大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

高知地方裁判所 昭和57年(ワ)428号 判決 1985年11月28日

原告

岡本卓

右訴訟代理人弁護士

中平博

山下訓生

被告

佐川町農業協同組合

右代表者理事

矢野里本

右訴訟代理人弁護士

藤原充子

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し金二九五万五〇〇〇円及びこれに対する昭和五六年九月一日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決並びに仮執行の宣言を求める。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨の判決を求める。

第二  当事者の主張

一  原告の請求の原因

1  原告は被告との間で昭和五一年七月七日に次の養老生命共済契約を締結した。

(一) 共済責任の始期 昭和五一年七月七日

(二) 共済期間 三〇年間

(三) 共済責任の終期 昭和八一年七月六日

(四) 満期共済金額 一〇〇万円

(五) 死亡共済金額 一〇〇〇万円

(六) 共済掛金 年一二万五八〇〇円

(七) 被共済者、満期共済金受取人、後遺障害共済金受取人 いずれも原告

(八) 死亡共済金受取人 オカモトヤスコ

2  右共済契約には、契約者の災害並びに疾病にかかる全入院費用を担保する全入院費用担保特約が設定され、契約当初は入院一日につき一万円の入院費用共済金の支払が保障されていたが、昭和五二年七月一四日、右入院費用共済金額を入院一日につき一万五〇〇〇円に増額し、共済掛金も年一四万七八〇〇円に増額する合意が成立し、今日に至つている。

3  原告は、昭和五六年二月一四日、高知県高岡郡佐川町乙六二五五番地先路上において、中央線を越え走行してきた訴外川添啓史運転の対向車に正面衝突され、それがために原告は、頸部挫傷、左前胸部挫傷、左骨関節部挫傷並びに腰部挫傷の傷害を負つた。

4  原告は、右傷害のため昭和五六年二月一六日から同年八月三一日までの一九七日間、高知県高岡郡佐川町甲二三一七所在の沢田整形外科に入院し治療を受けた。

5  よつて、原告は被告に対し、前記共済契約に基づき、入院日数一九七日間の入院費用共済金二九五万五〇〇〇円及びこれに対する右共済金の支払を請求した日である昭和五六年九月一日から支払済まで、民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求の趣旨に対する被告の答弁及び主張並びに抗弁

1  請求の原因1、2は認める。同3、4は不知。同5は争う。

2  原告の入院にかかる事実は原告主張の共済契約の入院費用保障特約二条(以下単に「特約」という)に該当しない。すなわち、

(一) 特約で、入院とは、医師または歯科医師による治療が必要であり、かつ自宅等での治療が困難なため、病院または診療所に入り、常に医師または歯科医師の管理下において治療に専念することをいうと規定されている。

(二) 原告と訴外川添啓史間の交通事故は極めて軽微なものであり、人体に対する影響は殆んどなかつたと認められるものであり、かつ、原告の症状は自覚症状のみが強く、他覚的なX線、神経学上の所見は全くなかつたし、また、沢田整形外科での治療投薬の内容は、一般的な保存療法のみであつて、原告の右症状は、自宅治療が困難で常に医師の管理下で治療に専念すべき必要があるものでもない。現に原告は医師の回診時や第三者の訪問時にも不在であつたり外出中であることが多かつた。

更に、一般に入院とは、病院または診療所に一定期間生活の全部を移し、医師から継続的治療を受けることをいうものであるところ、原告は、入院当初から外泊をし、外泊日を除くと一〇日以上の継続的入院の期間はなく、しばしば軽四輪自動車を運転して外出、外泊を繰り返し、車の洗車、農機具の修理をしていて、普通人と変らない生活をしていた。

(三) したがつて、原告は、沢田整形外科へ入院する必要はなく、原告に何らかの症状があつたとしても、右はその治療を受けるために通院で十分な程度のものであつたのに、原告はことさら入院治療を受けたものであり、原告主張の入院は前記特約二条に規定する「入院」に該当しない。

3(一)  農業協同組合の共済事業は、農家組合員に交通事故や入院等の不慮の災害が生じた場合に生ずる出損や収入減少等から家族の生活を防衛するという農家組合員の相互扶助の精神に則り行われる農協事業の一環として、農林水産省よりの監督、承認を受けて行われているものであり、大数の法則と収支相当の原則に基づく相互扶助の精神を基本とし、契約関係者の信義則に基づく契約関係の維持、発展を図るものでなければならないものである。

(二)  原告は、かつて、昭和五二年六月三〇日から同年一一月五日までの一三九日間、他覚的所見の少ない十二指腸潰瘍、肝炎の病名で前田病院へ入院し、被告より入院共済金一三九万円を受領している。更に同年一一月二一日、目撃者のいない自宅において、養鶏場の取りこわし作業中に高さ二メートルの屋根から後向きに転落したとし、鞭打症、腰部打撲の病名で前田病院へ二〇二日間入院し、被告より入院共済金二八三万五〇〇〇円を受領している。そして更に本件入院に至つたものであり、また、更にその後昭和五九年一月二〇日にも自動車運転中、自車を塀へ衝突させる自損事故を惹起し、頸椎捻挫になつたとして入・通院し、共済金支払の請求をしてきた。こうした原告の所為は共済金を不法に取得することを目的として、故意に入院の事実を作り上げたものであつて、共済契約の本旨に反し、共済請求権の濫用となるものである。

更に、原告が本件入院により多額の共済金を被告より利得することが可能であるとすれば、社会通念上、不公平、不信義のそしりを免れ得ないこととなり、農協共済の制度、趣旨、特に入院共済金制度の崩壊を招くことになる。

(三)  したがつて、原告の本訴請求は信義則違反、権利の濫用、公序良俗違反として無効のものである。

三  被告の主張、抗弁に対する答弁

1  二の2のうち、(一)は認め、その余は否認する。

2  二の3のうち、(一)、(二)の原告主張の事故があつたこと(但し、目撃者がいないとの点を除く)、同主張の期間、同主張の病気で前田病院等へ入院し、同主張の共済金を受領し、また請求したことは認め、その余は否認する。

第三  証拠<省略>

理由

一請求の原因1、2の事実(共済契約の存在とその内容)については当事者間に争いがない。

二<証拠>によれば、請求の原因3(交通事故の発生と原告の受傷)のうち、腰部挫傷があつたとの点を除くその余の事実を認めることができ、右認定に反する証拠はない。

三右二で認定した事実、<証拠>を総合すれば、原告は、昭和五七年二月一六日から同年八月三一日までの間、頸部挫傷、左前胸部挫傷、左骨関節部挫傷、腰部挫傷の病名で沢田整形外科において入院治療を受けたことが認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

次に、共済契約の特約の存在及びその内容については当事者間に争いがない。そこで、以下、原告の前記入院治療を受けたことが右特約に該当するか否かについて判断する。

<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができる。

1(一)  原告が沢田整形外科に入院したのは交通事故の翌々日である昭和五七年二月一六日であるが、沢田医師によると、その初診時の症状は、頭痛、項部痛、左肩関節痛、左前胸部痛、左上腕部痛があり、そのうち、特に項部痛と左上腕痛の症状の程度が重いものであつて、強く疼痛を訴え、苦悶状態にあつた。更に、その後二月一八日は腰痛、左下肢のしびれ感があり、同年六月四日には左上肢のしびれ感が生じ、七月末には視力障害感が生じた、とされる。

(二)  原告は、二月一九日警察官に対し、事故時の状況について、「衝突の衝撃で体が前後にガクガクとなり、胸をハンドルに強く打ちつけ、頭がボーとなつていた」旨の供述をした。

(三)  沢田医師は、原告の初診時の症状からみて安静治療がよいと判断して、原告を入院させ、鎮痛剤、鎮痛作用のあるビタミン剤を投薬し、湿布、マッサージ等の施療をしたが、沢田医師によると、原告は四月一五日に首の痛みが少し楽になつたことを示した以外は、症状の好転をみせず、八月一〇日ころ経過が良好になり出すまでは、原告の治療の効果は生じなかつた。

2(一)  本件交通事故は正面衝突事故であり、川添啓史運転車両の事故直前の速度及びそのスリップした距離の関係からみて、衝突の衝撃の程度は強いものとはみられないうえ、原告は、川添運転車両がスリップして進行してくるのを予め認めていたものであるから、当然防衛反射機能が働いて防衛体制ができていたものと考えられる。

(二)  原告は事故の翌日である二月一七日にトラクターを運転して、約四〇アールの田の耕運作業をした。

(三)  前記1(一)の原告の症状は、いずれも原告の主訴に基づくものであり、X線検査は異常がなく、他覚症状も圧痛がみられる程度のもので、確たる他覚症状はなく、視力障害についても専門医の検査の結果、異常は認められなかつた。

(四)  沢田医師は二月一六日作成の警察提出用の診断書に、原告の症状の程度について、安静加療約二週間を要すとした。

(五)  原告の症状が好転しないことから、沢田医師は三月四日長尾医師の検査を受けさせた。原告は、長尾医師に対して頭痛、吐気感を訴えたが、長尾医師はX線頭部断層写真検査、脳波検査、平衡機能検査等の諸検査をした結果、原告には外傷に関係がある異常は認められず、入院治療の必要なしと判断した。

(六)  原告は、入院翌日の二月一八日午後八時ころにはベットにおらず、同月一九日外出(警察の捜査に応ずるため)し、同日午後帰院したが、午後八時にはベット不在で、同月二〇日午前八時ころ帰院した。そして、前記入院期間中の二月二一日、二八日、三月七日、一四日、二〇日、二一日、二八日、四月四日、一一日、一八日、二五日、五月二日、三日、四日、九日、一六日、二三日、三〇日、六月六日、一三日、二〇日、二七日、七月四日、一一日、一八日、二五日、二八日、八月一日、八日、一五日、二二日、二九日の各日に許可を得て外泊し、自ら自動車を運転して自宅病院間(片道数分程度)を往復した。更に看護記録によれば、四月一〇日午後八時ころ外出中、同月三〇日許可外出、五月七日午後八時ころベット不在、同月一二日午後八時ころ外出中、同月二〇日午後六時ころ外出、同月二一日午後八時ころ外出中、六月二日許可外出、同月四日午後八時ころ外出中、同月九日午後三時ころベット不在、同月一九日午後八時ころ不在、七月二二日午後八時ころ外出中、八月一九日午後八時ころ外出中、同月二六日午後八時ころ外出中という状況にあつた。

(七)  昭和五六年七月上旬ころ、原告は佐川町にある農機センターで耕運機のペンキ塗装や修理をしたほか、前記許可外泊による帰宅時にも度々自動車の洗車をしていた。

3(一)  原告は、請求の原因1、2記載の共済金額増額の申込みをしてからほぼ二週間後の昭和五二年六月三〇日から同年一一月五日までの一三九日間、十二指腸潰瘍、肝炎で前田病院において入院治療を受け、被告から一三九万円の共済金を受領した。なお、右入院の初診時の症状は空腹時に上腹痛があり、嘔気があるというものであり、X線検査により十二指腸に変形がある等の処見があつたことから、病状を右の如く判断されたものである(入院期間、病名、受領共済金額については当事者間に争いがない)。

(二)  ついで、右退院後二週間余り後である同年一一月二一日、原告は自宅の鶏小屋の取り壊し作業中に、二メートル余りの高さの屋根から後向きに落ちて鞭打症になつたとして、前田病院に二〇二日間入院したうえ、被告に共済金の支払を請求したところ、不審をもつた被告から、公序良俗違反等、民法に違反する場合には返還するとの趣旨の念書の提出を求められ、右念書を提出したうえ、被告から共済金二八三万五〇〇〇円の支払を受けた(入院期間、病名、受領共済金額については当事者間に争いがない)。

(三)  原告は、本件事故後である昭和五九年一月二〇日に自動車を運転中、塀に自車を衝突させる自損事故を惹起し、頸椎捻挫の病名で、入通院の治療を受け、共済金の支払の請求をした(このことは当事者間に争いがない)。

以上のとおりである。そうすると、前記1の事実に加えて、原告本人が、外泊して自宅へ帰つても安静して寝ていたこと、病院でベットに不在であつたのは他の患者の病室を訪ねていた時のことだと思われること、自動車の運転や洗車は疼痛のない方の片手でやつたものであること、病院では痛み出すと夜も寝られない状態になり、体重も入院時に八八キログラムあつたものが、退院時には六〇キログラムになつていたことなどと供述することを併せ考えても、前記2、3の事実に照らすと、原告の前記入院が特約に定める「自宅での治療が困難であること」「常に医師の管理下において治療に専念すること」の要件に当るとは認め難い。

もちろん、右特約にいわゆる自宅等での治療が困難であること、すなわち入院治療の必要性は、医師が患者の病状や家庭状況等を総合勘案して医学的見地から判断すべきことであり、このことは共済契約の基本である大数の原則のもとに共済掛金と共済金の収支相当をはかる際の前提とされていたものと考えられる。なお、仮に医師の右判断に誤りがあつたとしても、本来医学に無知な患者らに対して、右の医師の過誤により発生した結果的には不必要な入院治療であつたと判断された治療に関する出損について共済金の給付をしないことは、共済契約の予定していないところとみられる。しかしながら、他方患者側には、共済契約(その基本原理は保険と同一であると考えられる。)を支配する誠実義務を科されるのはもちろんのことであり、このことから、更に、医師の前記各判断の資料について、患者側が故意または重大な過失により誤つたものを提供し、その結果医師が誤つた判断をなすに至つた場合には、右医師の判断の誤りの結果から生じた不利益は患者側の負担となり、医師の判断に従つたからといつて、特約の要件に当るとは限らない。また、患者が病院外にある場合はもちろん病院内にある場合においても、患者が故意または重大な過失により医師の指示に背き、または、医師の指示がない場合においても、通常当該患者の如き病状の患者であるならばなすはずもない所為に出た場合等には、特約にいう医師の管理下において治療に専念するとの要件に当らないとして、共済金を支払う必要はないと考えられる。

しかるところ、前記沢田医師の入院治療及び更にその継続入院を必要とした判断には、前記認定の2、3の事実に照らすと相当性に問題があるというほかない。そして右判断の資料は、前示のとおり専ら患者である原告の主訴に基くものであり、前記2、3の認定事実、特に主訴の内容と入院後の行状が符合せず、かつ、主訴に基づく医師の治療に不合理性が認められないのに治療効果が生じなかつたことに照らすと、右主訴は原告の当時の生理状態を誠実に沢田医師に述べたとはいえないものである、のみならず、原告は故意に基づく誤つた判断資料を提供して、沢田医師に入院の必要性について誤つた判断をさせたものとみられる。したがつて本件原告は、入院治療の必要性はなかつたものと考える。

加えて、入院治療の必要性と、患者の入院中の外泊、外出とは、医師において患者に外泊、外出をさせるのが治療効果を高めると判断した場合などの特段の事情のある場合を除いて、背反するとみられるところであり(仮に原告に入院治療の必要性があつたとしても、原告の前記外泊、外出が入院期間を長期化した一因とみられることは明らかである)、たとえ医師において患者に外泊、外出させることがその治療にさしたる影響はないものと判断して患者の外泊、外出を許可したとしても、右外泊、外出をなすことが通常已むを得ないと考えられる事情によるものである場合を除き、右外泊、外出は特約の要件である治療に専念するとすることと抵触する行為とみられる。しかるところ、原告の前記許可外泊は、原告の申出に基づき医師が外泊許可を与えたにすぎないことは前記各証拠に照らし明らかであり、原告の前記外泊、外出に、前記特段の事情があると認めることはできないものである。また、原告の前記外泊、外出は、警察の捜査に応じるための外出を除いて前記已むを得ざる事情に当るものはない(前記外出には、原告が歯科治療及び他の医師の診断を受けるために許可外出した場合は掲げていない)。加えて、前記外泊、外出の回数、頻度、医師の許可のない外出を度々していること、原告において前記のとおり外泊または外出中に耕運機のペンキ塗装等に従事していたこと等の原告の行状を併せ考えれば、原告の入院治療そのものは、特約にいわゆる治療に専念していたものとはみられないものである。

したがつて、原告の前記入院は前記特約に該当するものとは認め難い。そして、他に原告の前記入院が特約に該当することを認めるに足る証拠はない。

四そうすると、更にその余の点について判断するまでもなく、原告の本訴請求は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用したうえ、主文のとおり判決する。

(裁判官金子 與)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例