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鳥取地方裁判所倉吉支部 昭和45年(わ)2号 判決 1974年12月19日

主文

<1〜3略>

4被告人更田正義、同森田喜義、同前田辰己、同更田甬らが共謀して千熊徹夫など一五名に対し、金三二万二〇〇円を供与し、事前運動をしたとの訴因について、同被告人らは無罪。

理由

<前略>

(無罪部分とその理由)

一被告人更田正義、同森田喜義、同前田辰己、同更田甬に対する昭和四五年二月六日付起訴状の公訴事実は、別紙(二)記載のとおりである。

二右事実については、これを証明するに足りる証拠が十規でないので、刑事訴訟法三三六条により無罪の言渡をする。

その理由は、公判審理の経過においてかなり明白と思われるので以下その大筋だけを述べる。

1 本件証拠中、公訴事実を立証する重要な根拠と検察官が主張するのは、第一に捜査中に被告人森田から任意提出された秋久後援会関係の領収証綴(昭和四七年押第四号符号二)のなかに含まれていた旅費、日当支給計算受領証四枚(検察庁昭和四五年領第二八号符号一五ないし一八)にほぼ公訴事実と同様の(ただし、一部違つている点があることについては後述)支出明細の記載があることと、第二にこれをもとにして金員授受の関係者の取調が行なわれたのに対し、供述者側の本件被告人ら四名と、受供与者側の十数名の者らがともに一致して右明細票記載どおりの金員授受を自供し、その供述はその後被告人らが起訴され本件公判審理がはじまつたときも、審理の冒頭段階までは金銭授受の事実については同様に認める供述をし、否認的供述をするように態度が変つたのは証人調がはじまつた頃からであり、また受供与者側の者らについては、本件公訴事実と同じ内容の事実について略式命令が発せられたのに対していずれも異議なく確定していることなどの授受関係者のこれまでの供述内容、態度の点にある。

そして右両者のなかでは領収証綴が先に提出され、これをもとにして以後被告人らの取調が進められた関係にあり、そのことは領収証綴の提出日が昭和四五年一月八日であるのに対して、右事実についての被告人らの取調が、それ以降の時期となつていることからほぼ推知される。そこで右両証拠の証明力は、かなりの程度、領収証四枚の信用性にかかつていることになる。

2 一般に金員授受に関与した多数関係者の供述がすべて一致しかつこれを裏付ける領収証などの資料も発見されたとき、とくにこれを疑うべき根拠でもないかぎり右供述どおりの事実を真実と受けとることは通常やむを得ないであろう。ただその場合関係者の供述内容の慎重な検討もさることながら、少なくとも重要な決め手になると思われる領収証等については、これにすぐ飛びついて全面的に信用する前に、まずその作成者、作成時期、作成目的や根拠資料の有無などの作成経過について十分の検討を加えておくことが不可欠である。ところが、本件起訴にあたり検察官は前記四枚の領収証を重要な決め手としながら、右の点の検討に手抜かりがあつたものの如くである。そのことは公判審理の過程において、右の領収証四枚がいずれも県果実連合会から東郷町にあつた秋久後援会に渡されていた約二三〇万円位の活動資金の収支関係を明らかにするため、連合会の職員であつた岸田興太郎、山本琢磨の両名が派遣されて調査した際作成されたものであること、すなわち調査を受ける後援会の側においては会員募集に出歩いてくれた多数の者に日当、車代などを支給しながら領収証等を徴しておらず、証拠書類上収支のつじつまが合わない状態となつていたところから、急拠、身近の者達一五名位に対して実際以上に高額の費用を支給したかの如くに記載した架空の領収証を作成してこれに押印してもらい書類上の操作をしたものであり、したがつて右領収証の記載は実際の支給状況とは金額、時期とも全く関係のない架空内容のものであること、またこれをもとにした捜査官の取調に対して、被取調者らが領収証どおりの自供をしたのは、そうしておけば取調の範囲が右領収証に名前の記載されている者の範囲に限られることになり、しかもそれらの者は、いずれも実質的には後援会活動にあたり、大なり、小なり主導的ないし積極的役割りをはたした者か又はその家族にあたつているので、一般的な協力者であつた者達に対してまで拡大しなくてすむという、共通の配慮によるものであつたこと等の事実が明らかにされ、しかもこれに対し何ら反論の余地がない状態となつていることからも明らかである(たとえば証人岸田興太郎、同山本琢磨に対する尋問がなされた昭和四五年(わ)第三号事件についての第一回公判調書など参照)

3 まず、前記証人岸田興太郎、同山本琢磨の供述記載によると、右領収証四枚中の三枚(前同号符号一五ないし一七)は、岸田が自ら作成し、残り一枚(前同号符号一八)は岸田の指示により山本が作成したものであり、その時期は昭和四四年一一月下旬、すなわち選挙の公示が近くなり後援会活動、したがつてその会計面の収支関係についても、形式的にでも一応の区切りをつけておかねばならなくなつた時期頃のことであり、作成に当つては支給内容の真実性は二の次として収支報告において書類上のつじつまを合わせる必要からその目的に合致するよう根拠資料なしに作成したものであるというのである。右両証人の供述記載中、両名が後援会の会計事務調査のため県連から秋久候補の出身地である東郷町の後援会に派遣された経過、後援会に行つて調査した状況、調査の結果日当、車代等の支出不明分について帳尻を合わせた領収証を作成することとし、被告人森田、同前田らに依頼して、受領金額を架空の水増しした金額にしても文句なく押印してくれそうな者十数名の人選をしてもらいこれらの者につじつまの合うもつともらしい金額を適当に割りふつて領収証四枚を作成し、後援会側の人の手によつて領収印を集めてもらつた経過について具体的にのべる部分は、その供述内容や両証人の立場等からみてかなり信用できると思われるうえ、具体的には伊藤克己が右領収証を携えて各受領者とされている人から領収印をもらつてまわつたことについて、伊藤本人や押印した関係者らが、公判段階で口を揃えて同旨の供述をするところとも符号している。

4 そのことは、領収証四枚の外形や内容からも首肯される。すなわち、右領収証四枚の領収印欄には、印鑑ばかりがかなり丁寧に押捺され並んでいるところ、日当、車代の支払いを担当した被告人前田の供述によると、後援会の日当、車代などは、いずれもその当日分づつを勧誘に歩いた帰途後援会事務所に立寄つてもらつた機会に交付していたというのであるが、そうだとすると、日頃農業を主たる仕事にしている右受領者達が後援会活動と称して知人方を勧誘に出歩く当日だけはすべてがすべて印鑑を持ち歩き、後援会事務所で金員を受領した際その印鑑を押捺したことにならざるを得ないが、そのようなことは農家の人の通常の状態としては考え難い。普通なら、これらの者達のなかに印鑑を持ち合わせず拇印を押すものがあつてもよさそうに思われるし、現に右領収証四枚の前後に綴られている他の受領証の受領印欄には拇印が相当数押されているのであるから、これらと対照してみると、印鑑ばかりが取り揃えて押捺されている右四枚の領収証の体裁は、前記伊藤克己その他の関係者が述べるように、後日になつてから、書類作成の必要にせまられて領収印を集めてまわつたためそのようになつたとの説明によつて最もよく納得される。さらに、領収証の記載内容をみると、そのなかには、日当、車代として一回の授受金額が一万八千円にも達するものがあるが、このような金員を受領したとされる者達が後援会会員募集のため何人位の知人方をどれ位の期間内にまわつたかにつき検察官調書中で述べているところと対比させて検討してみると、右の金額はこれまでこの種の事件において日当、車代などの名目で一般に支給されている金額よりはるかに高額すぎるように感じられ、その点からも記載どおりの支給には疑問がもたれる内容だと思われる。してみると、この点も、実際には多数の者に対して支給したのを、少数の一五人程度のものに縮限したために結局一人当りの支給額を増加するほかなくなつたという被告人らの弁明にそうもののように思われる。

5、さらにまた、後援会活動と称して会員募集に出歩いた場合にも、その後選挙運動期間になつてから戸別訪問に出歩いた場合にも、それらの者に対して支払われる日当、車代などの金額は、少なくとも双方の活動の中心にあつた被告人らの身のまわりでは近似した基準で処理されていてよさそうに思われる事情にあるところ、車代等の名目で支払われた金額が選挙期間中には六〇〇円程度であるのに対し、後援会活動時には領収証四枚通りだとすると、一、六〇〇円ないし二、〇〇〇円という高額だつたことになり、両者あまりにも均衡がとれない。右両者間に、右のような隔差があることについて、何らかの合理的な理由づけがなされているならばともかく、そのような疑問が解消されないまま右領収証の記載を全面的に信用することには、やはり問題が残るというべきである。

以上のように見てくると、本件起訴の根拠とされた前記領収証四枚は、おそらくは右にのべた事情で作成された架空のもので金員授受の真相を伝えるものではないとの疑いが極めて強いといわねばならないであろう(それにもかかわらず、これに依拠して本件起訴がなされる結果となつたのは、察するに、本件起訴検察官において右領収証そのものに直接あたつて十分に検討することをせず、代りに領収証の記載を整理した一覧表の記載のみを見て信用していたことによるのではないかと思われるふしも存する。そのことは、領収証の記載を供述調書等に添付の一覧表に作り直す際、「更田昭義の七、〇〇〇円」についての記載が領収証にはないのに一覧表中には誤つて記載されてしまつたのがそのまま起訴状別表中に引用されている一事からも窺われる)

6、それでは領収証の記載をはなれ、これをもとにして取調べられた被告人ら供与者側の者および受供与者側の者らの各捜査段階における一致した自供調書等だけから、公訴事実と同一の自供どおりの金員授受があつたと認められるか。

捜査段階の自供内容が右のとおり一致している理由について、被告人らおよび受供与者らはいずれも当公判審理の中で、前述のとおり取調べられる関係者の範囲を領収証記載の主だつたものの範囲内にとどめたかつたからであるとのべている。本件の場合、各供述者の、たまたまの供述が一致したというのではなく、架空の領収証にもとづく取調が、架空の領収証どおりの内容で一致しているということになる点がとくに注目を惹く。このように多数の関係者の供述がこのような架空の内容ですべて一致していること自体、これら関係者の間で警察での取調べを受ける前に口裏を合わせようとの相談がなされていたことを推測させるというべきであろう。とくに受供与者とされた者達は、領収印を押す際にはあまり注意もせずに押印したであろう受領金額の端数についてまで警察での取調を前にして再度記憶を確かにしておく必要があつたはずであると思われるが、それらの状況はたとえば証人千熊徹夫の証言記載(第三号事件についての第三回公判調書)などに最もよくあらわれていると感じられる。また、これらの者は自己らが受領したとされる金額が実際よりかなり高額であり、その高額のものを基準として略式命令を受けて罰金を納付しかつ追徴をされる危険をおかすことになるのであるから、それにも拘わらず、虚偽の、自己に一層不利な自供をすることについてすべての者の意思がまとまるまでには、相当つめた相談がなされているものと、事柄の性質上考えざるを得ない。

それでは、そのような相談が一旦できていたのに、本件で証人尋問がはじまる頃になつてこれが崩れ、証人の口から真相が述べられるほかなくなつたのは何故か。いくらか疑問のもたれるところであり、その疑問は証拠上解消されたとはいえない状態ではあるが、前記千熊徹夫の供述記載や被告人前田の供述記載(第一六回公判調書)などによると、受領者とされる者のなかに、本件の証人として呼出される者がでてきてその際いかに関係者をかばうためとは言え、宣誓のうえ領収証通りの金員を受取つたとのべて偽証する危険をあらためておかすことについて承服できないとの意向を示すものがでてきたことによるものの如くであり、一応それなりに納得できなくはない。

こうしてみると架空領収証どおりの金員授受を認めた被告人や受供与者らの検察官調書等も、供述内容が相互に一致しているからといつて直ちに信用できるというわけにはゆかないものと考えられる。

7 以上のべてきたところによると冒頭掲記の被告人ら四名共謀による供与罪については、合理的に疑いをいれる余地のないまでに明確な立証があつたとは、到底言うことができない。

三上述したところによれば、公訴事実記載の日時、場所において同所記載の者達の間で、同表掲記の金額の金員授受があつたかどうかは極めて疑わしく、したがつて供与の点についてはもとより訴因上そのことを具体的な行為内容とする事前運動についても有罪認定をすることは到底できない。

しかし一言付加するならば、右の判断は、当然のことながら、本件証拠上認められる被告人らの行動が、被告人らの言うような純粋の後援会活動であつて選挙運動でなかつたとか、あるいはその間になされた金員の授受が供与に該らない実質の行為であつたとかの判断を含むものではない。むしろ逆に、後援会という名目をかくれみのにして実質においては選挙運動と同視すべき性質の行動を続けていたと言う方がことの実質に近かつたと言うべきではないか、またその関係において日当、車代等の名目で授受された金員は本来供与、受供与罪に問疑されてもやむをえないものではなかつたかとの印象を懐かされるというのが、本件証拠を検討しての率直な心証である。

ただ本件公訴事実についての直接の証拠関係が上述の通りであつたため、右事実については無罪の言渡をするほかないが、そのことと本件にあらわれた被告人らの一連の行為が行為の性質自体からみて法律上許される行為であつたかどうかとは、右に一言したように、全く別個の事柄であつて、本件が無罪となつたことによつて、これら一連の行為まですべて許されるかの如く誤つた理解をしないよう、とくに留意を求めたい。

そこで主文のとおり判決する。

(秋山規雄)

別紙

(一)<省略>

(二) 被告人更田正義、同森田喜義、同前田辰己、同更田甬の四名は共謀のうえ、昭和四四年一二月二七日施行の衆議院議員総選挙に際し秋久勲が鳥取県から立候補する決意を有することを知り、同人に当選を得させる目的で、次表<省略>記載のとおり、いまだ同人の立候補の届出のない同年一一月初頃から一二月三日頃までの間、鳥取県東伯郡東郷町大字旭一一番地藪巧方において、右同人の選挙運動者である千熊徹夫ら一五名に対し、同選挙に立候補する右秋久勲のため投票取りまとめ等の選挙運動をすることを依頼し、その報酬及び費用等として現金計三二〇、二〇〇円を供与し、一面立候補届出前の選挙運動をしたものである。(昭和四五年二月六日付起訴状記載の公訴事実)

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