鹿児島地方裁判所 平成21年(わ)240号 判決 2010年12月10日
主文
被告人は無罪。
理由
第1公訴事実(以下「本件犯行」ともいう。)の要旨
被告人は,金品強取の目的で,平成21年6月18日午後4時30分ころから同月19日午前6時ころまでの間,鹿児島市a町b番地A1方(以下「被害者方」という。)に北東側6畳居間の窓ガラスの施錠を外して侵入し,殺意をもって,金属製スコップ(長さ約94.3センチメートル,重さ約1.6キログラム。以下「本件スコップ」という。)で,A1(当時91歳。)及びB1(当時87歳。)に対し,それぞれその頭部や顔面等を多数回殴打し,その場で,A1を頭部・顔面打撲に基づく脳障害(頭蓋骨骨折,くも膜下出血,脳挫傷)により,B1を頭部・顔面打撲に基づく脳障害(くも膜下出血,脳挫傷)により,それぞれ死亡させて殺害した。
第2争点と証拠関係等
1 争点
被告人は,被害者方に行ったことは一度もなく,本件犯行をしていないと捜査段階から一貫して供述して公訴事実を全面的に争い,弁護人も被告人の無罪を主張する。したがって,本件の争点は,被告人が本件犯行を行った犯人であるか否か,すなわち被告人の犯人性である。
2 証拠関係等
ところで,本件においては,犯行の目撃供述等,被告人が犯人であることを直接示す証拠がなく,関係証拠(証人C1,同D1,鑑定・検査申請書謄本〔弁7,9,12,16,18,20,22,〕,鑑定書〔弁8〕,鑑定結果通知〔弁10,13,17,19,21,23〕,検証調書〔弁11,24〕)によれば,大掛かりな捜索にもかかわらず,被告人が使用していた衣服,眼鏡,靴,自動車からだけではなく,被告人が当時住んでいた部屋等からも,A1及びB1(以下「被害者夫婦」という。)の血こんや,殺害現場で割れて飛び散り,犯人が踏んだと思われる蛍光管のガラス片,被害者方付近の土砂,更には犯人が残した足跡を付けたと思われるセーフティジョイという安全靴等,被害者方ないし本件犯行とつながるようなこん跡は全く発見されなかった。
しかし,検察官は,被害者方から発見されたこん跡,すなわち,犯人が侵入したと思われる被害者方6畳居間(屋内の間取りについては別紙図面1参照)北側にある掃き出し窓の網戸(以下「本件網戸」という。)にあった破れ面に,被告人のDNA型とほぼ一致する細胞片が付着し,犯人が侵入する際に本件スコップで叩き割ったこの掃き出し窓の一番西側の窓(以下「本件窓」という。)から外れた三角形のガラス片(以下「三角ガラス片」という。)に,ガラスが割れた後に付着したと考えられる被告人の指紋が発見されたことから,被告人は,本件スコップで本件窓のガラスを網戸の上から叩き割り,網戸の破れ面から手を差し入れて本件窓のクレセント錠を解錠し,被害者方に侵入したと認められ,これに,物色された形跡が残る6畳和室の西側壁にある整理だんす(以下「本件整理だんす」という。)やその周辺に被告人の指掌紋が付着していたことや,被害者夫婦を殺害した凶器が本件スコップであることも併せると,被告人が犯人であると強く推認され,さらに,被害者方には被告人以外の不審な第三者のこん跡がないこと,金銭に困っていた被告人には動機があること,被告人には被害者夫婦を知る機会があったこと,アリバイがないこと等,被告人が犯人であることに沿う事実もあるから,以上を総合すれば,被告人を犯人と認めることができると主張する。これに対し,弁護人は,検察官が主張する,被告人が犯人であることを前提とした本件犯行の内容には不自然,不合理な点が多々あり,疑問がある上,細胞片や指掌紋も偽装工作の疑いがあり,被告人を犯人と認めるには合理的な疑いが残ると主張する。
3 基本的視点
したがって,被告人を本件犯行により有罪であると認定するには,検察官が根拠としている被害者方に残されたこん跡等のいわゆる情況証拠から,被告人が犯人であることに合理的な疑いを差し挟む余地のない程度に立証されることが必要である。そして,情況証拠によって事実認定をすべき場合であっても,直接証拠によって事実認定をする場合と比べて立証の程度に差があるわけではないが(最高裁平成19年(あ)第398号同年10月16日第一小法廷決定・刑集61巻7号677頁参照),直接証拠がないのであるから,情況証拠によって認められる間接事実中に,被告人が犯人でないとしたならば合理的に説明することができない(あるいは,少なくとも説明が極めて困難である)事実関係が含まれていることを要するものというべきであり(最高裁平成19年(あ)第80号同22年4月27日第三小法廷判決・刑集64巻3号233頁),間接事実から事実を推認する過程において,被告人が犯人であるという検察官が設定した仮説とは異なる合理的仮説を排除できるか否かも検討しなければならない。そして,その点を正しく検討するためには,被告人に不利な情況証拠だけを積み重ねるのではなく,有利な情況証拠や,犯人であれば発見されるであろうと考えられるこん跡が発見されないこと等の消極的な情況証拠も取り上げるべきであり,犯行現場である被害者方ないしその周辺のどこから,どのようなこん跡が発見されたのか,あるいはされなかったのかを漏らさず確認しなければならない〔ただ,公判前整理手続において採用した書証だけではそれら全貌が必ずしも明らかにならないことが判明したため,第3回公判において,検察官に対し,重要な情況証拠である指掌紋,足こん跡,DNA型鑑定資料の採取状況等の全貌に関する証拠の提出を求め,第4回公判において,土砂の関係の捜査報告書(職8)を,第5回公判において,指掌紋の関係の捜査報告書等(職1ないし7)を,第9回公判において,DNA型鑑定資料関係の統合捜査報告書(甲96)をそれぞれ取り調べた。〕。
第3検討
1 被告人の犯人性を検討する前提となる「犯人の行動」について
・※ 検察官の主張
検察官は,被告人の遺留指掌紋や細胞片を除いて考えても,被害者方の状況からすると,犯人は,公訴事実の日時ころ,①本件窓のガラスを網戸の上から本件スコップで叩き割り,②本件網戸の破れ面から手を入れてクレセント錠を解錠し,③障子に立て掛かった三角ガラス片を脇の壁に立て掛け,④土足のまま室内に侵入し,⑤台所を通って6畳和室まで行き,本件整理だんすの引き出しを開けるなどして金品を物色し,⑥8畳和室で被害者夫婦を本件スコップで殴り殺し,⑦そのスコップを台所に置いたまま,侵入した6畳居間から逃走したと認められると主張する。しかし,次のとおり,関係証拠を検討すると,これら検察官の主張を全面的に認めることはできないというべきである。
・※ ②(犯人が本件網戸の破れ面から手を入れて本件窓のクレセント錠を解錠した点)について
関係証拠(証人E1,実況見分調書〔甲1,ただし採用部分に限る。以下同じ。〕,鑑定書〔甲12,15〕)によれば,確かに本件網戸,本件窓のガラス,本件スコップの各破損状況から本件スコップで本件窓を割った状況を再現すると,本件網戸の破れ面の位置と解錠されていたクレセント錠の位置がおおむね重なる。しかし,一方で本件網戸はレールに沿ってスムーズに動いていたから(証人F1〔第6回〕90項),証拠上,当時の周辺の明るさや天気が不明であるため視界の程度も不明であるが,クレセント錠の近くには尖ったガラスの破片が窓枠に付いたまま残っていたことからすると(実況見分調書〔甲1〕写真・※,・※等),わざわざ網戸の破れ面に手を差し入れてクレセント錠を解錠したというのも不自然であって,本件網戸をずらしてクレセント錠を解錠する方が自然である。また,本件網戸には,ガラス窓のひびの状況から最初に本件スコップがガラスに当たった地点(破損原点。第4回〔証人E1〕16項参照)と本件窓のクレセント錠付近の破損部分とを結んだ横線にほぼ重なる網戸の破れ面とは別に,破損原点に突き当たらない縦方向の破れ面があることから,検察官は,犯人がクレセント錠を解錠するため,網戸にもう一度切れ目を入れたとも主張する。しかし,縦方向の破れ面は,犯人が窓枠に残っていたガラス片を落とすために再度スコップを振るったこん跡とも考えられるので,このように破れ面が2つあるからといって,必ずしもそこに手を差し入れたとは限らないというべきである。
そうすると,網戸の破れ面とクレセント錠の位置関係や破損状況のみから,直ちに犯人が本件網戸の破れ面に手を差し入れて本件窓のクレセント錠を解錠したとは断定できないというべきである。
・※ ③(犯人が侵入時に三角ガラス片を壁に立て掛けた点)について
関係証拠(証人G1,同H1〔第4回〕,実況見分調書〔甲1〕,鑑定書〔甲32,85〕)によれば,本件窓の室内側にある障子の外側には三角ガラス片の頂点によって付けられたと思われる「へ」の字型の圧こんがあり,三角ガラス片が,同じく本件窓の割れた破片である四角形のガラス片(以下「四角ガラス片」という。)とともに6畳居間西側壁に立て掛けられていた事実が認められる。そして,「へ」の字型の圧こんの左右にこすったような跡がなかったから,犯人は侵入時に障子を開ける際,立て掛かっていた三角ガラス片を動かしたと思われるが,障子に立て掛かった三角ガラス片を手前に少し傾けるなどすれば簡単に障子を開けることができたと考えられるから,犯人が侵入時に三角ガラス片を動かした事実までは認められても,そのときに三角ガラス片を壁に立て掛けたとまでは断定できない。
・※ ⑤(犯人が本件整理だんすから金品を物色した点)について
関係証拠(証人I1,実況見分調書〔甲1〕)によれば,本件整理だんすの引き出しが引き出され,中の衣類等が引っ張り出されるなど6畳和室には荒らされた状況が見受けられる。
しかし,本件整理だんす内には,1段目の三つあるうちの北側の引き出し左手前角には合計3万1600円在中の財布が,2段目の引き出しには合計2万円在中の封筒が,4段目の引き出しの右手前には,残高は不明であるがB1名義のA2通帳,B2バンク通帳各1通,印鑑等が在中する物入れがそれぞれ見つかるなど,容易に発見できる場所に現金や通帳等が残されていた。また,被害者夫婦を殺害した8畳和室には,硬貨ばかり合計1656円の入った瓶や多数の記念硬貨等が入ったプラスチックケースが残されていた。しかも,台所には,本件スコップが立て掛けられていたテーブル上の「500円」と記載された箱内には合計4061円の硬貨が,据え付け水屋の北側の引き出しには,千円札15枚在中の布製チャック式袋,五千円札1枚と千円札3枚在中の茶封筒,合計1459円の硬貨在中の財布が残されていたが,これらの場所には全く物色された形跡がなかった。さらに,犯人の侵入口と思われる6畳居間や,押し入れ内に金庫があった6畳フローリングも物色された形跡が見当たらない。
そして,関係証拠(証人J1,鑑定書〔甲51,52。ただし,いずれも採用部分に限る。以下同じ。〕)によれば,犯人が本件スコップで被害者2名に加えた攻撃回数は合計100回以上に及んでいる上,被害者夫婦の頭部や顔面に攻撃が集中するなど殺害の態様は強盗目的とそぐわないほど激しいもので,むしろ,えん恨目的を疑わせる。この点,検察官は,冒頭陳述において,犯人が,抵抗できないB1らの前で本件整理だんすの引き出しを片っ端から引き出すなどして金品を探し始めたが,何らかの事情でこれを中断した後に8畳和室で被害者夫婦を本件スコップで殴り殺したと主張していた。しかし,論告においては,本件整理だんすに現金が残っていたが血こんの付着がないことと,被害者夫婦殺害の凶器に本件スコップが用いられたことを矛盾なく説明しようとして,被害者夫婦を抵抗できない状態にして物色している最中に騒がれたために殺害し,慌てて逃げた可能性もあり,殺害と物色行為の前後関係は不明であるなどと主張を変えている。しかし,関係証拠(証人H1〔第8回〕,実況見分調書〔甲1〕)によれば,6畳和室には,布団に血の付いた本件スコップによる払しょくこんが残るなど犯人が血の付いた本件スコップを持って動き回った形跡があるほか,本件窓付近にも,その形状から本件スコップから付着したと思われる複数の血こんがあり(実況見分調書〔甲1〕199ないし207丁。特にfile_4.jpgの血こん参照),犯人が被害者夫婦を攻撃した後に6畳和室や6畳居間を歩き回った末,何も取らずに台所のテーブルに本件スコップを立て掛けて逃走した可能性も否定できず,このような行動も強盗目的の犯人の行動としては不可解である。
そうすると,本件整理だんす周辺の状況のみから,直ちに犯人の目的が金品強取であったと断定することはできないというべきである。
・※ ⑦(犯人が侵入した6畳居間から逃走した点)について
関係証拠(実況見分調書〔甲1〕)によれば,本件窓だけでなく,南側縁側の掃き出し窓のクレセント錠も1か所開いていた事実が認められるが,いずれの場所付近についても,逃走時に付着するはずの足跡や指掌紋等が発見されておらず,窓も閉まっていた。また,前述のとおり本件窓付近には複数の血こんが発見されているが,それらが犯人逃走時に付着したものとは断定できないから,結局,犯人が,この南側縁側の掃き出し窓から逃走した可能性も否定できず,逃走経路は不明というべきである。なお,このクレセント錠が開いていたことについては,証人I1(第1回),同C1(第2回)は,事件発覚後に誰かがこの窓に触ったなどとは証言していなかったにもかかわらず,その後,証人K1(第7回)が,掃き出し窓の室内側のサッシ枠に室内から外に向いた手袋をした指のこん跡のようなものがあり,鑑識員が窓を開け閉めしたと聞いていると証言し,証人H1(第8回)も,これは鑑識係や捜査員が現場で使っている白色綿手袋の右手で窓を開けたような形状の跡であり,被害者夫婦が倒れていた8畳和室の臭いが強かったために捜査員が換気のために窓を開けたと聞いていると証言するなど,あたかも南側縁側のクレセント錠を解錠したのが臨場した捜査員の1人であるかのような証言が出てきた。しかし,K1,H1証言は,いずれも裏付けもない伝え聞きの証言であり,捜査員の誰がそのようなことをしたのかも証拠上明らかにされていないから,信用性が高いとは到底いえない上,いくら臭いが強かったとはいえ,現状保存を最優先すべき捜査員が勝手に窓を解錠したというのも不自然であり,かえって,捜査員の行動が統一されていないなど鑑識活動が万全でなかった疑いすら生じるといわざるを得ない。
・※ そうすると,関係証拠(証人I1,同G1,同L1,同E1,同M1,同H1,同N1,同J1,実況見分調書〔甲1,71〕,同抄本〔甲87〕,鑑定書〔甲12,15,17,19,21,32,51,52,55,85〕,スコップ〔平成22年押第14号の4〕,網戸〔同押号の5〕,アルミサッシガラス引き戸〔同押号の6,7〕,ガラス片〔同押号の8,9〕,障子〔同押号の10〕,ふすま〔同押号の11〕等)によれば,犯人が,公訴事実の日時ころ,6畳居間の隣にある台所の明かりがつき,換気扇が回っていたことを認識した上で,本件窓のガラスを本件網戸の上から本件スコップで叩き割り,クレセント錠を解錠して,障子に立て掛かった三角ガラス片をどけて障子を開け,土足のまま室内に侵入して台所を通り,その後,8畳和室で被害者夫婦を本件スコップで殴り殺したが,その前後のいずれかの時点で6畳和室の本件整理だんすの引き出しを開けて中身を外に出したり,三角ガラス片を6畳居間の壁に立て掛けたり,本件スコップを台所に置くなどした末に逃走したという事実関係が認められるにとどまるといわざるを得ない。
しかも,関係証拠(証人I1,実況見分調書〔甲1〕等)によれば,6畳居間にあった固定電話機の電話線が引きちぎられ,電源アダプターが外されていたほか,本件窓付近の畳の上とその付近にあった電話線に,被害者夫婦の血こんが合計5か所付着していた事実が認められる。検察官はこの点について特に説明を加えていないが,この6畳居間の状況を素直に見れば,犯人は,被害者が警察等に連絡するのを防ぐため,侵入時に電話線を引きちぎるなどしたと考えるのが自然である。しかし,電話線や電源アダプターがあったと思われる付近には土足こんがなく,血こんの位置や形状からすると,被害者夫婦に対する攻撃を開始した後の犯行中か,あるいは犯行後逃走前に,本件スコップを持ったまま6畳居間に赴き,電話線を引きちぎるなどした可能性もあるが,そのような犯人の動きをうかがわせるようなこん跡が採取されていない。また,この血こんについては,犯人が本件窓のガラスを割って侵入しようとした際に,近寄ってきた被害者夫婦が攻撃を受けて出血したこん跡である可能性も考えられるが,本件窓付近の畳の上にそのような犯人の動きをうかがわせる土足こん等もない。結局,これらの血こんが,いつ,どのように付着したのか,また,いつ電話線が引きちぎられるなどしたのかは不明というほかない。さらに,関係証拠(実況見分調書〔甲1〕)によれば,犯人は,被害者夫婦を殺害した凶器である本件スコップを台所のテーブルに立て掛けたまま逃走した事実が認められるが,このような犯人の無造作な行動は,電話線等に関するそつのない行動とは調和しないものである。
このように,検察官が主張する犯人の行動については,侵入態様や犯行目的,逃走経路等,重要な部分について疑問を差し挟む余地がある上,どう理解すればよいのか分からない,ちぐはぐな行動も含まれている。したがって,本件においては,犯人像があいまいであることを前提に被告人の犯人性を検討せざるを得ないから,情況証拠の検討には,より一層の慎重さが求められるというべきである。
2 犯人と被告人との同一性について
・※ 検察官が,被告人が犯人であることを示す積極的証拠として主張する情況証拠の検討
ア 本件網戸から採取された細胞片のDNA型について
関係証拠(証人O1,同P1,同F1,同Q1,鑑定書〔甲25,23〕,DNA型鑑定検査記録〔平成22年押第14号の2〕,エレクトロフェログラム〔同押号の3〕)によれば,本件網戸の屋内側の破れ面付近にある「D」の範囲(別紙図面2参照)を拭き取った綿棒から採取された細胞片をいわゆるSTR型検査法によってDNA型鑑定したところ,被告人の口腔内細胞のDNA型と,型判定に使用される15の座位のうち14座位の型と性別に関するアメロゲニン型が一致し,その出現頻度は1京5600兆人に一人であると認められ,不検出の1座位についても,試料が少なかったために鑑定結果としては不検出と扱われたものであるが,各座位の型を示すエレクトロフェログラムに表示された2か所のピークの位置は被告人のDNA型と矛盾しなかったことが認められる。
これに対し,弁護人は,この鑑定結果について,目的以外のDNAの混入によって試料が汚染された可能性があるとか,真犯人または警察が鑑定資料や鑑定に関するデータを差し替えるなどの偽装工作が行われた可能性がある上,試料の全量が使い切られてもはや再鑑定できないから,信用性に疑問があると主張する。しかし,関係証拠(証人C1,同F1,同Q1,同N1,同O1)によれば,鑑定手法や正確性チェックの在り方に格別問題点は見出せない。仮に本件網戸の管理,保管に不備があり,汚染が生じたとすれば,混合型ないし識別不能の鑑定結果が生じるはずである。また,偽装工作を行うのであれば,凶器である本件スコップ等,犯人と明白に結びつく複数の場所から,すべての座位が一致するDNA型が確認されるように工作するのが自然である。さらに,再鑑定が不可能である点についても,もともと試料が少なかったので正確な鑑定のために全量を使い切ったものであって,鑑定方法にも格別問題点が見出せないから,鑑定の信用性を直ちに損なう事情とはいえない。したがって,このDNA型鑑定の結果は信用できるというべきである。
そして,検察官は,この鑑定結果について,本件網戸の破れ面の網の切れ目は先端が尖っているため,皮膚の細胞片が付着しやすい場所であり,細胞片が本件網戸の破れ面から採取されたことからすると,被告人が本件網戸の破れ面から手を差し入れてクレセント錠を解錠したと認めることができると主張する。しかし,細胞片を採取した「D」の範囲は,網戸の破れ面を含んでいるとはいえ,むしろ破れていない部分の方が広い上,証人Q1は,その範囲から漏れなく拭き取るために網戸の表裏を別々の綿棒でこすって細胞片を採取したもので,網戸の性質上,表と裏を完全に分けて拭き取ることは難しいと証言したことも併せると,細胞片が破れ面に付着していたと断定することはできず,また,網戸の屋内側に付着していたと断定することもできないというべきである。
したがって,DNA型鑑定結果からは,遅くとも平成21年6月19日に警察が被害者方を立入禁止にするまでの間に,被告人が本件網戸の「D」の範囲の表面ないし裏面に触ったと推認できるにとどまり,それを超えて被告人が本件犯行時に本件網戸の破れ面から手を差し入れて本件窓のクレセント錠を解錠したことまで推認することはできないというべきである。
イ 三角ガラス片から採取された指紋について
関係証拠(証人F1,同R1,捜査報告書〔職1〕,現場指紋等採取報告書〔職2〕,指紋等対照(鑑定)結果通知書〔甲35〕,指紋原紙〔平成22年押第14号の15〕)によれば,三角ガラス片の屋外側のなめらかな面上の,四角ガラス片と接する辺の下方部分に付着していた指紋(別紙写真1,2参照。以下「本件薬指指紋」という。)が,被告人の右手薬指の指紋と符合したというのであるから,少なくとも過去に被告人の右手薬指がこの部分に触れた事実は動かせない。
この点,検察官は,本件薬指指紋の上下にあるスライドこん(以下それぞれ「上スライドこん」,「下スライドこん」という。)に着目し,下スライドこんが被告人の右手小指のこん跡であることを前提に,下スライドこんが,四角ガラス片との割れ目でちょうど切れていることから,被告人が窓ガラスを割った後,屋内に侵入する際に邪魔になった三角ガラス片を動かしたと推認できると主張する。そして,証人R1は,①いずれのスライドこんにも,指先の皮膚にある隆線の一部が認められ,人の指が滑ったこん跡であると考えられる,②下スライドこんの指先の向きが,上スライドこん及び本件薬指指紋(以下「本件薬指指紋等」ともいう。)と同じである,③下スライドこんと本件薬指指紋等からうかがわれる各指先の位置が,通常人の中指,薬指,小指の位置とほぼ一致するとして,下スライドこんが,本件薬指指紋等と同一機会に付着した被告人の右手小指のこん跡であると証言している。
そこで検討するに,確かに,上下2つのスライドこんには,人の指のこん跡とみられる隆線の一部が認められ,上スライドこんについては,本件薬指指紋と一部が重なり合う形で同じ方向に滑っているので,本件薬指指紋と同じ機会に付着した被告人の右手中指のこん跡であると認めることができる。しかし,下スライドこんについては,本件薬指指紋等とは位置が離れている上,下方向に滑っている本件薬指指紋等とは異なり,四角ガラス片と接続していた三角ガラス片の縁方向,すなわち左方向に滑っている。しかも,被告人の指の位置関係と一致するかも不明である。そうすると,①ないし③の点から直ちに,下スライドこんが本件薬指指紋等と同じ機会に付着した被告人の右手小指のこん跡であると断定することはできない。
下スライドこんを被告人の右手小指のこん跡であると認定するためには,前提として,三角ガラス片に本件薬指指紋と上下2つのスライドこんがどのように付着したのかを解明する必要がある。すなわち,割れて本件窓の内側の障子に立て掛かった三角ガラス片がどのように動かされ,四角ガラス片とともに6畳居間の西側壁に立て掛けられるに至ったのかを解明しなければ,本件薬指指紋と上下2つのスライドこんが同時に付着した同一人物のこん跡と認めることはできないというべきである。ところが,検察官は,論告において,「犯人が三角ガラス片をどのように動かしたのかは判然としない」とするのみである。なお,証人R1は,この点について,被告人が三角ガラス片と四角ガラス片を同時に持ったかは分からないが,三角ガラス片を右手で持って6畳居間の西側壁に立て掛ける際,ガラスを床に置いた瞬間に上方向に力が働く結果,ガラス片上の中指と薬指が下方向に滑り,また,通常,人が危険なものを持つときのように,てのひらを付けずに親指,中指,薬指の三本の指で三角ガラス片をつまむように持ったとすれば,手を離すときに小指が引っかかってガラスの縁方向に滑ったこん跡が残ったと思われるなどと説明し,この三角ガラス片に模したアクリル板の指紋が付着していた箇所を右手だけで持ち上げるなどして,壁に立て掛けた際にこれらの指紋やスライドこんが付着した様子を再現してみせた。しかし,三角ガラス片は重さが約669グラムもあり,本件薬指指紋等の位置を右手の親指,中指,薬指だけで持ち上げることは非常に困難であり,左手で別の場所を持つか,手を添えるしかないが,明白な左手の指掌紋は見当たらず,慎重に触らなければ手を傷付けると思われる割れた縁からも被告人の細胞片等が全く採取されていない。なお,証人R1は,本件薬指指紋等が付着していた場所を頂点とした場合の三角形の底辺の辺り(現場指紋等採取報告書〔職2〕9丁にある73参照)に隆線を伴う指の跡と思われるこん跡があると証言するが,証人F1は,指が擦ったような,はっきりしない指紋であると証言しているから,このこん跡をもって被告人の左手の指紋であるとは到底認定できない。また,仮に三角ガラス片を右手の3本の指で持ち上げることができたとしても,その重さからすると,むしろ三角ガラス片が下がることに伴って指が上方向に滑ったこん跡が残ると思われるが,付着しているスライドこんとは,滑った向きが逆である。さらに,四角ガラス片も重さが約835グラムもあり,三角ガラス片と2枚合わせれば合計1500グラム以上になるので,右手の親指,中指,薬指だけで2枚同時に動かすのはおよそ不可能であるし,三角ガラス片と四角ガラス片を別々に動かしたとすれば四角ガラス片にも同じように指紋が付着するはずであるが,そのようなこん跡が付着していたと認めるに足りる証拠もない。また,前述のとおり,割れ落ちた三角ガラス片は本件窓内側にあった障子に立て掛かっていたもので,本件薬指指紋及び上下スライドこんの付着位置は,三角形の底辺,すなわち本件窓のレールに接する付近にあった。したがって,障子を開ける前にその位置に指を合わせてガラスをつかんだとはおよそ考えられず,いったん三角ガラス片を回転させなければならないが,三角ガラス片には,そのようなこん跡も見当たらない。よって,この点に関する証人R1の説明は到底納得できるものではないといわなければならない。
そこで,これら2枚のガラス片をどのように動かして壁に立て掛けたかについて様々な方法を検討し,例えば,障子に立て掛かっていた三角ガラス片をすぐに持ち上げるのではなく,四角ガラス片とともに6畳居間の畳の上にいったん倒した後,左手をガラスの下にある屋内側の模様が彫られた面に差し入れ,右手を本件薬指指紋等の付着位置あたりに添えて両手で挟むようにして西側壁に立て掛けるなど,下スライドこんが被告人の右手小指によるこん跡であることに沿う動かし方を想定してみた。しかし,これも下スライドこんが被告人の右手小指のこん跡であることを前提とした一つの可能性を示すものにすぎず,四角ガラス片の屋内側の面からは指紋やスライドこんのようなこん跡が何も採取されておらず,その他にそのように動かしたことを的確に認定するだけの証拠もない。このように,結局,三角ガラス片がどのように動かされて壁に立て掛けられるに至ったのかは証拠上不明であり,下スライドこんが本件薬指指紋及び上スライドこんと同一機会に付着した被告人の右手小指のこん跡であると認めることなどできない。
ただ,下スライドこんは人の指のこん跡であり,しかもガラスが割れた後に付着したものであるから,ガラスが割れた後に被告人以外の者が素手で三角ガラス片に触った可能性が否定できれば,下スライドこんも被告人が触ったこん跡であると考えられなくもないので,そのような推論ができるかについても念のため検討した。しかし,6畳居間の西側壁に立て掛けられた2枚ガラス片は,侵入口と思われる場所の壁に,目立つように立て掛けられていたもので,捜査する側にとって,犯人が触った可能性の高い重要な証拠物であると一見して分かったはずであり,その採証活動には一層の丁寧さと慎重さが求められて然るべきもので,後に採証過程の信用性を争われる可能性があることを見越して指掌紋採取の状況を写真撮影するなど証拠を保全しておくべきであった。ところが,三角ガラス片からの指紋採取の状況を撮影した写真等は存在せず,三角ガラス片からの採証過程において,いかなるこん跡が認められたのかを解明する客観的な証拠が一切提出されていない。しかも,本件においては,被害者方の鑑識活動が万全であったとはいい難い事情も認められる。そうすると,下スライドこんについても,鑑識活動等の過程で何らかの原因で付着した可能性を否定しきれず,さらには三角ガラス片に付着していた対照不能指紋の中に別人のこん跡が含まれていた可能性も否定できないから,結局,被告人以外の者のこん跡が存在しなかったとは断定できず,このような推論は採用できないというべきである。
ウ 本件整理だんす及びその周辺から採取された指掌紋について
関係証拠(証人M1,同S1,同R1,実況見分調書〔甲1〕,捜査報告書〔職1〕,現場指紋等採取報告書〔職4,7〕,指紋等対照(鑑定)結果通知書〔甲37,39〕,指紋原紙〔平成22年押第14号の14ないし18〕)によれば,本件整理だんすの上から1段目中央引出しの前面中央付近と2段目引出しの前面左側付近にそれぞれ被告人の左手の掌紋の一部が付着し,2段目引出しの前面右側付近,3段目引出しの前面右側付近の2か所にそれぞれ被告人の右手の掌紋の一部が付着し,2段目引出し内にあった「貸家の契約書」と手書きされた封筒の裏面に被告人の左手の掌紋の一部が付着し,本件整理だんすの下に落ちていた紙袋やパンフレット類の一部に被告人の右手人差し指の指紋が合計4か所付着していた事実が認められる(以下,これらをまとめて「本件指掌紋」という。)。この点,弁護人は,本件指掌紋だけではなく,三角ガラス片に付着していた本件薬指指紋についても何者かによって偽装工作されたものであると主張する。確かに現代の科学水準からすれば,JPシートと呼ばれる粘着シートを利用して採取した他人の指紋を別の場所に転写する等の方法によって他人の指紋をねつ造することも不可能ではないかもしれない。しかし,本件薬指指紋,本件指掌紋の原紙等(弁38)をつぶさに確認したところ,各指掌紋は同じ手指であっても,それぞれ付着した部分や付着状態が異なるなど,およそ同じ物を転写したようには見えない。したがって,この点に関する弁護人の主張は採用できず,少なくとも被告人が過去に本件指掌紋が付着していた場所を触ったという事実は動かない。
そして,これら本件指掌紋の付着状況に加えて,本件整理だんす周辺に荒らされたような形跡があるが,被害者らが日常生活の中でそのような状態を放置して生活していたとは考え難い上,過去に空き巣の被害にあった旨警察に届け出るなどした形跡もうかがえないし,他方,被告人には被害者夫婦と一面識もなかった。そうすると,被告人が,公訴事実の日時ころに被害者方に侵入し,本件整理だんす周辺の荒らされた状態を作り出したと強く疑われるところである。
しかし,他方,関係証拠(証人S1,実況見分調書〔甲1〕)によれば,「貸家の契約書」の封筒は被告人の掌紋が付着している面が下になっていたほか,本件整理だんすの前には,被告人の指紋が付着していたパンフレット等以外にも紙類が落ちていたが,そこからは被告人の指掌紋は採取されなかった。また,本件整理だんすの4段目から8段目の引き出しにも,引き出されたような跡があるのに,それらの引き出しからは被告人の指掌紋は採取されなかった。しかも,8畳和室南側縁側の奥にあった整理だんすの2段目の引き出しも少し引き出されていたが,その周辺からも被告人の指掌紋は採取されなかった。このような事情は,被告人以外の者が本件整理だんす周辺等の状況を作り出した可能性を示唆するものである。そして,窃盗犯人であれば,通常,本件整理だんすのような場所を物色すると考えられることにも照らすと,被告人の本件指掌紋が付着した後に別人が本件犯行時に本件整理だんす周辺の状況を作り出したという偶然の一致も決して否定できないというべきである。そうすると,本件指掌紋が本件犯行時に付着したものであると認定するためには,更に他の情況証拠も検討しなければならないところ,後述するとおり,本件においては,犯人と被告人との同一性を推認させる事情が希薄であり,かえって被告人が犯人であることを疑わせる事情が複数認められることからすると,結局,本件指掌紋が本件犯行時に付着したものであると認めることには合理的疑いが残るといわざるを得ない。
エ 小括
以上のとおり,本件網戸から採取された細胞片や,三角ガラス片に付着していた本件薬指指紋によって,被告人が,被害者方に侵入するため本件スコップで本件窓のガラスを叩き割り,クレセント錠を解錠して三角ガラス片を動かしたとの検察官の主張をそのまま認めることはできず,せいぜい被告人が過去に本件網戸及び本件窓のガラス外側に触ったことがあるとの事実が認められるにとどまる。また,本件整理だんす周辺の被告人の指掌紋も,それだけでは犯人性認定の決め手にはならない。犯人と被告人との同一性についての検察官の主張は,その前提を欠くなど,もはや破綻したと評せざるを得ない。
・※ 検察官が,被告人が犯人であることを支え,あるいはこれと整合する事実として主張する情況証拠の検討
ア 犯行の動機について
関係証拠(被告人の公判供述,証人D1,統合捜査報告書〔甲80〕)によれば,被告人は,平成20年8月下旬から姉であるD1方に居候し,D1に対し,受給していた年金から2か月ごとに10万円を支払うと約束したが,年金をパチンコ代や飲み代に浪費し,犯行が行われた平成21年6月18日の時点では,所持金が2600円から2700円程度にまで減り,銀行口座の残高も合計617円にまで減り,同月にD1に支払うべき10万円もまだ支払っておらず,年金を担保に借りた約90万円の借金も大部分が返済されていなかったことが認められる。しかし,被告人は,同月15日にD1方を出るまでの約9か月の間,D1から,家から出て行けなどと言われた事実はなく,被告人のD1に対する2か月に一度の10万円の支払もしばしば滞ってはいたが,そのことでD1から厳しくとがめられたりしたこともなく,D1方で食事をする限り,特に所持金がなくても生活に困る状況にはなかったし,借金についても,年金から引き落とされる仕組みになっており,特に厳しい取立てを受けていたわけでもない。
そうすると,被告人が本件のような重大犯罪を犯すほどに経済的に追い詰められた状態にあったとは認められない。
イ 被害者夫婦を知り得る事情について
関係証拠(被告人の公判供述,証人T1,写真撮影報告書〔甲64〕)によれば,被告人は,平成21年1月6日,いとこであるT1と一緒に被害者方の北西に位置するC2神社を参拝し,そこから東方にある錦江湾を眺めたが,同神社には被害者方を上から見渡すことができる場所があるほか,同月上旬に4回,翌2月中旬に1回,被告人がT1を車に乗せて,C2神社から車で10分程度の距離にあるT1の自宅アパートまで送ったことがあるという事実を認めることができる。しかし,被告人が,T1とC2神社へ行った際に被害者方を見渡すことができる場所まで行ったか否かは不明であり,まして被告人が被害者夫婦の生活状況を把握していたと認めることなど到底できない。
ウ アリバイが存在しないことについて
弁護人は,被告人にアリバイがあるとは明確に主張しておらず,被告人のアリバイを的確に裏付ける証拠もない。しかし,これ自体は,被告人が本件犯行を行うことが不可能ではなかったという中立的事情にすぎず,特に被告人の犯人性を推認させる事情とはいえない。
エ 被告人以外の不審な第三者のこん跡がないことについて
検察官は,被害者夫婦が殺害されていることが発見された平成21年6月19日朝から大掛かりな鑑識活動を実施し,徹底的に現場を調べ上げ,たくさんのDNA型鑑定資料と指掌紋を採取したが,DNA型については,被告人と被害者夫婦以外のDNA型が検出されず,指掌紋についても,被告人のもの以外は被害者夫婦やその子供,被害者方に出入りしていたヘルパーらのものであり,被告人以外の犯人の存在をうかがわせるものが何一つ発見されなかったと主張する。
そして,確かに,DNA型については,関係証拠(証人U1,同V1,同K1,同S1,同N1,同P1,同W1,統合捜査報告書〔甲96〕,鑑定結果報告書〔弁25,26〕)によれば,被害者方から採取した886点の資料のうち,被告人のDNA型とほぼ一致した本件細胞片1点,被害者夫婦のDNAの混合型と考えて矛盾のないもの数点(8畳和室の電気スタンドの破片,6畳居間の電話機本体,B1が着用していた割烹着,本件スコップに付着した血こん等),爪ようのもの1点(4個の座位がA1のものと同型であるが,10個の座位が不検出であるもの)を除き,DNA型が一致することが明らかになったのは被害者夫婦のDNA型のみであったが,細胞片の付着が認められながらDNA型が検出できなかったものも複数存在する。また,指掌紋については,関係証拠(証人R1,捜査報告書〔職1,3〕,現場指紋等採取報告書〔職2,4ないし7〕)によれば,被害者方から採取した446点の資料のうち,12の特徴点からだれのものかを特定できたものは29点あり,11点が被告人のもの,12点が被害者夫婦のもの,2点が親族のもの,4点が訪問ヘルパーと手すり工事作業員のものであったが,その余の指掌紋がだれのものであるかは不明である。そうすると,この結果は,それらの資料のうち,だれのものかを特定できたものが一部であったということを示しているにすぎず,特に指掌紋については大部分がだれのものかが分からなかったというのであるから,その中に第三者に由来するDNA型や指掌紋が存在する可能性は十分あり,検察官が主張するように「被告人以外の不審な第三者のこん跡がなかった」と評価することはできない。
そして,前述のとおり,鑑識活動中に捜査員が勝手に南側縁側の掃き出し窓を開けたかのような証言が出てきたことに加えて,関係証拠(証人I1,同S1,同U1,同H1〔第8回〕,実況見分調書〔甲1〕,統合捜査報告書〔甲96〕,捜査報告書〔弁6〕)によれば,被害者方の台所から玄関に通じる廊下や屋外の敷地に警察官の足跡が残っていたり(別紙図面1の⑦ないし⑭),6畳フローリングの窓枠に鑑識係のゴム手袋による払しょくこんが残っていた事実が認められることからすると,指掌紋やDNA型鑑定のための資料採取が行われるまでの現場保存が適切であったのか疑問がある。また,重要な証拠である三角ガラス片と四角ガラス片からの指掌紋の採取過程が写真撮影されていない上,これまた重要な証拠である本件網戸からの細胞片の採取過程についても,可能であったと思われる光学顕微鏡による写真撮影が行われていないし,事件の真相解明にとって重要と思われる,犯人の侵入口である6畳居間にあった足跡の土砂鑑定や,8畳和室南東側にある障子の破損原因等についても鑑定を実施した形跡がない。さらに,現場に残された足跡と被告人が過去に覆いていた靴との一致も,非常に重要な情況証拠の一つであると思われるが,被告人がいつごろどのような靴を使用していたのかということに関する捜査が十分にされているのかも不明であり,このような点からすると,本件において,真相解明のための必要な捜査が十分に行われたのかについて疑問が残り,少なくとも,検察官が主張するように「徹底的に現場を調べ上げた」と評価することはできないといわざるを得ない。
また,前述のとおり,本件のように直接証拠がなく,現場のこん跡等の情況証拠による犯人性の認定が問題となっている事件において,正しい事実認定を行うには,被告人に不利・有利な情況証拠を漏らさず確認しなければならず,そのためには,公益の代表者である検察官が,被告人と犯人とを結びつける方向に働く証拠のみを提出するのではなく,どの範囲で捜査が行われ,いかなる証拠が発見され,または発見されなかったのかを明らかにした上で,被告人の犯人性を否定する方向に働く証拠であっても自ら提出するのが相当であると考えられるところ,裁判所の求めに応じて指掌紋やDNA型鑑定資料の採取状況の全体を見渡すことのできる証拠(甲96,職1)が提出された経緯があるほか,最も重要な証拠物の一つである三角ガラス片について,指掌紋の付着状況という非常に重要な事項に関する証拠である,本件薬指指紋が付着していた場所とは別の場所から指掌紋を採取した粘着シートが弁護人に開示されていなかった経緯もある(証人R1〔第6回〕392項以下参照)。さらに,後述するとおり,本件スコップの柄の部分からA1と同型のDNA型を示す組織片のようなものが発見されたという非常に重要な情況証拠(弁25)が弁護側から提出されている経緯もある。そうすると,他にも被告人に有利に働き得る証拠があるのではないかと疑わざるを得ず,「被告人以外の不審な第三者のこん跡がなかった」という検察官の主張自体が採用できないというほかない。
オ 小括
したがって,これら検察官が,被告人が犯人であることを支え,あるいはこれと整合すると主張する事情も,何ら被告人と犯人とを結びつけるような事情にはなり得ない。
・※ 消極的事情(被告人の犯人性を否定する方向に働く事情)についての検討
ア 本件スコップから被告人のこん跡が検出されなかったことについて
関係証拠(捜査報告書〔職1〕,現場指紋等採取報告書〔職2〕,統合捜査報告書〔甲96〕,鑑定結果報告書〔弁25〕)によれば,被害者夫婦を殺害するのに使用された凶器である本件スコップから,被告人の指掌紋や被告人と同型のDNAは発見されていない。
検察官は,この点について,①本件スコップはさび付いているなど指掌紋が付着し難い状態にある上,柄や取っ手を強く握って被害者夫婦を殴打したりすれば,衝撃によって握った手が前後して指掌紋を構成する隆線が押しつぶされるなど指掌紋が残り難い状況にもあり,他人の指掌紋が一切発見されていないことにも照らすと,被告人の指掌紋が付着していなくても何ら不思議ではない,②本件スコップの柄や取っ手は丸みを帯びているから,触った際に必ず細胞片等が付着するとは限らず,被告人と同型のDNAが発見されなくても何ら不思議ではないと主張する。
そして,①確かに,関係証拠によれば,本件スコップからは,被告人以外の人物の対照可能な指掌紋は検出されていないので,指掌紋に関する検察官の主張には一理ある。しかし,②関係証拠(証人G1,同X1,鑑定書〔甲59〕,実況見分調書〔甲71〕,捜査報告書〔職8〕)によれば,本件スコップから採取された土砂は,被害者方南側の畑の特定の場所(職8添付の「現場付近の見取図」D地点付近)の土砂に由来する可能性が高く,その付近の畑には,土に何かが刺さっていたようなこん跡が認められ(甲71添付の「現場見取図」J地点),A1は畑仕事に便利なように畑のあちこちにスコップを刺していたというのであるから,本件スコップは,A1が普段から畑で使っていたものである可能性が高い。そして,現にその柄や取っ手の部分にすき間なく粘着シートを貼り付けたところ(証人R1〔第6回〕166ないし172項),組織片のようなものが付着し,血こんが付着していたとは認められないにもかかわらず,3か所(別紙図面3の1,6,7の位置)からA1と同じDNA型が検出されている(弁25)。したがって,本件スコップの柄や取っ手の形状を根拠とする検察官の説明には到底納得できない。むしろ,関係証拠(証人J1,実況見分調書〔甲1〕,鑑定書〔甲51,52〕等)によれば,A1は82か所も,B1は63か所も負傷し,8畳和室の天井や押入れの壁には本件スコップによって被害者夫婦の血液が飛散し,ふすまや障子が破損している状況からすると,犯人は少なくとも100回以上も本件スコップを振り回し,かつ,激しく振り回してもいることになるから,仮に被告人が素手で本件スコップでこのような攻撃をしたとすれば,手にまめができ,つぶれたりするなど手の表面の組織が若干でも傷付けられることが容易に想像できる。したがって,手袋でもしない限り,DNA型を鑑定可能な程度の量の組織片等が付着しなかったとはおよそ考えられないが,本件スコップの柄や取っ手に繊維片が付着していたとの証拠はない(証人N1も,本件スコップを観察したが,繊維こんには気付かなかったと証言している。第3回64ないし67項)。もちろん被告人がゴム手袋等を着用していたなら,繊維片等何らのこん跡が残らなかったことも説明できるが,他の場所に指掌紋を残しながら,スコップを握るときだけゴム手袋等を着用したとも考え難い。また,本件スコップによる攻撃態様の激しさに照らし,仮に素手であれば,被告人の手にも10日程度は何らかのこん跡が残ってもおかしくないと思われるが,逮捕時のてのひらの写真等,被告人の手に本件スコップを振り回したこん跡が残っていたことを示す証拠もない。加えて,当時70歳という被告人が,体力的に,重さ約1.6キログラムの本件スコップを100回以上振り回し,これだけの攻撃をすることができたのかについても疑問が拭いきれない。
このように,最も重要な証拠の一つである被害者夫婦殺害の凶器となった本件スコップから,被告人のこん跡が全く検出されなかった事実は,被告人の犯人性を否定する方向に大きく働く事情であるとみるべきところ,その点についての検察官の説明は合理性を欠く上に,その他この点を合理的に説明することも困難である。
イ 本件犯行の目的について
被告人が被害者夫婦と面識があったことを示す証拠はなく,関係証拠(証人L1,実況見分調書〔甲1〕等)によれば,犯人は,侵入時に6畳居間の隣にある台所の明かりがつき,換気扇が回っていることを知りつつ本件スコップで本件窓のガラスを割るなど手荒な方法で侵入しているから,仮に被告人が犯人であるとすれば,犯行の目的が金品目的の強盗以外にあったとは考え難い。
しかし,前述のとおり,被害者夫婦の殺害態様は非常に激しく,かつ,執ようなものである上,攻撃が頭部や顔面に集中していることからすると,むしろ,えん恨目的の犯行であることを疑わせるものである。また,犯行の目的が金品強取にあったとすれば,被害者夫婦を殺害した後,特に支障がない限り,被害者方の家中を可能な限り物色するはずである。現に,関係証拠(証人H1〔第8回〕,実況見分調書〔甲1〕)によれば,6畳和室には,被害者夫婦の血液が付着した本件スコップによるものと思われる払しょくこん等が複数あり,本件窓付近の畳の上等にも血の付いた本件スコップで付けられたような血こんが複数残っており,犯人は,被害者夫婦を殺害した後にこれらの部屋を歩き回った様子がうかがえるのである。ところが,前述のとおり,犯人が引き出した形跡のある引き出し内には,容易に発見できた金品が残されていた。特に本件整理だんす2段目の引き出しは,引き出された跡があり,引き出し前面には被告人の左右の掌紋が付着し,引き出し内には被告人の左手掌紋が付着していた封筒があったにもかかわらず,その封筒のすぐ下にあった別の封筒の中には現金2万円が残っていたのである。このように,仮に被告人が犯人であれば,なぜ現場にこのような現金が残っているのか非常に疑問であり,この点を合理的に説明することも困難である。
この点,検察官は,論告において,被告人が被害者夫婦を殺害した後に何も取らずに慌てて逃げた可能性があると主張する。しかし,前述のとおり,犯人が被害者夫婦を殺害した後に6畳和室や6畳居間を歩き回っていることとそぐわないし,侵入時に開けた本件窓を閉めた上で逃走していることからすると,慌てて逃げたとは思われない。また,検察官は主張していないが,犯人が,当初は殺害するつもりがなかったのに,被害者夫婦から予想以上の抵抗に遭って逆上して殺害してしまい,動揺したために物色行為を中断し,犯行が発覚しないように本件窓を閉めるなどして逃走した可能性についても,念のため検討してみた。しかし,前述のとおり,犯人は,被害者方に起きている人がいることを認識した上で,スコップを使った手荒な手口で侵入しているから,侵入した時点で被害者らに暴行脅迫を加えて制圧するという強い強盗の犯意を抱いていたと考えるのが自然であり,被害者らから抵抗を受けることはある程度予想できたと考えられるので,犯人が予想以上の抵抗に遭って逆上したと断定することもできない。また,そもそも押し込み強盗であれば自ら物色行為を行う前に被害者夫婦を縛るなどして自由に動けない状態にするのが自然であり,そうではなく脅して強盗するのであれば,自ら金品を探すのではなく,被害者夫婦に金品を差し出すように脅すのが自然であると考えられることからしても,いずれにせよ,このような仮説には無理があるといわざるを得ない。さらに,物色中に被害者方に残っていた金品以外に金目の物を手に入れて満足して逃走した可能性も考えられないではないが,本件公訴事実に明記されていないことから明らかなとおり,証拠上,被害者方から何かが奪われたか否かは全く不明であって,被告人が,事件後に被害品らしきものを所持していた事実や,金回りが良くなったことなどを示す証拠も一切ない。
このような,そもそも本件犯行の目的が金品目的の強盗であったのか自体に疑問が残ることも,犯人性を否定する方向に働く事情である。
ウ 被告人から犯行と結びつくこん跡が発見されていないことについて
証人D1によれば,警察は,被告人が住んでいたD1方から洗濯機のごみまで持っていくほど徹底した捜索差押えを行ったというのであるが(第7回〔証人D1〕269ないし276項),前述のとおり,被告人が使用していた衣類,靴,眼鏡,自動車及びその内部には,血液反応がなく,8畳和室に飛び散り,犯人が踏んだと思われる蛍光管破片の付着も認められず,自動車のタイヤから採取した土砂と本件現場から採取した土砂が同種のものとは認められず,差し押えた被告人の所有物の中には,現場の足跡を付けたと思われるセーフティジョイという安全靴も含まれていなかった。
もとより,犯行から被告人を逮捕するまでに10日程度の期間があり,車,衣類や靴を洗ったり捨てたりするなど証拠を処分するには十分な期間があったとみることができる。しかし,被害者夫婦は2人とも大量に出血し,8畳和室には血が飛び散っていたことからすれば,犯人の衣服に被害者夫婦の返り血が全く付着しなかったとは考え難いところ,小さな血こんだけでなく,蛍光管破片,土砂等の微物に至るまで完璧に証拠をいん滅することは困難であると考えられるし,被告人が事件後にそのような証拠いん滅行為に及んでいたことを疑わせるような証拠もない。むしろ,被告人が犯人であるとすれば,本件スコップという重要な証拠物を無造作に現場に遺留し,DNAや指掌紋という重要なこん跡を残すなど犯行現場では証拠いん滅に無頓着な様子がうかがわれる一方で,自分の生活圏においては,完璧な証拠いん滅を行っていることになり,一貫性,合理性に欠け,全く不自然というほかない。
このように被告人の側から,被告人と犯行とを結び付けるこん跡が全く発見されなかったという事実も,犯人性を疑わせる消極的事情の一つとみるべきである。
エ 犯人の行動に一貫性がないと思われる点について
検察官が主張する犯人の行動や目的について検討した際にも,一部言及したが,本件においては,情況証拠から犯人像を確定するのが非常に困難である。すなわち,犯人は,生垣があるなど公道から奥まった位置にあり,周囲から見通せない土地に建った老夫婦2人だけが暮らす家を,子供らがひんぱんに訪れる間隙を突くように襲っている。侵入の手口についても,窓ガラスをスコップで割る際,スコップが奥まで入りすぎないようにするためか,ガラスの破片が手前に来ないようにするためか,ガラスが割れる音を小さくするためか,その目的は必ずしも定かでないが,網戸の位置を利用してガラスを割るなど工夫している形跡がうかがえる。また,被害者方の固定電話機から電話線を引きちぎり,電源アダプターを外したり,三角ガラス片と四角ガラス片をわざわざ壁に立て掛けたり,6畳居間の窓を閉め,屋外に不審な足跡等のこん跡を残さないように逃走するなどしており,これらの事情に照らすと,相当に計画的に行動しているようにも見える。しかし,その反面,強盗犯人が被害者を脅すのに効果的な凶器と思われる包丁が台所の目立つ場所にあったのに,これを凶器には使用せず,強盗や殺人の犯行にはあまり向かないスコップを,わざわざ被害者方の畑から持ち出してきて凶器に使用したり,被害者夫婦の血がべっとりと付いた本件スコップを台所に無造作に放置したまま逃走したり,本件整理だんす付近を乱暴にかき回しながら,目の前にある現金等を残すなど全く成り行き任せに行動しているように見える面もうかがえる。そして,仮に被告人が犯人であるとすれば,このようなちぐはぐな犯行を実行しつつ,指掌紋やDNA等の重要なこん跡を残し,容易に発見できる金品を残して立ち去った上に,徹底した証拠いん滅に及んでいることになり,行動の不自然さは一層際立ち,この点でも被告人を犯人と断定することには違和感がある。
オ 6畳居間の土足こんについて
関係証拠(証人H1,実況見分調書〔甲1〕,現場足こん跡の対照結果報告書〔弁6〕等)によれば,犯人の侵入口である6畳居間には,別紙図面1の①,②の位置にそれぞれ土足こんがあり,うち②は屋内方向を向いた左足の足跡であり,別紙図面1の③の位置にある台所の土足こんも屋内方向を向いた左足の足跡であると認められる。そうすると,仮に検察官が主張するように,これらの足跡が犯人が侵入時に付けたものであると仮定すると,本件窓のレールから①の土足こんまでの間隔と2つの土足こんの間隔に照らし,①の土足こんも犯人の左足の足跡であると認めるのが相当である。もっとも,これらの土足こんは,犯人が被害者方に侵入後,室内をうろつく間に,スコップから床に落ちた土砂を踏んだことによって残されたものである可能性もあり,前述のとおり,足跡の土砂鑑定という必要な捜査が行われていないことから,これらの土足こんが侵入時に付着したものかも含め,被害者方内での犯人の行動は全く解明されていない。ただ,この点をひとまず措いても,仮に犯人が侵入時にこれらの土足こんを残したとすると,被告人が身長158センチメートルと小柄である上(被告人の公判供述309項),6畳居間の床が犬走りから約56センチメートルの高さにあることからして,①の土足こんまで左足を付けずに歩くのは困難であるし,本件窓のレールに左足を掛けて屋内に右足を一歩踏み出したとしても,①の土足こんまで左足を付けずにあるくのは無理ではないかと思われ,やはり不自然であることは否めない。
・※ 被告人の公判供述について
ところで,被告人は,「被害者方に行ったことは一度もない」と述べているが,被害者方から指掌紋とDNAが発見され,これらは偽装工作により付着したものではないのであるから,この点に関する被告人の供述が嘘であることは明らかである。また,被告人は,平成21年6月15日朝から17日夜までの3日間入浴も着替えもしていないと述べたり,古い靴を捨てた時期について捜査段階と供述内容を変えるなど,供述内容に不自然な点がある上,逮捕前に携帯電話の発着信履歴等のデータをすべて消去するという不可解な行動に出ている。しかし,嘘をついた理由が,本件犯行と関係するのかどうかすら解明できていない以上,嘘をついている一事をもって,直ちに被告人を犯人であると認めることはできない。
3 まとめ
以上の検討によれば,情況証拠によって認定できる間接事実のうち,被告人と犯人とを結び付ける方向に働くものとしては,被告人が,①過去に本件網戸に触ったことがあること,②過去に本件窓ガラスの外側に触ったことがあること,③過去に被害者方に立ち入り,本件整理だんすやパンフレット類に触ったことがあること,④被害者方に行ったことがない旨事実に反する供述をしていることにとどまるところ,①ないし③の事実は,いずれも単独ではもとより,それらを総合しても被告人が犯人であるとの推認には遠く及ばない。むしろ,本件の情況証拠の中には,被告人の犯人性を否定する事情が多々認められることは前述のとおりである。そして,このように客観的な事実関係によって犯人性が強く疑われない以上,たとえ被告人が重要な事実について事実に反する虚偽の供述をしているとしても,虚偽の供述をする理由についてはいろいろ考えられるから,そのことをもって犯人性が強く推認されるとは到底いえない。結局,本件においては,情況証拠によって認められる間接事実の中に,被告人が犯人でなければ合理的に説明することができない(あるいは,少なくとも説明が極めて困難である)事実関係が含まれていないというほかない(なお,被告人には,被害者方への住居侵入,窃盗未遂罪が成立する可能性があるが,当該犯行が公訴事実の日時に行われたものであると認めるに足りる根拠がない以上,本件訴因によって,この点についてのみ被告人を有罪とすることもできない。)。
第4結論
以上のとおり,様々な点を検討したが,本件程度の情況証拠をもって被告人を犯人と認定することは,刑事裁判の鉄則である「疑わしきは被告人の利益に」という原則に照らして許されないというべきであって,結局,犯罪の証明がないことに帰するから,刑事訴訟法336条により,無罪の言渡しをする。
(求刑 死刑)
(裁判長裁判官 平島正道 裁判官 加藤陽 裁判官 松川春佳)
<編注:『※』部分は原文のとおり。>
(別紙図面1(被害者方の間取り図)は添付省略)
file_5.jpg別紙1
file_6.jpg別紙2
file_7.jpg別紙3