鹿児島地方裁判所 平成15年(わ)217号 判決 2007年2月23日
主文
被告人12名はいずれも無罪。
理由
(公訴事実)
本件各公訴事実は,各起訴状及び訴因の変更・追加請求書記載のとおりであるが,要するに,被告人Kは,平成15年4月13日(以下,特に断りのない限り,判決中に記載されている月日の年は,平成15年である。)施行の鹿児島県議会議員選挙(以下「本件選挙」という。)に際し,曽於郡区から本件選挙に立候補する決意を有していた者であり,被告人Lは,被告人Kの妻でかつ本件選挙に関する被告人Kの選挙運動者であり,被告人Aは,曽於郡区の選挙人でかつ本件選挙に関する被告人Kの選挙運動者であり,その余の被告人及び亡Eは,いずれも曽於郡区の選挙人であるところ,いずれも被告人Kに当選を得しめる目的をもって,①被告人K及び同Aが,共謀の上,2月上旬ころ(なお,検察官は,第42回公判において,「2月8日」と釈明した。),被告人G方(同人方は被告人A方でもあり,以下,「被告人A方」という。)において,被告人B,同C,同D,亡E,被告人F及び同Mに対し,被告人Kへの投票及び投票取りまとめ等の選挙運動をすることの報酬として,それぞれ6万円ずつ供与するとともに立候補届出前の選挙運動をし,被告人Bら5名は前記各供与を受けたというもの(第217号,266号,394号,395号,396号。以下,この件を「1回目会合」という。),②被告人K,同L及び同Aが,共謀の上,2月下旬ころ,被告人A方において,被告人B,同C,同D,同J,亡E及び被告人Fに対し,被告人Kへの投票及び投票取りまとめ等の選挙運動をすることの報酬として,それぞれ5万円ずつ供与するとともに立候補届出前の選挙運動をし,被告人Bら5名は前記各供与を受けたというもの(第292号,293号,295号,320号,321号。以下,この件を「2回目会合」という。),③被告人K,同L及び同Aが,共謀の上,3月中旬ころ,被告人A方において,被告人B,同C,同D,同J及び亡Eに対し,被告人Kへの投票及び投票取りまとめ等の選挙運動をすることの報酬として,それぞれ5万円ずつ供与するとともに立候補届出前の選挙運動をし,被告人Bら4名は前記各供与を受けたというもの(第292号,293号,95号。以下,この件を「3回目会合」という。),④被告人K及び同Lが,共謀の上,3月下旬ころ(なお,検察官は,第42回公判において,「3月24日」と釈明した。),被告人A方において,被告人A,同B,同C,同D,亡E,被告人F,同G,同H,同I及び同Jに対し,被告人Kへの投票及び投票取りまとめ等の選挙運動をすることの報酬として,それぞれ10万円ず供与するとともに立候補届出前の選挙運動をし,被告人Aら9名は前記各供与を受けたというもの(第266号,269号。以下,この件を「4回目会合」という。)である。
(弁護人らの主張)
各被告人の弁護人らは,前記4回の会合はいずれも開かれておらず,1回目会合での被告人A及び同Kから関係被告人への供与及びこれに対応する関係各被告人の受供与,2・3回目各会合での被告人A,同K及び同Lから関係被告人への供与及びこれに対応する関係各被告人の受供与,さらに4回目会合での被告人K及び同Lから関係被告人への供与及びこれに対応する関係各被告人の受供与はいずれもなかったのが真相であり,これらがあったことに沿う被告人A,同J,同D,同B,同C及び亡Eの捜査官に対する自白を内容とする各供述調書はいずれも全て信用することができず,被告人12名はいずれも無罪であると主張する。
(当裁判所の判断)
当裁判所は,本件各公訴事実については,いずれも犯罪の証明がないことに帰するから,被告人らはいずれも無罪であると判断した。以下,その理由について詳述する。
第1前提事実
関係証拠によれば,以下の事実を認めることができる。
1 被告人らの身上関係等について
(1) 被告人Kは,4月13日に実施された本件選挙につき,4月4日,曽於郡区から立候補し,当選した者である。
(2) 被告人Lは,被告人Kの妻である。
(3) 被告人Aは,本件選挙当時,鹿児島県曽於郡志布志町(現在の志布志市志布志町)の(a)小校区(b)集落(以下「(b)集落」という。)に在住し,被告人Kが経営する有限会社K商店に勤務しており,本件選挙につき選挙権を有していた者である。
(4) 被告人Gは,本件選挙当時,(b)集落に居住していた被告人Aの夫であり,本件選挙につき選挙権を有していた者である。
(5) 被告人Dと被告人Jは,本件選挙当時,(b)集落に居住していた夫婦であり,いずれも本件選挙につき選挙権を有していた者である。
(6) 被告人Bと被告人Iは,本件選挙当時,(b)集落に居住していた夫婦であり,いずれも本件選挙につき選挙権を有していた者である。
(7) 亡Eは,本件選挙当時,(b)集落に居住しており,本件選挙につき選挙権を有していた者であるが,本件の審理が係属している平成17年5月24日に死亡した。
(8) 被告人F,同Mは,本件選挙当時,(b)集落に居住しており,本件選挙につき選挙権を有していた者である。
(9) 被告人Hは,本件選挙当時,(a)小校区の(c)集落に居住しており,本件選挙について選挙権を有していた者である。
(10) 被告人Cは,本件選挙当時,(a)小校区の(d)集落に居住しており,本件選挙について選挙権を有していた者である。
2 捜査・公判の経過について
(1) 鹿児島県警察は,4月12日ころ,本件選挙につき,被告人Kの選挙運動を行っていたaが,建設会社の役員らに対し,缶ビール1箱を贈り,被告人Kへの投票依頼を行ったとの情報,及びaが,同じく本件選挙に関連し,亡Eらに対し,焼酎や現金を贈り,被告人Kへの投票依頼を行ったとの情報を入手し,4月14日から16日にかけてa,亡Eらを任意同行の上取り調べたものの,aが4月17日に入院したこともあり,十分な供述を得ることができず,捜査は中止された。
(2) また,鹿児島県警察は,内偵捜査の結果,(a)小校区において,本件選挙につき被告人Kを支援する者として,被告人G,同C,同B,同D,亡Eらがおり,これらの者が本件選挙に関連して物品等を受け取っているとの情報を得たため,4月17日から19日にかけて,これらの者を任意で取り調べたところ,新たに,被告人Aが,本件選挙に関し,被告人Jと亡Eに対し,焼酎と現金を渡した(以下,この件を含め,被告人Aらが,本件選挙において被告人Kへの投票を依頼する趣旨で,(b)集落の者らに対して焼酎と現金を配った事件を「焼酎口事件」という。)という供述を得たため,4月22日,被告人Jに対する1万円の供与並びに亡Eに対する1万円及び焼酎の供与を被疑事実として,被告人Aを通常逮捕した。
(3) 焼酎口事件については起訴されるに至らなかったが,4月30日に,被告人Jから,被告人A方で買収会合が開かれたとの供述がされ,これを端緒として被告人らの取調べが行われた結果,概ね5月7日ころまでの間に,被告人A,同B,同D,同J及び亡Eが,それぞれ,1回目会合ないし4回目会合について自白するに至り,被告人Cも,5月19日に1回目会合について自白を始め,以後,1回目会合ないし4回目会合について自白した(以下,この自白を総称して「被告人らの自白」ということがある。)。
(4) 被告人A,同C及び同Dは,当裁判所における第2回ないし第4回公判(第217号,266号事件)の罪状認否の手続においても,1回目会合及び4回目会合の事実を認める陳述をしたものの,その後,保釈により身柄拘束を解かれた後に開かれた第5回及び第6回公判において,否認に転じ,以降,すべての被告人が本件各公訴事実を全面的に争っている。
第2被告人らの自白内容
被告人A,同B,同D,同J,同C及び亡Eの捜査段階における自白の内容は,多少の食い違いはあるものの,概ね相互に符合しており,その内容は,大要,以下のとおりである。
1 1回目会合について
2月8日の晩,被告人A方において会合が開催され,被告人K,同A,同B,同C,同D,亡E,被告人F及び同Mらが参加した。会合では,被告人Kらが,本件選挙について応援を依頼する旨のあいさつをするなどしたが,会合の途中,被告人Aが,被告人Kから3万円入りの封筒を数通受け取り,その場において,本件選挙につき被告人Kへの投票を依頼する趣旨で,前記参加者らに対し,その封筒を2通ずつ渡した。
2 2回目会合について
2月下旬ころの晩,被告人A方において会合が開催され,被告人K,同L,同A,同B,同C,同D,同J,亡E及び被告人Fが参加した。会合では,被告人Kらが,本件選挙について応援を依頼する旨のあいさつをするなどしたが,会合の途中,被告人Aが,被告人Kから5万円入りの封筒を数通受け取り,その場において,本件選挙につき被告人Kへの投票を依頼する趣旨で,前記参加者らに対し,その封筒を1通ずつ渡した。
3 3回目会合について
3月中旬ころの晩,被告人A方において会合が開催され,被告人K,同L,同A,同B,同C,同D,同J及び亡Eが参加した。会合では,被告人Kらが,本件選挙について応援を依頼する旨のあいさつをするなどしたが,会合の途中,被告人Aが,被告人Kから5万円入りの封筒を数通受け取り,その場において,本件選挙につき被告人Kへの投票を依頼する趣旨で,前記参加者らに対し,その封筒を1通ずつ渡した。
4 4回目会合について
3月24日の晩,被告人A方において会合が開催され,被告人K,同L,同A,同B,同C,同D,亡E,被告人F,同G,同H,同I及び同Jが参加した。会合では,被告人Kらが,本件選挙について応援を依頼する旨のあいさつをするなどしたが,会合の途中,被告人Kが,被告人Lから10万円入りの封筒を数通受け取り,その場において,本件選挙につき自らへの投票を依頼する趣旨で,前記参加者らに対し,その封筒を1通ずつ渡した。
第3被告人らの自白の信用性の全体的検討
1 被告人Kのアリバイについて
弁護人らは,1回目会合及び4回目会合について,被告人Kにアリバイが成立する旨主張しており,後記のとおり,被告人Kもこれに沿う供述をしているので,以下検討する。
(1) 1回目会合及び4回目会合が開かれたとされる日時の特定について
アリバイの成否を検討する前提として,被告人らの自白に基づき,1回目会合及び4回目会合が開かれたとされる日時を特定する必要がある。そこで,まず,この点について検討する。
ア 買収会合の日付について
(ア) 1回目会合について
まず,被告人Aの検察官調書によれば,1回目会合が開かれたのは2月8日であるとされている。なお,第30回公判調書中の証人甲(本件の捜査指揮を執った警察官。以下「甲」という。)の供述部分(以下「甲供述」という。)によれば,被告人Aから,1回目会合の日は会合のために早退したとの供述が得られ,裏付け捜査の結果,被告人Aの2月上旬の早退日は2月1日と2月8日であったとのことである。
次に,被告人Cの検察官調書によると,1回目会合が開かれたのは2月8日(又は2月8日ころ)であるとされている。このように,日付を特定した経緯について,前記検察官調書及び被告人Cの警察官調書によると,1回目会合が開かれたのは,地元の祭りが行われた2月2日以降で,被告人Kが経営する農場で売り渡したサツマイモの代金を受け取った2月14日より前であり,かつ,妻のbが踊りの練習に参加していた土曜日であるとされている。この点に関しては,被告人Cの妻であるbの検察官調書によると,被告人Cから,2月8日の晩に集まりがあるから来ないかと誘われたが,踊りの練習があるので断ったとされており,被告人Cの前記供述と符合している。そして,捜査報告書によって,2月2日から2月14日までの間で,bの踊りの練習があったのは2月8日のみであることが判明している。
次に,被告人Bの警察官調書によると,1回目会合が開かれたのは長女が入院した2月7日の前後ころであるとされている。また,甲供述によれば,被告人Bが2月1日に釣りクラブの新年会に出席していたことについては,裏付けが取れており,2月1日に1回目会合が開かれた可能性はないとのことである。
さらに,亡Eについては,甲供述によれば,2月9日に別の会合に出ていることについては,裏付けが取れているため,2月9日に1回目会合が開かれた可能性はないとのことである。
加えて,被告人Dの供述調書によれば,被告人Dは,1回目会合の後,その日のうちにコンビニエンスストアで,受け取った6万円の中から携帯電話料金2万6000円を支払ったとされているところ,その支払が2月8日午後10時55分になされていることが判明している。
このように,1回目会合が2月8日に開かれたことが複数の根拠によって裏付けられており,逆に,1回目会合が2月8日以外の日に行われたことを示すような証拠はない。
したがって,1回目会合が開かれたのは2月8日であると特定することができる。
(イ) 4回目会合について
まず,被告人Aの検察官調書によると,4回目会合が開かれたのは,自分が職場を早退した日であり,かつ,同僚であるyが出勤していた日であるとされ,被告人Aが3月下旬に早退したのは3月24日と3月27日であること,yが3月25日から3月27日まで欠勤していたことを職場のタイムカードの記録で確認の上で,4回目会合の日が3月24日であると特定されている。
次に,被告人Jの検察官調書によると,4回目会合のあった日が夫である被告人Dの給料日であったとし,さらに,当日会合に行く直前に見たテレビ番組の内容や印象的な場面について具体的に言及した上,当日のテレビの番組表も参照して,4回目会合の日が3月24日であると特定されている。
さらに,被告人Cの検察官調書によると,4回目会合があった日にシルバー人材センターで年会費を納めた後,メロンの苗を買ったとされているところ,その年会費を納付した際の領収証により,その日が3月24日であることが判明している。
なお,被告人Dの検察官調書によると,4回目会合があったのは,3月下旬ころで,残業で帰宅が遅くなった日だったと思うとされ,被告人Dの勤務状況を調べたところ,3月下旬の残業日は3月24日と3月28日であるとのことである。また,同調書によれば,3月22日は亡E方での祝いの席,3月25日は送別会,3月29日は花見,3月30日と3月31日は地域の会合があったとされており,これらの日に4回目会合があった可能性は排除できる。他方,被告人Bの検察官調書によると,4回目会合があったのは,孫(長女の長男)の入院中であった,その入院期間は3月16日ころから3月25日ころまでであり,4回目会合は3月25日より前のことだった,3月21日は春分の日,3月23日は日曜日であり,両日は4回目会合のあった日ではなかったとされている。したがって,被告人D及び被告人Bの供述調書の内容によっても,4回目会合のあった可能性のある日が3月24日に絞られることになる。
このように,4回目会合が3月24日に開かれたことが複数の根拠によって裏付けられていると同時に,3月下旬のそれ以外の日については,4回目会合が開かれた可能性を排斥できる。逆に,4回目会合が3月24日以外の日に行われたことを示すような証拠はない。
したがって,4回目会合が開かれたのは3月24日であると特定することができる。
(ウ) 検察官の釈明について
本件においては,審理の初期の段階から,1回目会合及び4回目会合における被告人Kのアリバイの成否が重要な争点の一つとされ,その関係で,弁護人側から,再三にわたって,各会合の開催日に関する検察官の主張を特定するよう,求釈明の申立てがなされてきた。そして,これを受けて,検察官は,本件の審理の終盤に近い第42回公判において,1回目会合が開かれたのは2月8日であり,4回目会合が開かれたのは3月24日であると釈明するに至っている。本件においては,アリバイの成否との関係で,会合の日時の特定が極めて重要な意味を持つところ,検察官は,そのことを認識し,本件の証拠関係を十分検討した上で,前記のとおり釈明したものと考えられる。
このような訴訟経過にかんがみれば,検察官の釈明により特定された日以外の日に会合が行われた可能性があることを理由に,アリバイの主張を排斥することは不意打ち認定として許されないというべきであるが,前述した証拠関係からいっても,検察官の釈明により特定された日以外の日に会合が行われた可能性は否定できると考えられる。
イ 被告人Kが買収会合に参加していた時間帯について
次に,アリバイの成否を検討する前提として,被告人らの自白に基づき,被告人Kが買収会合の際に被告人A方にいたとされる時間帯を特定することとする。
(ア) 1回目会合について
まず,1回目会合が始まった時間については,午後7時ころとする供述もあるが,遅くとも午後7時半ころには始まったとされている。また,1回目会合が始まった時点で被告人Kが被告人A方にいたことについては,被告人らの自白の内容が一致しており,被告人Aの警察官調書によれば,1回目会合の際,午後7時半の集合時間より少し前に被告人Kが到着し,その後,私が声をかけた人が集まってきて午後7時半ころから会合が始まったとされている。したがって,1回目会合の開始時間に多少の誤差があり得ることを考慮に入れても,被告人らの自白に基づけば,被告人Kは遅くとも午後7時半には被告人A方に到着していたことになる。
また,1回目会合の際に被告人Kが被告人A方を出た時間については,午後8時半ころとする供述もあるが,少なくとも,午後8時ころまでは被告人A方にいたとされている。
以上からすれば,被告人Kが1回目会合の際に被告人A方にいた時間帯は,最も短くみたとしても,午後7時半から午後8時ころまでとなる。
(イ) 4回目会合について
4回目会合の際も,会合が始まった時点で被告人Kが被告人A方にいたことについては,被告人らの自白の内容が一致している。そして,4回目会合が始まった時間については,午後7時ころないし午後7時過ぎとする供述や,午後7時半過ぎころとする供述もあるが,遅くとも午後8時ころには始まったとされている。
また,4回目会合の際に被告人Kが被告人A方を出た時間については,午後9時ころということでほぼ一致している。
以上からすれば,被告人Kが4回目会合の際に被告人A方にいたとされる時間帯は,最も短くみたとしても,午後8時ころから午後9時ころまでとなる。
(2) 1回目会合についてのアリバイ
被告人Kは,2月8日の自らの行動について,次のとおり供述している。「2月8日午後6時40分ころ,(e)中学校の同窓新年会に出席するため,自ら軽自動車を運転してホテル(f)に行った。午後7時ころから同窓新年会が始まり,自分は,本件選挙に関して皆の前であいさつをした後,出席者らにあいさつをして回った。1時間近く経ったころ,カラオケが始まり,自分も歌った。午後10時ころ,同窓新年会が終了し,同窓生のc(以下「c」という。)とともに,運転代行業者の運転でホテル(f)を出発し,cを家まで送ってから帰宅した。なお,同窓新年会の途中で,ホテル(f)を抜け出したことはない。」(第42回及び第44回公判調書中の被告人Kの供述部分)
そして,これを裏付ける証拠として,後記アの客観的証拠のほか,第44回公判調書中の証人d及び証人eの各供述部分並びに第43回公判調書中の証人fの供述部分(以下,それぞれ「d供述」,「e供述」及び「f供述」という。)が存在するので,以下,検討する。
ア 客観的証拠
まず,2月8日午後7時ころから,ホテル(f)において,(e)中学校昭和36年卒業生同窓新年会が開催されたという事実を裏付けるものとして,ホテル(f)の予約台帳(写し),同窓新年会名簿及び領収証が存在する。これらの証拠は,いずれも客観的なものであり,特に,ホテル(f)の予約台帳(写し)及び領収証については,通常の業務遂行過程において機械的,定型的に作成される書面であるから,恣意的な作為が入る余地に乏しく,その信用性は極めて高いというべきである。
そして,ホテル(f)の予約台帳(写し)には,日付として「平成15年2月8日」,時間として「7:00」,団体名として「36年卒同窓新年会」,幹事として「d」,「g」との記載がある。また,同窓新年会名簿には,タイトルとして「(e)中学校三十六年卒業生同窓新年会」,日時として「平成15年2月8日午後7時」,会場として「ホテル(f)」,同窓会代表として「d,g」との記載があるほか,参加予定者として,被告人Kの氏名が記載されている。さらに,領収書は,ホテル(f)が発行したものであるが,これには,「15年2月8日」,「36年卒同窓会様」との記載がある。このように,これらの証拠の記載内容は,相互によく符合し,何らの矛盾も認められない。
以上からすれば,2月8日午後7時ころから,ホテル(f)において,(e)中学校昭和36年卒業生同窓新年会が開催されたことは揺るがす余地がなく,また,被告人Kがこれに参加したことが十分にうかがえる。
イ f供述
次に,運転代行業を営むf(以下「f」という。)の供述を検討する。
(ア) 供述要旨
2月8日午後10時ころ,ホテル(f)からの依頼を受け,同ホテルから被告人Kら2名を乗せて運転代行をした。本件選挙のポスター等で被告人Kの顔を知っていたので,本人であることは分かった。自分が,被告人Kの軽自動車を運転し,志布志町内にあるホテル(m)の近くで被告人Kの同行者を下ろした後,被告人Kを自宅まで送った。
(イ) 信用性について
f供述は,乗務記録簿によって裏付けられている。この乗務記録簿は,fが日常の業務の際に機械的,定型的に作成している帳簿であり,原本は,警察がfから事情聴取をした7月ころの時点で警察に提出されていることから,改ざん等の可能性も考えにくく,高度の信用性を有する客観的資料であるところ,その2月8日の頁の「NO5」欄には,「依頼元」として「(f)」,「開始時間」として「10時03分」,「到着地」として「(g)」(被告人Kの自宅近くの地名である。),「走行キロ」として「5.5」と記載されている。
また,実況見分調書は,fが被告人Kを乗せて運転代行をした経路等を確認するため,7月31日にfを立会人として実施した実況見分の結果を記したものであり,fがその時点から同旨の供述をしていたことがうかがえるが,これによると,ホテル(f)からc方を経由して被告人K方付近に至るまでの距離が約5.3キロメートルであることが認められ,この点は,前記乗務記録簿の記載と概ね合致している。
さらに,fは,被告人Kの車の運転代行を1度引き受けたにすぎず,被告人らとそれ以上の関係を持っていないことから,第三者的立場の証人であるといえる上,その供述内容をみても,非常に具体的かつ自然であり,被告人Kの車の種別,仕様,同行したcの特徴等についてまで供述するなど,迫真性に富んでいる。
以上からすれば,f供述は極めて信用性が高いと認められる。そして,これによれば,被告人Kが2月8日の同窓新年会に出席していたことが強くうかがえ,少なくとも,閉会した午後10時ころ,ホテル(f)にいたことは揺るがす余地はないと考えられる。
ウ d供述及びe供述
次に,2月8日の同窓新年会において幹事を務めたd(以下「d」という。)及び同会に出席した同窓生のe(以下「e」という。)の各供述を検討する。
(ア) d供述の要旨
2月8日の同窓新年会には,本件選挙への立候補を表明していた被告人Kを激励する意味合いも含まれていたので,当然,被告人Kも出席しており,午後7時ころには,ホテル(f)に来ていたと思う。同窓新年会の途中で,被告人Kが,自分のところにあいさつに来て,「幹事,御苦労さん」などという趣旨のことを述べた。また,被告人Kが,テーブルの上に名刺か何かを置いていたので,この場で配布するのは差し控えるよう注意した。同窓新年会が終わったのは,午後10時ころだったと思うが,そのとき,被告人Kがどうしていたか記憶にない。
(イ) e供述の要旨
2月8日午後6時40分ころ,(e)中学校の同窓新年会に出席するため,ホテル(f)に赴いたところ,既に,被告人Kらが来ていた。同窓新年会は,午後7時ころ始まり,まもなく,被告人Kが,皆の前で,本件選挙に立候補するとのあいさつをした。30分ほど経過してから,被告人Kが,自分のところに来て,後援会に入るよう話しかけてきた。また,午後9時前ころから,カラオケが始まり,被告人Kも,2曲歌った。午後10時ころ,同窓新年会が終わり,被告人Kは,運転代行業者の運転する車で帰っていった。
(ウ) 各供述の信用性について
d及びeは,被告人Kの中学校時代の同級生であり,特に,dは,本件選挙への立候補を表明していた被告人Kを激励する趣旨も兼ねて実施された同窓新年会の幹事だったものであるから,被告人Kに有利になるような供述をする動機が全くないとはいえず,その供述の信用性を検討するに当たっては慎重を期す必要がある。
しかしながら,既に検討したとおり,被告人Kが,同窓新年会の行われていた間,終始ホテル(f)にとどまっていたかどうかは別として,同窓新年会に出席し,少なくとも,閉会時にホテル(f)にとどまっていたことは揺るがす余地がないところ,これを前提に考えると,被告人Kが開会時にあいさつをし,本件選挙に立候補することを表明したこと(e供述),被告人Kが出席者にお酌をして回り,本件選挙での支援を求めたり,名刺のようなものを配ろうとしたこと(d供述,e供述)などは,本件選挙への立候補を決意していた被告人Kの行動として,極めて自然で合理的である。また,d及びeは,ともに,覚えていないことについては,正直に覚えていないと答えるなど,供述態度は真摯であると認められる。
以上からすれば,d供述及びe供述はいずれも十分信用できる。
エ 同窓新年会への出席が捜査機関に発覚した経緯等について
甲供述及び第40回公判調書中の証人乙(本件の捜査当時の鹿児島地方検察庁の三席検事)の供述部分(以下「乙供述」という。)によれば,被告人Kの選挙運動の実態を解明するため,関係者の事情聴取を行っていたところ,たまたま,被告人Kが同窓新年会に出席していたとの供述をする者が現れた,そこで,すぐにホテル(f)の予約台帳を確認したところ,同窓新年会が開催されていたことが7月24日に判明した,さらに,同窓新年会の出席者,ホテル(f)の従業員,f等の関係者からの事情聴取を行い,被告人Kが2月8日の同窓新年会に出席していた事実が判明したとのことである。
このように,捜査機関としても,被告人Kが2月8日の同窓新年会に出席していたことは揺るがし難いとの認識を有していたことが明らかである。
オ 検討
(ア) 以上のとおりであって,被告人Kが2月8日午後7時ころからホテル(f)で行われた同窓新年会に出席し,開会してまもなく全員の前で,本件選挙に立候補する旨あいさつをしたこと,その後,出席者に個別にあいさつをして回った中で,午後7時30分ころにeに対してあいさつをしたこと,閉会した午後10時ころ,ホテル(f)から,運転代行業者の運転により帰宅したことが,それぞれ認められる。被告人Kの供述は,これと合致する限度においてその信用性を肯定するよりほかはない。
(イ) ところで,裁判所は,ホテル(f)と被告人A方との往復に要する時間等を把握するため,ホテル(f)と被告人A方との間を実際に自動車で往復し,所要時間と距離を測定する検証を実施した。検証の実施要領,実施状況及び結果は,大要,以下のとおりである。
a 検証は,検察官が指定するルートで行った。また,検証を実施する時間帯については,1回目会合が行われたとされる時間と近接する時間帯であり,かつ,検察官が離合する車両が少なく所要時間が短くなるとして要望した夜間に行った。
b 検証に当たっては,制限最高速度の範囲内で,かつ,制限最高速度に可及的に近い速度で走行することとした。
c 所要時間及び距離を測定する検証車(裁判官2名,検察官,弁護人同乗)は,先導車(裁判官1名,検察事務官,弁護人同乗)を追尾して走行した。その際,検証車と先導車は,互いに無線で交信できるようにし,検証車から先導車に必要な指示が出せるようにした。
d 検証時は渋滞等もなく,走行は非常にスムーズで,信号等による停車は,往路・復路とも2回ずつであった。なお,ホテル(f)から被告人A方に至るルートの後半部分を占める県道(n)号線の区間は,道幅が狭く,曲がりくねって見通しの悪いところが相当箇所あり,制限最高速度を維持しての走行は困難で,対向車との離合が困難な箇所も少なくなかった。しかし,検証の際,同区間の往路では対向車は全くなく,復路でも,対向車は2台だけで,その離合のために停車ないし徐行をする必要は生じなかった。
e 検察官は,先導車及び検証車の走行速度に異議がある場合には,いつでも申し出ることとしていたが,検察官から異議は述べられなかった。
f 検証の結果,所要時間及び走行距離は,以下のとおりであった。
(往路) 所要時間 37分26秒(21.5キロメートル)
(復路) 所要時間 37分32秒(21.6キロメートル)
以上のとおりであって,ホテル(f)と被告人A方との往復には,制限最高速度の範囲内で,かつ,制限最高速度に可及的に近い速度で走行して,約1時間15分を要することが認められる。この点,確かに,被告人Kが2月8日にホテル(f)と被告人A方とを往復したとしても,制限最高速度を遵守したとは限らず,仮に,これを上回る速度で走行したとすれば,所要時間が短縮されることは当然である。しかし,前述したとおり,本件の検証時における走行が非常にスムーズであった上,県道(n)号線の区間では,道幅が狭く,曲がりくねって見通しの悪い箇所もある上,街灯も数箇所しかなく,夜間は大部分が真っ暗であるため,高速度を維持しての走行は極めて困難であると考えられることから,仮に,速度違反を犯したとしても,時間短縮はせいぜい数分程度にとどまると考えられる。
(ウ) そうすると,被告人Kが,被告人A方で遅くとも午後7時半ころから始まったとされる1回目会合に,最初から参加することは物理的に不可能であるといわざるを得ない。
この点,甲は,証人尋問において,被告人Kが同窓新年会を途中で抜け出して1回目会合に出席したと判断した旨証言している。しかし,仮に,被告人Kが同窓新年会においてあいさつなどを一通り終えて,午後7時30分ころeにあいさつをして間もなくにホテル(f)を出て被告人A方に直行したとしても,被告人A方への到着は午後8時10分ころになり,被告人らの自白内容とはかなり食い違うことになる。被告人Aの警察官調書には,被告人Kが被告人Aに対し「7時半ころに来るから。」と述べたという具体的なやりとりが記述されており,さらに,午後7時半の集合時間より少し前に被告人Kが到着したとされているのであるから,会合の開始時間が若干前後することを許容するにしても,合理的な説明の困難な時間のずれが生じることは避けられない。被告人Kが午後7時から開始される同窓新年会への出席を予定していたのであれば,被告人A方を午後7時半に訪問することは不可能であるから,被告人Aに「7時半ころに来るから。」と述べたとの供述は,内容的にも不自然・不合理なものといわざるを得ない。被告人Aは,被告人Kが経営する会社の従業員であるから,被告人Kとしては,被告人Aに指示して,別の日に買収会合を開催させることも十分可能であろう。にもかかわらず,被告人Kが,わざわざ自分のために開催された同窓新年会の日に,それと時間的に重複する形で,同窓新年会の会場であるホテル(f)からかなり遠方にある被告人A方での買収会合を企図し,これに出席したというのも,甚だ不自然・不合理というべきである。
したがって,1回目会合に関する被告人らの自白は,前記(ア)の客観的事実と相容れないものとして,信用できないといわざるを得ない。
(3) 4回目会合についてのアリバイ
被告人Kは,3月24日の自らの行動について,次のとおり供述している。「3月24日午後7時過ぎ,(h)自治会の懇親会に出席するため,h(以下「h」という。)の運転する軽自動車でホテル(f)に行き,午後7時40分ころ,会場において皆の前であいさつをした後,各出席者にあいさつして回り,午後8時ころ,ホテル(f)を出て,hとともに,いったん選挙事務所に戻り,普通自動車に乗り換えてから,i(以下「i」という。)方に向かった。午後8時30分ころ,i方に着き,hやiとともに,鹿児島県曽於郡有明町(現在の志布志市有明町)(i)の(j)集落(以下「(j)集落」という。)の民家を戸別訪問して回った。10軒程度の民家を訪問したが,その中に,新車の納車祝いをしている家があった。また,途中,hが,運転を誤り,車の後部を破損させる事故があった。午後10時ころ,i方に帰り着き,そのまますぐに選挙事務所に向かい,そこでhと別れた後,一人で帰宅した。」(第42回及び第44回公判調書中の被告人Kの供述部分)
しかるに,これを裏付ける証拠として,前記d供述のほか,第43回公判調書中の証人j,同k,同i,同l及び同mの各供述部分並びに第45回公判調書中の証人hの供述部分(以下,それぞれ「j供述」,「k供述」,「i供述」,「l供述」,「m供述」及び「h供述」という。)が存在するので,以下,検討する。
ア k供述,d供述及びj供述
まず,(h)自治会の会長であったk(以下「k」という。),同自治会の役員であったd及びホテル(f)の経営者であるj(以下「j」という。)の各供述を検討する。
(ア) k供述の要旨
3月24日午後6時半ころから午後7時10分過ぎころまで,ホテル(f)で(h)自治会の総会を開催し,引き続き,午後7時半ころから,同ホテルで懇親会を開催した。最初に,自治会長である私が5分程度あいさつをし,乾杯をした後,会員の一人から,被告人Kにあいさつをさせたいとの申し出があったので,これを了承したところ,5分ほどして,被告人Kが会場に入ってきて,皆の前であいさつを始めた。あいさつは3分以内にするよう依頼していたが,それより長い印象であった。その後,被告人Kは,出席者に個別にあいさつに回ってから会場を後にしたが,その際,皆で拍手で送り出した。被告人Kが帰った時刻については,はっきりとは分からないが,概ね15分程度は会場にいたと思う。
(イ) d供述の要旨
3月24日午後6時半ころから,ホテル(f)で,(h)自治会の総会が開かれ,40分程度で総会が終わると,それから10分ほど間を置いて,同ホテルで懇親会が行われた。最初,自治会長のkが開会のあいさつをし,さらに,jが,志布志町議会議員選挙に立候補するということであいさつをした後,突然,被告人Kが現れて5分程度あいさつをし,出席者にお酌をして回り始めた。懇親会が終了したのは,午後9時ころであるが,そのとき,被告人Kの姿は見えなかった。
(ウ) j供述の要旨
3月24日午後7時半ころから,ホテル(f)で(h)自治会の懇親会が始まり,自分が皆の前であいさつしてから,7,8分から10分くらいして,被告人Kが会場に入ってきて,皆の前であいさつをした後,出席者にお酌をして回り始めた。その後,被告人Kがいつまでその場にいたかは記憶にない。
(エ) 各供述の信用性について
まず,各供述の裏付けとなる客観的証拠として,ホテル(f)の予約台帳(写し)及び(h)自治会総会資料(写し)が存在する。このうち,前記予約台帳(写し)の信用性が極めて高いことは前記(2)アで述べたとおりであるが,これには,日付として「平成15年3月24日」,時間として「6:30」,「7:30」,団体名として「(h)自治会」,幹事として「k」との記載がある。また,(h)自治会総会資料(写し)には,日時として「平成15年3月24日(金)午後6時30分」,場所として「ホテル(f)」との記載がある。これらの記載は,前記各供述とよく符合している。また,各供述は,相互に一致しており,k供述については,検察官の反対尋問において,捜査段階の供述からの変遷が指摘されているものの,少なくとも核心部分については,各供述とも一貫していることがうかがえるし,内容的に特段不自然,不合理なところもなく,被告人Kが懇親会であいさつをした際の状況等について具体的に述べられており,十分な迫真性が認められる。また,各証人とも,被告人Kが懇親会場を出て行った時刻等,明確に覚えていないことについては正直に覚えていないと答えるなど,その供述態度は真摯であるといえる。
以上からすれば,各供述は十分信用できる。
イ i供述,h供述,l供述及びm供述について
次に,(j)集落の戸別訪問の際に被告人Kを案内して回ったとされるi,(j)集落の戸別訪問の際に被告人Kを乗せて自動車を運転したとされるh並びに(j)集落に居住し被告人Kの戸別訪問を受けたとされるl(以下「l」という。)及びm(以下「m」という。)の各供述を検討する。
(ア) i供述の要旨
3月24日午後8時過ぎころ,被告人Kが運転手のhとともに自宅に来て,被告人Kの選挙運動のため,ともに(j)集落の民家を戸別訪問して回った。雨の中,1時間ほどかけて10軒程度の民家を訪問してあいさつをしたが,そのうち,n方では,車の購入祝いとして,皆で酒を飲んでおり,自分と被告人Kも,お茶を飲ませてもらった。また,m方では,孫の出産祝いとして,皆で酒を飲んでいた。戸別訪問をしている途中で,運転手のhが運転を誤り,車の後部をブロックにぶつけたことがあった。午後9時過ぎころ,自宅に帰り着き,被告人Kらは,そのまま帰った。
(イ) h供述の要旨
3月24日午後7時過ぎ,(h)自治会の懇親会に出席する被告人Kを後援会の事務所から軽自動車に乗せ,ホテル(f)まで送った。ホテル(f)に到着すると,被告人Kとともに宴会場に入り,そこで,被告人Kが皆の前であいさつをし,自分は,被告人Kの名刺を配布して回った。それから,被告人Kが,個々の出席者にあいさつをして回っていたが,午後8時ころ,自分と被告人Kは,ホテル(f)から出て,軽自動車で後援会事務所に行き,そこで普通乗用自動車に乗り換え,i方に向かった。i方で同人を自動車の助手席に乗せ,同人の案内により,雨の中,(j)集落の民家を戸別訪問した。途中,運転を誤り,車の後部をブロック塀にぶつける事故があった。戸別訪問を終え,i方を経由して午後10時過ぎに後援会事務所に戻り,そこで被告人Kと別れて自宅に帰った。
(ウ) l供述の要旨
3月24日午後6時ころ,新車の購入代金の支払をした後,自宅で,販売代理店の人たちと新車購入祝いの名目で酒を飲んでいたところ,午後8時過ぎになって,iが,被告人Kとともに車で訪ねてきた。2人は,家に上がってお茶を1杯飲み,「お願いします。」などと言って,2,3分で帰っていった。
(エ) m供述の要旨
3月24日午後8時過ぎ,出産のために入院していた長女が退院したため,自宅で退院祝いをしていたところ,iと被告人Kが選挙のあいさつに来て,玄関のところで,「よろしくお願いします。」などと述べ,5分程度で帰っていった。
(オ) l供述及びm供述の信用性について
l供述は,3月24日に新車の購入代金を支払ったという点について,請求書(写し)及び領収証(写し)によって裏付けられている(なお,lは,公判において,3月24日に支払ったのは購入代金の内金であると供述したが,前記書証によれば,残金の支払であったと認められる。この点はlの記憶違いと考えられるが,これをもって,lが新車購入祝いをしていたときに被告人Kが訪れたとの前記供述の信用性を左右するものではない。)。また,m供述は,当日,出産のために入院していた長女が退院したという点について,「弁護士法第32条の2に基く照会について(回答)」と題する書面及び戸籍謄本により裏付けられている。両供述とも,前記i供述と合致しているほか,被告人Kらが訪ねてきた際の状況等につき,非常に具体的かつ明確に述べられており,内容的にみても,不自然,不合理なところはない。
なお,lはiのめいに当たり,iと被告人Kも遠い親戚の関係にあることから,lと被告人Kとの間には,間接的ながらつながりが全くないとはいえない。しかし,lが被告人Kと会ったのは,3月24日だけというのであり,本件選挙においても,被告人Kの後援会に入るなど,被告人Kを支援していたことをうかがわせる事情はなく,lには,あえて虚偽の供述をしなければならないような理由は見出し難い。
また,mも,iと遠い親戚の関係にあるとのことであるが,m自身,iと具体的にどのような関係にあるのかを把握していないほど,その関係は遠いものであり,普段からもさほど親しい間柄でもなかった。また,lと同様,被告人Kを支援していたことをうかがわせる事情もなく,mについても,虚偽の供述をしなければならないような理由が見出し難い。
以上からすれば,l及びmの各供述は十分信用できる。
(カ) i供述及びh供述の信用性について
iは,被告人Kと親戚関係にあり,選挙運動の手伝いをしていたものであり,hは,被告人Kを支援し,戸別訪問等の選挙活動を行ったものであるので,その供述の信用性については,十分慎重に吟味する必要がある。
しかし,両供述は,相互に一致するばかりでなく,前記l供述及びm供述とも符合するものであるし,被告人Kとともに(j)集落の戸別訪問を行った際の状況について,極めて具体的な事実が述べられており,十分な迫真性が認められる。また,当日,雨が降っていたと述べている点については,客観的証拠と合致しているし,内容的にみても,何ら不自然・不合理なところはない。なお,hは,捜査段階においては,被告人Kとともに(j)集落の戸別訪問をしたことを供述していなかったとのことであるが,時間の経過により,一時的に失念していたとしてもあながち不自然とはいえず,供述の信用性を左右するものとはいえない。
以上からすれば,i及びhの各供述は十分信用に値する。
ウ (h)自治会の懇親会への出席が捜査機関に発覚した経緯等について
甲供述及び乙供述によれば,前記(2)エのとおりの経緯でホテル(f)の予約台帳を確認したところ,3月24日の欄に(h)自治会総会及び懇親会が開催されたことを示す記載があることが7月25日に判明し,懇親会の出席者等の関係者に事情聴取をした結果,被告人Kが前記懇親会であいさつをしていた事実が判明したとのことである。
このように,捜査機関としても,被告人Kが3月24日の(h)自治会の懇親会であいさつをした事実は揺るがし難いとの認識を有していたことが明らかである。
エ まとめ
以上のとおりであって,被告人Kが3月24日午後7時30分ころからホテル(f)で行われた(h)自治会懇親会に出席し,自治会長のあいさつ,乾杯,jのあいさつの後に,全員の前で,本件選挙に立候補する旨あいさつをし,引き続き,出席者に個別にあいさつをして回ったこと,被告人Kは,午後8時前ころにホテル(f)を出て,i,hとともに,(j)集落に赴いて戸別訪問を行い,午後10時ころ,i方に戻ってきたことが,それぞれ認められる。被告人Kの供述は,これと合致する限度においてその信用性を肯定するよりほかはない。
また,地図によると,(j)集落と被告人A方とは,ホテル(f)を基点として,前者は北西方向,後者は北東方向の全く異なる方角に位置していることが認められる。
したがって,被告人Kが,短くみても午後8時ころから午後9時ころにかけて,被告人A方で開かれたとされる4回目会合に参加することは物理的に不可能となる。万が一,被告人Kが,(h)自治会懇親会に出席した後,午後8時前ころにホテル(f)を出て,被告人A方に直行したとしても,被告人A方への到着は午後8時30分ころになり,被告人らの自白内容とは食い違うことになる。被告人Aの検察官調書によれば,亡Eら会合出席者に対し,被告人Kが午後7時半ころに来るので来てほしいと伝えたとされているところ,会合開始がそれより1時間も遅れたのであれば,その旨の供述があってしかるべきだが,そのような供述も一切ない。1回目会合と同様,このような時間のずれを合理的に説明することは困難というべきである。4回目会合に関する被告人らの自白は,前述した客観的事実と相容れないものとして,信用できないといわざるを得ない。
2 その他の会合に関する自白の信用性への影響について
以上のとおり,1回目会合及び4回目会合に関する被告人らの自白は到底信用することができないというべきである。
ところで,2回目会合及び3回目会合については,アリバイの主張がなされていないものの,これらの会合は,いずれも,A方という同一の場所において,本件選挙に立候補する被告人Kを応援するという同一の目的の下開催されたものとされており,被告人らの自白によると,2回目会合は,1回目会合の参加者が,「今度は被告人Kの奥さんの顔も見てみたい。」という趣旨のことを述べたことが開催の契機となったとされるなど,4回の会合が相互に極めて密接に結び付いていること,2回目会合及び3回目会合についての被告人らの具体的な供述は,1回目会合及び4回目会合に関する供述がされた後に,1回目会合及び4回目会合の事実があったことを当然の前提として,引き出されたものであり,捜査経過に照らしても,4回の会合事実が密接不可分の関係にあるといえることなどにかんがみれば,1回目会合及び4回目会合の存在を否定しつつ,2回目会合及び3回目会合の事実を認めることは,結果として,極めて不自然な事実認定になるといわざるを得ない。
したがって,2回目会合及び3回目会合に関する自白の信用性もまた大きく減殺されるというべきである。
3 自白内容の合理性について
被告人らの自白は,以下のとおり,その内容が不自然・不合理であるという点を指摘することができる。
すなわち,被告人らの自白は,被告人Kが,本件選挙に当選するために,(b)集落にあるA方において,近隣住民らを集めて合計4回開催された会合に出席し,その場において,起訴されている分だけでも合計191万円もの現金が供与され,被告人B,同C,同D及び亡Eが各26万円を,被告人Fが21万円を,被告人Jが20万円を,被告人G,同A,同H及び同Iが各10万円を,被告人Mが6万円をそれぞれ受け取ったというものである。さらに,被告人らの供述調書によると,起訴されているもの以外にも,①被告人Kが,買収会合を開いたことの口止め料として,被告人Aに30万円を渡した,②被告人Lが,被告人Aに対し,会合のお礼として10万円を渡した,③被告人Kが,被告人Cを介して,被告人Bに30万円を渡した,④被告人Kが,被告人Aらを介して,亡Eに20万円を渡したなどとされており,これを前提にすると,被告人Kは,Aらを介し,(b)集落及びその周辺地域の住民に対し,相当に多額の金銭をばら撒いたということになる。
しかしながら,そもそも,(b)集落は,志布志市の中心部から相当に離れた山間部に位置し,わずか7世帯が存在するにすぎない極めて小規模の集落である。しかも,今回の買収会合に参加したとされる人物は,1回目会合から4回目会合まで,ほぼ同じ顔ぶれであり,いずれも(b)集落及びその近隣の集落に居住する者ばかりであることにもかんがみれば,このような買収会合を開催し,被告人K自らが出席して多額の金銭を供与することに,選挙運動として,果たしてどれほどの実効性があるのか,実際にそのような多額の金銭を供与したのか,甚だ疑問である。
これに対し,甲は,証人尋問において,これだけ多額の現金が供与された点について,受供与者個人の投票買収という趣旨だけでなく,受供与者を通じて他の選挙人に対して働きかけをしてもらうという運動買収の趣旨も含まれていたのではないかと判断した旨供述している。しかしながら,被告人らの自白内容をみても,運動買収を働きかけるようなやりとりは特にみられず,家族への働きかけは別として,大半の者は現に選挙運動をしたような形跡も認められないのであり,多額の金銭が供与された理由を運動買収の趣旨が含まれていたとして説明することも困難というべきである。
以上にかんがみれば,被告人らの自白の内容は,この点において不自然・不合理であるといわざるを得ない。
4 客観的証拠による裏付けについて
前述したとおり,被告人らの自白によると,本件買収会合においては,起訴されている分だけでも,191万円の金銭が供与されたことになっており,それ以外にも,相当に多額の金銭が供与されたことになっている。これだけ多額の現金が供与されたというのであるから,被告人Kやその親族等の預金残高の変動等,被告人Kがこれらの金銭を拠出したことをうかがわせる何らかの客観的な徴表があってしかるべきである。にもかかわらず,このような客観的証拠は全く本件において提出されておらず,供与金の原資が全く解明されていない。
以上の事実は,被告人らの自白の信用性を疑わしめる事情の一つとして指摘することができる。
5 自白した被告人らの初期段階の供述経過(供述の変遷等)について
(1) 被告人A方において買収会合が開かれたという事実を最初に自白したのは,被告人Jであり,4月30日のことであるとされている。そして,被告人Aがその日のうちにほぼ同内容の自白をし,5月1日に被告人Dが,5月2日には被告人B及び亡Eが,内容はともあれ,被告人A方における買収会合の事実について自白をするに至ったとされている。これら5名(以下「被告人Aら5名」という。)の当初の自白内容は,最終的な自白内容とはかなり異なっていて,供述者間の供述の食い違いも多々みられるが,5月7日ころまでの数日間に,次々と変遷を繰り返した末に,食い違う供述内容が次第に収れんされていき,最終的に自白内容が1つにまとまっていくといった供述経過をたどったことがうかがえる。
ところで,取調官らの供述(第15回及び16回公判調書中の証人戊1の供述部分,第17回及び第18回公判調書中の証人戊2の供述部分,第19回及び第20回公判調書中の証人戊3の供述部分,第21回公判調書中の証人戊4の供述部分,第23回及び第24回公判調書中の証人戊5の供述部分並びに第30回ないし第34回公判調書中の証人甲の供述部分)によると,当時警察の捜査を指揮していた甲は,4月30日夜の捜査会議において,取調官が予断を持って取調べに臨むのを避けるため,5月7日までの間,各取調官に対し,取調官同士で,被疑者の供述内容に関する話をすることを禁止するとともに,捜査会議の内容を簡略化し,被疑者の供述内容を報告させないこととして,各被疑者の供述状況についての情報は甲において一括管理する態勢で捜査を遂行したとされている。そのため,取調官は,5月1日から5月7日までの間,自身が取調べを担当していない被疑者の供述内容につき,一切情報を持たないで取調べに臨んだとされている。
しかしながら,この間の被告人Aら5名の供述経過をみると,合理的な理由のない供述の変遷が多々認められる上,その変遷の過程で,5名の供述が相互に影響を及ぼし合っていたことが強く疑われ,取調官が他の被疑者の供述内容について一切情報を持たずに取調べに臨んだという点は,たやすく信用できないといわざるを得ない。
以下,この点について詳述する。
(2) 取調官らの供述
まず,4月30日から5月7日までの5名の供述経過について,取調官らが説明する内容は,以下のとおりである(なお,受供与金額については,会合の回数ごとに,左から順に記載した。)。
(4月30日)
ア 被告人J
(ア) 買収会合の回数
1回
(イ) 受供与金額
1万円
イ 被告人A
(ア) 買収会合の回数
1回
(イ) 受供与金額
1万円
ウ 被告人D
取調べなし。
エ 被告人B
取調べなし。
オ 亡E
取調べなし。
(5月1日)
ア 被告人J
(ア) 買収会合の回数
1回
(イ) 受供与金額
自分は3万円,被告人Dは8万円もらった。
イ 被告人A
不明
ウ 被告人D
(ア) 買収会合の回数
1回
(イ) 受供与金額
当初,自分は3万円,被告人Jは2万円もらったと供述したが,その後,いずれも5万円もらったと供述した。
エ 被告人B
否認。
オ 亡E
取調べなし。
(5月2日)
ア 被告人J
(ア) 買収会合の回数
1回
(イ) 受供与金額
5万円
イ 被告人A
(ア) 買収会合の回数
1回
(イ) 受供与金額
5万円
ウ 被告人D
(ア) 買収会合の回数
2回
(イ) 受供与金額
3万円,5万円
エ 被告人B
(ア) 買収会合の回数
1回
(イ) 受供与金額
3万円
オ 亡E
(ア) 買収会合の回数
1回
(イ) 受供与金額
5万円
(5月3日)
ア 被告人J
(ア) 買収会合の回数
3回
(イ) 受供与金額
3万円,2万円,5万円
イ 被告人A
(ア) 買収会合の回数
3回
(イ) 受供与金額
5万円,5万円,10万円
ウ 被告人D
(ア) 買収会合の回数
3回
(イ) 受供与金額
5万円,5万円,10万円
エ 被告人B
取調べなし。
オ 亡E
(ア) 買収会合の回数
3回
(イ) 受供与金額
2万円,5万円,20万円
(5月4日)
ア 被告人J
(ア) 買収会合の回数
3回(なお,被告人Jは,このうち,最初の会合には出席していなかったとのことである。5月3日の供述もその趣旨と理解できる。)
(イ) 受供与金額
5万円,5万円,10万円
イ 被告人A
(ア) 買収会合の回数
4,5回
(イ) 受供与金額
2~3万円,5万円,5万円,10万円
ウ 被告人D
(ア) 買収会合の回数
3回
(イ) 受供与金額
10万円,5万円,10万円
エ 被告人B
(ア) 買収会合の回数
3回
(イ) 受供与金額
5万円,5万円,10万円
オ 亡E
(ア) 買収会合の回数
3回
(イ) 受供与金額
2万円,5万円,10万円
(5月5日)
ア 被告人J
(ア) 買収会合の回数
3回
(イ) 受供与金額
3万円(なお,被告人J自身は,1回目の会合には出席しておらず,夫からもらった金額が3万円とのことである。),5万円,10万円
イ 被告人A
(ア) 買収会合の回数
4,5回ぐらい
(イ) 受供与金額
3万円,5万円,5万円,10万円
ウ 被告人D
(ア) 買収会合の回数
3回
(イ) 受供与金額
10万円,5万円,10万円
エ 被告人B
不明。
オ 亡E
(ア) 買収会合の回数
4回
(イ) 受供与金額
2万円,5万円,5万円,10万円
(5月6日)
ア 被告人J
(ア) 買収会合の回数
4回
(イ) 受供与金額
3万円,5万円,5万円,10万円
イ 被告人A
不明
ウ 被告人D
(ア) 買収会合の回数
4回
(イ) 受供与金額
6万円,5万円,5万円,10万円
エ 被告人B
(ア) 買収会合の回数
4回
(イ) 受供与金額
3万円,5万円,5万円,10万円
オ 亡E
(ア) 買収会合の回数
4回
(イ) 受供与金額
3万円,5万円,5万円,10万円
(5月7日)
ア 被告人J
取調べなし。
イ 被告人A
(ア) 買収会合の回数
4回くらい
(イ) 受供与金額
6万円,5万円,5万円,10万円
ウ 被告人D
取調べなし。
エ 被告人B
(ア) 買収会合の回数
4回
(イ) 受供与金額
6万円,5万円,5万円,10万円
オ 亡E
(ア) 買収会合の回数
4回
(イ) 受供与金額
6万円,5万円,5万円,10万円
(3) 検討
ア 以上のとおり,被告人Aら5名は,いずれも自白した当初は,1回の買収会合についてのみ供述していたが,5月2日に被告人Dが買収会合が2回開催されたと供述するや,5月3日には,被告人J,同A及び亡Eがそろって,3回の買収会合の事実を供述するとともに,被告人Dも買収会合の回数を3回と訂正し,同日に取調べのなかった被告人Bも,同月4日に3回の買収会合の事実を供述するに至っている。ところが,同日に被告人Aが買収会合の回数を4,5回ぐらいと供述するや,これに影響されるかのように,同月5日から6日にかけて,他の4名が買収会合の回数を4回と訂正するに至っている。このように,買収会合の回数に関する供述は5名とも変遷を重ねている。
この点,被告人Aら5名が当初1回の買収会合についてのみ供述していたことについては,この5名を担当した取調官が,いずれも,その段階においては,買収会合が複数回行われたということを全く考えていなかったことから,被疑者から積極的に買収会合が何回開かれたのかについて聴取していなかったと説明しており,この説明自体は一応納得できる。しかしながら,5月3日に取調べがなかった被告人Bを除く4名全員が,同日,そろって買収会合の回数を3回と供述し,翌4日には被告人Bも,同じく3回と供述したという点は,取調べにおいて他の被疑者の供述内容を誘導したり押し付けたりすることなく,被疑者の記憶だけを頼りに供述を引き出したという取調官らの言い分を前提にすると,偶然というには不自然との感を拭えない。むしろ,ある者の供述内容が他の者に影響を与えたとの印象を否めないところである。
イ また,買収会合で供与された金額についても,当初は供述内容に相当のばらつきがあったが,最終的には5名の供述が一致しているところ,この供述経過にも不自然な点が看取される。
(ア) まず,被告人Jについてみると,4月30日には受供与金額を1万円と供述していたのを,5月1日に3万円,5月2日に5万円と,次々と供述を変えている。この点に関し,取調官である戊1(以下「戊1」という。)は,被告人Jが,5月1日の取調べにおいて,金額が低ければ罰金も少なくて済むのではないかと思って過少に供述したと打ち明けた旨供述している。しかしながら,被告人Jが罰金額のことを慮って受供与金額を過少に述べたのであれば,夫である被告人Dの受供与金額についてもそのような傾向が現れてしかるべきところ,被告人Jは,5月1日に,被告人Dの受供与金額を8万円であるとむしろ過大に供述していたのであって,刑責軽減のために金額を過少に供述したとの説明では整合性に欠ける。したがって,被告人Jの受供与金額に関する供述の変遷を,戊1が供述するような理由で合理的に説明することはできない。
また,被告人Jは,5月3日に受供与金額を3万円,2万円,5万円と供述しているが,最終的な自白内容が真実であるとすれば,どこから2万円という供述が出てきたのか,合理的な説明が困難である。なお,同じ5月3日には,亡Eも2万円を受け取ったとの供述をしているところ,被告人Jの供述と亡Eの供述のどちらが先になされたのかは明らかでないが,一方の供述が他方に影響を及ぼした疑いを払拭できない。翌4日には,被告人Aも,最初の会合の供与金額が2万円か3万円であったと供述しているが,これも,同様に,被告人Jや亡Eの供述の影響を受けた疑いが濃厚である。
さらに,被告人Jは,5月4日には受供与金額を5万円,5万円,10万円と供述していたが,5月5日には3万円,5万円,10万円と供述している。この変遷についても,戊1からは,納得できるような説明はなされていない。
(イ) 次に,被告人Aについてみると,4月30日から5月7日までほとんど毎日のように金額に関する供述が変転している。
まず,4月30日に金額を1万円と供述していたのを,5月2日に5万円と供述を変えている。この点に関し,取調官である戊4(以下「戊4」という。)は,5月2日に供与金額を確認的に尋ねたところ,被告人Aが「2万だったかなあ。3万だったかなあ。」などとあいまいな供述をした末,「やっぱり5万円でした。」と述べ,変遷の理由について尋ねても,「いやあ,2万だったかなあ。3万だったかなあ。でも,やっぱり5万でした。」とあいまいな返事をした旨供述している。しかしながら,戊4が,追及的に尋ねたのでなければ,なぜ被告人Aが前日の供述を翻しつつ,前記のようなあいまいな態度を取ったのか,容易には理解し難い。むしろ,戊4が,被告人Jや被告人Dが金額を3万円ないしそれ以上と供述しているとの情報を得ていたことから,金額について被告人Aを追及した結果,被告人Aが前述のような対応をしたと考えた方が,つじつまが合い,経過としてはるかに自然である。
また,5月4日には,買収会合の回数について,前日までの3回との供述を変え,4,5回ぐらいと供述するに至っている。ところで,被告人Aは,会合を自宅で開催する立場だったのであるから,その開催された回数について,記憶が明確でないということは考えにくいのであって,このようなあいまいな供述が出てくること自体,不自然である。しかも,最終的な自白内容が真実であるとすれば,5回との供述が出てくることは不可解であるといわざるを得ない。
さらに,1回目の会合での金額について,2,3万円(5月4日)から,3万円(5月5日),さらに,6万円(5月7日)と変転しているが,この点についても,戊4からは,納得できるような説明はなされていない。
(ウ) 被告人Dもまた,5月1日から5月6日までほとんど取調べの日ごとに供述が変転しており,極めて不安定な供述経過となっている。
5月4日及び5月5日に受供与金額を10万円,5万円,10万円と供述しているが,最終的な自白内容を真実であるとすると,なぜ10万円を2度受け取ったという供述が出てきたのか,合理的な説明がつかない。この点に関し,取調官である戊2(以下「戊2」という。)は,5月6日の取調べの際,被告人Dが,罰金額のことを慮って買収会合の回数や受供与金額を過少に供述していたことを打ち明けて,会合の回数と金額を訂正した旨述べている。しかしながら,5月5日の供述と5月6日の供述とで,被告人Dが買収会合で受け取った金銭の総額にさほど大きな差はなく,被告人Dが刑責軽減のためにあえて受供与金額を過少に供述していたとの説明も納得し難い。
(エ) 被告人Bについてみても,会合が複数回行われたことを認めた5月4日以降にも,受供与金額に関する供述が変転を繰り返している。この点に関し,取調官である戊5(以下「戊5」という。)は,被告人Bが,変遷の理由について,取調官がどれぐらい事実を把握しているのかを,刑事の手の内を探りながら,小出しに話をしたと述べた旨供述している。しかしながら,戊5の供述によっても,被告人Bがなぜ話を小出しにしようとしたのかが明らかとなっておらず,供述が変転した理由について納得できるような説明となっていない。また,戊5の供述によると,戊5は,5月7日まで,他の被疑者の供述内容についてほとんど情報を持たずに取調べに臨んだというのであり,そうだとすると,取調べにおける戊5の追及も極めて抽象的なものにならざるを得ない。そのような状況であれば,取調官の手の内を探りながら供述しようとしていた被告人Bから具体的な供述を引き出すことは非常に困難であると考えられるのに,なぜ,被告人Bが具体的な供述をするに至ったのか,また,それをなぜ次々と変転させたのか,不可解である。
(オ) さらに,亡Eについても,買収会合の事実について自白を始めた5月2日から5月7日まで,日々供述を変転させるという極めて不安定な供述経過をたどっている。しかも,5月3日から5月5日まで,1回目会合の受供与金額を2万円と供述しているが,最終的な自白内容が真実であるとすると,なぜ,出てくるはずもない2万円という金額が出てきたのか,合理的な説明が困難である。5月3日に3回目の会合の受供与金額を20万円と供述している点も同様で,全く不可解というほかない。
取調官である戊3(以下「戊3」という。)は,亡Eが,5月3日に供述を変遷させた理由について,何回もお金をもらっていれば罪が重くなると思ったと述べた旨供述しているが,最終的な自白内容が真実であるとすると,なぜ,刑責軽減のため多額の金銭を受け取った事実を隠そうとしていた亡Eが,20万円という事実と異なる過大な金額を受け取った旨の供述したのか,説明がつかない。なお,戊3の供述によれば,5月4日の取調べで,亡Eは,3回目の会合における受供与金額についての供述を変え,20万円については,別の機会に被告人Cからもらった金額であるとして,余罪についての自白をしたとのことである。しかし,仮に,別の機会に被告人Cから20万円をもらったという事実があるとしても,意図的にそのときの金額を3回目の会合における受供与金額であると供述する理由はないし,記憶違いであるというのも,20万円という金額が極めて過大であることから,容易には納得し難い。
また,戊3の供述によれば,5月6日に1回目の会合の受供与金額が2万円から3万円に変遷した理由について,亡Eは,金額が増えると罪が重くなると思って,低い金額を述べたと打ち明けた旨供述している。しかし,亡Eが受供与金額について2万円との供述を始めた5月3日には,同時に,3回目の会合で20万円を受け取ったとの過大な供述もしていることから,刑責軽減のために受供与金額を過少に供述したというのは,到底納得できない理由である。
戊3の供述によれば,5月7日に1回目会合の受供与金額が3万円から6万円に変更された理由についても,同様の刑責軽減のためとされているが,5月6日の段階においては,既に,被告人Cから20万円をもらったという余罪も含めて,相当多額の金銭を受け取っていたことを自白していたのであるから,そのような状況にあって,亡Eが刑責軽減を狙ってあえて受供与金額を過少に供述したのか,疑問といわざるを得ない。
(4) 以上のとおりであって,取調官らの供述を基に,被告人Aら5名の初期段階の供述経過をみると,被告人Aら5名がいずれも合理的な説明の困難な供述の変転を繰り返すなど,供述の信用性を否定する方向に働く事情が多々認められる。取調官による押し付けや誘導がない状況で,このような供述経過になるとは考え難く,5名が,連日のように極めて長時間の取調べを受け,取調官から執拗に追及されたため,苦し紛れに供述したり,捜査官の誘導する事実をそのまま受け入れたりした結果,このような供述経過になったとみる余地が多分にあると考えられる。
6 自白内容の具体性,迫真性についての検討
検察官は,被告人らの自白内容が,具体的かつ詳細であり,体験した者でなければ語り得ないような事実も含まれているとして,その信用性が高いと主張している。
確かに,被告人らの自白は,4回にわたる会合の様子やその前後の経過等について,具体的かつ詳細で,体験した者でなければ語り得ないと考えられるような迫真的な内容も含んでおり,その自白内容をみる限りでは,信用性が高いと評価すべきようにも思われる。
しかしながら,既に検討したとおり,1回目会合と4回目会合については,アリバイの存在によって,被告人らの自白するような買収会合の事実は存在しなかったものといわざるを得ない。にもかかわらず,被告人らの自白においては,あるはずもない事実が,さもあったかのように,具体的かつ迫真的に表現されている。自白した被告人らは,いずれも,長期間・長時間にわたる取調べで取調官から厳しく追及され,供述を押し付けられたと主張しているところ,被告人らの自白の中に,あるはずもない事実がさもあったかのように具体的かつ迫真的に表現されていることは,自白の成立過程で,自白した被告人らの主張するような追及的・強圧的な取調べがあったことをうかがわせるものであり,4回の会合事実に関する被告人らの自白全体の信用性に疑問を生じさせるというべきである。
第4被告人らの自白の信用性の個別的検討
以下においては,被告人らの自白の信用性について,被告人ごとに個別に検討を加える。
1 被告人Aについて
(1) 自白と否認の交錯について
ア 被告人Aの焼酎口事件及び買収会合事件に関する主な供述経過は以下のとおりであり,自白と否認の度重なる交錯がみられる。
(ア) 4月19日付けの警察官調書
3月中旬から下旬にかけて,(b)集落の住人を含む13名の者に,被告人Kの後援会入会申込書を渡すとともに,1万円と焼酎を配った旨述べられており,焼酎口事件について初めて自白がされた。
(イ) 4月20日付けの警察官調書
焼酎口事件について,いったん否認に転じたが,その日のうちに再び自白に戻った。否認した理由については,「私が真実を話したことで13名の人が警察に呼ばれた場合,その人達が,正直に私から現金と焼酎を貰ったことを話してくれれば良いのですが,その人が家族や仕事のことを心配して正直に話してくれなかった時の場合を考えていたのです。その人達が正直に説明をしなかった場合,何日も警察に呼ばれることになり,その人の家族内がゴタゴタになった上,私が正直に話したことで自殺者まで出たら,それこそ取り返しが付かないと考えていたからです。」と述べられている。
(ウ) 4月21日付けの警察官調書
取調官が不在になった際,立会補助者である女性警察官に対し,今まで自分が説明してきたことは嘘である旨を告げ,否認に転じたものの,その日のうちに,再び自白に戻った。否認した理由については,「私がしでかしたことを色々考えると,頭の中がパニックになり,補助官の方がノートに私の気持ちを書いてくれると言ってくれたことから,悪いとは思いましたが現実から逃げ出したいという気持ちもあり,嘘をついてしまいました。」と述べられている。
(エ) 4月24日付けの弁解録取書及び勾留質問調書
4月22日に焼酎口事件について逮捕され,4月24日に勾留されたが,検察官の弁解録取手続,勾留質問において,いずれも事実を否認する旨述べられている。
(オ) 4月25日付けの警察官調書
焼酎口事件について,再び自白に戻り,検察官の弁解録取手続,勾留質問において事実を否認した理由等について,「逮捕されたことで頭が真っ白になり,警察に逮捕されたら,どれくらいで家に戻れるのだろう,1~2年もの長い間,刑務所に入っていたら,zじいちゃんの世話をすることができないと思うようになりました。それで,(中略)EさんやDさんにお金や焼酎をやったことはないと言って嘘をついてしまいました。」,「本日,刑事さんから,貴方が嘘をつき通すことで,どれだけの人に迷惑がかかるのか分かりますかと言われたことで,このままではいけないと思いました。」と述べられている。
(カ) 4月30日付けの警察官調書
(b)集落の人たちを自宅に呼び,1万円ずつ渡したなどと述べ,初めて買収会合の事実を認める旨の供述がされている。
(キ) 5月13日付けの警察官調書
5月13日に1回目会合について逮捕され,いったん事実を否認したが,その日のうちに自白に戻った。供述を変遷させた理由については,「刑事さんから,貴方以外に5名逮捕したと聞いたことから,頭がどうかなりました。刑事さんから,その話を聞いた時,私のせいで(b)集落の4人とCさんが逮捕されたと思って,気が動転しました。」,「しかし,夜の取調べで刑事さんから,貴方が全て悪い訳ではないと言われたことから,気分が少し治まりました。」と述べられている。
(ク) 5月18日付けの警察官調書
焼酎口事件や買収会合事件について,いったん否認に転じたが,その日のうちに自白に戻り,否認した理由について,「今日の午前11時30分頃,弁護士さんが警察署に来たので面会しました。弁護士さんから,貴方からお金を渡されて逮捕された5人のうち,Eさん,Dさん,Bさんはお金を貰ったと言って認めていますが,Cさん,Fさんは貰ったことはありませんと言っていますということを聞かされました。そして,弁護士さんが私に,『お金や焼酎はやったことはないと言いなさい。』と言いました。」と述べられている。
(ケ) 5月19日付けの警察官調書
買収会合事件について,いったん否認に転じたが,その日のうちに自白に戻り,否認した理由について,「K社長が私の家に来てお金を渡していたことを私が一番最初に警察に密告したと思われるのが嫌だったからです。」と述べられている。
(コ) 5月25日付けの検察官調書
「私の家でK社長が来て選挙の会合をやったことは一回もありません。」などと買収会合の事実を否認する供述をし,「今までのことは刑事さんに何日も認めろと言われたので仕方なく認めました。」などと述べられている。
(サ) 6月7日付けの「もうしたてしょ」と題する書面
その後,被告人Aは,買収会合の事実について否認を続けていたものの(乙272,274,230,231),4回目会合について逮捕,勾留された後,6月7日になって,「もうしたてしょ」と題する書面に,「おかね10万円をもらったことはまちがいありません。みとめなかったりゆうはいまはいえません」,「ほんとうにみんなにめいわくをかけてすみませんでした」,「はやくじけんをすませていえにかえりたいとおもいます」などと記し,再び,4回目会合の事実を認めるに至った。
(シ) 6月8日付けの各警察官調書
買収会合の事実を認める供述をし,今まで否認していた理由について,「(面会に来たo弁護士に)『貴方は,このまま事実を認めていたら,K社長や奥さんのLさんも逮捕されてしまいますよ。』と言われました。そして,o弁護士さんは,『会合はなかったと言いなさい。誰も家には来なかったと言いなさい。お金はK社長から預かってないと言いなさい。Fさんは,一旦は認めたけど,今は認めていませんよ。だから,貴方も家での会合はなかったから,お金を渡せるはずがないと言いなさい。』と面会室のガラスのところに顔を近づけて,私にそのように言いました。o弁護士さんの真剣な話を聞いて,私も,このまま逮捕事実を認めていたら,K社長やLさんが本当に逮捕されてしまう,私の家で行われたことでK社長やLさんが逮捕されたら,一生申し訳ないと思いました。それで,私は,o弁護士さんに,『分かりました。絶対,言いません。』と頷きながら答えました。o弁護士さんに,このように言われたことから,今後,絶対に真実は話さないと強く心に決めました。」と述べられている。
一方,再び自白するに至った理由については,「2回目の逮捕事実の期限が切れる前頃には,o弁護士さんから,『貴方はこのままだったら,裁判もなくて留置場から出られますよ。』と言われましたので,私も,信じている弁護士さんから,このように言われたから,ここから出られる,もう少しだから,頑張ってこのまま本当のことは言わないでおこうと心に決めました。しかし,信じていたo弁護士さんが言ったようなことにはならず,6月4日には,また逮捕されてしまいました。ですから,今の私の気持ちは,弁護士さんのことを本当に信じていいのかという気持ちもあって,とても複雑な気持ちです。」,「今の私の気持ちは,長い間,逮捕された(b)集落の人などに迷惑をかけたと思うことと,これからは,全てのことを正直に話していこうと思っています。」などと述べられている。
(ス) 6月13日付けの警察官調書及び検察官調書
6月12日に検察官に対して会合の事実を否認する供述をしたものの,翌13日に,再び自白に戻った。供述を変遷させた理由については,「検事さんから良く覚えていない会合の時の話を聞かれたことや,お金を貰ったと言うなと弁護士さんから言われていることを考えると頭が痛くなり,会合でK社長からお金を貰ったことはないと言ってしまいました。検事さんや刑事さんから会合の時の話を聞かれていますし,弁護士さんからもいろいろ言われますので,誰のことを信用すればいいのか分からないというのが今の気持ちです。」,「このまま私が会合があったということを正直に話していると,ほかに会合に参加してお金をもらった人が逮捕されてしまうということを弁護士さんから言われました。」,「私は,その弁護士さんの話を聞いて,このまま本当のことを話していると,今逮捕されていない10万円をもらった会合に出席していた人達が逮捕されてしまうことになると思い,会合があったという本当のことを話すのが本当にいいことなのか分からなくなりました。それで,検事さんの前で会合がなかったことや10万円をもらったことはないと嘘をついたのです。今日,もう一度検事さんの取調べを受けて,別に事実を認めなくてもいい,それはあなたが考えることだからと言われました。ただ,正直に話していたときのすっきりとした表情に戻ってほしいと思っていると言われました。そのほかにも色々と説得されました。そのような話を聞いていて,自分の気持ちの中で色々と考えているうちに,早く(b)集落に戻って元通りの生活を送りたいという気持ちがどんどんと出てきました。」などと述べられている。
(セ) 7月13日付けの警察官調書
7月6日に,検察官に対し,事実を否認したが,その後,刑事に説得され,7月13日に再び自白に戻った。供述を変遷させた理由については,「先週の日曜日,検事さんから取調べをしてもらいましたが,いろいろ質問されて頭が痛くなって,質問にも答えられなくなりました。そして,検事さんにも刑事さんにも,「みんなめちゃくちゃだ,なにもかもめちゃくちゃだ。」と言って,今まで話していた事実をひっくり返しました。今日も私の希望で刑事さんの取調べを受けましたが,刑事さんからいろいろ話を聞いて,裁判も近づいている,早く事件のことを済まさないといけないと思い直しました。」などと述べられている。
イ 以上のとおり,被告人Aは,焼酎口事件について最初に自白をした4月19日以降7月13日までの間に,9回も否認に転じては自白に戻るということを繰り返しているが,これは極めて特異な供述経過といわざるを得ない。真実の自白をした者がこれだけ何度も否認に転じるというのは,容易には理解し難いところであって,一貫性のある自白と比べて,その信用性に疑問が持たれるのは当然である。このような被告人Aの自白と否認の交錯は,自白の信用性を否定する方向に働く重要な徴表というべきである。
ウ 本件において,前記のとおり否認と自白が繰り返された原因について,更に検討を進める。
(ア) まず,一般的にいって,自白している被疑者が否認に転じる場合としては,被疑者が刑責を回避しようとして自白を覆す場合が考えられる。この点,重大犯罪であれば,刑責を免れたいという意思も,一般的に強く働くといえ,刑責を受け入れるかどうかで葛藤が生じて,否認と自白の間を行き来するということも考えられないではない。しかしながら,本件のような事案は,重大犯罪と比べれば,そのような傾向は小さいと考えられる。本件の9回にもわたる否認と自白の交錯を,刑責回避という理由だけで説明することは困難である。
(イ) 本件で被告人Aが否認に転じた9回のうち,少なくとも3回(前記ア(ク),(サ)(シ)及び(ス))は,弁護人の接見が契機となっている。この点,自白に転じた直後に作成された被告人Aの供述調書には,前記のとおり,弁護人から「会合はなかったと言いなさい。」などと言われたことから否認したと,あたかも弁護人の被告人Aに対する不当な働きかけにより否認に転じたかのような記述がなされている。
しかしながら,弁護人としては,被疑者が取調官に対してどのように供述しているかとは別に,被疑事実に対する被疑者の言い分を聴取し,それが否認する内容であれば,取調官に迎合することなく否認を貫くように助言するのが当然であって,そのこと自体は何ら不当な弁護活動ではない。被告人Aが,接見において,弁護人に対し,買収会合の事実を否定していたのであれば,否認を貫くようアドバイスをするのが,弁護人の職責として当然のことである。捜査側は,弁護人が,買収会合の事実を認める旨述べている被告人Aに対し,その言い分に反して,否認するよう不当に働きかけたと受けとめた節があるが,弁護人が,被疑者の言い分を無視して,否認を押し付けるような弁護活動を行うとは,通常考え難い。
この点,前記の供述調書の記述からは,被告人Aが弁護人に対して買収会合の事実を認めていたのかどうか,必ずしも明らかではない。しかし,6月18日付けの検察官調書には,「これまで私についていたs先生と鹿児島の弁護士の先生に刑事さんや検事さんの前で話している内容は嘘のことだと話をしていたのですが,この土曜日(6月14日)の面会のときに初めて会合があったこととお金をもらったことが本当であるというような話をしました。」との記述があり,これによれば,被告人Aが,6月14日まで,弁護人に対し,買収会合の事実を一貫して否定していたことがうかがえる。したがって,弁護人が被告人Aに対し否認を貫くよう述べたのはむしろ当然のことであり,これをもって不当な弁護活動と評することはできない。
被告人Aが6月7日に否認から自白に転じた際の心境について,被告人Aの供述調書を基に推察すると,次のように考えられる。すなわち,当時,被告人Aは,4月22日の逮捕以来,長期間にわたって身柄拘束を受けていたことから,早く釈放されて家に帰りたいと強く望んでいた。被告人Aが,これまで前科もなく逮捕歴もないごく普通の市民であることからすれば,これは至極当然のことであろう。被告人Aは,1回目会合の勾留満期である6月3日を間近に控え,弁護人から,このままだったら釈放されるのではないかとの見通しを聞かされ,釈放への期待を大きくしていた(なお,弁護人が,釈放の見通しを断定的に述べたとは考えにくいが,否認を続ける被告人Aを励ますために,釈放の見通しについて言及し,これを,被告人Aが,釈放が確実であるかのように受け取ったことはあり得ると考えられる。)。ところが,期待に反し,6月3日に1回目会合事件で起訴され,さらに,翌4日に4回目会合事件で再逮捕されたことから,被告人Aは大いに落胆し,このままではいつ釈放されるか分からないと不安になって,弁護人に対して不信感を抱いた。そして,その結果,弁護人の言う通り否認を貫く気力が失われて,自白に転じたと考えられるのである。
また,被告人Aが6月7日に否認から自白に転じた際の心境を考察するに当たり,同日に被告人Aが作成した書面に「早く事件を済ませて家に帰りたいと思います」旨記載されていることが注目される。この記載からは,自白に転じるに当たって,早期の釈放が強く意識されていることがうかがえるのである。さらに,その後に作成された供述調書にも,同様の記述が多々みられる。加えて,6月30日付けの警察官調書には,国選弁護人から「(事実を)認めても認めなくても10月ころまでは出られないよ。」と言われたが,「なんで,認めている人と認めていない人が一緒に出るのよ」と不審に思った,それでも,弁護人に言われた言葉が頭に残り,「それなら認めても意味がない」とも思ったが,やはり,認めても認めなくても一緒という弁護人の説明がおかしいと思うようになったとの記述がある。被告人Aが,事実を認めれば早期に釈放されると認識していたことを示す記述といえる。これらからは,被告人Aが,自白した方が早期に釈放されるとの認識の下,早期の釈放を期待して,否認から自白に転じ,その後もその自白を維持したことが如実にうかがえる。本件のように,法定刑が比較的低く,有罪になっても,罰金刑かせいぜい執行猶予付きの懲役刑になる可能性が高いと見込まれる場合,身柄拘束を受ける被疑者・被告人にとって,刑責を負うかどうかよりも,身柄拘束がいつまで続くのかの方が,はるかに切実な問題となるのは至極当然である。被告人Aの場合,身柄拘束が長期にわたっている上,その間,接見禁止が付されて外界との交流が遮断されていたのであるから,なおさらである。このような状況においては,被疑者が早期に釈放されることを期待して,たとえ虚偽であっても,取調官に迎合し自白に転じる誘因が強く働くと考えられる。本件では,このような状況下で自白と否認が交錯しているのであるから,その信用性を認めるには,極めて慎重にならざるを得ない。
(ウ) また,後記のとおり,被告人Aは,公判廷において,取調官から強圧的,誘導的な取調べを受けた結果,虚偽の自白をしてしまった旨述べているところ,前記のように否認と自白が目まぐるしく交錯する供述経過に照らしてみれば,被告人Aの自白は,捜査官による強圧的,誘導的な取調べの結果引き出されたものである可能性が払拭できない。この点,被告人Aが,取調官の強制,誘導等の影響がないと考えられる状況下での勾留質問や検察官の弁解録取の手続においては,1回目会合についてを除いて,事実を否認していることは重要な事実として指摘できる。また,被告人Aの供述調書には,「貴方が金や物を他人にやったことがはっきりと分かったと追及された」,「刑事さんから厳しく追及された」,「刑事さんに何日も認めろと言われたので仕方なく認めました。」などと,強圧的な取調べを受けたことをうかがわせる記載も散見される。このような供述記載からは,被告人Aが,連日の厳しい取調べに疲弊するあまり,早く解放されたいがために虚偽の自白に転じたのではないかとの疑いが払拭できない。
エ 以上のとおりであって,被告人Aの供述には自白と否認の度重なる交錯がみられることからして,被告人Aの自白の信用性には,重大な疑問があるというべきである。
(2) 取調べ状況について
ア 被告人Aは,4月18日以降,8月上旬ころまで,連日のように長時間にわたる取調べを受けているところ,第8回,第11回及び第12回公判調書中の被告人Aの供述部分(以下「被告人Aの公判供述」という。)によると,被告人Aは,取調官である戊4から,「お前のせいで,お前のせいで」,「みんなが捕まっているから,みんながかわいそうじゃないか」,「早く反省して出ないと」(第11回公判調書中の被告人Aの供述部分第378項ないし第380項),「お前が反省しないと,逮捕は何回でもできるし,ほかの人もまだ逮捕もできるけど,それでもいいのか」(同第386項),「認めないと長く掛かる」(同第398項)などと,連日,激しく責め立てられ,会合の日時,回数,受供与金額等について,強圧的,誘導的な取調べを受けたため,認めないといつまでも釈放されないなどと思うようになり,その結果,虚偽の自白をしてしまったと述べられている。
イ これに対し,戊4は,証人尋問において,被告人Aが述べているような強圧的,誘導的な取調べは行っていないと供述している。
ウ 確かに,被告人Aの公判供述は,取調べ状況に関してあいまいにしか語られていない部分もあり,また,供述に誇張等が全くないともいい切れないが,以下の理由から,前記被告人Aの公判供述は,大筋において信用することができるというべきである。
(ア) まず,被告人Aが身柄拘束中の取調べ状況について記録していたノート(平成16年押第1号の1。以下「Aノート」という。)に被告人Aの公判供述に沿う記載が存在する。Aノートは,被告人Aが,警察によって差し押さえられた6月2日までの身柄拘束中に,取調べ状況等について記録したものであるが,これには,以下のとおりの記載がみられる。
a 4月30日
「あなたわけいじさんに何んかいもうそおゆうから何んかいもたいほする」,「あなたわうそおいっているほんとうのことおいわない」,「うそおいっているからべんごしさんにいってもべんごしさんのほうもたいほする」,「1月から2月3月4月13日までにあったことをはなしをしなさいといわれましたなんですかときくとゆうことがちがうといってなんどもしつもんされます」,「けいじさんの目をみなさいといわれて目をじっとみられないとうそをいったしょうこだといってしまいます」,「いろいろと1月から4月13日までのことをきかれてはなしをしたら人とのわるぐちをゆって自分んのわるぐちわひとこともいわないといってわたしに人とのわるぐちをゆうよりも自分んでしたことをはんせいしなさいといってとてもおこりました」
b 5月2日
「あなたがうそおいっていますので(b)の五人んもたいほするよといわれましたそのことでまいにちみんなけいじさんによばれててんてきおしながらつらいおもいおしながらけいじさんのところにいってはなしおしていますといわれました」
c 5月4日
「うちのなかでだれからおかねをわたされてどうゆうふうにやったか自分んの家に6回きているといわれてきたことわないといってもけいじさんがたくさんの人とがいったといっていますといいました」,「私たしがだれもきたことわないといってもけいじさんがうそをいってといってオードブルもとっているとほかのひとからいわれてほかのひととはなしがちがうとまいにちそのひとがけいじさんによばれてたいへんですおまえがうそをゆうからあいての人とのはなしわあわないといわれます」
d 5月7日
「1けんに2枚ずつおかねをもらったかとききます1けんに1枚だといったら1けんに2枚もらっているといってきかないです」,「あなたわまたうそばっかりいっていますといいました」
e 5月8日
「あなたは3五万円わどうゆうふうにつかったかそしてなんでどまでやったのかこたつのそばでやっているのにとうそばっかりいっていますといわれましたそしてゆうべのかえるときのかをとけさのたいどわちがっているといってとてもおこりました」,「きのうのよるわけいじさんが私が(o)の(p)にスーツオかツタトいったらけいじさんが(p)のほうに二人りしらべにいったといってほんとうにかったのかどうしてかっていないのにうそおそんなにゆうのかといってとてもおこってつくえをたたいたりしました」
f 5月10日
「おまえがうそおゆうのでみんなよんでしらべなくてわいけないといいました」
g 5月11日
「なんにもかんにもおまえのやったことでみんなにめいわくがいっているのにおまえわすこしもはんせいしないといっています」
h 5月13日
「uもきていたとゆうのになぜうそおついたのかなんでうそおゆうからまたなんかいでもたいほするべんごしさんにもおかねをもらったといいましたかべんごしさんがきたらおかねを4人とも3万円五万円十万円もらったといってくださいとけいじがいった」
i 5月27日
「けいじさんにまいにちをこられていますやってないといってもとてもきかないです」
このように,Aノートには,取調官による,執拗かつ強圧的な取調べが行われたことをうかがわせる記載が多くみられるが,その中でも,「はんせいしなさい」(4月30日),「あなたがうそおいっていますので(b)の五人んもたいほする」(5月1日),「みんなにめいわくがいっているのにおまえわすこしもはんせいしないと」(5月11日),「うそおゆうからまたなんかいでもたいほする」(5月13日)などと,被告人Aの公判供述とほぼ同一内容の記載も存在する。さらに,前記の5月4日付け及び5月7日付けの各記載からは,他の被告人らの供述と辻褄を合わせるために,押し付け的,誘導的な取調べが行われたことが顕著にうかがわれる。これらの記載は,いずれも極めて迫真性に富む内容であり,被告人Aによる創作とは考えにくい。
(イ) 次に,既に検討したとおり,被告人Aの捜査段階の供述には,自白と否認の交錯を含め,種々の変遷がみられるが,これは,取調官による強圧的,押し付け的な取調べが行われた結果,供述が引き出されたことをうかがわせる一つの事情であるといえる。
(ウ) また,戊4供述によっても,被告人Aは,取調べ中に,トイレに閉じこもって「私を殺して」などと騒いだり,家に帰りたくないから逮捕してくれと述べたり,はあはあと息苦しそうにしていたため警察医の診察や点滴治療を受けたことがあったとされており,被告人Aは,取調べを受けることで精神的に相当不安定な状態に陥っていたことがうかがわれる。このことも,取調べが相当に厳しいものであったことをうかがわせる事情といえる。
(エ) 被告人Aの取調べを担当した丙検事の供述によれば,6月2日の取調べの際,被告人Aが戊4を「殺してやりたい。」とか「逮捕してください。」と述べたとされている。戊4の取調べが平穏なものであれば,このような発言が出るとは考えにくく,これも,戊4の取調べの厳しさをうかがわせる事情といえる。
エ 以上にかんがみれば,被告人Aに対する取調べは,相当に厳しいものであったことが強くうかがわれ,被告人Aが,これに耐えられず,早く,解放されたい一心から取調官に迎合し,虚偽の内容の自白をしたとの疑いが払拭できない。
(3) 公判における自白について
被告人Aは,7月23日に開かれた第2回公判の罪状認否の手続において,1回目会合の事実を認める陳述をし,7月31日に開かれた第3回公判の罪状認否の手続において,4回目会合の事実を認める陳述をしている。被告人の公判における自白が,強制や誘導の契機が全くない状況下での供述であり,一般的にいって,その信用性が高いとみられることから,これをどのように評価すべきか,検討を要する。
しかしながら,既に検討したとおり,当時の被告人Aにとって,刑責を負うかどうかよりも,身柄拘束がいつまで続くのかの方が,はるかに切実な問題となっており,取調官に迎合して自白を維持しようとする誘因が強く働いていたと考えられるところ,そのような状況にあって,被告人Aが,自白した方が早期に釈放されるとの認識の下,早期の釈放を期待して,自白を維持したとみる余地が多分にある。被告人Aが,第2回及び第3回公判において事実を認めた理由について,後の公判で「認めたのって,結局,何年も掛かる,掛かると言われてるから,私はもう,言って出たいという気持ちがあったんですがね。だからもう。」(第8回公判調書中の被告人Aの供述部分第1106項),「認めたら早く帰れるといわれてたから,結局はそれを信用してですよ。」(第11回公判調書中の被告人Aの供述部分第513項)と述べていることからも,早く釈放されたい一心で自白した当時の被告人Aの心理状態が如実に表現されていると考えられる。
以上にかんがみれば,本件において,被告人Aが公判で自白していることを,自白の信用性を高める事情として過大に評価するのは適切でないというべきである。
(4) 以上のとおりであって,被告人Aの自白には,第3の5(3)イ(イ)で指摘した不自然な変遷があること,自白と否認の度重なる交錯がみられ,その原因について考察したところを加味すると,自白の信用性に重大な疑問が生じること,被告人Aに対する取調べの状況からも,虚偽の自白がなされたとの疑いが払拭できないことなどからすれば,被告人Aの自白の信用性を肯定することはできないといわざるを得ない。
2 被告人Jについて
(1) 供述の変遷について
被告人Jの捜査段階の供述には,前記第3の5(3)で指摘したとおり,合理的な説明の困難な供述の変遷が多々みられるが,その他にも,受供与金の使途等について,多々変遷がみられる。例えば,次のような点が挙げられる。
ア 2回目会合について
2回目会合で得た5万円の使途について,5月5日付けの警察官調書によると,3万円をpに渡し,残り2万円を息子の車のローンの返済等に充てた旨述べられているが,7月9日付け及び7月11日付けの各検察官調書によると,全額をガソリン代や食料品等の生活費に費消した旨述べられており,さらに,7月20日付けの警察官調書及び8月10日付けの検察官調書によると,3万円をpに渡し,2万円をガソリン代や食料品代等に費消した旨述べられている。
このように,被告人Jの供述は変遷を重ねているところ,その理由については何ら述べられていない。
イ 焼酎口事件について
4月19日付けの警察官調書によると,被告人Aから,被告人Kに投票するよう依頼され,焼酎と1万円をもらった旨述べられており,初めて焼酎口事件についての自白がされるとともに,受け取った1万円のうち5000円を義父であるqに渡し,残りをガソリン代や食料品代に費消した旨述べられている。4月21日付けの警察官調書においては,いったん前記事実を否認したものの,その日のうちに再び自白に戻り,供述を変遷させた理由については,家族から自白したことを激しく責められたため,否認に転じたが,取調官に説得され,再び事実を認めることにした旨述べられている。また,4月22日付けの警察官調書によると,1万円のうち5000円をqに渡したというのは嘘であり,実際は,被告人Dに渡した旨述べられており,本当のことを言うと被告人Dが責められると思って嘘をついていたが,その後,どのみち警察に裏付けを取られるから本当のことを話さなければならないと思った旨述べられている。さらに,4月24日付けの警察官調書によると,1万円のうち5000円を被告人Dに渡したというのは嘘で,実際は,qに渡した旨述べられており,本当のことを話してqから怒られるのが嫌だったから嘘をついたものの,取調官から,被告人Dと供述が合わないと追及され,思い直して正直に話すことにした旨述べられている。
以上のとおり,被告人Jは,焼酎口事件について自白した後,いったん否認に転じたほか,金銭の使途について,2度にわたって供述を覆しているところ,そのように供述を変遷させた理由については,家族から自白したことを責められた,本当のことを話して家族から怒られるのが嫌だったなどと述べている。しかしながら,そのように考えて供述するのであれば,自分が費消したと述べたり,記憶にないとあいまいに供述するのがむしろ自然であると考えられるのに,そのような供述はせず,家族のだれに渡したのかで供述が転々としている有様は,不自然との感が否めない。
なお,被告人Jは,3月20日に焼酎口事件で受け取った現金について,警察官調書で,被告人Kが当選しなかったときには返さないといけないと思っていたので,当選が決まるまでは使わず,他のお金と区別して保管していたと供述している。しかしながら,買収会合で受け取った現金については,そのような扱いをした旨の供述は全く見られず,供述の整合性にも疑問がある。
前記のとおり,被告人Jの捜査段階の供述には,合理的な説明の困難な供述の変遷が多々みられる。この点,後記のとおり,被告人Jは,公判において,体調不良のため点滴治療を受けるなどしていたにもかかわらず,連日,取調官から強圧的,誘導的な取調べを受け,その結果,供述を強いられたという旨の供述をしており,その供述内容が全面的に信用できるかは別にしても,前記供述の変遷過程をみると,取調官による何らかの押し付け,誘導等を用いた追及的な取調べが,連日,長時間にわたって行われ,これが被告人Jの供述に影響を与えた可能性が十分に疑われる。
(2) 自白内容の過度の詳細さについて
被告人Jの自白内容は極めて具体的で詳細である。通常,自白内容の具体性や詳細さは,自白の信用性を高める方向に働く要素と考えられるが,その詳細さが余りにも行き過ぎていて,人が通常記憶していないであろうと考えられる事項についてまで事細かく供述されている場合,逆に,自白の信用性を否定する方向に働く事情となり得る。以下,この点について検討する。
ア 4回目会合の出席者の服装等について
被告人Jは,捜査段階において,4回目会合の出席者の服装等について,次のように具体的な供述をしている。
まず,被告人Lの服装について,茶色っぽいスーツ,膝下までの長さのスカートで,持っていたバッグについては,黒色系の形が崩れないしっかりしたバッグ,手提げのついていない全体的に四角い形だけど,角は丸みを帯びていて,ごつごつしていない感じ,縦20センチメートル,横30センチメートル,厚み7センチメートルくらいと供述している。
また,vは,紺色系のズボンと茶色系のベスト形の綿入れ,被告人Fは,茶色系のスカートと黄色のカーデガン,被告人Iは,紺色のジャージズボンに灰色系のトレーナーと赤いエプロンと供述している。
さらに,4回目会合における自分の服装について,山吹色のズボン,襟が赤色で全体が白のブラウス,白のカーディガンと供述している。
イ 会合出席者の特徴等について
被告人Jは,警察官調書で,会合出席者の身長,体型,年齢等の特徴について,具体的に供述している。しかも,それは,被告人Kや被告人Lなど,被告人Jが会合の中で注目して見ていたと思われる者だけでなく,会合で初めて会った当時は名前すら分からなかった者についてまで,供述している。例えば,4回目会合で初めて会った被告人Kの会社の従業員と思われる女性2人について,1人は,髪を後ろで束ねた年齢55歳くらい,身長155センチメートルくらい,中肉で,エプロン姿,優しそうな顔で少し垂れ目,(g)に住んでいる,もう1人は,髪が短く,年齢60歳くらい,身長150センチメートルくらい,中肉で,エプロン姿と供述しているのである。
ウ 会合の際に出された料理等について
被告人Jは,捜査段階において,買収会合で出された料理等についても,詳細な供述をしている。
(ア) 例えば,2回目会合の状況について,供述調書では,飲み会のつまみとして,落花生とさきいかを,カレー皿のような大きめの皿に,2皿ずつに分けて出した,缶ビールは350ミリリットル入りのアサヒのビールであったと供述している。
また,3回目会合の状況について,供述調書では,イカの形をしたつまみ,ピーナッツ,ウィンナーが出た,イカの形をしたつまみは,一袋に5枚入っているもので,自分が皿に入れて出した,缶ビールは2回目会合と同じ350ミリリットル入りのアサヒのビールと供述している。
この点,出されたつまみの種類だけでなく,その盛られたお皿の形状や数,イカの形のつまみが一袋に入っていた枚数についてまで言及されている点は,詳細すぎてかえって不自然との感が否めない。また,酒を飲まない者にとって,出されたビールの銘柄などは,通常,印象に残りにくい事項と考えられるところ,酒を飲まない被告人Jがビールの銘柄まで供述している点も,真に記憶に基づく供述であるのか,疑問である。
(イ) さらに,4回目会合の状況について,警察官調書では,テーブルの上には大きな盛り皿2個が置いてあり,唐揚げ,エビや野菜などの天ぷら,ウインナー,卵焼き,薩摩揚げなどが盛られ,その中に銀色のアルミ箔の容器にキュウリやタマネギなどの酢の物なども添えられ,透明なラップが被せられていた,また,青っぽい発泡スチロールの四角いトレーに大根の千切りとイカと魚の刺身が5切れくらいずつ入れられた1人分ずつも準備されていたと供述されており,さらに,そのトレーに入っていた刺身醤油の袋やわさびの袋の色や形状についてまで,供述されている。
2回目会合や3回目会合より記憶が新しいとはいえ,供述された時には既に会合から2か月近くが経過しているのであり,ここまで鮮明かつ詳細に記憶しているのか,甚だ疑問である。
エ 現金の入っていた封筒の特徴について
被告人Jは,4回目会合の際にもらった10万円が入っていた封筒の特徴について,白っぽい封筒か,茶色の封筒だったか,はっきりしない旨述べていたが,後に警察官調書で,茶色っぽい封筒であったとして,その特徴を詳細に説明している。しかし,当初,色さえ明確に記憶していなかった物を,細かい特徴に至るまで思い出して供述するというのは,不自然である。
オ 会合の際に被告人A方で見た自動車について
被告人Jは,警察官調書で,4回目会合の際,被告人A方の車庫の前に軽トラックが2,3台止まっており,さらに,被告人A方の周辺に普通乗用自動車などが2,3台止まっていたが,その中に灰色の軽ワゴン車も止まっており,ナンバーの頭の数字が「13」であったことから,被告人Cの車であることが分かったと供述している。
カ その他
被告人Jは,警察官調書で,4回目会合に行く途中,被告人Bの家の前を通ったところ,家の中の明かりが暗く,玄関の外灯がついていたので,被告人Bと被告人Iは,もう会合に行ったんだと思ったと供述している。
取調官が,被告人Bと被告人Iの出席事実を裏付けようとして引き出した供述と思われるが,このように何の変哲もない事実について,特定の意味付けをして理解し,記憶していたというのは,やはり不自然との感が否めない。
以上のとおりであって,被告人Jの供述内容は,普通はほとんど気にも留めないと思われる事項も含め,極めて具体的で詳細である。その一つ一つを個々にみれば,たまたま覚えていたにすぎないとも考えられる。また,服装のみに着目すれば,一般的な傾向として,女性は男性よりも他人の服装を注目して見ていると考えられるし,女性が同じ女性の服装により関心を向けるのも自然なことといえ,あながち不自然とはいい切れないかもしれない。しかし,全体としてみると,余りにも詳細にすぎるというべきである。仮に,このような供述が記憶に基づいてなされたというのであれば,被告人Jは,驚異の記憶力の人物ということになろう。しかし,被告人J自身,小中学校の成績も振るわず,読み書きも得意ではなく,特に記憶力がよいということもないというのであり,そのことは,後述する被告人J作成の「さいばんがんさま」と題する書面からもうかがえ,被告人Jの記憶力が特に卓越したものであったとは考えられない。取調官である戊1も,被告人Jの2回目会合と3回目会合に関する記憶があいまいで,各会合の出来事を混同しているところが見られたと述べているが,にもかかわらず,それらの会合の出来事について事細かく供述している点は,整合性を欠くというべきである。
したがって,被告人Jの自白内容は過度に詳細であって,そのことは自白の信用性を否定する方向に働く事情と考えられる。
(3) 取調べ状況について
被告人Jは,公判廷において,自白した理由につき,お金や焼酎をもらったことはないと否定したが,取調官に全く聞き入れてもらえなかったことから,結局,取調官に誘導されるまま,虚偽の自白をしたと述べている。
これに対し,取調官である戊1は,被告人Jの捜査段階における自白は自発的になされたものであるとして,被告人Jの言い分と対立している。しかしながら,戊1の供述内容を基本的に前提としても,以下のとおり,被告人Jに対する取調べの状況について,その自白の信用性を肯定することに躊躇を感じさせる事情が存する。
ア 焼酎口事件について自白するに至った状況
被告人Jは,4月19日に初めて身柄不拘束で取調べを受け,焼酎口事件について自白している。ところで,戊1の供述によれば,同日の取調べの経過は次のとおりである。
すなわち,同日の取調べを開始する時点で,被告人Jに特定の犯罪の嫌疑はなく,参考人として事情聴取をしていたところ,被告人Jが下を向いて黙り込んでいたことから,何かを隠していると考え,「あなたが正直な話ができないのであれば,家族の方から話を聴くことになりますよ。」と告げた。これに対し,被告人Jは,困惑するような様子を見せたが,なお沈黙していたので,補助者に「それじゃあ家族の方から話を聞く準備をしなさい。」と言い,補助者が「分かりました。」と言って部屋を出たところで,Jが「ちょっと待ってください。」と言って補助者を引き止め,焼酎口事件の自白を始めたというのである。
この点,取調官が,被告人Jに特定の犯罪の嫌疑がないにもかかわらず,勘のみを頼りに,何か隠しているのではないかと追及している点は,かなり強引な取調べ手法というべきであるし,正直に言わなければ家族をも取り調べると述べたことが,被告人Jに対して,相当強い威迫的な効果をもたらしたことは,戊1の供述からも如実にうかがえる。被告人Jに前科前歴がなく,警察の取調べを受けるのも今回が初めてであったことや,被告人Jが気が弱く内気な性格であったことにもかんがみると,このような取調官の言動が,その後の取調べにおいても,被告人Jに影響を及ぼしたことが十分に考えられる。
イ 買収会合について自白するに至った状況
被告人Jは,身柄不拘束のまま,4月21日以降,連日のように取調べを受けていたところ,4月30日になって,被告人A方で現金1万円を受け取ったと述べ,買収会合について初めて自白するに至っている。ところで,戊1の供述によれば,同日の取調べの経過は次のとおりである。
すなわち,戊1は,同日,取調べのため,被告人Jを自宅まで迎えに行ったところ,体調がすぐれないので病院に行かせてほしいとの申し出があり,病院で点滴を受けさせてから,警察署に同行し,午前11時ころから取調べを開始した。戊1は,その時点では,買収会合についての情報は全く持っておらず,焼酎口事件についての取調べを予定していたが,被告人Jが,下を向いたり,追及すれば黙り込んだりという様子で,何か隠しているのではないかと感じたことから,「他には何かもらってないのか。」などと言って,追及していった。すると,しばらくして,被告人Jが「実は,Aの家で集まりがありました。」と言って,自白を始めた。一通り話を聞いたところで,被告人Jが「横にならしてください。」と言ったので,簡易ベッドに横にならせて取調べを続け,調書作成をした。その際,被告人Jは,横になったままで,問いかけたら目を開いて答えるような状態であった。同日の取調べは午後6時ころまで行われたというのである。
ところで,被告人Jは,当時,体調がすぐれず,4月28日には体調不良を理由に取調べを断り,病院で点滴を受けている。被告人Jは,4月30日にも病院で点滴を受けた上で,取調べに臨んでいるが,昼食も「食べたくない。」として取っておらず,途中からは,座っての取調べに耐えられなくなり,簡易ベッドに横になりながら問いかけたら目を開いて答えるというかなり特異な状態で,約7時間にわたって取調べが続けられているのであって,被告人Jが取調べに任意に応じているとはいえ,かなり無理を強いての取調べであることは否めない。このような状態で,戊1は,これといった情報もないのに,何か隠しているのではないかとの勘のみを頼りに,追及的な取調べを行っているのである。このような取調べは,被疑者の体調への配慮を欠いたものといわざるを得ず,前記アで指摘した事情も考え合わせると,虚偽自白をもらたす危険性が低くないと考えられる。
ウ 5月1日以降の取調べ状況
被告人Jは,5月1日から5月6日まで,連日取調べを受けているが,その間に,買収会合についての自白内容が変転を重ねた末,4回の買収会合について自白をするに至ったことは,前記第3の5(3)で指摘したとおりである。
ところで,戊1の供述によれば,その間も,被告人Jの体調は依然としてすぐれず,病院で点滴を受けてから取調べを受けており,昼食は「食べたくない。」としてずっと取っていなかったこと,5月7日には被告人Jが体調不良を訴え,取調べが行われなかったことが認められる。
このように,被告人Jに対する5月1日から5月6日までの取調べが,体調不良の状況下で相当無理をして進められていたことがうかがわれるが,この間の供述に合理的な説明の困難な変遷が多々みられることをも考え合わせると,被告人Jが,体験していない事実について供述を求められてその場しのぎの供述をしたり,取調官に誘導されるまま自白内容を受け入れたりした結果,このような変遷が生じたとの疑いが払拭できない。
(4) 以上のとおりであって,被告人Jの供述に合理的な説明の困難な変遷が多々みられること,自白内容が過度に詳細であること,取調べ状況についてみても,自白の信用性を肯定することに躊躇を感じさせる事情が存することなどからすれば,被告人Jの自白をたやすく信用することはできない。
3 被告人Dについて
(1) 供述の変遷について
被告人Dの初期段階の自白内容が変遷を繰り返しており,その変遷に合理的な理由が見出し難いことは,前記第3の5(3)で指摘したとおりであるが,その他にも,受供与金の使途等について,多々変遷がみられる。例えば,次のような点が挙げられる。
ア 1回目会合について
1回目会合で自分が得た3万円の使途について,5月13日付けの警察官調書では,1万2000円くらいを,次女の高校の授業料の支払に充てるため,農協の貯金口座に振り込んだ記憶があり,その他をガソリン代に費消した旨述べられているが,5月22日付けの警察官調書では,金銭を借金返済などに充てたが,詳しいことはよく思い出してから話す旨述べられており,同日付けの検察官調書では,金銭を息子と娘の携帯電話の料金の支払に充てたほか,娘の授業料の支払にも充てた記憶があり,その他はすべて使い果たした旨述べられている。ところが,5月26日付けの警察官調書は,貯金通帳や領収書等の資料を参照した上で,2月8日の晩に1回目会合から帰宅した後,長男の運転する自動車でコンビニエンスストアに行き,そこで,1回目会合で得た3万円で長男の携帯電話の料金2万6000円を支払った,残りの4000円については,ガソリン代か次女の高校の授業料の一部に充てた旨述べられており,5月28日付けの検察官調書では,1回目会合から帰宅してテレビを見ていたところ,長男の携帯電話の料金を支払わなければならないことを思い出し,自分で自動車を運転して,コンビニエンスストアに行き,1回目会合で得た3万円で長男の携帯電話の料金を支払った旨述べられている。
このように,供述の変遷がみられるところ,当初は,金銭の使途について比較的あいまいにしか供述されていなかったのが,5月26日に,領収書等の資料を見せられてから,突然,使途について詳細な供述がされるに至り,さらに,5月28日には,あたかも当初から記憶していたかのように,明確かつ詳細な供述がされているが,当初の供述のあいまいさと比較すると,いかにも不自然との感が否めない。1回目会合の後にコンビニエンスストアで携帯電話料金を支払ったのが事実であれば,1回目会合についての記憶を呼び起こす中で,その事実を思い出されてしかるべきと考えられる。また,5月26日には,長男の運転する自動車でコンビニエンスストアに行ったと明確に述べられているにもかかわらず,5月28日には,何らの説明もなく,コンビニエンスストアには,自分で自動車を運転して行ったと供述が変更されている点も不可解である。
イ 4回目会合について
4回目会合で自分が得た10万円の使途について,6月14日から6月19日までの供述調書では,被告人Jが受け取った10万円とともに,全額をpに渡した旨述べられており,pまで逮捕されるといけないと思い,今まで話せなかったが,本当に罪を償うためには,真実を話さなければならないと思い直した旨述べられている。また,6月24日付けの警察官調書では,pを通じて,Fに全額を預けた旨述べられており,後に受供与金を罰金の支払や生活資金に充てようと考えていたため,今まで本当のことを話せなかった旨述べられている。さらに,7月9日付け検察官調書では,いったんpに20万円を渡した後,10万円を受け取り,うち5万円をJに渡して被告人Kの票集めをするよう指示し,残りの5万円については,本件選挙で自分が支持していた候補者への投票を依頼する趣旨で,職場の同僚らに1万円ずつ渡そうとしたが,受け取りを拒否されたため,結局,飲食費,ガソリン代等に費消した旨述べられている。7月14日付け警察官調書では,職場の同僚らに1万円ずつ配ろうとしたが断られたというのは記憶違いで,実際は,もったいないとの気持ちから同僚らに配るのを思いとどまったような記憶があるなどと述べられている。
このように,供述に変遷がみられるところ,その理由については,前記のとおり,一応の説明が加えられている。しかしながら,被告人Dは,6月19日の時点で,罪を償うために正直に話をしようと思ったと述べているにもかかわらず,その後,前記のごとく3度も供述を変遷させていることになり,不自然との印象を拭えない。この点,前記供述経過は,被告人Jの供述と,ほぼ同一の変遷過程をたどっていることが認められ,両供述の辻褄を合わせるため,取調官による強圧的,誘導的な取調べが行われた可能性が疑われる。
(2) 取調べ状況について
ア 被告人Dは,4月17日以降,8月上旬ころまで,連日のように長時間にわたる取調べを受けているが,その状況について,公判廷において,取調官から,「もらっただろう,もらっただろう。」(第9回公判調書中被告人Dの供述部分第151項)などと執拗に言われたり,「もう全部分かっているんだから正直に話しなさい。」(第12回公判調書中被告人Dの供述部分第193項),「ほかの人はもう言ってるよ。」,「あなたが一番じゃないんだから。」(第9回公判調書中被告人Dの供述部分第83項),「それを言わなかったら逮捕するよ。」(同第85項),「選挙違反というのは交通違反と一緒だから,殺人をしたわけじゃないんだから,罰金さえ払えばすぐ出られるんだよ。」(第12回公判調書中被告人Dの供述部分第223項)などと言われ,取調べから早く解放されたい一心で虚偽の自白をした旨供述している。
イ これに対し,取調官である戊2は,被告人Dをねばり強く説得した結果,被告人Dが自発的に供述をしたとして,その経緯を具体的に供述しつつ,被告人Dから逮捕されるのかどうか尋ねられたことがあったが,逮捕するともしないとも言っていない,逮捕後に法定刑に懲役と罰金があることは説明したことはあるが,罰金になるなどと処分の見通しについて話したことはない旨述べている。なお,戊2は,5月1日の取調べの際,被告人Dが「私が最初ですか。」と,自分以外に自白している者がいるのかどうかを聞いてきたので,「私は,最初に何か選挙の集まりがあったんじゃないですかと聞いたよね。私があなたにそういうふうにして聞くということは,既にあなたより先にだれかが話をしていると思わないですか。」と,他に自白している者がいることをほのめかしたところ,被告人Dが自白を始めたと供述している。
ウ 戊2の供述が時系列に沿って整然としているのに対し,被告人Dの供述は,明確さを欠くきらいがあるが,5月1日から5月6日までの供述の変遷経過に照らすと,その間の取調べにおいて相当厳しい追及があったとする点はむしろ自然と考えられる。また,「選挙違反というのは交通違反と一緒」などの言動についても,本件における取調官の言動としてあり得ると思わせるような内容のものであり,戊2はこれを否定するが,被告人Dの供述を虚偽と断ずべき決め手に欠け,そのような言動があった可能性を排除できない。
エ 以上を基に検討すると,被告人Dは,取調官から,買収会合があったのではないかと厳しく追及されるとともに,他の者が既に自白していることをほのめかされた。また,被告人Dは,取調官から,「選挙違反というのは交通違反と一緒」などと言われ,事実を認めても刑責はそれほど重くならないことを示唆された。被告人Dは,自分だけが否認をしても言い分が通らないし,自白しても自分だけが恨まれることもない,事実を認めても軽い処分で済むと考え,否認から自白に転じたと考えられる。被告人Dは,当時,身柄拘束を受けていなかったが,被告人Aが既に4月22日に逮捕されていたことから,逮捕を恐れる心情は相当に強かったと考えられるところ(戊2の供述からもそのことはうかがえる。第17回公判調書中証人戊2の供述部分第58項),被告人Dが,否認を貫けば逮捕されるのではないか,事実を認めても軽い処分で済む等の心情から,取調官に迎合し,虚偽の自白をした可能性が払拭できない。自白後の供述の変遷についても,被告人Dが,体験していない事実について供述を求められ,その場しのぎの供述をしたり,取調官に誘導されるまま供述を変更したためと考えると,理解可能である。
(3) 公判における自白について
被告人Dは,7月23日に開かれた第2回公判の罪状認否の手続において,1回目会合の事実を認める陳述をし,7月31日に開かれた第3回公判の罪状認否の手続において,4回目会合の事実を認める陳述をしている。
しかしながら,この点については,被告人Aの自白の信用性の検討で指摘したこと(前記1(3))とほぼ同様の指摘が可能である。すなわち,被告人Dは,5月13日に逮捕されて以降,身柄拘束が長期化していたことから,被告人Dにとって,刑責を負うかどうかよりも,身柄拘束がいつまで続くのかの方が,はるかに切実な問題となり,取調官に迎合して自白を維持しようとする誘因が強く働いていたと考えられる。そして,そのような状況にあって,被告人Dが,自白した方が早期に釈放されるとの認識の下,早期の釈放を期待して,自白を維持したとみる余地が多分にある。当時の被告人Dの供述調書にも,「早く裁判を終えて,一からやり直したいです。」とか,「一日でも早く家に帰って,両親の負担を軽くしたい」などの記載があり,早期の釈放を切望する当時の被告人Dの心情が十分に読み取れる。また,当時の被告人Dの供述調書中には,「起きたら,頭が割れるように痛かった」,「最近血圧が高いのか,頭痛がします」,「拘置所の房の中は,(a)のような田舎とは違った暑さがして頭がボーっとしてきます。」,「房の中の暑さに負けて体調を崩し,週明けの取調べの途中で血を吐いたりしました」などの記載が見られ,長期間にわたる身柄拘束及び取調べにより,精神的,肉体的に相当疲弊した状況に置かれていたことがうかがわれる。このような状況にあっては,たとえ強制や誘導の契機が全くない公判廷であっても,虚偽の自白をする危険性が低いとはいえない。
以上にかんがみれば,本件において,被告人Dが公判で自白していることを,自白の信用性を高める事情として過大に評価するのは適切でないというべきである。
(4) 以上のとおりであって,被告人Dの供述に合理的な説明の困難な変遷が多々みられる上,取調べ状況等に照らしても,虚偽の自白がなされた可能性を払拭できず,被告人Dの自白の信用性には疑問が残るといわざるを得ない。
4 被告人Bについて
(1) 供述の変遷について
被告人Bの初期段階の自白内容が変遷を繰り返しており,その変遷に合理的な理由が見出し難いことは,前記第3の5(3)で指摘したとおりであるが,その他にも,自白と否認が交錯するなどの変遷がみられる。その概要は以下のとおりである。
ア 4月22日付けの警察官調書
3月中旬ころの午後6時過ぎころ,自宅を訪ねてきた被告人Aから,被告人Kの後援会入会申込書への署名を依頼されるとともに,1万円入りの封筒と焼酎2本をもらった旨述べられており,焼酎口事件について初めて自白がされている。
イ 4月25日付けの警察官調書
焼酎口事件について,いったん否認に転じたが,その日のうちに再び自白に戻った。供述を変遷させた理由については,「私が刑事さんにAから,現金1万円と焼酎2本くくりを貰ったことを話したことで,Aが逮捕されてしまったと思い,非常にショックでした。Aに迷惑をかけてしまったと思うと,頭が飽和状態になり,刑事さんに,Aのことは,嘘の作り話でしたなどと説明すれば,Aが助かるのではないかなどと安易に考えました。しかし,刑事さんから,これまでと同じように,いろいろな説明,説得をしてもらい,やはり,嘘をついても真実は一つであるから,世間では通用しない。この前,正直に話したように,ありのままを刑事さんに説明して,今回のことは一日でも早く終わらそう。」と述べられている。
ウ 5月1日から5月8日までの供述経過
5月1日から買収会合事件についての取調べが行われた。その経過は,前記第3の5(2)のとおりであり,5月1日は否認を通したが,5月2日に自白に転じ,その後,会合の回数や受供与金額等についての変遷を経て,最終的な自白内容が形成されていった。
なお,戊5の供述によれば,5月6日の取調べの冒頭にも被告人Bは,いったん否認に転じたとのことである。
エ 5月13日付けの弁解録取書
5月13日に1回目会合について逮捕されたが,警察官の弁解録取手続において,事実を否認する旨述べられている。
オ 5月13日付けの警察官調書
1回目会合について自白に戻り,弁解録取手続において否認したのは,逮捕されて,仕事や家族のことを考え,動揺したためである旨述べられている。
カ 5月22日付けの警察官調書
当日行われた検察官の取調べに対し,1回目会合につき,いったん事実を否認したが,その日のうちに自白に戻っている。否認に転じた理由については,接見に来たr弁護士から,「それは嘘の話だろう。何故,調書にサインするのか。」などと否認を勧めるようなことを言われ,頭が混乱したためであると述べられているほか,5月28日付けの検察官調書においても,接見に来たr弁護士から,「検事さんには本当のことを言いなさい。あんたは嘘を言っているんだから。否認をして頑張り通さないといかんがね。」などと言われたため,否認した旨述べられている。
以上のとおり,被告人Bは,本件選挙に関する取調べの過程において,いったん自白した後,否認に転じては,取調官の説得により再び自白に戻るということを繰り返している。このことは,被告人Aの自白の信用性の検討において指摘したのと同様,自白の信用性を否定する方向に働く客観的な徴表といえる。なお,自白の信用性を判断するに当たっては,自白と否認が繰り返された原因について更に掘り下げて検討する必要があるが,これについては,後記(2)の中で論じる。
(2) 取調べ状況について
ア 被告人Bは,公判廷において,取調べ状況につき,以下のとおり供述している。
(ア) 4月20日以降,戊5の取調べを受けたが,否認すると,「Aがお前に焼酎をやったんだと言ってる。うそを言うな。」などと,繰り返し厳しく追及された。さらに,戊5は,「口で言えないんだったら鉛筆で書きなさい。」と言って,強引に鉛筆を持たせたり,机をたたいたりした。また,「疲れていますので,帰してください。」と申し出ても,聞き入れてもらえなかった。
(イ) 4月21日,22日も,戊5から「ほかの人たちはもう認めているんだ。認めないと逮捕になるぞ。」,「お前はいつまでうそを言ってるんだ。みんな認めているんだ。Aがお前にやったっていうのはもう分かってるんだ。」,「認めないと地獄に行くぞ。」などと言われて,厳しく追及された。また,「選挙違反は交通違反と一緒」,「認めたら罰金だけで済むんだ。」などとも言われた。さらに,机の上に両手を載せた状態で「絶対下ろすな。」と言われ,ずっとその姿勢のままで取調べを受けさせられたりした。いくらもらっていないと言っても,全く聞き入れてもらえなかったことから,もうどうでもいいやという気持ちになり,22日の午後の取調べで焼酎をもらったことを認めた。すると,今度は,「お金ももらっただろう。」,「お金をもらおうと,焼酎をもらおうと,罪は一緒なんだ。」などと言って更に追及され,最初は否定したが,お金を受け取ったことも認めた。金額については,最初5000円と答えたところ,「いや,そんな半端な金じゃない。」と言われ,「1万円ですか。」と聞いたら,「ああ,そうだ,1万円だ。」と言われた。もらった焼酎の本数や銘柄,時期についても,戊5に誘導された内容をそのまま受け入れた。
(ウ) 4月23日,24日は取調べがなかったが,うその自白をしたことについて,人権擁護委員等に相談したりした。
4月25日にはs弁護士の事務所に行って相談をする予定になっていたが,出掛けようとしたところ,警察官が自宅近くで待っており,そのまま警察署に同行された。
取調べで,戊5に否認する旨述べると,戊5から「お前はAが逮捕されたことで気が動揺しているんだろうが。」,「お前が供述したからAが逮捕されたんじゃないんだ。」,「うそを言ったら本当に逮捕になるぞ。」などと言われ,追及が始まった。戊5から白紙を渡され,「私を逮捕してください」と書くように言われたが,これを拒むと,戊5が自分で紙に書き,補助官に「上にこれを持っていって見してこい。」と言ったこともあった。結局,刑事に何を言っても通用しないと思い,夕方ころ,再び認めた。
(エ) 5月1日以降,買収会合の事実についての取調べが始まった。否認したところ,戊5から「Aの家で会合があったろうが。」,「選挙運動は交通違反と一緒だから,罰金だけで済むんだから正直に言って,早く仕事に行けるようにしたほうがいいんじゃないのか。」と言われた。さらに,Uの字を書いたような図を見せられ,「お前は今ここの直線上にいるんだ。認めたらまっすぐ直線で行ける。すぐ罰金だけで済むんだ。認めんかったら地獄に行くぞ。」とも言われた。そして,結局,5月6日か7日ころ,買収会合があったことを認めた。
(オ) 5月13日に逮捕された。それまで,戊5から,認めたら逮捕は絶対ない,罰金だけで済むと言われていたのに,逮捕されたことから,腹が立ち,逮捕時の弁解録取では否認した。しかし,認めるように言われ,結局,警察官には何を言っても通らないと思い,再び認めた。
(カ) 5月22日,丁副検事(以下「丁」という。)の取調べを受けたが,検察官であれば,言い分を聞いてくれるのではないかと思って,否認した。丁副検事は,(q)町の選挙違反事件で,逮捕された被疑者が否認をして何か月か後に認めたという話をし,「認めて,早く社会復帰をするようにした方がいいんじゃないのか。」と言った。それで,午後の取調べで再び認めた。
イ 他方,戊5は,公判廷において,警察での取調べの状況につき,以下のとおり供述している。
(ア) 4月20日は,午後1時25分から午後10時ころまで,被告人Bに対する取調べを実施したが,否認のままであった。なお,別の日に「死刑」という言葉を出したことはあったが,「死刑にしてやる」などとは言っていない。また,この日に「帰らせてほしい。」というような申し出はなかった。また,強引に鉛筆を持たせたりもしておらず,鉛筆の後ろで机をコツコツたたいた程度である。
4月21日は,午後零時5分から午後10時47分まで,途中,ポリグラフ検査をはさんで,取調べを実施した。そして,「選挙というのは相手がいる事件ですよ。」などと言ってうそは通らない旨を話し,説得したところ,午後9時過ぎころになって,被告人Aから投票の依頼を受けお礼をもらったことは認めた。しかし,この日は,何をもらったのかを明らかにしなかった。
(イ) 4月22日は,午前9時12分から午後8時18分まで,取調べを実施した。開始時に,被告人Bが「取調べを拒否します。帰ります。」と言ったが,説得して取調べに入った。その日は胃の調子が悪いと言い,度か腹痛を訴えてトイレに行った。被告人Bは,何ももらっていないと全面的に否認し,取調べの途中,「帰ります。」と言って,取調室を出て帰ろうとしたが,すぐに追いかけ,駐車場の所で何度も説得して,取調室に戻ってもらった。そして,説得を続けたところ,被告人Aから焼酎と現金をもらったことを認めた。なお,金額については,当初,「5000円だったかなあと,1万だったかなあ。」などと言っていたが,1万円と供述するに至った。
なお,取調べの中で,「認めないと地獄に行くぞ。」などとは言っていないが,幸せな時期もあればつらい時期もあるという意味で,天国と地獄という言葉を用いたことはあった。また,認めたら罰金だけで済むとか,認めないと逮捕するなどとは言っていない。ただ,逮捕後に「身近な事件としては(選挙違反は)交通違反と同じような態様の事件ですよね。」と言ったことはあった。また,この日のことだったかはっきりしないが,取調べ中に,被告人Bが頭を垂れて,両手を机の下に置いた状態で手遊びをすることがあり,再三注意はしたが,何度も同じような行為を繰り返すので,「手遊びがやめられないんであれば手を机の上に置きなさい。」と言って注意をしたことがあった。
(ウ) 4月25日の取調べで,被告人Bが,22日は苦し紛れにうその話をしたと言って,否認に転じた。被告人Aの逮捕が影響を与えているのかなあと思い,説得したところ,再び自白に転じた。
(エ) 5月1日以降,買収会合の事実について取調べを行った。「新たな事実が出てきました。多数の人が集まっての事実ですのでうそは通用しませんよ。」,「K候補の集まりがあったんであれば正直に話をしてほしい。」などと言って追及していった。5月1日は否認だったが,5月2日から自白に転じた。
(オ) 5月13日の逮捕時の弁解録取においては,否認したが,その日のうちに自白に転じた。否認した理由について,被告人Bは,逮捕されて,今後のこと,会社のこと,家族のことを思ったら動揺したと述べた。
ウ また,丁は,公判廷において,5月22日の取調べ状況につき,以下のとおり供述している。
被告人Bが,5月22日の取調べで否認に転じたので,(q)町の選挙のことを例に挙げ,「こういう事件はあなたたちで終わりにしないといけないのではないですか。」などと言って説得したところ,午後の取調べで自白に戻った。否認した理由について,被告人Bは,弁護人に事実は間違いないと言ったにもかかわらず,否認して頑張れというようなことを言われたからだと述べた。
エ まず,警察の取調べについて検討する。
被告人Bの供述には,誇張が過ぎるというべき部分もあるが,全体としてみれば,取調べの状況につき,かなり具体的であり,内容的にみても,本件における取調官の言動としてあり得ると思わせるような一定の自然さや迫真性を有している。
供述内容を個別にみても,戊5が,否認時の取調べにおいて,「うそを言うな。」などと言ったり,他の者の供述が既に出ているなどと言って,繰り返し厳しく追及したという点は,非常に迫真的である。
また,被告人Bが取調室を出て帰ろうとするや,戊5らがすぐに追いかけて,駐車場の所で引き止めたという点や,戊5が被告人Bに机の上に両手を載せる姿勢を取らせたままの状態で,取調べを受けさせたという点については,戊5がほぼこれを認めている。迫真的な供述内容の一部が,戊5の供述によっても裏付けられる形になっている。
「選挙違反は交通違反と一緒」との言動についても,戊5が本件を軽微犯罪であると強調し自白を引き出す意図でなされたものと考えられ,本件における取調官の言動として,大いにあり得ると思わせるような内容である。なお,戊5も,逮捕後であったと思うと断りつつ,これにかなり近い言動をしたことを認めており,取調べにおける,このような言動の存在が強くうかがわれる。なお,このような言動は,否認する被疑者に対する説得のためになされたとみるのが合理的であり,否認していた逮捕前からそのような言動があったという被告人Bの供述の方がより信憑性があると認められる。
「認めたら罰金だけで済む」との言動については,戊5が明確に否定しているところ,確かに,取調官がこのように処分の見通しについて安易に言及することは通常考えにくい。しかし,本件では,戊5が本件を軽微犯罪であると強調して自白を引き出そうとしていたことが強くうかがわれるのであり,同様の意図で,罰金程度の軽い処分になることを示唆する言動をした可能性を否定することはできない。被告人Bの具体的な供述内容をみても,戊5が図を買いて見せながら「お前は今ここの直線上にいるんだ。認めたらまっすぐ直線で行ける。すぐ罰金だけで済むんだ。認めんかったら地獄に行くぞ。」と述べたという点は,被告人Bの創作とは考え難いような迫真性も認められる。他方,戊5は,逮捕後だったと思うが,本件は略式起訴ではなく,公判請求になる可能性が高い旨の説明をしたと述べている。しかしながら,前述のとおり,戊5は,本件は交通違反と同じようなものだという趣旨の話もしたと述べているところ,一方では軽い犯罪であることを殊更強調するような説明をしながら,他方では略式起訴ではなく公判請求の可能性が高いという発言をしたというのは,整合性を欠くきらいがある。ただ,結局のところ,この点については,被告人Bの供述と戊5の供述とのどちらが真相であるのかを判別するだけの決め手に欠けるといわざるを得ない。
さらに,「認めなければ逮捕する」旨の言動についても,戊5は,これを明確に否定している。確かに,「認めなければ逮捕する」といった言動は,自白すれば逮捕しないとの利益誘導と受け取られかねないものでもあるため,取調官がそのような言動を安易にするとは通常考えにくい。しかしながら,戊5の供述によれば,被告人Bが,自暴自棄になって「逮捕でも何でもしてくれ。」と言ったことがあった,これに対して,戊5が「そんなに逮捕してほしいんであれば,はっきりと,逮捕してくださいと言いなさい。上司に伝えるから。」と言い,黙り込んだ被告人Bに,その旨を紙で書くように言って,白紙と鉛筆を渡した,被告人Bは,何も書かなかったので,補助官に「Bの今の気持ちだと上司に伝えてこい。」と言って上司に伝えさせたとのことである(この点については,被告人Bも,全く同じではないが,これに近い事実を供述している。)。仮に,このようなやりとりがあったとしても,本心では逮捕を望んでいない被告人Bが,いくら自暴自棄になったにしても,何のきっかけもなしに「逮捕でも何でもしてくれ。」と言い出したというのは,唐突との感が否めない。むしろ,前提として,戊5から認めなければ逮捕するとの言動,あるいは,これを示唆する言動があり,自暴自棄になった被告人Bが「逮捕でも何でもしてくれ。」と答えたという流れの方がはるかに自然である。戊5は,天国と地獄という比喩を使って話をしたというが,被告人Bが,これを,認めれば天国,否認すれば地獄と受けとめたとしても,あながち不合理ではない。なお,被告人Bは,5月13日の逮捕時の弁解録取の際,否認している。これは,取調官から,認めれば逮捕もされず,軽微な処分で済むことを示唆されていた被告人Bが,裏切られたと感じて否認に転じたと考えれば,合理的に理解できる。
以上のとおりであって,被告人Bの供述と戊5の供述との対立点について,結局,どちらが真相であるのかを判別するだけの決め手には欠けるといわざるを得ず,被告人Bの供述を虚偽として全面的に排斥することはできない。
オ 次に,丁の5月22日の取調べについて検討する。
同日の取調べに関する被告人Bの供述は,否認に転じた理由やその際に丁から自白を勧められた状況について,具体的でそれなりの説得力を持っている。特に,丁が,(q)町の選挙違反事件を例に挙げて,認めて早く社会復帰できるようにした方がよいと述べたという点は,被告人Bの創作とは考え難いような内容である。これに対し,丁の供述は,特に不自然とまではいえないものの,(q)町の選挙のことが話題に上った経緯については,むしろ被告人Bの供述の方が自然と感じられる。また,丁の供述のうち,被告人Bが,弁護人に事実は間違いないと言ったにもかかわらず,否認して頑張れと言われたから否認したと述べた点についても,弁護人が,事実を認める旨述べる被疑者に対して,その言い分を無視して否認するよう働きかけるとは考え難い。
以上のとおりであるが,結局のところ,被告人Bの供述と丁の供述との対立点について,どちらが真相であるのかを判別するだけの決め手には欠けるといわざるを得ず,被告人Bの供述を虚偽として排斥することは困難である。
カ 以上を基に検討する。被告人Bは,4月20日以降の取調べにおいて,繰り返し厳しい追及を受け,自白を迫られている。戊5は,被告人Bが取調べの最中に指遊びをしたとして厳しく叱責し,机の上に両手を載せる姿勢を取らせたままの状態での取調べを強いているが,これなどは,戊5が取調べにおいて被告人Bに対して極めて高圧的な態度で臨んでいたことを端的に示すものといえる。また,被告人Bは,5月13日まで身柄拘束を受けていないとはいえ,連日のように繰り返される取調べは,早朝から深夜に及ぶことも少なくなく,取調べを拒否して帰宅しようとしても,取調官から強引に引き止められるなどしており,被告人Bとしては,取調べから逃れることはできないとの心境であったと考えられる。被告人Bは,このような厳しい取調べの中,認めなければ逮捕するとの言動あるいはこれを示唆するような言動で,このまま否認を続ければ,自分も被告人Aと同様,逮捕されるのではないかと恐れる一方,「選挙違反は交通違反と一緒」とか「罰金で済む」などと言われ,事実を認めても刑責は軽いと理解したものと考えられる。このような状況においては,取調官に迎合して自白しようとする誘因が強く働くと考えられる。被告人Bは,前科前歴もなく,これまで警察での取調べを受けたこともなかったのであるから,たとえ身に覚えのないことであっても,このような誘因に打ち克ち,厳しい取調べに耐えて否認を貫くことは容易ではないと推察されるのであって,虚偽の自白がなされる危険性も低くないというべきである。被告人Bの自白の初期段階の変遷も,体験していない事実について供述を求められてその場しのぎの供述をしたり,取調官に誘導されるまま供述の訂正を受け入れたりした結果,生じたと考えれば,合理的に説明がつくと考えられる。
(3) 以上のとおりであって,被告人Bの供述には,合理的な説明の困難な変遷や数度にわたる自白と否認の交錯がみられる上,取調べ状況等に照らしても,虚偽の自白がなされた可能性が払拭できず,その自白の信用性には疑問が残るといわざるを得ない。
5 被告人Cについて
(1) 供述の変遷等について
被告人Cの供述には,自白した他の被告人の供述にみられるような変遷は少ない。これは,被告人Cが自白を始めた時点では,他の自白した被告人の供述内容がほぼ固まっており,取調官もその内容を認識しながら取調べを行ったためであると考えられる。ただ,次のような変遷もみられる。
すなわち,焼酎口事件について,被告人Cは,5月28日付けの警察官調書で,被告人Lに指示されて供与した焼酎の空き瓶を回収して回ったところ,被告人Bから1本,亡Eから2本の焼酎瓶をそれぞれ回収することができ,これに自宅にあった2本の焼酎瓶を合わせた合計5本の焼酎瓶を,自宅から500メートルほど離れた道路沿いの崖下に捨てた旨供述している。ところが,捜査官を大量に動員して被告人Cが焼酎瓶を投棄したとする場所を捜索したものの,結局,焼酎瓶を発見するには至らなかった。これを受けて,更に被告人Cを追及したところ,被告人Cは,5月30日付けの警察官調書で,回収した焼酎瓶を崖下に捨てたというのは嘘で,実際は,焼酎瓶を宮崎県串間市の酒屋である「(k)」に,1本当たり10円で買い取ってもらったと供述した。しかし,「(k)」に対する裏付け捜査でも,被告人Cが供述するような焼酎瓶の買取事実は確認できなかったとのことである。
このように,焼酎瓶の処分方法についての供述が変遷しているが,そもそも,焼酎瓶をどのように処分したかなどということは,刑責を左右したり,他の者に影響を与えるような事柄ではなく,焼酎瓶の処分の方法についてのみ殊更虚偽の供述をする必要があるとは考え難い。5月30日付けの警察官調書には,当初,焼酎瓶を崖下に捨てたと嘘をついた理由について,処分を依頼された被告人Lから,「何でちゃんと処分しなかったのですか。」と言われると思ったことと,焼酎瓶を売ったとなれば金銭的に細かい人間だとみられると思ったことを,被告人Cは述べているが,これも納得の行くような説明とは言い難い。極めて不可解な変遷経過である。この点につき,弁護人は,「その場その場で取調官に迎合する供述をするものの,裏がとれないことから新たな追及をされて供述内容を変えることから,不自然な変遷を重ねる結果となっている」と指摘しているが,誠に的確な指摘というべきである。
(2) 取調べ状況について
被告人Cは,当初,焼酎口事件及び買収会合事件について否認していたが,逮捕された6日後の5月19日,取調べ警察官である戊6(以下「戊6」という。)に対し初めて自白している。被告人Cは,翌20日,丁副検事の取調べで再び否認に転じるが,その日のうちに再び自白に戻っている。そして,その後,自白した他の5名の被告人とほぼ同旨の自白をするに至っている。
被告人Cは,公判廷において,取調べで自白するに至った経過について,取調官から,「やったろうが,もらったろうが」,「会合にいったろが」(第11回公判調書中の被告人Cの供述部分第57項),「あなたはうそばっかし言うから,私が裸になして,財産も何もなくなるまでやるよ」(同第62項),「もらっていないと言うなら証拠を出せ」(同第66項),「もしKさんが逮捕されたら(弁護士から)もう見捨てられるよ」(同第117項),「認めれば早く帰れる」(同第186項)などと言われ,たとえ事実を否認しても,証拠がなければ裁判では通らない,弁護士は,自分のためではなく被告人Kのために働いているから当てにならないなどと思うようになり,取調官に言われるがまま,虚偽の自白をしてしまった旨述べている。そして,当時の弁護人であるt弁護士も,公判において,5月16日及び5月19日に被告人Cに接見したところ,買収会合の事実について否認していたが,5月21日に接見したところ,被告人Cは,取調官から買収会合の事実がなかったことを証明できないのであれば否認していてもだめだと言われ,しかたなく事実を認めたが,実際には,買収会合には行っていないし,お金ももらっていないと述べていた旨供述している。
これに対し,戊6及び丁は,公判廷において,それぞれ被告人Cが自白するに至った経過について具体的に供述し,被告人Cが述べるような態様の取調べを行ったことを否定している。
この点,被告人Cの供述には,誇張とみられる部分や,内容的に受け入れ難いと思われる部分もないではない。しかしながら,被告人Cは,自白を始めるまでの取調べにおいて,取調官から厳しい追及を受けたことは間違いないと考えられる。また,戊6の供述によれば,戊6が,取調べにおいて,被告人Cに対し,被告人Aを含む複数の者が,買収会合について被告人Cがこれに出席していたことを供述していると告げて,自白するよう説得したことが認められる。被告人Cは,このような取調べで,自分だけが否認しても通らないのではないかとの思いや,弁護人が自分のためではなく被告人Kのために働いているのではないかとの疑念も作用して,否認を貫く意志が揺らぎ,自白に転じたものと考えられる。
ところで,本件のように,法定刑が比較的低く,有罪になっても,罰金刑かせいぜい執行猶予付きの懲役刑になる可能性が高いと見込まれるような事案の場合には,重罪の場合に比して,被疑者が虚偽の自白を受け入れることへの心理的な抵抗感は小さいと考えられる。このような犯罪の場合,身柄拘束を受けている被疑者・被告人にとっては,刑責を負うかどうかよりも,身柄拘束がいつまで続くのかの方が,切実な問題となることが考えられ,早期に釈放されることを期待して,取調官に迎合し自白に転じる誘因が強く働くと考えられる。被告人Cの場合も,このような心理が働いて,虚偽の自白をした可能性は否定できないというべきである。
(3) 公判廷における自白について
被告人Cは,7月23日に開かれた第2回公判の罪状認否の手続において,1回目会合の事実を認める陳述をし,7月31日に開かれた第4回公判の罪状認否の手続において,4回目会合の事実を認める陳述をしている。
しかしながら,この点については,被告人A及び被告人Dの自白の信用性の検討で指摘したこと(前記1(3),3(3))とほぼ同様の指摘が可能である。すなわち,被告人Cは,5月13日に逮捕されて以降,身柄拘束が長期化していたことから,取調官に迎合して自白を維持しようとする誘因が強く働き,早期の釈放を期待して,自白を維持したと考えられるのである。当時の被告人Cの供述調書には,「早く家に帰って,元の生活に戻りたいです。」,「早く(a)に戻って普通の生活に戻りたいと思います。」,「裁判では,間違いありませんと言って事実を認めて,早く(a)に帰りたいです。」などの記載があるが,ここからも,長期間にわたる身柄拘束及び取調べにより,精神的,肉体的に相当疲弊し,裁判を早く終わらせて自宅に帰りたいとの一心で,自白を維持した当時の被告人Cの心情を垣間見ることができる。なお,丁の供述によれば,第2回公判後に被告人Cに会いに行った際,認めている被告人と否認している被告人とは裁判が分離されるので,否認している被告人とずっと一緒に裁判が続くわけではないと説明したとのことであるが,このような説明も,自白を維持すれば裁判が早く終わることを示唆するものであり,自白を維持しようとする心情を助長させるものといえる。
以上にかんがみれば,本件において,被告人Cが公判で自白していることを,自白の信用性を高める事情として過大に評価するのは適切でないというべきである。
6 亡Eについて
(1) 供述の変遷について
亡Eの初期段階の自白内容が変遷を繰り返しており,その変遷に合理的な理由が見いだし難いことは,前記第3の5(3)で指摘したとおりであるが,その他にも,次のような変遷がみられる。
すなわち,5月25日付けの検察官調書では,焼酎口事件で得た焼酎の空き瓶については,廃品回収に出して処分した旨述べられているが,5月30日付けの検察官調書では,焼酎の空き瓶を廃品回収に出したというのは嘘で,4月14日午後8時ころに,被告人Cが自宅を訪ねてきて回収していったものである。今まで,被告人Cに迷惑がかかると思って嘘をついていたと述べられており,供述が変遷しているものである。
しかるに,亡Eは,既に,5月15日付けの弁解録取書において,1回目会合の参加者として被告人Cの名前を挙げており,わざわざ焼酎瓶の処分に関してのみ,被告人Cの関与を隠す意味があるとは考え難く,前記供述の変遷が合理的に説明されているとはいい難い。
(2) 取調べ状況について
ア 亡Eの初期段階の自白に合理的な説明の困難な変遷がみられることは,前記第3の5(3)イ(オ)で指摘したとおりであるが,この間の取調べ状況について,取調官の戊3は,公判廷において,以下のとおり供述している。
(ア) 5月2日の取調べで,亡Eに対し,「(a)の方面で何か,選挙か何かの会合があったみたいだね。」と尋ねたところ,しばらくして,被告人A方で会合があり,5万円をもらったとの供述をした。
(イ) 5月3日の取調べで,亡Eに対し,「会合の事実は1回でしたか。」と尋ねたところ,うつむいて思い出せないなどと言っていたが,しばらくして「実は会合は3回ありました。」と述べた。次に,もらった金額について尋ねたが,2回目の会合でもらった金額が5万円であることはすぐに答えられたものの,1回目と3回目については,なかなか思い出せないような様子だった。そこで,A4判の紙に1から30までの数字を書いて,3回目の会合でもらった金額を数字で指し示してもらったところ,「20」を指さした。さらに,1回目会合でもらった金額についても尋ねたところ,一生懸命思い出しているような様子だったが,2万円と答えた。
(ウ) 5月4日の取調べで,3回目の会合の金額について確認するため,疑問点を尋ねていたところ,亡Eが「実は,この3回目の20万と話をしとったのは会合のお金じゃありません。これについてはCさんからもらった20万円です。」と述べた。そこで,改めて3回目にもらった金額を尋ねたところ,はっきり思い出せないとのことであったので,前日と同様に紙に1から20までの数字を書いて,3回目の会合でもらった金額を数字で指し示してもらった。すると,しばらく考えた上で,「10」を指さした。
(エ) 5月5日の取調べで,3回目の会合の時期について確認していたところ,亡Eが「実は,もう1回会合がありました。」と述べた。そして,10万円をもらった会合の前に,もう1回会合があり,そこで5万円をもらったと述べた。
(オ) 5月6日の取調べで,1回目の会合でもらった金額について,「2万円に間違いないの。」と尋ねたところ,亡Eは,「ちょっと思い出せない。」,「確か2万円だったと思うんだがな。」と言っていたが,途中で,3万円と供述を変えた。
さらに,5月7日の取調べで,1回目の会合でもらった金額が6万円だったと供述が変わった。
イ このように,戊3の供述からは,受供与金額について,亡Eからなかなか明確な供述が出ず,供述を引き出すのに難渋した様子がよくうかがえる。しかし,仮に,買収会合が存在し,その場で現金を受け取った事実があるのであれば,受供与金額がいくらであるのかという点は,会合における出来事の中でも,最も印象に残りやすい事項の一つと考えられる。特に,4回目会合については,10万円と供与された現金が多額だったのであるから,他の会合と比べてより印象に残りやすいと考えられ,時期も最も近いことから,記憶もより鮮明であろう。したがって,このように,受供与金額についての供述がなかなか出なかったり,実際に供与されたとされる金額とは全くかけ離れた20万円という供述が出たというのは,極めて不可解である。戊3の供述からうかがえる亡Eの様子からは,亡Eが,5月3日の取調べで,体験していない事実について供述を求められ,答えに窮した結果,思いつきで適当に供述したのではないか,また,5月4日以降の取調べで,その供述が他の関係者の供述と符合しないことを指摘されて,変遷したのではないかとの疑いを拭い去れない。
(3) 以上のとおりであって,亡Eの供述には合理的な説明の困難な変遷がみられる上,自白が形成された経過に照らしても,信用性には疑問が残るというべきである。
7 ところで,本件においては,被告人らの自白の任意性及び信用性が激しく争われ,その関係で,取調べ状況に関する事実関係が重要な争点となり,これを解明するため,膨大な時間を費やして,多数の取調官の証人尋問と自白した6名の被告人質問を実施し,さらに,自白した6名の被告人の供述調書等,膨大な量の証拠書類を取り調べた。しかしながら,このような証拠調べを実施したにもかかわらず,取調べ状況を明らかにする明確かつ客観的な証拠がなく,その真偽を判別するに足りる証拠を欠いたことから,被告人らと取調官との言い分の対立点について,結局,「疑わしきは被告人の利益に」との観点から,被告人らに有利に判断するほかなかったものである。
第5その他の証拠について
1 その他の被告人の捜査段階の供述について
既に検討した被告人らの自白以外にも,被告人G及び被告人Fが,捜査段階において,抽象的にではあるものの,買収会合事件について認める旨の供述をしているので,以下,これらについて検討する。
(1) 被告人Gの捜査段階の供述について
被告人Gが作成した5月30日付けの書面には,「私の家で会合があって現金をもらった事もまちがいありません。」と記載されている。また,同人の5月30日付けの警察官調書には,「K等がやって来て,私方で何回か選挙の会合があり,その度ごとにと言っていい程,Kに投票するためのお金を貰ったことも事実です。」と記載されており,6月25日付けの警察官調書には,4回目会合について,「そのような事実があったことは間違いありません。」と記載されている。
しかしながら,これらは,いずれも,買収会合事件の存在を抽象的に認めるにとどまっており,買収会合の内容等の具体的な事実関係については,何ら述べられていない。被告人Gは,5月30日と6月25日に買収会合の事実を抽象的に認める供述をしているが,その両日以外は,ほぼ否認の態度を貫いていたものである。したがって,これを根拠に有罪認定をするのは適当でないというべきである。
(2) 被告人Fの捜査段階の供述について
被告人F作成の5月27日付けの申述書には,「逮捕事実は間違いありません。」と記載されている(なお,この書面は,被告人Fの関係では,刑訴法322条1項の書面として取り調べられたものであるが,それ以外の被告人との関係では,弁護人から「供述経過」を立証趣旨として請求され,その立証趣旨の限度で取り調べられたにすぎないものであるから,これを被告人F以外の被告人との関係で,有罪認定に供することはできない。)。
しかしながら,これは,逮捕事実を認める旨記載されているだけのものであって,内容が極めて抽象的である。被告人Fは,この申述書が作成された一時期を除き,否認の態度を貫いており,買収会合の事実を認める内容の供述調書の作成にも一切応じていない。したがって,これを根拠に有罪認定をするのは適当でないというべきである。
2 第三者の捜査段階の供述について
被告人以外の者の各検察官調書においても,買収会合事件の存在をうかがわせるような記載が認められるので,以下,この点について検討する。
(1) uの捜査段階の供述について
被告人Aの長男であるuの5月22日付け及び5月28日付けの各検察官調書によると,2月上旬ころの晩に被告人A方に,被告人Kや(b)集落の者らが集まって本件選挙についての会合が開催され,その場で,被告人Aが,参加者に茶封筒らしきものを渡しているのを見た,その他にも,被告人A方で同様の会合が開催されたことがあるなどと述べられている。
しかしながら,この供述についても,前記第3で指摘したのと同様の理由でたやすく信用できず,この供述を直接の根拠として,有罪認定をすることができないことは無論のこと,これを被告人らの自白の信用性を補強する証拠と認めることもできない。
(2) xの捜査段階の供述について
xの7月6日付けの検察官調書によると,xは,4月20日,(l)川に魚釣りに行ったところ,偶然,親戚である被告人Dが川に飛び込んで自殺を図ろうとしたところを目撃したため,これを助けたが,その際,被告人Dが,「選挙のことで警察の調べを受けている。みんなに迷惑をかけた。死んでお詫びをする。」という意味のことを言っていたとのことである。
しかしながら,たとえこれが事実であったとしても,被告人Dが述べたとされる言葉は多義的に解釈し得るものであり,ここから,当時,捜査の対象にすらなっていなかった買収会合事件の存在を推認することはできないし,被告人Dの自白の信用性を補強する証拠としても不十分である。
(3) bの捜査段階の供述について
被告人Cの妻であるbの5月30日付けの検察官調書によると,2月に入ってすぐの日の夕方ころ,自宅で,電話で誰かと話をしていた被告人Cから,今度の土曜日の夜に集まりがあるので参加しないかと尋ねられたが,既に踊りの練習に参加する予定が入っていたため,集まりには参加できないと答えたところ,被告人Cは,電話の相手に対し,集まりには自分が一人で参加すると告げていた,その集まりがあったのは2月8日の土曜日であったと思うなどと述べられている。
しかしながら,bの前記検察官調書で述べられている会合とは,その開催時期が2月8日とされていることからして,1回目会合のことを指していると考えられるが,既に述べたとおり,1回目会合については,被告人Kにアリバイが成立することが認められ,被告人らの自白が客観的事実に反していることが明らかとなっているものである。また,bの前記検察官調書で述べられている事柄自体,それのみで買収会合事件の存在を推認させるものとはいえず,被告人らの自白の信用性を補強する証拠としても不十分である。
第6結論
以上のとおりであって,被告人らの自白はいずれも信用することができず,他に本件各公訴事実を認めるに足りる証拠もなく,本件各公訴事実については犯罪の証明がないことに帰するから,刑事訴訟法336条により被告人12名に対していずれも無罪の言渡しをする。
(検察官樋口正行,被告人Aの国選弁護人野田健太郎,被告人B(主任)及び被告人I(主任)の私選弁護人川村重春,被告人B,被告人C,被告人F,被告人I及び被告人M(主任)の私選弁護人笹川竜伴,被告人Dの国選弁護人三窪洋三(主任),同野間俊美,被告人F(主任),被告人J及び被告人Mの私選弁護人野平康博,被告人F及び被告人Mの私選弁護人中園貞宏,被告人Gの私選弁護人佐々木健(主任),被告人Hの私選弁護人永仮正弘,被告人G及び被告人J(主任)の私選弁護人山口政幸,被告人Jの私選弁護人小関正信,被告人K(主任)及び被告人Lの私選弁護人松下良成,被告人K及び被告人L(主任)の私選弁護人本木順也,被告人K及び被告人Lの私選弁護人井上順夫,同森雅美各出席)
(求刑-被告人Kについて懲役1年10月,被告人Lについて懲役1年2月,被告人Aについて懲役1年及び追徴10万円,被告人B,被告人C及び被告人Dについてそれぞれ懲役10月及び追徴26万円,被告人Fについて懲役10月及び追徴21万円,被告人Jについて懲役10月及び追徴20万円,被告人I,被告人H及び被告人Gについてそれぞれ懲役8月及び追徴10万円,被告人Mについて懲役6月及び追徴6万円)
(裁判長裁判官 谷敏行 裁判官 渡部市郎 裁判官 藪崇司)