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鹿児島地方裁判所 平成13年(モ)958号 決定 2002年6月19日

債権者

保武男(X1)

(ほか8名)

上記債権者ら代理人

馬奈木昭雄

髙橋謙一

中尾英俊

幸田雅弘

安倍久美子

森德和

浦田秀徳

伊黒忠昭

吉野隆二郎

藤尾順司

武藤糾明

黒木聖士

債務者

瀬戸内町(Y)

上記代表者町長

義永秀親

上記債務者代理人

荒木邦一

大脇久和

三ツ角直正

大脇通孝

田邊宜克

安武雄一郎

太田吉彦

吉原洋

主文

1  上記当事者間の鹿児島地方裁判所名瀬支部平成13年(ヨ)第1号建築工事禁止仮処分命令申立事件について、同裁判所が平成13年5月18日にした仮処分決定は、これを取り消す。

2  債権者らの上記仮処分命令の申立てを却下する。

3  訴訟費用は債権者らの負担とする。

事実及び理由

第5 当裁判所の判断

1  被保全権利について

(1)  入会権の存否

<1>  一件記録及び当裁判所に顕著な事由によれば、以下の事実が一応認められる。

ア 網野子集落の概況

a 網野子集落は、平成13年1月末日現在、人口102人、世帯数59世帯の、債務者の中で東側に位置する集落である(入会権の主体である地域集団のことを「部落」ないし「集落」というが、ここで「集落」とは、日常用語としての非都市的地域集団のことをいう。)。

網野子集落には、古くから、集落民によって組織される集落会(寄り合い)があった。最高議決機関として総会(定期総会が年1回、そのほか臨時総会が開かれることがある)があり、役員の選出、予算決算の承認等が決議され、日常的なことがらについては、不定期に開かれる役員会で決定されていた(〔証拠略〕)。

b 集落内の決まり事については、口伝えによる規約があったが、平成2年4月14日の総会において、従前の慣習を明文化した「網野子部落会規約(案)」が提案され、同日の集落総会において全員一致で可決され、同年4月1日から「網野子部落会規約」(〔証拠略〕)が施行された。

同規約には、下記の規定がある(〔証拠略〕)。

(11条)

1 本会の会議は総会と役員会とする。

3 会議は、その構成員の過半数の出席をもって成立する。

5 会議の議決は、出席者の過半数をもって決し、可否同数のときは、議長の決するところによる。

(12条)

1 総会は、本会の最高議決機関とし、構成員は各世帯の代表者とする。

2 定例総会は毎年1回これを開き、次の事項を議決する。

(1) 規約の制定及び変更に関すること。

(2)  事業計画等に関すること。

(3)  収支決算に関すること。

(4)  役員の選出に関すること。

(5)  役員の報酬及び費用弁償の決定に関すること。

(6)  会費(各家庭からの徴収金)の決定に関すること。

(7)  その他総会に提案を必要と認める事項

イ  本件土地の登記

本件土地に関する登記は、昭和33年に発生した火災により、登記簿等が滅失してしまったため、昭和34年9月30日以前の内容については、不明とせざるを得ない。

昭和34年9月30日受付の回復登記によると、本件土地の所有者は、時永一郎、納フサキク、福島池碩、保池伝、保津宗熊、保武男、納武夫、福新良、吉寅二とされている。これらの者は、昭和34年当時の網野子集落の役員である(〔証拠略〕)。

ウ  本件土地の利用、管理形態

a 歴史的経緯

明治政府は、財政基盤の確保(地租の確保)を目的とした土地政策を進め、その前提として、それまでの封建的領主支配のもとでの土地支配形態を整理し、近代的土地所有制度を確立する必要があった。

そのため、明治政府は、明治5年2月15日太政官布告第50号により、何人も土地を所持し売買する自由があることを宣言し、さらに、土地の取引を安全、確実なものとするため、所有者に「地所地主タル確証」である地券(壬申地券)を発行した。そして、地券発行の基準を明確にするため、「地所名称区別」(明治6年3月25日太政官布告第114号)、「地所名称区別改定」(明治7年11月7日太政官布告第120号)を公布し、これにより土地の官民有区分が行われ、全国の土地が官有地と民有地とに区別された。

明治政府は、壬申地券の段階では、幕府や藩が直轄管理してきた山林は官有地、検地帳に記載のある山林は民有地、その他の山林、たとえば、一村ないし数か村の部落住民が入り会っていた山林については公有地に区分する考えであったが、「地所名称区別改定」は規定が抽象的であり、具体的な区分作業については、明治8年3月24日太政官達第38号によって設置された地租改正事務局が担当することになり、同事務局は、<1>公の帳簿や図面に所持(進退支配)を行う者が登載されている場合には民有他と認め、<2>登載がない場合であっても、買受けの証書があれば民有地と認め、<3>検地帳等に登載がなく、証書がない場合であっても、「人民ノ所有地ト看認ムベキ成跡アルモノ」であれば、民有地と認めることができるとした。そして、山林原野池溝等官民有区別更正調方(明治8年6月22日地租改正事務局達乙第3号)、山林原野等官民所有区分処分方法(明治9年1月29日地租改正事務局議定)によれば、証拠書類がなくとも、積年所持の慣行があり、あるいは、樹木草芽等を一村で処分収益してきたとの口伝えがあり、村持といわれてきたことを近隣の村落でも明瞭に知っていてその事実を保証している場合には、民有地と認定することにした。

その後、明治41年3月16日勅令第46号により「沖縄県及島嶼町村制」が施行され、奄美大島においても町村制が施行されることになり、10か村に統合された。これにより、当時の網野子村は、東方村の一部となった(なお、東方村は、昭和11年の町制施行により古仁屋町となり、昭和31年9月1日、町村合併促進法により、他の3村と合併し、瀬戸内町となった。)。

この島嶼町村制の施行にともない、鹿児島県は、明治41年4月1日、県令第30号をもって、「旧町村ノ所有財産ハ総テ新町村ノ基本財産ト為ス可シ」とし、旧村持林野は新町村の財産とするとされたが、本件土地が東方村有となったと認めるに足りる証拠はない(〔証拠略〕)。

b 本件土地の利用状況

網野子集落民は、次のように、本件土地に立ち入って、本件土地を利用してきた。すなわち、<1>昭和30年代ころまで、黒糖を詰めるための樽木用資材として、椎の木、アサゴロ、松の木などを切り出した。<2>昭和40年代ころまで、イジュ、イスノキ、モッコク、椎の木を切り出し、集落民の家屋建築用資材として利用した。<3>昭和30年ころ、町が造林奨励事業として杉の植林に補助金を出したため、他の集落民の同意を得た上で、杉の木を植林した者もいた。<4>リュウキュウアイを植栽し、藍染め染色原料を生産していた時期があった。<5>椎の木、樫の木を切り出し、スルッパと呼ばれる長さ6尺、幅7寸5分、厚さ5寸程度の角材を生産し、鉄道軌道用の枕木用材として移出していた時期があった。<6>昭和40年代ころまで、パルプ用の木材を伐採し、搬出していた。<7>薪炭材として立木を切り出し、利用していた。<8>萱やススキその他の草木を牛馬の飼料として利用したり、茅葺き屋根の家屋資材として利用していた。<9>椎茸栽培用の椎の木やタブノキ、ホルトノキを切り出した。<10>茶を栽培していた時期もあった。

現在では、木材価格の下落のため、営利目的のパルプ材の採取はなされていないが、なお、自家用として、雑木の採取、山菜取りをするなどして利用されている(〔証拠略〕)。

c 本件土地の利用に関する共同体的統制

網野子集落においては、入会地の利用、管理等について、直接明文で定めた規約は存在しない。なお、前記の「網野子部落会規約」にも、集落内の入会地の利用、管理等について定めた規定はない。

本件土地については、網野子集落に住所を置く者であれば、誰でも利用でき、その利用する時期等に格別の制限はない。

ただし、土地内の立木を自家用で使用するには許可は必要なかったが、それを販売したり、それを利用して商売する場合には、許可が必要であった。また、木材を伐採した集落民は、それを販売して得た利益の一部を、山税として集落に納めていた。

現在も、ツワブキやヨモギを採集したり、枯れ木を集めて薪にしたり、イノシシ狩りをすることは自由である。ただし、サルスベリの木については許可が必要である(〔証拠略〕)。

<2> 以上の諸事情を前提として、本件土地が網野子集落の入会地であるか否かを検討する。

まず、前記したような歴史的経緯の中で、本件土地の登記名義が網野子集落の役員の共有名義に回復登記されていることに鑑みれば、本件土地が官有地や町有地でなく、民有地とされたことがうかがえる。そして、本件土地は、登記名義のいかんに関わらず、網野子集落の所有であることは争いのないところである。

本件土地が民有地であったとして、次に、それが入会地であったかが問題となる。入会地と認められるためには、官民有区分以前から集落民が入会慣行を有しており、官民有区分以後現在までその入会慣行が存続していること、入会地の利用収益について入会集団の共同体的統制が存在することが必要である。

本件にあっては、上記のとおり、本件土地が官民有区分において民有とされたことに鑑みれば、本件土地は、官民有区分以前から網野子集落の集落民が支配進退していたことが窺われ、また、本件土地について、網野子集落の集落民が、古来、立木を伐採したり、山菜を採取するなどした入会慣行があり、そして、本件土地に限らず、網野子集落所有の財産について管理処分を行うには、その重要性に応じて区長、役員会、総会において協議決定がなされ、本件土地のような山林については、売却のために立木を伐採するときは、許可を受けた上、山税を納める必要があったなど、それが共同体的統制のもとにあったこと、すなわち、入会慣行と入会集団の統制があることが認められる。そして、網野子集落に住所を有し、かつ、居住していること(規約3条)がこの入会権の主体としての資格条件となっていることがうかがえる。

以上によれば、本件土地は、入会集団である網野子集落の入会地であると一応認めるのが相当である。前記のとおり、現在では、本件土地の入会地としての使用は限られたものとなったが、なお、入会慣行と網野子集落の共同体的統制は失われてはいない。

<3> この点につき、債務者は、奄美諸島の深山においては、官民有区分は実施されず、本件土地は鹿児島県有として取り扱われていたところ、明治20年以降に法人格なき社団として成立した網野子集落が、明治41年の島嶼町村制施行後、大正9年の普通町村制実施までの間に、林野の利用管理状況に関係なく、国有、県有地の余りを適宜新村と旧村に仕分けられる過程で、網野子集落の代表者名で登記がなされ、それによって同集落の所有権が確立したものであり、本件土地は、権利能力なき社団としての網野子集落の所有である旨主張する。

確かに、奄美諸島においては、長年薩摩藩による苛れん誅求に苦しめられてきた歴史的経緯はあったが、そのこと故に村落共同体の発達が遅れていたことを示すに足りる疎明資料はなく、網野子集落が当初から近代的社団として組織されたと認めることは困難である。かえって、奄美諸島において、昭和30年代まで農村共同体(入会地)が広範に残っていたことを示す調査資料が存する(〔証拠略〕)。

なお、債務者は、網野子集落という法人格なき社団が嘉徳集落から本件土地を取得したとも主張するが、同事実を認めるに足りる疎明資料はない。

(2) 本件賃貸借契約の性質

一件記録によれば、本件賃貸借契約は、本件土地上に本件施設を設置するためのものであり、本件施設が本件土地上に設置された場合、本件土地に対する入会権者の使用収益行為は不可能となる。このように、本件賃貸借契約は、その入会的利用形態の変更を来すものであるから、本件土地の変更、処分にあたることが一応認められる。

なお、債務者は、本件土地のように現に利用収益の実績がなく、従来においても部分を限って山林所有目的での土地の使用貸借の事跡が存する場合には、本件施設の設置により土地に物理的変更が加えられたとしても集落民の入会的利用形態に変更をきたすものではない旨主張するが、本件施設を建設することにより、債務者が将来にわたり、本件土地の相当部分を排他的に占有・利用することになるのは明らかであるから、債務者の上記主張は採用しない。

(3) 本件賃貸借契約(本件土地の処分)の有効性

<1> 全員同意の要否

ア  入会地の処分については、原則として、これにつき入会権者全員の同意が必要とされるのは、共有の性質を有する入会権の性質からして、当然のことであるが、この点につき、債務者は、入会権の行使については慣習を第一次法源とするところ、網野子集落においては、重要事項を集落総会において決する慣習があり、これらの議決成立要件は、集落世帯主の過半数の出席のもとに、出席者の過半数を得ることであるから、全員一致は必要がない旨主張するので、その点について検討する。

イ  まず、債務者は、上記慣習は、網野子集落のほか、瀬戸内町近辺の各集落にも及んでいる旨主張する。しかしながら、債務者提出の各集落の規約(〔証拠略〕)を検討すると、総会の議決要件として多数決を採用している集落がほとんどであるものの、総会の議決事項として集落所有の財産の処分を明示している集落は、18集落中わずか3集落(大棚、須手、思勝集落)にすぎないし、債務者の行った集落規約調査(〔証拠略〕)によっても、これまで山林の処分を行ったことがない部落や、説得により反対者にも同意してもらうようにしていた部落も存在するから、瀬戸内町近辺の各集落においても、債務者主張のような慣習が一般的であるとは認められない。

かえって、網野子集落規約(〔証拠略〕)には、重要な財産の処分を総会の付議事項とする明示的規定は存しないところ、同集落において重要財産を処分するについて、後記ウのとおり、総会の付議事項とした上、反対者があった場合には、説得により最終的に同意してもらうことにより、結果的に全員の同意を要するものとする慣行があったというべきである。

ウ  次に債務者は、網野子集落においては、総会の付議事項につき、過去に一部の反対者があったにもかかわらず、賛成多数で可決した事実が多数ある旨主張し、具体例として昭和41年、42年、44年本件土地の立木の一部を株式会社鶴崎パルプに売却した例、昭和44年に本件土地の立木の一部を納茂夫に売却した例、中央林道開設のため本件土地の一部を売却した例等を指摘する。

しかしながら、構成員もそれほど多数ではなく、また、その構成員が地域的に同じ場所に居注し、その相互の関係が日常的に密接な本件網野子集落のような構成員については、同意は、必ずしも、総会において全員一致の決議がされることを必要とするものでなく、総会後に説得に応じ、あるいは自己の主張をあきらめ、結果的に沈黙し、反対の意思を表明しなかった場合であっても同意があったものと認めるべきである。そして、〔証拠略〕によれば、上記立木の売買については、総会において、反対者を押し切って賛成多数により売却の決定がなされたものの、その後反対者は自己の主張をあきらめ、反対の意思を表明しなかったことが認められるから、これらについては、結局、上記のような意味での全員の同意があったものと認めるのが相当である。また、〔証拠略〕によれば、中央林道開設のための本件土地の一部売却については、中央林道のルートの変更を瀬戸内町に申し入れるなど、反対者の意見も採り入れた上で決議が行われており、全員の同意を得る努力がなされていることが窺われるのであり、決議後も反対者が、あくまで反対の意思を貫いたことを疎明するに足りる証拠もない。

そして、その他に、債務者が、多数決によって決議したと主張する具体例は、いずれも、処分行為ではなく、管理行為に属することがらであるか、処分行為であっても、反対者がいたことを疎明するに足りる証拠はないから、上記判断を覆すには足りない。

以上によれば、網野子集落においては、入会地を集落総会の多数決によって処分するとの慣習があるとは認めることができない。

エ  なお、債務者は、平成2年4月の網野子部落会規約の制定自体は、集落総会の全員一致によってなされたから、この事実を合わせ勘案すれば、上記規約制定後は、入会地の利用・管理を含み集落にとって重要な事項は全て集落総会の多数決による、との慣習が生じた、あるいは集落民は上記規約に拘束されるとも主張するが、前記のとおり、網野子部落会規約12条においては、総会の決議事項として、入会地あるいは部落有財産の処分・変更等は明示されておらず、規約制定後も集落民全員一致によるとする慣習に変わりはなかったから、同規約が網野子部落民全員の総意によって制定されたとしても、これをもって債務者主張のような慣習を生じたと認めることはできないし、入会地の処分について集落総会の多数決に拘束されるということもできない。

オ  したがって、本件賃貸借契約が有効になされたといえるためには、上記のような意味での入会権者全員の同意が必要である。

<2> 全員同意の有無

ア  〔証拠略〕によれば、次の事実が一応認められる。

a 平成10年11月29日、網野子集落の総会が開催され(出席者45名、委任者4名)、本件土地に一般廃棄物処理施設を設置することについての決議がなされ、賛成44票、反対5票で可決した(なお、無記名投票のため、反対者の氏名は不明である。)。また、施設用地を売却するか、賃貸とするかについては、賃貸とすることを出席者全員一致で決定した。

b なお、その後、平成12年2月14日の総会まで、本件一般廃棄物処理施設建設について、特段反対意見等が出されたことはなかった。

c 平成12年2月14日、網野子集落の総会が開催され(全戸数59戸、出席者38名、委任者4名)、本件賃貸借契約の内容について決議された。同総会において、債務者から示された契約書案(賃料額、賃貸期間、立木補償額等)について説明したところ、本件一般廃棄物処理施設の建設に反対する数名が、「平成10年11月29日の議決は無効であり、白紙撤回すべきである。」旨の意見を述べたため、網野子集落役員と議論となり、結局、債権者保武男らは、「このような問題を多数決で決められるはずはない。」などと発言した後、退席した。

その後、総会の場に残った集落民で、賃料を1平方メートルあたり22円から25円、立木補償費を1平方メートルあたり94円から100円の範囲で折衝すること、契約については、役員に一任することなどを全員一致で可決した。なお、債権者福島義秋は、本件賃貸借契約を5年ごとに見直す旨の意見を出したが、上記議案に賛成した。

上記2月14日の総会以降、後記eに記載する文書の送付までの間、債権者らが本件賃貸借契約に反対であることを明示的に意思表示したと認めるに足りる疎明資料はない。

d 平成12年4月16日、網野子集落の総会が開催され(全戸数60戸、出席者47名、委任者3名)、前年度の収支報告がされたほか、平成12年3月1日に締結された本件賃貸借契約について、賃料を1平方メートルあたり24円、立木補償費を1平方メートルあたり94円とすることなどが記載された資料(〔証拠略〕)が配付され、その内容に関する報告がなされ、質問を促したところ、特に質問もなかったほか、反対の意見を述べたり、異議を申し立てたりする者もいなかった。そのため、同報告は了承されたものと扱われた(なお、同総会には、債権者(またはその妻)らは、委任状を提出した者を含め、全員出席している)。

e 債権者ら代理人弁護士は、債務者に対し、平成12年5月24日付け及び同年6月21日付けで、債務者は本件土地に本件施設の建設を計画しているが、入会権者全員の同意がないから、違法な計画であるので、計画の白紙撤回を求める旨の文書を送付した。

イ  以上の事実をもとに、本件賃貸借契約につき、入会権者全員の同意があったといえるかどうかについて検討する。

上記<1>のとおり、入会地の処分についての同意は、必ずしも集落総会に全員出席した上で、全員一致の議決がなされる必要はなく、総会後に説得に応じ、あるいは自己の主張をあきらめ、特段の反対の意思を表明しなかった場合には、黙示の同意があったものと認める余地がある。そして、上記のとおり、平成10年11月29日の総会では、本件施設を設置するため、本件土地を債務者に賃貸することについては全員一致で賛成していること、平成12年2月14日の総会は、本件賃貸条件に関する細目を協議する重要な総会であったが、同総会において、債権者保武男らは、「多数決で決められるはずはない。」などとして退席し、結果的に総会出席者は、本件賃貸借契約の条件等について、役員会に一任することに全員一致で賛成していること、また、本件賃貸借契約締結後の平成12年4月16日の総会において、本件賃貸借契約について資料配付の上、報告がなされ、質疑応答がなされたにもかかわらず、本件賃貸借契約締結について、債権者らを含め反対の意見を述べた者はいなかったというのであるから、結局、本件賃貸借契約締結については、平成10年11月29日の時点においては、5名の誘致反対者がいたものの、その後、集落民の意見の大勢は本件施設の誘致について積極的ないし消極的賛成に傾き、反対の意思を表明するものはいなくなったと認められるから、平成12年4月16日の総会までに、本件賃貸借契約締結に関し、入会権者全員の同意があったものと認めるのが相当である。

この点に関し、債権者らは、平成12年4月16日の総会においては、本件賃貸借契約に関する議決はなされていないこと、債権者らは、同総会後、債権者ら代理人弁護士を通じて、債務者の建設計画は違法なものである旨を通知している点などからすると、本件賃貸借契約について全員の同意があったとはいえない旨主張する。しかしながら、上記のとおり、同総会に至るまでの経過に鑑み、本件賃貸借契約について、全員の同意があったと認めることができ、全員の同意が得られた同日の総会の後に、翻意し、反対の意見を通知したからといって、上記同意を撤回することはできないというべきである。よって、債権者らの上記主張は採用することができない。

<3> したがって、本件賃貸借契約は、結果的に本件土地の入会権者全員の同意が得られたものとして、有効と解すべきである。

(4) 以上によれば、本件仮処分申立ては、被保全権利の疎明がないので、その余の点について判断するまでもなく、理由がない。

2 結論

以上のとおり、債権者らの申立ては理由がないから、これを認容した原決定を取消し、債権者らの申立てを却下することとし、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 吉田肇 裁判官 柴田義明 三村憲吾)

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