に行かせた。そして、同人の記憶と右資料をつき合わせて検討した結果、知寄町車庫事件の日時が昭和四九年七月四日午前一一時三〇分ころであることが確定した。

(チ) なお、その後被告山本において、運行記録を検討した結果、知寄町車庫事件の日時は「昭和四九年七月四日午前一一時二一分三〇秒ころから同三一分ころまでの間」であることが解明され、これが被告会社の最終的な主張となっている。

以上認定した事実に被告山本貞雄本人尋問の結果(第一回)を総合すれば、被告会社が当初知寄町車庫事件の日時を「昭和四九年六月ころの正午ころ」と主張していたのは、昭和四九年三月一一日に被告会社に入社した被告谷間が、「入社して三か月位した梅雨時期の昼ころ」と言っていたためであり、その後、被告谷間の右申告に運転手点呼簿等を照して調べを進めた結果、同事件の日時が「昭和四九年七月四日午前一一時三〇分ころ」と判明したことが認められ、従って、被告会社が同事件の日時を変更したことについて、何ら不自然な点はないから、前記原告の主張は理由がない。

なお、前記(二)(2)(ヘ)で認定したとおり、被告会社には、昭和五〇年九月初旬には知寄町車庫事件の日時が「昭和四九年七月四日午前一一時三〇分ころ」であることはほぼ判明していたにもかかわらず、前記のとおり被告会社は前記昭和五〇年一〇月二一日付け準備書面において、なお右日時を「同年六月ころの正午ころ」と主張していたが、前記認定の経過に被告山本貞雄本人尋問の結果(第一回)及び弁論の全趣旨を総合すれば、これは、このときにはいまだ被告谷間の記憶と前記資料のつき合わせ作業がなされておらず、従って日時がはっきり確定したものとはいえなかったことによるものであり、この点についても何ら不自然、不合理があるとはいえない。

(3) 原告は、被告谷間が被告会社に入社したのが昭和四九年三月一一日であること、原告が同年七月三日まで長期欠勤していたことなどから、被告谷間とは殆ど個人的な接触はなく、同被告が料金の不正着服をしていることなど知る由もなかったのであるから、同被告に料金の不正着服を誘いかけるはずがないと主張するので、この点について検討する。

(証拠略)を総合すれば、以下の事実が認められ、この認定に反する(証拠略)及び原告本人尋問(第一回)中の供述部分は措信できない。

(イ) 被告谷間は、昭和四九年三月一一日、被告会社にバス運転手として入社し、一か月間の教育期間を経たのち原告と同じ白木谷班(班員一五名位)に配属された。その後二か月間は試用期間であったが、その勤務態様は本採用の従業員と特に差異はなかった。

そして、被告谷間は、昭和四九年六月一〇日、知寄町車庫内に停車していたバスの中で、数人の者から不正着服したバス料金二〇〇〇円を受け取った。

(ロ) 原告は、同年五月二八日から同年七月三日まで中耳炎のため欠勤(但し、公休も含む。)していたが、時々知寄町事務所を訪れ、被告谷間らと話をしていた。

(ハ) 当時、被告会社の従業員の中には、バス料金を不正着服していた者が相当数あり、これらの者の中では、不正着服について情報の交換がなされていた。

右認定した事実関係によれば、原告は、昭和四九年七月四日当時、被告谷間がバス料金の不正着服に係わっていたことを十分知り得る状態にあったものであり、しかも、被告谷間と原告とが全く接触がないという状況でなかったことは明らかであるから、原告の前記主張は理由がない。

(4) 原告は、被告谷間がCバスを停車したと供述する位置は、被告会社が指定していた位置と異なっており、本採用になったばかりの被告谷間が被告会社の指定した以外の場所にCバスを停車することはあり得ないし、また、知寄町車庫に入庫後被告谷間が供述する位置に被告谷間が供述する二分三〇秒で停車することはできないと主張する。

しかしながら、被告谷間隆本人尋問の結果によれば、知寄町車庫では、昼間は特にバスを停車する位置について指定はなされていなかったことが認められ、また、(証拠略)及び被告谷間隆、同山本貞雄(第一回)各本人尋問の結果によれば、被告谷間は、知寄町車庫に入庫後、現に二分三〇秒でその供述する位置に停車していることが認められ、この認定に反する(証拠略)及び原告本人尋問(第一回)中の供述部分は措信できず、他に右原告の主張を認めるに足りる証拠はない。

(5) 原告は、被告谷間がCバスを知寄町車庫に入庫したのは、泊り明けの仕業で最初の入庫であるが、その場合には、<1>入庫したときに金庫係が金庫を抜き取るはずであるし、<2>洗車係も停車後直ちに車両を洗車するはずであるから、かかる状況下で金庫から金銭を窃取することはあり得ないと主張し、原告本人尋問(第一回)中にはこれに副う供述がある。

そこで、まず<1>について検討するに、前記(二)(1)で認定したとおり、被告谷間は、当日一二仕業に従事していたものであるところ、(証拠略)によれば、営業課料金箱係が金庫を取り換える時刻は、仕業により予め決まっており、一二仕業では金庫の取換えは午後二時一二分になされることになっていることが認められ、この認定に反する原告本人の右供述は措信できない。

次に、<2>について検討するに、これについては原告本人の右供述以外にこれを証するものはなく、かえって(証拠略)によれば、この当時のツーマンバスの場合には、車掌が清掃をすることになっており、清掃係はバス内に入ってこないことが認められる。そして、これに前記(二)(1)で認定した事実を合わせ考えれば、原告本人の右供述は直ちに措信することはできない。

よって、原告の右主張は理由がない。

(6) 原告は、知寄町車庫事件の実行は時間的に不可能であると主張するので、この点について以下検討する。

(証拠略)を総合すると、以下の事実が認められる。

(イ) 前記認定のとおり、被告谷間は、昭和四九年七月四日午前一一時一九分、Cバスを知寄町車庫に入庫し、同二一分三〇秒に同車庫の南の列の中央付近に停車した。

原告は、同日午前一一時三二分に発車予定の高2い五〇九八号バス(以下「五〇九八号バス」という。)に乗務(二二三仕業)するため知寄町車庫で待機していたところ、同バスは同日午前一一時一九分に同車庫に到着した。

そして、原告は、同バスで同日午前一一時三一分同車庫を発車した(なお、被告谷間は、Cバスで同日午後零時二二分、同車庫を発車した。)。

従って、原告と被告谷間が知寄町車庫事件を実行することができるのは、Cバスが停車した同日午前一一時二一分三〇秒から、原告が五〇九八号バスで発車した同日午前一一時三一分までの九分三〇秒間である。

(ロ) 前記認定のとおり、被告谷間は、泊り明け点呼を受けるため事務所に行き、同所で点呼を受け、その後玄関に出たところで原告に会い、そこからCバスに引き返した。

被告谷間がCバスを停車した位置から事務所までの距離は、途中にバスが停車していたとしても約五〇メートルであり、これを通常の速度で歩行した場合四〇秒弱を要し、往復で約一分二〇秒を要する。そして、泊り明け点呼に要する時間は約三〇秒であり、そこから玄関へ出るのに約一〇秒を要する。

従って、以上の行為に要する時間は約二分である。

(ハ) 前記認定のとおり、原告は、Cバスに乗り込んだのち、所携の道具で料金箱の金庫の封印をはずし、合鍵二個を用いて料金箱から金庫を取りはずし、金庫の錠を開け、床の上に敷いた運賃表の上に硬貨等を移し出し、うち一〇〇円硬貨六〇枚を取り出したのち、残りの硬貨等を金庫に移し込み、金庫を料金箱に差し込み、封印をもと通りに戻したうえ、一〇〇円硬貨三〇枚を被告谷間に渡した。

以上の行為のうち、料金箱の金庫の封印をはずすのに要する時間が二〇秒ないし二分一二秒であることは前記2(一)(8)で認定したとおりであり、最大限六分あれば右記載のすべての行為を完了することができる。

(ニ) その後原告は、Cバスを出て五〇九八号バスに乗り込んだが、Cバスと五〇九八号バスとの距離はCバスと事務所までの距離よりも短く、その所要時間は約二五秒である。

(ホ) 更に、原告が五〇九八号バスに乗り込んだのち、その出発準備のために時間を要するが、乗り継ぎの場合(同バスについては、すでに同日午前六時二二分から訴外前田運転手が、その後同山中健彦運転手が乗務して運転しており、乗り継ぎに当る。)、既に先に運転した運転手が点検を終えているので、仕業点検は不要であり(もっとも、自分がその日の最初に勤務につく場合であれば、点検をする義務があるが、原告は、同日午前七時四五分から高2い五二四二号を運転して特二一仕業に従事しているので、この点からの仕業点検義務もない。)、従って、運転者の名札をつけ、両替機などを取りつけ、座席に座って座席を固定する等の準備で足り、これに要する時間は約二〇秒である。

しかも、原告が事務所玄関で被告谷間に声をかけたとき、原告は両替機等を持っていなかったので、右準備行為のうち両替機の取りつけはすでに終えていたものである。

以上の事実が認められ、右認定に反する(証拠略)及び原告本人尋問(第一回)中の供述部分は前掲各証拠に照らし措信できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

以上認定した事実によれば、原告と被告谷間が知寄町車庫事件を実行することが可能な時間は九分三〇秒であるところ、右(ロ)ないし(ホ)の各行為に要する時間は八分四五秒であるから、同事件の実行は十分に可能であるといわなければならず、原告の前記主張は理由がない。

(7) 原告は、知寄町車庫事件があったとされている日時に吉田運転手と篠原助役が知寄町車庫にいることはあり得ないと主張する。

しかしながら、(証拠略)によれば以下の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

(イ) 吉田運転手は、昭和四九年七月四日午前五時五四分、被告会社の後免営業所に出勤し、午前八時二四分まで後免特一八仕業の勤務についたのち、午後零時五分、知寄町車庫に出勤し、同三五分から三二三仕業に従事することになっており、現にその勤務に従事した。また、同日吉田運転手が三二三仕業で乗務した高2い五二九七号のバスは同車庫に午前九時五四分ころ入庫していた。

そして、吉田運転手は、後免特一八仕業を終えて三二三仕業に従事する間、晴れの日には一旦自宅に帰るが、雨の日には知寄町車庫に出勤して乗務の準備等をしていた。そして、昭和四九年七月四日が雨であったことは前記認定のとおりであり、吉田運転手は、同日、後免特一八仕業を終えたのち、自宅に帰らず知寄町車庫に出勤していた。

(ロ) 篠原助役は、昭和四九年七月四日は午前六時から同九時までの間後免営業所において乗客整理員として時間外勤務をすべきところ、同勤務を休んだ。そして、同人は、原告らが知寄町車庫事件を遂行していたころ、散髪のため知寄町事務所に行っていた。

以上のとおり、知寄町車庫事件のあった昭和四九年七月四日午前一一時三〇分ころ、吉田運転手及び篠原助役は知寄町車庫にいたのであるから、前記原告の主張は理由がない。

(8) 以上のとおり、原告の主張する諸点を検討しても、前記(二)(1)で認定した事実を覆すに足りる事情は見当らない。

(三)  北秦泉寺事件について

(1) (証拠略)を総合すれば、以下の事実が認められる。

(イ) 原告は、昭和五〇年四月八日、Dバスに乗務して一一六仕業に従事していた。そして、同日午後六時四九分、予定時刻よりも五分遅れて知寄町車庫を出発し、始発地はりまや橋から乗客を乗せて運行していたが、途中料金箱を強く引いてその中の送りベルトを停止させ、同ベルト上に投入された料金が金庫内に落ちないようにしたうえ、同日午後七時一一分三〇秒、北秦泉寺(金谷橋終点)に予定時刻よりも二分三〇秒遅れて到着し、同日午後七時一二分、同所北方の北秦泉寺バス回し場に着いた。

(ロ) 一方、当時自動車課教養係に所属していた保木助役は、同日午後二時ころ、被告山本から、北秦泉寺バス回し場で原告の行動を監視するよう指示を受け、同指示に基づいて同所に向い、同日午後六時五五分ころ同所に到着し、原告が来るのを待機していた。

(ハ) 原告は、北秦泉寺バス回し場に到着し、同所で一旦停車したが、間もなく同所を発車して県道高知本山線上で高知市内方向に向きを変えて同県道左側(山側)に再び停車した。そして運転席直後の窓のカーテンを引いて閉めたうえ、箸で料金箱内の送りベルト上にたまった硬貨をはさみ取ろうとしたが、原告の行動を監視していた保木助役に発見されたため、硬貨をはさみ取ることができなかった。

右認定に反する(証拠略)並びに原告本人尋問(第一回)中の供述部分は前掲各証拠に照らし措信できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(2) 原告は、北秦泉寺バス回し場における行動について、「(イ)いつも停車する県道高知本山線上にDバスを停車したのち、(ロ)小用のため乗降口に行ったが、(ハ)あわてていたためドアを開けるのを忘れていたことに気付き、運転席へ帰ろうとした。(ニ)その途中、終点得月前に到着したのち時間待ちがあるので、その際運転席直後の乗客席で楽な姿勢をとるが、その時外部から原告の姿勢が見えないようにするため、前もって同席のカーテンを引いた。そして、(ホ)運転席に着こうとした際、料金箱内の送りベルト上に一〇円硬貨が数枚残っていることに気付き、(ヘ)右送りベルトを回すため、運転席から料金箱を叩いていた。そのとき保木助役が運転席横の窓越しに『こら何しよりゃあ。』と怒鳴った。」と主張し、(証拠略)及び原告本人尋問(第一回)中にはこれに副う記載及び供述がある。そこで、以下順次検討する。

(イ) 原告本人は、いつも県道高知本山線上にバスを停車させていたと供述するが、(証拠略)によれば、被告会社では、右県道上にバスを停車すると他の自動車の通行の妨害となるので、同所にバスを停車することを許しておらず、時間待ちで停車する場合には、被告会社で確保した広場(バス回し場)に停車するよう指導していたのであるから、原告本人の右供述は措信できない。

そして、原告がDバスを停車した位置は、その左側は山になっていて、左側からは人に見られるおそれのない場所である。

(ロ) 原告本人は、小用のため乗降口に行ったと供述するが、前記認定のとおり、原告は北秦泉寺バス回し場に到着した際、一旦同所でDバスを停車させているのであるから、同所で小用に行くことは十分可能であったはずであり、あえて県道上に停車して小用に行くというのは不自然である。もっとも、前記(イ)のとおり、原告本人はいつも県道上にバスを停車させていたと供述しているので、右供述どおりだとすれば、右の点だけからでは、原告の右行為を不自然とはいえないが、いつも県道上にバスを停車させているという供述自体が措信できないことは(イ)で認定したとおりである。また、(証拠略)によれば、原告は北秦泉寺バス回し場を同日午後七時一七分五〇秒に発車し、得月前に到着したのち、同日午後九時三〇分ころまで知寄町事務所応接室において保木助役らの取調べを受けたが、その間約二時間小用に行っていないことが認められ、この点からしても原告本人の小用のために乗降口に行ったとの供述は措信できない。

(ハ) 原告本人は、乗降口に行く際、あわてていたため、ドアを開けるのを忘れていたことに気付き、運転席へ帰ろうとしたと供述するが、そうすると原告は、運転席を出て、少し乗降口へ進んだ時点でドアを開けていないことに気付いたということになる。

しかしながら、検証の結果(昭和五一年一〇月二五日実施)によれば、運転席から出ようとすれば、ドアは目の前にあるから、その時点でドアが閉っていることは当然わかるはずであるし、しかも、原告本人の右供述によれば、原告は、運転席を立ってしばらく何かをしてその後バスから降りようとしたものではなく、正にこれからバスを降りるために運転席を立ったのであり、このような場合にドアを開けることを忘れるとは到底考えられない。

従って、原告本人の右供述は措信できない。

(ニ) 原告本人は、ドアを開けるのを忘れていたことに気付き、運転席に帰ろうとした途中、得月前に到着後の時間待ちの際、運転席直後の乗客席で楽な姿勢をとるため、そのとき外部から見えないようにと思って、前もって同席のカーテンを引いたと供述する。

しかしながら、仮に原告において、終点得月前に到着したのち時間待ちをするときに運転席直後の乗客席で楽な姿勢をとることがあり、そのとき外部から見えないようにするため同席のカーテンを閉めることがあったとしても、始発地を出発する前に、終点に到着したのちのことを考えて乗客席のカーテンを閉めるということは到底考えられず、右供述は不自然、不合理であり、到底措信できない。

(ホ) 原告本人は、運転席に着こうとした際、料金箱内の送りベルト上に一〇円硬貨が数枚残っていることに気付いたと供述する。

しかしながら、(証拠略)によれば、ワンマンバスの運転手は、乗客が降りる際には規定の料金を料金箱に投入するかどうかを確認するよう教育、指導されていることが認められるので、料金が投入される際には常に料金箱内の送りベルトを見ているはずであり、従って、同ベルトが止まればその時点で気付くはずであり、すべての乗客を終点地金谷橋までに降ろしているにもかかわらず、その後北秦泉寺バス回し場付近の県道上まで送りベルトが停止していることに気付かず、同所で初めてこれに気付いたとの前記原告本人の供述は到底措信できない。

(ヘ) 原告本人は、その後送りベルトを回すため運転席から料金箱を叩いたと供述する。

しかしながら、(人証略)によれば、ドアを開けるスイッチを入れていなければ、送りベルトが回り始めることはあり得ないのであるから、仮に料金箱を叩いても送りベルトが回り始めることはあり得ず、従って、送りベルトが回るようになったか否かの確認すらできない。しかるに、原告は、その本人尋問(第一回)において、料金箱を叩いた時、ドアを開けるスイッチを入れていなかったと供述している。

従って、送りベルトを回わすために料金箱を叩いたとの原告本人の供述は不自然で措信できない。

以上のとおり、北秦泉寺バス回し場における行動についての(証拠略)及び原告本人尋問中の供述部分は到底措信できない。

(3) 原告は、昭和五〇年四月九日、Dバスの料金箱が欠陥品であることが判明し、別役次長が原告に対し料金箱の故障が明らかになったので北秦泉寺事件のことは水に流して欲しいと詫び、原告が顛末書を作成して決着したと主張し、(証拠略)及び原告本人尋問(第一回)中にはこれに副う記載及び供述がある。

しかしながら、前記乙第三一号証及び原告本人尋問の結果(第一回)によれば、原告は、別役次長の求めに応じて昭和五〇年四月一〇日付けで北秦泉寺事件について顛末書(乙第三一号証)を作成し、これを被告会社に提出しており、これにはDバスの料金箱の故障について全く触れられていないことが認められる。仮に原告が主張するように別役次長が水に流して欲しいと詫びたのであれば、同人が顛末書の提出を要求することはあり得ず、また、仮に同料金箱の故障が判明していれば、顛末書中にその旨記載するはずである(原告本人尋問(第一回)中の供述によれば、原告は、以後別の料金箱が故障した場合を慮って顛末書を提出するに至ったというのであるから、なおさらその旨の記載があって然るべきである。)。

そして、右認定の事実に(証拠略)を合わせれば、Dバスの料金箱に異常は認められず、別役次長において同料金箱に故障があると認めたり、北秦泉寺事件を水に流して欲しいなどと言って詫びたことはないことが認められ、この認定に反する(証拠略)及び原告本人の供述部分は措信できない。

(4) 原告は、バス料金の不正着服を摘発するために北秦泉寺バス回し場に張り込んでいた保木助役において、原告が箸で料金箱から金銭を取り出すのを見たのであれば、同人が、<1>箸から目を離したこと、<2>原告が許容しているのに原告の身体を含めて箸の所在を探索しようとしなかったこと及び<3>Dバスから降りて原告から目を離したことはいずれも不自然かつ不合理であり、結局保木助役の供述は信用できないと主張するのでこの点について検討する。

(証拠略)を総合すると、以下の事実が認められる。

(イ) 被告会社においては、バス料金の不正着服の摘発は自動車課教養係が担当することとなっているが、保木助役が同係に配属されたのは北秦泉寺事件の一か月余り前の昭和五〇年三月一日であり、同人は、同事件まで二、三回バス料金の不正着服の監視をしたことはあるが、実際に不正着服の現場を目撃したのは同事件が初めてであった。そして、右教養係においてもバス料金の不正着服を目撃した際の行動等について、事前に保木助役に指示等はなされていなかった。

(ロ) 保木助役は、原告が箸で料金箱から取り出そうとしているのをカーテンの隙間からしばらく見ていたが、前方から自動車の前照燈が差し込んできたように感じたので、原告に見つかってはいけないと思い、その場所で所携の懐中電燈をDバス内に向けて照らしながら、「どうしよりゃあ。ドアを開けろ。」と言って同バスの前を通ってドアの外まで行った。しかしながら原告がドアを開けないので、ドアに設置された下段の覗き窓から原告の様子を見ようとしたが見えず、再度「ドアを開けんか。」と声をかけたところ、原告がドアを開けたので同バス内に入ったが、その時点では既に原告は手には箸を持っていなかった。そして、保木は、その時点まで原告が箸で金銭を取り出そうとしていたことを否認するとは思っていなかった。

(ハ) その後保木助役が原告に「今はさみよった箸はどこにやった。」と言ったところ、原告は「なんちゃしやせん。」と答え、更に「身体検査をしてくれ。」などと言ったが、保木助役は、被告会社では身体検査が禁止されていることからこれを実施しなかった。

(ニ) そして、保木助役は、同バスの発車が予定より遅れていたこともあって、調べは知寄町車庫に帰ってすることとし、乗って来ていたモーターバイクに鍵をつけたままにしていたこともあって、これに乗って知寄町車庫に引き返した。

以上の事実関係に照らせば、保木助役の前記<1>ないし<3>の行動が不自然、不合理とはいえず、前記原告の主張は理由がない。

(5) 以上のとおり、原告の主張する諸点について検討しても、前記(三)(1)で認定した事実を覆すに足りる事情は見当らない。

(四)  抗弁2(四)(高野に対する暴言・脅迫)について

前記(一)(3)(ロ)で認定したとおり、原告は、昭和五〇年六月二〇日の昼ころ、知寄町事務所において、高野に東坪池事件の申告を撤回させる目的で、同人に対し、「お前が不正のことを会社に言ったのだろう。今夜中に話をつける。場所はどこでもよい。お前の家でもよい。もう三日も休んだ。どうしてくれるか。」などと申し向け、同人を脅迫したことが認められ、右認定に反する(証拠略)及び原告本人尋問(第一回)中の供述部分は措信できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(五)  抗弁2(五)(猪野委員に対する暴言・威圧)について

(証拠略)を総合すれば、以下の事実が認められる。

原告は、昭和五〇年七月一〇日午後三時三〇分ころ、一一五仕業の勤務を終えて知寄町事務所入口付近まで帰って来たところ、同所において、賞罰委員会の委員である猪野委員と樋口車掌が話をしていた。そして、樋口車掌が原告に対し、「僕は明日(同月一一日)の賞罰委員会に呼ばれちょる。」と話しかけたところ、同じく事前に同賞罰委員会に出席を求められていた原告は、猪野委員の顔を正視しながら、肩をいからせて、同人に対し、「俺もなんちゃあしちょらんのに呼ばれるが、棒を持って行って賞罰委員会で暴れちゃろうか。」と暴言を吐き、同人を威圧した。

右認定に反する(証拠略)及び原告本人尋問(第一回)中の供述部分は措信できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(六)  抗弁2(六)(大久保に対する暴言・脅迫)について

(証拠略)によれば、抗弁2(六)のうち、原告が昭和五〇年四月ころから五月ころまでの間数回にわたり、大久保に対し、「おんしゃあ横着しよったら俺に撲られるぞ。」と暴言を吐き、同人を脅迫した事実が認められる(この認定に反する<証拠略>及び原告の本人尋問(第一回)中の供述部分は前掲各証拠に照らし措信できない。)が、その余の事実についてはこれを認めるに足りる証拠はない。

(七)  以上のとおり、抗弁2については同(一)の(1)ないし(3)及び同(二)ないし(五)の各事実並びに同(六)のうち原告が大久保に対し、昭和五〇年四月ころから同年五月ころまでの間数回にわたり、「おんしゃあ横着しよったら俺に撲られるぞ。」などと暴言を吐いて同人を脅迫したことが認められる。

(八)  得月前事件について

なお、被告会社は、原告が被告谷間及び敏郎と共謀のうえ、得月前においてバス料金を不正着服したこと(得月前事件)を原告の情状として主張するので、この点について検討する。

(1) (証拠略)を総合すれば、以下の事実が認められる。

(イ) 原告は、昭和五〇年一月二一日、運転手としてEバスに乗務し、二二一仕業に従事していたものであるが、同日午後七時五〇分、始発地福井を発車し、はりまや橋交差点に到着した際、本来同交差点を右折してバスターミナルに入るべきところを、正常の運行コースをはずれ、同交差点をそのまま東に直進し、高知市はりまや町一丁目所在の本社前東方でUターンして得月前に向った(別紙図面<略>(一)参照)。そして、得月前で既に停車していた被告谷間の運転する車両番号高22あ五八号のバス(以下「五八号バス」という。)の右横を通って、同日午後八時二七分三〇秒、同バスの前方に停車した。このとき、被告谷間は、一一六仕業に従事し、同所において同八時二五分から時間待ちをしていた。

(ロ) その後、同日午後八時二八分過ぎ、運転手として車掌小松儀長と車両番号高2い五二〇七号のバス(以下「五二〇七号バス」という。)に乗り組み、一一仕業に従事していた敏郎が、Eバスの前方に斜めに停車した。そして、敏郎は乗客を降ろした後直ちにEバスに乗り込んだ。

(ハ) 原告と敏郎は、Eバスの料金箱の金庫から料金を窃取することを共謀し、右料金箱の封印をはずしたが、容易に料金箱の施錠をはずすことができなかった。

(ニ) Eバス後方に停車した五八号バスから原告らの様子を見ていた被告谷間は、原告らが料金を盗み取るのに手間取っていたので、これを手伝うためEバスに乗り込んだ。そこで、原告、敏郎及び被告谷間は、共謀のうえ、Eバスの料金を窃取する目的で、被告谷間において、所携の道具で料金箱の施錠をはずし、料金箱から金庫を引き出し、不正の行為をした(なお、原告らが同金庫からバス料金を窃取したかどうかについては、これを認めるに足りる証拠がない。)。

(ホ) そして、被告谷間は、同日午後八時四五分発敷紡前行の乗務に従事することになっていたので、Eバスの料金箱から金庫を引き出したのち、直ちに五八号バスに乗り込み、得月前を出発した。

(ヘ) その後、原告は、同日午後八時五四分にEバスで得月前を発車し、同八時五六分バスターミナルに到着した。なお、敏郎は、同八時五一分に五二〇七号バスで得月前を発車し、バスターミナルに向った。

以上認定した事実に反する(証拠略)及び原告本人尋問(第一回)中の供述部分は、前掲各証拠に照らし措信できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(2) 原告は、「被告谷間は、知寄町車庫事件については昭和五〇年四月に申告しているのに、得月前事件については同年一一月六日に初めて供述しており、かかる不自然な経過から信用できない。」旨主張する。

しかしながら、被告谷間が得月前事件について初めて供述したのは、前記(ニ)(2)(ヘ)で認定したとおり、昭和五〇年八月中旬ころである。そして、被告谷間隆本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、被告谷間が知寄町車庫事件を申告したときにも、また、昭和五〇年七月一一日実施された賞罰委員会においても得月前事件を申告しなかったのは、知寄町車庫事件のときには松本車掌に相談を持ちかけているが、得月前事件の際には同事件に関わったのが原告とその弟敏郎のみであって、同人らが同事件を否認した場合、他にこの事件について立証し得る立場にある者がおらず、同人らとの水掛け論に終ってしまう可能性があったためであることが認められ、従って、被告谷間が得月前事件について供述し始めたのが知寄町車庫事件を申告して相当期間を経過した後であることをもって不自然とはいえず、他に被告谷間隆本人の供述の信用性を疑わしめるような事情は見当らない。従って、原告の右主張は理由がない。

(3) 原告は、本来はりまや橋交差点を右折して終点のバスターミナルに入るべきところを、勝手にその路線や終点を変更し、得月前に停車することはあり得ないと主張する。

しかしながら、(証拠略)によれば以下の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

(イ) Eバスは、同日午後八時二七分三〇秒から同八時五四分までの二六分三〇秒の間停車し、その後二八〇メートルを二分間走行してバスターミナルに到着している。

(ロ) 同バスがバスターミナルと福井とを一往復した走行距離は一万〇七六〇メートルであり、同コースを正常に走行した場合の距離が一万〇三八〇メートル又は一万〇四二〇メートルであるのに較べ三八〇メートル又は三四〇メートル(平均三六〇メートル)長い。

(ハ) 四国銀行本店前北行横断歩道北詰からはりまや橋交差点を右折して土電西武百貨店西から南を通り、バスターミナル駐車位置までの本来の正常なコースの距離は一八二・二メートルであるのに対し、右横断歩道北詰から右交差点を東方に直進し、本社前の東方をUターンし、得月前を経由してバスターミナルに至った場合の距離は五三七・八七メートルで、前記正常なコースの距離よりも三五五・六七メートル長い。

(ニ) Eバスは、右横断歩道北詰付近で一旦停車後、同日午後八時二六分二〇秒に同所を発進し、最高速度時速三七キロメートルまで急加速して走行後徐行して得月前に停車している(仮に正常コースであれば、はりまや橋交差点を右折することになり、右のような速度では走行できない。)。

(ホ) Eバスは、二六分三〇秒経過後、同日午後八時五四分過ぎ、急発進して時速二四キロメートルで八九メートルを走行している(仮に原告が主張するように、バスターミナルから押し出されたとした場合、バスターミナルを出て横断歩道を通過して北側の国道を左折することになるので、その場合には一旦停車し、少なくとも徐行して左右の確認をしなければならないので、右の速度で急発進して走行することはできない。

右各事実に被告谷間隆本人尋問の結果を合わせ考慮すると、前記(1)で認定したとおり、原告が正常なコースをはずれ、得月前で二六分三〇秒停車していたことは明らかであり、前記原告の主張は理由がない。

もっとも、原告は、右走行距離が長い点について、仮に通常よりも走行距離が長いとすれば、それはバスターミナルにおいて後から入庫したバスに押し出されたためであると主張し、(証拠略)及び原告本人尋問(第一回)中にはこれに副う記載ないし供述がある。

しかしながら、仮に原告の主張するようにバスターミナルから押し出されたとすれば、右認定した事実関係からすると、その時間は、同日午後八時五四分過ぎであるが、(証拠略)によれば、大型車を基準としても、バスターミナルのバス待機場所はバスの通る通路をあけて六台を駐車することができ、また、発車場所は、西側郡部線用が三台(但し、ラッシュ時には四台。)、東側市内線用が二台(但し、ラッシュ時には三台。)をそれぞれ待機させることができる構造になっている(別紙図面(二)参照)ところ、原告が押し出されたと主張する時間帯にはバスターミナル内に駐車しているバスは二台しかおらず、従って、このような場合にEバスが押し出されるとは到底考えられない。また、前記認定のとおり、バスターミナルから押し出された場合には、現場の状況からして急発進して走行することは不可能であり、(証拠略)によれば、バスターミナルの市内線発車位置から土電西武百貨店の建物を一周してもその距離は二一一・六メートルであるところ、前記認定のとおり運行記録紙に記録された距離は約二八〇メートルであり(<証拠略>によれば、得月前からバスターミナルまでの距離は約二七八・四メートルである。)走行距離も違う。

従って、Eバスがバスターミナルから押し出されたとの原告本人の供述は到底措信できない。

(4) 原告は、敏郎が本来得月前で一旦停車したのち直ちにバスターミナルに入庫しなければならないところを得月前に停車し続けることはあり得ないと主張する。

しかしながら、(証拠略)によれば、敏郎が得月前に午後八時二八分過ぎから同八時五一分まで停車したことは明白であり、原告の右主張は理由がない。

(5) 原告は、仮に敏郎が五二〇七号バスを得月前において、Eバスの前に斜めに停車したとすれば、五二〇七号バスの後部と電車軌道敷までの間は一車線を残すだけとなり、このように非常に交通妨害となる停車をすることはあり得ないと主張する。

しかしながら、(証拠略)によれば、五二〇七号バスをEバスの前に斜めに停車させた場合であっても、著しく交通を妨害するという状況にはならないことが認められ、原告の前記主張は理由がない。

(6) 原告は、原告、敏郎及び被告谷間が得月前にバスを停車していたという時間帯には、被告会社のバスだけでも一〇台にのぼるバスが同所に発着するので、同時間帯に右原告ら三名が同所にバスを停車することはあり得ないと主張する。

しかしながら、前記認定のとおり、被告谷間は時間待ちのため五八号バスを停車していたにすぎず、この点はそもそも問題とならない。そして原告が得月前に停車していたのは、午後八時二七分三〇秒から同八時五四分までであるので、この間に得月前に発着するバスを検討するに、(証拠略)によれば、右時間内に得月前を発着するバスは三台にすぎず、従って、この三台のバスが右時間内に得月前を発着したということをもって、原告及び敏郎がその運転するバスを得月前に停車させることがあり得ないということはできない。

(7) その他原告の主張する点を考慮しても、前記(八)(1)で認定した事実を覆すに足りる事情は認められない。

3  そこで、抗弁3について検討する。

抗弁3のうち(一)の事実は当事者間に争いがない。

そして、右2(一)(1)で認定した(イ)ないし(ハ)の各事実(東坪池事件、抗弁2(一)の(1)ないし(3)の各事実)及び右2(二)及び(三)の各(1)で認定した事実(知寄町車庫事件、北秦泉寺事件、抗弁2(二)、(三)の各事実)は、いずれも被告会社のバス料金を不正に着服し、又は着服しようとしたものであり、いずれも就業規則一〇八条、労働協約四九条所定の「勤務成績著しく不良のとき」(各四号)及び「不正行為をなし、従業員としての体面を汚したときでその情状の重いとき」(各一一号、就業規則一〇七条九号、労働協約四八条九号)に該当し、かつ、「情状の重いとき」に該当する。

また、右2(四)及び(六)で認定した各事実(抗弁2(四)の事実及び同(六)の一部の事実)は、いずれも就業規則一〇八条、労働協約四九条の各二号所定の「会社内で脅迫を加えたとき」に該当し、右2(五)で認定した事実(抗弁2(五)の事実)は、右各条の各三号所定の「職務上の指示命令に不当に反抗し、職場の秩序を紊したとき」に該当し、これらの事実についても、右東坪池事件、知寄町車庫事件及び北秦泉寺事件を合わせ考えれば、「情状の重いとき」に該当する。

よって、抗弁は理由がある。

4  次に再抗弁について検討する。

(一)  原告は、被告会社が原告を本件懲戒解雇する際、原告に始末書を作成、提出させていないので、本件懲戒解雇は就業規則一一四条に違反し、無効であると主張するので、この点について検討する。

就業規則一一四条に「所属長は部下従業員に懲罰に該当する行為のあったときは、本人の始末書を必ず添付したうえ、文書により直ちに報告しなければならない。」旨の規定があること及び原告に対し、本件懲戒解雇がなされる際に、原告の始末書は作成されていなかったことについては、当事者間に争いがない。

しかしながら、いかなる場合であっても、懲罰を課すためには必ず本人の作成した始末書を右報告書に添付しなければならないとすると、本人が始末書を作成しない場合には、一切懲罰を課すことができなくなるが、かかる見解は、懲罰権が使用者において企業秩序を維持することを目的とする権利であることを無視するものであり、また、始末書を作成した者と作成しない者との間に不公平な取扱いを強いることになり、正義に反する結果を招来させるもので到底採用できない。

そもそも就業規則一一四条の規定は、懲罰権を行使しようとするものは、事前にできる限り相手方の意見、弁解を聞いたうえで懲罰権を行使すべきであるとの趣旨で規定されたものというべきである。

そして、本件懲戒解雇の場合、前記2(一)(3)で認定のとおり、被告山本は、昭和五〇年六月一八日、原告に対し、東坪池事件について取調べをしており、また、(証拠略)を総合すれば、<1>原告は、右取調べを受けた際、同事件には無関係であると述べ、その旨を記載した顛末書を作成し提出したこと(もっとも、同顛末書はのちに原告の求めにより原告に返還された。)、<2>その後、原告は、被告山本に対し、「何の証拠があって不正を働いたと言うなら。誰がそのことを言うたなら。言え。」などと大声で喚き散らし、被告山本において、それ以上の原告に対する取調べは不可能であったこと、<3>原告は、昭和五〇年七月一一日開催された賞罰委員会において、懲戒該当事実(抗弁2(一)ないし(六)の各事実)について意見を述べる機会が与えられたこと、の各事実が認められる(この認定に反する<証拠略>及び原告本人尋問(第一回)中の供述部分は前掲各証拠に照らし措信できない。)。

以上の事実関係によれば、本件懲戒解雇が就業規則一一四条の前記趣旨を逸脱したものとは到底認められず、前記原告の主張は採用できない。

(二)  原告は、本件懲戒解雇の場合、賞罰委員会は十分な調査をしておらず、同委員会が本来果すべき公正な懲罰を担保するという機能を果していないから、本件懲戒解雇は、就業規則一一五条二項所定の「従業員は、賞罰委員会の議を経ずして賞罰を受けることはない。」との規定に違反し、無効であると主張する。

しかしながら、(証拠略)によれば次の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

昭和五〇年七月七日開催された賞罰委員会においては、高野作成の始末書(乙第四、五号証)及び被告山本作成の報告書(同第一二号証)などが提出されたうえ、高野に対し、東坪池事件及び同人が原告から同事件に係る申告を取り消すよう脅迫された事件(抗弁2(四)の事実)について同委員会委員から質問がなされ、高野はこれらの事件をいずれも認めると供述した。

そして、同月一一日開催された賞罰委員会においては、右各書類の外、保木助役作成の報告書(乙第九号証)、大久保作成の始末書(同第一一号証)などが提出されたうえ、同委員会委員から被告谷間に対し、知寄町車庫事件について質問がなされ、同人は、同事件を認めたうえ、これにつき詳しい説明をした。その後、同委員会委員から原告に対し、東坪池事件、知寄町車庫事件、北秦泉寺事件並びに高野、猪野委員及び大久保に対する暴言等の事件(抗弁2(四)ないし(六)事件)について質問がなされた(原告は猪野委員に対する暴言・威圧事件については認めたものの、その余について否認する供述をなした。)。そして、その後原告と被告谷間を対質させて知寄町車庫事件について取り調べた。

同月一二日開催の賞罰委員会においては、原告に対する処分についての検討がなされ、同委員会委員の全員一致をもって原告を懲戒解雇とする意見を決定した。

以上認定したとおり、賞罰委員会は本件懲戒解雇について十分検討したうえ、原告を懲戒解雇にするとの意見を決定したものというべきであり、従って、原告の前記主張は理由がない。

(三)  再抗弁2(懲戒処分の不均衡)について

(1) 同事実のうち、料金の不正着服が被告会社の乗務員の間に予想以上に蔓延していたこと、被告会社が料金を不正着服した者について順次調査し、賞罰委員会にかけ、懲戒解雇をしたこと、なかには任意退職を申し出る者がいたこと、組合が被告会社に原告主張の申し出をし、被告会社がこれを了承し、組合で自己申告書を提出させたこと、申告者は諭旨解雇から譴責までの処分を受け、被解雇者のうち再採用された者もいたこと、昭和五〇年七月一一日の賞罰委員会に喚問されながら諭旨解雇、再採用になった者が五名いることについては、当事者間に争いがない。

(2) 右争いのない事実に(証拠略)を総合すれば、次の事実が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

(イ) 被告会社は、昭和五〇年七月一二日、原告に対して本件懲戒解雇の意思表示をした後もバス料金を不正着服した者の調査を続けたが、同調査は難航し、以後長期にわたることが予想された。

(ロ) こうした状況の中で、同年八月一七日、台風五号が高知県を直撃し、被告会社の従業員多数が災害を被った。そして、被告会社は、組合とともに「災害調査委員会」を設置して同災害の調査に当ったので、バス料金の不正着服の調査は更に大幅に遅れることになった。

(ハ) そうしていたところ、同年八月二三日、組合より口頭で、不正着服に関する調査を中断して欲しいとの要請があったのち、同月二五日、文書で別紙記載の申し出があった。

(ニ) 被告会社は、同調査を中断することは望ましくないと考えたが、結局以下の理由により、右申し出を受け入れた。

<1> 不正者の調査と処分が繰り返されていく中で、乗務員の中に動揺が見られ、それが運転事故を誘発することが憂慮された。

<2> 不正者が多数にのぼることが予想され、正常な運行が不可能となる危惧があり、また、それらの多数の不正者を一人一人調査し、不正事実を立証し、処分していくには果てしない時間を要し、職場は混乱するばかりとなる。

<3> 更に、当時被告会社は、前記台風五号による被災従業員の調査と救済に忙殺されており、他方、バス運転手の新採用のため学科、適性検査、実技試験及び前歴調査等に追われ、そのため不正問題の調査、処分が大幅に遅れていた。

(ホ) その時点において、賞罰委員会に正式に付議され、既に審議を終え不正事実ありとして処分を決定されていた者は、原告、高野を含めて一〇名あった。また、調査を継続中の者(賞罰委員会に付議されながら、未だ不正事実が認定できるまでに至っていなかった者も含む。)も数名いた。

(ヘ) 組合は、同年九月八日、被告会社に対し、不正問題に関する自己申告書提出者の名簿とこれらの者に対する処分方法及び再採用の条件を提出した。

これによると、申告者は合計一一一名にのぼり、その内訳は<1>不正を承知で着服、分配、飲酒した者が一〇三名、<2>不正の金を一旦受けたが、後に返還した者等が八名であり、処分案は右<1>の者には懲戒解雇(但し、一定の条件のもとに再採用する。)、<2>の者には譴責、出勤停止の各処分を適用されたいというものであった。

(ト) 被告会社は、右組合の提案に同意し、本件覚書を締結した。但し、右<1>の者に対する処分については、それらの者が反省しており、また、再採用するという特例的な措置であったため、懲戒解雇と異なるものではないが、別途覚書(昭和五〇年九月一一日付け、乙第六九号証の二の覚書)により「諭旨解雇」の罰目を新設し、これを適用して処分した。

(チ) そして、右諭旨解雇になり再採用された者の中には、昭和五〇年七月一一日の賞罰委員会に原告とともに召喚されていた者五名も含まれていた。

(3) 右認定した事実関係によれば、組合に不正事実を自己申告した者は、被告会社から、一旦は解雇されたものの、後に再雇用されるなどしており、原告と異なる取扱いがなされているが、これは原告が懲戒解雇されたのちの前記諸事情によりなされたものであって、被告会社において原告を特に不利益に取り扱う意図でなされたものでないことは明白である。更に、本件覚書に基づいて処分された者は、自ら組合に対して自己の不正行為を申告した者であって、原告とは根本的にその立場及び情状を異にする者である。

従って、原告の再抗弁2の主張が理由のないことは明らかである。

5  よって、請求の趣旨1の請求は理由がない。

二  請求の趣旨2及び3の各請求は、いずれも本件懲戒解雇事由の不存在ないしは本件懲戒解雇が無効であることを前提とする請求であるところ、右一で判断したとおり、本件懲戒解雇事由は存在し、しかも本件懲戒解雇は有効であるから、右各請求はその前提を欠き、その余の点について判断するまでもなく理由がない。

三  以上の次第で、原告の被告らに対する本訴請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 山口茂一 裁判官 大谷辰雄 裁判官 田中敦)

別紙 自動車乗務員の売上金不正着服問題に関する申し入れ

六月以来賞罰委員会で、報告に基づく審査と喚問・調査・処分を繰り返しているバス乗務員の「売上金不正着服問題」は、今日に到りその根の深さと規模の大きさが、進むにつれて予想外に発展しています。

そのため、職場内での動揺も大きく、このまま長期に亘り推移すれば、重大事故につながる危惧も懸念される事態となりつつあると判断されます。

このような事態に立ち到った事はその責任の一端は労使共に充分に考え反省の必要がありますが、それらは、問題解決後に再発のなきよう、あらゆる面で改善を尽きなければならない事と考えます。

そのためにも、この事態を早期に処置することが最も重要であり、当労組としても、重大決意をもって、関係組合員の不始末を処理し、又その再起に手をかし、秩序ある職場を取り戻したいと念願し次の通り申し入れます。

申し入れ事項

一 組合の不正問題に対する基本態度は従来と変りなく今後も厳罰主義で対処する。

二 今回の現在以後の処理として

(イ) 会社は、不正着服者の新たな調査を一時凍結し、組合に時間的余裕を作る。

(ロ) 組合は、八月二六日~九月二日までの間、不正着用者の自己申告書を提出させる。

(ハ) 組合は、申告書に基づき一括して、会社に対し、処分を申し出る。

処分は、申告者全員を一旦懲戒解雇とし、改めて原則として、全員再採用を求める。

(ニ) 再採用の条件は別途に労使協議する事とする。九月二日までに労使同意書を作る。

(ホ) 以上の申告期間後、摘発された不正問題は、賞罰委員会で懲戒解雇処分を自動的に決める。

三 具体的な詳部は、労使協議して進める。

以上

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