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高知地方裁判所 昭和59年(ワ)20号 判決 1991年3月29日

原告

永野公明

田中明

山田利夫

坂本宗嗣

西川和夫

右五名訴訟代理人弁護士

戸田隆俊

原告

大川一成

福田昇

右二名訴訟代理人弁護士

横田聰

被告

池本興業株式会社

右代表者清算人

池本惇一

右訴訟代理人弁護士

南正

被告

中央生コンクリート株式会社

右代表者代表取締役

池本博光

右訴訟代理人弁護士

氏原瑞穂

被告

池本惇一

池本博光

右二名訴訟代理人弁護士

隅田誠一

主文

一  被告池本興業株式会社は、原告永野公明、同田中明、同大川一成、同福田昇、同山田利夫及び同坂本宗嗣(この六名を以下「原告永野ら六名」という。)に対し、別紙賃金目録四の同原告らに対応する②欄記載の各金員をそれぞれ支払え。

二  被告中央生コンクリート株式会社、同池本惇一、同池本博光は、各自、原告永野ら六名に対し、別紙賃金目録四の同原告らに対応する③欄記載の各金員及びこれに対する昭和五九年二月二日から完済に至るまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

三  原告永野ら六名のその余の各請求及び原告西川和夫の各請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用は、原告永野ら六名と被告らとの間では、これを三分し、その一を被告ら、その余を原告永野ら六名の負担とし、原告西川和夫と被告らとの間では、全部同原告の負担とする。

五  この判決の第一・二項は仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の申立て

一  原告ら

1  原告が被告中央生コンクリート株式会社(以下「被告生コン」という。)に対し雇用契約上の権利を有する地位にあることを確認する。

2  主文第一項と同旨

3  主文第二項と同旨

4  被告生コン、同池本惇一(以下「被告惇一」という。)、同池本博光(以下「被告博光」という。)は、各自、原告らに対し、別紙賃金目録(以下「目録」という。)五及び六の原告らに対応する金額欄記載の各金員及び同五記載の各金員に対する昭和五九年二月二日から、同六記載の各金員に対する昭和六二年九月四日から各完済に至るまで年五分の割合による金員並びに昭和六二年九月から被告生コンが原告らを就労させるに至るまで毎月五日限り目録一の原告らに対応する金額欄記載の各金員を支払え。

5  訴訟費用は被告らの負担とする。

6  2ないし4につき仮執行の宣言。

二  被告ら

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

(原告らの請求原因)

一  当事者関係

1 被告池本興業株式会社(以下「被告興業」という。)は、建設材料の販売等を目的として昭和四五年八月三一日に設立された会社であり、主として砂利販売業を営んでいた。被告生コンは、生コンクリートの製造販売運搬等を目的として昭和五〇年九月二九日に設立された会社である。被告興業と被告生コン(以下「被告両社」という。)は、被告生コンにおいてコンクリートミキサー車(以下「ミキサー」という。)の運転手を必要とする場合に、被告興業が、自社の雇用している運転手を被告生コンに派遣する、との契約(以下「派遣契約」という。)を締結していた。

2 被告惇一は、被告興業の代表取締役(社長)を務めていたものであり、被告生コンの取締役でもある。被告博光は、被告興業の専務取締役を務めていたものであり、被告生コンの代表取締役(社長)でもある。

3 原告らは、昭和五五年以前から被告興業に雇用され、ダンプカーあるいはミキサーの運転手として稼働してきた。

二  派遣契約の解除、解散解雇等

1 被告生コンは、昭和五六年七月一八日、被告興業に対し、同月三一日をもって派遣契約を解除する旨通告し、同年八月一日以降、ミキサー運転に従事していた原告永野ら六名の就労を拒否した。そして、被告興業は、右解雇通告を承諾した上、原告永野ら六名に対し、解除により当面従事させるべき業務がなくなったとして、同年八月一日以降業務命令があるまで休職とする旨の自宅待機(就業規則に基づき平均賃金の六割を支給)を命じ、その後、ダンプカー乗務を命じたのに原告永野ら六名がこれに従わなかったことを理由に、六日間の出勤停止処分をした。

2 原告永野ら六名は、昭和五六年九月二一日、被告両社に対し従業員として取り扱うべきこと及び未払賃金の仮払い等を求める仮処分申請をし(高知地方裁判所同年ヨ第一七四号)、昭和五八年五月二三日、被告両社は被告永野ら六名を被告興業から被告生コンに派遣されているミキサーの運転手(派遣従業員)として取り扱うべき旨及び被告興業は原告永野ら六名に対し未払賃金を仮に支払うべき旨の判決が言い渡された。そこで、原告らの所属する高知一般労働組合香長支部(以下「香長支部」という。)が、同月二六日、被告興業と団体交渉をし、右判決に従うよう求めたところ、被告惇一からすぐには応じられないとの意向が示されたため、原告永野ら六名は、右判決に基づき、被告興業の取引先四社に対する売掛金債権を差し押さえた。ところが、被告興業は、同年六月四日開催の株主総会において、右差押えのため取引先から今後の取引を拒否され事業の継続が不可能となったことを理由に解散の決議をし、原告らに対し、解雇する旨の意思表示をして、営業を廃止した。そして、被告生コン(被告博光)は、右判決に従わず、引き続き原告らの就労を拒否している。

三  法人格否認による雇用関係の承継

1 被告惇一と被告博光(以下「被告池本両名」という。)は、兄弟であり、昭和三〇年ころから共同して砂利販売業を始め、約三年後に被告博光が転職したが、昭和四三年ころから再び共同で営むようになり、これを会社組織で継続することとして、被告興業を設立した。被告興業は、生コンクリート会社二社に砂利を販売していたが、昭和四八年九月ころから、その二社と取引ができなくなったため、被告池本両名は、被告興業の砂利の販売先を確保すべく、被告生コンを設立した。そして、被告興業の被告生コンに対する砂利の販売量は、被告生コン設立当初には全販売量の約六割であり、昭和五六年には同じく八割ないし八割五分に上がっていた。

2 被告興業の株主及び出資割合は、被告惇一が六割、被告博光が二割、被告惇一の妻松子が一割、同人の弟鍵山多慶夫が一割であり、役員は、被告惇一が代表取締役、被告博光が専務取締役、被告惇一の妻子三名が取締役であった。そして、被告興業の主たる日常業務は、これを被告惇一から任せられた被告博光が行っていた。

3 被告生コンの株主及び出資額(総額二〇五〇万円)は、被告博光、その妻アヤ、被告惇一、その妻松子が各三〇〇万円、被告池本両名のいとこ長瀬明弘が二〇〇万円、アヤの父浜田保が五〇万円、西森昇が三〇〇万円、中沢博、西原高義及び田部慶喜が各一〇〇万円であって、被告池本両名及びその親族で七割以上を占めており、役員は、被告博光が代表取締役、被告惇一、松子、アヤ、長瀬、西森、中沢、田部及び西原が取締役、浜田が監査役である。そして、被告博光以外の取締役はすべて非常勤であって、被告生コンの経営は被告博光が単独で行っている。

4 被告両社は、同じ場所(被告惇一所有の建物内)に本店を置いている上、その周辺の土地(被告池本両名所有)を社用地としており、被告池本両名に対し、その土地建物の賃借料として、収益の一部を分配している。

5 被告興業の従業員は、事務員とダンプカーの運転手であったが、被告生コン設立後は派遣用ミキサー運転手が加わり、他方、被告生コンの従業員は、事務員と生コンクリート製造技術者であり、ミキサー運転手については、派遣契約により、被告興業から派遣を受けていた。そして、ミキサーの運転手は、被告興業に雇用されているものであるが、現実には被告生コンのミキサー運転に従事するため、これに対する指揮監督は、被告博光が被告生コンの工場長(前記長瀬)及び配車係を介して行い、その採用面接等も、被告博光又は長瀬が行っていた。また、ダンプカーの運転手に対する指揮監督は、被告博光が直接行っていた。

6 以上の事実によれば、被告両社は、社会的にみて単一体であると評価できる実質を有するものであり、その経営は、被告惇一から任されて被告博光が行ってきたもので、被告池本両名の意向により自由に操作できる状態にあるから、被告池本両名が被告両社の完全な支配者であることが明らかであるところ、被告池本両名は、後述のように、不当労働行為意思をもって、前記の派遣契約解除から被告興業の解散及び原告らの解雇に至る一連の違法行為を行っているので、被告興業と被告生コンに法形式上個別に与えられた法人格を違法目的のために濫用したものというべきである。したがって、原告らとの雇用契約関係については、不当労働行為が開始された昭和五六年八月一日の時点で、被告興業の法人格を否認し、これと社会的単一体である被告生コンを被告興業と法律上同一人格とみなし、原告らと被告生コンとの間にも、被告興業との間に存する雇用契約関係を認めるべきであり、また、被告興業が解散し原告らを解雇した昭和五八年六月四日以降、被告生コンが右雇用契約関係を承継したものというべきである。

四  賃金請求権

1 原告らの賃金は、月払いの日給制で、毎月五日に前月分を支払う約定であった。

2 原告永野ら六名の昭和五六年五月から同年七月まで三か月間、原告西川の昭和五八年三月から同年五月まで三か月間の各平均賃金の日額はそれぞれ目録二記載のとおりであるから、月額については、一か月を三〇日とし、そのうち四日を休日とみて、右日額に二六日を乗じて算出するのが相当であり、その額は目録一記載のとおりである。

3 目録三の1ないし4記載の金額は、原告永野ら六名の昭和五六年八月一日から同年一一月三〇日までの賃金で、各①欄は既に被告興業から支払われた金額、②欄は未払額である。この未払額と昭和五六年一二月一日から昭和五八年六月四日までの賃金との合計額が目録四の①欄記載の金額であり、同②及び③欄記載の金額は右合計額の内金である。

4 目録五記載の金額は、原告らの昭和五八年六月四日から同月三〇日までの賃金であり、目録六記載の金額は、同年七月一日から昭和六二年七月三一日までの賃金の合計額である。

五  不当労働行為(不法行為)

1 被告興業の賃金・一時金は低額であり、また、被告両社における労働時間は長く、法定積載量違反を強要されるなど、原告らの労働条件は劣悪であった。そのため、原告らを含む被告興業の従業員ら(ダンプカー運転手及びミキサー運転手)らは、代表者を選出して、被告博光と労働条件の改善について交渉を重ねたが、力が弱く被告博光の思うがままになっていたので、労働組合を結成して労働条件の改善を図るしかないと考え、昭和五六年六月二八日、香長支部を結成し、原告永野を支部長、同中野を書記長に選任した。

2 香長支部は、結成後直ちに、被告博光に対し、夏季一時金の支給及び労働協約の締結について団体交渉を申し入れたところ、被告博光は、それまでは右従業員との交渉に当たってきたのに、「自分は被告生コンの代表者であって、被告興業の代表者ではないから、被告興業から派遣されているミキサー運転手との団体交渉には応じられない。従前は、被告興業の代表者である被告惇一が多忙であったため、専務取締役である自分が被告惇一に代わって交渉に当たってきたにすぎない。」と述べ、交渉に応じなかった。そこで、香長支部は、被告惇一に申し入れ、昭和五六年七月九日及び同月一四日に団体交渉をもったが、物別れとなったので、同月一六日から時間外労働拒否の組合活動を行い、同月二〇日、三回目の団体交渉で夏季一時金につき妥結をみたことから、時間外労働の拒否闘争をやめた。

3 ところが、突然、前記のとおり、被告生コンは、派遣契約を解除して、昭和五六年八月一日以降、原告永野ら六名の就労を拒否し、被告興業も、右解除を承諾して、原告永野ら六名に対し、自宅待機を命じた。

被告生コンは、派遣契約解除の理由を、「ミキサー運転手が、再三にわたる制止にもかかわらず、休憩時間中等に被告生コンの電話を利用して競輪競馬のノミ行為に関与したり、自家用車で出勤しながら、終業時に近くの店から酒類を買い入れて被告生コンの休憩室で飲酒した上、車を運転して帰宅するなどしたため、被告生コンの信用の失墜はもとより防火上の危険をも考慮せざるえなくなった。」としているが、これは口実にすぎない。

すなわち、休憩室での飲酒は、被告博光が被告生コンでの稼働者に酒を振舞うことがしばしばあって、稼働者全員がしていたことである。飲酒運転も、被告興業からの派遣従業員だけがしていたわけではなく、長瀬工場長が二回検挙されているほか、被告博光も二日酔いの状態で検挙されたことがある。また、ノミ行為は、派遣従業員の一部の者も関与していたが、他の従業員も行っており、特に中心となっていたのは、西岡幸雄、前田憲秀及び被告博光の女婿池本静男であって、同人らが胴元に電話して申し込み、他の者は同人らに依頼してノミ行為に関与していたにすぎない。さらに、被告生コンでは、オイチョカブと称する賭博が広く行われており、一般従業員や長瀬工場長、池本静男のほか、被告博光及びその妻アヤまでもこれに加わっていた。このように、飲酒や賭博は被告生コンで全社的に行われていたことであるから、派遣従業員のみが非難されるいわれはなく、右解除の理由は単なる口実にすぎない。

4 香長支部は、被告興業に対し、派遣契約解除、自宅待機命令等の撤回を要求したが、全く聞き入れられず、かえって、昭和五六年八月二一日ころ、派遣従業員に対し、被告生コンが立入禁止を命じ、被告興業がダンプカーへの乗務を命じた。この乗務命令は、一台のダンプカーに原告永野ら六名を含む一〇名が交替で乗務し、賃金はその乗務日分しか支払わない、というものであったから、派遣従業員は、到底従えるようなものではないとして、これを拒否した。ところが、被告興業は、前記のとおり、出勤停止処分に及んだ。そして、その間において、派遣従業員二名、ダンプカー運転手三名が香長支部を脱退し、さらに、派遣従業員四名が、賃金が六割しか支給されないことによる生活困窮のため、被告興業を退職し、他方、被告生コンは、香長支部を脱退した者二名を、脱退後間もなく雇用して、ミキサーに乗務させている。

5 原告永野ら六名は、前記のとおり、仮処分判決に基づき被告興業の売掛金債権を差し押さえたが、これは、団体交渉において、被告興業(被告惇一)が誠実に同判決に従う意思のないことを表明し、団体交渉の続行日程も決めようとしなかった上、月末を控え被告興業の売掛金債権の支払期が迫っていて、未払賃金の仮払いが実現しないおそれがあったからである。

そして、被告興業は、前記のとおり、右差押えのため取引先から以後の取引を拒絶され事業の継続が不可能になったとして、差押え後直ちに解散しているが、永年の取引先が相手の従業員において差押えをしたということだけで即刻取引を断るなど通常考えられないことであり、仮に取引を断られたとしても、前記のとおり、被告生コンは被告興業の砂利の販売先とするため設立されたものであり、被告興業の被告生コンに対する販売量は全販売量の八割以上に上っていたから、被告生コンとの取引により事業の継続が十分可能であり、しかも、右差押えは、労使紛争に起因するものであって、一般の取引において信用が悪化したわけではないので、そのことを説明すれば、他の取引先が取引を継続する可能性も十分あった。

また、被告興業は、右判決に基づく仮払いを実行すべく、銀行に融資を申し込んであったのに、右差押えのため、これを拒否されたことをも解散の理由としているが、そういう事実があったこと自体が疑わしいし、仮に融資が受けられなかったとしても、事業を継続すれば、その収益で分割払をすることは可能であった(原告永野ら六名は、団体交渉において、一括払に固執していたわけではなく、分割払についても言及した。)。

結局、被告興業の解散が不可避であったなどという事情は存在せず、解散は、被告池本両名が、香長支部の組合員である原告らを就労させないようにし、あわせて未払賃金の支払を事実上免れるために行ったものである。

6 以上の事実及び前記のとおり被告両社が社会的単一体であることからすれば、前記の派遣契約解除、自宅待機命令、乗務命令とこれに伴う出勤停止処分及び解散解雇は、被告生コンの代表取締役兼被告興業の専務取締役である被告博光が、香長支部の結成及びその組合活動を嫌悪して、組合員である原告らに対し就労の機会を奪い給料を支給しないという損害を加えることにより組合を潰そうとする不当労働行為意思のもとに発案し、被告興業の代表取締役兼被告生コンの取締役である被告惇一と共謀の上行ったものであって、いずれも、組合を結成し組合活動をしたことによる不利益取扱であると同時に、組合の弱体化を狙った支配介入であるから、不当労働行為として無効である。そして、被告池本両名の右行為は、被告両社の行為でもあって、原告らの被告興業に対する賃金請求権を違法に侵害し、その賃金の支払を受けられないという結果を招き、原告らに対し前記賃金請求権と同額の損害を被らせたものであるから、被告生コンは民法四四条一項、七〇九条、七一九条一項に基づき、被告池本両名は民法七〇九条、七一九条一項又は商法二六六条の三に基づきそれぞれ右損害を賠償すべき責任がある。

六  請求

1 原告らの被告生コンに対する請求

原告らが被告生コンに対し雇用契約上の権利を有する地位にあることの確認。

2 原告永野ら六名の被告興業に対する請求

雇用契約による賃金請求権に基づき、昭和五六年八月一日から昭和五八年六月四日までの賃金の未払額の内金(前記仮処分判決による仮払いを受けたもの)である目録四の原告永野ら六名に対応する②欄記載の金員の各支払。

3 原告永野ら六名の被告生コン及び被告池本両名各自に対する請求

被告生コンに対しては主位的に雇用契約による賃金請求権、予備的に不法行為による損害賠償請求権に基づき、被告池本両名に対しては不法行為による損害賠償請求権に基づき、昭和五六年八月一日から昭和五八年六月四日までの賃金の未払額の内金(賃金相当損害金)である目録四の原告永野ら六名に対応する③欄記載の金員及びこれに対する最終支払期後(不法行為後)である昭和五九年二月二日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の各支払。

4 原告らの被告生コン及び被告池本両名各自に対する請求

3と同じそれぞれの請求権に基づき、昭和五八年六月五日から同月三〇日までの賃金(賃金相当損害金)である目録五の原告らに対応する金額欄記載の金員、同年七月一日から昭和六二年七月三一日までの賃金(賃金相当損害金)である目録六の原告らに対応する金額欄記載の金員、目録五記載の金員に対する最終支払期後(不法行為後)である昭和五九年二月二日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金、目録六記載の金員に対する同じく昭和六二年九月四日から同様の遅延損害金、昭和六二年八月一日以降の賃金(賃金相当損害金)として同年九月から被告生コンが原告らを就労させるに至るまで毎月五日限り目録一の原告らに対応する金額欄記載の金員の各支払。

(被告らの認否及び主張)

一1  請求原因一の事実は認める。

2  同二の事実は認める。

3  同三について

1の事実のうち、被告池本両名が兄弟であること、被告惇一が被告興業の設立前に個人営業の砂利販売業を営みこれに被告博光が関与していたこと、被告興業が被告生コンに対し砂利を販売していたことは認め、その余は争う。2の事実は認める(ただし、被告興業における重要事項は、被告惇一が最終決定していた。)。3の事実のうち、被告生コンの株主及び出資額、役員は認め、その余は争う。4の事実のうち、被告両社が同じ場所に本店を置き被告惇一所有の建物を使用していること、同建物の敷地及びその周辺の土地が被告池本両名の所有であることは認め、その余は争う。5の事実のうち、被告両社の従業員構成、派遣契約による派遣、ミキサー及びダンプカーの運転手に対する指揮監督を主として被告博光が行っていたことは認め、その余は争う(なお、被告興業の従業員には重機運転手もいた。)。6の主張は争う。

4  同四の事実のうち、原告らの賃金が月払いの日給制で毎月五日に前月分を支払う約定であったことは認め、その余は争う。

5  同五について

1の事実は争う。2の事実のうち、団体交渉の申入者が香長支部であったことは争い(申入者は原告らである。)、その余は認める。3の事実のうち、派遣契約解除、就労拒否、自宅待機命令及び解除理由は認め、その余は争う。4の事実のうち、原告らが派遣契約解除等の撤回を要求し被告興業がこれを拒否したこと、被告両社がそれぞれ立入禁止命令及び乗務命令をしたこと、原告らが乗務命令を拒否したこと、出勤停止処分をしたことは認め、その余は争う。5の事実のうち、債権差押え、解散理由は認め、その余は争う。6の事実ないし主張は争う。

二1  被告生コンは、原告ら主張のとおり、派遣契約により被告興業からミキサー運転手の派遣を受けていたが、原告永野ら六名を含む派遣従業員は、昭和五四年ころから、休憩時間中のみならず業務時間中にも、被告生コンの電話を使用して、競輪競馬のノミ行為に関与したり、花札賭博(オイチョカブ)を行い、さらに、自家用車で出勤しながら、終業時に近くの店から酒類を買い入れ、被告生コンの休憩室で大量に飲酒した上、車で帰宅する始末となり、これらを現認した被告博光から厳重な注意を受けたのに、一向に態度を改めなかった。昭和五六年になって、派遣従業員の賭博熱はますます高じ、被告博光の見回りに備えて見張りを立てながらオイチョカブに興じるまでになった。そのため、被告博光は、賭博の現場を認めた際、これを厳禁することを命じると共に、賭博行為が継続する場合は派遣契約を解除せざるをえない旨警告した。

しかし、派遣従業員の賭博行為と飲酒運転は止まるところを知らず、ノミ行為については、所轄警察署が内偵するまでになったため、被告生コンは、他の従業員に対する悪影響を懸念し、また、自社にとって極度のマイナスイメージとなり、企業としての存立が脅かされることを慮って、これ以上派遣契約を継続することはできないと判断するに至った。

そこで、被告生コンは、原告ら主張のとおり、派遣契約解除を通告し、被告興業も、やむなくこれを承諾した上、当面派遣従業員であった者に従事させる業務がなかったことから、自宅待機を命じた。

2  被告興業は、派遣従業員であった者の従事する業務を確保すべく、企業努力を重ね、苦心の末ダンプカーへの乗車業務を確保し、昭和五六年八月二二日、原告永野ら六名に対しダンプカー乗務を命じたが、原告永野ら六名がこれを拒否したため、原告ら主張のとおり出勤停止処分をした。

3  被告両社は、原告ら主張の仮処分判決について控訴を検討していたが、被告興業は、とりあえず同判決が命じた原告永野ら六名への賃金仮払いを履行するため、取引銀行に緊急融資を申し込み、昭和五八年五月二六日の団体交渉において、その旨及び融資は受けられる見込みである旨を説明し、原告永野ら六名はこれを了承した。

ところが、原告永野ら六名は、同月二八日から、被告興業の大口取引先である被告生コン、四国ヒューム管株式会社、高東建設事業協同組合及び大和工業株式会社に対する売掛金債権を差し押さえる手続を進めた。

そのため、被告興業は、右各取引先から今後の取引を拒絶され、右銀行からも融資を断られて、事業の継続が不可能となったので、やむなく、原告ら主張のとおり、解散して原告らを解雇した。

第三  証拠関係<省略>

理由

一請求原因一(当事者関係)及び二(派遣契約の解除、解散解雇等)の事実は、当事者間に争いがない。

二法人格否認の主張について

1  <書証番号略>、証人西森昇の証言、被告池本両名各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すると、次の事実(争いのないものを含む。)が認められる。

ア  被告池本両名は、兄弟であって、被告惇一が主体となり被告博光が補助する形で営んでいた個人営業の砂利販売業を会社組織で継続するため、被告興業を設立した。被告興業の株主及び出資割合は、被告惇一が六割、被告博光が二割、被告惇一の妻松子及びその弟鍵山多慶夫が各一割であり、役員は、被告惇一が代表取締役、被告博光が専務取締役、被告惇一の妻子三名が取締役であった。そして、被告興業の経営は被告惇一が統括していたが、その主たる日常業務は被告惇一から被告博光に委ねられていた。

イ  被告興業は、生コンクリート会社二社に砂利を販売していたが、昭和四八年九月ころから、右二社と取引ができなくなったため、営業が停滞するようになった。一方、そのころ、被告興業の本店所在地である南国市及びその周辺では、かなりの土木建設工事が行われることが予定されており、これに伴う生コンクリートの需要が見込まれていたことから、被告興業に砂利を販売していた有限会社丸山砂利の社長である西森昇と被告博光との間で、生コンクリート製造販売会社を設立することが話し合われた。そして、その設立によって被告興業の砂利の販売先が確保できることになるので、被告惇一も設立を望み、西森及び被告池本両名が中心となって準備を進め、経営上有益なことから、関連業者であるセメント販売業者、土木業者らの参画を得て、被告生コンが設立された。なお、被告興業の被告生コンに対する砂利の販売量は、被告生コン設立当初には全販売量の六割であり、昭和五六年度には八割ないし八割五分に上っていた。

ウ  被告生コンの株主及び出資額(総額二〇五〇万円)は、被告博光、その妻アヤ、被告惇一、その妻松子が各三〇〇万円、被告池本両名のいとこ長瀬明弘が二〇〇万円、アヤの父浜田保が五〇万円、前記西森が三〇〇万円、中沢博、西原高義(土木業者)及び田部慶喜(セメント販売業者)が各一〇〇万円、役員は、被告博光が代表取締役、被告惇一、アヤ、長瀬(工場長)、西森、中沢、田部及び西原が取締役、浜田が監査役である。そして、被告生コンの経営は被告博光が統括し、その日常業務も同被告が長瀬工場長らの補佐のもとに自ら行っている。なお、生コンクリートの需要は、建設工事の都合等で、一〇月ころから翌年三月ころまでに集中し、その余の期間中には大幅に減少する傾向があることから、被告生コンは、設立当初の取締役の決議により、経費(賃金)を節約するためミキサーの運転手は自社で雇用せず他者から派遣を受ける方針を決め、被告興業と派遣契約を締結した。

エ  被告両社は、同じ場所に本店を置き、被告池本両名の土地建物を賃借している。

オ  被告興業の従業員は、事務員、ダンプカー及び重機の運転手であったが、被告生コン設立後は派遣用ミキサー運転手が加わり、他方、被告生コンの従業員は、事務員と生コンクリート製造技術者であり、ミキサーの運転手はすべて被告興業からの派遣によっていた。そして、ミキサーの運転手は、被告興業に雇用されているものであるが、現実には被告生コンの業務に従事するため、これに対する指揮監督は、被告生コンの代表取締役である被告博光が直接又は長瀬工場長及び配車係を介して行い、その採用についても、被告博光及び長瀬工場長が関与していた。また、ダンプカーの運転手に対する指揮監督は、被告博光が直接行っていた。

2 右認定の事実(原告らが法人格を否認すべき事情として主張する請求原因三、1ないし5の事実のほぼ全部)に基づき判断するに、被告池本両名は、被告興業の支配者であり、また、被告生コンの経営にかなりの影響を及ぼすことのできる立場にあると認められる。

しかし、右認定の事実からしても、被告両社は、営業内容、株主構成、役員構成、従業員構成を異にしているといわざるをえない上、<書証番号略>、被告池本両名各本人尋問の結果と<書証番号略>、右証言及び各尋問の結果によれば、被告両社は、それぞれ別個独自に株主総会及び取締役会を開催していたし、派遣契約による派遣料を被告生コンから被告興業へ支払うなど会計も独立していたことが認められるから、被告両社が社会的にみて単一体であるとは到底いえない。

そして、法人格(会社)の濫用を理由としてこれを否認する場合には、その前提として、会社の背後の実体が、会社を自己の意のままに道具として用いることができる支配的地位にあり、かつ、会社形態を利用するにつき違法又は不当な目的を有していることを要すると解されるところ、被告生コン設立、被告両社間の派遣契約及び砂利販売取引等は、被告両社の経営上の手段であって格別とがめられるべきものではなく、被告両社間に人的物的な関連はあるにしても、被告生コンあるいは被告池本両名が、被告興業の背後にあって、違法又は不当な目的の下に、これを意のままに道具として用いていたとは認め難い。

もっとも、後記認定のとおり、被告生コンないしは被告池本両名には、派遣契約の解除から被告興業の解散に至るまでの間、不当労働行為の意図があったが、その意図の発生は被告両社の設立後のことであり、しかも、被告興業は被告生コンより約五年も前に設立されてたものであるから、右意図があったからといって、もともと被告生コンあるいは被告池本両名が被告興業の法人格を違法又は不当な目的のために利用していたということはできない。

3 したがって、被告興業の法人格が濫用されていたとはいえないから、これを否認することはできないので、原告らと被告生コンとの間に雇用契約関係が存在するとは認められない。

三不当労働行為(不法行為)

1 <書証番号略>、右証言及び本人尋問の結果、証人笹岡俊彦の証言、被告博光本人尋問の結果、株式会社高知相互銀行に対する調査委託の結果並びに前記一の争いのない事実を総合すると、次の事実(争いのないものを含む。)が認められ、<書証番号略>、被告池本両名各本人の供述のうち、この認定に反する部分は、他の証拠に照らして採用できず、他にこの認定を覆すに足りる証拠はない。

ア  被告興業の従業員(ダンプカー運転手及び被告生コンに派遣されているミキサーの運転手)には、かねてより被告興業及び被告生コンでの労働条件について不満があった。そして、昭和五六年ころ、被告興業が、派遣従業員二名を削減する目的で希望退職者を募集したことを契機に、原告らを含む派遣従業員一二名とダンプカー運転手六名が、解雇を防ぎ労働条件の向上を図るべく、同月二五日ころ、香長支部を結成し、原告永野を支部長、同田中を書記長、同坂本及び山本純一を副支部長に選任した。

イ  原告田中は、従来、被告興業の専務取締役である被告博光が派遣従業員及びダンプカー運転手の労働条件について交渉相手となっていたので、香長支部を結成してから一週間後の昭和五六年七月三日、被告博光に対し、香長支部との団体交渉を申し入れたところ、同被告は、自分は被告生コンの代表者であって被告興業の代表者ではないから、被告興業の代表者である被告惇一に申し入れるべきであるなどと述べ、交渉に応じなかった。そのため、香長支部は、被告惇一に申し入れて、同月九日、夏季一時金の支給及び労働協約の締結について交渉をもったが、物別れとなり、同月一四日、交渉を続行したけれども、妥結しなかった。そのため、原告らを含む香長支部の組合員は、被告興業に対し、ミキサー及びダンプカーの運転業務につき時間外労働を拒否する旨通告し、同月一六日からこれを実行して闘争状態に入った。そして、同月二〇日、三回目の交渉が行われ、夏季一時金につき組合側が会社側から昨年並みで押し切られて一応妥結し、組合側は、労働協約の締結について今後も要求を続けていくことを表明して、翌二一日から時間外労働の拒否闘争をやめた。

派遣従業員は、それまで、被告生コンから法定積載量超過の状態でのミキサー運転を強いられていたので、右交渉において、その点を指摘し、被告惇一から、被告生コンの代表者である被告博光に超過積載をさせないよう申し入れる旨約束を得た。

ウ  他方、これより前の昭和五六年七月一三日、被告博光は、香長支部の幹部である原告永野及び同田中に対し、「この場所は中央生コンクリート(株)の休憩室である。この場所において飲酒、競輪競馬のノミ行為その他バクチ行為を禁止する。この場所において中央生コンクリート(株)の業務上関係のない目的に使用することを禁止する。」と記載した自己(社長)名義の警告書を手交し、これを休憩室に掲示するよう命じた。

また、香長支部は、あらかじめ被告博光の了解を得た上、同月一四日、前記二回目の団体交渉後、右休憩室(二階)の階下土間で組合結成の祝宴を開いたところ、翌一五日、被告博光は、派遣従業員の悪行状が改まらないとして緊急に被告生コンの取締役を招集し、同月一六日開催の同会において、「従業員の勤務態度(トバク行為等)の件」として提案し、社長から再三注意をし、警告まで出したが、一向に反省する様子がないので、派遣契約を同月三一日をもって解除する、と決議し、同月一八日付けの通告書をもって、被告興業に対し解除の意思表示をした。そして、被告惇一は、被告興業の代表者として、右解除を承諾した上、同月三一日、原告永野ら六名を含む派遣従業員に対し、翌八月一日以降業務命令があるまで自宅待機とする(その間平均賃金の六割を支給)旨を命じた。

これについて、香長支部は、被告興業に申し入れて同年八月三日に団体交渉をもち、抗議して派遣契約解除、自宅待機命令等の撤回を求めたが、全く聞き入れられなかった。

エ  原告永野ら六名を含む派遣従業員の大部分は、被告ら主張のように、競輪競馬のノミ行為に関与し、花札賭博(オイチョカブ)に興じ、終業後飲酒して車で帰るなどのことがあったが、派遣従業員以外の従業員も同様のことをしていたし、被告博光自身も、時折、慰労の意味で従業員に酒肴を提供し、社内で従業員と一緒に飲酒することがあった。右賭博はミキサーの配車待ちの時間を利用して行われ、飲酒も終業時以降に休憩室で行われていたもので、派遣従業員中飲酒運転で検挙された者は一名に過ぎず、また、派遣従業員が賭博等をしたため取引先等から非難されたことはなく、被告生コンの業務自体に著しい支障を来すこともなかった。現に、被告両社ないし被告池本両名は、前記のとおり、派遣契約解除の直前に警告書を手交するまでは、賭博行為等につき口頭で注意した程度で、派遣従業員の賭博行為等を派遣契約の存続にかかわる重大な事由として問題にしたことはなかった。なお、原告らは、昭和五六年七月一〇日過ぎころ、被告生コンの敷地内で香長支部の結成式を行い飲酒したが、そのことを事前に被告博光に申し出た際、同被告は、火の始末に責任をもつよう注意したのみであった。

オ  被告興業は、昭和五六年八月二一日ころ、自宅待機としていた派遣従業員に対し、ダンプカーへの乗務を命じたが、派遣従業員は、賃金面で不利であるなどとしてこれを拒否し、そのことを理由に、被告興業が前記のとおり出勤停止処分をした。そして、派遣契約解除、自宅待機命令、出勤停止処分と続く中で、香長支部を脱退する者が相次ぎ、当初一八名いた組合員が、右解除の二か月後には原告らほか一名に減少した。

他方、被告生コンは、同年九月一日、香長支部を脱退し同年八月三一日被告興業を退職した西岡幸雄を、同人が前記ノミ行為の中心的人物の一人であったにもかかわらず、臨時従業員として雇用し、ミキサー運転の業務に従事させ、また、同年一〇月一日には、同様に脱退退職した田淵務を雇用した。

カ  被告博光は、昭和五六年七月一一日、高知県交通安全協会南国支部の理事会に参加した帰りに、顔見知りの南国警察署の警察官から、ノミ行為について何か知らないかと情報提供を求められた。しかし、同警察官は、派遣従業員の賭博を内偵していたわけではなく、被告博光に対し、その内偵を臭わす素振りもみせなかった。そして、被告博光も、派遣従業員に対し、警察が内偵している旨の警告をしたことはなかった。

キ  前記のとおり、原告永野ら六名が被告両社を相手に地位保全及び賃金仮払いの仮処分を申請し、その判決が言い渡されたが、同判決によれば、被告興業が原告永野ら六名に対し仮払いすべき金額は、言渡しの時点で一九〇〇万円余であった。そして、当時、被告興業は倒産を免れないなどという状態ではなかった。

ク  香長支部は、判決言渡しの三日後の昭和五八年五月二六日、被告興業との間で、判決で命じられた賃金の仮払い、派遣従業員としての原告永野ら六名の取扱い等について団体交渉をした。その際、被告惇一は、前日に取引銀行である高知相互銀行へ仮払資金の融資を申し込んでいたのに、そのことは表明せず、これから銀行に融資を申し込んでみるが、銀行が応じてくれるかどうかわからない、断られたら支払はできない、原告永野ら六名の被告生コンでの稼働については自分に関係がないからどうなるかわからない、などと不誠実な回答に終始した。そして、被告惇一は、銀行には同月末日までに結論を出すよう頼むこと、次回の交渉は、被告惇一の都合等で、翌六月早々に香長支部から申し入れて行うことが、両者間で確認された。

また、原告田中は、同年五月二七日、被告博光に対し、仮処分判決についての考えを聞いたところ、同被告は、自分としては原告永野ら六名を稼働させるつもりはないが、被告生コンとしてどうするかは取締役会を開かないとわからない、などと述べ、多忙であるからとして、取締役会がいつになるかも答えず、誠意を示さなかった。

ケ  原告永野ら六名は、被告池本両名が右のとおり不誠実な態度に出たため、仮払いが任意かつ早期に履行されないおそれがあると考え、月末を控え被告興業の売掛金債権の支払期が迫っていたので、仮払いを確保すべく、昭和五八年五月二八日、被告興業の被告生コン、四国ヒューム管株式会社、高東建設事業協同組合及び大和工業株式会社に対する売掛金債権を差し押さえる手続をした。

コ  右四国ヒューム管、高東建設事業及び大和工業は、昭和五八年五月二九日までに、被告興業に対し、売掛金を差し押さえられるようではいつ納入が止まるかわからず、そのような不安定要素をもつ会社とは取引できないとして、今後の取引を停止する旨通知した。また、被告興業への納入業者である有限会社丸山砂利も同様の理由で取引停止を通知し、高知相互銀行も融資しないこととした。

サ  被告惇一は、昭和五八年六月一日、香長支部の申し入れにより、同月六日に団体交渉をすることを約したが、同月四日、右のとおり取引を停止され融資も受けられないため事業の継続が不可能になったとして、株主総会で被告興業の解散を決議し、原告らに対し、その旨及び解雇を通告した。そして、被告生コンは、同月一三日取締役会を開き、派遣元の被告興業が解散したので派遣従業員を被告生コンが受け入れるわけにはいかない旨決議し、これを香長支部に伝えた。なお、前記のとおり、被告興業の被告生コンに対する砂利の販売量は昭和五六年度において全販売量の八割以上に上っていたから、右のとおり取引を停止されても、被告生コンとの取引を続行すれば、被告興業の経営は可能であると思われるのに、被告博光は、そうする意思は全くなく、被告惇一もこれに同調しており、また、被告池本両名は、被告興業の事業を継続するための手段を尽くしていない。

シ  以上のような経過で、原告らは、債権差押えにより原告永野ら六名が目録四の②欄記載の金額の仮払いを受けたほか、被告興業から賃金の支払を受けることができなくなった。

2 右認定の事実を総合して考察すれば、被告生コンの代表取締役兼被告興業の専務取締役である被告博光は、原告永野ら六名を含む派遣従業員が労働組合を結成し組合活動をしたことを嫌悪し、その故をもって、従来さほど問題にしていなかった派遣従業員のノミ行為関与等の行状に藉口して、取締役会で派遣契約の解除を決議した上、被告興業の代表取締役である被告惇一にその解除を申し込み、被告惇一においても、被告博光の右意図を十分了解して、その申込みを承諾し、派遣従業員に自宅待機命令をしたものであり、その後解散に至ったことも、被告池本両名が意思を相通じて右同様の意図のもとにもたらしたものと認めるのが相当である。

したがって、前記の派遣契約解除、自宅待機命令は不当労働行為として無効であり、これを前提とする出勤停止処分もまた無効であるというべきであるから、被告興業は原告永野ら六名に対し昭和五六年八月一日以降の賃金を支払うべき義務があり、また、被告池本両名の派遣契約解除から解散に至る一連の行為は、違法に原告永野ら六名の就労の機会を奪い被告興業に対する賃金請求権を侵害し、その賃金の支払を受けられなくしたものであるから、被告生コンは民法四四条一項、七〇九条、七一九条一項に基づき、被告池本両名は民法七〇九条、七一九条一項に基づき、各自、原告永野ら六名に対し、賃金相当の損害を賠償する責任があるというべきである。

3 もっとも、企業主には職業選択の自由(憲法二二条)の一環としてその企業を廃止する自由が認められているものであり、その自由は労働組合の存続に影響を及ぼす場合であっても原則として制約されるものではないと解されるところ、前掲の関係証拠によれば、被告興業は、従業員の立場を軽視したとの批判は免れないけれども、解散を偽装したわけではなく、真実解散したものと認められるので、それに伴う原告らの解雇自体はやむをえないことというほかないから、原告永野ら六名の右損害は、被告興業が解散した昭和五八年六月四日までの賃金の範囲に止まるというべきである。

四賃金(損害)

<書証番号略>並びに弁論の全趣旨によれば、原告永野ら六名の昭和五六年五月から同年七月までの三か月間の平均賃金の日額は目録二記載のとおりであることが認められる。そして、その月額については、原告永野ら六名主張のように、一か月を三〇日とし、そのうち四日を休日とみて、右日額に二六日を乗じた金額とするのが相当であり、その額は目録一記載のとおりである。目録三の1ないし4の①、②欄はそれぞれ右月額を割り振ったものであり、その②欄の各金員と昭和五六年一二月一日から昭和五八年六月四日までの賃金(昭和五八年六月一日から同月四日までの分は右月額の三〇分の四で端数切り捨て)の合計は目録四の①欄記載のとおりである。原告永野ら六名は、右合計額のうち、目録四の②欄記載の金額の支払を被告興業に求め、同③欄記載の金額の支払を被告生コン及び被告池本両名に求めている。

五結論

以上によれば、原告永野ら六名の請求は、被告興業に対し目録四の②欄記載の各金員の支払、被告生コン及び被告池本両名に対し同③欄記載の金員及びこれに対する昭和五九年二月二日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払をそれぞれ求める限度で理由があるからこれを認容し、原告永野ら六名のその余の各請求及び西川の各請求はいずれも失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官山脇正道 裁判官前田博之、同政岡克俊は転勤のため署名捺印することができない。裁判長裁判官山脇正道)

別紙

賃金目録一

原告

金額

永野公明

一五万八六二六円

田中 明

一五万八二八八円

大川一成

一六万〇八三六円

福田 昇

一六万五三〇八円

山田利夫

一六万三三三二円

坂本宗嗣

一六万三六一八円

西川和夫

一六万五六九八円

賃金目録二

原告

金額

永野公明

六一〇一円

田中 明

六〇八八円

大川一成

六一八六円

福田 昇

六三五八円

山田利夫

六二八二円

坂本宗嗣

六二九三円

西川和夫

六三七三円

賃金目録三1 昭和五六年八月分

原 告

① 既払額

② 未払額

永野公明

七万三二一〇円

八万五四一六円

田中 明

七万三〇五五円

八万五二三三円

大川一成

七万四二三六円

八万六六〇〇円

福田 昇

七万六二九五円

八万九〇一三円

山田利夫

七万五三八六円

八万七九四六円

坂本宗嗣

七万五五一五円

八万八一〇三円

2 昭和五六年九月分

原 告

① 既払額

② 未払額

永野公明

八万八二八六円

七万〇三四〇円

田中 明

八万八〇七八円

七万〇二一〇円

大川一成

八万九五八六円

七万一二五〇円

福田 昇

九万二二九〇円

七万三〇一八円

山田利夫

九万一〇九四円

七万二二三八円

坂本宗嗣

九万一二七六円

七万二三四二円

3 昭和五六年一〇月分

原 告

① 既払額

② 未払額

永野公明

九万八八四七円

五万九七七九円

田中 明

九万八六三一円

五万九六五七円

大川一成

一〇万〇一九七円

六万〇六三九円

福田 昇

一〇万三〇〇五円

六万二三〇三円

山 利夫

一〇万一七六三円

六万一五六九円

坂本宗嗣

一〇万一九五二円

六万一六六六円

4 昭和五六年一一月分

原 告

① 既払額

② 未払額

永野公明

九万一五二五円

六万七一〇一円

田中 明

九万一三二五円

六万六九六三円

大川一成

九万二七七五円

六万八〇六一円

福田 昇

九万五三七五円

六万九九三三円

山田利夫

九万四二二五円

六万九一〇七円

坂本宗嗣

九万四四〇〇円

六万九二一八円

賃金目録四

原 告

永野公明

三一五万九〇五四円

三六万一〇〇九円

二七九万八〇四五円

田中 明

三一五万二三五二円

三六万一〇〇九円

二七九万一三四三円

大川一成

三二〇万三〇四二円

三六万一〇〇八円

二八四万二〇三四円

福田 昇

三二九万一八五二円

三六万一〇〇八円

二九三万〇八四四円

山田利夫

三二五万二六一三円

三六万一〇〇八円

二八九万一六〇五円

坂本宗嗣

三二五万八二六八円

三六万一〇〇八円

二八九万七二六〇円

賃金目録五

原 告

金 額

永野公明

一三万七四七五円

田中 明

一三万七一八二円

大川一成

一三万九三九一円

福田 昇

一四万三二六六円

山田利夫

一四万一五五四円

坂本宗嗣

一四万一八〇二円

西川和夫

一四万三六〇四円

賃金目録六

原 告

金 額

永野公明

七七七万二六七四円

田中 明

七七五万六一一二円

大川一成

七八八万〇九六四円

福田 昇

八一〇万〇〇九二円

山田利夫

八〇〇万三二六八円

坂本宗嗣

八〇一万七二八二円

西川和夫

八一一万九二〇二円

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