鹿児島地方裁判所 平成10年(ワ)55号 判決 2002年1月28日
原告
甲野一郎
同
甲野花子
原告ら訴訟代理人弁護士
亀田徳一郎
同
永仮正弘
同
増田博
同
山口政幸
同
野平康博
被告
乙川二郎
外三名
右被告四名訴訟代理人弁護士
中原海雄
被告
寅川六郎
同訴訟代理人弁護士
南谷知成
同
南谷洋至
被告
知覧町
同代表者町長
霜出勘平
同訴訟代理人弁護士
和田久
同
石走義宏
主文
1 被告乙川二郎、同丙山三郎、同丁田四郎、同戊野五郎及び同寅川六郎は、連帯して、
(1) 原告甲野一郎に対し、金二二四一万五四五一円及びこれに対する平成八年九月一八日から支払済みまで年五分の割合による金員
(2) 原告甲野花子に対し、金二二四一万五四五一円及びこれに対する前同日から支払済みまで年五分の割合による金員
をそれぞれ支払え。
2 被告知覧町は、被告乙川二郎、同丙山三郎、同丁田四郎、同戊野五郎及び同寅川六郎と連帯して、
(1) 原告甲野一郎に対し、金六六〇万円及びこれに対する平成八年九月一八日から支払済みまで年五分の割合による金員
(2) 原告甲野花子に対し、金六六〇万円及びこれに対する平成八年九月一八日から支払済みまで年五分の割合による金員
をそれぞれ支払え。
3 原告らその余の請求をいずれも棄却する。
4 訴訟費用は、原告らに生じた費用の二分の一と被告乙川二郎、同丙山三郎、同丁田四郎、同戊野五郎及び同寅川六郎に生じた費用の二分の一を同被告らの負担とし、原告らに生じた費用の七分の一と被告知覧町に生じた費用の七分の一を同被告の負担とし、原告らに生じたその余の費用と被告乙川二郎、同丙山三郎、同丁田四郎、同戊野五郎及び同寅川六郎に生じた費用の二分の一並びに同知覧町に生じた費用の七分の六を同原告らの負担とする。
5 この判決は、第1、2項に限り仮に執行することができる。ただし、被告寅川六郎について、同被告が九〇〇万円の担保を供するときは、その仮執行を免れることができる。
事実及び理由
第1 請求
1 被告らは原告甲野一郎に対し、連帯して金四六〇二万五七五三円及びこれに対する平成八年九月一八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 被告らは、原告甲野花子に対し、連帯して金四六〇二万五七五二円及びこれに対する平成八年九月一八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
本件は、当時中学生であった原告らの子が被告知覧町(以下「被告町」という。)を除く被告ら同級生(以下「被告同級生ら」という。)から継続的にいじめを受けた結果自殺したとして、原告らが、被告同級生らに対し、共同不法行為に基づき、中学校を設置管理する被告町に対し、いじめを防止すべき措置を怠ったなどとして国家賠償法一条一項に基づき、それぞれ損害賠償を求める事案である。
1 争いのない事実等(証拠で認定した事実には証拠番号を付す。)
(1)ア 原告ら
(ア) 原告らは、亡甲野太郎(以下「太郎」という。)の父母である。
(イ) 太郎(昭和五七年某月某日生)は、平成六年四月一日、被告町立○○中学校(以下「○○中」又は単に「学校」という。)に入学し、一年五組(担任・a、以下「a担任」という。)、平成七年四月一日から二年五組(担任・b、以下「b担任」という。)、平成八年四月一日から三年三組(a担任)にそれぞれ所属していた(甲53)。
イ 被告ら
(ア) 被告乙川(昭和五六年某月某日生)、同丙山(昭和五七年某月某日生)、同丁田(昭和五六年某月某日生)、同寅川(昭和五六年某月某日生)及び同戊野(昭和五七年某月某日生)は、太郎の○○中の同級生であった。
(イ) 被告町は、中学校を設置管理し、教育事務を行う地方公共団体で、太郎が自殺した当時、○○中の校長cをはじめとする教員らは、いずれも被告町の地方公務員であった。
(2) 太郎(当時満一四歳)は、平成八年九月一八日午後一時ころ(推定死亡時刻)、自宅近くの校区公民館の外壁の非常用はしごに自己の黄色い布製ベルトをかけて縊死(首吊り自殺)し、同日午後四時ころ発見された。
2 争点
(1) 被告同級生らは太郎の自殺について共同不法行為責任を負うか。
(原告らの主張)
ア 太郎に対するいじめ
(ア) 太郎の二年生時(平成七年四月〜平成八年三月)のいじめ
a 当時、○○中には、問題行動を起こす三年生の二つの集団(野球部やテニス部等の運動部員らの集団(通称「部活グループ」)と養護施設から通学していた生徒を中心とする集団(通称「学園軍団」)があった。
太郎は、二年生に進級後、部活グループ及び学園軍団から目を付けられて、その後、継続的に、殴られたり、タバコやお菓子等を買わされたり万引きを強要されるなどのいじめを受けるようになった。
b そして、太郎は、これと並んで、二年生進級後、被告同級生らのリーダー被告乙川から、殴られるようになり、また、夏休みの絵を描く宿題やスケッチ大会の絵を描かされるなどした。
c 太郎は、二学期終わりころから、休み時間になると被告乙川及び同丁田の所属する二年二組の教室に頻繁に呼び出され、被告同級生らから、取り囲まれて殴る蹴るの暴行(その態様は、拳で太郎の腹部を上から下、下から上に殴りつけたり、膝で太郎の太股を蹴り上げたり、踵落とし(踵を背中等めがけて上から強く落とすもの)や掌底(手の平の付け根で胸部等を強く叩きつける)等の苛烈なものであった。)を受けたり、他の生徒との喧嘩を強要されるようになった。
また、太郎は、被告同級生らから、タバコやジュースを買わされていた。
d 太郎は、二学期ころ以降、被告寅川から、廊下やトイレで通りすがりに肩や頭を殴るなどの暴行を受けるようになり、その暴行は次第にエスカレートしていった。
また、太郎は、同被告から、頻繁に自転車を壊されたり、ジュースやCDの購入を強要され、さらに、二学期後半ころから、登校時の同行を強要され、頻繁に遅刻した。
e このため、太郎は、次第に表情が暗く、怯えるような様子になり、三学期終わりころには、「同級生Bに対し、「もう死にたい。二年生からも三年生からもいじめられて、これ以上打たれたら死ぬ」などと、苦しい胸中を漏らしていた。
さらに、太郎は、二年生の終わりころから三年生四月ころにかけて、被告寅川から頻繁に電話で呼出しを受けるようになり、太郎の弟次郎が電話に出た時には「今から行っていいか。次郎殺そうか、おまえの兄ちゃんも一緒に殺していい?」などと脅迫された。
(イ) 太郎の三年生時(平成八年四月〜同年九月)のいじめ
a 太郎は、被告丙山及び同丁田と同じ三年三組に所属した。
太郎は、被告丁田及び同丙山(時折同寅川も)から、日常的にその教室内で殴る蹴るの暴行を受け、また、被告同級生らから、その溜まり場であった三年三組のベランダや部室前で、休み時間に日常的に暴行やたかりを受けていた。
b 太郎は、四月二五日、被告同級生らを含む一一人から、放課後、知覧町内の×△地区の防空壕跡地に連行され、被告乙川、同寅川、同戊野、同丙山や同級生Kから、こもごも執拗に腹部等を三〇分以上にわたり殴る蹴るの暴行を受け、深さ一m位の水路(殆ど水なし)に落とされた上にさらに殴られ、起きあがると、被告寅川から棒で後頭部を殴打され、意識を失うなどの凄惨な暴行を受け、いわば半殺しにされた(以下「×△事件」という。)。
c 太郎に対する被告同級生らのaのような暴行は、一学期の七月ころから頻繁になり、二学期当初の九月には更に苛烈になった。
d 太郎は、被告寅川、同丙山、同戊野らから、夏休み中、毎日電話や直接来訪を受けるなどして、執拗に呼び出され、弟の次郎がたまたま電話を受けた折りには、「今からぶっ殺しに行くぞ」などと脅迫された(もっとも、太郎は上記電話等には応じないで、息を潜めて自宅内に隠れていた。)。このため、太郎は、夏休み中、殆ど外出しなかった。
e 太郎は、八月二〇日の花火大会の際、被告寅川から二〇〇〇円をたかられ、さらに、タバコを買ってくるよう命じられた(なお、この時、同被告らは、太郎に対し、ドラム缶を投げつけたり鉄板バリの靴で蹴るなどの暴行を加える予定であったが、太郎がタバコを買いに行ったまま戻らなかったので、事なきを得た。)。
f 太郎は、被告丙山から、九月四日、部室前に呼び出され、同被告、同乙川、同寅川及び同丙山らから、こもごも腹部や頭部を殴る蹴るの暴行を受けた。
g 太郎は、九月五日、被告丁田からプラモデルの塗料を買ってくるよう命じられ、これに応じたが、購入した物が同被告の指示した物と違っていたので、同月七日に再び買直しを命じられたが、同月一〇日の時点でこれに応じていなかった。このため、太郎は、これを知った同被告や同丙山から、同日、三年三組のベランダで殴るなどの暴行を受けた。
また、太郎は、同寅川から同月八日に呼び出されていたのにこれに応じず、さらに同月九日に学校を欠席したので、同月一〇日、同被告から呼び出され、その所属する三年一組のベランダにおいて、腹部を殴るなどの暴行を受けた。
イ 太郎の自殺直前(平成八年九月九日〜同月一八日)の行動等
(ア) 太郎は、九月九日、学校に遅刻する時間に自宅を出たが、午前九時三〇分ころ、「お腹が痛い」といって自宅に戻ってきた。このため、仕事が休みで自宅にいた原告花子は、a担任に太郎の欠席を連絡をした。
(イ) 太郎は、同月一一日、前日(同月一〇日)に被告丁田から暴行を受けていたので、生徒手帳に「一一日欠席」と書いて自ら押印し、友人にこれを渡して欠席した。
(ウ) 太郎は、同月一二日、一三日、原告らに無断で学校を欠席し、原告花子が昼食のために帰宅した際には、自宅の押入れや近くの公民館に隠れていた。
(エ) 太郎は、同月一六日(同月一四日から同月一六日までは連休)、川辺町の公民館で実施された模擬テストを受験したが、翌一七日、原告らに無断で学校を欠席した。
a担任は、同日夕方、太郎宅に電話し、原告花子に最近太郎の欠席が多い旨伝え、太郎の様子を確認した。
原告らが太郎から事情を聴くと、同月一〇日に被告寅川、同丁田、同丙山から打たれ、その場に同乙川がいたとのことであった。
そこで、原告らは、同丁田及び同乙川方に電話を掛けたところ、不在であったが、同寅川方とは連絡が取れ、同寅川が両親を伴い原告ら方を訪れた。当初、同寅川は太郎に対する暴行を否定していたが、最終的にはこれを謝罪し、太郎は同寅川と仲直りの握手をさせられた。
原告花子は、a担任に対し、同日夜、その顛末を説明した。
(オ) 太郎は、翌一八日、原告らに無断で学校を欠席し、被告同級生らによるいじめが原因である旨の遺書を残し、自殺した。
ウ 太郎は、被告同級生らから、上記のような長期間にわたる継続的で執拗かつ冷酷で集団的な、また、重大悪質ないじめ(共同不法行為)を受け、肉体的にも精神的にも追い詰められ、逃げ場を失い、絶望に陥り、自殺に追い込まれたものである。
本件のように、社会生活上許容できない悪質、重大ないじめにより被害生徒が自殺した場合、自殺は通常損害に当たるというべきであるから、太郎の自殺は、被告同級生らの共同不法行為による通常損害に当たる。
しからずとしても、被告同級生らは、太郎が、社会生活上許容できない悪質、重大ないじめにより、肉体的、精神的に追い詰められて自殺することは容易に予見可能であったから、上記共同不法行為と太郎の自殺との間には相当因果関係があるというべきである。
エ したがって、被告同級生らは、太郎の自殺については、共同不法行為責任を負う。
(被告同級生らの主張)
ア 加害行為について
(ア) 被告乙川
a 中学二年生時(平成七年四月〜平成八年三月)
同被告は、被告同級生らのリーダーではないし、中学二年生時を通じて、太郎に対し暴行を加えたことはない。
b 中学三年生時(平成八年四月〜同年九月)
同被告は、×△事件に参加したが、太郎に対し暴行を加えていない。
また、同被告は、九月四日、太郎に対し暴行を加えたが、せいぜい二ないし三回位であった。
(イ) 被告丙山
a 中学二年生(平成七年四月〜平成八年三月)
同被告は、中学二年生時を通じて、太郎に対し暴行を加えたのは数回程度に過ぎず、頻繁に暴行を加えてはいない。
b 中学三年生時(平成八年四月〜同年九月)
同被告が三年生進級当初に太郎を殴ったのは部室前で一回だけである。同被告は、日常的に太郎に対し暴行等を加えておらず、せいぜい三年生時を通じて、五ないし六回程度に過ぎない。
因みに、同被告は、×△事件の際、太郎を殴ったのは一回に過ぎないし、また、九月四日、部室前で太郎に暴行を加えたが、それ程激しいものではなかった。
(ウ) 被告丁田
a 中学二年生(平成七年四月〜平成八年三月)
同被告は、中学二年時を通じて、太郎に対し暴行を加えたのは二ないし三回位に過ぎず、日常的に暴行を加えてはいない。
b 中学三年生時(平成八年四月〜同年九月)
同被告は、太郎と同じクラスになったが、せいぜい、仲間とゲームをした際、太郎がインチキをした時に冗談でその背中や肩を叩いたに過ぎず、毎日のように太郎に対し暴行を加えてはいない。
また、同被告は、×△事件の際、現場にいたが、太郎に対し暴行を加えていない。
同被告は、九月四日と同月一〇日、太郎に対し暴行を加えたが、九月四日の暴行はどさくさまぎれに一回殴っただけである。
(エ) 被告戊野
a 中学二年生(平成七年四月〜平成八年三月)
同被告は、中学二年生時を通じて、太郎に対する暴行の現場にいたことはあるが、太郎に対し暴行を加えたことはない。
b 中学三年生時(平成八年四月〜同年九月)
同被告が太郎に対し暴行を加えたのは、×△事件のときだけである。しかし、これは、暴行を加えないと、同被告自身が殴られる可能性が強く、他の被告らから促されたことによるもので、積極的、自主的なものではない。
また、同被告は、九月四日の太郎に対する暴行の現場にいたが、太郎に対し暴行を加えていない。
(オ) 被告寅川
a 中学二年生(平成七年四月〜平成八年三月)
同被告は、太郎に対し、二学期ころから暴行を加えたこと、三学期ころ、二年二組の教室で、被告同級生らと暴行を加えたこと、春休み中たまに遊びの誘いの電話を掛けたことはある。
ただ、同被告は、中学一年生時、太郎と登校していたが、二年生後半ころに太郎と登校することは稀であった。
b 中学三年生時(平成八年四月〜同年九月)
同被告は、×△事件の際、太郎に対し暴行を加えたが、他の被告らに率先して暴行を加えたわけではない。また、太郎を殴った棒は、すぐに折れるようなものであった。
同被告は、花火大会(八月二〇日)の際、太郎から五〇〇円もらったこと、太郎にタバコを買いに行かせたこと、太郎に暴行を加える計画を立てたことはある。
また、同被告は、九月四日と同月一〇日、太郎に対し暴行を加えた。
c 太郎の自殺直前の行動
同被告とその両親は、九月一七日の夜、原告花子から連絡を受けた後、太郎宅を訪れて謝罪した。最後に同被告の母が、同被告と太郎を握手させたが、これは、二人が仲良くして欲しいと心底願ってのことである。
イ 被告同級生らの加害行為と太郎の自殺との間の相当因果関係について
(ア) 原告一郎は、太郎の自殺前日(平成八年九月一七日)、太郎を叩いて学校で太郎に暴行を加えた生徒の名前を白状させ、その後、連絡の取れた被告寅川とその両親が謝罪に訪れ、太郎と同被告とを握手させた後、太郎に説教した。
そして、原告花子は、太郎の自殺当日(同月一八日)の朝、学校を渋る太郎に登校を命じ、さらに、太郎の自殺直前の午後零時過ぎころ、自宅近くで太郎を発見し、太郎がベルトを首に巻いて首を吊るまねをして「お母さん、僕自殺するからね。」と訴えたにもかかわらず、とりあわず、太郎を放置し、その直後に太郎は自殺した。
このように、原告らは、太郎の心情を汲むことなく、太郎を精神的に追い込み、突き放したもので、自殺直前の原告らの言動が太郎の自殺に大きく寄与している。
(イ) 被告同級生らは、かかる原告らの言動が太郎の自殺に介在していたことは予見できず、太郎の自殺を予見できなかった。また、太郎の自殺は、×△事件から約五か月後であり、その後に被告同級生らが太郎に対し苛烈な暴行を加えたことはない。
したがって、被告同級生らの加害行為と太郎の自殺との間に相当因果関係はない。
(2) 被告町は太郎の自殺について国家賠償法一条一項の責任を負うか。
(原告らの主張)
ア 公立学校の教員は、学校教育活動及びこれに密接に関連する生活関係において、生徒が平穏な学習環境の中で安心して学習に専念できるよう暴力行為等を含むいじめを防止し、いじめ対象生徒の生命、身体等の安全を確保し、いじめが加えられないよう適切な配慮、指導等を行い、いじめを事前に防止すべき注意義務を負う。
とりわけ、近時、いじめは単独あるいは複数のリーダーを中核とする不特定多数の者により集団的に行われ、継続的、執拗かつ残忍で歯止めがなく、その結果、被害生徒を自殺に至らしめることもある。また、いじめは、隠れてなされることが多く、いじめを受ける生徒は、報復等を恐れて学校側にいじめを申告しないことも多い。
したがって、学校側は、このようないじめの特質を踏まえて、日頃から生徒の動向を観察し、生徒やその家族等からいじめ等の被害申告があった場合のみならず、あらゆる機会を捉えていじめが行われていないかについて注意し、その徴表がある場合には、関係生徒や保護者等から事情を聴くなどしていじめの実態を把握して、その実態に応じていじめやいじめによる自殺等を防止すべき義務がある。
イ 太郎に対するいじめへの○○中の対応等
(ア) 太郎の中学二年生時(平成七年四月〜平成八年三月)
a 上級生の太郎に対するいじめへの対応等
(a) 太郎は、二年生進級後、部活グループと学園軍団から目を付けられて、部活動(バスケット部)の練習中や練習後に部活グループから呼び出されて、継続的に殴るなどの暴行を受け、また、学園軍団から、二年生時を通して、殴るなどの暴行を受けたり、タバコ、お菓子等を買わされたり万引きを強要されていた。
(b) 太郎の同級生Aは、その担任のE教諭に対し、一学期の七月ころ、太郎も含めて三年生にいじめられているなどと話し、太郎の名前を出した。b担任は、E教諭から、太郎も三年生から万引きを強要されたことを聞いたので、七月ころ、太郎宅を家庭訪問し、その際、原告花子に対し、太郎が三年生から暴行を受けたりたかりに遭っている旨話し、太郎に事情を質した。太郎は当初渋っていたが、暴行を受けたこと、万引きを強要されたことやお金をたかられたことなどを泣きながら打ち明けた。
b担任は、太郎の話を聞いて、責任を持ってお金を返させると話したものの、その後、取られた金額を原告花子に連絡し、生徒指導主任のd教諭(以下「d主任」という。)に報告しただけで、なんら対応しなかった。
(c) また、太郎は、一学期の六月ころ、三年生から同級生Yと呼び出され、違反服やカセットを買うよう強要され、その後、Yは、三年生から、代金を支払わないとして殴られたため、f教諭に事情を訴えた。太郎は、b担任から事情を聴かれたが、b担任は、原告花子に太郎が同級生に違反服を買うよう強要したかのように伝えたため、原告花子は太郎が三年生からいじめられていることを知らず、太郎が悪いことをしたものと考え、一学期の通知表に反省文を書いた。
(d) 七月ころの○○中の生徒指導の月例報告には、太郎が学園軍団の三年生からお金をたかられたりタバコを買わされたりしたケース四件が記載され、被害者として太郎も挙げられていたにもかかわらず、太郎のb担任への訴えは何も記載されておらず、○○中は知覧町教育委員会へ太郎が自殺するまで事件を報告しなかった。
(e) 太郎は、原告花子に対し、二学期の一〇月ころ、下校時に三年生が待ち伏せしているので迎えに来て欲しいと怯えた様子で電話で訴えた。原告花子は、b担任に太郎からの電話の内容を伝えたところ、b担任は、太郎を探すべく市街地方面に車を走らせて、太郎と三年生が話しているところを見つけ、事情を聴くと、三年生が太郎にその所持するトレーナーを売るよう声を掛けたとのことであった。
しかるに、b担任は、いじめを窺わせる事情を認識しながら、原告花子に対し、三年生には指導しておいた旨報告しただけで、その後太郎から詳細に事情を聴くなどの対応を何もしなかった。
(f) 太郎は、三学期、同級生Bと部活グループの三年生から殴るなどの暴行を受けた。Bは、b担任から呼ばれて部活グループからいじめられていないかを尋ねられたので、お金をたかられたりしていることや太郎も同様の被害に遭っていることを話したが、b担任は、お金を返させると言っただけで、その後何も対応しなかった。
(g) このように、太郎が二年生時、部活グループと学園軍団という問題行動を取る三年生のグループがあることは周知の事実で、○○中の教員らは、太郎の同級生から、太郎をも含めて三年生から暴行等を受けた事情を聴き、また、b担任も太郎から個別に事情を聴いていたから、b担任を含む○○中の教員らは、太郎が三年生からいじめられていたことを認識していた。
b 被告同級生らの太郎に対するいじめへの対応等
(a) 太郎は、二年生三学期開始直後、被告乙川から、二年二組の廊下で、Yとボクシングをするよう強要され、b担任は、これを見ていた。b担任は、その翌日ころ、Yにいじめられていないかと尋ね、同戊野を除く被告同級生らから殴られたことなどの事情を聴いたが、その後何も対応しなかった。
(b) 太郎は、二年生後半ころから、遅刻が多くなった。b担任は、太郎の遅刻がひどく改まらないので、生活の様子を考えたいとして、太郎に、生活時間をノートに記載して提出させるようになった。
(イ) 太郎が中学三年生時(平成八年四月ないし同年九月)の被告同級生らのいじめへの対応等
a 太郎は、二年生の終わりから三年生の四月ころにかけて、被告寅川らから頻繁に電話で呼出しを受けるようになったが、原告花子に太郎宛の電話が掛かってきても不在と伝えて欲しいと懇願したので、原告花子は、太郎が不在である旨対応していた。このため、原告花子は、四月二二日のa担任の家庭訪問の際、太郎が同被告らから呼び出されて嫌がり困っていることを打ち明けたところ、a担任は、被告乙川、同丙山、同寅川、同丁田らの名前を挙げて、太郎をこれらの生徒に近づかせないで欲しいと述べるにとどまり、被告同級生らの太郎に対する仕打ちについてなんら調査等せず、ただ、全校の朝会において、d主任が、全校生徒に対し、他人の家には余り電話を掛けないよう注意したに過ぎなかった。
b 太郎は、一学期、被告同級生らからのいじめを怖れて、遅刻を繰り返していた。a担任は、太郎から遅刻の理由を聞いて対処するなどの対応をとらなかったばかりか、罰として太郎に職員室の掃除を命じていた。
c ○○中内では、×△事件後にそのことが噂になっていたから、○○中の教員らも×△事件のことを知っていたはずである。
d 太郎は、七月ころの給食の時間、被告丁田から給食のデザートを横取りされ、デザートをなくした。a担任は、理由も聞かず、太郎が先にデザートを食べたものと決めつけ、太郎を廊下に連れ出して殴りつけた。
e 太郎は、二学期当初の九月九日、登校途中で腹痛を訴えて自宅に戻り、原告花子を通じて欠席の連絡をしたが、a担任は、腹痛の原因を確認しなかった。また、a担任は、同月一一日から同月一三日まで、太郎が無断で欠席したにもかかわらず、原告らに対し、これを連絡しなかった。
f a担任は、原告らに対し、九月一七日、太郎が無断で欠席したことを連絡し、原告花子から、その後、被告寅川が両親を伴い謝罪した旨の報告を受けただけで、直ちにその実態を調査をしたり太郎宅を家庭訪問するなどの対応をとらず、翌一八日に同丁田及び同丙山を呼んで、太郎に対する暴行の事実を確認し、太郎に謝罪するよう指導しただけであった。
ウ 被告同級生らの太郎以外の生徒に対する問題行動への対応等
(ア) 被告同級生らの一年生時(平成六年四月〜平成七年三月)
被告乙川は、一学期、同級生二人と同級生M1に対し、授業中、音楽準備室において胸部や腹部を殴るなどの暴行を加えた。
また、同寅川は、M1に対し、一年生の間、継続的に暴行を加えたり、所持品を壊したりするなどし、その際、同被告の担任が、同被告が暴行を加えたところを目撃し、また、M1の保護者がいじめの件で学校に相談していた。
(イ) 被告同級生らの二年生時(平成七年四月〜平成八年三月)
a 被告寅川は、一学期ころ、K及びH1に暴行を加えたり、お金をたかったり、自転車を壊したりした。g教諭は、同被告の暴行を目撃したこともあり、Kに同被告からいじめられていないかと尋ねただけで、何も対応しなかった。
このように、○○中の教員らも、遅くとも二学期ころには、同被告が同級生らに対し暴行等を加えていたことを認識していた。
b 被告乙川は、九月ころ、同級生D1の首を手刀で殴り、一時的に下半身麻痺に陥らせ、救急車で病院に搬送される事件を起こしたが、○○中は、同被告にD1への謝罪をさせただけで、特に指導等しなかった。
c 被告同級生らは、二学期ころから、二年二組の教室で、H1及びYを呼び出し、頻繁に殴るなどの暴行を加えていた。b担任は、太郎のボクシングの相手を強要されていたYから、被告戊野を除く被告同級生らから殴られたことを聴いたので、同丙山に太郎やその同級生に対する暴行の有無を確認したにとどまり、その後何も対応しなかった。
また、b担任とh教諭は、二年生二学期ころ、目撃した生徒から、H1が被告同級生らから暴行を受けたことを聞き、H1からも事情を聴いて、被告同級生らの集団暴行について認識していたが、何も対応しなかった。
d 被告同級生らは、喫煙の件で、保護者共々数回にわたり○○中から指導を受けていた。
(ウ) 被告同級生らの三年生時(平成八年四月〜同年九月)
a 被告同級生らを含む三年生一〇人が、二年生三学期の三月ころから三年生の四月ころにかけて、二年生一二人(延べ人数)に対し、集団暴行を加えていた。
○○中は、遅くとも六月ころにはこれらの事実を把握したにもかかわらず、関係当事者を学校に呼んで謝罪をさせたにとどまり、さらなる被害調査等や、いじめ防止の全校的な取り組みをしなかった。
b 被告寅川は、一学期、教室のベランダで、H1を箒で血だるまになるまで殴り、a担任に目撃されたが、a担任らは、特に指導等しなかった。
また、同被告は、四月二六日、H1を武道館付近に呼び出し、竹刀で殴ったが、これを目撃した他の生徒の通報により、H1の担任g教諭の知るところとなった。また、同教諭は、同被告のKに対する暴行を目撃したにもかかわらず、同被告に特に指導等をしなかった。
c 被告戊野とKは、六月二〇日、以前から同寅川から暴行を受けており、同被告から逃れるため家出し、同月二一日に熊本市内で保護された。直ちに報告を受けたc校長やi教頭らは、Kから、家出の原因が被告寅川であることを聞いたが、その後、なんら調査等しなかった。
d 被告丁田の父は、六月八日、同被告の喫煙や同被告らが豊玉姫神社からテレホンカードを盗んだことを知り、これを○○中に報告し徹底調査を申し入れたが、○○中は何も対応しなかった。
e 被告寅川は、夏休み中の八月二六日、同級生S1らと、Kの眉毛を剃り落とし、ソリコミを入れた。このため、Kの父は、直ちに傷害事件として警察署に告訴し、○○中にも報告したが、○○中は何も対応しなかった。
f 二年生二名が、九月八日、被告同級生らから追われて商店に助けを求める事件があったが、通報を受けて駆けつけたi教頭らは、その後、何も対応しなかった。
(エ) このように、被告同級生らのいじめは、二年生ころから、太郎以外の生徒にも及んでおり、○○中の教員らは、これらの事実を生徒から聞いたり目撃して把握していたにもかかわらず、被告同級生らに対する適切な指導を怠り、被告同級生らによるいじめの実態調査や防止措置等を講じなかった。
エ 以上のように、○○中の教員らは、遅くとも
① 太郎の二年生一学期終わりころ(平成七年七月ころ)までに、太郎やその同級生らからの事情聴取により、太郎が三年生からいじめを受けていたことを認識していた
② しからずとしても、遅くとも太郎の二年生三学期ころ(平成八年三月ころ)までに、太郎やその同級生らからの事情聴取や太郎の遅刻が増えてきたことなどにより、太郎が被告同級生らや三年生からいじめを受けていたことを認識していた
③ しからずとしても、太郎の三年生八月(平成八年八月ころ)までに、家庭訪問の際の原告花子の訴え、太郎の連日の遅刻や被告同級生らの下級生に対する集団暴行等から、太郎が被告同級生らからいじめられていたことを認識していた
④ 太郎の自殺直前(平成八年九月ころ)までに、太郎の無断欠席や自殺前日の被害申告などにより、太郎が被告同級生らからいじめを受けていたことを認識していた
にもかかわらず、その場限りの指導に終始し、太郎に対するいじめの実態把握とその防止を怠り、被告同級生らの太郎に対するいじめを放置した過失がある。
オ そして、○○中の教員らは、太郎に対する社会生活上許容できない悪質、重大ないじめが継続し、その結果、太郎が精神的に追い詰められていた状況にあること(いじめによる自殺の場合の相当因果関係の予見可能性の対象は、自殺まで必要ではない。)を予見し又は予見可能であったから、上記過失と太郎の自殺との間に相当因果関係があるというべきである。
しからずとしても、○○中の教員らは、様々な事情から、太郎の自殺を予見し、又は予見可能であったというべきであるから、上記過失と太郎の自殺との間に相当因果関係があるというべきである。
カ したがって、被告町は、太郎の自殺について、国家賠償法一条一項の責任を負う。
(被告町の主張)
ア 太郎の二年生時(平成七年四月〜平成八年三月)の○○中の対応等
(ア) ○○中の教員らには、太郎が三年生から継続的に暴行やたかりを受けたり、タバコを買わされたり、万引き等を強要されていたことは判明していないし、太郎の死亡後の調査でもこれらは明らかにはなっていない。
(イ) b担任は、七月ころ、他の教員から、太郎の同級生が三年生から万引きを強要され、太郎も同様の被害に遭っている旨の話を聞いたので、太郎宅を訪問し、太郎から、三年生から万引きや喧嘩をさせられたり、殴られたとの事情を聴いたが、いじめられているとの話までは出ず、偶発的な事件としか考えられなかった。
そこで、b担任は、○○中の学年部、生活指導部会に事実を報告し、加害者の三年生については、三年部の教員が事実関係を調査した上、保護者来校相談を行い、再発防止について指導した。
(ウ) b担任は、一〇月ころ、原告花子から、太郎が三年生から学校の自転車小屋で待ち伏せされていると電話を掛けてきたとの連絡を受けたので、直ちに自転車小屋に赴き、その場にいた生徒から事情を聴き、その後、市街地において、太郎と該三年生を発見し、三年生から事情を聴くと、太郎にトレーナーを売るよう持ち掛けたとのことであった。b担任は、該三年生に対し、生徒間での売買をしないことや金品のやりとりはトラブルの元になることなどを指導をした。
因みに、その際、三年生の太郎に対する暴行等の事実はなかった。
(エ) ○○中の教員らには、太郎が被告同級生らから反復継続的に暴行等を受けていたことは判明していない。
イ 太郎の三年生時(平成八年四月〜同年九月)の○○中の対応等
(ア) ○○中の教員らが、被告同級生らによる太郎に対するいじめの各行為を把握したのは、いずれも太郎の自殺後の調査によってである。
○○中の教員らは、休み時間中に教室、部室、ベランダ等に巡視していたが、太郎に対するいじめを目撃していない。
(イ) a担任は、四月下旬の家庭訪問の際、原告花子から被告寅川らからの呼出電話のことで相談を受けたが、これは、原告花子から、太郎が遊びの誘いの電話に応じないで遊びたがらないとの趣旨であった。また、a担任は、原告花子に対し、太郎を同被告らに近づかせないよう注意したが、これは、喫煙する生徒のグループに近づかせないようにとの趣旨で注意したもので、太郎に対する暴行のことは念頭になかった。a担任は、機会を見て太郎に声を掛けて様子を聞いていたが、特に変わったことはないとのことであった。
その後、d主任が、○○中の全校集会において、いたずら電話等をしないよう指導している。
(ウ) 太郎は、一学期に時々遅刻していたが、その原因は朝寝や自転車の故障とのことであった。a担任は、その都度、原告らに対し、連絡用紙で太郎の遅刻を連絡し、原告らから気をつけさせますとの返事を得ており、被告同級生らを怖れて遅刻するなどの事情は窺えなかった。
a担任が遅刻した太郎に職員室を掃除させたのは、罰としてではなく、早い時間から掃除させることで遅刻を妨げるとの配慮に出たものである。a担任は、太郎に注意したり声を掛けたりして、特に他の生徒と区別した対応をしていない。
また、a担任がデザートの件で太郎に指導したのは、他の同級生がなくしたデザートが太郎の机の中にあったため、a担任が太郎に隠したのかと尋ねたところ、太郎がこれを肯定したことによるものである。
(エ) a担任は、九月九日、原告ら方に電話して、太郎の欠席の原因が自転車の故障と腹痛にあると確認している。
(オ) a担任は、太郎が無断で欠席した同月一一日から同月一三日までの間、いずれも太郎宅に電話したが、不在であった。
(カ) a担任は、太郎の自殺前日(九月一七日)、太郎が無断で欠席していたので、太郎宅に三回電話を掛けたが、夕方になって連絡が取れ、太郎の欠席を報告し、原告花子と太郎と話をし、明日は学校に行くとのことであった。a担任は、同日午後九時ころ、原告花子から電話をもらい、同月一〇日に太郎が被告寅川、同丙山、同丁田から殴られたこと、同寅川がその両親と太郎宅を訪れて謝罪し仲直りしたとの報告を受け、明日から太郎を学校に行かせるので、欠席したら夕方にでも電話をくれるよう依頼され、その際、太郎や原告らから、いじめを受けた旨の申告はなかったので、上記事件は解決したものと考えた。
a担任は、翌一八日、太郎が登校しなかったので、朝と昼休みに太郎宅に二回電話を掛けたが、不在であった。一方、a担任は、同日、学年部(三年)に上記顛末を報告し、同丁田らから事情を聴取すると、太郎を殴ったことを認めたので、同被告らを説諭し、再発防止を誓わせた。
ウ 被告同級生らのその他の問題行動についての○○中の対応等
(ア) ○○中の教員らは、平成八年六月ころ、被告同級生らが二年生に対し暴行等を加えたことを把握したが(ただし、太郎は被害者に含まれていなかった。)、その際、関係生徒や保護者らを呼んで来校相談を行い、事件の概要を説明し、再発防止についての話し合いを行い、被告同級生らに謝罪させた。
(イ) 被告戊野とKが熊本に家出した件について、両者は、親が厳しかったことも理由の一つとしており、○○中の教員らは、家庭訪問するなど誠意を持って対応した。
(ウ) 被告丁田らが豊玉姫神社でテレホンカードを盗んだ件について、同被告らは、当初、拾ったものと弁解しており、太郎の自殺後の調査の結果、盗んだものであることが判明した。
(エ) また、Kが被告寅川から眉をそられた件について、Kの担任は、直ちにi教頭に報告し、○○中は、関係生徒の所属中学校(他校)に調査を依頼し、三年生の二学期の始業式にKや他の加害生徒から事情を聴いて、同被告らの両親に事案の概要を説明し、Kに謝罪するよう指導した。
エ ○○中の生徒指導態勢等
(ア) ○○中は、毎週火曜日に生徒指導部会(校長、教頭、生徒指導主任、各学年担任教師二〜三名、養護教諭らで組織されている。)を開催しているが、その席上、太郎へのいじめの事例は報告されておらず、太郎に対する暴行等の事実は、×△事件も含めて太郎の自殺後の調査で判明したものばかりである。
(イ) ○○中は、別紙「生徒指導の取組み状況」記載のとおり、全校集会等においていじめについて生徒指導の取り組みを行ってきた。
(ウ) ○○中では、教員が休み時間に教室や部室等を巡視しており、その際にいじめを認知したことはなく、また、太郎や原告らからもいじめについての具体的な申告もなかった。
オ いじめは、元々陰でなされ、被害者から申告されにくく、仮に表面化した事実からいじめの存在が疑われる場合でも、その原因、態様、程度を調査しようとしても、加害者及び被害者がともに事実を否定する傾向にあり、その実態を把握することは殆ど不可能で、教育上の配慮から調査にも限界がある。
○○中の教員らが認知していた事実に照らすと、太郎に対する継続的かつ反復的な重大かつ悪質ないじめの兆候は存在せず、いじめの存在を把握することは不可能であった。○○中の教員らは、事件が判明した都度、即時にこれに対処し、当事者から事情を聴取し、関係者の保護者を呼んで来校相談を行い、生徒に対する説諭、保護者に対する再発防止についての指導等可能な限りの対応をしたから、なんら過失はない。
その上、○○中の教員らは、太郎の自殺を窺わせる事情を認識しておらず、かつ、認識することもできなかったから、太郎の自殺を予見することは不可能であり、○○中の教員らの対応と太郎の自殺との間に相当因果関係もない。
(3) 原告らの損害
(原告らの主張)
原告らは、被告らの不法行為により、以下の損害を受けた。
ア 太郎の損害
(ア) 逸失利益 四一八五万一五〇五円
太郎は、死亡時満一四歳で、自殺しなければ少なくとも満一八歳から満六七歳までの四九年間、就労による収入を取得できたはずであるから、その逸失利益は、平成七年度の男子労働者全年齢平均賃金五五九万九八〇〇円を基礎収入として、生活費控除五〇%、中間利息控除を年五%のライプニッツ方式により算定すると、その逸失利益は、四一八五万一五〇五円である。
5,599,800×(1−0.5)×(18.4934−3.5459)=41,851,505
(イ) 太郎の慰謝料 三〇〇〇万円
(ウ) 原告らは、法定相続分に従い上記(ア)(イ)を相続したから、原告一郎の相続分は三五九二万五七五三円、同花子の相続分は三五九二万五七五二円となる。
イ 原告ら固有の損害
(ア) 葬儀費用 一二〇万円(原告らそれぞれ六〇万円)
(イ) 慰謝料 一〇〇〇万円(原告らそれぞれ五〇〇万円)
(ウ) 弁護士費用 九〇〇万円(原告らそれぞれ四五〇万円)
ウ 以上合計 原告一郎 四六〇二万五七五三円
原告花子 四六〇二万五七五二円
(被告同級生ら及び被告町の主張)
上記(1)イ(ア)主張のとおり、太郎の自殺には、自殺直前の原告らの言動等も大きく寄与しており、相当程度の過失相殺がされるべきである。
第3 争点に対する判断
1 太郎の自殺に至る経緯等
(1) 太郎の○○中入学前後の状況等
太郎と被告寅川、同戊野及びKは○○小学校の同級生で、小学校時代、同戊野やKが元気だった太郎について回り、同寅川は、太郎と同じソフトボールの少年団に所属し、時には喧嘩をしたものの、太郎とは仲が良かった。
太郎らは、平成六年四月○○中に入学した後も一緒に登下校するなど比較的仲が良く、太郎、被告戊野及びKはバスケット部に入部した。
また、被告乙川、同丙山及び同丁田は、×△小学校出身で○○中入学後に太郎の同級生となり、同丁田は太郎と同じバスケット部に入部した(甲7、9、14、41の13・14・20、44の14、53、115、116、証人p17、18、540〜543)
(2) 太郎の中学一年生時(平成六年四月〜平成七年三月)の状況等
ア 太郎はa担任の一年五組、被告乙川及び同寅川は一年一組(担任・f教諭)、同丁田は一年二組(担任・e教諭)、同戊野は一年三組(b担任)、同丙山は一年四組(担任・j教諭)で、太郎と被告同級生らはいずれも別クラスであった(甲53)。
イ 太郎は、同級生やa担任から見ても明るい存在で、太郎の通知表の連絡事項欄(a担任から原告ら宛)には、
一学期「とても明るい存在です。落ち着きがないことはしばしばあり、集中力が欲しいです。(以下中略)」
二学期「あいかわらず落ち着きのなさが目立ちます。(中略)。持ち前の明るさで学習への意欲を高め、努力されることを期待します。」
と記載され、通知表の行動記録欄の「明朗・快活」の項目には、二学期と三学期に○が付されていた(甲2、6、14、16、18、19、47の1)。
ウ 太郎が一年生時に欠席したのは、インフルエンザによる出席停止の一日だけであった(甲47の1)。
(3) 太郎の中学二年生一学期(平成七年四月〜七月下旬)の状況等
ア(ア) 太郎はb担任の二年五組、被告丙山は二年一組(担任・e教諭)、同乙川及び同丁田は二年二組(担任・f教諭)、同寅川は二年三組(担任・g教諭)、同戊野は二年四組(a担任)で、太郎と被告同級生らはいずれも別クラスであった(甲53)。
(イ) 太郎は、明るくひょうきんで楽しい存在として、同級生からも好かれていた(証人q243〜245)。
(ウ) 被告同級生らのうち、被告戊野を除いた被告乙川、同丁田、同寅川及び同丙山は、次第に行動を共にするようになり、遅くとも一学期ころにはグループを形成していた(甲4、6、7、9、11、12、14、16、112〜116、証人q110〜125)。
イ 三年生の太郎に対する暴行等
(ア) 当時の三年生には、二つの問題行動を起こすグループ(運動部に所属する生徒のグループ(「部活グループ」と呼ばれていた。)と、養護学校から通学していた生徒を中心とする五人位のグループ(「学園軍団」と呼ばれていた。))があった。
そして、両グループは、目立った下級生を呼び出して、殴るなどの暴行を継続的に加え、被告乙川にも暴行を加えたことがあった(甲2、3、5、6、9〜11、13〜19、112〜115、証人q22〜32、424〜431、同r41〜63、同p44、45)。
(イ) 太郎は、二年生に進級した当初、部活動終了後に部活グループの一人から呼び出されて腹部等を殴られ、その後も部活グループから何度も呼び出されていた(甲9、41の14、116、証人p40〜54)。
(ウ) また、太郎は、学園軍団等からも目を付けられて、
① 六月一七日ころ、学園軍団の三年生一人から、A及びBと知覧町内の日吉神社に呼び出され、Aと喧嘩をさせられた上に万引きを強要されたため、自分のお金でパンを買い、飴を万引きして、これを該三年生に渡し
② 六月中旬ころ、A及びBとの下校時、学園軍団の四人から呼び止められて二〇〇〇円出すよう強要されたり、腹部を殴るなどの暴行を受け
③ 六月中旬ころの放課後、学園軍団の一人から図書室において、二〇〇円持ってくるよう命じられたため、友人からこれを借りて該三年生に渡し
④ 六月下旬ころ、三年生五、六人から、A、B及びYと学校の自転車小屋裏の藪の中に呼び出され、タバコを買ってくるよう強要され、他の同級生は殴るなどの暴行を受け
⑤ 六月下旬ころ、三年生一人から、Yと学校の自転車小屋裏の藪の中に呼び出され、ゲームカセットを買うよう強要され
⑥ 六月下旬ころ、学園軍団の一人から、木刀でおしりを殴られたり、違反ズボンを買うよう強要される
など、頻繁に休み時間や放課後に呼び出され、タバコやジュース等を買うよう強要されたり、暴行を受けた(甲9、10、14、20、80、81、乙イ6、証人q40〜47、96〜108、同b29〜43、64〜85、弁論の全趣旨)。
(エ) b担任は、一学期の終わりころ、太郎と同様の被害に遭ったAの担任e教諭から、太郎も被害にあったことを聞きつけ、その日の夕方、太郎宅を家庭訪問し、太郎に、三年生から喧嘩や万引きを強要されていないかと尋ねた。その歳、太郎は、当初渋っていたが、加害生徒の名前を出し、被害事実を申告した。
しかし、b担任は、その後、特に上記事件について個別に対応しなかった(後記3(1)イ認定事実)。
ウ 太郎の一学期の通知表の行動記録欄の「明朗・快活」の項目には、○が付されていた(甲47の2)。
(4) 太郎の中学二年生の夏休み(平成七年七月下旬〜八月)の状況等
太郎は、被告乙川に命じられて、夏休みの美術の課題の絵を同被告の分まで作成した(甲20、112)。
(5) 太郎の中学二年生二学期(平成七年九月〜一二月)の状況等
ア 三年生の太郎に対する暴行等
(ア) 太郎は、一〇月ころの土曜日の放課後、三年生から学校の自転車小屋で待ち伏せされ、その後、通学路上で三年生一人からトレーナーをたかられそうになった。太郎が原告花子に電話で待ち伏せされていることを訴え、原告花子から連絡を受けたb担任は、太郎を探し、たかりの現場を発見したが、その後、太郎から事情等を聴くなどの個別の対応をとらなかった(後記3(1)ウ(ア)認定事実)。
(イ) 太郎は、二学期になっても、学園軍団から呼び出され、また、二学期の終わりか三学期ころ、部活グループの四人からBと呼び出され、殴られたり、蹴られるなどの暴行(バットでの殴打行為もあった。)を受けるなど、太郎に対する三年生の暴行等は、依然続いていた(甲14、18)。
イ 被告同級生らの太郎に対する暴行等
(ア) 太郎は、九月末から一〇月初旬ころ、被告寅川、同戊野及びKと知覧町内の平和公園で遊んでいるとき、同寅川から、最近むかつくなどとして、顔や腹を何度も一方的に殴られ、それまで同寅川から暴行を受けていたKの気持ちが分かると話すと、これに立腹した同寅川からさらに殴られたり蹴られたりした。なお、太郎は小学校時代は遊び仲間の被告寅川を連れ回すなど、元気がよく、同被告と対等に付き合っていたが、中学二年生時ころから、次第に体力の優ってきた同被告を意識的に避けるようになっていた(甲9、41の14・20、証人p413、414)。
(イ) 太郎は、被告寅川から、廊下での通りすがりに肩や頭を叩かれるなどの暴行を継続的に受けるようになった(甲2、9、19、20、証人q261〜265)。
(ウ) 太郎は、一二月ころから、被告同級生らから(ただし、被告戊野はたまに)、昼休みに頻繁に二年二組の教室に呼び出され、休み時間中(約四〇分間)、こもごも多数回殴られるようになり、殴られた腹部を押さえて座り込んでも、さらに殴る蹴るの暴行を受け、時には、助走をつけた跳び蹴りをされたり、踵落とし(踵を相手の背中等に蹴り落とすもの)や掌底(手の平の付け根付近を相手の腹部や胸部に叩き付けるもの)という格闘技の危険な技を受けたこともあった。
太郎は、暴行等の際、笑ってごまかしたりしていたが、苦痛に耐えかねて泣くときもあった。
また、太郎は、被告同級生らから呼び出された際、ジュースやタバコを買いに行かされることもあった。
そのころ、Yらも、被告同級生らから呼び出され、太郎同様頻繁に暴行を受けていた(甲3、4、7、8、10、11、17、19、20、証人q130〜196)。
ウ 太郎の二学期の通知表の行動記録欄の「明朗・快活」の項目には、○が付されていた(甲47の2)。
(6) 太郎の中学二年生三学期(平成八年一月〜三月)の状況等
ア 三年生の太郎に対する暴行等
太郎は、三学期になっても、部活グループから呼び出され、暴行を受けていた(甲14)。
イ 被告同級生らの太郎に対する暴行等
(ア) 太郎は、三学期になっても、昼休みに頻繁に二年二組の教室に呼び出され、被告同級生らを含む同級生一〇人位に取り囲まれ、こもごも殴られたり蹴られたりした。また、太郎は被告乙川から命じられて、Yとキックボクシングをさせられたこともあった(甲14、20、証人q197〜205)。
(イ) 被告寅川の太郎に対する通りすがりの暴力は、三学期以降も続いていた(甲9、証人p411、412)。
(ウ) 太郎の同級生らは、被告同級生らの太郎やYらに対する暴行等を見ていたが、見て見ぬ振りをし、クラス内で話し合いをしたり、教員らに申告するなどの動きは全くなかった(甲20、証人p482〜484)
ウ 太郎は、三学期の終わりころ、仲の良いBに、被告同級生らから暴行を受けていることを打ち明け、「もう死にたい。二年生からも三年生からもいじめられて、これ以上打たれたら死ぬ。」と漏らしたこともあり、Bから「死ぬのはやめろ」と諫められた(甲14)。
エ 太郎の二年生時の欠席は、一日だけ(三学期)であった。
しかし、太郎は、三学期ころ、被告寅川から登下校の同行を強要されるようになっため、遅刻がひどくなり、部活動も欠席を続けるようになった。
太郎の遅刻の真の原因を知らないb担任は、太郎の遅刻をなくそうとして、太郎に対し、二月一九日ころ、毎日の起床時間、家を出た時間、同行者、登校時間、下校時間及び学習時間等をノートに記し、これを提出するよう求め、原告らにも目を通して欲しい旨伝えた。
上記ノートの提出は、三月一一日ころまで続けられた(後記3(1)エ(ア)認定事実)。
オ 太郎は、同級生から見ると、二学期後半ころから、少し元気がなくなり暗くなった感じであった。
もっとも、太郎の三学期の通知表の行動記録欄の「明朗・快活」の項目には、○が付されていた(甲47の2、証人q257〜260)
(7) 太郎の中学二年生の春休み(平成八年三月下旬〜四月上旬)の状況等
被告太郎は、春休みから三年生の四月ころにかけて、自らあるいはH1を通じて、太郎宅に頻繁に呼出しの電話を掛けた。
太郎は、電話に出るのを嫌がり、原告花子に対し、電話に出ないよう、あるいは電話に出ても太郎宛の電話の場合には不在と対応するよう懇願し、原告花子はそのとおり対応した。もっとも、太郎の弟次郎がたまたま電話に出ると、「今から行っていいか、太郎ともども殺そうか」などと脅迫されたこともあった(甲9、17、21、44の14、81、115、原告花子本人一八回弁論調書84〜87)。
(8) 太郎の中学三年生一学期(平成八年四月〜七月下旬)の状況等
ア 太郎は、a担任の三年三組に進級し、被告丙山及び同丁田と同じクラスになった。
同寅川は三年一組(担任・k教諭)、同戊野は三年四組(担任・g教諭)、同乙川は三年五組(担任・k教諭)であった(甲53)。
イ 太郎は、三年生になった当初、クラスメイトから見て、とりわけ目立つ存在ではなかったが、明るく面白い存在だった(甲12、証人r100〜106)。
ウ 太郎は、三年生進級後、二年生から週二回欠かさず通っていた学習塾をやめた。因みに、その学習塾には、被告丁田及び同戊野も通っていた(甲6、41の28、原告花子本人第二〇回弁論調書237〜244)。
エ a担任は、四月二二日、太郎宅を家庭訪問(全校一斉のもの)した。
原告花子は、その際、被告寅川らから太郎宛に頻繁に呼出しの電話が掛かってくるが太郎が遊びたがらず嫌がっていると相談した。
a担任は、太郎に、電話を掛けてくる生徒名を確認すると、被告寅川やH1を含む何名かの生徒名が出た。その生徒らには喫煙歴があったので、a担任は、一〇人位の生徒名を挙げて、その生徒らに太郎を近づかせないようにと話すにとどまり、その後、太郎宛の呼出しの電話について関係生徒から事情を聴取するなどの個別の対応をとらなかった(後記3(1)オ(イ)認定事実)。
オ ×△防空壕跡地での集団暴行事件
被告同級生らとS1、H1、Kは、四月二五日ころの午前中の休み時間に三年三組のベランダに集まり、太郎が自分を避けることに立腹していた被告寅川が放課後(家庭訪問のため、授業は午前中で終了)に太郎を殴ることを提案し、放課後同丁田の自宅近くの公園に集合することとした。同寅川から指示を受けていた同丁田は、放課後、太郎の下校を引き留め、これに同寅川も合流し、その後、被告同級生ら、同級生のS1、H1、K、B、T1及び二年生のU2の一一人は、知覧町西元<番地略>所在の某所有の芝養生畑に集まり、まず、同寅川が、午後四時三〇分ころ、同所において、太郎の腹部を少なくとも二ないし三回位殴打した。
そして、上記一一人は、太郎と二年生I(同寅川から命令を受けた太郎から呼び出されていたもの。)を知覧町西元<番地略>の旧防空壕跡(車道から約一九〇m奥まり、周囲が山林で、農道が通っているものの殆ど人目に付かない場所)へ連行し、最初、H1がIを殴り、さらに、同丁田、同丙山、同乙川やS1がH1を殴った。そして、同寅川が、太郎に制服を脱いで腹を出すよう命じ、腹部めがけて殴ったが、太郎が両手を腹部の前に出して防いだため、改めて太郎に両手を後ろで組むよう命じ、Tシャツ姿の太郎のみぞおち付近を殴り始め、太郎が殴られる度に「ウウッ」と声を出し腹部を押さえてしゃがみ込んだにもかかわらず、襟首を掴んで太郎を立たせたり、太郎に自分で立つよう命じ、さらに両手を後ろで組ませて手拳でみぞおち付近等を殴り、さらに、同戊野が太郎の腹部等を手拳で殴ったり、膝で蹴り、足で太股や胸部を蹴り、さらに、同寅川から太郎を殴るよう命じられたKが太郎の腹部を手拳で四、五回殴り、同戊野が手拳で腹部を殴り、その場にしゃがみ込んだ太郎のあちこちを膝や足で蹴り回し、太郎の脇腹付近を回し蹴りのように蹴ると、太郎は背中から排水路(幅約1.5m、深さ一mで、当時は水が少し流れ、泥が溜まっていた。)に落下した。
太郎は、三〇秒位して、水に濡れて泥にまみれ這い上がり、頭を痛そうに押さえていたにもかかわらず、同乙川が手拳で太郎の腹部を殴り、さらに、同丙山が手拳で太郎の腹部を殴ったり、膝や足で腹部を蹴り、さらには肘で太郎の腹部を突くと、太郎は尻餅をついて苦しそうにしていたが、同寅川は、さらに太郎の腹部を殴ったり膝蹴りし、仰向けに倒れた太郎が起きあがろうとした時、現場に落ちていた木の枝(長さ一m位、直径四、五cm位の枯枝)で太郎の後頭部を殴りつけると、木の枝は折れて、太郎は頭を両手で抱え込み、仰向けに倒れて、ピクピクと痙攣し、意識を失った。太郎は、被告同級生らの呼びかけにも応じず、口から泡を吹いていたが、同丙山が太郎の頬を軽く叩いたところ、二、三十秒位して意識を回復した。
太郎は、上記暴行の間、涙を流して、暴行を加える者に「すいません、すいません」と謝っていた。
上記のような無抵抗の太郎に対する一方的な暴行は、午後五時過ぎころから午後五時三〇分過ぎころまで断続的に続き、この間、太郎に対し、同寅川においては、少なくとも数十回以上、同戊野、同乙川、同丙山においても、少なくとも一〇回以上こもごも殴る蹴るなどの暴行を加えた。
太郎は、その後、ふらつきながら自転車を押して帰宅の途についた(甲9、14、17、41の3〜38、42の5〜8、43の12・13、44の11〜13、証人p265〜362。なお、上記証拠中には、同寅川、同乙川及び同丙山は、四月二五日ころの太郎に対する暴行の事前共謀を否定し、また、太郎に対する暴行の回数も少ない内容の司法警察員に対する供述調書もあるが、暴行に至る経緯(同丁田、同寅川及び同乙川らが太郎を同行し、その後に同丙山や同戊野らが合流していること)等に照らすと、事前共謀があったとみるのが自然であり、上記被告らには自らの責任を軽減しようとする供述態度が見られること、被告乙川及び同丙山らは太郎の自殺後に口裏合わせをしていることなどに照らすと、上記認定に反する司法警察員に対する供述調書や聴取書(甲112、115)は採用できない。)。
カ 太郎は、上記オの集団暴行事件以降、元気がなくなった(証人p457〜460)。
キ 太郎は、五月の連休明けころから、朝自習の時間(午前八時一五分から同八時四〇分までの間)、被告丁田から同被告の席に呼びつけられ、同被告からこずかれたり、腹部を手拳で殴られたり、背中を叩かれたり蹴られるようになり、同丙山からも同様の暴行を受けるようになった。そして、太郎に対する上記暴行は、毎日のように加えられ、朝自習の時間のみならず休み時間にも及ぶようになるなど、次第にエスカレートしていった。
この他、太郎は、同寅川からも、朝自習の時や休み時間に暴行を受けたり、同乙川からも廊下でのすれ違い際に頭を小突かれ、その上、被告同級生らから、昼休みに三年三組のベランダや部屋前で集団的な暴行を受けるようになり、時にはお金をたかられた。
太郎は、暴行を受ける際、いつも無抵抗で、「すいません」と謝ったり、笑ってごまかしていた(甲4、5、10、12、15、18、50の1・2、乙イ7、証人r112〜172、408〜410)。
ク また、太郎は、被告丁田や同丙山から、朝自習や授業前に先生の見張りをさせられていた(甲50の1・3・4)。
ケ 太郎は、被告寅川から、四月か五月ころの午後二時ころの下校時、知覧平和記念館(ミュージアム)付近の藪の中に連れ出され、少なくとも五、六回位手拳で腹部を一方的に殴られ、七月初めころ、通学用自転車を壊された(甲41の36、115)。
コ 太郎の同級生らは、被告同級生らの太郎に対する暴行を目撃していたが、関わりあいになることを怖れて、上記暴行を止めるよう注意したり、クラス内で上記暴行について話し合ったり、教員に申告することはなかった(甲12、証人r282、328〜349、弁論の全趣旨)。
サ 太郎の一学期の欠席は風邪による一日だけであったが、遅刻が多く(太郎は、罰として、a担任から職員室の掃除を命じられていた。)、一学期の通知表の連絡事項欄(a担任から原告ら宛)には「遅刻の多さに驚いておりましたが、現在では落ち着いているようです」と記載されていた。
また、通知表の行動記録欄の「明朗・快活」の項目には、一、二年生時に付されていた○は付されておらず、同級生から見ても、太郎の表情は暗かった(甲12、18、47の3、証人a第一一回弁論調書二七〜四五、305〜325、485〜504、第一四回弁論調書76〜83)。
シ 太郎は、原告らに内諸で、次郎からよくお金を借りていた(甲21)。
(9) 太郎の中学三年生の夏休み(平成八年七月下旬から八月末まで)の状況等
ア 太郎は、従前の夏休みには殆ど外で遊んでいたのに、三年生の夏休みには外に出たがらず、殆ど家の中で一人でファミコンで遊び、お盆ころ、祖父母等からもらった小遣いで次郎と共同で新たにセガサターンのゲーム機を購入した。
太郎は、従前、次郎とプロレスごっこをしていたが、夏休みころには、直ぐに本気になって次郎の顔や腹部を殴るようになった(次郎が鼻血を出したこともあった。)。また、太郎は、次郎にペンを書店で買うよう命じ、次郎が買ってくると買直しを命じたり、無理な買物を命じたり、次郎からよくお金を借りていた。このように、太郎の次郎への対応が荒っぽくなった(甲21、44の14・18)。
イ 被告寅川、同乙川、同丁田及び同丙山らは、自らあるいはH1らに命じて、太郎宅に頻繁に呼出しの電話を掛けた。
しかし、太郎は次郎にも電話に出ないよう指示していたが、次郎が誤って電話に出ると、「今からぶっ殺しにいくぞ。」などと脅された。また、同寅川らは頻繁に太郎宅を訪れ、チャイムを鳴らしたり、ドアのノブを回すなどして呼出しを試みたが、この間、太郎は、ドアを施錠し、カーテンを閉めて次郎ともども息を潜めてやり過ごし、たまたま施錠を忘れたとき、同寅川らが太郎宅内に入ってきたこともあり、太郎は渋々対応していた(甲9、17、21、44の18、113)。
ウ 太郎は、八月二〇日、自宅に来た被告寅川から少なくとも二〇〇〇円を脅し取られ、その上、同日開催された花火大会の際、知覧町内の豊玉姫神社において、同被告からタバコを買ってくるよう命じられたが、そのまま帰宅した(甲3、10、43の11、115、乙イ6、8、なお、被告寅川は、太郎から五〇〇円もらったと主張するが、これに副う的確な証拠はない。)。
エ 原告一郎は、夏休みの初めころ、次郎から太郎が隠れてテレビゲームをしていることを聞いたので、太郎を呼んで、これから高校入試もあるので、ゲームで遊ぶのは一時間以内とし、それ以上ゲームをすることを禁止すると注意したが、太郎がゲームを止めなかったので、ゲーム機を取り上げて隠してしまった(原告一郎本人175〜177、208〜213)。
(10) 太郎の三年生二学期当初(平成八年九月)の状況等
ア 被告丁田らの太郎に対する教室内での暴行は、二学期になっても続き、太郎は、二学期には常にうつむいて暗い感じであった(甲12、証人r241、242、413〜416)。
イ 太郎は、九月二日、被告寅川から自転車を壊された。このことを知らない原告花子は、太郎を学校へ車で送った。また、太郎は、放課後、原告花子に対し、同被告らが待ち伏せしているから迎えに来て欲しいと訴えたので、原告一郎が、太郎を学校まで迎えに行った(甲44の14、81、115、原告花子本人第18回弁論調書109〜117)。
ウ 太郎は、九月四日ころの昼休み、被告丙山らからバスケット部の部室に呼び出され、被告同級生ら、S1、H1及びU1に取り囲まれ、同丙山から少なくとも三、四回足蹴にされ、同乙川、同丁田及び同寅川から少なくとも合計一〇回以上腹部を一方的に殴られた(甲3、10、16、41の28・31・34、43の11、44の19、112〜115、乙イ6)。
エ 太郎は、七日(土曜日)、友人宅に泊まりに行き、八日は日曜日で学校は休みであった。しかし、この間も太郎宛に被告寅川らから頻繁に電話が掛かり、太郎は電話に出るのを嫌がり、原告花子にその対応を頼んだ(甲114)。
オ 太郎は、九月九日、被告寅川から自転車を壊された。このため、太郎は、通学途上から、腹痛と自転車が壊れたと訴えて自宅に戻り、学校を欠席することとし、事情を知らない原告花子が病院へ行くように勧めたにもかかわらず、自宅で寝ていた。
太郎は、a担任宛に電話を掛けたところ、授業中であったので、欠席すると伝言を頼んだ。a担任は、太郎宅に電話を掛け、休暇で在宅した原告花子から、自転車の故障と腹痛で欠席させるとの事情を聴いた(甲44の14、81、115、証人a第一一回弁論調書120〜133、第一四回弁論調書89〜94、原告花子本人第一八回弁論調書116〜121)。
カ 太郎は、九月一〇日には登校したものの、午前九時四五分ころの休み時間中、同月八日(日曜日)に被告寅川宅に来るよういわれていたのにこれに応じなかったとして、同被告から、三年一組の教室のベランダに呼び出され、五分間位にわたり、少なくとも四ないし五回位腹部を殴られた。
さらに、太郎は、同丁田及び同丙山から、同日午前一〇時四五分ころの休み時間中、同丁田から命じられたプラモデルの塗料を購入していなかったとして、三年三組のベランダにおいて、こもごも少なくとも合計一〇回以上腹部を殴られた(甲12、16、41の27・34、42の6、44の19、113〜115、乙イ6)。
キ 太郎の同級生N1は、九月一〇日、いつも話し掛けてくる太郎が全然話し掛けてこず、また、被告丁田や同丙山の太郎に対する暴行がエスカレートして目に余るものがあったので、太郎に対し、「いつも殴られているけれど、嫌じゃないのか」と話し掛けた。すると、太郎は明確に嫌だとは言わなかったが、下を向いて顔を歪め、しかたない、嫌だという趣旨のことを言った(甲12、証人r230〜244、350、351)。
ク 太郎は、九月一一月、原告らに無断で自ら生徒手帳に「腹痛」と記載して原告らの印章を押し、これを同級生D2に託して学校を欠席し、さらに、翌一二日、一三日には、原告らやa担任に無断で欠席した(甲44の14、54、証人a第一一回弁論調書136〜139、原告花子本人第一八回弁論調書123〜127)。
ケ 九月一四日から同月一六日は連休で、学校は休みであった。
太郎は、同月一五日(敬老の日)、原告ら及び次郎と、原告ら双方の祖父母宅を訪れて、それぞれ敬老のお祝いをし、その日、次郎のピアノの発表会を聴きに行き、その帰途に家族で食事をした後にカラオケ店に立ち寄った。この時、太郎には特に変わった様子はなかった。
また、太郎は、同月一六日、予め申し込んでいた高校入試の模擬試験を受験した。
もっとも、同月一一日から一六日までの間、a担任から原告ら宛に、太郎の無断欠席のことについて、何も連絡はなかった(甲11、44の14、証人a平成第一一回弁論調書136〜155、原告一郎32〜47、234、235。なお、証人aは、同月一二日、一三日に原告ら方に何度も電話を掛けたが誰も出なかったと証言するが(第一一回弁論調書142〜148)、a担任は原告らが有職であることを知っていたから、少なくとも原告らが在宅する時間帯や上記連休中に連絡できたはずであるのに、なんら連絡していないことに照らすと、証人aの上記証言は、俄に信用できず採用できない。)。
(11) 太郎の自殺前日(平成八年九月一七日)の状況等
ア 太郎は、同日、原告らやa担任に無断で学校を欠席した(証人a第一一回弁論調書156、157、原告花子本人第一八回弁論調書123〜127)。
イ 原告花子は、同日午後六時ころ、a担任から、太郎が同月一一日から欠席しているが様子はどうかとの電話連絡を受けた。
太郎が毎朝登校していると思っていた原告花子は、受話器を持ったまま電話口に太郎を呼んで、どうして学校に行かなかったのかと叱り、その理由を尋ねると、学校で叩かれた、学校が怖かったとのことであった。原告花子が叩いた生徒や怖い生徒の名前を尋ねたところ、太郎は黙ったままで答えなかった。
そこで、原告花子は、a担任に対し、太郎が学校に怖い人がいるから行きたくなかったと話している旨伝えると、a担任は、太郎と電話を代わって欲しいとのことであった。
原告花子が太郎に電話を代わると、太郎は、a担任からの質問に対し、「はあ」と小さな声で答えるだけで、特に自分から話をしなかった(甲44の14、81、証人a第一一回弁論調書158〜180、原告花子本人第一八回弁論調書127〜130)。
ウ 原告花子は、太郎に事情を確認するためにa担任からの電話を切り、太郎に誰が怖いか尋ねると、被告寅川の名前が出た。そこで、原告花子は、同日午後七時ころ、原告一郎が帰宅するや、太郎が原告らに無断で学校を欠席していたこと、a担任から電話があったこと、太郎が叩かれたから学校が怖いと話したことなどを告げた。
原告一郎は、太郎を呼んで、原告花子と共に、叩いた生徒名を問い質したところ、太郎は、蚊の鳴くような声で涙を流しながら、同寅川の他に同乙川、同丙山及び同丁田の名前を出し、同月一〇日の休み時間に学校のベランダで同寅川、同丁田及び同丙山に叩かれ、同乙川はそばにいたと話したが、原告一郎がその中で名前を知っていたのは、太郎と同じ小学校出身で同じスポーツ少年団に所属していた同寅川だけだった。
原告一郎は、原告花子に名前の出た被告宅に電話をするよう指示したが、同乙川はクラスが違い電話番号が分からず、同丙山及び同丁田宅は不在で、連絡が取れたのは同寅川宅だけであった(もっとも、同寅川本人は不在であった。)。原告花子は、同寅川の母に太郎が同被告から叩かれて学校を休んでいる旨話し、同被告が帰宅したら電話をくれるよう伝えた。
まもなく、同被告の母から、同被告が帰宅したので、今から原告ら宅に連れて行くとの連絡があった。太郎は、その話を聞いて、同被告及びその両親との話合いに同席しなければならないのかどうか原告一郎に尋ねた。原告一郎は、太郎がいないと話にならないとして、太郎を同席させることとした(甲25、44の14・16、80、81、原告一郎297〜326、402、403、原告花子本人第一八回弁論調書131〜137、第一九回弁論調書60〜88)
エ 被告寅川と両親は、まもなくして原告ら宅を訪れ、原告ら宅に上がるやいきなり親子三人して土下座した。このため、原告らは、同被告が太郎を叩いていたのは事実だと思った。
そこで、原告一郎は、太郎は同被告の暴力のため学校に行っていない旨話し、同被告の母が同被告にその事実を確認すると、同被告は否定した。このため、原告一郎は、同被告に太郎を叩いたことがなかったか追及すると、学校の教室前のベランダで二回叩いたと太郎に対する暴行を認めた。
原告一郎は、同被告に、小学校のころ太郎と同じスポーツ少年団に所属し一緒に遊んでいたから、太郎と仲良くして、他の生徒が太郎を殴ったら止めて欲しいと頼んだ。
同被告の母は、仲直りの印として同被告に太郎と握手するよう促し、これに賛同した原告一郎も太郎に同被告と握手するよう促したところ、太郎は、下を向いて一度も顔を上げないまま同被告の顔を見ずに仕方なさそうに同被告と握手した。そして、同被告とその両親は、原告ら宅を辞去した。この間、同被告の父は一言も言葉を発することがなかった。
太郎は、同被告とその両親が来てから、正座したままガタガタ震えていただけで、一言も口を開かず、黙ったままだった(甲25、41の34、44の14・16、80、81、原告一郎本人327〜330、474〜476、原告花子第一八回弁論調書138〜148)。
オ 原告花子は、同日午後九時ころ、a担任の自宅に電話を掛けて、太郎が被告寅川、同丁田及び同丙山から同月一〇日の休み時間に学校のベランダで叩かれたこと、その三人の自宅に電話を掛け、連絡が取れた同寅川とその両親が原告ら宅を訪れ、話し合いの上、謝罪してもらったこと、明日から太郎を登校させるが欠席した場合には夕方にでも連絡をして欲しいことなどを伝えた。
原告一郎は、太郎と同寅川が仲直りし、学校に行っても安心だと考え、太郎と次郎を居間に座らせ、「お父さんは会社に行くのが仕事、お前たちは学校に行くのが仕事だから、明日から学校に行きなさい」と説論し、同人らが真剣に机に座って勉強する姿を見たことがなく、ここ三年頑張れば五〇年後も楽になるから一生懸命頑張るよう一〇分間位にわたり少し大きな声で説教した(甲44の14・16、80、81、証人a第一一回弁論調書181〜190、原告一郎本人57、203〜205、331〜335、原告花子本人第一八回弁論調書149〜151、第一九回弁論調書22〜31、113〜120、第20回弁論調書276)。
(12) 太郎の自殺当日(平成八年九月一八日)の状況等
ア 原告一郎は、同日午前七時過ぎころに出勤する際、太郎の部屋に向かって襖越しに、「ちゃんと学校に行きなさいよ。先生にも言ってあるから」と声を掛けたところ、返事がなかったので、もう一度繰り返すと、中から「はい」という太郎の返事があったことから、安心して自宅を出た(甲80、原告一郎本人341〜350)。
イ 太郎は、同日の朝、制服に着替えてはいたものの自室のベットに腰掛けたままなかなか登校しなかった。このため、原告花子は、太郎に対し、早く登校するよう叱り、自宅近くの郡共有集会場付近まで足を伸ばし、太郎の登校を見送ったが、太郎は、渋々自宅を出て、ゆっくりと自転車を漕いで学校の方向に向かった。
ところが、太郎は同日も登校していなかった(甲25、44の14、乙ハ1、原告花子第二〇回弁論調書30〜70)。
ウ 原告花子は、同日午後〇時過ぎころ、昼食を摂るためにいつものように車で自宅に戻る途中、自宅近くの郡共有集会場の建物の横に太郎の自転車があるのを見つけ、太郎が登校しなかったと思い、車を降りて自転車の方に近づくと、隣の校区公民館の敷地の植え込み付近に立っている太郎を見つけた。
原告花子は、太郎が登校しなかったことに腹を立て、太郎に「今日も学校に行かなかったの、何でね」と叱ると、太郎は、普段着を着るときに使用していた黄色い布製ベルトを自分の首に巻いて首を吊るまねをして「お母さん、僕、自殺するからね」と言った。
これを聞いた原告花子は、太郎が登校しないことを叱られると思ってひねくれて冗談をしているのだろうと思い、「何事ね。もうお母さんは知らないよ」と言って取り合わず、自宅に戻り昼食を摂り、午後〇時四〇分ころ再び自宅を出て職場に戻ったが、登校しない太郎に腹を立てていたため、職場に戻る際、太郎が先刻の場所にいたかどうか探したりしなかった(甲25、44の14、81、乙ハ1、原告花子本人第一八回弁論調書154〜165、第一九回弁論調書56、147〜184、第二〇回弁論調書74〜124、168〜188、195〜199)。
エ 太郎は、同日午後一時ころ(推定死亡時刻)、上記公民館の外壁の非常用はしごに黄色い布製ベルトを掛けて縊首し、同日午後四時ころ発見された。そこは、反対側にある知覧町役場の北側窓からよく見通せる場所であった(争いのない事実等(2)、乙ハ1、原告一郎本人370〜372)。
オ 太郎の学生服のポケットに残された遺書には、
「生きていきたくない。
学校がいやだ。
家では自分の好きなことはできない。
おれはなんども傷をつくった。
(◎被告乙川
◎同丙山 ◎同丁田 S1
◎同寅川 ◎同戊野 U1
◎H1 etc)
いままでパシリにされた人やうたれた人は、何十人もいる。こいつらに合計5万円ぐらいはつぎこんだ
この6人がいやだった。なぐられたり、けられたり、いろんなことをしてくれた。死んで、きさまらをのろってやる。Kなんか僕以上にかわいそうだ。僕みたい死なないでがんばってくれ。おれが死ねばいじめはかいけつする。親も、おれのことぐらいは、わかっているはずだが、休ませてくれない
一生うらんでやる。弟もおれが死ねばよろこぶだろう。
まぁ、なんにしろ、こいつら(あの6人)は高校におちるだろう。おれを殺したやつらだ。
この家族はおれをきらっていたのでよろこぶだろう。あと心残りなのは、もう少しSEGA SATURNで遊びたかった。かってまだ少ししかたってなかったのに。おれの楽しみを禁じた父は、うらみながら死んでやる。
とにかく、死ぬまえに家族にありがとうといって死ねばよかったなと思っている。まあ、どうせこれを読むときには、おれは、この世にいないからな。おれも死ぬとき、なにで死ねばいいかとても迷ったからな。あと「NIGHTS」のソフトは同級生(略)にかえして。
そろそろおわりにして、good luck!」
と記載されていた(甲1、26の1・2)。
2 争点(1)(被告同級生らは太郎の自殺について共同不法行為責任を負うか。)について
(1) 上記1認定事実によると、太郎は、中学二年生時を通じて、三年生から継続的に暴行やたかり等の被害に遭い、これに加えて二年生二学期ころから、被告寅川から日常的に暴行を受けるようになったばかりか、二年生二学期の終わりころから三学期にかけて、被告同級生らから頻繁に呼び出されて、教室内において集団で執拗に殴る蹴るの暴行を受けるようになり、三年生一学期には、人気のない場所で被告同級生らを含む一一人位にいわば取り囲まれて、被告寅川、同乙川、同戊野及び同丙山らから、意識を失うに至るまでおよそ三〇分位にわたり、こもごも執拗に殴る蹴るの壮絶な集団暴行を受けて、いわば半殺しの目に遭い、その後、特に同じクラスの被告丁田及び同丙山から日常的に暴行等を受けるようになり、この間、同級生や教員らからの支援もなく、夏休みになっても被告同級生らからの暴行はエスカレートする様相にを呈したため、遂には無断で学校を欠席するようになったが、自殺前日、無断欠席が原告らに発覚し、やむなくその原因を原告らに打ち明けた結果、これが同寅川の知るところとなり、同寅川との間で形ばかりの仲直りをさせられ、翌日以降、被告同級生らから熾烈な仕返しを受けることを恐れ、登校したくなかったが、原告らから登校するよう強く勧められたため、閉塞状況に陥り、絶望の淵に立ち、その閉塞状況から逃避すべく、自殺という方法を選択したものと見ることができる。
そうすると、太郎の自殺は、専ら被告同級生らの太郎に対する反復継続的かつ執拗な暴行等によるもので、被告同級生らの太郎に対する暴行等と太郎の自殺との間に事実的因果関係があるというべきである。
(2)ア 次に、被告同級生らの太郎に対する暴行等と太郎の自殺との間に相当因果関係があるかについて検討する。
イ ところで、不法行為による損害賠償についても、民法四一六条の規定が類推適用され、特別の事情によって生じた損害については、加害者において上記事情を予見しまたは予見することを得べかりしときにかぎり、これを賠償する責を負うと解するのが相当である(最高裁判所昭和四八年六月七日第一小法廷判決・民集二七巻六号六八一頁参照)。
ウ これを本件について見るに、上記1認定事実によると、被告同級生らは、少なくとも、二年生二学期に終わりころから三年生二学期当初までの間、太郎に対し、集団的あるいは個別的に執拗な暴行やたかりを等を繰り返し、時には太郎を半殺しの目に遭わせるなど、長時間にわたり、太郎の生命及び身体の安全に重大な危険を及ぼす暴行を反復継続して加えていたもので、この間、被告同級生らは、太郎の様子や行動等から、太郎が精神的かつ肉体的にも次第に追い詰められていたことを認識していたものと推認できる。したがって、被告同級生らは、遅くとも三年生二学期当初(九月四日及び九月一〇日)の集団暴行のころには、太郎が被告同級生らの暴行等により肉体的かつ精神的にも極度に追い詰められた状況にあったことを容易に認識でき、かつ、これに、世上、中学生が熾烈な暴行等を反復継続して受けた場合に自殺した事例が報告されていた(鹿児島県だけでも、いわゆるいじめを苦にして自殺したとされるケースが平成六年から七年にかけて三件報道されている。甲57の1〜3、58〜60、61の1〜3、62の1・2)ことなどを併せ考慮すると、被告同級生らは、太郎に対する暴行等により太郎が自殺することを予見することができたというべく、被告同級生らの加害行為と太郎の自殺との間には相当因果関係があったというべきである(なお、中学生の年代の者に対し、長期間にわたり、反復継続して集団的に執拗かつ苛烈な暴行を加え、肉体的かつ精神的に重大な苦痛を与えるものである場合には、被害者が死を選択すること(自殺)は必ずしも特異なものとはいえず(甲134、135の各1・2)、自殺は通常損害に当たるとみる余地もあるが、未だ専門的見地からの検討が必要と思料する。)。
エ なお、被告同級生らは、太郎の自殺前日、原告一郎は太郎に説教をして登校を強いたり、また、自殺直前、太郎が原告花子に対し自殺の意思を表白しているにもかかわらず、同原告はこれに対応しなかったなど、太郎の自殺直前の原告らの言動も太郎の自殺に大きく寄与しており、被告同級生らはかかる推移を辿って太郎が自殺するとは予見できず、被告同級生らの加害行為と太郎の自殺との間に相当因果関係はない旨主張する。
しかしながら、上記1認定事実によると、太郎は、三年生二学期になってもエスカレートする被告同級生らの暴行を回避すべく、一学期には一回しか欠席(風邪による)しなかったのに、二学期になって頻繁に欠席するようになり、また、太郎の様子や行動等から精神的かつ肉体的にも追い詰められていた状況が認められるのであって、太郎の自殺には、被告同級生らの反復継続する上記暴行等の事実を全く認識していなかった原告らの自殺直前の言動が影響を及ぼしたとしても、これを過大に評価することはできない(原告らの自殺直前の言動等は、損害の公平な分担の観点から、過失相殺として評価すれば足りる。)。
また、被告同級生らは、太郎の自殺は×△防空壕跡地での熾烈な暴行事件から約五か月後であり、被告同級生らは太郎の自殺を予見できなかった旨主張する。
確かに、太郎が意識を失うほどの熾烈な暴行を受けたのは、×△防空壕跡地での集団暴行のみであるが、その後も被告同級生らの太郎に対する暴行は反復継続しており、特に自殺直前はエスカレートしていたというであるから、単に上記集団暴行と自殺までの間に時間的経過があることのみをもって相当因果関係を否定することはできない。
したがって、被告同級生らの上記主張はいずれも理由がない。
(3) そうすると、被告同級生らは、太郎に自殺について、共同不法行為責任を免れない。
3 争点(2)(被告町は太郎の自殺について国家賠償法一条一項の責任を負うか。)について
(1) ○○中の太郎に対する暴行等や被告同級生らの問題行動への対応等
後掲各証拠によると、以下の事実を認めることができ、これを左右するに足りる証拠はない。
ア ○○中の生徒指導の態勢
○○中では、各学年から選出された二人の生徒指導担当の教員と校長、教頭及び養護教諭により生徒指導会が構成され、同部会は月曜日の二時間目に開催されていたが、そこでは生徒指導上の問題点について連絡や対策を検討し、その最終的な決定権限は校長や教頭にあった(証人a第一六回弁論調書10〜17、第一七回弁論調書64〜73、同c第一五回弁論調書22〜24、第一七回弁論調書43〜45)。
イ 太郎の二年生一学期(平成七年四月〜七月下旬)の対応等
太郎は、上記1(3)イ(ウ)認定事実のとおり、同級生数名と、六月ころ、少なくとも五回以上、学園軍団等から、同級生との喧嘩、万引きや該三年生のゲームカセットの購入を強要されたり、金銭をたかられた。
また、太郎は、六月ころ、学園軍団の三年生一人から、同人の違反ズボンの購入を強要され、これを断わったところ、他に誰か紹介するよう強く求められたので、やむなく同じクラスのYを紹介した。Yは、該三年生からその所有の違反ズボンの購入を強要されたため、やむなく、同級生T2に理由を話して借財を申し入れたところ、T2の父が○○中に連絡して、上記事実が発覚した。
b担任は、一学期の終わりころ、e教諭から、太郎も被害に遭ったことを聞いたので、その日の夕方、太郎宅を家庭訪問し、上級生から喧嘩や万引きを強要されていないかどうか確認した。
太郎は、当初返答を渋っていたが、原告一郎から強く言われ、また、b担任の説得もあって、三年生一人から同級生と喧嘩を強要され、スーパーであめ玉を万引きするよう命令されたので万引きを敢行し、また、原っぱで別の三年生から木刀でお尻を叩かれたなどと涙ながらに話をしたが、他にも被害を受けているという話は出なかった。
このため、b担任は、事実関係を三年生担当の教員に調べてもらい、指導したい旨述べて、太郎宅を辞去し、太郎の口から同様に被害に遭ったとの話が出たB宅を訪れた。
b担任は、上記Bからも事情を聴き、太郎が話した事実を確認し、これをその保護者にも伝えた。
そして、b担任は、翌朝の打合わせの時間に学年部会において、太郎らから聴いた事情を報告し、d主任にも同様の事情を伝え、その後に生徒指導部会において全体報告をした。
生徒指導部会では、太郎らと加害者の三年生から聴いた事実関係を照合し、その結果、七月二〇日、該三年生の保護者を学校に呼んで保護者来校相談という形で事情を説明し、加害者の三年生に対し、太郎らに謝罪させ、ゲームカセットを売りつけた件についてのみ弁償するよう指導した。また、生徒指導部会において、太郎らも、強要されたとはいえ、万引きしたこと自体はよくないので、被害スーパーに謝罪する方がよいとの結論に達し、B担任は、原告らに対し、該スーパーへの謝罪を勧めた。そこで、原告花子は、その翌日、被害スーパーを訪れて、謝罪し、これをb担任に連絡した。
もっとも、太郎に対する上記弁償や謝罪はなされず、b担任を含む○○中の教員らは、太郎が自殺するまで、加害生徒からの弁償等がなされていないことを把握していなかった(甲14、20、80、81、乙イ6、証人q38〜84、同b28〜99、287〜289、原告花子本人第一八回弁論調書54〜61)。
ウ 太郎の二年生二学期(平成七年九月〜一二月)の対応等
(ア) b担任は、一〇月ころの土曜日の放課後、原告花子から、太郎から電話があり、学校の自転車小屋で三年生から待ち伏せされ、太郎が怖がっているとの連絡を受けたので、太郎を探したところ、通学路上で三年生一人と話している太郎を見つけたが、太郎を先に帰し、該三年生から事情を聴くと、太郎がよいトレーナーを持っていると聞いたので売ってもらおうと声を掛けたとのことであった。そこで、b担任は、該三年生に対し、生徒間の売買はトラブルの元になるのでしないよう説諭しただけで、生徒指導部を通じての指導等をせず、また、その後、太郎から上記事情を聴かず、ただ、原告花子に対し、該三年生に注意した旨連絡しただけであった(甲81、証人b100〜121、295〜300)。
(イ) 被告乙川の同級生に対する暴行の対応等
被告乙川はS1らと、九月ころの休み時間、D1にからんだところ、D1から反撃されたので、後からD1の背部に跳び蹴りをし、D1を一時的に下半身麻痺に陥らせ、病院へ救急車で搬送させた(もっとも、D1は、一週間学校を休んで回復した。)。
同被告の上記暴行は、職員朝会で取り上げられ、報告がなされたが、その後、同被告らがD1に謝罪しただけで、同被告らに対する指導はなされなかった(甲11、112、証人b341〜346、同i145〜149、弁論の全趣旨)。
エ 太郎の二年生三学期(平成八年一月〜三月下旬)の対応等
(ア) 太郎は、三学期ころ、被告寅川から登下校の同行を強要されるようになったため、遅刻がひどくなり、部活動も欠席を続けるようになった。
太郎の遅刻の真の原因を知らないb担任は、太郎が時間にルーズで、これを今のうちに改める必要があり、また、太郎が登下校中に何をしているのかについて不安を感じたことから、太郎に対し、二月一九日ころ、毎日の起床時間、家を出た時間、同行者、登校時間、下校時間、学習時間等をノートに記し、これを提出するよう求め、原告らにも目を通して欲しい旨伝えた。
因みに、上記ノートの「一緒に登校した人」の欄には、同被告の記載が多かった。
上記ノートの提出は、三月一一日ころまで続けられた(甲41の12、55、56、証人b251〜254、411〜414、505〜509、原告花子本人第一八回弁論調書30〜48、第一九回弁論調書1〜7、281〜297、412〜419、弁論の全趣旨)。
(イ) 以前学園軍団の被害に遭っていたBは、三学期ころ、b担任から、その後、学園軍団の被害に遭っていないかと尋ねられた。Bは、b担任に太郎も同様の被害に遭っていることなどを話したが、b担任は、お金を返させると話しただけで、その後何も対応しなかった(甲14)。
(ウ) g教諭は、三学期ころ、二年生の女子生徒から、H1が昼休みに叩かれているとの訴えを聞いたので、これを他の教員にも話した、そこで、b担任を含む各クラスの担任は、H1以外にも被害に遭った生徒がいないか生徒に呼びかけて聞いて回ったところ、YとH2の名前が挙がったので、b担任は、Yを呼んで、二年二組に呼び出されたり、叩かれたりしていないかを尋ねた。
Yは、太郎同様、被告同級生らから呼び出されて二年二組の教室で頻繁に集団暴行を受けていたが、被告同級生らからの仕返しが怖かったので、真実を話すことができず、ただ、被告乙川の意向で同丁田から呼び出されて、ボクシングみたいなことをさせられたり、デコピン(指でおでこをはじくこと)をされたこと位しか話さなかった。
そこで、b担任は、Yから名前が出たりその周辺にいた同乙川、同丁田、同丙山及び同寅川らを呼んで事情を聴いたところ、Yが述べたことを認めたが、遊びの延長とのことであった。
しかし、b担任は、Yが喜んでいるように見えなかったので、Yにその両親に相談した方がよいかどうか確認すると、しなくてもよいとの返事であり、特に両親には連絡せずに様子を見ることとし、同乙川らに対し、呼び出しを掛けたり、他の生徒が嫌がることをしてはいけない旨説諭したにとどまり、生徒指導の問題として取り上げることはせず、また、Yが三年生に進級した後も、Yに事情を聴くなどしてその後の経過を確認するなどしなかった(甲20、証人q203〜229、346〜351、445〜461、同b122〜158、347〜352、378〜380、440〜448。なお、Yがb担任から事情を聴かれた時期について、証人qは三学期当初と証言し、同bは卒業式後と証言するが、いずれが決定的に誤っていることを窺わせる証拠はないので、その時期について両証言が符合する三学期と認定した。また、甲20及び証人qの上記証言中、Yがb担任から事情を聴かれた際、太郎も事情を聴かれた旨の証言があるが、Yも太郎に事情聴取の内容を確認したわけではないこと(証人q225、226)、太郎の名前は出ていなかった旨の証言(証人b127、128)に照らすと、俄に採用し難いし、仮に採用したとしても、b担任が太郎から聴いた内容は本件全証拠によっても不明である。)。
オ 太郎の三年生一学期時(平成八年四月〜七月下旬)の対応等
(ア) 被告同級生らの問題行動への対応等
a a担任は、被告乙川や同寅川がよく一緒に行動していたことを把握し、また、被告同級生らの何名かを、それまでに喫煙の件で個別に指導したことがあった(証人a第一一回弁論調書57〜60、第一四回弁論調書273、274)。
b 被告寅川は、三年生当初の給食の時間、学校のベランダで、H1をホウキで血だらけになるまで殴りつけ、これをa担任に発見された。a担任は、同被告を職員室に連れて行き、その担任のk教諭に引き渡しただけで、特に指導を加えることはなかった(甲17、証人a第一一回弁論調書343〜352、456〜463)。
c また、被告寅川は、四月二二日ころ、H1を武道館付近に呼び出し、肩、足、頭部等を竹刀で少なくとも六回位殴った。これを目撃した女子生徒が校内巡視中のl教諭とm教諭に訴えたため、同教諭らは事情を確認の上、同被告、その両親及びその担任のk教諭が四月下旬ころ、H1宅を訪れて謝罪した(甲17、乙イ9の5)。
(イ) a担任の太郎宅への家庭訪問の時の対応等
a担任は、四月二二日、太郎宅を家庭訪問(全校一斉のもの)した。
原告花子は、a担任に対し、その際、被告寅川らから太郎宛に頻繁に呼出しの電話が掛かってくるが太郎が遊びたがらず嫌がっていると相談した。
a担任は、太郎に電話を掛ける生徒名を確認すると、被告寅川やH1を含む何名かの名前が出た。その生徒らには喫煙歴があったので、a担任は、一〇人位の生徒名を挙げて、太郎をその生徒らに近づかせないようにと話すにとどまり、その後、特に関係生徒から事情を聴取するなどの個別の対応をとらず、ただ、三年三組の全生徒への家庭訪問が終了した後、家庭訪問で出てきた問題を話し合う場が持たれた職員会議の席上、原告花子からの上記相談があったことを報告し、その報告を踏まえて、d主任が、五月七日ころ、○○中の全校集会において、いたずら的な電話をしないよう呼びかけを行ったにとどまった(甲44の14、81、証人a第一一回弁論調書61〜85、631、第一四回弁論調書58〜61、187〜190、同c第一五回弁論調書80〜82、288、原告花子本人第一八回弁論調書84〜94、弁論の全趣旨)。
(ウ) 太郎の遅刻への対応等
太郎は、一学期に風邪で一日だけで欠席したが、四月から六月ころにかけて遅刻が多かった。○○中の教員の中でa担任だけは、遅刻した生徒に対し、罰として職員室の掃除を課していたところ、太郎が職員室の掃除をした回数はクラスの中で一、二を争う程多かった(一学期の通知表(甲47の3)のa担任から原告ら宛の連絡事項欄には「遅刻の多さに驚いておいりましたが、現在では落ち着いているようです」と記載されていた。)。
a担任は、生徒が遅刻したときには、連絡用紙に生徒の反省と保護者からのコメントを書いてもらい、これを提出させていた。太郎は、遅刻の原因として主に朝寝坊や登校準備に手間取っていたことなどを記載し(自転車の故障が一回だけあった。)、原告らからは遅れさせないように気を付けさせる旨のコメントがあり、a担任は、改めて、太郎に遅刻の原因を問い質したりしなかった(甲4。47の3、証人a第一一回弁論調書27〜45、305〜325、485〜504、第一四回弁論調書76〜83)。
(エ) 被告同級生らの下級生に対する集団暴行への対応等
a 被告同級生ら及び三年生のH1、T1、T2、U1、B、K、S1は、平成八年二月ころから同年五月上旬にかけて、放課後や休み時間に、少なくとも、二年生一二人(延べ人数)に対し、一〇回以上にわたり、○○中の部室、校庭、教室等において、三年生をにらんだり生意気だなどとして、一、二名を呼び出し、集団でこもごも殴る蹴るなどの暴行を加え、被害申告をするとさらに暴行を加えるなどと脅して、口止めした(甲42の7、52の2〜10、112〜116、乙イ9の2)。
b その概要は以下のとおりである。
(a) 被告寅川、同乙川、U1、H1及びS1は、二年生三学期の二月ころ、知覧町内の平和公園のトイレに一年生M2を呼び出し、被告乙川及びU1を除いてM2の腹部を多数回殴るなどの暴行を加えた(甲52の2・10)。
(b) 被告寅川、同乙川、同丙山、同丁田、S1、H1及びU1は、二年生三学期ころから三年生四月ころにかけて、毎日のように、昼休みや休み時間に、部室や教室等に一年生下のT3を呼び出し、同丁田とU1を除いてT3の腹部や頭部を手拳で殴り腹部を蹴るなどの暴行を加え、さらに、金品をたかった(甲52の2・9)。
(c) 被告寅川は、二年生三学期の終わりころ、社会科資料室に一年生S2を呼び出し、腹部を少なくとも一〇回位殴るなどの暴行を加えた(甲52の2・8)。
(d) 被告寅川は、U1及びH1は、二年生三学期の三月下旬ころ、バレーコート付近に一年生S2を呼び出し、H1を除いて、S2の腹部を殴ったり足を蹴るなどの暴行を加えた(甲52の2・8)。
(e) 被告寅川、同丙山、H1及びS1は、二年生の春休みの終わりころ、バスケット部部室に一年生Wを呼び出し、同寅川が少なくとも三回位腹部を蹴るなどの暴行を加えた(甲52の2・7)。
(f) 被告寅川、同乙川、同丙山、同丁田、H1、S1及びU1は、四月上旬ころの放課後、二年生I、M3及びM4をバスケット部部室に順次呼び出し、被告丁田が見張りをし、その他の者は、上記二年生をこもごも多数回腹部を殴ったり足を蹴るなどの暴行を加えた(甲52の2・7)。
(g) 被告寅川は、四月九日ころの昼休み、三年生校舎体育館側に二年生M3を呼び出し、暴行を加えた(甲52の2・7、弁論及び全趣旨)。
(h) 被告寅川は、四月九日ころの昼休み、三年校舎体育館付近に二年生O1を呼び出し、少なくとも腹部を三回位殴るなどの暴行を加えた(甲52の2・6)。
(i) 被告寅川、H1及びU1は、四月中旬ころ、サッカー部部室に二年生O2を呼び出し、同寅川とU1が二〇回位腹部を殴るなどの暴行を加えた(甲52の2・4)。
(j) 被告乙川、同丁田、同丙山、及びS1は、四月上旬ころ、剣道部部室に二年生S2を呼び出し、丙山を除いてS2の腹部を手拳や竹刀で多数回殴り、足を蹴るなどの暴行を加えた(甲42の7、52の2・8)。
(k) 被告同級生らT1、B、S1及びU1は、四月二二日ころ、知覧町内の平和公園のトイレに二年生S2を呼び出し、頭部や腹部をこもごも合計一七〇回位殴り、さらに、二年生N2を知覧町内のミュージアム付近の藪に呼び出し、被告丁田とS1を除いて、手を後ろに組ませて、腹部等をこもごも殴るなどの暴行を加えた(甲41の20、42の7、52の2・5、112)。
(l) 被告同級生ら、S1及びU1は、四月二二日ころ、二年生S3を待ち伏せして、知覧町×△地区の町営住宅のガスタンクの裏で、同丁田、同丙山を及びU1を除いて、こもごも殴るなどの暴行を加え、お金をたかった(甲41の20、52の2・6)。
(m) 被告寅川、同乙川、同戊野、S1及びU1は、四月下旬ころ、サッカー部の部室に二年生T4を呼び出し、同被告及び同戊野がこもごも腹部を少なくとも一〇回位殴るなどの暴行を加えた(甲52の2・10)。
c ○○中の教員らは、五月上旬ころ、被害生徒Wの保護者からの申告により、上記暴行の事実を知り、二年生の担任教員が被害生徒らから事情を聴いて、これを生徒指導部会を通じて三年生の担任に報告し、三年生の担任教員らは加害生徒らから事情を聴くなどして調査を進め、上記aの各集団暴行の事実を把握し、六月六日午後四時三〇分から午後六時ころまでの間、加害生徒とその保護者及び被害生徒の保護者を集めて来校教育相談を行い、d主任が事案の概要を説明した後、各保護者と○○中各学年担任及び生徒指導部との間で再発防止について話し合い、その後、加害生徒及びその保護者が被害生徒の保護者に謝罪した(被害生徒は、三年生の顔を見たくないとして、会場に出席しなかった。)。
被害生徒の保護者は、再発防止の要望を出した後、謝罪を受け容れ、加害生徒及びその保護者は、再発防止を誓った。
当時の生徒指導態勢(甲53、乙イ16)は、d主任が全学年の生徒指導主任、b担任らが三年生の生徒指導主任、l教諭らが二年生の生徒指導主任であり、それまでに、生徒指導部会を中心に、各学期に二回位ずつ事例研究を行っていたが、平成八年一学期は、二回不登校について研修を行い、さらに、上記保護者来校相談前に、被告同級生らの二年生に対する集団暴行の被害者(二年生S2)について、事例研究として取り上げた。
しかし、○○中の教員らは、それ以外にも被告同級生らによる暴行事案があるかどうかについて調査等を実施せず、また、PTAの役員に連絡するなどして、学校全体として上記暴行事件に取り組む態勢を取らなかった。そして、c校長は、知覧町の教育委員会に対し、上記暴行事件について、太郎が自殺するまで報告しなかった(甲51、52の1〜14、乙イ9の2、証人b188〜205、同a第11回弁論調書554〜584、同d第16回弁論調書18〜20、131〜143、第17回弁論調書9〜12、74〜85、224〜248、同c第15回弁論調書29〜52、73〜90、第17回弁論調書76〜104、弁論の全趣旨)。
(オ) その他の被告同級生らの問題行動への対応等
a 被告丁田、同戊野、同乙川及び同級生四人は、四月下旬ころ、知覧町内の豊玉姫神社からテレホンカード合計五〇枚位等を盗んだ。同丁田の父が、六月中旬ころ、同被告の部屋で大量のテレホンカードを発見し、不審に思い、これを学校に持参して徹底調査を要請した。○○中の教員らは、同被告から事情を聴くと、あくまで拾ったものであるとの一点張りであったので、それ以上調査を続行しなかった(ただし、太郎の自殺後である同年一一月ころ、同丁田らが盗んだものであることが判明した。)(甲49、114、乙イ9の4、証人a第11回弁論調書100〜110)。
b 被告戊野とKは、被告寅川からいじめられていたことや家庭の事情などから、六月二〇日から同月二一日までの間、家出をし、熊本駅で保護された。その後、Kは、両親と共に学校を訪れて、c校長とi教頭に謝罪し、家出の原因について被告寅川から離れたかったなどと説明したが、特に詳細な事情等は聴かれなかった(甲9、116、乙イ9の6、証人p114〜176、524〜528、同i97〜106、190、なお、乙イ9の6には、Kの担任が、同人宅を訪問し、教育相談、指導を行い、さらに個人面談して語り込みをし、他の三年生担当の教員も語りかけを励行した旨の記載があるが、証人pのこのような相談や指導はなかったとの証言(172〜176)に照らすと、採用できない。)。
c Kは、八月二六日、被告寅川宅に呼び出され、同被告、S1及び△△中の生徒一人に囲まれて、カミソリを顔に突きつけられ身動きがとれない状態でまゆ毛をそられ、さらに、ソリコミも入れられた。Kは否定したが、同寅川らの仕業と覚ったKの両親は、直ちに警察に告訴し、さらに、○○中にも報告したが、学校からは何も事情を聴かれなかった(甲9、10、甲41の14・24、乙イ9の10、証人p12〜16、191〜242。なお、乙イ9の10には、pから事情を聴いて指導をした旨の記載があるが、何ら事情を聴かれなかったとのpの証言(226〜243)に照らすと、採用できない。)。
(カ) 生徒会アンケートへの対応等
a ○○中生徒会は、五月三一日の総会に先立ち、議題として取り上げて欲しいテーマについてアンケートを採ったところ、男子の頭髪の自由、先輩後輩の上下関係の他に、いじめについて生徒総会で話し合って欲しいという意見が出された。そこで、生徒会執行部は、生徒総会において意見発表をするために、各議題についてクラスで話し合うよう要望したが、当日、いじめについてまで議事が進行しなかったので、結局持ち越しとなり、改めて七月上旬を締め切りとして、全学年を対象とするいじめに関するアンケートを実施した。
その結果(アンケート総数三五四人(一年一七五人、二年一四七人、三年三二人で全校生徒の六五%から回答))は概略以下のとおりで、全校的に見てもいじめが相当存することが判明した。
質問 これまでいじめをしたことがあるか
回答 あると回答した生徒一〇〇人(ない二五四人)、
その内容 無視、悪口、からかう、けったりたたいたり、仲間外れ、どなる、冗談、物を隠す、いやがらせなど
質問 これまでいじめられたことがあるか
回答 あると回答した生徒七三人(ない二八一人)
その内容 悪口、仲間外れ、無視、ジュースをどぶに捨てられた、なぐられた、だまされた、差別された、石を投げられたなど
質問 これまでいじめを見たことがあるか
回答 あると回答した生徒一二三人(ない二三一人)
(甲77の1・2、117〜120、122)
b d主任は、上記アンケート結果に目を通したが、アンケートに回答した三年生の数が少なかったので(三年生約一八〇人のうち三二人)、生徒会係に理由を尋ねると、三年生は回答してくれず、回答した三二人は全員女子とのことであった。そこで、d主任は、三年生は、先般、二年生に対する集団暴行事件を起こした被告同級生らを含む学年であるから、回答しにくかったのではないかとか、アンケートに回答しないよう圧力を掛けたのではないかと考えたが、特にその背景等について調査することを考えなかった(証人d第16回弁論調書40〜45、第17回弁論調書2〜6、276〜286)
c 上記アンケート結果は、生徒会係から職員会全体に報告がなされ、○○中の全教員に配布された。そこで、職員会において、もっと掘り下げて対応をすべきとか、いじめについての研修をしなければならないとの意見が出され、○○中の教員らは、鹿児島県教育委員会から配布された「いじめの構造について」という資料に基づき、夏休み前に研修を実施したが、いじめの実態把握やその対策等については、特に話し合わなかった(証人d第16回弁論調書47〜60、第17回弁論調書8、51〜53、99〜124、287〜291)。
カ 太郎の三年生二学期(平成八年九月)の対応等
(ア) 九月九日の授業中、太郎からa担任宛に欠席する旨の電話があった。a担任は、授業終了後、太郎宅に電話し、休暇で在宅した花子から事情を聴くと、自転車の故障と腹痛で欠席させるとのことであった(上記1(10)オ認定事実)。
(イ) 太郎は、九月一一日、原告らに無断で自ら生徒手帳に「腹痛」と記載して原告らの印章を押捺し、これをD2に託して学校を欠席し、さらに、翌一二日、一三日には、届出もなく、原告らa担任にも無断で学校を欠席した(上記1(10)ク認定事実)。
(ウ) 九月一四日から同月一六日は連休で、学校は休みであった。
同月一一日から同月一六日までの間、a担任から原告ら宛に、太郎の無断欠席について、何も連絡はなかった(上記1(10)ケ認定事実)。
(エ) a担任は、九月一七日午後六時ころ、太郎宅に電話を掛け、帰宅していた原告花子に対し、太郎が同月一一日から同月一七日まで欠席している旨伝え、太郎の様子を尋ねた。
太郎は毎朝登校していると思っていた原告花子は、電話口に太郎を呼んで、どうして学校に行かなかったのかと叱り、その理由を尋ねると、学校で叩かれた、学校が怖かったとのことで、叩いた生徒や怖い生徒の名前を尋ねても、太郎は黙ったままで答えなかった。
そこで、a担任は、原告花子から、その旨聞いて太郎に電話を代わってもらい、太郎に欠席の理由を尋ねたが、太郎は言いたくなさそうで、特に話をせず、原告花子が太郎と話をするというので、電話を切った(上記1(11)イウ認定事実、証人a第11回弁論調書172〜180)。
(オ) a担任は、九月一七日午後九時ころ、原告花子から自宅に電話をもらい、太郎が被告寅川、同丁田及び同丙山から同月一〇日の休み時間に学校のベランダで暴行を受けたこと、その三人の自宅に電話を掛け、連絡が取れた同寅川とその両親が原告ら宅を訪れ、話し合いの上、謝罪してもらったことなどを聞き、明日から太郎を登校させるが欠席した場合には連絡して欲しいと頼まれた。a担任は、休んだ理由もわかり、太郎と同寅川が仲直りしたということで安心し、翌日、同丁田、同丙山や太郎から詳しい事情を聴いて対応しようと考えた。
また、a担任は、同寅川の担任のk教諭から電話をもらい、同寅川宅を訪問するとの話を聞いたが、特に自分は太郎宅を訪問することまで考えなかった(上記1(11)オ認定事実、証人a第11回弁論調書181〜191、197〜200、第14回弁論調書221〜229)。
(カ) a担任は、九月一八日の朝、c校長に昨晩の顛末を報告し、学年の職員朝礼の際に学年全体に報告し、さらに、被告丁田、同丙山から事情を聴くと、プラモデルの塗料の件でトラブルがあって腹部を五、六回位殴ったとのことであった(証人a第11回弁論調書192〜204、同i53〜57、497〜499、同c第15回弁論調書144〜149、155)。
(キ) 太郎は、同日も欠席していたが、a担任は、昨晩、原告花子から太郎が欠席した場合には夕方自宅に電話を掛けてくれるよう頼まれていたので、夕方に電話を掛ければよいと思い、原告花子の職場には電話を掛けなかった(証人a第11回弁論調書208〜211、第14回弁論調書19〜20、167〜172。なお、証人aは、同日の午前中と昼休みに太郎宅に電話を掛けた旨証言する(第11回弁論調書206、207)が、俄に信用できない。)。
キ 太郎は、a担任を含む○○中の教員らに対し、九月一七日までの間、被告同級生らから、以前から暴行等を受けていることを申告したことはなく、太郎の自殺後、様々な調査で太郎やその同級生らに対する被告同級生らの暴行等が判明した。もっとも、○○中は、太郎の自殺前に判明していた上級生の太郎に対する暴行、たかりや被告同級生らの下級生に対する集団暴行事件等について、○○町教育委員会に対する報告(知覧町立学校管理規則五一条。乙イ19)を怠っていた(甲72、82の1・2、83の1・2、84〜116、乙イ5〜8、9の1・2・4〜12、証人a第14回弁論調書176〜180、証人i60〜127、同c第15回弁論調書63〜72、83〜124、弁論の全趣旨)。
(2) ところで、公立学校の教員は、学校における教育活動及びこれに密接に関連する生活関係において、生徒の安全に配慮し、他の生徒の行為により、生徒の生命、身体や財産等が害されないよう、当該状況に応じて適切な措置を講ずる義務があると解される。特に、当該生徒がいわゆるいじめ(自分より弱いものに対して一方的に、身体的・心理的な攻撃を継続的に加え、相手が深刻な苦痛を感じているもの(乙イ24、27、55))を受けている場合には、いじめの兆候を見逃さず、早期発見に努め、又はいじめの訴え等があった場合には適切に対応し、いじめの事実関係を把握し、いじめている生徒にも適切な指導を加えて、いじめを受けている生徒の生命や身体等の安全を確保することが求められるというべきである(文部省や被告町の教育委員会等の各種通知や資料等(甲29〜38、乙イ24、25、27、28、30〜32、35〜37、39、43、55、63、67、68、69の1・2)は、教育の専門家として求められる注意義務の措定について意義がある。)。
(3) これを本件について見るに、上記(1)認定事実によると、確かに、太郎はa担任に対し、自殺前日の夜、原告花子を介して、被告寅川、同丁田及び同丙山から暴行を受けたことを伝えるまで、直接的又は間接的に、a担任を含む○○中の教員らに対し、被告同級生らから暴行等を受けていることを申告していないが、①b担任は、太郎が二年生の時、三年生から暴行を受けたり、たかりに遭っていたことを把握していたこと、②b担任は、太郎が二年生三学期ころから遅刻することが多くなり、その同行者として被告寅川の名前が挙がっていたことを認識していたこと、③a担任は、太郎が三年生一学期の四月下旬ころ、太郎宅を家庭訪問した際、原告花子から、被告寅川から太郎宛に頻繁に電話が掛かってくるが、太郎が遊びたがらず嫌がっているとの相談を受けていたこと、④a担任らは、被告寅川が三年生一学期の四月ころ、H1に暴行を加えるのを目撃したり、他の生徒から事情を聴いて、把握していたこと、⑤a担任は、そのころ、被告乙川や同寅川らが一緒に行動する傾向にあったと認識していたこと、⑥被告同級生らは二年生三学期ころから三年生一学期の四月下旬ころにかけて、少なくとも下級生に対する十数件もの集団暴行事件を起こし、○○中の教員らは、下級生の訴えにより、遅くとも三年生一学期の六月上旬ころまでにはその調査を終え、被告同級生らによる悪質かつ重大な問題行動を把握していたこと、⑦a担任は、太郎が三年生の一学期に頻繁に遅刻していたことを把握していたが、その原因として太郎の申告通り朝寝坊等によるものと軽信していたこと、⑧○○中では、毎週、生徒指導部会が開催され、生徒指導上の問題点について連絡や対策を検討する態勢が整っていたことなどが認められ、これらの事実を総合すると、遅くとも太郎が三年生一学期の六月ころには、太郎が被告同級生らから暴行等を受けていた兆候があり、a担任を含む○○中の教員らは、太郎が被告同級生らから暴行等を受けていたことを予見可能だったというべきである。
しかるに、上記(1)認定事実によると、a担任を含む○○中の教員らは、被告同級生らの太郎に対する暴行等の兆候を看過し、太郎の自殺までの間、速やかにその実態を調査し、事実関係の把握に努め、被告同級生らに対し、適切な指導を行っていないから、太郎の生命や身体等の安全を確保する義務を怠った過失があるというべきである。
なお、被告町は、○○中の教員らは、講話等を通じて、適切な指導を行っており、過失はない旨主張するが、これらは、あくまで一般的、概括的なものにとどまり、太郎の生命及び身体の安全に対する個別、具体的な注意義務を尽くしたとは到底いい難いから、被告町の上記主張は理由がない。
(4)ア 次に、太郎の自殺と○○中の教員らの上記過失との間に相当因果関係があるかについて検討する。
全国のみならず、鹿児島県内でも平成六年から平成七年ころまでの間、いじめを苦にした中学生の自殺が三件あり(甲57の1〜3、58〜60、61の1〜3、62の1・2)、これを受けて、○○中でも、n校長(平成八年四月まで○○中校長)が生徒や職員に新聞記事を示しながら、いじめについての訓話をした(証人i222)ことが認められるが、上記(1)認定事実によると、○○中の教員らが少なくとも被告寅川、同丙山及び同丁田の太郎に対する暴行の事実を把握したのは、太郎の自殺前日(平成八年九月一七日)の夕方から夜にかけて、a担任が原告花子からの電話を受けたことを契機とするもので、その電話の内容は、被告寅川とその両親が太郎宅を訪れて暴行を認めて謝罪したことを含んでいたものの、太郎が被告寅川、同丁田、同丙山から単発的な暴行を受けたというもので、太郎の生命や身体に差し迫った危険があったことを窺わせる事情は伝えられておらず、同月一一日から同月一三日及び同月一七日(自殺前日)、同月一八日(自殺当日)に太郎が学校を無断で欠席したことを考慮したとしても、a担任を含む○○中の教員らが、直ちに太郎が自殺に至ることを予見し、又は予見できたとまでいうことは困難である。
したがって、太郎の自殺と○○中の教員らの上記過失との間に相当因果関係を認めることはできない。
イ なお、原告らは、いじめによる自殺の場合の相当因果関係の予見可能性の対象は、自殺まで必要ではなく、社会生活上許容できない悪質、重大ないじめが継続し、その結果、被害生徒が精神的に追い詰められていた状況にあることを予見し又は予見可能であれば足りると主張する。
しかしながら、不法行為における特別損害について、過失と当該結果との間に相当因果関係が認められるためには、不法行為者に結果発生の予見又は予見可能性が必要であって、いじめによる自殺の場合にのみこれを緩和することはできないし、通常、社会生活上許容できない悪質、重大ないじめが継続し、その結果、被害生徒が精神的に追い詰められていた状況にあることを予見し又は予見可能であれば、少なくとも生徒が自殺することの予見可能性があったものということができるから、上記主張のように解すべき必然性はない。
そして、本件において、上記(1)認定事実によっても、太郎が自殺直前の平成八年九月一一日から同月一三日及び同月一七日に無断で学校を休んだこと、同月一七日の夕方から夜にかけて、太郎の申告により被告寅川、同丁田、同丙山が太郎に暴行を加えたことが判明し、同寅川が太郎宅を訪れて謝罪し、太郎が自殺当日に学校を無断欠席したことを考慮しても、同月一八日の時点で太郎の欠席が前日の出来事と関係があるものと推測はできるが、a担任を含む○○中の教員らが、未だ、太郎に対する社会生活上許容できない悪質、重大ないじめが継続し、その結果、被害生徒が精神的に追い詰められていた状況にあるものと予見し又は予見できたとまではいうことはできない。
ウ もっとも、a担任を含む○○中の教員らはいずれも教育の専門家であり、本件当時、すでに被告同級生らによる問題行動(上記(1)オ(エ)参照)を把握しており、かつ、各種通達・通知や新聞記事等によって、いじめがしばしば生徒の自殺に繋がりかねないことを知識として有していたと考えられるから、教育の専門家でない原告らとは異なり、上記教員らは、○○中に潜在的な暴力的風潮、あるいは深刻ないじめが伏在し、太郎がその被害者でないかと疑い、ひいて自殺前日における被告寅川による謝罪とそれに引き続く太郎の無断欠席等の事情から、あるいは太郎の自殺の可能性を予見できなかったか、がさらに問題となり得よう。なぜなら、太郎の自殺前夜に原告花子から電話連絡を受けたa担当ないし同人から指示を受けた○○中学の教員らが、直ちに(すなわち、太郎の自殺前夜か自殺当日午前中に)原告ら宅を家庭訪問し、太郎と面談しておれば、あるいは太郎の自殺という不幸な出来事を回避し得たかも知れないことが一応考えられるからである。
しかしながら、a担任を含む○○中の教員らは、太郎の自殺前夜の時点で、太郎に対する×△事件に象徴される深刻な傷害事件の実態を把握できておらず(この点は、太郎の三年時一学期に実施された生徒会アンケートの結果(上記(1)オ(カ)a)に対する○○中側の対応(同c)、太郎の同一学期の頻繁な遅刻に対するa担任の認識(上記(1)オ(ウ))等も含めて、a担任を含む○○中の教員らの義務違反として上記(3)に検討したとおりである。)、わずかに被告寅川らによる単発的な暴行事件を認識していたにすぎないのであり、このことから直ちに、太郎の自殺との間の相当因果関係を根拠づけることはできないと解される。a担任を含む○○中の教員らは、生徒の無断欠席、遅刻等がいじめの重要なシグナルとの認識を当然有していたというべきであるが、本件において、太郎は、自殺の三日前に家族で食事をした後カラオケに行き、翌日は高校入試の模擬試験を受験する等しており、既にこの時点で同人が自殺を決意していたとは推認し得ず、その決意は、早くても自殺の前夜か、あるいは自殺当日であったと認められる(このことは同人の遺書の内容からも推認し得る。)ところ、a担任は、太郎の自殺前夜、原告花子からの電話で、被告寅川から謝罪を受け太郎を明日から登校させる旨聞き、既に被告寅川と太郎が仲直りしたと認識していたことがうかがえ、そのような認識の教育的評価はともかく、a担任が被告寅川らの太郎に対する深刻ないじめの認識を欠いていた以上、上記イ説示のとおり、被告寅川の謝罪とそれに引き続く自殺当日の太郎の無断欠席の事実を認識していたというだけで、直ちに太郎が精神的に追いつめられた状況にあり、自殺のおそれがあることを予見し得たと評価することはできない。
エ そうすると、太郎の自殺と○○中の教員らの上記過失との間に相当因果関係があるとはいえず、被告町は被告同級生らの太郎に対する暴行等を防止できなかった限度で、国家賠償法一条一項の責任を負う。
4 争点3(原告らの損害)について
(1) 被告同級生らの負担すべき損害額
ア 太郎固有の損害額
(ア) 死亡による逸失利益
四一八五万一五〇五円
太郎は、本件当時、一四歳の男子であったところ、その逸失利益は、平成七年男子労働者学歴全年齢平均賃金五五九万九八〇〇円を基礎収入とし、その間の太郎の生活費控除割合を五〇%とし、これらを基礎に中間利息を年五%のライプニッツ式で控除する方法(一四歳から六七歳まで(五三年)のライプニッツ係数18.4934から、一四歳〜一八歳まで(四年)のライプニッツ係数3.5459を差し引いた14.9475を乗ずる。)で算定すると、四一八五万一五〇五円となる。
(計算式) 5,599,800×(1−0.5)×14.9475=41,851,505
(イ) 慰謝料 二〇〇〇万円
太郎は、長期間にわたり、被告同級生らから反復継続して執拗な暴行等を受け、専らこれにより自殺を選択したもので、太郎の受けた精神的、肉体的苦痛は甚大なものといわざるを得ず、本件に顕れた一切の事情を斟酌すると、太郎の慰謝料として二〇〇〇万円が相当である。
(ウ) 葬儀費用 一二〇万円
(エ) 原告らは、法定相続分に従い、(ア)ないし(ウ)の合計六三〇五万一五〇五円を二分の一(三一五二万五七五二円)ずつ相続した。
イ 原告ら固有の慰謝料
太郎の自殺により、原告らの受けた精神的苦痛を慰謝するためには、原告らそれぞれにつき二五〇万円が相当である。
ウ 以上合計
原告らそれぞれにつき三四〇二万五七五二円
エ 過失相殺
(ア) 被告同級生らは、太郎の自殺には、その自殺前日以降の原告らの言動が大きく寄与している旨主張する。
上記1(11)(12)認定事実のとおり、原告らは、太郎の自殺前日、太郎の口から被告寅川、同丁田、同丙山から暴行を受けたことを聞くや、連絡の取れた同寅川宅に電話を掛けて、同寅川とその両親が原告ら方を訪れて、同寅川と太郎に形ばかりの仲直りをさせ、これをもって問題は解決したものと考え、原告一郎において、学校に行くよう説諭し、自殺当日の朝、原告らは、太郎に対し、学校へ登校するようそれぞれ申し渡し、さらに、上記1(12)認定事実のとおり、原告花子は、太郎が自殺する一時間位前、昼食を摂るべく自宅へ帰途上、太郎を自殺場所付近で見つけ、学校に行かなかったことを叱責すると、太郎はベルトを自分の首に巻いて首を吊るまねまでして、原告花子に対し、「お母さん、僕、自殺するからね」と自殺の意思を表白したにもかかわらず、原告花子は、これを冗談だろうと考え取り合わなかったことが認められる。これらの事実は、太郎の自殺の一因をなしていることも否定できず、同人の死亡に伴う損害の公平な分担の観点からすれば、これらの事実を過失相殺に準じて斟酌するのが相当である。
しかして、その過失相殺の割合は、以上の事情等本件に顕れた一切の事情を斟酌すると、四割をもって相当と判断する。
(イ) 過失相殺後の原告らの損害額
二〇四一万五四五一円
(計算式) 34,025,752×(1−0.4)=20,415,451
(ウ) 弁護士費用 原告らそれぞれにつき二〇〇万円を認めるのが相当である。
(エ) 合計 原告らそれぞれにつき二二四一万五四五一円
(ただし、被告同級生の債務は、後記(2)のとおり、被告町と六六〇万円の限度で不真正連帯債務となる。)
(2) 被告町の負担すべき損害額
ア 上記3説示のとおり、太郎の自殺と○○中の教員らの過失との間に相当因果関係はなく、被告町は太郎の自殺についてまで責任を負わない。
しかしながら、被告町は、被告同級生らの太郎に対する暴行等を防止できなかった限度で、国家賠償法一条一項の責任を負う。
そして、太郎が被告同級生らから受けた暴行等は執拗なもので、これが太郎の自殺まで継続していたことを考慮すると、この間、太郎が受けた精神的、肉体的苦痛は甚大なもので、本件に顕れた一切の事情を斟酌すると、太郎の慰謝料は、一二〇〇万円を下らないというべきである。
原告らは、これを法定相続分に従い、それぞれ六〇〇万円ずつ相続した。
なお、被告町は、太郎の自殺直前の原告らの対応等について過失相殺を主張するが、太郎が暴行等を受けた限度においては、原告らの対応に過失相殺を考慮する程の過失があったとは認めることができない。
イ 弁護士費用 原告らそれぞれにつき六〇万円を認めるのが相当である。
ウ 合計 原告らそれぞれにつき六六〇万円
(ただし、被告町の債務は、被告同級生らと、六六〇万円の限度で不真正連帯債務となる。)
第4 結語
以上より、原告らの請求は、被告同級生ら(被告乙川次郎、同丙山三郎、同丁田四郎、同戊野五郎及び同寅川六郎)に対し、連帯して、原告らそれぞれにつき、各二二四一万五四五一円及びこれに対する平成八年九月一八日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金(内金六六〇万円及びこれに対する平成八年九月一八日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金については被告町とも連帯して)の限度で、また、被告町に対し、被告同級生らと連帯して、原告らにそれぞれにつき、上記金二二四一万五四五一円のうち各金六六〇万円及びこれに対する平成八年九月一八日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度でそれぞれ理由があるから、これを認容し、その余の請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官・榎下義康、裁判官・小川理津子、裁判官・横田昌紀)
別紙生徒指導の取組み状況<省略>