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鹿児島地方裁判所 平成16年(ワ)263号 判決 2007年1月18日

原告

X

上記訴訟代理人弁護士

中原海雄

末永睦男

森雅美

亀田徳一郎

井之脇寿一

笹川竜伴

上山幸正

東條雅人

鳥丸真人

中園貞宏

山口政幸

保澤享平

野平康博

被告

鹿児島県

上記代表者知事

Y

上記訴訟代理人弁護士

樋高學

上記指定代理人

大塚龍一

他4名

主文

一  被告は、原告に対し、六〇万円及びこれに対する平成一六年四月二三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを一〇分し、その三を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

四  この判決は、原告勝訴部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一請求

被告は、原告に対し、二〇〇万円及び平成一六年四月二三日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、原告が、被告警察職員に任意同行により取調べを受けた際、実父らから原告宛に原告を諭す体裁を取った書面を踏ませられたこと、長時間の取調べがされたこと、任意の取調べであるにもかかわらず自由退去が認められず事実上強制捜査であったとみられること、黙秘権・供述拒否権が侵害されたことなど公権力の行使に当たる公務員たる取調警察官がその職務を行うにつき違法に原告に肉体的・精神的損害を与えたとして、被告に対し、国家賠償法一条に基づき損害賠償を求めた事案である。

一  前提となる事実(証拠及び弁論の全趣旨により容易に認められる事実を含む。)

(1)  原告は、A市内(本件当時のA町。以下、市町村名の表示は本件当時の表示を用いる。)でホテルを経営する者で、平成一五年四月一三日(以下、平成一五年の事実については月日のみで表示する。)に施行された鹿児島県議会議員選挙(以下「県議選」という。)においてF候補の運動員をしていたものである。

Fは原告の妻の父方のいとこである(甲八)。

(2)  G警部補(以下「G」という。)は鹿児島県警察本部刑事部捜査第二課勤務の警察官であり、四月一二日にA警察署選挙違反取締本部に派遣され、原告の取調べを担当した者である。

(3)  原告に嫌疑があるとされたのは、原告が一月上旬、A町内の有権者に対して、Fが県議選に出馬することの挨拶と支援要請のためにビール一箱を供与したとされる事件(以下「ビール口事件」という。)と、原告とFがHの作業所に赴き、焼酎「華奴」を供与したとされる事件(以下「焼酎口事件」という。)である。

いずれの事件も、これまで起訴されていない。

(4)  原告は、四月一四日から同月一六日まで連日、任意同行されてA警察署において取調べを受けた(以下「本件取調べ」という。)。

(5)  供述調書

本件取調べにおいて、いずれも、取調場所としてA警察署生活安全刑事課第一取調室と記載され、供述書末尾に原告の署名指印、G、I巡査部長の署名押印のある四月一四日付一通、同月一五日付二通の原告の供述を録取した供述調書が存在する。

また、取調場所をA警察署とし、末尾にはJ警部補の署名押印が存する、同月一六日付のHの供述を録取した供述調書が存在する。

なお、上記各供述調書について、関連する公判に支障を生ずるおそれがあり、かつ、刑事訴訟法四七条の規定により調査嘱託に応じかねるとの調査嘱託に対する回答がなされ、いずれも供述内容は明らかではない。

(6)  原告は、四月一五日の取調べ途中にK外科医院を受診し、高血圧症感冒と診断された(甲二)。

(7)  Gは、原告の四月一六日の取調べの際に、原告の実父、義父、孫が原告を諭す体裁の文章を考え、それをA4版の紙面にそれぞれ一枚ずつ書き記して、その三枚の紙を原告の足下に置き、原告の正面にしゃがみこんで、右手で原告の左足首を、左手で原告の右足首を掴み、原告の両足を持ち上げて紙の上に乗せた(以下、この行為を「本件踏み字」という。なお、具体的態様には争いがある。)。

(8)  原告は、四月一七日、K外科医院を受診し、同医院の紹介でB郡医師会立病院(以下、「医師会立病院」という。)を受診し、入院した(甲三)。

医師会立病院には、原告の血圧が一六二/一一〇であったため、血圧コントロール目的ということで入院した。入院後、しばらくは、内服なしで経過観察をしたが、最高血圧が一五〇前後となったところで内服を開始し、最高血圧が一三〇前後に落ち着いたため、同月三〇日退院した(甲一六)。

(9)  原告は、公職選挙法違反容疑で六月四日自宅の家宅捜索を受け、同月五日から任意取調べを受けた。

また、原告は、七月二四日には、A町在住のL宅で、三月下旬頃行われたとされるFの選挙買収会合に参加して、Fと共謀して、会合に参加した者に買収金を配ったとの嫌疑で逮捕され、同月二五日にC警察署に勾留され、八月一三日に処分保留で釈放された。この勾留事実については、一二月二六日不起訴処分となった。

二  争点

(1)  本件取調べにおける本件踏み字が違法といえるか。

(2)  本件取調が長時間にわたる取調べ、事実上強制的な取調べとして違法といえるか。

(3)  本件取調べにおける黙秘権・供述拒否権の侵害の有無

(4)  損害額

三  争点に対する当事者の主張

(1)  争点(1)について

【原告の主張】

本件踏み字は、次のような状況において行われた。

四月一六日の取調べにおいて、原告は、Hに対する焼酎口事件を一貫して否認し続け、GにHと書けといわれてもこれを頑強に拒否した。そして、厳しい追及から逃れたい一心から、取調室の隣の部屋で執務する顔見知りの署員に助けを求めるように「弁護士を呼んでください」と大声で叫んだ。黙秘する原告に説明を求めるためにGが近づくと、その手を上下に振る様子に殴られるのではないかと感じたのか、原告は「叩くなら叩け」と叫んだ。Gは、これを原告から挑発されたと感じたが、原告は、このような反抗的態度をとったうえに、Gがいくら弁解や説明を求めても一切これに応じようとせず、黙秘する態度を貫いた。午後の取調べになっても黙秘のまま時間を費やすうち、Gは、いきなり机を自分の方に引くと、原告のそばに回ってきて、「Xお前の股座に頭を入れろと言うなら入れるよ」と言うや、そのとおりにして、まったく唐突に意味の理解できない行動に出た。その後、Gは、しばらく取調室を留守にして戻ると、入り口を塞ぐように机を移動させ、A4判の三枚の紙に、「(R)お父さんはそういう息子に育てた覚えはない」、「沖縄の孫・早く優しいじいちゃんになってね」、「(W)元警察官の娘をそういう婿にやった覚えはない」とそれぞれ書き記した。そして、これらを原告に読めるような位置で、原告の足下に原告から見て右から順に、実父が書いたようにした書面、義父が書いたようにした書面、孫が書いたようにした書面を並べ置き、これを見て反省するように原告に言いおいて、また取調室を出ていった。それから一時間位して戻ると、Gは、いきなり両手で原告の足首を掴むや、「M部長、こんわろは血も涙もないやつだ……」などと言いながら、強い力で足首を掴んだまま、三枚の紙に原告から見て右・中央・左の順に繰り返し何度も踏ませて、本件踏み字をさせた。

【被告の主張】

本件踏み字に違法はない

ア 本件踏み字の前後の状況

ア) 四月一六日の午後の取調べで、Gは、原告にFとHの家に行ったことについて聞いたが、原告は下を向いて黙っていた。

Gは、Hの名前を出した後、原告が態度を硬化させたことから、親族の話を出して原告の心情に訴えようと話しかけても、原告は首を曲げて下を向いたままだったので、さらに、Gは、原告に「あなたの言うことが正しいのか、Hさんの言うことが正しいのか、我々は判断しなければなりません。判断するためにも、貴方から説明を受けなければなりません。私の説明が間違っていると言うのであれば、そのように言ってください。」と説明しながら、原告に近づいたところ、原告は「叩くんだったら、叩け。」とわめいた。

その後、原告がGと視線を合わさず、何かに取り憑かれたかのようにして首を曲げて下を向いたまま、Gの質問に反論することもなかったことから、Gは、このまま原告に何も語りかけないまま対峙していたのでは、真相究明には至らないと考え、また、原告が自分の言葉に全く反応しなかったため、原告の視覚に訴えて、つまり、原告の親族が、取調官と向き合わずに下を向いている、そういう姿を見たらこう言うであろうという言葉を紙に書いて、それを原告に見せて、取り調べていこうとして、Gは、原告に心を開いてもらいたい、真摯に反省して真実を話して欲しいという気持ちから、警察に事情をきちんと説明しない今の原告の姿を、もし、原告の父親が目にしたら、原告にきっとこう諭すに違いないと思った言葉を、紙に桃色の蛍光ペンで書き、その紙を机の上に置いて説得したところ、原告は、その紙を一瞬見つめたものの、また黙ったまま下を向いていたので、原告の視覚に訴えるため、机を横にどかして紙を原告の足下の床に置いて説得したが、原告は下を向いたままだった。

そこで、Gは、先ほどと同様に、もし、原告の孫が原告の今の状況を見たら、原告にきっとこうお願いするに違いないと思った言葉を別の紙に書き、その紙を原告に見えるように一枚目の横に置いて説得したが、やはり、原告は黙ったままだった。

結局、Gが説得するために書いた紙は三枚で、Gは三枚の紙を段階的に並べるように置いて原告を説得した。

その後、説得しても、原告は下を向いたままで原告の様子に変化の兆しが窺えなかったので、Gは、原告に注意を喚起するため、「今の態度は、このように親族の気持ちを踏みにじるようなもんじゃないですか」と言って、原告の両足首をつかんで、足下にあった三枚のうち真ん中の一枚に、原告の足先だけを乗せ(踏み字)、原告に、「今の態度がどういうものであるか、三枚の紙を見てよく考えてください」と言って、取調室を退出した。

Iが、原告に「三枚の紙を見て、何も思いませんか」と声を掛けたところ、原告は少し椅子を後方にずらして、足を紙の上からどけた。原告は三〇分ぐらい黙っていたが、Iが雑談を持ちかけたところ、徐々に話をするようになった。

その後、Gは、取調室を退出してから二時間後に戻ってきた。

Gは、Hの名前を出してから黙り込んでしまった原告の様子から、原告が、ホテルを経営し、警察のモニターをされるA町では名士である一方、Fからじかに選挙応援を依頼された関係から、Fに関係するところでは言いづらいこともあるんだろうという印象を受けたことから、再開した取調べでは、あえて核心には触れず、雑談から入った。

原告は、雑談として、電話作戦については、最初、Fの息子から頼まれて、ホテルの別館を貸していたことを話した。

イ) 同日の夜の取調べで、Gが、原告に親しい人や戸別訪問のことを尋ねると、原告が、ゼンリン地図などを使って戸別訪問先を説明したことから、Gが、戸別訪問の日時とか場所を特定するための行動が分かるものはないか聞いたところ、原告は、ホテルの予約帳のことを思い出し、「今からでも取りに行きましょうか」と言ったことから、Gが、「明日も取り調べるので、明日ホテルの予約帳を持ってきてください」と言うと、原告は、「分かりました、予約帳は明日持ってきます」と言った。

イ 三枚の紙の文面

原告の父親からとするものが「X、お前をこんな人間に育てた覚えはない、R」というもので、子供に対し、人としてあるべき道を教え導く親の心情を表したものであり、原告及び実父を侮蔑するものではない。

原告の孫からとするものが「じいちゃん、早く正直なじいちゃんになってください、S」というもので、指図ではなく、孫が祖父に対し、願う心情を表したもので、原告及び孫を侮蔑するものではない。

原告の義父からとするものが「娘をこんな男に嫁にやった積もりはない」というもので、本当はそんな男じゃないだろうという裏返しの心情を表したものであり、原告及び義父を侮蔑するものではない。

ウ 原告の本件踏み字の回数について

Gが原告の両足を紙に置いたのは一回である。

エ 本件踏み字に、暴行、加虐がないことについて

ア) 被疑者の取調べとは、取調べを担当する警察官が、地道に被疑者とのコミニュケーションを重ね、被疑者との心の交流や信頼関係の構築を通じて、被疑者に自己の犯罪行為に対する自戒の念を生じさせ、被疑者が少しずつ真実の供述を始めることによって、事案の真相究明を行うものである。

このことは、取調べを担当する警察官の誰もが経験則として理解しているところであるが、事案の真相究明のために、被疑者の持つ「自分の罪を隠して刑罰を免れようとする人情」とか、「家族、恩人あるいは家名等のために罪を隠し、事実を否認し、弁解しようとする心情」をいかに払拭するかは、取調べの進行状況、被疑者の言動、態度等を考慮した上で、当該警察官の合理的な判断に委ねられているといえる。

そこで、本件取調べについてみると、Gは、原告が弁解や説明をせず下を向いたまま黙って、事実に背を向けていると感じたことから、原告に対し、親族の話を出して、自分のとっている姿勢を例示的・視覚的に示すことで、認識させ、取調べに真摯に向き合ってほしいと願って行った行為であり、原告に暴力を加えたり、精神的・肉体的苦痛を与えることを意図して行ったものではない。

イ) また、その行為については、

① Gは、原告の足を文字が見えるように紙の端から五cmくらいの所に置いており、文字を踏ませていないこと。

② Gが原告の足を紙に置いた際、原告が抵抗した事実がないこと。

③ Gが、踏み字をしたのは一回であること。

④ 原告は、すぐに足を紙からどかしたこと。

⑤ 原告は、その後、取調べ終了まで抗議をしていないこと。

⑥ 原告は、Gが取調室に戻ったとき、雑談に応じて、その後もるる、いろいろな話をしていること。

⑦ 原告は、その後の取調べにおいて、ホテルの予約帳を持ってくる旨自ら申し出るなど捜査に協力的であったこと。

⑧ 原告が、翌日の取調べに応じる意思を示していたこと。

⑨ 原告は、その後の取調べにおいて、原告にとって不利益な供述をしていないこと。

などの状況が認められることから、Gの本件踏み字行為には、違法な有形力の行使が認められず、また、原告がこれにより、精神的・肉体的苦痛を受けたことを示す状況も認められない。

以上のことから、Gによる本件踏み字に、何ら違法・不当な点はない。

(2)  争点(2)について

【原告の主張】

ア 原告の自由退去を拒絶した違法な取調べ

ア) 刑事訴訟法一九八条一項は、取調べの際には「被疑者は……出頭を拒み、又は出頭後、いつでも退去することができる」と規定している。

イ) 本件において、四月一六日の午前九時三〇分ころ、原告は、これ以上の捜査協力はできないと考え、Gに対し、立ち上がって「もう語られん。書きません。弁護士の先生を呼んでください。」と大声で助けを求めた。これに対し、Gは「黙れ。M部長、今日は黙り作戦だって」と怒鳴りつけただけで、何らこれを取り合わなかった。

その後も原告は、Gに対し何度となく帰宅及び弁護士に対する面会を訴えたが、Gはこれを許さなかった。

Gは本件三日間の取調べ中、原告が取調室から自由に退去したり外部に連絡を取ったりする機会を与えず、トイレに行く際にも監視をつけた。本件では原告に対する取調べは任意取調べであり、自由な入退去が許されているのであるから監視をつけてよい場面は限定されるべきところ、本件でかかる必要性は認められないのであり、不合理であるばかりでなく、そのことにより原告の身体の自由を制圧し、原告の自由意思を抑圧することを狙って行った違法なものであると評価せざるを得ない。

さらに、K外科医院に行く際に、被告は、Gが、「注射のことは、私一人の判断では答えることはできませんので、上司に聞いてみます。」と説明したとするが、もしも任意捜査であることが徹底されているのであれば、本人が注射のため退去を求めているのであれば、上司の意見など必要ではなく、それが本人の体調の悪化を理由にしている本件のような場合は尚更である。

イ 長時間にわたる取調べ

ア) 長時間の取調べは、通常人にとっては肉体的精神的に疲労困憊し苦痛以外の何ものでもないことは論を待たない。我が国の捜査実務の在り方は未だに自白中心主義から脱し切れておらず、特に否認している場合は、その取調べはますます峻烈を極めることとなり、長時間取調べの苦痛は筆舌を極めるといっても過言ではない。

イ) Gは、下記のとおり、原告に対し、四月一四日から一六日までの三日間にわたり、早朝から夜遅くまで、用便のとき以外取調室から原告を出すことなく、取調官であるGが食事を取る間等を除いて、引き続いて取調べを行った。この間、原告は昼食や夕食も取っていないし、長時間にわたる過酷な取調べで食欲すらもわかない状況であった。

四月一四日 午前八時から午後一一時ころまで

翌一五日 午前八時から午後九時ころまで(但し、午後〇時ころから一時間程度、K外科医院で受診)

翌一六日 午前八時から午後九時まで

ウ) このように、Gは、三日間で約四〇時間という相当な長時間、原告を取り調べている。しかも、取調べの時間帯は早朝から夜遅くまでであり、非常に過酷である。これに原告はホテル業を営んでおり、未明四時には起きて仕事を行わなくてはならないことを考慮すると、原告が任意で応じられる範囲を超えた長時間の取調べであることは明白である。このために、原告は食欲もわかないほどに、また、後記の通り血圧も医者に診て貰わなければならないまでに上昇するなど、肉体的にも精神的にも疲労困憊してしまっている。かかる長時間の取調べは、常軌を逸しており、到底任意取調べといえるものではなく、その違法性は極めて高いといわざるを得ない。

ウ 弁護人選任権を侵害した違法な取調べ

ア) 弁護人選任権の重要性については改めていうまでもない。ところが、本件において、Gは原告に対し、弁護人選任権の告知を行うことなく取調べを行った。

四月一六日の午前九時三〇分ころ、原告は、これ以上の捜査協力は出来ないと考え、Gに対し、立ち上がって「もう語られん。書きません。弁護士の先生を呼んでください。」と大きな声で助けを求めた。これに対し、Gは「黙れ。M部長、今日は黙り作戦だって」と怒鳴りつけただけで、何らこれを取り合わなかった。

その後も原告は、Gに対し何度となく弁護士に対する面会を訴えたが、Gはこれを許さなかった。

イ) 犯罪捜査規範一三二条は、「逮捕された被疑者が弁護人選任の申し出をした場合において、当該弁護人若しくは弁護士会又は父兄その他の者にその旨を通知したときは、弁護人選任通知簿に記載して、その手続を明らかにしておかなければならない。」と規定する。これは、逮捕された被疑者についての規定であるが、任意取調べ中の被疑者から弁護人選任の申し出があった場合においても当然当該弁護人若しくは弁護士会等にその旨を通知すべきであることは、明白である。ましてや、本件のように実質逮捕に準じるような場合においては、尚更である。したがって、原告から、具体的弁護士名を特定せず弁護士を呼んで欲しいという申し出があった場合、Gは、原告に対する取調べを止めて、原告自ら弁護人を選任するための時間的余裕を与えるべきであった。少なくとも、犯罪捜査規範一三二条に準じて、弁護士会又は父兄その他の者にその旨通知すべきであった。

ところが、Gは、弁護士を呼んでくださいと言う原告に対して、「貴方は誰か弁護士を知っているのですか。誰か知っているのであれば、連絡しますよ。」と告げて原告を困惑させた上、具体的な弁護士名を言わない限り連絡しない旨原告の申し出を遮断して、さらに「何をそんなに慌てているんですか。当事者であるあなたから話を聞いているんですよ。」と畳みかけて原告に対して弁護士を呼んで欲しいという申し出を断念させて取調べを継続している。これは、原告の弁護人選任権を積極的に侵害した違法行為であると評価せざるを得ない。

エ 所持品検査による違法な取調べ

ア) 「任意」の所持品検査においては、必要性及び緊急性、相当性を欠くときは違法となることは論を待たない。

イ) 本件において、Gは四月一四日、原告を連れてA警察署に到着すると、取調べの前に、「決まりだから」と称して、原告の身体検査を行った。具体的には、Gは原告の身体を両手でボディーチェックし、所持品を取調室の机の上に提出させた。

これらのGの行為に対し、原告が承諾したことはない。所持品検査をしなければならない必要性、緊急性なども全く認められない。

ウ) 本件では、原告はGによる所持品検査に対して一切承諾はしていないのであり、従って本件各所持品検査行為は、原告に対する有形力の行使であるといえる。

かかる行為は、強制手段にわたらない限り、必要性、緊急性などをも考慮した上、具体的状況の下で相当と認められる限度において適法となる(最決昭和五一年三月一六日刑集三〇巻二号一八七頁参照)とされるが、本件においては、警察に情報協力するつもりで任意出頭に応じた原告に対し、いきなり「決まりだから」と称して所持品検査を行っており、また、暴力事犯等でもなく危険な物を所持している具体的虞もないのに、しかも、取調べを開始して相当時間経過した後、否認と弁解をいくらしても取り合わない警察に対して原告が以後の取調べを拒否する態度に出たということで所持品検査を行っており、しかも、証拠物所持の具体的可能性もないのに所持品検査を行っており、かかる所持品検査は、必要性も、緊急性も全く認められない。むしろ、原告の人格に対する抑圧、原告に対する精神的圧力をかけることを狙った不法な目的で行われた極めて違法性の強い行為であるといわざるを得ない。

オ 偽計を用いた違法な取調べ

ア) 偽計を用いた取調べは違法であって許されないことは、論を待たない。

本件において、Gは二日目の取調べで、原告に対し「選挙が終わったらFから、沖縄の娘に一〇〇〇万円近いお金が振り込まれて、Xの口座に振り込まれるようになっている。裏はとれている。嘘を言うな……」と事実に反することを繰り返した。

また、Gは、原告に対し、「N刑事は、お前からご馳走になって、取調べを受けている」と虚偽の事実を告げ、これに対して原告が「Nさんにご馳走したことはない。パトや刑事にお茶は飲ませるけど、ご馳走したことはない」と言うと、Gは、「N刑事はご馳走になったと認めている。嘘を言うな。N刑事は格下げになった。可哀想と思わないのか」と更に虚偽の事実を述べた。

さらに原告が被疑事実を否認すると、Gは「嘘を言うな」、「D集落にも、Fの妻のPとお前が行って、金や焼酎二本ずつを各家庭に配っている」と言うので、原告が「Dには一回も行ってません」と答えると、Gは「華双に指紋のついた紙がある」と虚偽の事実を言った。

イ) このように、本件では単なる事実の不告知や抽象的な虚偽告知を超え、全く事実に反する虚偽の話をして原告を困惑させて供述を強要しており、Gの取調べのやり方は明らかに適法性を欠いており極めて違法性が高い。

カ 不必要に威圧的・人間の尊厳を侵害する違法な取調べ

ア) Gは、一日目には、原告の身上などの聞き取りが終わった途端に変貌し、原告に、「何でそこに座っているか。意味がわかるだろう」と言い、原告が意味がわからず、「ハー」と言うと、Gは、「ハーじゃないが」と怒鳴りながら、机を強く叩いた。

Gが原告やFが焼酎を配っていると言うので、原告が「これは絶対誰かが罠を仕掛けている」と言うと、Gは、すごい剣幕で原告を怒鳴った。

そして、Gは、「とにかく焼酎をEに配ったことを認めろ」と繰り返し繰り返し怒鳴った。

原告が「そう言われても自分は何も違反していない」と答えると、Gは、机を叩き、大きい声を出して怒鳴った。原告が「狭い部屋だから、大きな声を出さなくていい」と答えると、Gは「ワイが黙れ」と言葉を崩して怒鳴った。このようにGは、原告に対し、終始机を叩いたり、怒鳴ったり、「ワイが黙れ」等と下品な言葉を使ったりして自白を強要した。

また、二日目になると、Gは、「認めなければE消滅、Dも消滅」と言って脅迫し、げんこつを握りしめ、原告を叩くような素振りをして威迫した。

その後、Gは「選挙が終わったらFから、沖縄の娘に一〇〇〇万円近いお金が振り込まれて、Xの口座に振り込まれるようになっている。裏はとれている。嘘を言うな……」と事実に反することを繰り返すので、原告が「わなだ、でっちあげだ」と言うと、Gはげんこつを握り、歯を噛んで立ち上がったので、原告が「叩くなら叩け」と言うと、Gは、「ワイが黙れ」と怒鳴った。原告が「叩けないだろうが」と言うと、Gは、「ワイが黙れ。ワイを叩けばオイが処分を食らう。バカが……」と怒鳴った。Gは、何度も暴言を繰り返し、机を叩いて事実でない供述を強要した。

そして、Gは原告に対し、「ワイが黙れ」、「バカがバカが」と暴言を吐いて罵倒して原告の名誉感情を著しく害するような言葉を繰り返し、供述を強要した。

更に、原告がGに対し、「私はとにかく草の根で頑張ろうと皆でFのために運動したんだから、お金はもらうようにはなっていない。皆ボランティアだった」と言うと、「黙れ、ワイが二億近い借金があってボランティア?M部長、こんわろは二億近くあってボランティアだって」とニヤッと笑った。

Gの、原告に対する侮辱的な取調べは、原告が警察の地域安全モニターをしている事実についても及んだ。原告は一〇年位警察の地域安全モニターをして、警察に協力してきたのであるが、そのような原告に対し、Gは、「ワイはモニターを一〇年くらいしているが、資格はない。辞めろ」、「おまえは警察モニターを一〇年もしているね。よくもうちの歴代の所長、O所長、他の刑事に泥を塗ってくれたね」と発言した。

イ) また、原告の借金等は原告のプライベートな問題であって、本件とは全く関係のないことであり、にもかかわらずそのことを笑い者にする行為は原告の名誉感情を不必要に害するものであり、捜査として許されるべきものではない。むしろ、Gのかかる行為は、原告の人格を否定し、原告をしてGの意のままに供述させるために敢えて行われた違法な取調方法として行われたものである。その目的及び態様とも、極めて悪質であって違法性の程度は高いといわざるを得ない。

キ 病中の取調べ

ア) 原告は一〇年程前、狭心症により一〇か月ほど入院治療したことがあったが、本件事件以前、健康状態は特に問題なかった。

原告は四月一四日早朝、警察官が来訪し、A警察署に来るように言われ、午前八時から午後一一時近くまで取調べを受けた。なんの被疑事実もないにもかかわらず、初めての取調べを受けたという緊張、怒り、不安のためにその夜は熟睡できず、翌一五日にはホテルの仕事のために午前四時に起きた。この日も早朝八時から取調べを受けたが、朝から吐き気、後頭部の痛みがあり、午前一一時ころその頭痛がひどくなってきた。原告はGにその旨告げ、「病院に連れて行くか、自分で行かせてほしい」と言ったが、同人はなかなか受け容れないので、病院に行けないなら医者を警察に呼んで欲しい、医者が警察に往診に来ても恥ずかしくないからと言うと、ようやく昼近くなって、取調補助者が行きつけのK外科医院に連れて行った。診察を受けると血圧が一八〇/一一〇であり、医師は原告に一時間ほど横になるように言い、取調補助者には「家に連れて帰って、安静にして寝かせなさい」と告げた。しかるに、取調補助者はGと携帯電話で話した後、医師の指示、原告の意思を無視してA警察署に連れて行った。しかもGは原告の体調など無視して、この日も午後九時ころまで取調べを続行した。

イ) 原告は二日にわたる厳しい取調べを受け、心身とも疲れ切ったまま、翌一六日もホテルの朝食の準備のため午前四時に起きた。警察はこの日も早朝迎えにきて午前八時から原告を取り調べた。原告は吐き気、頭痛を訴え、「病院に連れて行ってほしい」、「家に帰らせてほしい」と言ったが、Gらは無視して厳しい取調べを続けた。原告が帰宅したのは午後九時すぎで、取調べの最後に「また明日も取調べをする」と告げられた。

ウ) 翌一七日、目覚めた原告は吐き気、頭痛がひどく、起きあがることができず、午前九時ころ、妻に病院へ連れて行くよう頼み、K外科医院に午前一一時ころ妻とともに行き、診察を受けた。医師は、原告の状態を診てすぐに医師会立病院を紹介するから行くように勧めた。医師会立病院でQ医師の診察を受けたところ、医師は、血圧が高く、経過観察が必要であるから入院するよう勧めた。

エ) 以上のとおり、Gらは四月一五日の取調べにおいて、原告が体調の不良を訴え、医師の診察を求めたにもかかわらず、なかなか聞き入れず、ようやく昼近くになって原告のかかりつけの医院に連れて行き、診察を受けさせたが、医師の安静にさせるようにとの指示も無視して取調べを継続し、一七日に至り医師が入院を勧める程の症状となった。任意取調べといいながら、強い体調不良にもかかわらず、取調べを継続した取調官らの取調べは著しく違法というほかないものである。

ク 結論

以上の次第であるから、本件においてGが、三日間、原告に対して行った取調べは、個別の各事実を見ても、明らかに違法な取調べであったといえる。そして、これらの取調べが全て一時に重畳的に累積関連してなされた本件においては、さらにその違法性は高いものと言わざるを得ない。

【被告の主張】

ア 原告の自由退去を拒絶していない。

ア) 四月一五日の午前の取調べにおいて、原告が「疲れたときなど病院に行って注射を打ってもらっているから、病院に行かせてもらえないか」と言ったことから、Gは、原告に「どうぞ、行ってください。何回も説明しているようにこれは任意の取調べですから、あなたが帰りたいと言えば帰ることもできるんですよ」と言ったが、原告は、「いや、戸別訪問してるからいけません」と言って、席を立とうとしなかった。

その後、Gは、捜査本部に報告し、Iに原告を病院に連れて行かせた。

イ) 原告は、四月一五日の任意同行時に、もう行きたくはないけど、そこで逃げたくなかったので、行って話せば分かると思って任意同行に応じた。

ウ) 原告が四月一六日の午前の取調べにおいて、GからHのことを聞かれ、その後、大声で「弁護士を呼んでくれ」と訴えたことから、Gは、原告に「どうぞ呼んでください、だれか知っている弁護士の先生がいらっしゃるんですか」と聞いたところ、原告が「いません」と答えた。そこで、Gは、「弁護士に連絡を取りたかったら出ていって構いませんよ」と言ったが、原告は椅子に座ったまま、動こうとせず、下を向いたまま黙り込んでしまい、Gは取調室を退室した。

その後、Gが退室している間、原告がIに、「病院に行きたいけど、逃げるようだから行けない」と話したことから、Iは、A署員に頼んで、Gを呼んでもらった。原告の話を聞いたGは、原告に「病院に行きたければ、昨日みたいに行ってください」などと病院に行くことを勧めたが、原告は病院には行かず、「水を一杯もらえば助かります」と要望したので、そのとおり水を飲ませた後は、病院に行きたいと言うことはなかった。

エ) 以上のことから、原告の心情の根底に、戸別訪問しているから病院に行けない、取調べから逃げたくない、逃げるようだから病院に行けないという思いがあり、自らの意思で退室しなかったと言わざるを得ない。

また、原告が退去しようとして、取調官などに押しとどめられた事実もなく、原告もそのような主張をしていないことから、原告の自由退去を拒絶していないことは明らかであり、原告の主張は失当である。

オ) Gは、原告から小用の申し出があった場合、Iをトイレに同道させているが、犯罪捜査規範一六七条一項に、「取調べを行うに当たつては、被疑者の動静に注意を払い、被疑者の逃亡及び自殺その他の事故を防止するように注意しなければならない。」と規定されていることから明らかなとおり、事故防止の観点でIを同道させたものである。

イ 長時間にわたる取調べはしていない。

ア) 原告の取調べは、四月一四日が午前八時ころから午後一〇時二五分ころまで、同月一五日が午前八時二五分ころから午後九時ころまで、同月一六日が午前九時ころから午後九時四〇分ころまでであった。

取調べは、食事や休憩などの時間を挟んで行われるものであり、朝から夜まで継続して行うものではないことから、取調時間が三日間で約四〇時間との原告の主張は、失当である。

イ) 一日目は、午後一〇時二五分ごろ、取調べを終了しているが、原告が一旦事実を認め、供述調書に署名指印する段階になったところ、原告が否認したことから、取調べを継続したものであり、意図して原告の帰宅を遅らせたものではない。

ウ) 三日目はGは、余り部屋にいなかったこと、出ていってから戻ってくるまでの時間は二時間ぐらいだったもので、継続した取調べではないことは明白である。

エ) 選挙違反という事件の重大性、複雑性、被疑者と事件との関わり合いの強さなどのほか、本件については、取調べの途中、食事や休憩を取らせたり、医師の診察を受けさせたり、また、取調官が退去している時間などを含め併せ鑑みれば、原告の取調時間は社会通念上相当な範囲内である。

ウ 弁護人選任権を侵害していない。

憲法三四条によって保障される弁護人に依頼することのできる権利は、刑事訴訟法二〇三条一項、二〇四条一項、二〇九条、七八条により逮捕の場合においては、司法警察員又は検察官が被疑者の指定した弁護士にその選任を通知することによって確保せられるものであるところ、そもそも原告の取調べは任意であったこと、Gは取調中、原告に退出していい旨告げていること、取調べ終了後は、捜査員が原告を自宅に送り届けていることから、原告が逮捕されて身柄を拘束されたものではない。以上によれば、原告の弁護人選任権を侵害していないことは明らかであり、原告の主張は失当である。

エ 所持品を確認したことは違法ではない

ア) 取調べに際しては、被疑者等が危険物を持ち込むなどして、自傷行為等に及ぶおそれもあることから、本人の同意を得て所持品等の提出を求める場合もあり得るところ、犯罪捜査規範一六六条は、「取調べを行うに当たつては、被疑者の動静に注意を払い、被疑者の逃亡及び自殺その他の事故を防止するように注意しなければならない。」と規定されている。

イ) 四月一四日の状況

Gは、原告が運転免許証入れから昼食代金を取り出したことから、選挙に関するものを持っているかも知れないと思い、原告の了解を得て運転免許証入れの中身を確認したところ、開票結果が書かれた紙切れが入っていた。

そこで、Gは、原告がほかにも選挙に関係するものを持っているかもしれないと思い、原告に服の上から触って構わないか尋ねたところ、原告の了解が得られたので、Iが原告の衣服の上から触って確認した。

ウ) 四月一五日の状況

Gは、原告に前日自供したビールの供与事実とか余罪関係について聞いたところ、原告が「もう、するようにしてください」、また、戸別訪問先などについても「もう書きません」と大声を張り上げて、感情的に反発したことから、自傷事故のおそれがあると思い、「落ち着いてください。危ないものは持ってきていないと思うが念のため確認させてください。」などと原告に言ったところ、原告の了解が得られたので、Iが原告の衣服の上から確認した。

エ) 四月一六日の状況

Iは、Gから被疑者の様子がおかしかったら所持品を確認するよう指示されていたところ、原告の任意同行に行った際、原告がいつもの自宅ではなくホテルから出てきたこと、取調室に入った原告が下を向いて暗い表情をしていたこと、昨日、原告が取調べの中で大声を張り上げて、感情的に反発したことなどから判断し、取調べの始まる前に、原告の了解が得られたので、原告の所持品を確認した。

オ) 以上の経緯からすれば、四月一四日の所持品確認は、原告の承諾を得て捜査の目的から行ったことは、明らかである。

また、四月一五日、同月一六日の所持品確認は、四月一五日に原告に事実を問い質したとき、「もう、するようにしてください」と大声で反発し、自暴自棄になったことなどから、原告の自傷事故等を防止するため、原告の承諾を得て行った行為であり、違法性はない。

オ 偽計を用いた取調べはしていない

ア) Gは、原告主張の「選挙が終わったらFから、沖縄の娘に一〇〇〇万円近いお金が振り込まれて、Xの口座に振り込まれるようになっている。裏は取れている。嘘を言うな……」というような話を知らない。

イ) Gは、同じ捜査第二課に勤務するN巡査部長がA警察署在勤中に、原告と懇意にしていたことを捜査員から聞いていたことから、取調べのきっかけとして名前を出しただけで、原告の主張するような話はしていない。

ウ) Gは、過去、A警察署に勤務したことはないところ、四月一二日にA警察署に派遣され、原告をビールの供与事実で取り調べたのが四月一四日からである。

また、Gが焼酎の供与事実やE集落を認知したのは、Hの関係で指示を受けた取調べ三日目(四月一六日)のことであり、その時点においても、Gは、Dという集落を全く知らなかった。知らなかったのに、Gが「嘘を言うな。D集落にも、Fの妻のPとお前が行って、金や焼酎二本ずつを各家庭に配っている」などと言うはずはない。

エ) 原告に対する偽計を用いた取調べなどの事情は窺えず、原告の主張は失当である。

カ 威圧的・人間の尊厳を侵害する取調べはしていない。

ア) Gがビールの供与事実に関し供述調書を作成したのは一日目の四月一四日である。

原告の「Hの自白調書には、間違うはずのない自分の娘の姓が間違って記載されている」との主張から明らかなとおり、原告もHの供述調書を確認しているところ、Hの供述調書が作成されたのは、同月一六日であるから、焼酎の供与やE集落の話がでるのであれば三日目である。

よって、Gが、一日目に「とにかく焼酎をEに配ったことを認めろ」と原告に繰り返し怒鳴ったり、二日目、Gが「認めなければE消滅、Dも消滅」と言って脅迫したりしたことなどあり得ない。

イ) また、原告は、二日目、Gが「沖縄の娘に一〇〇〇万円近いお金が振り込まれ」ると繰り返したので、原告が反発したことを契機に、Gがげんこつを握り立ち上がったことから、原告が「叩くなら叩け」と言ったと主張しているが、原告が「叩くなら叩け」と言った場面は三日目のことであり、しかも、前後の状況は全く違う。

Gが、Hの供述と原告の供述が相違したことから、「自分が罰せられるかも知れないという状況の中で話したHさんと、私を信じて欲しいと訴えていたにもかかわらず、Hさんの名前を出した途端、態度を急変させたり、供述を変えたりする貴方と、どちらを信じろと言うのですか」、「貴方の言うことが正しいのか、Hさんの言うことが正しいのか、どちらが正しいのか、判断するためにも、貴方から説明を受けなければなりません。」などとGが手のひらを開いた両手を胸のところで上下に振りながら近づき、原告を追及する過程における場面である。

ウ) Gは、原告が地域安全モニターをしていたことから、取調べにおいて同モニターの話を出したが、原告に資格がないから辞めろと言ったことはない。

エ) 取調べの過程で被疑者の供述に矛盾、不合理な点がある場合は、これを追及し、注意を喚起する場合があることは公知の事実であるが、そもそも、取調べにおいては、被疑者と取調官が互いに反発しあった感情を持ち続けている限りは、仮に被疑者の供述が得られたとしても、その内容は真相にはほど遠いこととなることは、容易に想像される。

原告の主張する取調べを行ったとすれば、事件の真相を被疑者から引き出せないばかりか、任意性が疑われる取調べをしたならば、その結果録取した供述調書は任意性に疑いあるものとして証拠採用されないこととなり、そのために、罰せられるべき者が罰せられない結果となる。これは取調官にとって、致命的な到底受け入れ難い事態であり、長年取調官をしているGが、絶対に避けなければならないことである。

よって、Gが任意性を疑われる取調べを行うはずがなく、まして、威圧的・人間の尊厳を侵害する取調べを行うなどあり得ない。

キ 原告の体調を無視した取調べはしていない

ア) 原告への体調確認について

Gは、三日間とも、取調べの冒頭、原告に体調を聞いている。

a 四月一四日の状況

Gが、取調べの冒頭、原告に体調を確認したところ、原告は「風邪気味ですけど、大丈夫です」と答えた。

b 四月一五日の状況

a) Iが任意同行時に、また、Gが取調べの冒頭、原告に体調を確認したところ、原告は「風邪の症状は変わらないですけど、大丈夫です」と答えた。

午前中の取調べの中で、原告から、「疲れたときにK外科医院で注射を打ってもらっているんですが、行かせてもらえないでしょうか」という申し入れがあったことから、Iが原告をK外科医院に連れて行った。

b) K外科医院を退去後、Iが、原告に「大丈夫ですか、取調べを受けられますか」と尋ねると、「原告は後頭部が少し熱っぽいだけで大丈夫です、取調べを受けられます」と答えたことから、Iは、Gに、原告に確認したところ、少し後頭部が熱っぽいだけで取調べを受けられると報告した。

Gは、A警察署に戻ってきた原告に体調を確認した後、取調べを受けられるか確認したところ、原告は「大丈夫です」と了解した。

c 四月一六日の状況

Iが任意同行時に、また、Gが取調べの冒頭、原告に体調を確認したところ、原告は「昨日の夜、薬を飲みましたので大丈夫です」などと答えたことから、Gは、気分が悪くなったら申し出るように伝えた。

その後、前述したとおり、原告に前日のように病院に行くように勧めたが、原告が断ったものである。そして、原告が要望した水を飲ませたところ、病院に行きたい旨の申し立てはなかった。

午後の取調べの際、Gは、原告が黙ったまま下を向いた姿勢を継続していたことから、原告に近づいて顔を下からのぞき込み、「体調が悪いんですか。体調が悪かったら言ってください」と尋ねてもいる。

以上の経緯から、Gらは、原告の体調を気遣いながら、取り調べたことが明らかであり、原告の主張する、体調を無視して取り調べたという事情は認められない。

イ) 入院後の体調について

a 原告は、四月一七日から同月三〇日まで二週間入院しているところ、カルテによると、四月一七日に「左胸部痛軽度のみ」、同二一日に「二一時すぎに頭痛一時的にあり、今朝は胸痛も一時的にあったと事後報告あり、現在はないとのこと」と自覚症状を訴えているのみで、一七日及び二一日以外は、「頭痛 嘔気なし」、「胸部不快なし」、「気分不快なし」の記録が認められる。

さらに、四月一七日(初診)に原告の訴えた自覚症状は、カルテに、「H一五年四月初め頃より、胸痛、後頚部痛あり」との記載があることから、本件取調べの以前からあった自覚症状であることが認められる。

b 原告入院後の四月二四日、原告の妻がA警察署に電話を掛けているが、警察官が、原告の妻に、「ご主人が落ち込んでるのであれば、励ましてやらんと」などと話したところ、原告の妻は、「本人はそこまでないと思う」と応答している。

c 原告は、K外科医院から薬をもらったが、医師会立病院に入院当初三日間は、薬を処方されなかったもので、原告の入院が切迫したものでなかったことが窺える。

d 医師会立病院との往復に要する時間は、さほど要さないはずであるが、カルテによると、「4/27、17:30、外出、選挙にて外出す、20:00、帰院、トラブルなし」との記載がある。

したがって、原告は、一七時三〇分から二〇時まで約二時間半も外出していたこととなり、その間、トラブルもないことから、原告が病院から外出を許される体調であったといえる。

(3)  争点(3)について

【原告の主張】

ア 憲法上の権利侵害

憲法三八条一項は、「何人も自己に不利益な供述を強要されない」(自己負罪拒否特権)と規定する。

この権利は、取調べという強制、圧力から、個人を守るための憲法上の権利であり、歴史的にも内容的にも、自己の内心の自由を保障して個人の尊厳と人格の自由な発展を守る、もっとも基本的かつ普遍的な基本的人権の一つであり、その侵害が許されないことは当然であり、これが国賠法上の被侵害利益であることは言うまでもないことである。

そもそも自己に不利益なことを強制力を用いて無理に言わせるのは、人間の尊厳を傷つけるものであって、自己負罪拒否特権は、文明国における刑事司法の最低基準である。その意味からは、自己負罪拒否特権は、対立当事者からの尋問への対応を強いられてはならないという権利というべきである。

したがって、本件のような逮捕・勾留されていない被疑者取調べでは、取調室への出頭・滞留を強制できないことは当然であり(取調官が取調室への出頭・滞留を課すこと、すなわち、取調べを受忍せしめることは実質的には、まさしく尋問への対応を強いていることに外ならないからである)、また、被疑者が供述すれば、自己負罪拒否特権・黙秘権の放棄だとして擬制することは許されない。そのような解釈は、自己負罪拒否特権・黙秘権を有名無実化することになるからである。

イア) Gは、四月一四日の朝を除き、原告の取調べに際し、黙秘権・供述拒否権を告知していない。

上記の自己負罪拒否特権を具体化した権利である供述拒否権(刑事訴訟法一九八条二項)は、取調べの間中、また、取調べを再開する度毎に告知する必要がある。少なくとも、わが憲法上も取調べの再開毎に告知する義務がある。しかるに、Gも、Iも、その陳述書(乙四、五)で、その度に黙秘権を告知したとは供述していない。この陳述書には、それらがGとIが入念な打ち合わせをして周到に準備されたものであるにも拘わらず、四月一四日の午前中の取調べの最初に供述拒否権を告知した旨記載されているだけである。そして、この取調べ後は、その度に供述拒否権を告知していないことは、Iも認めているところである。

本件で問題となる取調べは、四月一四日は、午前中、午後の取調べ、その後夜の取調べ、同月一五日は、午前中の取調べ、K外科医院に行った後の取調べ、夜の取調べからなり、四月一六日は、午前中の取調べ、弁護士を求めた後の取調べ、午後の取調べ、本件踏み字をさせた後の取調べ、そして、夜の取調べからなっている。

黙秘権は、憲法上の権利であり、また、黙秘権行使のために手続的保護措置の要求権が憲法上の権利として保障されているのであるから、いずれの取調べの初めにも、供述拒否権を告知することは憲法上の要請であり、これを欠くことそれ自体は、原告に対する権利侵害として違法な行為であるといえる。

イ) そもそも黙秘権の告知は、GやIが述べるような、単に「あなたには言いたくないことは言わなくてよい権利があります」との警告では足りず、その結果や効果についての説明を伴っている必要がある。そうでなければ黙秘権は有名無実化するからである。

したがって、四月一四日朝の段階で、Gが告知したとされる内容では、到底黙秘権を告知したことにはならない。

それだけでなく、この朝の段階でGが黙秘権を告知したかどうかも、極めて疑わしい。この点、原告は、終始一貫して、取調べの間中、Gから一度も黙秘権は告知されなかったと供述している。この供述を否定する被告の証拠はGやIの供述のみであり、その他に、これを裏付ける証拠は存在しない。

しかし、そもそも黙秘権を告知したことについて、取調べ側は立証手段を有している。取調状況を記載した備忘録などを証拠として提出すれば足りる。ところが、Gは、自らは手控えさえ取っていないというのである。

このようなGの取調方法を考えると、それだけで、Gは黙秘権を告知していなかったと推定するべきである。

そもそも、Gは、四月一六日の午後の取調べでは、取調補助者を立ち会わせないで取調べを強行しており、少なくともこの場面では、黙秘権行使のための手続的保護措置が全くなかったことを意味するので、黙秘権侵害は明白である。

ウ) また、本件では、四月一六日の朝の取調べでは、Gは原告に「Hを書け」と紙を差し出して、これを強制された。この強制は、明らかに黙秘権を侵害する行為である。

書けと迫る行為は、黙秘権の侵害を越えて、強要行為であり、許されないものである。

エ) さらに、本件では、四月一六日午前中の取調べでは、原告は、同日午前九時三〇分ころには、Gに対して、「もう語らん。書きません。弁護士の先生を呼んで下さい」と助けを求めた(陳述書・甲一、一二頁一〇項)。

このような場合、黙秘権行使の当然の効果として、取調官は、少なくとも、取調べを継続する意思があるかどうか、原告に確認する義務がある。しかし、Gは、この点について、確認しておらず、黙秘権侵害は明らかである。

それだけでなく、原告が弁護士を求める旨述べたのであるから、弁護士が現れるまで取調べは中止されなければならない。しかし、Gは、取調べを中止するどころか、取調べを継続した。少なくとも原告が弁護士と相談するまでの間、取調官は取調べを中止しなければならない。そうでないと、到底任意とは言えない取調べとなるからである。弁護人依頼権は、被疑者にとって極めて重要な憲法上の権利だからである。

オ) 我が憲法のもとでも、上記のとおり、Gの取調べ方法が、違法性の顕著なものであることは明白である。

ウ そもそもGの取調べは、終始一貫して、原告の黙秘権を徹底的に否定し、これを侵害する違法な取調べを強行し、原告に供述を強制しようとした。

ア) Gは、最初の日の取調べにおいて、取調べをするに当たり、黙秘権を告知したと主張する。しかし、二日目、三日目の取調べにおいては、黙秘権の告知がなかったことは、Gらの陳述書に記載がないことから明らかである。この点で、黙秘権を告知しなかった違法がある。

イ) また、Gは、原告が取調室から自由に退去することを許さず、用便を除き取調室から出られない状態にし、用便のときも見張りをつけ、原告が警察の完全な監視下にあることを意識させ、逃れられないとの意識を植え付け、その上で、原告に対して、取調室においては、Gと原告の関係が支配・従属関係(いわば教師と生徒の関係)にあるように意識させた。

それは、「Gの話に、原告が腕を組んで「でっちあげだ」などと横柄な態度を取ったことに対して、強く諭したものである」と反論するなかに顕著に窺える。諭すというのは、上位者が下位者に対して用いるもので、常に自己が上位者にあるという意識のもとに行っているからである。

Gは、このような支配・服従関係を構築し、原告の黙秘権(当事者対等の権利)を侵害して、うその自白を強要したのである。

ウ) Gは、E集落に原告が焼酎を配ったとの見込み捜査を実施していたが、Hが原告やFから焼酎二本をもらったかのような供述をしたと考えたことから、Gは、原告から自白を取ろうと躍起になった。

四月一六日午前中には、原告は、取調室から弁護士への相談を求めた。しかるに、何らの配慮をせずに、取調べを強行したのみならず、Gは、功名心のあまり、原告に本件踏み字まで強行した。

かかる一連の行為は、まさに、黙秘権の完全否定であり、その侵害行為である。それを超えて、さらに人間性を否定する、人格の核心部分に対する意図的な侵襲である。

【被告の主張】

黙秘権・供述拒否権を侵害していない

ア Gは、原告に対して供述拒否権の告知を行った

ア) 犯罪捜査規範一六九条には、「被疑者の取調べを行うに当たつては、あらかじめ、自己の意思に反して供述する必要がない旨を告げなければならない。二 前項の告知は、取調べが相当期間中断した後再びこれを開始する場合又は取調警察官が交代した場合には、改めて行わなければならない。」と規定されている。

イ) Gは、原告に煙草のポイ捨ての話をした後、「あなたを公職選挙法違反の被疑者として取り調べます。あなたには言いたくないことは言わないでいいという権利があります」と告げている。

ウ) Gは、四月一四日の取調べのときは、供述拒否権を告げたこと、四月一五日に供述調書を作成し、Gが調書をとる前と、読むときに供述拒否権を告げた。

エ) 原告が署名指印した供述調書には、供述拒否権告知の記載がある。

オ) Gの原告に対する取調べは、連続する三日間であること、その間、取調官が交代した事情がないことは双方争いのないところ、上記犯罪捜査規範一六九条の規定からして、取調べを再開する度ごとに供述拒否権を告知する必要がないことは、明らかである。

カ) Gは、初日は冒頭に供述拒否権を告げ、二日目、三日目は、原告が追及に対し黙り込んだときに、その都度告げた。

取調べにおいて、取調官は被疑者との信頼感の構築が第一であり、被疑者が黙り込んだり、迷い、悩んでいる様子が窺える状況であれば、被疑者の抱える複雑な人間関係を慮り、取調べの任意性を担保する上から、被疑者に対し、改めて供述拒否権を告げるものであり、これは取調べの通例である。

キ) 供述拒否権告知について、供述を拒み得ることを既に充分知つていた場合には、あらためて供述拒否権のあることを告知しなくても、刑事訴訟法一九八条二項に違反するものとは言えない(最高裁判決昭和二八年四月一四日、刑集七巻四号八四一頁)から、本件の取調べは、連続した三日間に同一取調官が担当し、一日目の取調べ冒頭に供述拒否権を告知しており、さらに供述拒否権を記載した供述調書の作成が一日目に一通、二日目に二通あり(平成一八年一月二〇日付調査嘱託に対する回答書別紙)、原告が供述を拒みうることは充分知っていたものと認められることから、原告の黙秘権・供述拒否権を侵害したとの主張は、失当である。

(4)  争点(4)について

ア 本件踏み字の意味

警察の職務を行うGが行った踏み字については、二つの意味がある。

一つは、原告の意に反してその足首を掴み紙面に乗せたという、直接的な有形力の行使としての暴行であり、原告は、これにより身体的苦痛を受けた。原告は目が不自由であり、そのことへの配慮を全く伴わない取調べを受けたのみならず、この踏み字までの状況をあわせ考えると、その苦痛は単に足首を掴まれ紙面を踏まされたという苦痛にとどまらない。

もう一つは、亡父、亡義父、孫から原告に宛てた気持ちを文面にして書いた紙面を土足で踏ませることが親や孫の気持ちを踏みにじる行為であることを具体的に表すことによって、原告の内心に土足で踏み込むものであり、原告を侮辱するものである。原告はこれにより精神的苦痛を受けた。この点、Gは、「親族の者が書いたというようなものを作って、それを踏ませることが、侮辱することにならないか」という裁判官の質問に対し、そのように思っていないと述べており、その犯情は極めて悪質である。このことは更に原告の心情を深く傷つけるものである。本件踏み字は、人の精神に対する直接攻撃でもあり、親子関係、妻の親との人間関係、孫との関わり自体という人格的核心にとって極めて重要な人間関係を破壊せんとする企てであり、密室で壁を背にして粗末な椅子に座らされた状態で黙秘権を侵害されながら取調べを継続され孤立した状態において、本件踏み字を強制されたことによる原告の味わった苦痛ははかりしれない。

イ 本件踏み字の違法性

本件踏み字については、Gが認めた最小限度の行為を前提に評価しても、その違法性は極めて大きい。

Gが認める踏み字についてみると、その目的は、黙秘を続ける原告に真摯に反省して真実を語ってもらうためであった。それはまさに黙秘権行使を認めず供述を強制すること、さらに供述させて真摯に反省させることにある。その行為形態は、黙秘している態度が亡父、亡義父、孫の気持ちを踏みにじるのと同じであることを形にして表すことにある。その行為自体、自己負罪拒否特権の基本的人権性を真っ向から否定する公権力の行使であり、断じて許されないものである。その行為が、仮に三枚のうちの一枚だけで、それも原告のつま先の部分だけ乗せただけであっても、その違法性に差異は生じない。

のみならず、本件踏み字については、原告が主張するとおり、三枚の紙面を何回も踏ませたのであり、その事実関係に基づいて評価すると、その違法性の程度は極めて大きい。

ウ Gの違法行為によって原告が受けた精神的・肉体的・経済的苦痛について

ア) 一連の三日間の取調べは、原告の人格的核心に対する直接的な侵襲を目的としてなされたものであり、実際にも、原告は、人間としての尊厳を著しく毀損させられている。原告はGから、三日間にわたり、「バカだバカだ」との罵声を浴びせられ、怒鳴られ、机を叩かれ、交通安全モニターという長年自己が従事してきた社会的仕事についても否定されている。原告が平穏に保ってきた人間関係についても破壊工作をされ、本件踏み字では原告は人間性自体を否定されている。そのことは三枚の紙面に書かれた文章の意味から明白である。

Gの三日間の言辞・行動は、原告の人格的同一性を危うくするような違法性の顕著なものであり、実際にも原告は、この取調べの精神的影響を現在でも受けている。原告は、警察への嫌悪感やGへの怒りによって辛うじて自己の人格の同一性を保っている。人が組織や人に対する憎しみや怒りの感情を持って生活せざるを得ないことは、それ自体幸福とはいえない。幸福追求権は、人間の存在にとって核心的な人権であるが、原告はこの幸福追求権を現在も妨げられ続けているのである。

イ) 三日間の取調べで、原告は、入院するほどの肉体的苦痛を受けている。原告は一〇年程前、狭心症により一〇か月ほど入院治療したことがあったが、この三日間の取調べ前は、健康状態は特に問題なかった。

しかし、二日目のK外科医院での治療、四月一七日の医師会立病院への入院治療などという被害を受けるに至っている。二日目は取調べを中断した治療であり、四月一七日も前々日からGに訴えている高血圧の症状が悪化した上での入院であることから、その入院治療については取調べが原因であることは明白である。そして、この肉体的苦痛ははかりしれない。被告は、医師会立病院への入院の原因を作っておきながら、その必要性を否定するが、医師会立病院の医師は、その必要性を肯定していることに照らすと、許し難い態度である。

ウ) 原告は、ビジネスホテル経営者である。しかし、この三日間の取調べにより、四月一四日から医師会立病院を退院した四月三〇日まで全く仕事ができなかった。このため原告が受けた経済的損失は少なくない。

エ) 以上の精神的・肉体的・経済的損害を金銭的に評価することは、その被害が余りに膨大であるため困難であるが、原告は、弁護士費用を含めて金二〇〇万円の損害賠償を求める。

【被告の主張】

争う。

第三争点に対する判断

一(1)  争いのない事実並びに《証拠省略》によれば、Gの原告に対する四月一四日から同月一六日までの取調べ内容として、概ね以下の事実が認められる。

ア 原告は、四月一四日、任意同行により、A警察署生活安全刑事課第一取調室において、ビール口事件について、GからIを取調補助者として終日取調べを受け、同日夜、この事実を認める供述調書が作成された。

イ 同月一五日、原告は任意同行され、上記取調室において、前日自白したビール口事件について、ビールは宿泊客を紹介してもらったお礼に持って行ったと否認した。

その後、原告がK外科医院を受診するため、取調べは中断し、治療後取調べが再開され、午後から、県議選での運動内容について、原告らがいわゆるローラー作戦を実施した旨、また、F所有のTマンション一階に電話を五台設置しての電話作戦を実施した旨を供述し、同日夜Gは、Iを取調補助者としてローラー作戦について一通、電話作戦について一通計二通の供述調書を作成した。上記電話作戦の供述に当たって、原告はTマンションの間取り、電話設置場所の図面を作成し、上記供述調書に添付された。

ウ 同月一六日、Gが焼酎口事件について取り調べると、原告は黙秘し、Gは本件踏み字をした。その後、原告はIと雑談をし、夜帰る前には、原告の行動については、「妻がつけているホテルの予約帳を見れば分かる」と言った。

エ 同月一七日は、任意同行を求めたが、原告は気分が悪く、吐き気、後頭部痛があることから寝ていて、これに応じなかった。警察官は妻から予約帳を借り受けた。

(2)  以上の捜査経過について、原告は、取調べを受けたのはA警察署の三つある取調室の真ん中の部屋(第二取調室)であり、Gの取調補助者はMであること、初日は、焼酎口事件についての取調べがなされただけで、供述調書は作成されていないこと、二日目も焼酎口事件の取調べで、供述調書は作成されていないこと、三日目については、連日続いている焼酎口事件について引き続き自白を迫られた旨主張し、これに沿った供述(甲一、原告本人。)をする。

しかしながら、四月一三日には、ビール口事件について、当該時期に原告からビールを受け取ったU建設の専務であるVが任意で取調べを受けていること(甲一一)、前記のとおり、一三日作成の供述調書が存在し、取調場所が第一取調室となっており、取調補助者がIとなっていること、また、一四日にも供述調書が二通作成され、原告も電話作戦の図面は書いた旨供述していること(原告本人)、また、Mなる人物が存在するか疑わしいもので(上記供述調書の取調補助者はIとなっているところ、Iは本件取調べにおいて取調補助者であったことを認め(証人I)、その証言にこの点については不自然な点も認められず、また、被告がことさらMなる者が取調補助者をしていたにもかかわらず、Iがしたとして虚偽の事実を述べる合理的理由も見あたらない。)、これらに照らすと、取調経過については上記認定事実が客観事実にも符合するもので、これに反する原告供述部分は、原告が本件取調べ後、六月四日から任意の取調べがなされ、その後には逮捕勾留後取り調べられたこともあって、記憶の混乱、変容、思い違いが生じた点もあると推認されるものであって、採用できない。

二  争点(1)について

(1)  四月一六日の取調べにおいて、原告が焼酎口事件について黙秘を続けたこと、その後、Gにより本件踏み字がなされたこと、三枚の書面について原告を諭す言葉を言った形にされたのが、原告の実父、義父、孫であることは当事者間に争いがない。

ただ、書面の文言については、現在その書面が廃棄され存在しないものであるが、当事者の主張する文言の趣旨は概ね一致し、やや異なるのが孫のものであるところ、作成者のGとしては、結局は焼酎口事件について被告の供述を得たいために、かかる手段を用いたものと推認できるので、孫が言う体裁のものは、正直なじいちゃんになって下さいとの文言がその目的から合理的な文言というべきで、文言を考えついたのがGであることをも併せ考慮すると、三枚の文面は、G証言により

ア 「X、お前をこんな人間に育てた覚えはない・R」

イ 「じいちゃん、早く正直なじいちゃんになってください・S」

ウ 「娘をこんな男に嫁にやった積もりはない」

と認められる。

(2)  そこで、態様を検討する。

本件踏み字について、原告は、その陳述書(甲一)では「三枚の紙を原告から見て右、真ん中、左、右、真ん中、左というように何回も踏ませた」としながら、本人尋問では「一〇回くらい」と供述するところ、他方、Gは、陳述書(乙四)では「今の態度は、このように親や孫の気持ちを踏みにじるようなものではないですか。」と諭しながら中腰になって原告の両足首を軽く持ち上げ説得のために三枚の紙のうちの一枚に置いた。」とし、証人尋問においては「紙の上に足を置いた目的は、あなたの態度はこういうものじゃないですかということで、形的に、例示したかった。」と証言しながら、踏み方について「真ん中の紙に靴の先を一回乗せた」と陳述書記載の踏み方についてより具体的に証言する。

上記原告の供述は、陳述書と比べるとやや誇張されていると思われる反面、Gも自己の行為を控えめに証言していると解さざるをえない。

しかしながら、Gは、本件踏み字について、原告の態度は親族の気持ちを踏みにじるようなものではないかということを示すためにかかる行為に及んだ旨証言するところ、被告主張の程度の足の乗せ方ではおよそ踏みにじるとの言葉と整合しないうえ、三枚の書面を作成して足下に並べて親族の気持を踏みにじるものであるとして本件踏み字に及んだGの意図からすると、少なくとも三枚すなわち三回は踏みつけさせたと認められる。原告が、Gから、いきなり足首をつかまれ足を上げられそうになったので、パイプ椅子の横を思わずつかんだこと(原告本人)を考慮すると、一枚の紙に足先をおく程度の行為であったとは認められない。なお、Iも、踏み字は一回である旨証言するが(乙五、証人I)、Gと打ち合わせての証言と解され、その信用性は乏しく採用できない。

(3)  上記のGによる本件踏み字は、任意捜査による取調べであるか、強制捜査による取調べであるかにかかわらず、原告に対する違法な有形力の行使であることは明らかであって、取調手法としてかかる行為が容認されるかの被告の主張は到底認められず、その他被告が縷々述べる理由でも、全く正当化できない。なお、仮に、一回でも、また、足先のみ紙に乗せたとしても違法性は十分認められる。

三  争点(2)について

(1)  自由退去の拒絶について

ア 四月一四日から一六日までの本件取調中、原告が小用でトイレに行く際、トイレ入口まで取調補助者が同行したことは争いがない。また、二日目の取調べの際、原告がK外科医院の受診を希望した際、Gは原告に「注射のことは私一人の判断で答えることができないので上司に聞いてみる」との対応をしていること(乙四)が認められる。

イ また、《証拠省略》によれば、四月一四日の取調べに当たって昼時には家に帰って食べると申し出たり、午後五時ころ原告はホテルが気になるからと帰宅を求めたところ、いずれもGに拒絶されたことも認められる(同日の取調内容について原告には前記のとおり思い違いが存するが、取調べの初日で、朝八時から取り調べられていたことから、原告がかかる申し出をすることは自然な発言として信用性が高い。)。

ウ 以上の、任意の取調べであるにもかかわらず、トイレに監視がつき、体調不良になっても、取調官の許可がなくては退去できないこと、また、退去の申し出にも応じないことに照らすと、任意捜査における退去の自由を侵害したものといえる。

エ この点、被告は、原告が四月一五日の任意同行の際、もう行きたくはないがそこで逃げたくなかったので、行って話せば分かると思っていた(原告本人)と原告が考えていたこと等の事情、また、自ら退去しようと行動した事実もないこと等をもって退去の意思はなかったので、退去の自由を侵害していないと反論するが、かかる反論は任意捜査における退去の自由の侵害を否定する根拠にはならない。

また、トイレに同行したのは、事故防止のためであると主張するが、証拠上トイレに行く際の原告の状況について必ずしも明らかではないが、少なくとも原告が自傷行為など行うに足りる事情は窺えないから、退去をおそれ監視のため同行したと推認できるもので、トイレへの同行は原告の退去の自由を侵害していることになる。

(2)  長時間取調べについて

ア 《証拠省略》によれば、取調時間について以下の事実が認められる。

ア) 四月一四日の取調べは、午前八時ころ始まり、午後零時二〇分ころから昼食休憩をとって、午後二時前から取調べが再開された。なお、原告は昼食を取らなかった。その後、午後七時前ころ二〇分程度休憩をとった。このときも原告は夕食をとらなかった。

夜、原告が、ビール口事件を認めたことから、午後九時前ころ供述調書を作成したが、原告が署名指印を拒んだため、再度説得し、原告が署名指印に応じた午後一〇時二五分ころ、取調べを終了した。

イ) 四月一五日の取調べは、午前八時二五分ころ始まり、午前一〇時五〇分ころから午後零時一五分まで原告がK外科医院を受診したため中断した。

原告は昼食を取らず、午後二時前ころ取調べを再開し、午後七時ころまで取り調べた。その後、午後七時五〇分ころ取調べを再開し、供述調書二通を作成し、取調べは午後九時ころ終了した。

ウ) 四月一六日の取調べは、午前九時ころ始まり、午後零時ころから一時間休憩後、午後一時ころ再開した。取調中、Gは途中で室外に出たりなどしたが、午後六時三〇分ころまで取調べをし、三〇分休憩を取った後、午後七時ころ取調べを再開し、午後九時四〇分ころ終了した。

イ 以上によると、本件取調べは三日にわたり朝から夜まで続いているが、原告の嫌疑が公職選挙法違反事件二件で決して軽い事案ではなく、事案との関係で不相当に長時間取り調べたとは認められず、途中休憩なども挟んでいること等に照らすと、取調時間が長時間であるとの故をもって違法があったとまでは認められない。

(3)  弁護人選任権の侵害について

ア 原告が四月一六日の取調中、「弁護士を呼んで下さい」と言ったこと、その後も取調べがされ、原告は黙秘していたことは当事者間に争いがないところ、その際の状況について、Gは、この発言に対し「取調べは任意だから、帰りたいときに帰って良い、弁護士に話したいのであれば自由にしてくれ、しかし、当事者である限り事実を明らかにするのが筋ではないか。弁護士に会いたいのであればこの部屋から出て行って下さい」旨話したところ、原告は取調室から出て行く様子はなく、その後も黙秘を続けたと証言し(乙四、証人G)、他方、原告は、Gが「黙れ。M部長、今日は黙り作戦だって」と言って、弁護士を呼んでくれなかったと供述する(甲一、原告本人)。

原告の供述は、前述のとおりM部長が存在しないから、かかる発言がなされたか疑問が残り、また、Gの証言は、原告にこの段階で帰りたい時に帰って良いなどと言うことは考えられず、事実関係を明らかにするよう説得したことは認められるが、弁護士に会うための退去も含め、退去の自由についての証言部分は採用できない。

イ 上記によると、原告の弁護士を呼んでくれとの発言後、この要請を無視し取調べが続行されたことが認められる。

ウ ところで、弁護人選任権は、被疑者が弁護人の援助を受ける権利として、被告人、身柄拘束を受けた被疑者の場合には憲法上の権利として、それ以外の場合でも刑事訴訟法上の権利として認められるものである。

従って、任意の取調中に弁護士選任の申立がある場合、身柄拘束を受けている者とは異なるから、警察側で弁護人、弁護士会にその旨通知手続をなすことまで要求されないものの、原告が自ら弁護士を選任するについて検討しうる程度の時間的余裕を与える必要があると考えられる。

そうすると、原告は弁護人選任権を侵害されたということになる。

(4)  所持品検査について

ア 《証拠省略》によれば、Gは、四月一四日、取調べの前に「決まりだから持ち物を机の上に出してくれ」と指示して、原告に免許証入れを出させ、さらに、原告の着衣の上から身体のボディチェックをしたこと、その際、原告の同意が得られていないことが認められる。

イ この点、原告が本件取調べに当たり、毎日所持品検査をされていたことは当事者に争いがないところ、被告は所持品検査については、第二・三(2)エのとおり主張し、証人G、同Iも陳述書(乙四、五)及び証人尋問においてこれに沿う証言をする。

ウ しかしながら、四月一四日の所持品検査については、本件取調べは公職選挙法違反事件であり、免許証入れにこれに係わる証拠物が入っている蓋然性は一般に乏しい上、格別、所持品検査を必要とするような状況にないことが明らかで、被告主張の経緯で所持品検査に至るとは考えがたく、Gらの上記証言は甚だ信用性に乏しい。

また、四月一五日、同月一六日の自傷防止のため所持品検査をしたとする点も、原告が自傷行為をするおそれは必ずしも認められず、本件取調べに当たり連日所持品検査したことを合理化する理由付けに過ぎないと認められる。

エ 確かに、任意捜査においても強制手段にわたらない程度の有形力の行使であれば、必要性、緊急性を考慮して相当と認められる限度でこれが許容される場合があることを否定するものではないが、原告が問題とする四月一四日の所持品検査にはかかる必要性、緊急性は認められず、令状に基づかない捜索というほかなく、違法といわなければならない。

(5)  偽計を用いた取調べについて

ア 原告は、第二・三(2)オの主張をし、これに沿う原告の供述(甲一、原告本人)も存する。

イ しかしながら、四月一五日の取調べは、前述のとおり焼酎口事件についてのものではないから、焼酎口事件に関わる供述を得ようとしてGが偽計を用いて取り調べたとするのは前提を異にするもので、原告主張事実は認めるに足りない。

(6)  不必要に威圧的、人間の尊厳を侵害する違法な取調べについて

ア 原告は、第二・三(2)カの主張をし、これに沿う供述(甲一、原告本人)も存する。

イ 確かに、前記のとおり、Gは本件踏み字をするなど被疑者の人格を毀損するような取調手法をとっていること、原告の供述するGの発言内容も原告が作話したとも思えない点もあり、いずれかの機会にかかる発言がなされたことはあながち排斥し得ないところではあるが、前述したとおり、本件取調経過については原告に思い違いが認められるところ、四月一四日の取調内容はビール口事件の取調べであって、焼酎口事件ではないのであるから、焼酎口事件に絡んでの原告とGとにやりとりがなされることは考えられず、四月一四日にGが原告主張の威迫的言葉を発したとは認められない。また、四月一五日のGの発言内容も原告は焼酎口事件を否認していたからなされたとするもので、かかる発言をしたとは認めるに足りない。

(7)  病中の取調べ

ア 争いのない事実に加え、《証拠省略》によれば、以下の事実が認められる。

ア) 原告は、二日目の四月一五日の取調べにおいて、朝から吐き気、後頭部の痛みがあり、その頭痛がひどくなってきた。原告の申し入れで、午前一〇時五〇分ころ、Iが原告の行きつけのK外科医院に連れて行った。診察を受けると血圧が一八〇/一一〇であり、医師は原告に一時間ほど横になるように言い、Iには「家に連れて帰って、安静にして寝かせなさい」と告げた。しかるに、IはGと携帯電話で話した後、A警察署に原告を連れて行った。Gは、午後九時ころまで取調べを続行した。

イ) 原告は翌一六日もホテルの朝食の準備のため午前四時に起きた。この日も午前九時ころから原告を取調べた。原告は吐き気、頭痛を訴え、「病院に連れて行ってほしい」、「家に帰らせてほしい」と言ったが、Gらは無視して取調べを続けた。原告が帰宅したのは午後九時すぎで、取調べの最後にまた明日も取調べをすると告げられた。

ウ) 翌一七日、目覚めた原告は吐き気、頭痛がひどく、起きあがることができず、午前九時ころ、妻に病院へ連れて行くよう頼み、K外科医院に午前一一時ころ妻とともに赴き、診察を受けた。

上記受診の際、心悖亢進があったので、同医院の紹介で原告は医師会立病院を受診した。

医師会立病院では、原告は四月初めから胸痛、後頸部痛があったと話し、原告の血圧が一六二/一一〇であったため、血圧コントロール目的ということで入院した。入院後しばらく内服なしで経過観察をしたところ、最高血圧は一五〇前後となったところで内服を開始し、最高血圧が一三〇前後に落ち着いたため、同月三〇日退院した。

入院中の経過は、四月一七日に左胸部痛を訴え、同月二一日に頭痛、胸痛を訴えたが、その余の日については格別の自覚症状は訴えていない。

イ この点、被告は原告の体調を確認して取調べをしていた旨、また、原告は取調べを容認していた旨主張し、これに沿うG、Iの証言(乙四、五、証人G、同I)も存する。

しかしながら、原告のK外科医院での診察時の血圧の程度からすれば、原告が取調べを容認するとは考えがたく、明確に拒否しなかっただけというに止まり、上記証言部分は採用できない。

ウ 以上によれば、原告の高血圧症状は四月初めから出現してはいたが、一五日の取調べで血圧が上がり、その後も最高血圧が一六〇と高血圧症状が続いたため、入院したものである。なお、原告の入院後は経過観察ですぐには薬が処方されていないが、これをもって入院が不要とはいえない(甲二三)。

そうすると、Gは、入院を要する程度の健康状態にある者を、四月一五日のK外科医院での血圧が高く、安静を要するものであることを認識しつつ、任意取調べであるから取調受認義務がない原告を同日午後九時ころまで取り調べたことは違法というべきである。

四  争点(3)について

(1)  《証拠省略》によれば、Gは本件取調べにおいて、四月一四日には取調べの当初、原告に黙秘権を告知したことが認められるが、四月一五日、一六日には取調べの当初では黙秘権の告知がなされていなかったことが認められる。

また、被告は、四月一五日、一六日には原告が追及に対して黙り込んだときにその都度告知したと主張し、証人Gもこれに沿う証言をするが、これが不自然であることは明らかで、調書が作成された一五日には調書作成に当たって黙秘権告知がされたに止まり(調査嘱託の結果)、一六日には黙秘権告知がなされていなかったものと解さざるを得ない。

(2)  ところで、刑事訴訟法一九八条二項は、黙秘権の事前告知を規定するところ、事前告知は、被疑者として取り調べられる者を心理的な圧迫感から解放するとともに取り調べる者に戒心の機会を作るための制度であり、憲法三八条の直接の要請ではなく、同条の精神をよりよく実現するための制度である。従って、事前告知を怠ったことが直ちに黙秘権侵害とはならず、本条項の手続違背に止まることになる。

(3)  前記のとおり、四月一六日の取調べはGによる焼酎口事件についての初めての取調べであるから、黙秘権告知を怠ったことは、一六日の取調べは刑事訴訟法一六八条二項の手続に反したものといえるが、黙秘権の告知の趣旨に照らすと黙秘権侵害とまではいえない。

なお、被告は、原告が四月一四日、一五日に供述調書を作成され、その際、黙秘権告知をされているから、一六日には供述を拒否することができることを原告は知っていたはずであるから黙秘権告知がされなくても本条項違背にはならないと主張するが、日が改まり、取り調べる被疑事実が異なった場合には、上記の本条項の趣旨からは黙秘権告知をすべきで、怠ったときは手続違背にはなるというべきである。

(4)  なお、原告は、四月一六日の取調べの際、Gから紙を出されてHと書くよう強制され、これにより黙秘権が侵害されたと主張し、これに沿う原告の供述(甲一、原告本人)が存する。

しかしながら、四月一六日の取調べ前にはHの名はすでに捜査当局が受供与の被疑者として把握していること(乙四)によれば、Gが指示してHの名を原告に書かせる合理的理由が認められず、かかる事実は認めるに足りない。

五  争点(4)について

以上のとおり、Gは、原告に不法な有形力を行使し、また、任意捜査における退去の自由を制約し、令状なしに身体の捜索をするなどの違法行為により原告に精神的苦痛を与えたもので、かかる不法行為は被告の公権力の行使に当たる公務員として、その職務を行うについてされたものであるから、被告は、これによって原告に生じた損害を賠償する責を負うことになる。

上記認定の本件取調べにおけるGの違法行為により被った原告の精神的苦痛、特に本件踏み字においては、その取調手法が常軌を逸し、公権力を笠に着て原告及び原告関係者を侮辱するものであり、これにより被った原告の屈辱感など精神的苦痛は甚大といわざるを得ないこと、これに刑事手続きにおける保護を無視した違法行為による原告の精神的苦痛を考慮すると、慰謝料として五〇万円が相当である。

また、本件訴訟における弁護士費用は一〇万円が相当である。

六  結論

以上によると、原告の本訴請求は六〇万円及びこれに対する不法行為の日の後である平成一六年四月二三日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を求める限度で理由があるから、これを認容することとし、その余は理由がないので棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 髙野裕)

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