鳥取地方裁判所米子支部 昭和25年(ワ)29号 判決
原告 松原旭
被告 国
一、主 文
原告の請求は棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
二、事 実
原告訴訟代理人は、被告は原告に対し金五万円を支払わねばならぬ、訴訟費用は被告の負担とするとの判決を求め、その請求の原因として、
一、原告は昭和二十年三月二十六日亡父松原逸郎と母松原敏恵との間に同人等の長男として生れたが、父は昭和二十一年五月三十日病死し当時母も病気に罹つていたので、母は原告を一時父方の祖父に当る鳥取市吉方五百二十七番地松原堅に預けて米子市の実家に帰つて養生をしていたところ、その内に病気も全快したので祖父松原堅に対し原告を引取り度いと申入れたが応じて呉れないので遂に鳥取家庭裁判所に祖父松原堅を相手方として原告引取の調停を申立て、その結果同庁昭和二三年(家イ)第一〇六号事件として、
(一) 双方は今後申立人(松原敏恵)が亡松原逸郎と婚姻した当時の状況に立帰つて円満に交際すること。
(二) 松原旭の監護教育は親権者たる申立人と祖父たる相手方とが六ケ月交代でその居所に於て之を行使し最初の六ケ月間は申立人より之を為すこと但始期は昭和二十四年六月一日とする。
(三) 相手方は写真機ライカ一個を松原旭の親権者たる申立人に引渡すこと。
(四) 本調停費用は当事者双方の自弁とする。
という調停が成立した。
二、そこで原告は昭和二十四年六月二日から母の手許(母の実家である米子市紺屋町三村明弘方)に引取られたが六ケ月という養育の交代期間は原告等母子にとつては夢の間にすぎ到底離れ得べくもなかつたので、原告の母は約定の六ケ月を経過しても原告を祖父松原堅に引渡すことをしないで母子水入らずの生活を続けていた。
三、然るに調停の相手方松原堅の申立により鳥取家庭裁判所書記官補川田勤は昭和二十五年二月十六日前記調停条項第二項について原告の母松原敏恵に対する執行文を付与し、且同裁判所は之が夜間執行を許可し右松原堅の委任を受けた鳥取地方裁判所執行吏米沢佐武郎は同日午後八時半頃三人の男女と共に原告の寄寓先である前記米子市紺屋町三村明弘方に侵入し、前記調停条項の執行として実力を用いて原告を奪取せんとし原告の身体に手をかけたが母松原敏恵等の必死の抵抗により阻止せられその目的を達し得なかつたのである。
四、(一) 前記調停条項第二項はその文言自体により明かな如く原告を引渡すという給付行為を包含しないから強制執行の債務名義としては無効である。
(二) 右調停条項は原告の母の親権を停止することを内容とするものであるが、民法第八百三十七条によると親権を行う父又は母はやむを得ない事由があるときは家庭裁判所の許可を得て親権を辞することが出来ることになつているが故に親権の停止につき家庭裁判所の許可を得ずして為した右調停条項は無効である。
(三) 幼児引渡の強制執行(直接強制執行)は法律上認められていない。従つて判例も亦之を否定している以上(一)(二)(三)何れの観点よりするも前記調停条項第二項は強制執行の債務名義とならないこと明かであるのにかかわらず、裁判所書記官補が之に執行文を付与し裁判官が執行裁判所として夜間執行を許可し、且又執行吏が直接その執行をなさんとしたことは故意又は重大な過失によるべきものであつてこれ等一連の不法行為は司法機関たる公務員によつて敢行されたものであるから、国は之によつて生じた一切の損害を賠償すべき義務あること議論の余地がない。
又調停委員会の構成員が原告の意思を確めないで母と祖父とが原告を家畜同様六ケ月交代で監護養育すると云う様な人情を無視した調停をしたことも欠点がある。
五、原告はこの差押事件の為精神上非常な衝撃を受け当座は他人を恐怖して母を放さなかつた程であるが、世間で喧伝された事件であるだけに成長するに従い事毎に世人の嘲弄軽侮の種となるべく心の傷痕は終生癒ゆることはないのである。因つて精神上現実に受け又今後受けるであろう苦痛の慰藉料として被告は国に対し金五万円の支払を請求する次第であると述べた。<立証省略>
被告指定代理人は別紙答弁書記載<省略>の通り陳述した。<立証省略>
三、理 由
一、本件調停調書(乙第六号証)の調停条項第二項一松原旭の監護教育は親権者たる申立人と祖父たる相手方とが六ケ月交替でその居所に於て之を行使し最初の六ケ月間は申立人より之をなすこと、但しその始期は昭和二十四年六月一日とする」なる文言の解釈として申立人松原敏恵が原告松原旭を相手方松原堅に引渡すべき義務あることを規定したものと云うことが出来るかどうか(即ち同条項を以て債務名義の内容をなす給付義務を規定したものと云うことが出来るか)。
二、仮りに右調停条項第二項を以て松原敏恵の原告松原旭を引渡すべき義務を規定したものとするも斯る調停条項が果して有効であるかどうか(同条項は親権を不当に制限するものとして無効とすべきではないかどうか)。
三、幼児引渡の直接強制執行が法律上許されるべきであるかどうか。
等については論議の余地が全くないことはないが、しかし仮りに原告代理人主張の如く本件調停調書が強制執行の債務名義として無効であり且幼児引渡の直接強制執行が法律上許されないものであつて本件調停委員会の調停裁判所書記官補の執行文の付与、執行裁判所としてなした裁判官の夜間執行の許可及び執行吏が本件調停調書に基き直接強制執行を為したことが不当であつたとするもその不当につき関係職員に於て故意又は過失のあつたことを認むるに足るべき証拠はない。
蓋し裁判所職員(その他の一般公務員についても同様であるが)が職務を行うに当り事実の誤認又は法律の不知若しくは誤解があつたが為め事件の処理を誤り以て他人に損害を及ぼした事実があつたとしても、その過誤を以て常に必ずしもその職員の過失に出でたものと云うことは出来ないのである。唯その過誤がその職員の不注意又は怠慢等その者の責に帰すべき事由に原因する場合に限り過失ありと云うことが出来るのである。
然るに本件関係職員については本件強制執行に関し特に不注意又は怠慢等のあつたことを認むべき証拠がないのである。
もとより場合によつては当該行為自体(即ち不法行為について之を云えば他人に損害を及ぼした行為自体)により故意又は過失を推認し得ることもないことはないのであるが、本件調停調書(乙第六号証)はその調書自体により明かな如く債務名義として一応の形式を整えており且調停条項第二項の如きは前記の如くその解釈につき論議の余地があつて何人と雖も普通の注意を用いたならば直に無効であると理解し得るものとは云い難いので本件関係職員が之を適法の債務名義と認めたことが仮りに誤解であつたとするもその誤解自体を以つて故意又は過失ありと速断することは相当でない。
又大審院は嘗てその判決に於て幼児の引渡は民事訴訟法第七百三十四条に定めた方法に依り間接に之を強制し得る旨を説いて暗に直接強制執行を否定し、司法省民刑局長も亦その回答に於て執達吏は人身引渡の強制執行を為すことを得ない旨説いているが斯る判例並に回答は当然に本件関係職員を覊束するものではないのみならず右判例並に回答の所説に対しては反対の学説もあつて是非が果して何れにあるか遽に断定し難いのが実情であるから、偶本件関係職員が右判例や回答の趣旨に反する措置に出でたとしてもその事自体を以て故意又は過失があつたものと断定することは出来ないのである。
而して直接強制執行は之を為すべきでないのにかかわらず之を為したとの点を除きその他に本件執行吏の執行方法につき不当の所為があつたことについては原告より何等の主張及び立証がない。
果してそうであるとすれば他の法律上及び事実上の諸争点につき逐一判断を為す迄もなく原告の本訴請求の理由のないことは洵に明かであるから、他の争点についての判断は之を省略し訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用し主文の通りに判決したのである。
(裁判官 森西隆恒)