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鳥取地方裁判所米子支部 昭和60年(ワ)228号 判決 1988年2月18日

原告 甲野一郎

右法定代理人親権者父 甲野太郎

同母 甲野花子

右訴訟代理人弁護士 川中修一

被告 米子市

右代表者市長 松本file_2.jpg

右訴訟代理人弁護士 油木厳

右訴訟復代理人弁護士 平山勝信

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金二二〇〇万円及び昭和六〇年二月一九日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、昭和四九年一一月二五日、父甲野太郎、母花子の長男として出生し、後記の本件事故当時、被告の設置する米子市立就将小学校の四年に在籍し、被告の公務員である野上ゆみ子教諭(以下「野上教諭」という。)の担任する松組に所属していた。

2  事故の発生

(一) 原告は、昭和六〇年二月一九日午後二時三〇分ころ、体育の授業として、他の四年松組の児童らとともに、一組五、六名によるミニバスケットボール(正規のバスケットボールと同種の競技で、ルールは基本的にそれと同じであるが、ボールの大きさ、コートの広さ、リングの高さ等が異なる。)の試合中、自軍のリングに向けてドリブルをしながら走行していた際、他児童の手が原告の左眼に強く当たり、原告は激痛を感じ、左眼を押さえてその場にしゃがみ込んだ(以下「本件事故」という。)。原告がその場にしゃがみ込んでいる間、コート外で競技を見学中のクラスメートの数人が原告の周りに寄って来て様子を見ていたが、原告は、一分間程して痛みがやわらいだため、試合に参加した。

(二) 当日、原告は、提出課題補修のため定時よりも学校に居残り、午後五時ころ帰宅した後、直ちに母花子に「学校で人の手が目に当たり痛かった。」旨訴えたため、母花子は、原告の目を見たところ、赤く充血していたので、すぐに病院に連れて行こうと考えたが、午後五時を回っていたため、やむなく翌日にすることにした。しかし、原告は、翌日、特に異常を訴えず、以後医師の診察を受けることなく、そのままの状態で経過した。

ところが、同年三月九日、原告は、かぜをひいて発熱した際、「目が見えない。」と訴えたため、同日、原告は、母花子に連れられて、佐古眼科医院で診察を受け、翌一〇日、鳥取大学医学部付属病院眼科で診察、治療を受け、その後、同病院で検査を受け、同月一五日から同年四月一一日まで同病院に入院して治療を受け、さらに同月一八日、錦織眼科医院で治療を受け、同医師により、瞬間的外力による左眼網膜剥離と診断された(以下「本件傷害」という。)。そして、同月二三日、天理よろず相談所病院で診察を受け、同月二七日同病院に手術目的で入院し、同年五月一日に手術を受け、同月二六日同病院を退院し、同月下旬から再び錦織眼科医院で治療を受けたが、原告の左眼の視力は、眼前手動弁(眼の前で手が動くのがかろうじて弁別できる。)の程度であり、矯正不能で失明同然の状態に陥った(以下「本件視力障害」という。)。

(三) 原告は、本件事故で左眼を受傷する前は、左眼には何も異常はなく、学校での定期的な健康診断によっても常に視力が良好であったこと、右受傷後に視力障害を起こしていること、原告の左眼は、硝子体の中に強度の混濁があり、かつ、高度の網膜剥離が存在するが、このような所見は外傷に基因するもの以外に考えられないこと、右の所見は、原告の前記手術後の眼底写真から判定しても、左眼球の先天異常や腫瘍によるものではなく、強い瞬間的外力による眼球後極部の網膜、脈絡膜ないし毛様動脈の損傷に基因するものであることが明白であること等からすると、原告が本件事故により本件傷害を負い、その結果原告の左眼に本件視力障害が発生したことは明らかである。

3  被告の責任

(一) 被告は、就将小学校の設置者として児童の事故を防止すべき安全配慮義務を有しているところ、被告の公務員である野上教諭は、被告の右義務の履行補助者であるが、同教諭は、その職務を行うにつき、後記のとおり、右安全配慮義務を怠った過失があったのであるから、被告は、国家賠償法一条または民法四一五条に基づき、本件事故によって原告に生じた後記の損害を賠償すべき義務がある。

(二) 小学校設置者としての安全配慮義務は、その内容の一つは、小学校における教育活動から生じる事故の発生を未然に防止する義務であり、他の一つは、事故が発生した場合、被害の発生、拡大を防止するため、事故に対して適切な事後処置をとる義務である。この事後的処置の内容は、教師が被害児童の状態を十分に観察すること、被害発生を防止するために看護教諭等に判断を仰ぐこと、被害児童の傷害等につき適切な手当をすることなど被害児童にかかわる処置と、親への事故報告義務である。

(三) 事故防止の義務

体育授業では、その指導する種目と程度が児童の能力との相関関係において適切なものであることがまず重要である。体育の指導では、児童の能力に応じて段階的に行われてはじめてそれに内在する危険性に対応していくことができることから、そのことはとくに重要である。文部省の小学校指導書によれば、バスケットボールは第五学年のボール運動として挙げられており(第四学年はポートボール)、高度な技能を要するバスケットボール(ルールが基本的に同一であるミニバスケットボールも同様)は小学四年生には多少無理ではなかったかと思われるのであるから、小学四年生の原告らの体育授業としてミニバスケットボールの授業を企画、実施するについては、幼少の児童らが球技に夢中になり、接触、衝突等の事態を起こさないよう十分に事前の注意をし、競技中において、右の状況がうかがえるときには適切な指示をして児童の生命、身体の安全について万全を期し、事故の発生を未然に防止すべき注意義務がある。

しかるに、野上教諭は、本件体育授業に際し、事前の注意、指導を十分に行っていないばかりか、本件当日の体育授業においては、児童らに二面のコートを使って二試合を行わせ、同教諭は、コート外で二試合の審判を同時に行い、コートの外側白線付近を行ったり来たりして、ボールの展開地点から遠く離れて見ているだけであり、コート内の競技の展開に即応して攻防の間近で審判するようなことはせず、そのため、ボールを巡る攻防や選手の手足が相手方選手に接触することを厳しくチェックすることができず、反則のチェックも大まかであり、現に本件接触(衝突)事故を見逃している。小学四年生の児童には自分の行動を微妙に規制する能力はなく、いきおいラフプレイに出やすく、野上教諭の右のような指導方針(姿勢)が本件事故を惹起したのであって、同教諭が前記の事故の発生を未然に防止すべき安全配慮義務を尽していれば本件事故の発生は未然に防止できたといえるのである。

(四) 事故に対して適切な事後処置をとる義務

本件事故の際、原告は左眼を押えてその場にしゃがみ込み、コートの外側で応援もしくは見学をしていた児童数人が原告の周りに集まり、「目に当たったんだって。」「先生」などと声をあげた。野上教諭は、右の声に気付いて振り返ったが、その時、他児童の指が原告の目に入るか当たるかしたと思ったというのであるから、近くに寄って原告の状態を十分に観察し、目の充血等原告の受傷の有無やその状況を調べ、原告を保健室に連れて行き養護教諭の判断を仰ぎ、あるいは医師の診断を受けさせるなど適切な措置を取るべきであったし、さらに、原告の保護者である親に本件事故を報告し、保護者が原告に医師の治療を受けさせる等の適切な措置がとれるようにするべきであった。

しかるに、野上教諭は、原告がすぐに試合に復帰したことや原告が照れ屋であり、色々聞くと気にする性格でもあったことなどから、原告をそのまま放置し、原告に医師の診療を受けさせるなどの適切な措置を講ずることなく当日の全授業を終え、また、原告の保護者である親に対し、何ら本件事故の報告をしなかった。同教諭が、適切な事後処置をとり、ことに原告の保護者に対し本件事故の報告をしていれば、母花子は、原告の左眼の外傷と視力障害の関係をたやすく認識することができることになり、原告に対し、本件事故当日に専門医の診察を受けさせ、あるいは、その後も注意をして原告の左眼の様子を観察し、速やかに専門医の適切な診察を受けさせて早期に本件傷害を発見、治療することができ、その結果本件視力障害が生じることを回避することができた。

4  損害 合計二二〇〇万円

左記のとおりの損害合計三二三三万七三九六円の内金

(一) 入、通院慰謝料 一〇〇万円

原告は、本件事故により合計二か月間入院治療を受け、退院後も通院治療を受けており、その間に受けた精神的苦痛を慰謝すべき額は一〇〇万円が相当である。

(二) 後遺障害慰謝料 五〇〇万円

原告は、本件事故により、左眼の視力が眼前手動弁の程度で、矯正不能という左眼が失明したのと同然の後遺障害を負ったものである。原告は、体育の授業としてミニバスケットボールの競技中、ドリブルをしながら進行していたところ、いきなり他児童の手が原告の左眼に当たり、激痛を感じてその場にしゃがみ込んだが、担当教諭から何ら問題にされることなく、そのままの状態で推移した結果、重大かつ回復不可能な右後遺障害を負ったものであり、本件事故の態様及びその後の経過においても小学四年生としての原告に責められるべき点はない。本件事故は、体育の授業中における突然の事故であるうえ、事故後においては、被告から右後遺障害は本件事故との因果関係が存在しないとして白眼視された一面もあったことなどを考慮すれば、原告の右後遺障害による精神的損害に対する慰謝料は五〇〇万円が相当である。

(三) 逸失利益 二三三九万七三九六円

原告は、昭和四九年一一月二五日生まれの男児で、本件事故当時満一〇歳であるから、労働稼働年数は満一八歳から四九年間を下らず、ライプニッツ係数は一二・二九七三となる。原告は、前記のとおり、本件事故により左眼の視力が眼前手動弁の程度で、矯正不能という左眼失明同然の後遺障害を負い、これは自動車損害賠償保障法施行令別表の後遺障害別等級第八級に該当し、労働能力喪失率は四五パーセントである。また、昭和六二年(修正)の賃金センサス学歴計給与額(年収)は年四二二万八一〇〇円であるから、原告の逸失利益は次式のとおり合計二三三九万七三九六円となる。

422万8100円×0.45×12.2973=2339万7396円

(四) 弁護士費用 二九四万円

以上の損害額は、合計二九三九万七三九六円となり、原告法定代理人は、原告代理人との間に損害額の一割を弁護士費用として支払うことを約した。

5  よって、原告は、被告に対し、国家賠償法一条または民法四一五条による損害賠償請求権に基づき、右損害額合計三二三三万七三九六円の内金二二〇〇万円及び右二二〇〇万円に対する本件事故の日である昭和六〇年二月一九日から支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認容

1  請求原因第1項の事実は認める。

2(一)  同第2項(一)の事実中、原告が野上教諭の指導のもとで体育の授業としてミニバスケットボールの競技をしていた事実、本件事故が発生した事実は認め、その余の事実は不知。

(二) 同(二)の事実中、原告が、本件事故の翌日、特に異常を訴えず、以後医師の診察を受けなかった事実、三月九日に至り原告が初めて医師の診察を受けた事実は認め、その余の事実は不知。

(三) 同(三)の事実は不知。

3  同第3項の事実は否認する。野上教諭には、その職務を行うにつき何ら過失はない。

(一) 野上教諭は、ミニバスケットボールの授業を企画、実施するに際し、児童の事故防止に最善を尽しており、指導監督上何ら欠けるところはなく、何らの過失もない。

原告の属する小学四年生のミニバスケットボールの授業は、春と冬の二回実施されたが、冬期の授業に際し、野上教諭は、体育科学習指導案を策定し、これに基づいて授業を実施し、特に指導上の留意点として相手方プレーヤーとの身体の接触はルール違反(ファウル)となることを掲げ、競技中身体の接触等による事故が起らないよう配意指導していた。このことに関しては春期の体育の授業時から児童に周知徹底させていて、児童も相手方の身体に接触することはファウルとなることは十分知悉していた。同教諭は、ミニバスケットボールの授業を行う際には、必ず試合開始前、試合終了後に、身体接触がファウルになり反則であることを教えこれを厳に禁止するとともに、競技中においても、コート内にあって審判として競技中の児童の動向を十分監視し、身体接触のある都度笛を吹いて警告を与え接触事故の防止に努め、その都度適切な指示を与えていた。

本件事故当日の体育授業はまとめの学習で、同教諭は、一面のコートを使用して二チームにミニバスケットボールの試合を行わせ、自らもコート内にあって競技中の児童の動きを監視し、ボールの動きに応じて移動しながら審判をしていたのであって、その間競技中の児童の保護監視に欠けるところはなかった。なお、当日同教諭がコート二面を使って児童に競技を行わせたことはなく、一面のコートを使用して競技を行わせ、他のコートでは児童に練習をさせていた。

本件事故は、瞬時に発生したものであって不可避なものというべく、これをもって同教諭について児童の注視監督上不十分な過失ありと非難するのは失当である。同教諭としては競技中の身体の接触が反則であることを児童に十分周知徹底させているのみか、試合開始前後には必ずそのことを指示注意し、かつ競技中にあっても審判として競技中の児童の監視を続け身体の接触があれば直ちに笛を吹いて反則であることを告げ、児童の身体の接触等による事故防止に努めていたのであって、体育という積極的で活発な活動を伴う教育活動に当たる教師としては右の程度で必要にして十分な注意義務を尽したものと評価されるべきであって、それ以上に児童の身体接触事故の完全防止を要求するのは過大な注意義務を求めることとなり、不可能を強いるものである。

以上のとおり、同教諭には、ミニバスケットボールの授業を企画、実施するに際し、児童の指導監督上特段欠けるところはなかった。

(二) 野上教諭は本件事故の発生を認識しておらず、またこれを認識予見し得べき状況にもなかったのであるから、原告を保健室へ連れて行き応急措置を受けさせ、または保護者に対し本件事故を通知する等の注意義務は存しない。

前記のように審判をしていた同教諭は、試合中背後に、観戦をしていた児童がざわついているような雰囲気を感じたものの、試合の中断もなかったので、そのまま審判として試合の成り行きに注意を集中していて、その限りにおいては事故らしきものを認識していない。試合中の児童については何らの異常もなく推移し、わずかに試合を観戦していた児童の中に一瞬ざわついた雰囲気があったに過ぎず、これも一過性のもので、試合は中断されることなくそのまま何事もなく推移して行った。そして、原告ら小学四年生の児童は年齢一〇歳であって、眼に異常があればこれを訴える能力を十分有していたにもかかわらず、右体育の授業中はもちろん、これに引き続く音楽の授業、更に終りの会(反省会)、そのあとの原告ほか一名との社会科学学習帳に関する個別話合いの間を通じて、原告からはもとより、他の児童一人すらも、原告の異常について、野上教諭に対し、何ら訴えることもなく、また原告自身、眼を腫らすとか眼を手で押さえる等の行動、態度が見られなかった。従って、同教諭としては、原告に何らかの異常があったことを知る由はなく、原告の眼及びその周辺の負傷に全く気付かなかったとしてもこれは無理からぬことであり、また右のような経過からすれば、同教諭としては、原告に生じた異常を認識予見し得べき状況にもなかった。

従って、野上教諭が、適切な事後措置、特に保護者へ本件事故の状況を通知すべき義務は存しない。

(三) 原告の本件視力障害は、原告及びその保護者が、原告の左眼の異常を認識しながら早期に専門医師の適切な治療を受けなかったという、専ら原告側の重大な落度に起因し、その全責任は原告及びその保護者にあるのであって、本件視力障害と野上教諭の職務行為との間には因果関係は存しない。

原告の左眼に生じた網膜剥離は、早期に専門眼科医の適切な治療が必要であり、かつ、これを受けていれば視力矯正不能の状態を回避し得たところ、原告は、本件事故当日の帰宅時において、母花子に対し、学校で人の手が当たり眼が痛かった旨告げ、母花子が原告の左眼が充血しているのを確認したのであるから、直ちに医師の適切な診断と治療を受けるべきであったにもかかわらず、当日は午後五時を過ぎていることから医師の診察を受けず、翌日以降も原告が異常を訴えなかったことに気を許し、原告及びその保護者において、医師の診療を受ける等の対応措置を講ぜずに推移した。そのため、受傷後一八日を経過した三月九日に至りようやく眼科医を訪れ、その後鳥取大学医学部付属病院に入院する等して精密検査及び治療を受けたが、既に時機を失し、原告の左眼の視力に回復し難い障害を来たしたのである。

以上のとおり、原告の左眼の外傷性網膜剥離の発見が遅れ早期に適切な治療を受けず本件視力障害が発生したのは、原告及びその保護者が原告の症状を自覚しながら何らの対応措置も講ぜず、早期に専門眼科医の精密検査、治療を受ける機会を自ら逸したからにほかならず、原告の本件視力障害と野上教諭の職務行為との間に因果関係は存しない。

4  同第4項の事実は不知。

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因第1項の事実、同第2項(一)の事実中、原告が野上教諭の指導のもとで体育の授業としてミニバスケットボールの競技をしていた事実、本件事故が発生した事実、同(二)の事実中、原告が、本件事故の翌日、特に異常を訴えず、以後医師の診察を受けなかった事実、三月九日に至り原告が初めて医師の診察を受けた事実は、当事者間に争いがない。

二  右争いのない事実並びに《証拠省略》を総合すれば、以下の事実を認めることができる。

1  原告は、昭和六〇年二月一九日当時、被告が設置する米子市立就将小学校の四年松組に在籍していたが、同日の第五校時(午後一時五五分から午後二時四〇分まで)の体育の時間に、担任の野上教諭の指導のもとに同組の他の児童とともに、ミニバスケットボール(正規のバスケットボールと同種の競技で、ルールは基本的にそれと同じであるが、ボールの大きさ、コートの広さ、リングの高さ等が異なる。)の試合に参加していた。同教諭は、ミニバスケットボール学習の目標、指導計画、学習活動の内容、指導上の留意点を定めた体育科学習指導案を作成し、これに従って、春期と冬期の二期に分けて同組のミニバスケットボールの授業を実施していたもので、既に春期の授業において、そのルール、特に相手方選手との身体の接触による反則(ファウル)についての学習、指導を行ない、また、試合中反則(ファウル)が起きる都度、説明指導を加えていた。右二月一九日までに原告ら児童は、ミニバスケットボールの授業を数回にわたり受けており、同日ころは、まとめの学習としての授業であった。同日のミニバスケットボールの試合は、クラスの児童を六名一チームとして六チームに分け、体育館のコート(二面)において、一面のコートで二チームが試合をし、その隣の一面のコートでは二チームが練習をし、次に試合をする二チームが試合をしているコートの周りで審判も兼ねて観戦をするという方法で行われており、野上教諭は、二つのコートの間において、ボールの動きに従って自らも移動しながら審判をしていた。

2  右二月一九日第五校時のミニバスケットボールの試合中、原告は、自軍のリングに向けてドリブルして行った際、他児童の手と思われる部分が原告の左眼に当たり、原告は、激痛を感じ、左眼を押さえてその場にしゃがみ込んだ。試合はそのまま進行し、原告はボールを取られ、これを追って他の児童らは競技を続けて移動して行った。コート外で観戦中の児童の二、三人が、左眼を押さえてその場にしゃがみ込んでいた原告に気付き、その周囲に寄り、原告に対し、「大丈夫か。」などと声をかけた。野上教諭は、原告の眼に他児童の手と思われる部分が接触した時点でそのことを現認したわけではなかったものの、反対側のコートに児童らが移動した後、原告が残ってしゃがんでおり、観戦中の児童らが原告の周囲に集まり、「目に当たった。」などといっているのに気付いたが、六、七分の短い試合時間の中の一瞬の出来事で、原告も程なく試合に参加したため、特に救護のための措置はとらなかった。そして、原告は、その後何事もなく体育の授業を終え、同日、さらに第六校時(午後二時四五分から午後三時三〇分まで)の音楽の授業を受け、終りの会(反省会、午後四時ころ)終了後、課題提出のために居残りをし、午後四時三〇分ころまで学校にいた。それまでの間、原告は、左眼に痛みがあったものの、我慢し、野上教諭や級友らに対し、本件事故があったことはもちろん、左眼の痛みについて一度も訴えるようなことはなく、行動、態度等に格別の変化はなかった。

3  原告は、同日午後五時ころ帰宅し、直ちに母花子に対し、「学校でバスケットボールをしていて人の手が目に当たり痛かった。」と告げた。母花子は原告の左眼を見たところ、左眼全体が充血していたため、原告を病院に連れて行こうと考えたが、すでに午後五時を回っており、原告が今はあまり痛くないと言うので、同夜一晩様子を見たうえで、翌日病院に行くことにした。同夜、原告は、テレビを見たりしていたが、左眼の視力の異常を訴えるようなことはなかった。翌二月二〇日朝、母花子が原告に、「眼は大丈夫か。」と聞いたところ、原告は、「痛くない。」と答え、左眼の視力の異常を訴えることもなく、また、原告の態度、行動等にも日常と変わったところが見受けられなかった。そのため母花子は、特に医師にみてもらうまでのことはないと判断し、原告を病院には連れて行かなかった。右二月二〇日以後、原告は、左眼の視力の異常を訴えるようなこともなく、行動や態度等にも格別の異常はみられず、母花子も原告の左眼のことについては放置していた。

4  ところが、同月二七日、原告が風邪を引いて学校を休んだ際、「目が見えにくい。」と言って、右目を押さえて左目で自分の指を見ていたので、これを見た母花子が、原告から一メートル位離れて指を一本、二本、三本と出してやると、原告の答える数は合っていた。そのため、母花子は、原告の左眼は風邪の熱のためにぼやけて見えているにすぎないと考え、特に原告の左眼の視力に異常があるのではないかという心配はしなかった。そして、その後も、原告の態度や行動等に格別の異常はみられなかったところ、同年三月九日、テレビを見ていた原告が、右目を押さえ、左目の前に指を出して見ており、「目が見えない。」と言った。母花子が原告から三〇センチメートル位離れて前同様に指を出したところ、原告の答える数が全然当たらず、原告は、「真っ暗に見える。」と言うので、母花子は、直ちに原告を近くの佐古眼科医院に連れて行った。原告を診察した同医院では、原告の左眼の視力がないと診断し、鳥取大学医学部付属病院を紹介した。母花子は、同月一一日、原告を同病院に連れて行き、松浦医師の診察を受けさせたところ、原告の左眼は網膜剥離であるとされ、同病院で精密検査を受け、左眼球打撲、網膜硝子体出血、眼内腫瘍(疑)、網膜剥離(疑)と診断され、同月一五日から同年四月一七日まで同病院に入院して治療を受けた。しかし、原告の左眼の視力は回復せず、また、網膜硝子体出血、網膜剥離(疑)の原因につき、一応本件事故によるものであろうと診断された。

5  原告は、同月一八日、錦織眼科医院で診察を受けたが、右眼は全く異常がなく(視力一・五)、左眼は、視力が光覚(明暗がやっと分かる程度)で、外斜視を呈し、強度の硝子体混濁のため眼底を全く透見できず、超音波検査により眼底に高度の網膜剥離が認められた。錦織医師は、母花子に対する問診では、原告は、同年二月一九日本件事故により左眼を打撲し、少し充血があり、その後次第に視力障害が出てきて、同年三月九日、非常に見えにくくなったため佐古眼科医院を受診したというのであり、原告の小学校の定期健康診断の記録からは、本件事故以前は、原告の左眼に何ら異常はなく、常に視力は良好であったとみられ、したがって、前記のような原告の左眼の眼底所見は、当時満一〇歳という原告の年齢からすると、眼球の先天異常や腫瘍によるものではなく、外傷以外にはその原因が考えられないことから、原告の左眼の網膜剥離は本件事故による外傷に基づくものであると診断した。そして、同医師は、原告が本件事故により受傷してから二か月を経過しているため、原告の左眼の視力等の機能回復の可能性はない旨を母花子らに告げたが、同人らの希望により、天理よろず相談所病院の永田医師を紹介し、原告は、同年四月二七日同病院に入院し、同年五月一日網膜剥離等の手術を受け、同月二六日同病院を退院した。原告は、同年六月八日再び錦織医師の診察を受け、原告の左眼は、前記手術前に存在していた硝子体の混濁が完全に除去され、網膜は完全に復位し、網膜剥離も治癒していたが、眼底中心部に結合組織が増殖しており、視力の回復は極めて不良で、眼前手動弁(眼の前で手が動くのがかろうじて弁別できる。)の程度の視力で、矯正(改善)の見込みはない旨診断された。

なお、外傷による網膜剥離にり患した場合、出血があり視力障害がでるが、この視力障害は、受傷後直ちに出る場合もあれば、しばらくしてからでてくる場合もある。また、この視力障害は患者本人が自覚して訴えないと、外部から患者の眼の異常に気付くことは困難である。

三  以上認定、説示した事実及び前出各証拠に基づいて、判断する。

1  因果関係について

本件事故によって本件傷害が発生したことは、前記説示したところから明らかである。

2  野上教諭の過失の有無について

(一)  事故防止の義務について

前示のとおり、野上教諭は、体育の授業としてミニバスケットボールを実施するについては、その学習目標、指導計画、学習活動の内容、指導上の留意点を定めた学習指導案を作成し、これに従って、まず春期の授業において、ミニバスケットボールのルール、特に相手方選手との身体接触によるファウルについて、一般的に、あるいはその都度指導、学習を行なっていたのであるから、原告ら小学四年生の児童としても身体接触によるファウルについて、相当程度の理解を有していたものと認めるのが相当であり、本件事故当日の体育授業において、同教諭がしたチーム編成、コートの使用方法、同教諭が審判をしてボールを追って競技中の児童の動きについて自らも移動していた授業運営などについて、それ自体として特に相当でない部分は、見出し難く、そのような授業中、通常の方法で行っていた競技の最中に生じた本件事故について、野上教諭が体育の授業でミニバスケットボールを実施するに際し、競技中に生ずるおそれのある事故の発生を未然に防止すべき注意義務を、原告が主張するような趣旨で怠っていたと認めるべき証拠はない。

(二)  事故に対して適切な事後処置をとる義務について

(1) 前示のように、野上教諭は、原告の左眼に他の児童の手と思われる部分が当たったところを、その時点では現認しなかったとはいえ、その直後には、「目に当たった」という声が聞こえたことなどによりそのような気配に気付いていたことがうかがわれるのであるが、右事故発生時、コート外で観戦中の児童らからも「ファウル」というような叫び声が上らなかったことからすると、本件事故は、明らかにファウルといえる程の身体接触でもなく、身体の接触それ自体が看取し得ないようなプレー中の一瞬時における、いわば、はずみともいうべきわずかな接触によるものであったと認められること、その後も程なく原告が競技に復帰したこと、原告が、本件事故当時小学四年の、通常に発育した児童で、自己の異常は保護者なり第三者に訴えることのできる能力を有していたと認められること、本件事故直後、競技に参加した原告には、その言動等に外観上の異常は認められなかったことなどに照らすと、右のような状況下において、野上教諭が、本件事故発生直後にも競技中の児童らの動きを追って自らも移動しながら審判することに神経を集中し、本件事故の重大性に気が付かず、原告に対し、原告の目の様子を見たり、医師の診療を受けさせるなどの特段の救護措置などをとらなかったことについて、事後的に見れば、野上教諭が万全の注意を払っていたとはいい難い面があったとしても、法律上の過失責任を問うことは、予見可能性及び予見義務の点において、いささか無理があるというべきである。

(2) そして、その後も前示のとおり、原告は、本件事故後も午後四時三〇分ころまで、野上教諭や級友らとともに、平常どおりの授業に出席して学校にいたが、この間、左眼に痛みがあったものの我慢し、同教諭や級友らに対し、本件事故があったことはもちろん、左眼の痛みについても一度も訴えるようなことはなく、行動、態度等に格別の変化はみられなかった。

したがって、本件体育の授業終了後下校までの間に、野上教諭が、本件事故の発生ないしは原告の左眼に生じた異常を認識するのを期待することはきわめて困難な状況にあったというほかない。

(3) さらに、本件事故が発生した日の午後五時ころ、原告が学校から帰宅した直後に、母花子に対し、「学校でバスケットボールをしていて人の手が目に当たり痛かった。」と訴え、原告の左眼全体が充血していたが、一方原告が「今はあまり痛くない。」と言ったことや、すでに午後五時を過ぎており、医院も多忙であろうと考えたことなどから、母花子は、同夜一晩様子を見たところ、翌朝原告の左眼や原告の態度、行動等に格別の異常がなかったため、原告の左眼は大丈夫であると判断し、以後、原告の左眼のことについては、原告が視力の異常を訴えるまで格別の措置をしなかったこと前記のとおりであるところ、原告の母でさえ病院に連れて行くのを見送ったような経過をたどった原告の受傷後の症状について、我慢強く、痛みを訴えることも少なかった原告にとって、多分に不運な面があったとしても、野上教諭等学校側に対し、本件事故後において、原告の左眼の異常を認識するのを期待することもまた、いささか困難であったというべきである。

(4) 以上のとおり、野上教諭が、原告に早期に医師の診断を受けさせ、あるいは、原告の親に本件事故を報告する等の処置をとらなかったことが、同教諭の過失であるとする原告の主張は、事後的にみれば、そうしていれば本件のような結果にまでは至らなかったかも知れないとはいい得たとしても、本件事故発生時及びその後の状況からみて、右当時においてそれをしなかったことが、同教諭に法律上過失があったとまではいい難い。

四  以上の次第であって、本件において野上教諭の過失を認めることができないから、原告の請求原因は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。

よって、本訴請求を棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 池田亮一 裁判官 白神文弘 堺充廣)

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