鳥取地方裁判所 平成22年(行ク)2号 決定 2011年1月07日
主文
本件文書提出命令の申立てを却下する。
理由
第1本案事件の概要及び訴訟経過
本案事件は,税理士業を営む申立人(原告)が,相手方(被告)に対し,鳥取税務署長が平成 20 年3月 14日付けで申立人に対してした平成 16年分から平成 18 年分までの所得税の各更正処分の一部及び過少申告加算税の各賦課決定処分(以下,これらの処分を一括して「本件各処分」という。)の取消しを求める事案である。
相手方は,申立人が妻に対して支払った上記各年分の給与は,その労務の対価として相当であると認められないので,申立人と業種が同一で規模等が近似する事業者が青色事業専従者に支払った給与の平均額と比較する方法等により,労務の対価として相当な額を認定すべきであると主張し,その算出過程の合理性を立証するため,広島国税局長が,鳥取税務署長,倉吉税務署長,米子税務署長及び津山税務署長(以下,これらの税務署長を一括して「各税務署長」という。)に対して発遣した通達である「「同業者調査表」の作成及び提出について(指示)」と題する書面(以下「本件通達」という。)を乙第 14号証の1ないし4として,また,これを受けて各税務署長が回答として提出した「「同業者調査表」の作成及び提出について(報告)」と題する書面(以下「本件回答」という。)を乙第 15号証の1ないし4として提出した。
第2申立て及び当事者の主張
1 申立て及び申立人の主張
(1) 申立て
本件申立ては,相手方に対し,民事訴訟法(以下「法」という。)220条1号及び4号に基づき,相手方が所持する本件通達により抽出された同業者(以下「本件同業者」という。)の青色申告決算書(以下「本件文書」という。)のうち,住所,氏名等個人を特定できる部分を除いたものの提出を命ずるよう求めるというものである。
(2) 申立人の主張
ア 証拠調べの必要性
申立人は,本案訴訟で,相手方による青色事業専従者給与平均額の算出過程が不合理であるから,本件各処分は違法であると主張しており,本件各処分の基となる同平均額の算出根拠となった本件文書の存在及びその内容を確認することが重要な攻撃防御方法となる。しかし,相手方は,同平均額の算出根拠としては,本件回答しか提出していないため,本件回答が,どのような業務形態をとる「同業者」を抽出し,同平均額を算出したのか分からず,また,本件回答の作成の際,青色申告決算書からの転記ミスあるいは対象漏れ等の存否を確認することもできない。そこで,申立人は,本件同業者が申立人と業態が類似するとはいい難く,労務の対価相当額算出過程の合理性がないことを立証するため,本件文書の提出を求めるものであり,これが認められなければ,申立人が主張反論の機会を奪われるだけでなく,公平妥当な課税がなされたか否かも全て闇に葬られてしまう。
イ 法 220条1号該当性
相手方は,被告第1準備書面において,本件回答における同業者の抽出基準について,「各年分において,所得税法143条(青色申告)の承認を受けており,所得税青色申告決算書を提出している者であること。」とし,また,本件回答の基となった本件通達は,「「同業者調査表」の各欄は,決算書に基づき,各年分ごとに次により記載する。」としている。相手方が提出した上記準備書面,書証を併せてみると,相手方は,本件文書に記載された数値を積極的に使用して,管内から類似業者を選定したと主張しているのであり,本件通達及び本件回答の証明力は本件文書の存在そのものに裏付けられている。
そうだとすれば,相手方は,申立人が妻に支払った専従者給与が労務の対価として相当であるとは認められないとの主張を裏付け又は明確化するため,本件文書の存在及び内容を積極的に引用したものといえる。したがって,相手方は,法 220 条1号所定の文書提出義務を負う。
ウ 法 220条4号ロ該当性
本件文書は公務秘密文書に該当せず,一般文書(法 220条4号)として,文書提出義務が認められる。
申立人は,本件文書につき,住所,氏名等個人を特定できる部分を除いたものの提出を求めており,個人のプライバシー及び営業上の秘密に関する事項については,必要な範囲で当該部分を伏せて提出すればよい。また,相手方は,本件文書の記載内容,筆跡等から申告者が特定される危険があると主張するが,これらだけで申告者が特定される蓋然性は極めて低く,筆跡については,そもそも手書きの申告は相当少なくなっている。
さらに,相手方は,本件文書が不特定多数の調査先に開示される危険があると主張するが,申立人は,本件文書からの転記ミス及び本件文書の記載内容から同業者としての類似性を確認するにすぎないのであり,本件文書を流用する意図は全くないし,その必要もない。したがって,青色申告決算書を裁判所に提出したからといって,これによって税務事務への信頼が損なわれ,税務事務への協力が確保できなくなり,申告納税制度の下での将来の税務事務の適正な執行に著しい支障が生じる具体的な危険性があるとは考えられない。
なお,本件文書の提出は,申立人の適正な手続による裁判を受ける権利(憲法31条,32条)を実現させるためのものであって,裁判所の命令によって本件文書を提出しても,違法とならないことは明白である。むしろ,相手方が本件文書を提出しないことは守秘義務の濫用に当たり,申立人の権利を不当に侵害するものである。
2 相手方の主張
(1) 証拠調べの必要性
相手方は,本案訴訟において,本件同業者を抽出するに当たり用いた抽出基準を既に明らかにしており,かつ,当該基準は,申立人の業種・業態との同一性,事業所の近接性,事業規模の近似性を有し,抽出基準としての合理性を有する。また,通達回答方式は,対象者の抽出が基準に照らして機械的に実施されれば,課税庁の恣意が介在する余地のない方式であることは明らかであるところ,申立人は,本件同業者の抽出が機械的に行われたことに疑いを持たせるに足りる特段の事情を主張立証していないから,本件通達による各税務署長の類似同業者の抽出過程に恣意性はなく,合理性が担保されているものといえる。したがって,申立人の「証明すべき事実」について本件文書を取り調べる必要性はない。
(2) 法 220条1号該当性
「引用文書」とは,当事者が準備書面や書証等の中で,立証又は主張の助け,裏付け若しくは明確化のために,その存在及び内容について積極的に言及した文書をいうところ,相手方がその主張立証のために積極的に引用したのは本件回答であって,本件文書ではないから,本件文書は引用文書に該当しない。
(3) 法 220条4号ロ該当性
本件文書は,納税者の氏名,住所,従業員の人数,給料の額,減価償却資産,詳細な経費項目等といった具体的な個人のプライバシーや営業上の秘密に関する情報が多数記載されている文書であり,各税務署長は,国家公務員法100 条1項,所得税法243条(平成 22年3月 31 日法律第6号による改正前のもの。以下同じ。)の規定により,当該情報について守秘義務を負う。そして,仮に各税務署長が本件文書の提出義務を負うとなれば,納税者等の秘密保護について税務事務への信頼が損なわれ,納税事務への協力が確保できなくなり,その結果,申告納税制度の下での将来の税務事務の適正な執行に著しい支障が生じる。申立人は,住所,氏名等個人を特定できる部分を除いた書面の提出を求めているにすぎないから,個人が特定される可能性はないと主張するが,本件同業者の抽出基準は既に明らかにされているため,本件文書の記載内容や筆跡等から申告者が特定されたり,かかる書類が,申立人側の調査過程で,不特定多数の調査先に開示されたりするなどの具体的な危険が直ちに生じるおそれは相当に高いというべきである。したがって,本件文書は,法 220 条4号ロ所定の公務秘密文書に該当する。
第3当裁判所の判断
1 証拠調べの必要性
一件記録によれば,相手方は,申立人の妻に対する本件の各年度の青色事業専従者給与のうち,労務の対価として相当であると認められる金額を算出するに当たり,いわゆる通達回答方式により,申立人と業種が同一で規模等が近似する事業者を抽出しその配偶者に対する給与の平均額を算出してこれと比較する方法を用いているところ,本件文書は,申告者の業種や所得総額等本件同業者の抽出基準に関する事実及び本件回答の基礎となる本件同業者の配偶者の給与額が記載されている原資料たる文書であることが認められ,本案訴訟における本件文書の証拠価値は高く,その証拠調べの必要性があることは否定できない。
2 法 220条1号該当性
(1) 同条同号が引用文書の提出義務を認めたのは,当事者の一方が訴訟において所持する文書の存在及び内容を引用した以上,相手方にも当該文書を利用させ,その批判にさらすことが公平であるという配慮によるものであり,そうすると,同号所定の「訴訟において引用した文書」とは,当事者の一方が,当該文書について訴訟上単に言及したというだけでは足りず,自己の主張の裏付けとして当該文書を積極的に引用したことを要すると解するのが相当である。
(2) 一件記録によれば,本件文書には,申告者の氏名,住所,従業員の人数,給与の額,総売上金額,経費項目等の申告者のプライバシー及び営業上の秘密に関する事項についての記載があると窺われるのに対し,本件回答には本件文書の記載事項のうち,売上金額,専従者給与のみが転記して記載されていることが認められ,そうすると,本件回答は,本件文書と比べて証明し得る事項が少なく,原資料でないだけ証明力も劣ると考えられるが,相手方は,守秘義務(国家公務員法100条1項,所得税法243 条)の観点から,あえて本件文書ではなく本件回答により労務の対価相当額の算出過程の合理性の立証を試みているものというべきである。
このことからすれば,相手方の主張の中には,本件同業者の抽出基準を説明するために本件文書について言及している部分もあるが,これをもって相手方が,当該文書について積極的に言及したものということはできず,本件文書は相手方が「訴訟において引用した文書」に該当しない。
(3) したがって,本件文書は,法 220 条1号の文書には該当しない。
3 法 220条4号ロ該当性
(1) 法 220条4号ロにいう「公務員の職務上の秘密」とは,公務員が職務上知り得た非公知の事項であって,実質的にもそれを秘密として保護するに値すると認められるものをいうと解すべきである。そして,上記「公務員の職務上の秘密」には,公務員の所掌事務に属する秘密だけでなく,公務員が職務を遂行する上で知ることができた私人の秘密であって,それが本案事件において公にされることにより,私人との信頼関係が損なわれ,公務の公正かつ円滑な運営に支障を来すこととなるものも含まれると解される。また,「その提出により公共の利益を害し,又は公務の遂行に著しい支障を生ずるおそれがある」とは,単に文書の性格から公共の利益を害し,又は公務の遂行に著しい支障を生ずる抽象的なおそれがあることが認められるだけでは足りず,その文書の記載内容からみてそのおそれの存在することが具体的に認められることが必要であると解すべきである(以上につき,最高裁平成 17 年(許)第 11 号同 17 年 10 月 14 日第三小法廷決定・民集 59 巻8号 2265 頁参照)。
(2) 前記2(2)のとおり,本件文書には,申告者の氏名,住所,従業員の人数,給与の額,経費項目等の記載があることが窺われ,同記載が,税務職員が守秘義務を負うべき職務上の秘密に係る情報であり,また,公務員が職務を遂行する上で知ることができた私人の秘密に係る情報であることは明らかである。
そこでさらに,本件文書の提出により公共の利益を害し,又は公務の遂行に著しい支障を生ずるおそれがあるか否か検討する。ところで,国家公務員法100条1項及び2項は,一般的に国家公務員の守秘義務について規定し,また,同法109条12号は,これに違反して秘密を漏らした者は1年以下の懲役又は 50 万円以下の罰金に処する旨の罰則を規定し,さらに,所得税法243条は,税務職員の守秘義務について規定し,国家公務員法上の一般規定より重い罰則規定を設けていた(なお,平成 22 年3月 31日法律第6号による改正後は,同条は削られ,国税の調査事務や徴収事務に従事する者等の守秘義務違反については,国税通則法126 条により,2年以下の懲役又は 100 万円以下の罰金に処する旨の罰則が規定されており,同改正前の所得税法 243 条よりも罰則がより加重されている。同改正は,同年6月1日に施行された。)。こうした税務職員の守秘義務は,税務職員が税務調査等の税務事務に関して知り得た納税者自身や取引先等の第三者の秘密を保護するということにとどまらず,そうした秘密を保護することにより,納税者が税務当局に対して事業内容や収支の状況を自主的に開示・申告しても,また,税務調査等に納税者や取引先等の第三者が協力しても,税務職員によってこれが公開されないことを保障して,税務調査等の税務事務への信頼や協力を確保し,納税者や第三者の真実の開示を担保して,申告納税制度の下での税務行政の適正な執行を確保することを目的とするものであると解される。
そうすると,本件文書によって税務申告をした本件同業者は,本件文書に記載した申告内容が引用されて税務申告以外の場面において公開されることはないものと信頼していたということができるところ,本件文書の提出を認めた場合には,本件同業者の上記信頼は大きく裏切られることになり,その結果,納税者一般の税務職員による秘密保護に対する信頼は損なわれ,税務事務に対する任意の協力を得ることも著しく困難となると考えられ,申告納税制度の下での税務行政の適正な執行を確保することを目的とする上記守秘義務の目的に照らし,公務の遂行に著しい支障が生じるおそれの存在することが具体的に認められるということができる。
この点につき,申立人は,本件文書につき,住所,氏名等個人を特定できる部分を除いたものの提出を求めるものであり,また,本件文書の記載内容,筆跡等から申告者が特定される危険等もないから,本件文書を裁判所に提出したからといって,納税者からの税務事務への協力等が得られなくなる具体的な危険性があるとは考えられないと主張する。
しかしながら,本件文書に記載された事項のうち,住所,氏名等の申告者を直接特定する事項を削除したとしても,本件同業者の資産・負債,従業員数などの他の記載を手掛かりとして,本件同業者が特定される可能性を否定することはできない。
したがって,【判示事項相当部分】本件文書のうち,住所,氏名等の申告者を直接特定する事項を削除することによっては,本件同業者や納税者一般の税務事務における秘密保護に対する信頼の喪失を防ぐことはできないから,申立人の上記主張は採用することができない。以上によると,本件文書は,法 220 条4号ロに該当する。
(3) なお,申立人は,相手方が本件文書の提出をしないことは,守秘義務の濫用であるとも主張する。しかしながら,本件文書が法 220 条4号ロに該当する以上,これが本案事件の証拠として重要なものであり,その提出が申立人の適正な手続により裁判を受ける権利の実現に資するものであったとしても,相手方が提出を拒絶することはやむを得ないのであって,申立人の上記主張も採用することができない。
第4結論
以上のとおり,申立人の本件文書提出命令の申立ては,理由がないから却下することとして,主文のとおり決定する。
(裁判官 朝日貴浩 裁判官 遠藤浩太郎 裁判官 西山芳樹)