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鹿児島地方裁判所 平成7年(た)1号 決定 2002年3月26日

《目次》

第1 本件再審請求の概要/261

1 概要/261

2 事件発生から再審請求に至るまでの経緯の概要/261

第2 確定判決の存在及びその証拠構造/263

1 確定判決の内容/263

(1) 犯行に至る経緯/263

(2) 犯罪事実/264

2 確定判決の具体的な事実認定と対応する証拠関係(証拠構造)/264

(1) E男の死因が他殺によること,人為的に死体が遺棄されたこと(事件性)/264

(2) 花子,A男,B男及びC男と本件各犯行との結びつき/264

(3) 殺人の共謀(花子・B男間,花子・A男間)/266

(4) 殺人の実行行為/267

(5) 死体遺棄の共謀(花子・A男・B男間,B男・C男間)/268

(6) 死体遺棄の実行行為/269

3 原1審及び原2審での争点とこれに対する判断について/269

(1) 争点/269

(2) 争点に対する判断/270

(3) まとめ/270

第3 当事者の主張/270

1 再審請求の理由/270

(1) 概要/270

(2) 確定判決の証拠構造の脆弱性/270

(3) 再審理由の存在/271

2 再審請求に対する検察官の意見/273

第4 当裁判所の判断/273

1 証拠の新規性,明白性について/273

(1) 新証拠について/273

(2) 証拠の新規性について/273

(3) 証拠の明白性について/273

2 城鑑定及び新鑑定について/273

(1) 城鑑定の証拠構造上の位置づけ/273

(2) 城鑑定に関し,原審及び当請求審において証拠調べがされた経過及び証拠の概要/274

(3) 頚椎前面の組織間出血について/275

(4) 頚部への外力作用について/277

(5) まとめ/280

3 搬送時のE男の状況等について/281

(1) 概論/281

(2) E男の10月11日から12日の行動について/281

(3) E男が側溝への転落によって瀕死の重傷を負っていた可能性について/282

(4) 丁野と戊谷がE男の死因に関与した可能性について/283

(5) まとめ/283

4 客観的証拠の評価について/283

(1) ビニールカーペットについて/283

(2) 奥6畳間の布団について/285

(3) タオルについて/285

(4) フォークとスコップについて/285

(5) 懐中電灯1個について/287

(6) まとめ/287

5 情況証拠について/287

(1) 殺人の動機(花子,A男及びB男)/287

(2) 花子,A男及びB男の本件事件前の行動について(10月12日)/289

(3) 本件殺人直後の花子,A男及びB男の行動について/290

(4) 本件事件の翌日以降の行動について(10月13日ないし15日)/291

(5)まとめ/292

6 D子供述の信用性/293

(1) D子供述の証拠構造上の位置づけ/293

(2) D子の原1審から当請求審までの供述経過/293

(3) D子の新供述の評価について/297

(4) D子供述の変遷とその信用性について/298

(5) 原審のD子供述の供述内容の合理性について/299

(6) まとめ/300

7 共犯者供述の信用性について/300

(1) 共犯者の供述経過と信用性について/300

ア A男の供述経過と信用性について/300

イ B男の供述経過と信用性について/304

ウ C男の供述経過と信用性について/309

(2) 共犯者の供述内容の合理性について/312

(3) まとめ/318

第5 結語/318

主文

本件について再審を開始する。

理由

第1  本件再審請求の概要

1  本件は,請求人乙川花子(当時甲山花子,以下,「花子」という。)が,昭和55年3月31日,鹿児島地方裁判所で殺人,死体遺棄被告事件(当庁昭和54年(わ)第420号事件)で懲役10年に処せられた確定判決(昭和56年2月17日確定)について再審請求をした事件である。同確定判決が認定した犯罪事実の概要は,昭和54年10月12日午後11時ころ,4男6女の10人兄弟の長男甲山A男(当時52歳),二男甲山B男(当時50歳)及びA男の妻花子(当時52歳)の3人が共謀の上,被害者である四男甲山E男(当時42歳)を同人方においてタオルで絞殺し,翌13日午前4時ころ,B男の長男甲山C男(当時25歳)を含めた4人で共謀の上,その死体をE男方別棟牛小屋堆肥置場の堆肥内に埋没し,死体を遺棄したというものである。

2  事件発生から再審請求に至るまでの経緯の概要

確定記録及び当請求審で取り調べた関係各証拠によれば,以下の事実が認められる。

(1)  E男は,昭和40年11月に甲山F子と婚姻し,1男1女をもうけたが,酒癖が悪かったことから,昭和54年5月30日に協議離婚し,以降,鹿児島県曽於郡大崎町井俣<番地略>所在の自宅で独居していた。

(2)  E男方の付近一帯は,田畑と低い山林が広がる中に小さな集落が点在する農村であり,多くの農家は自宅敷地内の牛小屋で数頭の牛を飼育していた。E男方は,町道から幅員2.2メートルの小道を西方に約100メートル入った,9軒ほどの民家から成る集落の最も奥に位置しており,その西側及び北側は山林で,その東側は同一敷地内に植木垣根を境にしてA男方と接し,その南側は高さ約2メートルの高台上のB男方と接していた。A男方にはA男と花子が2人で居住し,B男方にはB男,その妻甲山D子及び長男C男が3人で居住していた。

(3)  E男は,離婚後,ますます飲酒量が増え,焼酎を飲んで仕事にも行かなくなり,自宅の庭で意味の分からないことをわめいているのが目立ち始めたことなどから,近隣者からはアルコール中毒になったなどと噂されていた。E男は,焼酎を飲んでは酔って道路などで寝込んでしまい,F子や親戚の者が迎えに行くことがしばしばあったが,離婚後は一層ひどくなり,花子や親戚の者が,警察などから連絡を受けてE男を連れに行ったり,近隣者が自宅までE男を連れ帰ることもあった。

E男は,隣家の兄嫁の花子から酒癖が悪いことをよく注意されるため,これを疎ましく感じて反感を持ち,花子とよく口論になっていたが,離婚後は,F子と離婚させられたのは花子の責任で,F子と復縁できないのも花子が邪魔をしているからだなどと思い込み,余計に花子に対して強く反感を持つようになった。E男は,「花子をうっ殺す。」などと言って,A男方に石を投げてガラスを割ったり,同年8月中旬ころには,花子が風呂に入ろうとしているところに,「わいや,おいが悪口を言うどが,うっ殺すど。」などと言って怒鳴り込んできて,花子が裸のまま逃げ出したりしたこともあった。

(4)  一方,E男は,離婚後もF子との逢瀬を続け,同年7月26日には親族らに秘したまま復籍していたが,傍目を恐れたF子がE男方に戻らなかったために別居状態が続けられていた。E男は,同年10月上旬ころから,F子と2人で,職業安定所を訪れるなどして出稼ぎ先を探していたが,F子は子供達をおいて遠くに行くことをためらっていたため,E男は,同月14日の子供らの小学校の運動会が終わったら自分だけでも出稼ぎに行くなどと話しており,甥のC男に一緒に出稼ぎに行こうと声を掛けたり,同月11日夜には,知人に対し,出稼ぎに行くために牛を売却したいと申し入れるなどしていた。

(5)  同月12日,A男,B男及びE男の甥にあたる庚町M男の結婚式が行われ,A男,花子,B男をはじめA男の兄弟姉妹とその配偶者は皆これに招待されていたが,E男は,同日朝から酒を飲んで酔っていたため,A男らはE男を連れて行かなかった。A男とB男は,披露宴で相当酒を飲み,同日午後7時30分ころにはそれぞれ帰宅し,A男は,自宅でテレビを見ながらうたた寝をし,B男も,C男とけんかをした後,自宅で寝ていた。一方,E男の近隣に住む丁野H男は,同日午後8時20分ころ,E男が長田溝に落ちて道路に上げて寝かせてあるという連絡を受けたため,同じく近隣に住む戊谷I男と共にE男を迎えに行き,午後9時過ぎころ,下半身裸で道路に寝ていたE男を車に乗せて連れ帰り,E男方土間に置いて帰った。花子は,丁野から連絡を受けて同人方に行き,午後9時30分ころ,帰宅した丁野と戊谷からE男の様子を聞き,午後10時30分ころ,戊谷と共に丁野方を辞した。花子は,帰宅途中,E男方に立ち寄って,玄関から中に入ったが,すぐに出てきて,戊谷に対し,「も,寝ちょっど。」と言い,戊谷と花子はそのままそれぞれ帰宅した。

(6)  同月14日朝から,花子夫婦やE男の兄弟らが,前日からその姿が見えないとしてE男を探し始め,翌15日朝からは,警察官も加わってE男方等を捜索していたところ,同日午後1時55分ころ,E男の死体が,同人方敷地内の牛小屋の堆肥置場から発見された。E男は,上半身に緑色腹巻き,半袖肌着シャツのみを身に着け,下半身は裸のままで,頭部を南側に,足を北側に向け,顔を西側(右側)に向けたうつぶせの格好で,左手は体側に沿ってくの字に曲げ,右手は体側に沿ってまっすぐに伸ばした状態で,堆肥内に埋められていた。その顔面は床面から20センチメートル,腹部は床面から10センチメートルの位置にあり,頭部から臀部には約40センチメートル,足の部分には約20センチメートルの高さに堆肥がかぶせられており,死体を掘り起こした跡には,いんのう,胸,腹各部の跡に暗赤褐色の腐敗汁が残存していた。死体は全身が膨満し,暗緑色を呈しており,死硬は認められず,腐敗が著しいために全身の皮膚は容易に表皮剥脱し,その顔ぼうも判然としないような状態であった。

(7)  鹿児島大学医学部法医学教室教授城哲男は,本件死体の解剖につき鑑定嘱託を受け,同日午後10時10分から午後11時20分までの間,同大学付属病院において本件死体の解剖を行った。城鑑定人は,解剖終了後,捜査官に対し,死体の腐乱が高度のため顕著ではないが,死因は扼殺による窒息死と推定するなどと説明した。しかし,城鑑定人は,その後,同月22日付け鑑定書を作成し,死因は,頚項部に作用した外力によって窒息死したものと想像しないわけにはいかないが,凶器の種類や成傷方法は判然としないなどとして,その所見を一部変更した。

(8)  A男とB男は,同日以来,警察による任意の取調べを受けていたところ,同月17日,両名とも,殺人につき2人犯行の自白をし,A男は,死体遺棄につきC男の関与も認めた。一方,捜査官らは,花子が,本件事件の約3か月前の昭和54年7月ころ,E男に秘して,被保険者をE男,保険金受取人を花子,契約者をA男とする生命保険契約を締結していたことに着目し,本件は,保険金目的の殺人で,花子も含めた3人犯行であるという疑いを持って捜査を進めていた。同年10月18日,A男とB男は,殺人及び死体遺棄事件で通常逮捕され,同月27日,C男が死体遺棄事件で通常逮捕された。同月29日,A男は,殺人及び死体遺棄について花子の関与を認め,殺人につき3人犯行の自白をし,同日,C男も死体遺棄の犯行を自白した。B男も,やがて花子とC男の関与を認めた。花子は,同月30日,殺人及び死体遺棄事件で通常逮捕されたが,一貫して本件各事実を全面否認し,10月12日の晩は寝ていて家から外には出ていないなどと供述した。

(9)  同年11月7日,A男,B男が殺人,死体遺棄事件で,C男が死体遺棄事件でそれぞれ起訴され(当庁昭和54年(わ)第404号事件),同月20日,花子は,殺人,死体遺棄事件で起訴された(当庁昭和54年(わ)第420号事件)。

検察官は,本件殺人の動機として,花子らが日頃から酒癖が悪いE男の存在を快く思っていなかったことに加え,E男の死亡保険金を取得する目的があったと主張したが,花子は,公判廷においても,一貫して本件各事実を全面否認した。他方,A男,B男及びC男は,同人らの事件が共同審理された公判廷においても,花子の事件の公判期日に証人として出廷した際にも,それぞれ捜査段階の自白をおおむね維持した。

(10)  鹿児島地方裁判所は,昭和55年3月31日,前記第1,1記載のとおり,花子を懲役10年に処する有罪判決をしたが,殺人の動機については,保険金取得目的を否定し,花子らが日頃から酒癖が悪いE男の存在を快く思っていなかったことによるものと認定した。同日,同様の認定により,A男は殺人及び死体遺棄罪で懲役8年,B男は同罪で懲役7年,C男は死体遺棄罪で懲役1年にそれぞれ処せられた。同人らは,いずれも控訴しないまま,同年4月15日,それぞれの刑が確定し,直ちに服役した。

(11)  花子は,控訴したが,昭和55年10月14日,福岡高等裁判所宮崎支部は控訴棄却の判決をした(同庁昭和55年(う)第42号事件)。花子は,更に上告したが,最高裁判所は,昭和56年1月30日,上告棄却の決定をし(昭和55年(あ)第1732号事件),異議申し立てに対しても,昭和56年2月17日,異議申立棄却決定をし(昭和56年(す)第24号事件),これにより第1審判決が確定した(以下,第1審を「原1審」とし,控訴審を「原2審」とし,これらを併せて「原審」という。)。

(12)  花子は,直ちに服役したが,同月27日,宮崎刑務所に面会に来た弁護士亀田徳一郎に対して再審請求をしたいという意向を伝え,服役中にも家族や弁護士に対して無実を訴える数十通に及ぶ手紙を出し続けた。花子は,服役中も一貫して本件各事実を認めず,平成2年7月17日,刑期満了により出所した。花子は,夫A男が本件各事実について自らの関与を否定しながらも再審請求の勧めに応じようとしないことなどから不信感を募らせ,同月25日,A男と協議離婚した。花子は,その後,弁護人らとともに再審請求の準備を本格的に進め,平成7年4月19日,鹿児島地方裁判所に対し,前記確定判決について本件再審請求をした。

(13)  A男は,大分刑務所で受刑中に,面会に来た長女己田J子に対し,花子もA男自身も本件各事件には関与していないと言い,昭和55年9月16日,花子の事件について原2審第2回公判に証人として出廷した際にも,花子の本件各事件への関与を否定するとともに,A男自身についての関与も否定する供述をした。A男は,昭和62年12月11日に刑期満了により出所し,E男方の隣りの自宅に戻って1人で暮らしていたが,最後まで本件各事件への関与を否定しながらも,事件について多くを語ろうとせず,再審請求をしたいという意向は示していなかった。A男は,平成5年10月2日に66歳で病死した。

(14)  B男は,受刑中から面会に来たD子らに対して本件各犯行への関与を否定するようになった。B男は,昭和60年1月17日に仮出獄し,同月22日,D子と共に弁護士亀田徳一郎の事務所を訪れ,同弁護士に対し,再審請求をしたいという意向を示した。B男とD子は,同日,同弁護士に対して本件各事件について供述し,その録音テープの反訳書が作成された。同人らは,花子と丁野夫婦が本件の真犯人ではないかなどと疑っていた。B男は,その後,再審請求をしないまま,昭和62年4月25日に58歳で死亡した。

(15)  C男は,大分刑務所及び小倉刑務所で服役したが,受刑中から面会に来たD子に対して本件犯行への関与を否定するようになった。C男は,昭和55年11月12日に仮出獄したが,次第に周囲に対して敵意を抱き自閉的となり,家具を壊したり,D子に暴力をふるったり,自殺を図るなどしたことにより,昭和57年3月2日に措置入院となり,以降,精神病院に入退院を繰り返していた。C男は,入院中の昭和60年1月27日,面会に来た弁護士亀田徳一郎に対し,再審請求をしたいという意向を示し,本件事件について供述し,その録音テープの反訳書が作成された。C男は,その後も平成6年1月ころから再び精神病院に入退院を繰り返していたが,A男と花子が本件の真犯人であると疑い,花子らによって罪に陥れられたなどと考えていた。C男は,平成9年9月19日,鹿児島地方裁判所に対し,前記確定判決について再審請求をしたが(当庁平成9年(た)第1号事件),平成13年5月27日に47歳で自殺したことにより,同事件は終了した。その後,D子は,同年8月24日,C男が前記再審請求事件で主張した事実及び提出した各証拠を全て援用し,実質的にはC男の再審請求を受け継ぐ形で同確定判決について再審の請求をした(当庁平成13年(た)第1号事件)。

第2  確定判決の存在及びその証拠構造

1  確定判決の内容

確定判決が認定した事実は以下のとおりである。

(1)  犯行に至る経緯

花子は,昭和25年3月,夫A男と婚姻し,住所地において,A男と共に農業に従事していたものであり,A男は,女6人,男4人の10人兄弟の長男にあたり,同人方に屋敷を接して,二男B男,四男E男がそれぞれ居住し,同様に農業に従事していた。ところで,E男は日頃から酒癖が悪く,酔っては妻のF子に暴力を振るうため,F子は,子供を連れて実家に帰ることも何度かあったところ,昭和54年5月,花子夫婦ら親族を交えて協議した結果,ついにE男と協議離婚し,子供を引き取って実家に帰ってしまった。E男は,離婚後,酒癖が一層悪くなり,飲んだ先々で迷惑を掛けたり,酔いつぶれて道路に寝たりする有様で,親族らに迎えに来てもらい,連れて帰ってもらうことも何度かあった。他方で,E男は,離婚後も,人目を忍んでF子との逢瀬を続け,同年7月ころには何とか復籍にまでこぎ着けたが,傍目を恐れたF子はE男方には戻らず,別居の状態が続けられていた。花子は,勝ち気な性格の上,口数も多く,人の悪口も平気で言いふらし,A男が以前に交通事故にあって仕事も十分出来ない上,知能もやや劣ることから,長男の嫁として甲山家一族に関する事柄を取り仕切っていたところ,E男は,花子によってF子と離婚させられ,一緒になることを妨害されていると感じて花子に反感を抱き,酒に酔っては花子を「打殺す」などと言って暴れ,花子方に押し掛けて入浴中の花子を外まで追い回したりしたこともあった。このようなことから,花子夫婦やB男は,日頃からE男の存在を快く思っていなかった。

同年10月12日,A男らの姉の子の結婚式が行われ,E男も出席する予定であったが,A男ら兄弟は,E男が当日朝から酒浸りで酔って荒れていたとして同人を連れて行かず,花子夫婦をはじめその他のA男の兄弟は,皆挙式に出席し,午後7時すぎには,それぞれ帰宅した。E男は,同日,酒を飲んで外を出歩き,午後8時ころ,酔いつぶれて溝に落ちているのを部落の者に発見され,E男の近隣に住む丁野H男,戊谷I男の両名が,E男を同人方まで届けたが,同人が前後不覚の状態であった上,着衣が濡れて下半身裸になっていたため,同人を土間に置いたままで帰った。花子は,丁野から,E男が泥酔して道ばたに倒れているので迎えに行く旨連絡を受け,同日午後9時ころ,丁野方に行ってE男の様子を聞き,丁野らに迷惑を掛けたことを謝ったりした。花子は,午後10時30分ころ,戊谷と帰宅する途中,E男の様子を見るため,1人でE男方に立ち寄ったが,泥酔して土間に座り込んでいるE男を認めるや同人に対する恨みが募り,この機会に同人を殺害しようと決意し,義弟B男,ついで夫A男に共同してE男を殺害しようと話を持ちかけ,両名はいずれもこれを承諾した。

(2)  犯罪事実

ア 花子は,夫A男,義弟B男と共謀の上,E男(当時42歳)を殺害しようと企て,昭和54年10月12日午後11時ころ,鹿児島県曽於郡大崎町井俣<番地略>所在の同人方において,土間に座り込んで,泥酔のために前後不覚となっている同人に対し,A男及びB男において,こもごもその顔面を数回ずつ殴打し,花子を加えた3名で,その場に倒れたE男を足蹴にするなどした上,中6畳間まで同人を運び込み,同所において,花子が,「これで締めんや。」と言って,あらかじめ用意していた西洋タオルをA男に渡し,仰向きに寝かせたE男の両足を両手で押さえつけ,B男が,E男の上に馬乗りになってその両手を押さえつけ,A男が,西洋タオルをE男の頚部に1回巻いて交差させた上,花子から「もっと力を入れないかんぞ。」と言われて,両手でその両端を力一杯引いて締めつけ,よって,E男を窒息させて死亡させた。

イ その後,B男は,いったん帰宅して同人の長男であるC男にE男の死体を遣棄するため加勢を求めたところ,C男はこれを承諾し,ここに花子は,A男,B男及びC男の3名と共謀の上,同月13日午前4時ころ,前記E男方敷地内の牛小屋の堆肥置場において,花子が,持参した懐中電灯(昭和55年押第3号の8)で照らした上,「まだ浅いもっと掘らんか。」と指示をし,他の3名が,それぞれスコップ(同号の3,4)又はフォーク(同号の1)を用いて堆肥内に深さ約50センチメートルの穴を掘り,その中に死体を埋没し,もって,死体を遺棄した。

2  確定判決の具体的な事実認定と対応する証拠関係(証拠構造)

確定判決の具体的な事実認定と対応する証拠関係,心証形成過程については,事実認定の補足説明がされていないためにその詳細は明らかではないが,確定判決の判決書,原2審判決書などからは,以下のとおり推認することができる。

(1)  E男の死因が他殺によること,人為的に死体が遺棄されたこと(事件性)

ア 確定判決の認定

(タオルで首を締めて)E男を窒息させて死亡させた上,堆肥内に深さ約50センチメートルの穴を掘り,その中に死体を埋没し,もって,死体を遺棄した。

イ 証拠

被害者の死体は,深さ数十センチメートルの堆肥内に埋められた状態で発見されたこと(後記(ア)),死体解剖の結果,その両肺の気管支枝内腔には堆肥の粉末等汚物の侵入が認められないこと(後記(イ))から,被害者は,死亡後に,何者かによって堆肥内に埋められたものと認められた(死体遺棄)。そして,このような死体の発見状況に加え,鑑定結果によれば,頚項部に作用した外力によって窒息死したものと想像する,他殺ではないかと想像するとされたことなどから(後記(イ)),E男の死因は他殺によるものと推認された(殺人)。

(ア) 死体の発見状況(実況見分調書(検12),壬原a子10/31検面(検50))

E男の死体は,同人方敷地内牛小屋の堆肥置場において,頭部から臀部には約40センチメートル,足の部分には約20センチメートルの高さに堆肥がかぶせられた状態で発見された。

(イ) 被害者の死因(鹿児島大学医学部教授城哲男作成の鑑定書(検1))

本死体の腐敗が著しいために,損傷の有無,程度等が判然としないが,頚部,右側胸腹部等に外力の作用した痕跡が存する。内部においても,頚部,右胸郭等に外力の作用した痕跡を認める。凶器の種類,成傷方法は判然としない。しかし,死因において,他に著しい所見を認めないので,窒息死を推定するほかない。仮に窒息死したものとすれば,頚部内部の組織間出血は,頚部に外力の作用したことを推測させる。しかも両肺の気管支内腔に堆肥の粉末等が侵入したようには見受けられなかったから,頚項部に作用した外力によって窒息死に至ったものと想像しないわけにはいかない。他殺ではないかと想像する。

(2)  花子,A男,B男及びC男と本件各犯行との結びつき

直接証拠として共犯者であるA男,B男及びC男の自白が存在する。そして,花子とB男の殺人共謀(後記(3))及びその他の状況を立証する証拠としてD子供述が存在し(後記イ①ないし③),これに沿う内容のC男供述が存在する(後記ウ)。その他の情況証拠としては,動機に関し,花子らが日ごろからE男の存在を快く思っていなかったこと(後記エ),本件事件直前の状況に関し,A男とB男だけで本件各犯行を犯したとは考えられない状況にあったにもかかわらず,同人らが本件各犯行を自白していることからすれば,花子の関与が最も疑われたこと,花子が土間で前後不覚の状態にあるE男を現認し,E男に対する殺意を生じたと推認されたこと(後記オ),現場の位置関係に関し,E男方が町道から奥まっており,実兄のA男方とB男方がその隣にあること(後記キ),などという事情が考えられた。

ア A男,B男及びC男の自白(後記(3)ないし(6))

イ D子供述(原1審第6回公判供述)

①花子は,10月12日夜にB男方に立ち寄り,B男とE男殺害を共謀した(後記(3)),②B男は,12日夜から翌日未明にかけて1時間以上外出しており,帰ってきて,「E男を殺してきた。」と言って本件犯行を打ち明けた(後記カ),③C男は,13日未明に,「加勢してきた。」と言って本件犯行への関与を打ち明けた。

ウ C男供述(原1審第3回公判供述)

①花子は,10月12日夜にB男方に立ち寄った,②B男は,12日深夜に帰ってきて,「E男を殺してきた。」と言って本件犯行を打ち明けた(後記カ)。

エ 殺人の動機(花子,A男及びB男)

(ア) 確定判決の認定

E男は,日頃から酒癖が悪く,酔いつぶれて道路に寝ているのを親族らに迎えに来てもらうことも何度かあった上,花子に反感を抱き,酒に酔っては花子を「打ち殺す。」などと言って暴れたりすることなどから,花子夫婦は,日頃からE男の存在を快く思っていなかった。

(イ) 証拠

後記aないしeの証拠から,花子やA男はE男の存在を快く思っていなかったものと推認された。

a 花子の供述(花子10/18員面(検136))

E男は,酔っては一晩中庭で大声を出して騒ぎ,一月に20日くらいは眠れないこともあった。「わいげん花子をうっ殺すぞ。」と言って家に石を投げてガラスを割ったり,今年の8月ころには風呂に入ろうとしている時に「わいや,おいが悪口を言うどが,うっ殺すぞ。」と怒鳴り込んできたので,裸のまま逃げ出したこともあり,A男は,怒って「あんわろは,うっ殺さないかん。」と言っていたが,体力的にはE男にはとてもかなわず,どうすることもできなかった。A男は,E男が暴れるたびに「罪にならんもんなら,いつでんうっ殺すったっどん。」などと言っていた。姉妹達も,もしA男とB男がやったのであれば,E男があれだけ暴れるから仕方なくやったのだなどと話していた。

b A男の自白(A男11/2検面(検107))

E男は,酔って大声を出したり,道路で寝込んで連れ帰ってもらうなどして兄弟や親戚に迷惑を掛けていた。E男は,酔ってもA男やB男には手は出さなかったが,花子を憎み,「花子を打ち殺す。」と言って怒鳴り込んできたこともあった。E男が頭に来ることを言った時に,1度だけE男を打殺そうと思ったことがあったが,離婚後はE男を打ち殺そうと思ったことはない。

c B男の自白(B男11/2検面(検112))

E男は,酔って夜中に大声を出したり,ステレオの大きな音を出したりして,近所迷惑だった。E男は,酔ってもB男に暴力を振るったことはないが,A男や花子とはよくけんかをしていた。

d D子の公判供述

e F子11/4検面(検95)及び甲山K子11/3検面(検66)

オ 本件事件直前の花子,A男及びB男の行動

(ア)a 確定判決の認定

花子は,午後10時30分ころ,戊谷と帰宅する途中,E男の様子を見るため,1人でE男方に立ち寄ったが,泥酔して土間に座り込んでいるE男を認めるや同人に対する恨みが募り,この機会に同人を殺害しようと決意した。

b 原2審判決の認定

本件犯行の夜,泥酔して前後不覚の状態にあったE男が丁野H男,戊谷I男の好意によりE男方に搬送されたことを当初に知ったのは,本件共犯者のうち花子である。花子は,自らE男方に出向いてその土間で泥酔し前後不覚,無抵抗の状況にあるE男を現認し,原判示のような経緯で同人の存在を快く思っていなかったことから殺意を抱くに至った。

(イ) 証拠

a 花子の犯行直前の行動

①12日午後9時過ぎころ,丁野と戊谷は,泥酔して前後不覚の状態のE男を同人方に連れ帰り,同所土間に置いて帰ったこと(丁野H男10/29検面(検82),戊谷I男10/29検面(検75)),②花子は,午後9時30分ころから午後10時30分ころまで,丁野宅を訪れ,泥酔して前後不覚の状態のE男が同人方まで連れ帰られ,土間に置かれたということを知ったこと,③花子は,午後10時30分ころ,丁野宅から帰宅途中にE男方に立ち寄り,同所玄関から入って中をのぞいたこと(戊谷I男10/29検面(検75))が認められる。以上の事実から,E男は午後9時から午後10時30分ころまでの間,土間に座り込んだ状態のままであったと推認され,そうすると,花子は,E男方をのぞいた際,同人が前後不覚の状態で土間に座り込んでいるのを現認したと推認された。そして,花子がこのようなE男の状況を現認したとすれば,日頃からE男の存在を快く思っていなかったことから,殺意を生じ得たと推認された。

b A男とB男の犯行直前の行動

A男とB男は,10月12日夜,結婚式から帰宅して酒に酔ってそれぞれの自宅で寝ており,いずれもE男が泥酔して前後不覚の状態で同人方に搬送されたことについては認識していなかったと認められる(A男の公判供述及び11/2検面(検107),B男の公判供述及び11/7検面(検113))。このように,同人らだけで本件各犯行を犯したとは考えられない状況にあったにもかかわらず,同人らが本件各犯行を自白していることからすれば,花子の関与が最も疑われた。

カ 本件殺人直後の花子,A男及びB男の言動

(ア) 確定判決の認定

10月12日午後11時ころにE男を殺してから,翌13日午前4時ころに死体遺棄をするまでの間の,花子,A男及びB男の行動について,確定判決は,特に説示をしないが,A男及びB男の検察官調書の内容のとおりと判断したものと考えられる。

(イ) 証拠

a 花子及びA男の行動について

直接証拠として,A男の自白が存在する。そして,これを支えるものとして,床の間の状況についての実況見分調書が存在する。

① A男の自白(A男11/2検面(検107),11/4検面(検108))

E男殺害後,E男の死体を堆肥に埋めることになったが,B男は,「一時もどって来っで。」と言っただけで何をしに行くのかも言わずにE男方から出て行ってしまったので,A男は,B男が戻ってくるまでの間,E男の通夜でもしてやろうと言い出した。A男は,花子に言ってA男方までろうそくを取りに行かせ,線香とろうそくを立てた。立てた場所は,E男の頭の所のような気もするし,床の間の左側だったような気もする。B男は,ろうそくが消えないうちに,C男を連れて戻ってきたので,B男がC男を加勢に連れてきたと思った。

② 実況見分調書(検12)

床の間には,南隅から,布袋の置物,柴2本を挿した花瓶,そばぼうろブリキ缶蓋の上に線香立て,マッチ,箱入りローソク1箱,箱入り線香2箱,水入りファンタ瓶1本,鐘2個が置かれており,線香立ての置いてあったブリキ缶蓋にはマッチ擦りかす3本,ろう涙が落ち付着している(写真114,115,見取図七参照)。

b B男の行動について

直接証拠として,B男の自白が存在する。そして,これに沿う内容のC男及びD子の供述が存在する。

① B男の自白(B男11/7検面(検113))

B男は,E男殺害後,いったん帰宅したが,けんかをしていたC男にすぐに加勢を頼みにくかったため,少し間をおいて頼むためにいったん自分の部屋で寝ようと思った。B男は,家に入り,D子とC男が起きてテレビを見ていた4畳半間を通る際,誰に言うともなく,「打殺してきた。」と言い,そのまま玄関6畳間に入って布団に入った。布団に入っても,E男を殺したことが頭にあってなかなか寝付かれなかったが,2,3時間うとうとした。

② C男の供述(原1審第3回公判供述)

B男は,午前零時ころに帰ってきて,勝手口の戸を開け,いっときたばこを吸って出たり入ったりしていたが,4畳半間を通って「E男を殺してきた。」と言い,そのまま玄関6畳間に入って寝た。C男は,布団に入り,そのままうとうとし,3,4時間してから,B男がふすまを開ける音で目覚めた。

③ D子の供述(原1審第6回公判供述)

10月12日晩,B男は,帰ってきて「E男をうっ殺してきた。」と言っていた。

キ 現場の状況

E男方は,農村の小さな集落の最も奥に位置しており,同所で深夜に起きた本件事件は,部外者の犯行とは考えにくいところ,A男方とB男方がその両隣にあったことなどという事情が考えられた(前記第1,2(2))。

(3)  殺人の共謀(花子・B男間,花子・A男間)

ア(ア) 確定判決の認定

花子は,E男殺害を決意し,義弟B男,ついで夫A男に共同してE男を殺害しようと話を持ちかけ,両名はいずれもこれを承諾した。

(イ) 原2審判決の認定

花子は,E男殺害を決意し,本件共犯者である夫A男,義弟B男に対し,それぞれE男が泥酔し前後不覚,無抵抗の状況にあることを告げて殺害の話を持ちかけ,同人らは,結婚式帰りの酔余の気分も手伝ってこれに賛同した。

イ 証拠

(ア) 花子・B男間の共謀

直接証拠として,B男の自白とD子の目撃供述が存在する。そして,10月12日夜に花子がB男方に立ち寄った事実は,同共謀の前提となる不可欠の間接事実であるところ,これを証明するB男,D子及びC男供述が存在する。

a B男の自白(B男11/7検面(検113))

B男は,10月12日午後7時30分ころ,結婚式から帰り,C男とけんかをした後,玄関6畳間で布団に入ってうとうとしていた。何時間くらい経ったか分からないが,板の間の方でD子と花子の話し声が聞こえて目が覚めた。4畳半間に行くと,C男がテレビを見ており,D子と花子が話をしていた。B男は,小便がしたかったし,また,花子が私に何か外へ出るように合図するように目くばせをしたようだったので,外に出た。勝手口から何メートルか行ったところで,花子は,B男に,「こげん時なきゃ,打殺しちゃできん。今かい打殺すで,加勢しやい。」と言った。B男が,「加勢すいが。」と答えると,花子は自分の家に帰って行った。E男は,酔っ払っては,ステレオをガンガンかけるし,暴れて迷惑を掛けるし,それにE男と花子の仲が悪く,花子が打殺すというので,加勢する気になった。…E男をどのように殺すのか,殺した後どうするのかは(A男を含めた3人でも)話し合っておらず,A男がE男の左肩付近にかがみ込んで手に持ったタオルの両端を両手でつかみ両方に引っ張ったのを見て,初めてA男がE男の首をタオルで締めて殺すのだと分かった。

b D子の原1審第6回公判供述

10月12日午後8時ころ,B男とC男のけんかが終わり,B男は,自分の部屋で寝た。D子とC男が,一緒にテレビを見ていると,花子が美容院に置いていた紙袋と履物を持って来た。花子が来た時間は,テレビの上の時計の針が横になっていたから,午後10時15分過ぎだった。花子と話している途中,B男が起きてきて小便に外に出ると,花子も外に出た。勝手口の前で,花子は,B男に,「E男をどうにかして殺したいから加勢しろ。」と言い,B男は,「ぶっ殺せば。」と返事をしていた。

c C男の原1審第3回,第4回公判供述

10月12日夜,テレビで(午後10時からの)「恋路海岸」を見ている時,花子が来て,D子と話をしているようだった。B男は,寝ていたが,起きてきて小便に外に出た。

(イ) 花子・A男間の共謀

直接証拠として,A男の自白が存在する(A男11/2検面(検107),11/6検面(検109))。

A男は,結婚式から帰宅した後,テレビを見て横になっていると,花子が「H男さんげに行たっくっで。」と言って出て行ったが,そのうち寝てしまった。どれくらい経ったか分からないが,うとうとしていると,花子に「コラコラ,おはんも起きてみいやい。」と言って体を揺すられて起こされた。A男は,何事かと思って起きると,花子は,「E男が我家の土間でフラフラしちょっで,いまんこめじゃが(今の内だ)。」と言った。A男はこれを聞いて,花子は「今の内にうっ殺そう。」と言ったと思った。A男は,日常的に花子から指図を受けて生活をしてきたので,花子から,「今んこめじゃが。」と言われたとき,花子がE男を殺すのだと分かり,A男も,E男が酒を飲んで迷惑をかけられていたので,殺そうと思った。A男は,ズボンをはき,花子も着替えをしていると,B男が来て,「あにょ,あにょ(兄よ,兄よ)。」と呼んだ。外へ出るとB男がいて,A男が「わいは,何ごて来たとよ。」と聞くと,B男が「E男をうっ殺しに来た。」というので,A男は「そら,よかついでじゃが。」と言った。そのうち,花子も勝手口から出てきて,タオルと懐中電灯を持っていた。3人でE男方に向かったが,A男方を出てから,E男方に入るまで3人とも話はしておらず,E男をどのように殺すのか,殺した後どうするのかは話し合わなかった。

(4)  殺人の実行行為

ア 確定判決の認定

E男方において,土間に座り込んで,泥酔のために前後不覚となっているE男に対し,A男及びB男において,こもごもその顔面を数回ずつ殴打し,花子を加えた3名で,その場に倒れたE男を足蹴にするなどした上,中6畳間まで同人を運び込み,同所において,花子が,「これで締めんや。」と言って,あらかじめ用意していた西洋タオルをA男に渡し,仰向きに寝かせたE男の両足を両手で押さえつけ,B男が,E男の上に馬乗りになってその両手を押さえつけ,A男が,西洋タオルをE男の頚部に1回巻いて交差させた上,花子から「もっと力を入れないかんぞ。」と言われて,両手でその両端を力一杯引いて締めつけ,よって,E男を窒息させて死亡させた。

イ 証拠

E男の首にタオルを巻いて力一杯引っ張って締め付けて窒息死させたという実行行為の直接証拠として,A男とB男の自白(後記(エ))が存在する。そして,これを支えるものとして,城鑑定,ビニールカーペット及び中6畳間の畳の状況という証拠が存在する。城鑑定(後記(ア))は,頚項部に作用した外力によって窒息死に至ったと想像するなどと判断し,A男及びB男の自白を支えたと考えられる。ビニールカーペット(後記(イ))については,実際に10月12日夜に中6畳間に敷かれていたという関連性は,A男,B男及びC男の自白によっているものの,同カーペットに糞尿の混合付着が認められることが,E男が中6畳間で絞殺されたというA男及びB男供述を裏付けると考えられた。また,中6畳間の畳(後記(ウ))に失禁痕及び脱糞痕が認められることも,E男が中6畳間で絞殺されたというA男及びB男供述を裏付けると考えられた。なお,原1審で証拠請求されたタオルについては,確定判決はその関連性を認めなかった(後記(オ))。

(ア) 死体の状況から考え得る犯行態様(鹿児島大学医学部教授城哲男作成の鑑定書(検1))

「凶器の種類,成傷方法は判然としない。…頚項部に作用した外力によって窒息死に至ったものと想像しないわけにはいかない。他殺ではないかと想像する。」

(イ) ビニールカーペット((昭和55年押第3号の7),昭和54年10月16日付け領置調書謄本(検28),鑑定検査申請書2通(検29,35),「鑑定,検査結果について」と題する書面2通(検30,36))

ビニールカーペットには,file_3.jpg脱糞様の黒褐色付着物(直径70センチメートル楕円状,以下,「file_4.jpg楕円形脱糞痕」という。)が,目地につまり込んだような状態で付着しており,file_5.jpg脱糞様のものが付着した素足先端部及びかかと部と認められる足跡(以下,「file_6.jpg糞を踏んだ足跡」という。)が印象されていた(実況見分調書(検12,写真237,238))。そして,鑑定の結果,同カーペットの50×30センチメートルの範囲(file_7.jpg楕円形脱糞痕の範囲)に,人尿と糞便の混在が証明され,血液型は被害者と同じA型であると認められた(鑑定・検査結果報告書(検30),城鑑定書(検1))。

(ウ) 中6畳間の畳の状況(実況見分調書(検12,写真85,91,93,見取図六の1))

中6畳間の畳には,直径80センチメートル大の尿痕と,糞様の黒褐色付着物2か所(file_8.jpg3×2センチメートル大,file_9.jpg4×2センチメートル大)が認められた。

(エ) 共犯者の自白

a A男の自白(A男11/2検面(検107),11/4検面(検108))

午後11か12時ころ,E男方の炊事場の勝手口から戸を開けて中に入った。E男は,小縁の前の土間に座ってふらふらしていた。A男が,「わや何ごっか(お前は何をしているか)。」と言っても返事もしないので,A男とB男は,2人でE男を殴ったり蹴ったりしたが,花子はこれを見ていた。A男が「上にあげてすっ殺すいが」と言い,3人でE男を小縁に乗せ,B男とA男が中6畳間に,仰向けのまま引きずり出した。土間に立っていた花子が,「こいで締めんな。」と言って,A男にタオルを投げたので,A男は,そのタオルを拾い上げて,E男の左肩付近にかがみ込み,E男の頭を少しかかえ上げてタオルを首に通し,1回だけ顎の下辺りで交差させ,タオルの両端を両手で握り,力一杯両方に引っ張った。花子は,E男の両足を押さえ,首を締められたE男が両手をバタバタと動かしたので,B男は両手を押さえた。E男がべろーっと舌を出したので,E男は死んだと思った。

b B男の自白(B男11/7検面(検113))

E男方の炊事場の勝手口から戸を開けて中に入ると,E男は,小縁の下の土間に座り込んでいた。E男を取り囲むようにして,3人が,「こんくずれもんが。」と言いながら頭を手で叩き,胸や腹を足で蹴り,E男が倒れたところをまた3人で蹴ったりした。花子が「そびっ上げ。」と言ったので,3人でE男を小縁に乗せ,B男とA男が中6畳間に,仰向けのまま引きずり出した。A男が,E男の左肩付近にかがみ込んで,花子が渡したと思われるタオルを持っていたので,A男はタオルで首を締めて殺すのだと初めて分かった。B男は,E男が暴れるかもしれないと思ってE男の両手を押さえ,花子は両足を押さえていた。A男は,タオルを首に通し,のどの前で交差させ,タオルの両端を握り,いっぺんに締め上げた。花子は気合の入った声で,「もっと力を入れんないかんぞ。」と言い,A男は力一杯タオルの両端を握って引っ張った。E男はグーッと苦しそうな声を出して苦しみ出し,両手や身体に力が入りもがこうとしたので,B男は,更に前かがみになりE男の体につくようにして両手を押さえつけた。そのうちE男は動かなくなった。しばらくして花子が「くそをひっかぶった。ちょっしもた。」と言った。

(オ) タオル1本が証拠請求され,取り調べられたが(検128・昭和55年押第3号の6),確定判決は,これを証拠の標目には挙げておらず,その関連性を認めなかった。

(5)  死体遺棄の共謀(花子・A男・B男間,B男・C男間)

ア 確定判決の認定

殺害行為の後,B男は,いったん帰宅して同人の長男であるC男にE男の死体を遺棄するため加勢を求めたところ,C男はこれを承諾し,ここに花子は,A男,B男及びC男の3名と死体遺棄を共謀した。

イ 証拠

(ア) 花子・A男・B男間の共謀

直接証拠としてA男及びB男の自白が存在する。

a A男の自白(A男11/2検面(検107))

A男が,E男を奥6畳間の布団の上に寝かせておこうと言い,B男が頭を,私が足を,花子は横腹を持って布団の上に運び,頭を縁側の方に向けて寝かせ,花子が掛け布団をかぶせた。A男は,「E男をどげんすいかい。」と話し,身体が強くないので,E男の死体を堆肥の所に埋めようと言った。B男は,「一時,もどって来っで。」と言い,A男が,「何ごっか。」と言っても返事もせずに出て行ってしまった。…その後,どの位の時間が立ったか分からないが,B男が帰ってきて,C男も後から家の中に入ってきたので,B男がC男を加勢に連れてきたと思った。

b B男の自白(B男11/7検面(検113))

花子だったかが,E男を布団に寝かせようと言い,3人で掛け布団をはぎ,B男が両脇を,A男と花子が胴や足を持って奥6畳間の布団の上に運び,頭を縁側の方に向けて寝かせ,花子が掛布団をかぶせた。A男が「どげんしようか。」と言い,花子だったかが,「そんなら堆肥小屋の中に埋めとったら。」と言い出したので,堆肥小屋に埋めることになった。A男が,「こら重いが。いけ方もじゃっが運ん方に加勢をもらわんないかんが。」と言うので,B男は,C男の加勢を頼もうと思い,A男と花子に「C男でも加勢させんなら。」と言った。花子が「死体はいつ持ち出すか。」と言うので,B男は,「夜が明けん内なら。」と答えると,A男も花子もそれでいいというので,B男は,いったん帰宅した。

(イ) B男・C男間の共謀

直接証拠としてB男及びC男の自白が存在する。

a B男の自白(B男11/7検面(検113))

B男は,E男殺害後,いったん帰宅したが,けんかをしていたC男にすぐに加勢を頼みにくかったため,いったん部屋で寝ようと思い,D子とC男が起きてテレビを見ていた4畳半間を通って自分の部屋に入る際,誰にともなく,「打殺してきた。」と言った。布団に入ってもなかなか寝付かれなかったが,2,3時間うとうとした。そして,小便に起き,作業服を着て,C男に頼もうとして勝手口に行くと,C男は目を覚ましていたので,土間からC男に,「ちょっと来てみれ。」と言った。C男も土間の近くに来たので,「兄さんと2人でE男を殺した。E男を堆肥の中に埋むっでお前も加勢せんか。」と言った。するとC男はびっくりしたようで,加勢するとも何とも言わなかった。C男は加勢してくれないのかと思って1人でE男方に行きかけると,途中C男がついてきたので加勢してくれると思ってホッとした。

b C男の自白(原1審第3回公判供述)

13日午前零時ころにB男が帰ってきた後,C男は,布団に入り,そのままうとうとし,3,4時間してから,B男がふすまを開ける音で目覚めた。B男が炊事場の方に出てゆき,「いっとき来てみれ,加勢をせんか。」と言うので,B男について車の所まで行った。114問「車の所でB男さんから何か言われましたか。」,答「はい,兄とおいと2人でE男を殺したで,堆肥の中に埋むっで,お前も加勢をせいと言ったです。」,115問「そう言われてあなたは加勢をすると返事をしたんですか。」,答「いいや,返事はしなかった,また嘘のようなことばかり言って,ばかじゃないかと思って尻から付いていきました。」,116問「その時は,本当のことじゃないと思っていたんですか。」,答「はい,いつも焼酎を飲んで,嘘か本当か分からないようなことばかり言うから。」

(6)  死体遺棄の実行行為

ア 確定判決の認定

前記E男方敷地内の牛小屋の堆肥置場において,花子が,持参した懐中電灯(昭和55年押第3号の8)で照らした上,「まだ浅いもっと掘らんか。」と指示をし,A男,B男及びC男が,それぞれスコップ(同号の3,4)又はフォーク(同号の1)を用いて堆肥内に深さ約50センチメートルの穴を掘り,その中に死体を埋没し,もって,死体を遺棄した。

イ 証拠

直接証拠として,A男,B男及びC男の自白が存在する。これを支えるものとして,死体の発見状況に関する実況見分調書等(後記(ア)),スコップ2本,フォーク1本及び懐中電灯(後記(イ))が存在する。このうち,スコップ2本,フォーク1本及び懐中電灯については,本件死体遺棄との関連性については,A男,B男及びC男の自白によっている。

(ア) 被害者の死体の発見状況(実況見分調書(検12),壬原a子10/31検面(検50))

(イ)a 黄色ひも付きスコップ1本(昭和55年押第3号の3),昭和54年10月18日付け捜索差押調書謄本(検17)

柄が白く柄に黄色いひもが付いており先が鈍くなっているもの。A男方北側別棟物置に立てかけてあったとして差し押さえられた(所有者A男)。

b 「三」印のスコップ1本(同号の4),昭和54年10月19日付け領置調書謄本(検19)

柄はさびてにぎりの横にマジックで「三」と記入があるもの。F子が,E男方の現場検証に立ち会った際,E男方別棟牛小屋の堆肥搬出路の南側板壁に,「キ」印のスコップ(柄が白くにぎりに「キ」印があり先は丸いもの・領符号77・検125)とともに2本並べて立て掛けてあったとして任意提出した(所有者A男)。

c 赤柄がはげたフォーク1本(同号の1),昭和54年10月15日付け領置調書謄本(検14)

にぎり赤柄の中央のマーク部分が白くなっているもの。実況見分が行われた際,E男方別棟牛小屋の堆肥置場の被害者の頭部付近に刺してあったとして領置された(所有者不詳)。

d 懐中電灯1個(同号の8),癸井b男作成の任意提出書謄本(検130),昭和54年10月22日付け領置調書謄本(検131)

水色に白のテープが巻いてあるもので,癸井b男が,A男から借りてきたものであるとして任意提出した(所有者A男)。

(ウ) 共犯者の自白

a A男の自白(A男11/2検面(検107))

夜が明けない内に埋めようと思い,A男が,「さあ,持っだすいが。」と言うと,花子が布団をまくり,B男が床の間の横の障子とガラス戸を開けた。4人で縁側まで運んでいったん下ろし,B男とC男に続いて私も庭に降り,私はE男の足,B男が頭,C男は横腹を持って堆肥小屋の方に運んだ。花子は,懐中電灯をつけていた。花子は,家の方にスコップを取りに行き,私に渡した。B男は堆肥場の奥にあったスコップを取り,C男は堆肥場のどこかからフォークを持ってきた。右側から,A男,B男,C男の順に並んで堆肥を掘り,花子は,後ろで懐中電灯をつけて見ていた。手前に堆肥を掘り出し,50〜60センチ位掘って,掘り出した堆肥の上に仰向けにE男を乗せた。そして,E男を穴に転がすと,E男はうつぶせになるようにして穴に入ったので,掘り出した堆肥をかぶせた。

b B男の自白(B男11/7検面(検113))

花姉は,E男に掛けている掛布団をはいで,「早く出さんといかん。」と言うので,B男が床の間の横のガラス戸を開け,縁のガラス戸を開けた。A男が両脇を,C男は胴を,B男が両足を,花子はももか腰の辺りを持って,縁側にいったん下ろし,B男とC男が庭に飛び降り,引っぱり出してE男を牛小屋の方に運んだ。花子が足元を懐中電灯で照らしてくれていた。E男を下ろした後,A男が花子に「何か掘るもんを持って来んか。」と言い,花子が自分の家にスコップを取りに行き,スコップ2本を持ってきて,A男にスコップを1本渡し,B男には握る部分が少し赤くなったスコップ1本を渡した。C男は牛小屋からフォークを探した。3人が横に並んでスコップとフォークで堆肥を掘り,花子姉は,懐中電灯で照し,「まだ浅い。もっと掘らんか。」,「もうよか。埋めんか。」などと指図した。穴から出た堆肥は手前に置いていたので,その手前の堆肥の上に仰向けにE男を乗せ,3人でE男を穴に突落とすとE男は半回転して下向きになったので,堆肥を戻して埋めた。

c C男の自白 (原1審第3回,第4回公判供述)

奥6畳間の布団にE男が寝かされており,花子が早く持ち出さないといけないなどと言うので,C男が横腹を,B男が足を,A男が頭を,花子が左横腹を持って縁側にいったん下ろし,B男がガラス戸などを開け,B男とC男が庭に飛び降り,A男が足を押し,B男とC男が2人で引っぱり出し,C男が肩から下腹を,A男が頭を,B男が足を持って堆肥小屋に運び,花子は懐中電灯を照らしていた。C男は,牛小屋にあったフォークを使い,A男とB男は花子が持ってきたスコップを1本ずつ使い,南からC男,A男,B男の順に並んで堆肥を掘り,花子は懐中電灯で照らしていた。花子とA男が深いとか浅いとか,もういいだろうなどと指図をし,3人で死体を穴の手前に置き,転ばして下向きに穴に落とし,堆肥を戻して埋めた。

3  原審での争点とこれに対する判断について

(1)  争点

原審の弁護人らは,花子が本件殺人事件及び死体遺棄について無罪であるとして多岐にわたる主張をしたが,その骨子は,本件殺人はA男とB男の2人犯行,死体遺棄はC男を加えた3人犯行であり,花子は,A男やB男らの虚偽供述によって引っ張り込まれたなどというものであった。そのため,主たる争点は,A男やB男らが犯した本件各犯行への花子の関与の有無に絞られていた。

(2)  争点に対する判断

争点に対する原2審判決の判断は,おおむね以下のとおりである。確定判決は,争点に対する補足説明を示さないが,原2審判決の判断と特に異なるものではないと考えられる。

ア 本件犯行の夜,泥酔して前後不覚の状態にあったE男が丁野H男,戊谷I男の好意によりE男方に搬送されたことを当初に知ったのは,本件共犯者のうち花子である。

イ A男供述(公判供述,A男11/2検面(検107),11/4検面(検108),11/6検面(検109)),B男供述(公判供述,B男11/7検面(検113)),C男供述(公判供述),D子供述(公判供述)については,①確定判決が判示した関係各証拠に現れた客観的状況とも符合し,②花子の本件殺人及び死体遺棄の各行為への関与それ自体については,大綱において一致しており,③A男を含め,花子とは親族関係にあるB男,D子及びC男が花子に対して何らかの害意を抱き,同人を陥れるために故意に虚偽供述をしているものと疑うべき何らの事情も認められず,A男の原1審公判供述は,検察官調書に比して,妻花子をかばう心情が多分にうかがわれるものの,花子の関与自体を積極的に争うものではなく,言葉を濁す程度のものであるから,いずれも信用性について欠けるところはない。

(3)  まとめ

原審では,A男とB男が本件各犯行を犯したことについては,争点となっていなかったこと,同人らの自白があったことなどから,容易に認定されたと考えられる。他方,A男とB男は,本件事件の直前は,酒に酔ってそれぞれ自宅で寝ていたことから,同人らだけで本件各犯行を犯したとは考え難く,誰かが同人らに対し,本件殺人を持ちかけたものと推認された。そして,花子はE男が前後不覚の状態で搬送されたことを知っていたことなどから,A男とB男に殺人を持ちかけた者がいたとすれば,それは花子である可能性が高いと推認された。結局,A男とB男が本件各犯行を犯したことを前提にすると,その本件事件直前の行動が同人らの関与を否定する方向の情況証拠であることが,かえって,花子の関与を強く推認させる結果になったものと考えられる。

第3  当事者の主張

1  再審請求の理由

(1)  本件再審請求の理由は,弁護人ら作成の平成7年4月19日付け再審請求書,平成8年1月31日付け再審請求書補充書,同年9月11日付け意見陳述書,平成9年2月19日付け意見書,平成10年10月12日付け意見書,平成11年5月12日付け意見陳述書,平成14年1月16日付け最終意見書(及び花子作成の平成8年9月11日付け意見陳述書,平成11年5月12日付け意見陳述書)に記載されたとおりであるからこれを引用する。そして,弁護人らは,別紙1の弁1ないし94(平成7年(た)第1号事件)及び別紙2の弁1ないし78(平成13年(た)第1号事件)記載の証拠を提出した(以下,当請求審で提出された証拠を摘示する場合,(当請求審弁2,弁24)のように,まず平成7年(た)第1号事件の請求番号,次いで平成13年(た)第1号事件の請求番号を,順次並べて記載する。)。弁護人らは,多岐にわたって詳細な再審請求の理由を主張するが,その骨子は,原審の弁護方針(前記第2,3)を批判した上,花子のみならず,A男,B男及びC男も本件殺人や死体遺棄には関与していないというものであり,その要旨は以下のとおりである。

(2)  確定判決の証拠構造の脆弱性

確定判決の証拠構造は,客観的証拠(殺人につき城鑑定及びビニールカーペット,死体遺棄につきフォーク,スコップ及び懐中電灯)が共犯者らと本件各犯行を結びつける意味を持つものではなく,共犯者らと本件各犯行を結びつけるものは,信用性の乏しい共犯者らの自白とD子供述のみという極めて脆弱なものである。

ア E男の死因について

城鑑定書は,前頚部の皮膚が多少とも暗紫赤色に変色しており,皮内・皮下出血は判然としないというのみで,皮内・皮下出血,表皮剥脱,皮膚の陥没・陥凹等の索条痕を全く認めておらず,頚部に作用した外力によって窒息死したとした根拠に欠ける。

イ 花子,A男,B男と本件各犯行との結びつきについて

(ア) 殺人の動機の点

検察官は,①花子らが日頃からE男の存在自体を快く思っていなかったこと,②保険金取得目的という2つの動機を主張したが,確定判決は②を否定している。①についても,花子,A男及びB男がE男を迷惑に思う気持ちは,E男が酔って暴れるときの一時的な感情であって,日常的なものではなく,弟のE男を殺害するに足る動機とは認められない。

(イ) 本件事件直前の花子,A男及びB男の行動について

a A男とB男は,10月12日夜,結婚式から帰宅して酒に酔ってそれぞれの自宅で寝ており,E男が泥酔して前後不覚の状態で同人方に搬送されたことも認識していなかったと認められ,このような事情は,同人らの本件各犯行への関与自体を否定する情況証拠である。

b 花子は,丁野方から帰宅する途中に,E男方玄関から中に入って見たが,奥6畳間の布団が盛り上がっていたのを見てE男は布団で寝ていると思ったと供述しており,花子が,玄関から出てきて「も寝ちょっど。」と言ったとする戊谷供述はこれに沿う。花子は,土間にいたE男を現認したとは認められず,花子の殺意発生に関する前提事実が認められない。

(ウ) 本件殺人直後の花子,A男及びB男の言動について

a 花子とA男について

①B男が一時戻ってくると行って出ていってしまい,何をしに行ったのか,いつ戻ってくるのか分からなかったが,帰りを待っていた,②その間,E男の通夜をしたというのであり,日頃の恨みが募って被害者を殺害した直後の行動としては,A男の自白はその内容自体不自然である。

b B男について

B男は,帰宅してすぐにはC男に頼みにくかったため,布団に入って2,3時間うたた寝をしたというのであり,殺人を犯した直後の犯人の行動としては,その自白の内容自体不自然である。

ウ D子供述について

D子は,①10月12日夜,花子がB男方に立ち寄ったのは午後10時15分であるとするが,花子が,丁野方を辞して帰宅途中にE男方をのぞいた時刻を午後10時30分とする確定判決と矛盾する。D子は,②深夜に夫B男と花子との殺人の共謀を目撃し,1時間以上も帰ってこないB男を心配していたところ,B男が「E男を殺してきた。」と言って犯行を打ち明けているのに,そのまま寝た,③翌13日,E男方に結婚式の引き出物を届けて,腐りやすい食物を冷蔵庫に入れておいたなどと供述するが,夫がE男を殺害したことを認識せざるを得ない状況にあった者が取った行動として,まことに不自然かつ不合理である。

エ 共犯者らの自白の信用性について

(ア) ①A男,B男及びC男は,いずれも知的能力が低く,被暗示性が強いことから,捜査官らによる不当な誘導によって自白した可能性が高い。特に,A男とB男の原1審の公判廷での供述態度は,殺人を犯した者の供述とは考えられないほど迫真性,臨場感に欠ける曖昧なものである。また,②検察官調書の内容についても,供述内容自体に不自然な点が多く認められ,共犯者間に重要事項に関して看過できない食い違いがある上,実行行為に関する自白が客観的証拠と矛盾する。

(イ) 殺人の共謀について

a 花子・B男間の共謀

①花子は,殺意を生じた後,いったん自宅に戻っているのに,最初にE男殺害を持ちかけたのが,自宅にいた夫のA男ではなく,あまり仲が良くなかった隣家のB男であった,②B男は,当夜のE男の状況を何も知らずに祝い酒に酔ってうたた寝をしているのに,花子から,「このような時でなければ殺せないから,加勢してくれ。」と言われただけで直ちにE男に対する殺意を生じてこれに同意した,③殺人という重大犯罪の共謀であるのに,花子は「一時加勢せんや。」と言い残して帰ってしまい,いつ,どこで,どのような方法でE男を殺害をするかについて,全く謀議をしなかったというのであり,B男の自白はその内容自体不自然である。

b 花子・A男の共謀

①A男は,当夜のE男の状況を何も知らずに祝い酒に酔ってうたた寝をしていたのに,花子から,「E男が我家の土間でフラフラしちょっで,今んこめじゃが(今のうちだ)。」と言われただけで,花子がE男を今のうちに殺そうと言っていると分かった上で,直ちにこれに同意した,②殺人という重大犯罪の共謀であるのに,花子,A男及びB男の間で,結局最後まで,具体的な殺害方法等について全く謀議をしなかったというのであり,A男の自白はその内容自体不自然である。

(ウ) 殺人の実行行為について

a 客観証拠との関係

①E男方中6畳間に敷かれていたというビニールカーペットには糞尿の混合付着が認められるが,中6畳間の畳の尿痕の位置と一致せず,E男が絞頚時に脱糞した場所を特定するB男の自白とも矛盾する。②タオル1本が証拠請求されたが,確定判決は,本件との関連性を認めず,結局,凶器となったタオルが特定されていない。

b A男とB男の自白の内容自体について

①A男とB男は,E男が酔って暴れると手に負えなくなることを認識していたために,寝ているうちに殺そうとしていたと考えられるのに,E男に対して殴る蹴るの暴行を加え,E男をわざわざ起こすような行為をした,②A男は,10年前の交通事故の後遺症もあって重い物が持てないのに,体格も大きく,泥酔していて重いE男の首を土間では締めず,わざわざ中6畳間まで引っ張り上げてから絞殺したというのであり,A男とB男の自白はその内容自体不自然である。

(エ) 死体遺棄の共謀について

a 花子・A男・B男間の共謀

①日頃の恨みが募ってE男を殺したのに,その直後に,重いE男をわざわざいったん布団に寝かせた上で,死体遺棄の共謀をしたというA男とB男の自白はそれ自体不自然であり,②E男の死体を堆肥に埋めるということを話し合っただけで,B男が戻ってくるとのみ言い残して出ていってしまったなどというA男の自白もその内容自体不自然である。また,③B男は,C男に加勢させること,夜明け前に埋めるという時間まで話し合ったとしており,A男供述と食い違う。

b B男・C男間の共謀

C男は,寝ていて,夜中に目を覚ましたところを,B男から,E男を殺してきたから,堆肥に埋める加勢をしてくれと言われただけで,いきさつも聞かずにB男について行ったというのであり,B男とC男の自白はその内容自体不自然である。

(オ) 死体遺棄の実行行為について

客観証拠として,フォーク,スコップ及び懐中電灯は,B男,A男及びC男供述によって関連性が認められているだけであって,それ自体で固有の証拠価値があるものではない。

(3)  再審理由の存在

ア 前記(2)のとおり,確定判決の証拠構造は極めて脆弱なものである。これに,以下の新証拠を加えて総合評価すれば,事件性自体が否定される上,花子,A男,B男及びC男が本件各犯行を犯したと認めるに足りる証拠はない。

イ 主な新証拠の評価

(ア) 池田鑑定

①被害者の頚部には皮内・皮下出血,表皮の剥脱,皮膚の陥凹・陥没はいずれも認められず,外力が作用した痕跡は認められないから,確定判決が認定する,被害者の頚部にタオルを1回巻いて交差させた上で力一杯締め付けたなどという殺害行為の態様は,死体の客観的状況と矛盾する,②被害者の頚椎前面には著しい組織間出血が認められることから,その死因は,絞頚による窒息死ではなく,側溝に転落して頚髄損傷を負ったことによる事故死の可能性が最も高いことが認められる。したがって,被害者の死因を頚部に対する外力作用による窒息死であるとする城鑑定書の信用性は著しく減殺される。そうすると,②によって,E男の死因が他殺によるという認定が覆される上(前記第2,2(1)),①によって,被害者の頚部にタオルを1回巻いて交差させた上で力一杯締め付けて絞殺したなどという事実が認められなくなる(前記第2,2(4))。

(イ) D子の新供述

新証拠であるD子の弁護人に対する供述(B男及びD子のS60/1/22聴取事項反訳・当請求審弁2,弁24)及び当請求審での証言等によれば,①10月12日夜に花子はB男方には立ち寄っておらず,②花子がB男との間でE男殺害の共謀をした事実はなく,③B男もC男も12日夜は外出しておらず,④捜査段階での供述は,捜査官らからのさまざまな働きかけや,花子らに対する悪感情からしたものであるということが認められる。また,原審では,身上等に関する10/16員面(検97)と公判供述(第6回公判供述)のみが証拠として採用されたが,新証拠であるD子の原審での不同意書証及び未提出記録(10/19員面(未提出記録・当請求審弁94・弁78),10/29員面(検98),10/31員面(検99),11/3検面(検102),11/4員面(検100),11/29員面(未提出記録・当請求審弁93,弁77),12/2員面(検101))によれば,同人の供述が不自然に変遷した経過が明らかであり,これに前記④を併せ考えると,同人の捜査段階及び原1審の公判供述は信用性が認められない。そして,D子供述は,花子とB男の殺人共謀に関する直接証拠であり,共犯者らの自白以外に唯一,花子,B男及びC男と本件各犯行との結びつきを証明する重要な証拠であるから,同供述の信用性が否定されることによって確定判決の証拠構造は維持されなくなる。

(ウ) 共犯者らの新供述

a C男について

新証拠であるC男の弁護人に対する供述(同人のS60/1/27聴取事項反訳書・当請求審弁3,弁25)及び当請求審での証言によれば,C男は,①10月12日夜は家から出ておらず,本件死体遺棄には関与しておらず,②服役中から一貫して本件各犯行への関与を否定しており,③原審で取り調べられた供述は,捜査官らからの働きかけや,花子とA男らに対する悪感情からした虚偽のものであったということが認められる。また,原審では,10/28員面(検114)及び公判供述(第3回,第4回公判供述)のみが証拠として採用されたが,新証拠であるC男の原審での不同意書証(10/29員面(検115),11/3検面(検119),11/6検面(検120))等によれば,同人の供述が不自然に変遷していたことが明らかであり,これに前記②③を併せ考えると,同人の自白は信用性がない。

b B男について

新証拠であるB男の弁護人に対する供述(B男及びD子のS60/1/22聴取事項反訳書・当請求審弁2,弁24)によれば,B男は,①服役中から一貫して本件各犯行への関与を否定しており,②捜査段階の供述は,捜査官らからの働きかけによる虚偽のものであったということが認められる。また,原審では,10/18員面(検110),11/7検面(検113)及び公判供述(第5回公判供述)のみが証拠として採用されたが,新証拠であるB男の原審での不同意書証及び未提出記録(10/21員面(未提出記録・当請求審弁79,弁63),11/6員面(検111))等によれば,同人の供述が不自然に変遷していたことが明らかであり,これに前記②及び同人が原1審第5回公判供述で捜査官らからの不当な誘導をうかがわせる供述をしていることを併せ考えると,同人の自白は信用性がない。

c A男について

新証拠である己田J子の弁護人に対する供述(同人のH5/11/20聴取事項反訳書・当請求審弁4,弁26)によれば,A男は,服役中から一貫して本件各犯行への関与を否定していたことが認められる。また,原審では,10/18員面(検105),11/2検面(検107),11/4検面(検108),11/6検面(検109)と公判供述(第4回,第5回公判供述)のみが証拠として採用されたが,新証拠であるA男の原審での不同意書証及び未提出記録(10/29員面(未提出記録・当請求審弁80・弁64),11/3員面(検106))等によれば,同人の供述が不自然に変遷していたことが明らかであり,これらに加え,同人が原1審第4回,第5回公判供述で捜査官らからの不当な誘導をうかがわせる供述をしていることを併せ考えると,同人の自白は信用性がない。

(エ) 丁野H男の新供述

新証拠である丁野H男の当請求審での証言及び原審での不同意書証(10/29員面(検81))によれば,丁野は,10月17日にA男方で行われたE男の通夜の際,「E男,わいも3日間苦しかったろう,おいも3日間風呂に入らずきばった,すまんかった,何とか言ってくれ。」などと涙を流しながら言ったという事実が認められる。これは,丁野が,何らかの事情でE男の死因に関与した可能性を示唆するものであり,E男の死因をタオルでの絞頚による窒息死であるとした確定判決の認定には疑いが生じる(前記第2,2(1))。

2  前記再審請求に対する検察官の意見は,検察官作成の平成8年12月11日付け意見書,平成10年12月21日付け意見書及び平成14年1月16日付け意見書に記載されたとおりであるからこれを引用するが,その要旨は以下のとおりである。そして,検察官は,別紙1の検1ないし9(平成7年(た)第1号事件)及び別紙2の検1ないし5(平成13年(た)第1号事件)の証拠を提出した。

(1)  石山鑑定によれば,被害者の右頚部には蒼白部が存在し,この蒼白部で排除された血液がその周囲に局在し,そのうっ血によって形成されたと認められる変色帯が存在することから,これらをもって被害者の頚部には索条痕が存在すると認められ,加えて,城鑑定人による死体解剖の助手をし,城鑑定書の下書きをしたという田中圭二の供述によれば,城鑑定人は,解剖執刀当時,右頚部皮膚内面にも軽度の出血の痕跡を認めるという所見を示していたことが認められる。そして,池田鑑定には新規性がなく,信用性がないことから明白性も認められず,確定判決の証拠構造に影響を与えるものではない。

(2)  新証拠であるD子供述及びC男供述は,それぞれの原1審での捜査段階の供述及び公判供述に比して信用性がない。加えて,A男及びB男の捜査段階の供述は信用性が高いことから,原1審での共犯者であるA男,B男及びC男の自白の信用性並びにこれを支えるD子供述の信用性は何ら減殺されない。

(3)  以上によれば,確定判決の証拠構造は何ら影響を受けず,確定判決の事実認定には合理的な疑いは生じない。

第4  当裁判所の判断

1  証拠の新規性,明白性について

(1)  新証拠について

弁護人らは,別紙1の弁1ないし94(平成7年(た)第1号事件)及び別紙2の弁1ないし78(平成13年(た)第1号事件)記載の証拠を提出し,検察官は,別紙1の検1ないし9(平成7年(た)第1号事件)及び別紙2の検1ないし5(平成13年(た)第1号事件)の証拠を提出した。そして,当請求審において,平成7年(た)第1号事件及び平成9年(た)第1号事件の事実の取調べとして,花子についての殺人及び死体遺棄被告事件(当庁昭和54年第420号事件)の一件記録が取り寄せられ,別紙3記載のとおり証人尋問が行われた(C男を請求人とする平成9年(た)第1号事件は,C男の死亡によって終了し,その後,実質的には同事件を引き継ぐ趣旨で,C男の母D子を請求人とする平成13年(た)第1号事件が申し立てられたため,平成9年(た)第1号事件において提出された証拠関係についてはすべて平成13年(た)第1号事件の証拠として取り調べた。)。なお,C男についての死体遺棄被告事件(当庁昭和54年(わ)第404号事件)の一件記録については,既に廃棄済みで存在しない。

(2)  証拠の新規性について

鑑定については,鑑定内容が従前の鑑定を結論を異にするか,あるいは結論は同じでも鑑定の方法又は鑑定に用いた基礎資料において異なる等証拠資料としての意義,内容において異なると認められる場合は刑訴法435条6号にいう「あらたな」証拠に当たると解するのが相当であり,城補充鑑定,池田鑑定及び石山鑑定については,いずれもその新規性を認めることができる。そして,証拠の新規性とは,原審裁判所によって実質的な証拠価値の判断を経ていない証拠であると解するのが相当であり,原審確定後に作成された書証はもとより,原審における未提出記録,不同意書証においても新規性があるものと認めることができる。

(3)  証拠の明白性について

明白性の意義につき,刑訴法435条6号にいう「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」とは,確定判決における事実認定につき合理的な疑いをいだかせ,その認定を覆すに足りる蓋然性のある証拠をいうものと解すべきであるが,この明らかな証拠であるかどうかは,もし当の証拠が当該確定判決を下した裁判所の審理中に提出されていたとするならば,はたしてその確定判決においてなされたような事実認定に到達したであろうかどうかという観点から,当の証拠と他の全証拠とを総合的に評価して判断すべきであり,この判断に際しても,再審開始のためには当該確定判決における事実認定につき合理的な疑いを生ぜしめれば足りるという意味において,「疑わしいときは被告人の利益に」という刑事裁判の鉄則が適用される(最一小決昭和50年5月20日刑集29巻5号177頁,最一小決昭和51年10月12日刑集30巻9号1673頁)とされているところ,当請求審においても,これに従って,証拠の明白性について判断を行うべきものと考える。

以下,証拠の明白性について検討する。

2  城鑑定及び新鑑定について

(1)  城鑑定の証拠構造上の位置づけは,①死体が堆肥に埋められた状態で発見されたこと(前記第1,2(6))と相まって,E男の死因が他殺によるという事件性を立証するとともに(前記第2,2(1)),②E男の首にタオルを巻いて力一杯引っ張って締め付けて窒息死させたというA男とB男の自白を裏付けるものである(前記第2,2(4))。

弁護人らは,①城鑑定は,「死因において,他に著しい所見を認めないので,窒息死を推定するほかない」とするが,頚椎前面に厚い血腫状の組織間出血が認められることから,必ず頚椎損傷があると考えられ,E男は本件事件当日夕方に深さ約1メートルの側溝に自転車もろとも転落したことで,頚部の過屈曲や垂直圧迫等により,頚椎や頚髄に重篤な損傷が生じて事故死した可能性が最も高い,②城鑑定は,「死体の外表,内部ともに頚部に外力の作用した痕跡を認める」,「仮に窒息死したものとすれば,頚部内部の組織間出血は,頚部に外力の作用したことを推測させる」とするが,file_10.jpg外表所見として,本件死体の前頚部には,皮内・皮下出血,表皮剥脱,皮膚の陥没・陥凹等の索条痕は全く認められないし,file_11.jpg内部所見として,頚部圧迫を推測させるものは存在しない。したがって,file_12.jpg頚部にタオルを巻いて力一杯引っ張って窒息死させたという殺人の犯行態様とこのような本件死体の客観的状況とは矛盾するなどと主張する。

これに対し,検察官は,①E男が自転車から転落した具体的状況によっては,頚椎前面の組織間出血が生じ得ることは否定しないが,本件では,頚椎や頚髄に重篤な損傷が生じるような態様で転落したとは推認できず,他の証拠関係からも事故死の可能性はない。②本件死体には,file_13.jpg外表所見として,左頚部に生前生じた蒼白帯が認められ,その上下に生前生じたうっ血を示す変色帯が認められるから,これらをもって索条痕が存在するといえる,file_14.jpg内部所見についても,城鑑定人は,死体解剖時に,右頚部皮膚内面に軽度の出血痕跡を認めていたことが明らかである上,file_15.jpg仮に,頚部圧迫をしめす外表所見や内部所見が認められない場合でも,タオルで頚部を締めた場合には,これらの痕跡が残らない場合があることから,確定判決が認定した犯行態様と,本件死体の客観的状況は矛盾しないなどと主張する。

(2)  城鑑定に関し,原審及び当請求審において証拠調べがされた経過及び証拠の概要は以下のとおりである。

ア 10/16捜査報告書(検2)

城鑑定人は,昭和54年10月15日の解剖終了後,捜査官らに対し,死体の腐乱が高度のため顕著ではないが,頚椎前面に溢血痕跡,右頚部皮膚内面に出血痕跡,左鎖骨直上の皮膚内面にかなり著しい皮下出血等が認められることなどから,死因は扼殺(窒息死)と推定すると説明した。

イ 城鑑定書(検1)

城鑑定人は,同月22日付けで鑑定書を作成した。

① 頚椎前面の組織間出血について

「頚椎前面の組織間出血が著しい。」と記載されているが,頚椎解剖は行われず,その成因等についても検討されなかった。

② 頚部所見について

file_16.jpg外表所見として,鑑定主文に「頚部等に外力の作用した痕跡を認める」とあり,鑑定理由に「前頚部の皮膚は多少とも暗紫赤色に変色している」という所見がある。file_17.jpg内部所見として,鑑定主文に「内部においても頚部等に外力の作用した痕跡を認める」「頚部内部の組織間出血は頚部に外力の作用したことを推測させる」とあるが,その根拠となった具体的な所見は,鑑定理由からは不明確である。file_18.jpg鑑定主文に「頚項部に作用した外力にて窒息死したものと想像する」「凶器の種類,成傷方法は判然としない」とあり,城鑑定人が想定した外力作用の内容は不明であるが,少なくともタオルによる絞頚という外力作用を排除する趣旨ではないと考え得る。

ウ 城補充鑑定書及び城証言

城鑑定人は,平成5年11月29日付けで城鑑定補充書(当請求審弁1)を作成し,平成9年7月9日に当請求審において証言した(以下,併せて,「城補充鑑定」という。)

① 頚椎前面の組織間出血について

頚椎解剖をしていないからその損傷の程度は不明であるが,これだけの出血があるから何か頚椎にも異常があるだろうと推測する。城鑑定では他殺を想像したが,被害者が側溝に転落したときの状況によっては,過伸展等による頚椎や頚髄損傷がおきて死亡することもあり得るから,現在では他殺か事故死か分からないというように見解を変更する。

② 頚部所見について

頚項部に作用した外力による(窒息死)との判断は,file_19.jpg前頚部の皮膚が多少なりとも暗紫赤色であり,file_20.jpg左鎖骨直上の皮膚内面にかなり著しい皮下出血の痕跡を認め,これらが同一の機会に形成されたと思われたことからである。file_21.jpg一般論として,タオルで頚部を締めた場合,その締め方によっては皮内・皮下に出血が生じない場合もある(例えば,ゆっくり締めたような場合,じわっと締めたような場合)から,皮内・皮下に出血がなかったとしても,タオルによる絞殺とは矛盾しない。

エ 池田鑑定書及び池田第1証言

池田鑑定人は,平成12年6月2日付けで鑑定書(当請求審弁43,弁27)を提出し,同年12月22日当請求審において証言した。

① 頚椎前面の組織間出血について

城鑑定書添附写真⑪(以下,単に「写真⑪」などという。)によれば,比較的大きな血管が破綻していると考えられ,厚い血腫状の出血があることから,必ず頚椎に損傷があったものと考えるが,頚髄損傷の有無やその程度は不明である。深さが1メートル程度の側溝に,頭部から落ちて頚部に垂直圧迫が加わったと考えれば,頚椎前面の組織間出血が生じることはあり得る。本件では,頚椎前面の組織間出血の他に致命的な損傷を認めないので,頚椎骨骨折による頚髄損傷によって死亡した可能性を真っ先に考える。

② 頚部所見について

file_22.jpg外表所見として,皮内・皮下出血,表皮剥脱,皮膚の陥没・陥凹等の索条痕は全く認められないし,file_23.jpg内部所見として,頚部圧迫を推測させるものは存在しない。したがって,file_24.jpgしたがって,前頚部には索条物による強い外力は作用していないと考えられ,タオルで力一杯締めつけて窒息死させたという確定判決の認定と,死体の客観的状況とは矛盾する。

オ 田中圭二の検察官調書及び田中証言

田中は,昭和54年10月15日に城鑑定人による本件死体解剖の執刀に助手として立ち会い,城鑑定人が口述した解剖所見を筆記したメモを作成し,そのメモに基づいて城鑑定書の下書きを作成した。田中は,自宅で保管していたこれらのメモ及び鑑定書の下書きに基づき,平成13年6月20日に検察官に対して供述し(当請求審検5,検1),同年8月30日に当請求審で証言した(以下,併せて「田中供述」という。)。

頚部の内部所見について(前記(1)②file_25.jpg),メモには,「頚椎の前面にそって出血の痕跡を認める。右頚部皮膚内面にも軽度の出血の痕跡を認む。」と記載されており,鑑定書の下書きにも同様の記載をしたところ,城教授は,「頚椎の前面にそって出血の痕跡を認める。」という部分を削除して別の項に移記し,「頚椎前面の組織間出血が著しい。」と表現を改めたが,「右頚部皮膚内面にも軽度の出血の痕跡を認む。」という部分については,赤い線で削除しただけで他の場所に移記しておらず,鑑定書にも記載されていない。城教授が,この所見をあえて削除したのか,他の場所に移記すべきところを失念したのかは分からない。

カ 石山意見書及び石山証言

石山鑑定人は,平成13年9月25日付けで意見書(当請求審検9,検5)を提出し,同年11月7日に当請求審において証言した(以下,併せて,「石山鑑定」という。)。

① 頚椎前面の組織間出血について

頚椎前面の組織間出血は,咽頭後壁に発達している血管叢の破綻等によっても生じるから,頚椎前面の組織間出血と頚椎損傷を直接に関連づけることはできない。もっとも,被害者が側溝に転落したときの状況によっては,頚椎や頚髄損傷がおきて死亡に至ったとしても,頚椎前面に著しい組織間出血が存在するという死体の所見とは矛盾しない。

② 頚部所見について

file_26.jpg外表所見として,写真⑤からは前頚部に著明な皮内・皮下出血,表皮の剥脱,皮膚の陥凹・陥没は認められないが,左頚部に生前生じた蒼白帯が認められ,その上下に生前生じたうっ血を示す変色帯が認められるから,これらをもって索条痕が存在するといえる。file_27.jpg内部所見として,頚部の軟部組織には出血が存在していたと認められる。file_28.jpgタオルのような幅が広い索条物で,ほとんど身動きできないような状況で首を締めたような場合には,皮膚の表皮剥脱や粗造化等が起こらない場合がある。

キ 池田意見書及び池田第2証言

前記カの石山鑑定に対し,池田鑑定人は,平成13年10月31日付けで意見書(当請求審弁46,弁30)を提出し,同年12月17日に当請求審において証言した(以下,前記池田鑑定書,池田第1証言と併せて,「池田鑑定」という。)。

頚部の外表所見について(前記(1)②file_29.jpg),一般的に索条物の圧迫によって形成される蒼白部は,索条物が解除されて圧迫部が元に戻ることによって不明瞭となり,本件のように索条物が解除された状態で死後2ないし3日が経過したような死体では通常見られない。したがって,蒼白部は,前額部の屈曲によって腐敗の進行が他よりも遅かった部位が写真上白っぽく見えているという死後変化にすぎない。

(3)  頚椎前面の組織間出血について(前記(1)①)

ア 城補充鑑定,池田鑑定及び石山鑑定は,いずれもE男が深さ約1メートルの側溝に転落していたという事実を前提にすれば,その転落状況によっては,頚部の過伸展や過屈曲により頚椎や頚髄に重篤な損傷が生じて死亡に至ることも考えられ,仮にこのような死の転機を想定したとしても,頚椎前面に著しい組織間出血が存在するという本件死体の客観的状況とは矛盾しないという限度で見解が一致する(前記(2))。

もっとも,3鑑定は,file_30.jpg死因について,頚椎前面の組織間出血の程度が著しいということをもって,直ちに頚椎損傷の存在を推認し,更に,その損傷の程度が死因になり得る程度に重篤なものであることまでをも積極的に推測することができるか,file_31.jpg頚椎前面の組織間出血の成因として,絞頚は考えられないかについて見解を異にする。

イ 頚椎前面の著しい組織間出血に関する各鑑定の判断は以下のとおりである。

(ア) 城補充鑑定

file_32.jpg原鑑定では,多少大雑把ではあるが,手で触ってみて頚椎骨に著しい損傷が認められなかったので,頚椎骨に骨折はないと判断したが,頚椎解剖をしたわけではないから,頚椎に全く損傷がなかったという意味ではない。むしろ,頚椎前面の組織間出血の程度が著しいから,何か頚椎にも損傷があるだろうと推測する。頚椎解剖を行っていないため,損傷の程度や,頚椎のどのレベルからの出血かということは不明である。一般論として,頚椎損傷から,頚髄損傷や,頚髄の周囲に出血が起こり,これが浮腫となって脊髄を圧迫し,四肢麻痺,呼吸麻痺で死ぬようなこともあり得る。本件では,頚椎にこれだけの異常がある場合に脳に全く影響がないはずはないから,意識障害があるのが普通だと思う。城鑑定では,死体の発見状況から他殺であろうと一部先入観を持っていたが,補充鑑定では,側溝への転落という事実を知り,多少先入観をよけて判断している。原鑑定では「他殺ではないかと想像される」としたが,頚椎前面の著しい出血に関し,自転車の運転中に側溝に転落したような場合に,その転落の状況によっては,過伸展等による頚椎損傷から死亡することもあり得ると考えるから,現在では他殺か事故死か分からないというように見解を変更する。

file_33.jpg頚椎前面の組織間出血の成因については,原鑑定当時は考えておらず,結局解明できなかったが,頚部周辺に過伸展,過屈曲,鈍力の作用などの強い外力が作用したと考えられる。頚椎前面の組織間出血は,タオルによる絞頚によっては起こり得ない。頚椎前面の組織間出血の存在と,絞頚の認定とは矛盾するわけではなく,両者は全く別の問題である。

(イ) 池田鑑定

file_34.jpg写真⑪を見る限り,第1胸椎から上位頚椎まで,即ち少なくとも2番,3番頚椎くらいまでが出血しており,血腫状の出血が認められることから,比較的大きな血管が破綻していると考えられる。血管の破綻は,血管が伸展したり,垂直圧迫の場合に頚椎骨が圧迫骨折や圧迫剥離骨折をして近傍の血管を損傷することによって生じる。頚椎前面の組織間出血は,少なくとも頚椎の前を覆っている前縦靭帯の損傷がなければ起きないし,本件のように頚椎前面に厚い血腫状の出血がある場合で頚椎に損傷がなかったという事例は見たことがないから,必ず頚椎に損傷があったものと考える。そうであれば頚髄にも損傷があるのが一般であるが,頚髄損傷の有無や程度は不明である。一般論として,上部頚椎(1番や2番頚椎)に損傷があれば即死してもおかしくないし,頚髄損傷があれば,手足の麻痺や,意識障害,呼吸停止,心臓停止等を引き起こすこともある。本件では,頚椎前面の組織間出血の他に致命的な損傷が認められないので,頚椎骨骨折による頚髄損傷によって死亡した可能性を真っ先に考えるが,他の致命的な疾病,損傷の有無が不明であるから,死因はあくまでも不明ということになる。

file_35.jpg頚椎前面の組織間出血の成因として,頭頚部の過伸展,過屈曲,垂直圧迫(左右方向の激しいねじれも含む)が考えられ,被害者の頚部には何らかの外力が作用したことは明らかである。頚椎前面の組織間出血は,絞頚によって生じることはなく,絞頚とは全く別の機序によってできたものである。絞頚による前方からの圧迫が,頚椎前面にまで及んでその部分の血管を破綻させることはあり得ないし,頚部圧迫で出血したものであれば膜にも破綻があるはずであるが,写真⑪の血腫は膜によって覆われており,その膜には損傷がないからである。

(ウ) 石山鑑定

file_36.jpg写真⑪では頚椎前面に出血が存在するが,頚椎部分の周囲への出血がなく,頚椎前面に出血が限局されすぎているという特徴がある。頚椎の垂直圧迫や,過伸展の場合,ある1か所の頚椎部分に損傷が集中し,その周囲へも出血が波及するのが一般的であるし,脊椎の動脈や静脈の分布は椎体の外側面に密で,前面に疎となっているから,椎体の外側に波及するのが一般的である。一方,咽頭後壁に発達している血管叢が破綻すれば,咽頭,食道の後で頚椎の前にある後咽頭間隙や後食道間隙に出血することになるため,頚椎骨折がなくても頚椎前面にビマン性の出血が生じる。したがって,頚椎前面の組織間出血と頚椎損傷を直接に関連づけることはできない。もっとも,被害者が側溝に転落したときの状況によっては,頚椎や頚髄損傷がおきて死亡に至ったとしても,頚椎前面に著しい組織間出血が存在するという死体の所見とは矛盾しないということはいえる。

file_37.jpg頚椎前面の組織間出血の成因として,頚部に対する鞭打ち(自転車からの転落,顔面打撲,背面や肩部への攻撃等を含む),捩転等の場合だけでなく,絞頚時に頚部に極端な捻転運動が加わったような場合も想定される。

ウ(ア) 頚椎前面の著しい組織間出血という所見から,直ちに頚椎損傷の存在等を推認することについて(file_38.jpg)

城補充鑑定は,頚椎前面の組織間出血の程度が著しいから,多少なりとも頚椎に損傷を生じていたと考えることができるとしており,同鑑定は,実際に死体解剖を行った城鑑定人自身が,その解剖所見を事後的に一部改めたという点において,それなりの意味のあることは否定できないが,城鑑定人は,原鑑定では,頚椎前面の組織間出血という所見を認めながらも頚椎解剖を行わず,その成因に関する考察すらしなかったが,十数年後,弁護人らから被害者が側溝に転落していたという事情を聞いたことから所見を改めたというにすぎず,現時点では,頚椎,頚髄損傷の有無及びその程度については添附写真上から判断するほかないという意味では,他の池田,石山鑑定と鑑定条件は特に異ならない。そして,城鑑定人自身も,何か頚椎損傷があるだろうと推測しただけで,その損傷の程度や,頚椎のどのレベルからの出血かは不明であり,頚椎解剖をしておけば良かったと思うなどと証言しているところ,添附写真のみから,直ちに,頚椎損傷の存在を積極的に推測することの合理性には多分に疑問がある。まして,頚髄損傷の存在までをも推測し,これらの損傷の程度が死因になり得る程度に重篤なものであることまでをも推測することは,添附写真のみによる鑑定の限界を超えるといわざるを得ない。また,石山鑑定によれば,頚椎前面に出血が生じる機序は,頚椎損傷以外にも考えられるというのであるから,頚椎前面に出血が存在することから直ちに頚椎損傷の存在を推認する必然性も認められない。加えて,城鑑定によれば被害者の頭部に外傷は認められないことから,被害者が頭部から側溝に転落したとは考えにくく,被害者が道路に寝そべったまま,満足に立つことも話すこともできなかったという状況は,後記2のとおり,泥酔によるものという説明も可能である。そうすると,頚椎前面に著しい組織間出血が認められるという死体の所見及び添付写真のみから,直ちに,頚椎や頚髄損傷の存在や,それが死因になり得る程度に重篤なものであったことを積極的に推認することはできず,頚椎に損傷が生じていた可能性は否定できないものの,その損傷の有無及び程度は不明であるといわざるを得ない。

(イ) 絞頚によって頚椎前面の組織間出血が生じ得るか(file_39.jpg)

城補充鑑定及び池田鑑定は,頚椎前面の著しい出血は絞頚によっては生じ得ないとするが,石山鑑定は,絞頚の際に頚部に極端な捻転運動が加わったような場合を想定すれば,頚椎前面の組織間出血は絞頚によっても生じ得るとする。この点,本件死体については,後記のとおり,前頚部の外表所見とし著明な皮膚の表皮剥脱,革被様化,陥没・陥凹等の索条痕が認められないのであるから,絞頚時に頚部に極端な捻転運動が加わったといった状況は想定し難い。したがって,本件に関しては,絞頚によって頚椎前面の組織間出血が生じたとは考え難い。

エ 以上のとおり,新証拠である城補充鑑定,池田鑑定及び石山鑑定によれば,E男が側溝へ転落した具体的状況によっては,頚椎や頚髄に重篤な損傷が生じて死亡したとしても,頚椎前面に著しい組織間出血が存在するという本件死体の客観的状況とは矛盾しないと認められ,城鑑定の「他に著しい所見を認めないで,窒息死を推定するしかない。」という結論部分は,この限度で変更せざるを得ないと認められる。もっとも,本件では,頚椎等に損傷が生じていた可能性は否定できないものの,その損傷の有無及び程度は不明であるといわざるを得ない。したがって,城鑑定は,E男の死因を窒息死としても本件死体の客観的状況とは矛盾しないという限度では,なおその信用性が否定されたとはいえない。

(4)  頚部への外力作用について

ア 外表所見について(索条痕の有無)

(ア) 城鑑定の頚部所見の概要は,前記(2)イ②のとおりである。新鑑定の頚部所見の概要は,前記(2)ウ,エ,カのとおりであり,前頚部(写真⑤)には,著明な皮内・皮下出血,表皮の剥脱,皮膚の陥凹・陥没等は認められないという点に関しては各鑑定は一致している。そして,池田鑑定及び石山鑑定は,前頚部には,2条の帯状変色部が存在すること,そのうち上方線状部分はしわの奥まった部分が線として見えているものであって索痕ではないこと,右頚部には蒼白部が存在することについて一致している。

池田鑑定と石山鑑定は,file_40.jpg蒼白部が生前生じたものか,死後変化によるものか,file_41.jpg2条の帯状変色部のうち下方の帯状部分が索条によるうっ血部分(生前変化)であるか,腐敗等による変色部分(死後変化)であるかについて,見解を異にする。

(イ) 池田鑑定と石山鑑定の外表所見について

a 池田鑑定

file_42.jpg右頚部の蒼白部については,一般的に索条物の圧迫によって形成される蒼白部は,索条物が解除されて圧迫部が元に戻ることによって不明瞭となり,本件のように索条物が解除された状態で死後2ないし3日が経過したような死体では通常見られないことから,前頚部の屈曲によって腐敗の進行が他よりも遅かった部位が写真上白っぽく見えている(死後変化)にすぎない。

file_43.jpg前頚部の2条の帯状変色部は,いずれも索条痕ではなく,頭頚部が前屈していたときのしわ,あるいは腐敗に伴う皮膚の変色であると判断する。その理由は,索条痕ならばその直下の皮内・皮下あるいは周辺部の筋肉内に出血が認められることが多いところ,本件では,2条の帯状変色部を縦断する大小2つの切開創にいずれも皮下出血が認められず,帯状変色部の皮膚に表皮剥脱や皮膚の陥凹・陥没も認められないからである。即ち,大きな切開創の下縁に沿ってV字型の黒褐色調変色部があるが,これは2条の帯状変色部の部位と一致せず,切開創の皮内・皮下に変色がなく,更に下の軟部組織内に変色がみられることから,出血ではなく死後変化による血液滲出と考えられる。小さな切開創の下縁の一方にも黒褐色調変色部があるが,その反対側の創面の皮内・皮下に出血がないので,これも死後変化によるものと考えられる。したがって,写真⑤の前頚部には,皮内・皮下出血,表皮の剥脱,皮膚の陥凹・陥没はいずれも認められず,頚部圧迫を推測させる所見は認められない。

b 石山鑑定

file_44.jpg右頚部には,蒼白部が存在し,これを挟んで,その上下に変色帯が存在している。蒼白部については,これを縦断する小さな切開創の創面が,下方の変色帯上ではやや紫色調で,血液量の増加即ちうっ血を示しているのに対し,蒼白部上では蒼白調になっていることから,単なる写真上の明部ではなく,皮膚の蒼白部であると認められる。そして,蒼白部が,生前に生じたものか死後に生じたものかが問題となるところ,蒼白部の形状がその部位を横走するしわ(2条の変色線のうちの上方線状部分)に沿って対称ではないため,死後変化による蒼白部の形成過程(皮膚のしわ等の影響で生じる。)では説明が付かないこと,蒼白部の上下に変色帯が存在し,当該部分に局在する形で明確なうっ血が存在するため,蒼白部の皮膚の圧迫によって排除された血液が周辺部に散らずに,変色帯部に止まるための外力作用が想定されることから,蒼白部は生前に存在していた可能性が高い。

file_45.jpgなお,下方の変色帯(2条の変色線のうち下方の帯状部分)が,生前に生じたうっ血であるか死斑かが問題になるところ,血液が蒼白部の下部に帯状に明確に局在しているという変色部の形状,その色の程度及び変色部にしわ等が存在しないためにそれが皮膚のしわ等によって生じたとは説明できないことなどから,生前に生じたうっ血であると認められ,そうであるならば,こと更に腐敗の影響による変色という点を考慮する必要はないと考える。そうすると,蒼白部が存在し,この蒼白部で排除された血液がその周辺に局在し,そのうっ血によって上下の変色帯が形成されたと認められることから,これをもって索条痕が存在すると判断してよい。加えて,前頚部には,上下幅4センチメートル程度の淡紫紅色部が認められることから,前頚部には,全体として4ないし5センチメートルの幅広な索条物によって軽度に圧迫され,約2センチメートルの蒼白部分が緊縛時に強く圧迫されたと見て矛盾しない所見が存在するといえる。また,蒼白部の中の右側に先端を上前方に向けた黒い筋状の変色が認められるが,これは頚部圧迫の際のくし状出血と見ても矛盾しない。

(ウ)a 右頚部の蒼白部について(前記(ア)file_46.jpg)

絞殺から死体解剖までの時間の経過と死体が置かれた状況について,A男とB男の自白(A男11/2検面(検107),B男11/7検面(検113))を前提とすれば,被害者は,タオルで絞殺された後,間もなく索条を解かれ,仰向けの状態で3ないし4時間放置された後,約2日半にわたって頚部を前屈させたうつぶせの状態で堆肥に埋められており,死体解剖がされた時には,絞殺時から約3日が経過していたものと認められる。このような死体が置かれていた状態や,司法解剖までの時間の経過,窒息死した場合における血液の暗赤色流動性等の事情を併せ考えると,仮に索条物による圧迫によって頚部に蒼白部が生じていたとしても,本件解剖時点までそのような蒼白部が消失しないまま残っていたと考えることにはいささか疑問がある。そして,城鑑定書においては,右頚部の蒼白部の存在の指摘すらないことは,鑑定所見として不十分であるといわざるを得ないものの,相当な経験を積んだ法医学者が,頚部への外力作用による窒息死を疑って解剖しながら,生前生じた可能性がある蒼白帯を見落とすことは通常考えにくいことから,現実に死体を解剖した城鑑定は,蒼白部を生前生じた窒息死に関連する所見とは認めなかったものと推測される。そして,死体がやや右の方向を向いて頚部を前屈させ,右側の前頚部から側頚部にかけてが最も屈曲していた可能性があり,右頚部に複雑な形状にしわが生じるなどしたことによって(例えば,上部の横走する変色線,蒼白部の中の右側に先端を上前方に向けた黒い筋状の変色線等),当該部分の皮膚が織り込まれるなどしたことに加え,当該部分が周囲の堆肥と接触せずに腐敗による影響から免れたことなどによって,死後に右頚部の蒼白部が生じたと推認することが可能である(なお,右頚部に蒼白帯が生じていることに関し,確定判決が認定の基礎としたA男の自白によれば,(A男11/2検面(検107)),A男は,E男の左肩付近にかがみ込んで首を締めたと供述するものの,犯行再現では,E男の左肩付近の頭部の方向から回り込んで首を締めている状況が示されていることから(検証調書(検8)),左肩付近から締めたことと右頚部でタオルが交差されたことが,直ちに矛盾するとはいえない。)。

b 下方の帯状変色帯について(前記(ア)file_47.jpg)

まず,下方の帯状変色帯を索状物によって表皮剥脱した部分が変色したもの(索条痕)と見る余地がないかについては,城鑑定が,頚部に対する外力作用による窒息死を疑いながら,前頚部の表皮剥脱について全く触れておらず,石山鑑定は,写真⑤からは前頚部に表皮剥脱があったかどうかは不明であるが著明な表皮剥脱は認められないとし,池田鑑定は,索条痕であれば表皮剥脱のみならず皮膚の陥没・陥凹を伴うところ,同変色帯にはこれらがいずれも認められないとしていること(池田①232),加えて,同変色帯を縦断する大小の切開創(写真⑤)を確認しても,城鑑定は,若干の出血らしいものはあったが,著明な出血ではなく,腐敗による滲出血との区別ができないから十分に出血とは断定できないとし,石山,池田鑑定ともに写真⑤からは著明な皮内・皮下出血は認められず大きい切開創の下縁部に沿ったV字型の黒褐色の変色部についても同変色帯の形状に沿っていないことから,同変色帯に対する外力作用と関連する皮下出血とは認められないとしている。そうすると,同変色帯をもって,表皮剥脱した部分が変色したもの(索条痕)であると認めることはできない。

次に,下方の帯状変色帯が,右頚部の蒼白帯との関連において生前生じたものであり,これらを索状痕と見る余地がないかについては,前記aのとおり,右頚部の蒼白部は,生前生じたものとは認められないことから,同蒼白部との関連性から下方の帯状変色帯の成因を説明することはできない。そして,池田鑑定によれば,同変色帯は,その周囲を圧迫されることによって細かいしわが出て,その部分に血液が溜まり,又はその部分が大気に触れ若しくは堆肥に接触したことなどから腐敗菌が作用し,結果的に変色したとされており,写真⑤及び⑥の死体の頚部の前屈の状況,死体が堆肥内の腐敗汁に浸かっていた状況等を併せ考えると,同変色帯の成因は判然とはしないものの,これらの要因が複合的に作用して生じたものと推認するほかない。したがって,前頚部の2条の帯状変色部のうち下方の帯状変色帯については,腐敗等による変色部分(死後変化)であると推認される。

c 以上によれば,右頚部の蒼白部及びその下方の帯状変色帯の存在をもって,索条痕が存在するとは認められず,本件死体の前頚部には,皮内・皮下出血,表皮の剥脱,皮膚の陥凹・陥没等の索状痕も認められない。

イ 内部所見について

(ア) 城鑑定は,内部所見として,鑑定主文に「内部においても頚部等に外力の作用した痕跡を認める」「頚部内部の組織間出血は頚部に外力の作用したことを推測させる」とするが,その根拠となった具体的な所見は,鑑定理由からは不明確である(前記(2)イ②)。この点,城補充鑑定及び池田鑑定によれば,頚部に対する外力作用を推測させた「頚部内部の組織間出血」としては,file_48.jpg頚椎前面の組織間出血と,file_49.jpg左鎖骨直上の皮下出血の2つが考え得る。そうしたところ,城補充鑑定によれば,file_50.jpg頚椎前面の組織間出血については,「死因とした『頚項部への外力作用による窒息死』にいう外力と関係ないものと思います。」などとして否定されているが,file_51.jpg左鎖骨直上の皮下出血については,「頚項部に作用した外力によるものとの判断は,…前頚部の皮膚が多少なりとも暗紫赤色であり,左鎖骨直上の皮膚内面にかなり著しい皮下出血の痕跡を認め,これらが同一の機会に形成されたと思われたことからです。」などとされ,同所見が,頚部に対する外力作用を示す根拠と考えられていたとも推認される。そして,左鎖骨直上の皮下出血という所見が,写真⑪,⑫に撮影されている丸い血腫状の異常部を指すのかどうかについては,明確ではないものの,城補充鑑定書では,少なくとも,左鎖骨直上の皮下出血はタオルによる絞頚で生じるものではないと判断されている。そうすると,城鑑定及び城補充鑑定では,頚部に対する外力作用として,何らかの態様での頚部圧迫というものを想定していたとも考えられるが,積極的に絞頚という態様を想定していたものではなく,少なくとも絞頚を示す内部所見は認められなかったものと推認できる。

(イ) 右頚部皮膚内面の出血痕跡について

a 右頚部皮膚内面の出血痕跡という所見が存在したこと

城鑑定人の解剖所見を記録したメモや鑑定書下書きには,「其の三,頚部臓器」の項で,「頚椎の前面にそって出血の痕跡を認める。右頚部皮膚内面にも軽度の出血の痕跡を認む。」と記載されていたことが認められ(前記(2)オ),また,城鑑定人は,解剖直後,捜査官らに対し,死因は扼殺(窒息死)と推定すると説明し,右頚部皮膚内面の出血痕跡という所見を挙げていたことが認められる(前記(2)ア)。したがって,城鑑定書添附写真には該当部分を撮影したものはないものの,城鑑定人は,解剖を行った際,右頚部皮膚内面の出血痕跡という所見を認めていたものと推認される。

b 右頚部皮膚内面の出血痕跡という所見が削除された理由

城鑑定人は,鑑定書下書きを校正した際,「頚椎の前面にそって出血の痕跡を認める。」という部分を「甲,胸腹腔開検」の項に移記したが,「右頚部皮膚内面にも軽度の出血の痕跡を認む。」という部分については,赤い線で削除しただけで,他の場所に移記しておらず,城鑑定書には同所見が記載されていないことが認められる(前記(2)オ)。この点,検察官は,同所見が削除された理由については触れないが,弁護人らは,城鑑定人は,解剖時には右頚部皮膚内面の出血痕跡を認めていたが,事後に再検討した結果,意図的に削除したものと推認され,当該所見が出血として鑑定書に記載するに足るものではなかったことを示しているなどと主張する。

この点,右頚部皮膚内面の皮下出血痕跡が明確な所見であったとすれば,城鑑定においては,頚項部に作用した外力を推測させる根拠となった重要な所見であったと考えられる。そうすると,経験豊富な法医学者が,このように重要な位置づけにある所見について,下書きを削除したまま鑑定書に移記し忘れるといった事態は想定し難い。そして,鑑定書下書きを作成した田中も,城鑑定人は,解剖をしながらとりあえず,一応の所見を口述してメモさせ,事後的に検討してこれを削除することはよくあったが,7年間も城鑑定人の助手をしていたが,城鑑定人が,下書きを削除したまま鑑定書に移記し忘れたというようなことは経験にないなどと証言する。そして,城鑑定書は,本件事件において,A男とB男の絞頚という実行行為に関する自白を裏付ける重要な証拠であること,同鑑定書では頚部に対する外力作用を示す所見が何であるかは最も重要な点であることなどを考えると,確実な証拠がある場合は格別,単なる推測をもって,鑑定書に記載し忘れた記載こそが頚部に対する外力作用を示す所見であったなどと軽々に解釈することは,到底許されない。そうすると,右頚部皮膚内面の皮下出血痕跡という所見は,意図的に削除されたものと推認するほかはない。

(ウ) 以上によれば,城鑑定及び城補充鑑定では,頚項部に対する外力作用を推測させた内部所見として,左鎖骨直上の皮下出血が考えられたが,これは絞頚を推測させる所見とは評価できないこと,右頚部皮膚内面の出血痕跡という所見については,事後的な検討の結果として意図的に鑑定書から削除されたことが認められる。そうすると,本件死体の頚部には,絞頚を推測させる内部所見は認められない。

ウ タオルを頚部に巻いて強く引っ張って窒息死させたという犯行態様と,本件死体の頚部所見は矛盾するか。

(ア) 以上によれば,①外表所見として,皮内・皮下出血,表皮の剥脱,皮膚の陥凹・陥没等(索状痕)は認められず,②内部所見についても,絞頚を推測させるものは認められない。このような本件死体の頚部所見は,タオルを頚部に巻いて力一杯締め付けて窒息死させたという犯行態様と矛盾するかに関し,城補充鑑定,池田鑑定及び石山鑑定の要旨は以下のとおりである。

a 城補充鑑定

一般論として,索条物の下には力が入るし,首が動くであろうから出血する要因も多いが,タオルで頚部を締めた場合,その締め方によっては皮内・皮下に出血が生じない場合もある(例えば,ゆっくり締めたような場合,じわっと締めたような場合)。タオルによる絞殺という認定と,著明な皮内・皮下出血が認められないという死体の損傷の状況とが矛盾するかどうかについては,タオルの大きさ,幅,締める力,スピード等によるから,何ともいえない。

b 池田鑑定

タオルで頚部を力一杯締め付ければ,交差させた部分の皮内・皮下出血,表皮剥脱などが生じてしかるべきであるのに,本件死体の前頚部には,腐敗の影響は少ないにもかかわらずそのような所見が全く認められない。したがって,前頚部には索条物による強い外力は作用していないと考えるのが妥当であり,タオルで力一杯締めつけ,それによって窒息死したという確定判決の認定は,死体に見られる所見とは矛盾する。一般論として,絞頚による窒息死の場合,気道閉塞による場合と左右の頚動脈が圧迫される場合があり,窒息死に至るまでは,1分ないし数分(5分程度)の外力の持続が必要である。気道を締めるよりは,頚動脈を締める方が弱い力ですむが,一般的には,左右の頚動脈が完全に締まるには3,4キログラムの力が必要であるといわれているため,索条痕を残さずにタオルで首を締めて窒息死させることは困難である。タオルを交差させて力一杯締めるという方法と異なった締め方をした場合については,どちらともいえないが,緩く締めると相手は抵抗して余計に皮下出血等の痕跡が残ると思われるため,痕跡を残さずに絞殺するのは通常であれば困難であろう。もっとも,頚部に痕跡を残さないまま死亡に至る場合もないではなく,少し締めただけで心肺停止に陥る場合や,完全に意識を失っていて苦しまない場合などの特異例はあり得るので,可能性としては否定できないから,頚部に作用した外力によって窒息死したという城鑑定の判断が間違っているとは考えないが,そのような例外的な特別な事情を示唆する所見の有無については不明である。

c 石山鑑定

絞頚による窒息死の所見でもタオルのような幅の広いもので圧迫したような場合は,皮膚表面には陥凹や粗造化といった異常が出てこない場合もある。例えば,後ろからタオルを前に掛けて後ろで交差させて,被害者が赤ん坊のような身動きできないような場合で,絞頚時に首も体も動かないような場合,濡れたような布で締めた場合などが考えられる。また,絞頚による窒息死でも,皮内・皮下出血が生じないような場合もある。例えば,父親が子供をよく説得して首を一気に締めた様な場合で,縊死に近いような場合などが考えられる。表皮剥脱や粗造化といった索溝が発見できるかどうかは,法医学者のレベルによると思うが,自分が経験した事例では,索溝がなかった場合というのは余り記憶にない。

(イ) 検討

以上によれば,タオルのように幅が広く,柔らかい索条物で首を締めた場合には,その締める方法によっては,皮内・皮下出血,表皮剥脱,皮膚の陥凹といった索条痕を全く残さない場合もあり得るという点において,3鑑定の見解は一致しており,検察事務官作成の資料入手報告書(当請求審検7,検3)に添附された各文献の写しにも同旨の記載がある。そして,池田鑑定及び石山鑑定によれば,このような索条痕を残さない場合とは,被害者が少し締めただけで心肺停止に陥った場合,完全に意識を失っていて苦しまない場合(池田鑑定),被害者が赤ん坊のような身動きできないような場合で,絞頚時に首も体も動かないような場合,父親が子供をよく説得して首を一気に締めた様な場合で,縊死に近いような場合(石山鑑定)などであるというのであるから,被害者の抵抗がほとんどなく,絞頚時に首も体も動かないような場合には索条痕が残らないということができ,この点では両鑑定の見解に大きな違いはないと認められる。

そこで,確定判決が認定の根拠とした,A男とB男の自白を前提に,絞頚時のE男の状況について検討する。A男は,花子が投げたタオルを拾い上げて,E男の左肩付近にかがみ込み,E男の頭を少しかかえ上げてタオルを首に通し,1回だけ顎の下辺りで交差させ,タオルの両端を両手で握り,力一杯両方に引っ張った,花子は,E男の両足を押さえ,E男が,首を締められて両手をバタバタと動かしたので,B男はE男の両手を押さえた(A男11/2検面(検107),11/3員面(検106),11/4検面(検108)),A男は,タオルを首に通し,のどの前で交差させ,タオルの両端を握り,いっぺんに締め上げた,花子は気合の入った声で,「もっと力を入れんないかんぞ。」と言い,A男は力一杯タオルの両端を握って引っ張った,E男はグーッと苦しそうな声を出して苦しみ出し,両手や身体に力が入りもがこうとしたので,B男は,更に前かがみになりE男の体に張りつくようにして両手を押さえつけた(B男11/7検面(検113))などとされている。同人らの自白によれば,E男が,両手をバタバタ動かしたり,グーと声を出して苦しみだし,両手や身体に力が入ってもがこうとしたのでB男がE男の体に張りつくようにして押さえ付けたなどというのであるから,E男が,絞頚時に相当程度苦しんで抵抗していた状況が推認され,前後不覚の状況にあったE男がさして苦しまず,体や首を動かすことなくすぐに意識を失ったというような特殊な状況を推認することはできない。そして,A男は,いっぺんにタオルを締め上げたが,花子からもっと力を入れろと指示され,更に力一杯タオルを引っ張ったというのであるから,索条痕が残らないように注意深く首にタオルを巻いて引っ張ったり,弱い力で締めたり,ごく短時間しか首を締めなかったなどといった特殊な状況を推認することもできない。

このように,A男とB男の自白からは,被害者の抵抗がほとんどなく,絞頚時に首も体も動かないような場合といった,索条痕が残らないような特殊な事情を想定することはできない。そうすると,このようなA男とB男の自白を前提とする犯行態様は,前頚部に索条痕が認められないという死体の状況とは矛盾する可能性が高いといわざるを得ない。

なお,城鑑定は,池田鑑定によって,頚部圧迫の有無を判断するにあたっては,頚部の皮膚,皮下組織を全周的に注意深く切開し,筋肉等を剥離して細かい出血等を確認すべきであったが,それがされておらず,甚だ不十分な解剖であったといわざるを得ないなどと批判され,石山鑑定によって,城鑑定の頚部所見は,何か暗紫赤色の色があると書かれているだけで,丹念に観察されたとは到底考えられないなどと批判されている。このように,城鑑定が,鑑定として十分ではなかったとしても,鑑定としての証拠の特質に鑑みれば,確実な根拠がないまま,城鑑定の頚部所見に見落としがあった,鑑定書に記載し忘れた所見があったなどとし,それを前提として,絞頚を示す頚部所見が存在しなかったとはいえないとした上,タオルによる絞頚と死体の頚部所見は矛盾しないなどという議論をすることは相当でない。

(5)  まとめ

(ア) 城鑑定について

原審の城鑑定に対する証拠評価は明らかではないが,原審の証拠構造上,「頚項部に作用した外力によって窒息死に至ったものと想像しないわけにはいかない。他殺ではないかと想像する。」という城鑑定主文が,タオルを用いた絞頚による窒息死を想定しても死体の頚部所見とは矛盾しないという意味で,犯行態様や死因を根拠付け,A男とB男の自白を裏付けるものとなっていると思われる。

(イ) 新鑑定による影響について

E男が頚椎等を損傷していた可能性は否定できないとしても,その有無及び程度は不明であること,仮に,頚椎等に重篤な損傷が生じていた場合であっても,その後,絞頚によって窒息死するに至ったことも十分に考え得ることから,E男の死因を窒息死としても本件死体の客観的状況とは矛盾しないという限度では,城鑑定の信用性が否定されたとはいえない(前記(3))。そして,前記(ア)のとおり,城鑑定の証拠価値がもともと限定的なものであったことをも併せ考えると,新鑑定,特に池田鑑定によって,直ちに確定判決の犯罪事実の認定が維持できなくなるとはいえない。

しかしながら,新鑑定によれば,頚部所見については,前記のとおり,外表所見として皮内・皮下出血,皮膚の表皮剥脱,陥凹などの存在は認められず(前記(4)ア),絞頚を示す内部所見も認められない(前記(4)イ)のであるから,このような死体の客観的状況は,A男とB男の自白を前提とする犯行態様とは矛盾する可能性が高いと認められる(前記(4)ウ)。したがって,前記(ア)のとおり,城鑑定の証拠価値がもともと限定的なものであったとしても,A男とB男の自白について,犯行態様という自白の根幹部分が死体の客観的状況と矛盾する可能性が高いといわざるを得ない以上,その信用性を慎重に吟味する必要がある。そうすると,本件が,A男とB男の自白以外の証拠によってどの程度支えられているかについても再検討する必要が生じる(客観的証拠の評価,情況証拠,D子の供述等について)。また,城鑑定の結論部分は,E男の側溝への転落状況によっては,頚椎等に重篤な損傷が生じて死亡したと考えても,頚椎前面に著しい組織間出血が存在するという本件死体の客観的状況とは矛盾しないという限度で変更せざるを得ないと認められるから(前記(3)),本件事故当夜,E男が同人方に搬送された時の状況等について,再検討する必要が認められる。

3  搬送時のE男の状況等について

(1)  弁護人らは,①10月12日夜にE男を同人方まで搬送した状況についての丁野及び戊谷の供述の信用性には疑問があるとし,E男は,側溝への転落によって,頚椎や頚髄損傷によって瀕死の重傷を負った状態であり,そのまま事故死した可能性がある,②E男の通夜の席での丁野の不可解な言動からすれば,丁野と戊谷が,E男の死因について何らかの関与をしていた可能性があるなどと主張する。

(2)  E男の10月11日から12日の行動について,確定記録からは,おおむね以下のとおりであると認められる。

ア 10月11日午前零時ころ,E男がF子方まで来て,酔って大声を出し,子供2人を無理やり車に載せてE男方に連れて行ってしまったので,F子は,午前2時ころ,子供らを連れ戻した(甲山F子10/23員面(検91))。

同日午後8時ころ,子山は,E男から電話で牛を買うようしつこく言われたので,午後9時半ころE男方に行くと,E男は,土間横の3畳間のこたつの近くに横になってテレビを見ており,こたつ台の上にミナ(貝の一種)の入った皿を置いて,焼酎をコップで飲んでいた(子山C男員面10/22(検38))。

イ 10月12日は,E男の姉庚町L子の長男M男の結婚式があり,A男,B男,E男を始めL子の兄弟姉妹及びその配偶者は,全員これに招待されていた。A男は,午前9時ころ,E男を誘いに行ったが,E男はすでに飲酒して相当酔っていたため,E男をおいて結婚式に出席した(10/16捜査報告書(検2))。

ウ E男は,午後3時過ぎころ,E男方からほど近い西井俣部落の戊谷商店に来た。E男は,普段着の作業着姿で,人へのお礼にお菓子を持って行かなければならないと言って,生菓子3ケースと牛乳1パックを掛けで買い,その牛乳を店先で飲み,辰村hが死んだので香典の金を貸して欲しいと嘘を付いて,500円を持って行った。E男の話しぶりや臭いから,焼酎を飲んでいたのは確かだったが,足がふらついたり,訳が分からないことを言うわけでもなかったので,ひどく酔っているとは思わなかった。E男は,自転車で来ており,乗っていったかどうかは分からないが,自分の家の方向に向いて行った(巳浜j子10/23員面(検39))。

エ 未林商店は,E男方から東方に約1.5キロメートル離れた井俣所在で,E男は,最近は週に2,3回焼酎を買いに来ていた。午後3時ころ,未林1男が店にいるとE男が来て,焼酎2本(若潮1合瓶1本,大金の露2合瓶1本)と梨1個を買って500円を支払い,梨は店の中で洗って食べていったが,あまり酔っていなかったようだった(未林m男10/19員面(検41))。

オ 午後3時30分ころ,E男は,自宅前道路で軽四輪貨物自動車に乗っていたが,酒気を帯びていたので,逆瀬川巡査部長が運転中止を指示した。午後4時30分ころ,E男が辰村精米所を訪問したのを辰村i男が目撃した(10/16捜査報告書(検2))。

カ 午後5時ころ,辛浜N男は,平良部落方面から自宅に向かって車で走行中,自宅から約80メートル手前の町道を,E男が酒に酔って自転車を押しているのを目撃した(10/16捜査報告書(検2),辛浜O子10/24員面(検40))。

キ 午後5時30分ころ,E男が,南の方からぶらぶらと自転車に乗って未林商店に来て,焼酎を掛けで売って欲しいと言うので,断ったが,E男は,「そげん言わじ。」と言って,焼酎2本(大金の露2合瓶1本と若潮2合瓶1本)とタマネギ1袋を盗ってビニール袋に入れて無断で持ち去り,北の方に自転車で走っていった。E男は,胸にポケット付きの半袖白色シャツを着ており,素足だったと思う。その話しぶりからは,あまり酔っている感じは受けなかったが,無断で店のものを盗っていくなどかねてない行動だったので,相当酔っていたものと思う(未林m男10/19員面(検41))。

ク 午後6時ころ,辛浜N男は,E男が,辛浜N男方前付近道路に自転車もろとも倒れて寝ていたのを目撃した。午後7時ころ,N男の父辛浜O子は,自宅に向かって車で走行中,小能部落と平良部落の境付近の町道上の辛浜方に向かって道路右側端に,E男が半身になって寝ているのを目撃した(10/16捜査報告書(検2),辛浜O子10/24員面(検40))。

ケ 午後8時20分ころ,辛浜P男が,親戚の丁野に電話をし,「E男が,長田溝に落ちて道路に上げて寝かせてあるから誰か兄弟に迎えに来るよう連絡してくれ。」と言った。丁野は自分で行くことにしたが,E男は,体重が70キロはあるし,酔っているから1人では手に負えないと思い,午後8時30分ころ,戊谷に電話をして一緒に行くよう頼み,出かける前に花子に電話をし,E男が酔っぱらって道路に寝ているから迎えに行くと連絡した。長田溝までは,丁野方から車で約10分の距離であった(丁野H男10/15員面(検76),10/16員面(検78),10/29検面(検82),戊谷I男10/15員面(検71))。

コ 午後8時40か45分ころ,丁野と戊谷は,E男が倒れている現場に到着した。現場は,小能部落と平良部落の境付近の南北に走る町道で,道路の幅員は約5メートル,道路の西側は側溝(長田溝,側壁の高さ約1メートル,幅約50センチメートル,水深約25センチメートル)を経て田んぼに,東側は土手を経て山林になっている。E男は,道路の土手側に,頭を土手側に向け,顔を南側に,背中を側溝側に投げ出すようにして半身の状態で腰と足を曲げて寝ていた。上着は肌着の上にボタン付きの白か灰色のシャツを着ていたが,下半身は丸裸で,黒っぽいズボンが脱ぎ捨てられたように足もとにおいてあり,パンツは見当たらず,シャツもズボンもびっしょり濡れていた。クラクションを2,3回鳴らすと,E男は,右手をがたがた震わせるようにして伸ばしたが,完全に手を伸ばすことはできないようだった。懐中電灯でE男の体を照らしてみたが,体の表面には怪我はなかった。丁野は,「E男,何いごっか,ここあたい寝て。」と大声で怒鳴ったが,E男は,「ウーウー」と苦しそうに言うだけで,ものも言えず,1人で立つこともできない状態だった。E男の顔から約1メートル南側には自転車1台が土手に立てかけるように倒れており,その近くに草履1足が置いてあった。反対側の側溝を懐中電灯で照らすと,側溝の中には焼酎の若潮と大金の露(2合瓶各1本,1本は未開封,1本の残量は約半分程度),タマネギ5,6個入りのビニール1袋及びビニール袋1枚が落ちており,側溝の中は雑草が倒れ,田んぼ側の雑草も倒れていたので,E男は,この場所の側溝に自転車もろとも落ちたものと思った。丁野は,E男を路上に座らせたが,ふらふらするので,気合を入れようと思い,右頬を右手で2,3回ひっぱたいた。するとE男も目が覚めたようで,何とか丁野らの手を借りて立ち上がったので,そのまま2人で両腕を抱えるようにして,車の荷台の右側へ連れて行き,荷台の枠を下におろさず,そのまま車の荷台に頭を運転席側に向けて,ほうり込むようにして乗せ込んだ。そして,自転車,ズボン,草履,焼酎2本,タマネギ入りのビニール袋1袋を荷台に積んで,E男方に向かった。午後9時過ぎころ,辛浜N男は,現場を見に行ったが,E男は現場にはもういなかった(丁野H男10/15員面(検76),10/16員面(検78),10/29検面(検82),戊谷I男10/16員面(検73),辛浜O子10/24員面(検40))。

サ 午後9時前後,丁野と戊谷は,E男を同人方に連れ帰り,2人でE男を車から降ろし,玄関から土間に入り,両手を顔の下にしてうつぶせの格好で体を小縁にもたせかけ,両足を土間につかせて置いて帰った。E男方にいたのは10分程度だった(戊谷I男10/16員面(検73),丁野H男10/15員面(検76))。

(3)  E男が側溝への転落によって瀕死の重傷を負っていた可能性について

ア E男が道路に寝ていたときの状況(前記(2)コ)

丁野と戊谷の供述には,若干表現が異なる部分があるものの,いずれも単なる表現の違いで説明の付く範囲のものであり,同人らがE男が道路に寝ていたときの状況について虚偽供述をするような事情もうかがわれず,E男が単に泥酔状態にあったという丁野と戊谷の供述は,特に虚偽を述べたものとは考えられない。そして,前記(2)のとおり,前日からのE男の飲酒状況に加え,E男は,飲んで道ばたで寝込んでしばしば兄弟らに連れ帰られることがあったという事情を考えると,10月12日午後6時ころ,E男が泥酔状態にあったと考えて不自然でない。

イ E男を連れ帰った時の状況(前記(2)サ)

丁野と戊谷の供述は,①E男を車から降ろす状況について,「2人で少し手を貸すと,E男がほとんど1人で車から降りて,1人で千鳥足で玄関の中に入っていった。」(戊谷),「2人でE男の体を抱えて荷台から降ろし,玄関から土間に運んだ。」(丁野)などというもので,その表現からは,かなり異なった場面を想像させるが,2人で手助けをしてE男を車から降ろしたという点については特に矛盾はなく,2人の供述の違いは,手助けをした力加減の違いや,丁野はE男と一緒に土間の奥まで入ったが,戊谷は玄関入口までしか入っていないといった行動の違いによるものと考えても不自然ではない。また,②E男方での作業の順序について,2人の供述には若干の食い違いはあるが,牛に餌や水をやり,荷物を降ろし,明りを付け,E男を降ろしたといった作業順序について,それぞれ記憶違いがあったとしても特に不自然ではない。そうすると,泥酔状態のE男を同人方土間に置いて帰ったという丁野と戊谷の供述は,特に虚偽を述べたものとは考えられない。

ウ 以上のとおり,E男を連れ帰った状況に関する丁野と戊谷の供述の信用性を特に疑うべき事情は認められない。もっとも,その直前まで自転車に乗っていた(前記(2)キ)E男が,側溝への転落を契機に満足に話すこともできなくなったことや,飲酒終了後3時間近くが経過していると思われるのに,深い昏迷状態が続いていること,E男の口腔内や両耳腔内には泥土が侵入したままになっていた(鑑定書(検1))というのであり,身体の反射機能が低下していたと考えられることなど,単に飲酒による酩酊として説明できるかどうか疑問のある事情があることも否定できないが,E男の頭部には外傷や出血が認められず(鑑定書(検1)),側溝への転落状況も不明であることから,頚椎等に損傷が生じていた可能性を全く否定することはできないとしても,その損傷の有無及び程度は不明であるというほかない。

(4)  丁野と戊谷がE男の死因に関与した可能性について

弁護人らは,丁野や戊谷のように面倒見のよい人物が,全身ずぶぬれのE男を土間に放置して帰ったというのは不自然である上,丁野は,10月17日にE男の通夜に来て,「E男,わいも3日間苦しかったろう,おいも3日間風呂も入らずにきばった,すまんかった,何とか言ってくれ。」と涙を流しながら言ったことが認められ,丁野や戊谷が,10月12日夜にE男を搬送した際,何らかの事情でE男の死因に関与した可能性があるなどと主張する。

しかしながら,前記(3)のとおり,丁野と戊谷の供述には信用性が認められることに加え,丁野は,以前にもE男を家まで連れ帰ったことがあるがいずれも土間に置いて帰っており,ずぶぬれの状態のE男をそのまま畳に上げるのを躊躇し,土間に置いたことも特に不自然とはいえないこと,丁野は,当日のE男の状況についても,泥酔しているという以外に特に変わった様子には気付かず,E男の焼酎の瓶と車の鍵を預かって帰ったというのであるから,むしろE男が起き出して行動する可能性を認識していたと認められる。更に,丁野の通夜の席での言動については,不可解な点はあるものの,本件全証拠によっても,丁野と戊谷が,E男の死因について何らかの関与していた可能性を示すような事情は認められない。

(5)  まとめ

以上のとおり,丁野及び戊谷の供述は,いずれもその信用性を否定するような事情はうかがえない。そして,丁野及び戊谷の供述からは,E男が泥酔状態であったと考えても不自然ではなく,他方,E男の側溝への転落状況が全く不明である以上,頚椎等に損傷が生じていた可能性を全く否定することはできないとしても,その損傷の有無及び程度は不明であるというほかない。また,本件全証拠によっても,丁野と戊谷が,E男の死因について何らかの関与をしていた可能性を示すような事情は認められない。

4  客観的証拠の評価について(押符号は,裁判所が領置した際の昭和55年押第3号の符号を指し,領符号は,領置調書の昭和54年領第871号の符号を指す。)

(1)  ビニールカーペットについて(押符号7(検129・領符号7),領置調書10/16(検28))

ア ビニールカーペットが置かれていた場所について

ビニールカーペットは,10月14日朝,花子が,E男方庭のチリ溜場に小さく畳んで上に緑色の杉の葉を載せた状態で置いてあったのを,A男に片付けるよう指示し(花子10/16員面(検134)),同日,A男が,これを同所からE男の車庫の耕運機の上に移動させたが(A男11/6検面(検109)),翌15日朝,Q男が,車庫内の耕運機の荷台に同カーペットが置いてあるのに気付き,一度広げた上で畳み直し,牛小屋南端の飼料棚に立て掛けておいたところ(甲山Q男10/18員面(検69)),実況見分時に同所で発見領置されたと認められる(実況見分調書(検12,写真235),10/15領置調書(検28))。同カーペットは,5月の段階ではE男方中6畳間に敷かれていたことが認められるが(F子10/24員面(検92)),10月12日夜にE男方中6畳間に敷いてあったという本件殺人との関連性は,A男,B男及びC男の自白によっている。

この点,B男は,10月12日夜,花子と一緒に,同カーペットを中6畳間から外し,花子が,E男方庭の柿の木の下のチリ捨て場に上に杉の葉を載せて置いておいたと供述するが(B男11/7検面(検113)),同カーペットを中6畳間から外して他の場所に移動させたのは,殺人の痕跡が残る証拠を隠蔽する目的があったと推認されるところ,なぜこれを被害者方の庭の真ん中の柿の木の下という目立つ場所に,上に杉の葉を載せただけで置いておいたのか,いささか疑問である。また,同所はチリ捨て場(焼却場)の灰の上であるが,花子,A男及びB男は,E男が死亡した以上は同所のゴミを焼く者が誰もいないことを認識しており,隣家の住人としてこれを焼くことはいつでも容易にできたにもかかわらず,14日朝まで1日以上そのまま放置していたというのも理解しにくい。更に,A男は,14日朝に,同カーペットをE男方庭に向けて開放された車庫の耕運機の上に移動させたが,Q男は,お茶の時間に皆が庭に座る場所を作ろうと思い,辺りを見回したところ,車庫内の耕運機の荷台の上の同カーペットに気付き,庭に広げたというのであり(甲山Q男10/18員面(検69)),A男が,殺人の痕跡が残る証拠を,かくも容易に人目に付く場所に移動させてただ置いておいたというのも不合理である。

イ ビニールカーペットの糞尿の混合附着部分と畳の尿痕の関係について

同カーペットには,file_52.jpg楕円形脱糞痕が,目地につまり込んだような状態で付着しており,file_53.jpg糞を踏んだ足跡が印象されていたことが認められる(実況見分調書(検12,写真237,238))。同カーペットは,3枚折りの6畳敷用で,4角を順次角Ⅰないし角Ⅳとすると,角Ⅰ及び角Ⅲ部にテレビの足による円形圧痕が認められ,所々に黄褐色糞便様のものが付着しており,角Ⅱ部に近い50×30センチメートルの範囲(前記file_54.jpg楕円形脱糞痕)に,人尿と糞便の混在が証明され,血液型は被害者と同じA型であると認められた(鑑定・検査結果報告書(検30),城鑑定書(検1))。一方,中6畳間の畳には,直径80センチメートル大の尿痕と,糞様の黒褐色付着物2か所(file_55.jpg3×2センチメートル大,file_56.jpg4×2センチメートル大)が認められた。

同カーペットが中6畳間に敷かれていた方向は不明であるが,角Ⅰ部の円形痕跡の方が明瞭であったことから,同部がテレビ(北角)と一致していたとすれば,file_57.jpg楕円形脱糞痕は,奥6畳間寄りの西角付近になる(鑑定・検査結果報告書(検36))。また,角Ⅲ部には家具類の下端角部による印象が認められ,かつて置かれていたステレオの跡とも考えられることから(F子10/24員面(検92)),角Ⅲ部がテレビ(北角)と一致していたとすれば,file_58.jpg楕円形脱糞痕は,土間寄りの東角付近になる。これに対し,中6畳間の畳の尿痕は,奥6畳間寄りの中央部分に,2つの脱糞痕は同部屋のほぼ中央部分に位置している(写真85,91,93,見取図六の1)。そして,実況見分において,畳の尿痕及び2つの脱糞痕(file_59.jpgfile_60.jpg)については,それぞれ,内基2(北角)から尿痕までが3.2メートル,file_61.jpgまでが3.2メートル,file_62.jpgまでが3.6メートルと測定された上,図示され(写真85,91,93,見取図六の1),ビニールカーペットについては,同カーペット角の円形圧痕(前記角Ⅰ部)をテレビ(北角)と一致させて実際に中6畳間に敷き直し,同圧痕を基点としてfile_63.jpg楕円形脱糞痕までは2.3メートル,file_64.jpg糞を踏んだ足跡までは1.45メートルと測定されていたから,テレビの位置が角Ⅰ部,角Ⅲ部のいずれであったとしても,同カーペットのfile_65.jpg楕円形脱糞痕は,畳の尿痕や2つの脱糞痕(file_66.jpgfile_67.jpg)と一致しないことは明らかである(写真237,238)。

12月1日付け鑑定検査申請書(検29)は,その鑑定・検査事項について,「資料七(ビニールカーペット)に尿付着の有無,付着するとすれば,人尿か否か,人尿とすればその血液型,その他参考事項」とされており,同鑑定検査申請が花子の起訴後にされていることからも,資料七に関する鑑定の目的は,共犯者供述の裏付けとして,特に,畳の尿痕と対応する部分の同カーペット上に人尿が付着していることの証明であったと推測される。にもかかわらず,同月11日付け鑑定・検査結果(検30)では,資料七に関しては,6畳敷用のビニールカーペットで,ところどころに黄褐色糞便用のものが付着していた,血痕の付着は証明できなかった,本資料について,糞便検査としてエタノール抽出法,尿検査としてウレアーゼ,BTB法,人蛋白検査として,抗人血清沈降素試験を試みたところ,50×30センチメートルの範囲(検30,別添写真(七)の朱色点線内)に,人尿と糞便の混在が証明された,血液型はA型と証明された,とされているのみで,その他の人尿の付着につては記載されていない。したがって,これ以外の部分については人尿の付着は認められなかったものと推認される。そして,同鑑定・検査結果が指摘する50×30センチメートルの範囲(検30,別添写真(七)の朱色点線内)とは,file_68.jpg楕円形脱糞痕のことであり,前記のとおり,畳の尿痕とは一致しないから,同カーペットには,畳の尿痕と対応する部分に人尿の付着が認められなかったことになる。

加えて,実況見分調書(検12)と各鑑定(検30(12/11付け),検36(11/14付け))の外表検査によって,同カーペットには,file_69.jpg楕円形脱糞痕,file_70.jpg糞を踏んだ足跡のみならず,所々に糞便様のものが付着していることが明らかであったにもかかわらず,鑑定の結果,繊維片や塗料等といった微細な付着物や,ひっかき傷や圧痕等の印象については,検査の上,その位置関係を示す詳細な分布図が作成されたが(検36),糞様の付着物については,わずかに同図面上に「G糞の左上限」と記載され(検36),遠景の写真が1枚撮影されたのみで(検30),これらの位置関係が全く明らかにされていない。よって,同カーペットには,中6畳間の2か所の脱糞痕(file_71.jpgfile_72.jpg)に対応する部分に脱糞痕が認められたか否かも明らかにされなかったことになる。そうすると,同カーペットには,畳の尿痕と対応する部分に人尿の付着が認められないのみならず,畳の2か所の脱糞痕と対応する部分に糞便の付着が認められないことにもなり,結局,畳に尿痕や2か所の脱糞痕ができたのは,同カーペットが外された後ではないかとの疑いも否定できなくなる。

また,実況見分調書で認められたfile_73.jpg糞を踏んだ足跡についても,B男は,E男を移した後のビニールゴザは,丁度E男の尻があった辺りにクソがべったりぬりついていた,運ぶとき,花子が踏みつけているのではないかと思うなどと供述する(B男11/6員面(検111))が,file_74.jpg糞を踏んだ足痕と花子らの足形との整合性に関する検査結果の存在もうかがわれない。本件事件の現場状況に関する捜査が,E男方全室内や布団から数十本の毛髪を採取し,室内及び室外から数十個の足跡痕を採取し,押収されたタオルや靴下に至るまで微細な付着物の検査が慎重にされたことに比して,file_75.jpg糞を踏んだ足跡が花子らの足形と整合するか否かに関する検査がされていないことは不自然の感を免れない。

ウ ビニールカーペットの脱糞痕や畳の尿痕が本件とは無関係に生じた可能性について

実況見分調書(検12)によれば,①3畳間畳上には,糞様の汚物の付着物2か所(梅干し大,直径3センチ大の円形)が認められ(写真68,見取図五),②中6畳間北東側障子が2枚重ねられて同部屋北側柱から玄関側に60センチメートル開いているうち,同室内側障子戸中6畳間側さんに敷居より1.05メートルのか所に,糞様の黒褐色のしみ(5×4センチメートル大)が認められ,③中6畳間の奥6畳間寄りの畳に直径80センチメートル大の尿痕が,④同間畳上には,糞様の黒褐色付着物2か所(3×2センチメートル大,4×2センチメートル大)が認められ(写真85,91,93,見取図六の1),⑤奥6畳間の掛け布団(布団カバーなし)の表には,脱糞2か所(5×3センチメートル大,6×5センチメートル大)が認められるなど(写真119の1,見取図六の1),E男方には,3畳間,中6畳間,奥6畳間にそれぞれ脱糞様の痕跡が認められる上,中6畳間に尿痕が認められる。そして,前記のとおり,ビニールカーペットにも,file_76.jpg楕円形脱糞痕及びfile_77.jpg糞を踏んだ足跡が認められるだけでなく,ところどころに黄褐色糞便用のものが付着していたと認められるのであるから(鑑定・検査結果(検30)),E男方には,本件で問題になった同カーペットのfile_78.jpg楕円形脱糞痕以外にも,多くの脱糞痕や尿痕が存在していたことになる。そして,E男は,普段は,几帳面できれい好きだが,酒に酔いすぎて正気を失うと,家の中でも所かまわず小便をしたり,布団の中でも小便を漏らしたりし,時には,下半身裸になって素足で庭に降りてわめいたりしており,脱糞については,F子と同居していた際には,座敷や布団の中でしたことはなかったが,1回だけ酔って奥6畳間北側縁側から外に糞をしたことはあった(F子10/23員面(検91))というのであるから,同カーペットのfile_79.jpg楕円形脱糞痕や畳の尿痕及び脱糞痕が,本件とは無関係に生じた可能性も否定できず,そうすると,同カーペットのfile_80.jpg楕円形脱糞痕や畳の尿痕及び脱糞痕と,本件殺人との関連性についても疑問が生ずる。

エ 以上のとおり,同カーペットが12日夜に実際に中6畳間に敷かれており,E男を絞殺した時に脱糞した痕跡を残したものであるという,本件殺人との関連性が揺らぐことになり,ひいては,これを前提とするA男とB男の殺人の実行行為に関する自白の信用性にも疑問が生じる。

(2)  奥6畳間の布団について

ア 実況見分調書(検12)によれば,奥6畳間の布団には敷布団,掛布団ともに布団カバーは掛けられていない状態で,敷布団は,全体的に砂がザラザラとしており,中央部分に長さ2センチメートル,幅4センチメートル大の帯状に乾燥した土砂が落下しており,手で触れてみたところ,細粒の砂で布団には付着していない,血痕が付着している,掛け布団に2箇所の脱糞痕が認められるとされ,それ以外の異物の附着についての記載はない。また,布団カバーについては,掛け布団カバーは奥6畳間の布団の縁側寄りに置かれており,汚水の付着が認められ,敷き布団カバーについては,E男方別棟風呂場の洗濯機の中に入れられており,血痕の付着が認められるが,これら以外の異物の附着をうかがわせる記載はなく,写真からは中央部に汚れらしきものが認められるが,その汚れの有無,成因について分析された証拠も存在しない。

イ A男及びB男の自白を前提とすると,花子,A男及びB男の3人は,E男を絞殺し,脱糞しているE男を間もなく布団に寝かせている。この状況について,B男は,E男を絞殺した後,花子が,「クソをひっかぶったが,ちょっしもた。」と言った,B男は,押さえている間に,左足の膝の後方に小便を引っかけられた,E男が重かったので,持ち上げたり引きずったりしながら奥6畳間の敷布団の上に寝かせた,E男を移した後のビニールゴザは,丁度E男の尻があった辺りにクソがべったりぬりついていた,運ぶとき,花子が踏みつけているのではないかと思うなどと供述する(B男11/6員面(検111))。そして,A男,B男ともにE男の臀部等の汚れを拭き取ったというような供述をしていない。B男の供述を前提とすると,敷布団や同カバーに糞尿がかなり付着すると思われるのに,前記のとおり,それを示す証拠が全くないのは,いささか不自然といわなければならない。

(3)  タオルについて(押符号6(領符号6・検128),10/16領置調書(検26))

所有者はE男とされる。同タオルは,花柄で全体に紺色移りがしているもので,実況見分時に,E男方風呂場の洗濯機内から発見領置された(実況見分調書(検12),写真20ないし22)。

凶器となったタオルに関し,A男は,花子が家の中から持ってきたのか,勝手口の所に掛けてあったタオルを持ってきたのかはっきり分からない,タオルは白ではなかったと思うが,瞬間的に見ただけで覚えていないので,タオルを見せられても分からない(A男11/4検面(検108)),タオルは瞬間的でよく覚えていない,警察で17本ほどのタオルを見せられたが,E男の首を締めたタオルではないと思う(A男11/6検面(検109))などと供述し,B男も,タオルは,豆球の明りでうす赤色に見えるもので,古い感じがするものだった(B男11/6員面(検111)),タオルは真っ白ではないと言えるが,色と模様ははっきり言えない(B男11/7検面(検113))などと供述し,第5回公判期日では,検察官からの質問に対し,A男がE男の首を締めたと思うが何で締めたのか分からないなどと供述するため,結局,凶器となったタオルは特定されず,検察官が証拠請求したタオルについても,確定判決は,本件との関連性を認めなかった。

(4)  フォークとスコップについて(押符号1ないし5(領符号5,76,12,25,77ないし79,検121ないし127)

ア 原1審で証拠請求されたフォークは,①赤柄がはげたフォーク1本(検121),②赤柄フォーク1本(検122)の合計2本であり,スコップは,③黄色ひも付きスコップ1本(検123),④「三」印のスコップ1本(検124),⑤「キ」印のスコップ1本(検125),⑥角型スコップ1本(検126),⑦赤柄スコップ1本(検127)の合計5本である。これらのうち,検察官は,スコップ2本(⑤⑥)について証拠請求を撤回したため,原1審では,フォーク2本(①②)とスコップ3本(③④⑦)が取り調べの上,領置された。確定判決は,これらのうち,フォーク1本(①),スコップ2本(③④)について,本件死体遺棄事件との関連性を認め,これを証拠として採用した。

イ フォーク2本(①②)とスコップ5本(③ないし⑦)が押収された経過と,本件との関連性について

① 赤柄がはげたフォーク1本(木製柄の中央部分の赤色塗料がはげて薄く白くなっているもの,押符号1(領符号5・検121),10/15領置調書(検14))

所有者は不詳だが,F子によれば,E男が使っていた物に間違いないとされる。同フォークは,F子がE男と同居していたころは,わら置場北端の板壁の釘に掛けるか,堆肥置場南端(東端)の石塀に立てかけているかのどちらかであったとされるが(F子10/30員面(検94)),事件後の10月14日,A男が同フォークでE男方牛小屋の掃除をした後(A男11/6検面(検109)),10月15日,壬原a子が堆肥を掘る際,堆肥置場南端の石塀(西端)に立てかけてあった同フォークを使い(壬原a子10/15員面(検47)),引き続き,庚町R男らが警察官立ち会いの上で同フォークを使って死体を途中まで掘り起こし,同所に放置していたところ,同日午後4時45分からE男方居宅及び付属建物について実況見分が行われ,同日午後9時ころ,牛小屋の堆肥置場の堆肥の被害者の頭部付近に刺してあったとして領置されたものである(実況見分調書(検12),写真241,242)。

このように,同フォークは,E男が所有する物がE男方牛小屋から発見されたというものにすぎず,事件以降,同所において,少なくとも数人が使用したことが認められるから,犯人との関連性については,F子が任意提出したフォークは自分が被害者の死体を埋める際に使った物のようであるとのC男供述(C男11/3員面(検119))によって認められているに過ぎず,C男供述という供述証拠から独立した独自の証拠価値を持つものとは認められない。

② 赤柄フォーク1本(握り部分が赤色のもの,押符号2(領符号76・検122),10/19領土置調書(検16))

所有者はF子とされ,F子によれば,E男が使っていた物に間違いないとされる。同フォークは,F子が,10月19日に警察による現場検証に立ち会った際,E男方牛小屋の牛の運動場の竹さくに立て掛けてあったとして任意提出したものである(F子10/30員面(検94),10/19任意提出書(検15))。

10月15日からの実況見分は,同日午後4時45分に開始され,翌16日午前1時30分深夜のために一時中断した後,同日午前8時30分再開されて午後7時30分に終了したという長時間にわたるもので,特に死体が発見された牛小屋については詳細な調査が行われ,牛小屋の堆肥置場のフォークが発見領置された。にもかかわらず,同所の牛の運動場の竹さくという目に付きやすい場所にあった①赤柄のはげたフォークが調書上記載がないこと(検12,写真228,229,231)から,実況見分時には同フォークは同所に存在しなかったと推認される。同フォークについては,結局,確定判決によっても,その関連性が認められなかったが,実況見分時に存在しなかったフォークが,4日後の現場検証の際に同所に存在したことについて,合理的な説明がされておらず,その領置経過には疑問が残る。

③ 黄色ひも付きスコップ1本(柄が白く柄に黄色いひもが付いており先が鈍くなっているもの,押符号3(領符号12・検123),10/18捜索差押調書(検17))

所有者はA男とされる。A男方居宅及び付属建物についての捜索差押えは,10月18日午後4時15分から同日午後8時まで行われ,同スコップは,A男方北側別棟物置北東側壁に立てかけてあったとして差し押さえられたものである。所有者については,立会人癸井b男はA男のものであるとし(捜索差押調書謄本(検17)),花子は,A男のものに似ていると供述している(花子第2回公判9)。

同スコップは,被害者の死体発見から3日後に,A男が所有する物がA男方から差し押さえられたというのであるから,犯人との関連性については,花子が家にスコップを取りに帰って私に渡した(A男11/2検面(検107)),被害者を埋めるときに使ったスコップは古いスコップで握るところに黄色いひもがついていた(A男11/4検面(検106))というA男供述によって認められているに過ぎず,A男供述から独立した独自の証拠価値を持つものとは認められない。

④ 「A」印のスコップ1本(柄はさびて握りの横にマジックで「A」と記入があるもの,押符号4(領符号25・検124),10/19領置調書(検19))

⑤ 「B」印のスコップ1本(柄が白くにぎりに「B」印があり先が丸いもの,(領符号77・検125),10/19領置調書(未提出記録))

所有者は,それぞれ④「A」印のスコップはA男,⑤「B」印のスコップはB男とされる。F子が,10月19日に警察による現場検証に立ち会った際,E男方牛小屋の堆肥搬出土間南側に,④「A」印のスコップ1本と⑤「B」印のスコップ1本の2本のスコップが並べて立て掛けてあった,④はA男の⑤はB男の物だと思うなどとして任意提出したものである(F子10/30員面(検94),10/19任意提出書(検18))。そして,花子も,④「A」印のスコップは私方のものに似ていると供述している(花子第2回公判10)。

④⑤のスコップは,A男とB男が所有するものが,10月19日に死体遺棄現場であるE男方別棟牛小屋の堆肥搬出土間から発見されたというものである。しかしながら,前記②と同様,10月15日からの実況見分は長時間にわたる詳細なもので,特に牛小屋の堆肥搬出土間については,たばこ2本,足跡20個,毛髪,陰毛等までもが発見領置され,詳細な調査が行われており,同所にスコップが存在しなかったことは添付写真からも明らかである(検12,写真240,256,F子10/30員面(検94)の添付図面参照)。結局,実況見分時に存在しなかった④「A」印のスコップと,⑤「B」印のスコップが,4日後の現場検証の際に同所に2本並べて置かれていたことについて,合理的な説明がされておらず,その領置経過には疑問が残る。また,検察官が,これらのうち⑤「B」印のスコップ1本につき証拠請求を撤回していることからも,これらのスコップが発見場所との関係で意味を持つものではないことが明らかである。そうすると,④「A」印のスコップと犯人との関連性を示す証拠は,花子が3,4分して先が丸くなったスコップ2本を持ってきたのでA男とB男が死体を埋めるのに使用したというC男供述(C男11/3検面(検119)),使用したスコップは先が丸くなっていて手元が赤くなっていたので,「A」と記入してあるスコップ(④)と,10月29日F子が提出した握りが少し赤くなっているスコップ(⑦)の2本が似ているようだが,どちらとははっきり言えないというB男供述(B男11/7検面(検113))しかなく,結局,C男,B男供述から独立した独自の証拠価値を持つものとは認められない。

⑥ 角型スコップ1本(柄が白く先が角型のもの,(領符号78・検126),10/29領置調書(検23))

所有者はF子とされ,F子によれば,E男が使っていた物に間違いないとされる。F子が,10月19日に警察による現場検証に立ち会った際,物置小屋にあったとして任意提出した物である(F子10/30員面(検94),10/29任意提出書(検22))。同スコップがあったという物置小屋は,10月15日の実況見分時には南京錠で施錠されていて開錠できなかったというのであるから,本件犯行との関連性は認め難く,検察官には,証拠請求を撤回している。

⑦ 赤柄スコップ1本(さびていて握りに赤色塗料がついて先が丸いもの,押符号5(領符号79・検127),10/29領置調書(検23))

所有者はF子とされ,F子によれば,E男が使っていた物に間違いないとされる。F子が,10月19日に警察による現場検証に立ち会った際,農機具小屋の脱穀機の後にあったとして任意提出した物である(F子10/30員面(検94),10/29任意提出書(検22))。同所については,10月15日の実況見分時に,どの程度詳細に調査されたか不明であるから(検12,写真11),同スコップが存在したか否かについては不明であるが,同スコップと本件事件との関連性についての供述が存在せず,確定判決は,本件事件との関連性を認めなかった。

(5)  懐中電灯1個について(水色に白のテープが巻いてあるもの(電池入り),押符号8(検132・領符号28),10/22領置調書(検131))

所有者はA男とされる。癸井b男が,10月20日に花子方から借りて帰ったものであるとして任意提出したものである(癸井b男10/22員面(未提出記録,当請求審弁49,弁65),10/22任意提出書(検130))。

同懐中電灯と本件犯行の関連性については,A男が,花子が10月12日夜に自宅から懐中電灯を持っていったと供述し,B男及びC男も花子が懐中電灯で照らしていたなどと供述していること以外にはなく,同懐中電灯については,同人らの供述証拠以上の証拠価値を持つものであるとは認められない。

(6)  まとめ

以上によれば,本件では,凶器となったタオルが特定されておらず(前記(3)),スコップやフォークの領置経過にも疑問がある上,スコップ,フォーク及び懐中電灯は,A男,B男及びC男の供述証拠以上の証拠価値を持つものとは認められない(前記(4)(5))。更に,ビニールカーペット及び中6畳間の畳の状況に関しては,ビニールカーペットの尿痕,脱糞痕が畳のそれと一致せず,畳に尿痕や脱糞痕ができたのはビニールカーペットが外された後ではないかとの合理的な疑いが生じ,同カーペットが12日夜に実際に中6畳間に敷かれており,E男を絞殺した時に脱糞した痕跡を残したものであるという,本件殺人との関連性については疑問が残る。このように,ビニールカーペットの汚損と畳の尿痕,脱糞痕の間には容易に看過することのできない矛盾があり,敷き布団や同カバーの状況も,B男の供述からは説明が困難であることなどからすると,ひるがえって,殺人の実行行為に関するA男とB男の自白の信用性にも疑問を生じるといわざるを得ない(前記(1)(2))。

5  情況証拠について

(1)  殺人の動機(花子,A男及びB男)

ア 保険金取得目的という動機について

原1審検察官は,本件殺人の動機は,主として保険金取得目的にあったと主張したが,確定判決は,花子は,自分や娘には各20万円の,夫A男には50万円の,精神病院に入院している長男と,心臓病に罹患している義妹D子には各100万円の保険金を掛けていること,E男は,昭和50年9月ころに農薬自殺を図り,しばしば泥酔して保護されるような状況にあったこと,E男を被保険者とする保険契約は,保険勧誘員戊谷S子が成績を上げようとして積極的に勧誘したために花子が締結したものと認められることなどから,保険金取得目的を殺人の動機と認めるにはなお証拠が不十分であるとしてこれを否定し,本件殺人の動機は,もっぱら花子夫婦が日ごろからE男の存在を快く思っていなかったことによるものと判断した。一件記録によれば,確定判決が指摘する前記の事情が認められ,保険金取得目的という動機を否定した確定判決の認定は正当であり,これを左右する事情は認められない。

そうしたところ,今年の稲刈りか田の草取りの時,花子が「E男に保険を掛けてあっで,いつかうっ殺すが。」と話したこともあったとするA男供述(A男11/4検面(検108)),花子は,E男の離婚後,E男が死ねばその財産が手に入ると思ったのか,一層E男を憎み,夜もE男の動きを見て隙を狙っていたらしい,花子は,E男に保険を掛けている,E男が死んでくれればよい葬式を出してやるなどと言っていたので,B男自身も,花子やA男からこのようなことを聞かされているうちに,少しずつA男夫婦と同じ様な気持ちになり,E男にはあまり憎しみはなかったが,生命保険を掛けてある以上,100万円以上は掛けてあるだろう,殺しの加勢をすればその半分くらいはくれるだろうという浅はかな考えからやってしまったとするB男供述(B男11/7検面(検113)),花子がE男に保険を掛けて殺すと言っていた,花子が夜にE男の動向をのぞきに行っており,E男殺害の機会をうかがっていたとするD子供述(D子10/29員面(検98),11/4員面(検100))が存在する。しかし,保険金取得目的という殺人の動機が認定できない以上,花子が保険金目的殺人を計画し,その準備をしていたといったA男,B男及びD子供述については,このような供述が存在していること自体が不自然であり,保険金殺人という見込みで捜査を進めていた捜査官らによって,不当な誤導がされたことがうかがわれる。

イ 花子とA男の動機について

(ア) 殺人の動機について,A男の供述経過は,以下のとおりである。

A男は,10月17日には,殺人の2人犯行を自白した上,動機について,平素からE男が酔っぱらい,その度,同人からひどい仕打ちを受けており,いつか仕返しをしようと考えていたなどと供述し(10/16捜査報告書(検2)),同月29日付け警察官調書(未提出記録・当請求審弁80,弁64)では,初めて花子の関与を認め,殺人の3人犯行を自白したが,殺人の動機については供述せず,11月2日付け検察官調書(検107)では,殺人の3人犯行の自白を維持した上,E男は,焼酎を飲んでは兄弟に迷惑を掛け,花子に「打ち殺してやる。」と言うなどして花子を憎んでいた,A男は,E男が離婚する前,頭に来ることを言われて1度だけE男を打ち殺そうと思ったことがあったが,離婚後は打ち殺そうと思ったことはなかった,花子がE男に保険金を掛けていたことは知っていたなどとし,同月3日付け警察官調書(検106)では,殺人の3人犯行の自白を維持した上,E男は花子やB男とも仲が悪かった,E男は,離婚後,焼酎を飲んでは庭でわめき散らし,A男方に来てA男や花子を「うっ殺す。」と言ってやまいもを掘ったりするので,E男がそういうことをする時には,罪にならないのならうっ殺してやろうかと思ったこともあり,今年の稲刈りか田の草取りの時,花子が「E男に保険を掛けてあっで,いつかうっ殺すが。」と話したこともあったとし,同月4日付け検察官調書(検108)及び同月6日付け検察官調書(検109)でも従前の供述を維持している。これに対し,原1審での公判供述は,殺人の3人犯行の自白をおおむね維持したが,第4回公判期日の裁判長からの質問に対し,207問「あなたはどういうわけで,E男さんの首を締めたのか。」,答「…。」,208問「あなたは,E男さんと何かけんかしたことはあるんですか。」,答「いいえ,そうけんかしたことはないです。」,209問「こんな弟は死んでくれた方がいいやと思っていたのか。」,答「いいえ,そういうことは思っていません。」,210問「なんか憎かったのか。」,答「いいえ,憎いこともなかったです。」,211問「なんで殺したのか。」答「それは,私の考えとしては,焼酎のせいだと思っています。」,212問「なんかこういうひどいことをされたんで,腹が立ってしょうがなくてやったんだということじゃないの。」,答「いいえ,そういうことはもう何も考えていません。」などとし,…第5回公判期日の検察官からの質問に対し,47問「花子さんから起こされて,花子さんが『E男が土間でふらふらしちょいが今んこめじゃが。』と言い,B男が『E男をばうっ殺しけ行っとこじゃいが。』と言って,あなたもE男を殺してやろうと思わなかったですか。」,答「…その時,もう,酒をよばれてて頭ががんがんしておったから分かりません。」,48問「あなたは検察庁で,花子さんからE男が土間でふらふらしておる,今んこめじゃがと言われたので,花子は今のうちにうっ殺そうと言ったと思って,自分もE男が酒を飲んで迷惑を掛けるので殺そうと思ったと言っておりますけれども,その点どうですか。」,答「…。」,49問「よく分かりませんか。」,答「いいや。」などと供述し,殺人の動機について曖昧な供述に終始している。

(イ) 以上のA男供述によれば,E男が酒に酔うと大声でわめき散らし,A男や花子にも「うっ殺す。」などと言って暴れることなどから,A男及び花子が,日ごろから酒癖の悪いE男に手を焼いていたという事情は認められ,同人らが日ごろからE男の存在を快く思っていなかったとしても不自然ではないと認められる。しかしながら,殺人の動機に関するA男の公判供述は非常に曖昧であり,その動機についてのみ花子の面前で供述できない特段の事情があったとも認められないこと,前記アのとおり,保険金取得目的でE男を殺したなどという動機に関する虚偽供述が存在すること,花子とA男は,E男が近く出稼ぎに出ることを知っていたと認められること(A男11/4検面(検108))などからすれば,A男や花子が日ごろからE男の存在を快く思っていなかったということが本件殺人の動機足り得たのかについても疑問が生じる。

ウ B男の動機について

(ア) 殺人の動機について,B男の供述経過は,以下のとおりである。

B男は,10月17日には,殺人の2人犯行を自白した上,動機について,平素からE男が酔っぱらい,その度,同人からひどい仕打ちを受けており,いつか仕返しをしようと考えていたなどと供述し(10/16捜査報告書(検2)),同月21日付け警察官調書(未提出記録・当請求審弁79,弁63)では,殺人の2人犯行を再度自白した上12日までA男や花子からE男殺害を持ちかけられたことはなく,B男自身はE男に対して憎しみはなかったが,A男や花子は,E男を憎めるだけ憎み,互いにたたき殺すぞ,うっ殺すぞなどと言い合っていたなどとし,11月2日付け検察官調書(検112)では,兄弟間で財産争いはなかったが,E男は,酔うと夜中に大声を出したり,ステレオの大きな音を出したりして近所迷惑だった,E男は,酔ってもB男に暴力を振るうことはなかったが,花子が注意すると,「打ち殺すぞ」などと言って花子に怒鳴り,花子は逃げていたなどとし,同月6日付け警察官調書(検111)では,花子とE男は仲が悪く,花子は口癖のように「E男を殺してくれる人はおらんどかい。」などと言っていた。花子は,E男の離婚後,E男が死ねばその財産が手に入ると思ったのか,一層E男を憎み,夜もE男の動きを見て隙を狙っていたらしい,花子は,E男に保険を掛けている,E男が死んでくれればよい葬式を出してやるなどと言っていたので,B男自身も,花子やA男からこのようなことを聞かされているうちに,少しずつA男夫婦と同じ様な気持ちになり,E男にはあまり憎しみはなかったが,生命保険を掛けてある以上,100万円以上は掛けてあるだろう,殺しの加勢をすればその半分くらいはくれるだろうという浅はかな考えからやってしまったなどとする。そして,同月7日付け検察官調書(検113)では,E男は,酔っ払っては,ステレオをガンガンかけるし,暴れて迷惑を掛けるし,E男と花子の仲が悪かったことなどを動機として挙げる。これに対し,原1審での公判供述は,殺人の3人犯行の自白をおおむね維持したが,第5回公判期日において,検察官からの質問に対し,126問「あなたは,花子さんから加勢せんかと言われてついて行ったのは何をするつもりだったんですか。」,答「たぶん,E男を殺すつもりで行ったと思います。」,127問「どうしてE男を殺すために行ったということになるんですか。」,答「ちょっとわかりません。」などとし,弁護人の質問に対しても,148問「E男さんの所に行って,E男さんをほんとにたたいたの。」,答「はい。」,149問「それは,殺そうと思ってたたいたの。」,答「A男が首を締めるときになって初めて殺すんじゃないかと思いました。それまでは,私は,E男を殺そうという気は全然無かったです。」などと供述する。

(イ) 以上のB男供述によれば,E男が酒に酔うと大声でわめき散らし,A男や花子にも「うっ殺す。」などと言って暴れることなどから,A男及び花子が,日ごろから酒癖の悪いE男に手を焼いており,B男も隣家の住人として迷惑を掛けられていたという事情は認められる。しかしながら,B男は,E男に対しては特に憎しみは持っていなかったというのであり,日ごろから実弟の存在を快く思っていなかったとまで認められるかについては疑問が生じる。更に,殺人の動機に関するB男の公判供述は非常に曖昧であり,花子の面前で供述できない特段の事情があったとも認められないこと,前記アのとおり,E男を憎くはなかったが保険金の分け前欲しさにE男を殺したなどという動機に関する明らかな虚偽供述が存在すること,B男は,E男が近く出稼ぎに出ることを知っていたと認められること(第5回公判供述)などからすれば,B男が日ごろからE男の存在を快く思っていなかったのか,それが本件殺人の動機足り得たのかについては疑問が生じる。

(2)  花子,A男及びB男の本件事件前の行動について(10月12日)

ア 10月12日の花子,A男及びB男らの行動について

花子,A男,B男及びD子らは,午後1時ころから,大崎町野方所在のホテル○○荘で行われた甥の結婚式に出席し,披露宴の時間が延びて,午後6時30分ないし午後7時ころに終了した。E男は,結婚式に招待されていたが,朝から酒を飲んで酔っていたので,A男らは,E男を誘わずに行った。披露宴では,A男,B男,Q男ら兄弟は相当酒を飲んでいたが,正気を失う程ではなく,A男は,酔っていい気分で結婚式の祝唄の「こまうた」を歌い,B男は,舞台に立って「はんや節」を踊り,花子,D子らも舞台で踊るなどしていい雰囲気であった。帰路のホテルのマイクロバスの中でも,E男の話題は出ず,もっぱら結婚式がにぎやかで楽しかったなどという話題が出ていた。午後7時30分ころ,まず,井俣でA男,B男夫婦,Q男の4人がマイクロバスを下車し,花子は,大崎町仮宿所在の△△美容院に預けていた自分とD子の着替えの洋服等を取りに行くため,次の仮宿で下車した(壬原g子10/17員面(検53),癸井b男10/17員面(検58),D子10/16員面(検97))。

A男は,1人で帰宅し,3畳間でステテコとシャツになって,納戸の部屋から掛け布団をテレビの部屋に持ってきて,布団をかぶって横になってテレビを見ていたところ,「太陽にほえろ」を見ている時,花子が帰ってきた。そのうち,A男は,うつらうつらし始め,花子が電話で話しており,「H男さんげえ行ったくっで」と声を掛けて出ていったのは分かったが,その後,そのまま眠ってしまった(A男11/2検面(検107),11/3員面(検106))。

D子とB男は帰宅し,B男が酔って庭でよたよたして暴れるので,D子は,B男の式服を脱がせた。B男は,庭で風呂を焚いていたC男に対し,酔ってくどくどと説教をしたことからけんかになり,バールを持ち出すなどしたことから,D子が止めに入った。B男は,C男と40分間くらいけんかをしていたが,その後,下着のまま表6畳間に入ってうつらうつら眠った(D子員面10/29員面(検98),11/3検面(検102),B男11/6員面(検111),11/7検面(検113))。

花子は,△△美容院に行き,預けていた自分とD子の着替えの洋服等を受け取って帰宅した。午後8時20分ころ,丁野は,辛浜P男からE男が長田溝に落ちて道路に上げて寝かせてあるから誰か兄弟に迎えに来るよう連絡してくれという連絡を受け,午後8時30分ころ,戊谷に電話をして一緒に行くよう頼み,花子にも電話をし,「E男が酔っぱらって道路に寝ているということだから迎えに行ってくっで。」と伝えた。花子は,丁野にE男のことを頼み,A男に丁野方に行ってくると言って,丁野方に行った(丁野10/15員面(検76),10/16員面(検78),10/29検面(検82),戊谷10/15員面(検71),花子10/16員面(検134))。

丁野が出て行ってから10分もしないうちに,花子が丁野方に着いた。花子は,「いろいろ迷惑をかけます。」と言い,丁野の帰宅を待つ間,丁野の妻T子に対し,「もうこのようなことが何回もある。E男が酔って仕方がないから迎えに来てくれと派出所から連絡があり,自分が車を運転してQ男の妻達と迎えに行くと,E男は「なぜお前が来るのか,余計なことをするな。」と言って逆にくってかかる,離婚前,夫婦げんかをしてF子がA男方に逃げてくると,E男は上がり込んできて,なぜ隠すかと言ってくってかかる,4月か5月ころ,E男がA男方のガラスを割ったが修理をしてくれない。」などと,花子とE男は性格が合わず,顔を合わすとけんかするような意味の話をしていた。午後9時30分ころ,丁野が戊谷とともに帰宅し,花子と1時間くらい世間話をし,未林商店にE男が買った焼酎のことを問い合わせる電話をするなどし,午後10時30分ころ,花子と戊谷は帰っていった。(丁野10/15員面(検76),10/17員面(検79),10/29員面(検82)),戊谷10/16員面(検73),10/29検面(検75),丁野T子10/16員面(検83))。

戊谷と歩いて帰る途中,花子は,「(E男は)寝ちょっとかい,見てみっが」と言い,戊谷がE男の庭の柿の木付近に立っていると,1人で玄関の方に行って,玄関のガラス戸を開けて中に入り,1分程度ですぐまた玄関の戸を閉めて戻ってきて「も寝ちょっど」と言った。戊谷は,花子方の庭付近で別れ,帰宅したのは10時35分か40分ごろであった(戊谷10/16員面(検72),戊谷U子10/16員面(検37))。

イ 花子が土間で前後不覚の状況にあるE男を現認したか否か

花子は,丁野宅から帰宅途中にE男方に立ち寄り,玄関から入って中をうかがったという事情が認められることから,確定判決では,まず,①花子が同所土間において前後不覚の状況にあるE男を現認したこととされ,更に,②そのようなE男の状況を見たことから,花子がとっさにE男に対する殺意が生じたものと推認されている。

花子がE男方をのぞいた状況を目撃していた戊谷は,花子はすぐにE男方玄関から出てきて「も,寝ちょっど。」と言ったと一貫して供述している(戊谷10/16員面(検73),10/29検面(検75))。仮に,花子が,この時点で殺意を生じていたとすると,花子は,E男方に入ってから程なく出てきた直後に,E男が土間で前後不覚の状況にあることを現認した上,殺意を生じていたにもかかわらず,これをこと更に秘し,戊谷に対し,何事もなかったかのように装い,もう寝ているなどという嘘をついたということになる。しかし,前後不覚の状態でいるE男を見て突然殺意を抱き,とっさにそのような擬装をしたと考えるのは,かなり不自然である。加えて,A男は,翌13日の朝食時に,花子が「E男は,布団をといかぶって寝ておいごとあっど(布団をかぶって寝ているようだぞ)。」と言っていたと供述し(A男11/3員面(検106)),D子は,当初,花子が12日夜にB男方に立ち寄ったとは供述しておらず,13日午前8時ころ,花子が来て,「I男さんと2人E男の家に行ったところ,E男は寝ているようだったので,家に帰った。」(D子10/19員面(未提出記録・当請求審弁94,弁78))と供述しており,丁野T子は,14日夜,花子が来て「12日,戊谷さんとここから家に帰る途中…自分がE男の部屋の中を見たところ,2燭光はついており,E男は寝ているようだった,あれからどこに行ったのだろうか。」などと話した(丁野T子10/16員面(検83))などと供述する。そして,丁野H男の供述によれば,E男方の布団は,「頭の方の中央部付近から布団の真中付近辺りまで人が抜け出したみたいな状態にふくらんでいた」(丁野10/17員面(検79))というのであるから,暗がりの中でそのような布団の状態を見て,花子がE男は寝ていると考えた可能性も,全く否定することはできない。このような事情を総合すると,花子がE男方をのぞいた際に,同所土間において前後不覚の状況にあるE男を現認したと推認するにはなお疑いが残る。

ウ A男とB男の本件直前の状況

A男とB男は,10月12日夜,結婚式から帰宅して酒に酔ってそれぞれの自宅で寝ており,B男はE男方に車が入ってきた音が聞こえたという程度,A男はE男方に車が入った音も認識しておらず,いずれもE男が泥酔して前後不覚の状態で同人方に搬送されたことについては認識していなかったと認められる(A男の公判供述及び11/2検面(検107),B男の公判供述及び11/7検面(検113))。そうすると,このような状況にあったB男やA男が,E男を殺害したというのは不自然である。

(3)  本件殺人直後の花子,A男及びB男の行動について

ア 花子とA男の行動(通夜)

(ア) A男は,3人犯行を自白した10月29日付け警察官調書では,通夜について供述していないが,その後,A男自身がE男の通夜でもしてやろうと言い出し,線香を立てて火を点けたが,E男の家にはろうそくがなかったので,花子が家にろうそくを取りに行き,ろうそくを立てて火を点けたなどと供述し(A男11/2検面(検107),11/3員面(検106),検面11/4(検108)),第4回公判期日において,検察官からの質問に対し,76問「その後,あなたは通夜をしているみたいですけどね,何をとぼしましたか。」,答「…私は床に線香があったものですから,線香をとぼしたと思います。」,77問「ろうそくは?」,答「…。」,78問「分からない?」,答「分かりません。」などと供述する。A男は,線香とろうそくを立てた場所について,E男の頭の所のような気もするし,床の間の左側に立てたような気もする(A男11/2検面(検107)),E男の頭の横に立てた(A男11/3員面(検106)),E男の頭の所のような気もするし,床の間のような気もするしはっきりしない(A男11/4検面(検108))などと供述する。そして,B男が戻ってくるまでの間,A男と花子はE男の横に座っていた気もするが,何かこそこそとしていたような気もして,はっきり覚えていない,花子がカーペットをタオルで拭いていた気もする,A男は,家に帰って牛小屋に行き,牛にカッターで草を切って食べさせたような気もするが,これはE男の死体を埋めた後かも知れない(A男11/3員面(検106))などと供述する。

(イ) 10月15日の実況見分では,床の間に缶のふたを使ってろうそくをともした跡が認められ(実況見分調書(検12)),F子は,以前は,線香と線香立て,ろうそく立ては,神棚に,ろうそくは神棚の下の引き出しにあったのに,10月19日には,ろうそくと線香,線香立てが床に置いてあり,ろうそく立ては見当たらなかった,床には,ろうそくの溶けた跡のあるブリキ箱の蓋の部分と仏壇の鐘,水の入ったファンタ瓶が1本置かれていたが,E男は,頼み事があるときは,初水を茶碗に入れて神棚に上げ,線香を立ててお祈りをしていたし,ろうそく立てを使っていたので,ブリキ箱の蓋を使ったり,床の前ですますようなことはなかったなどと供述している(F子10/24員面(検92))。また,A男方の隣家の甲山V子は,10月13日午前4時30分ころ,A男方の牛小屋の方からバタバタというカッター(わら切機)の音が4分間ほど聞こえたが,あの音はA男方の大型で上等なカッターの音だと思う,時間は時計を見たなどと供述する(甲山V子10/30員面(検43))。そして,E男の通夜をした,牛にカッターで草を切って食べさせたなどというA男供述は(A男11/2検面(検107),11/3員面(検106)),このようなF子及び甲山V子の供述と一致し,その信用性は高いかに思われる。しかしながら,これらの供述は,いずれもA男供述に先行していることから,この点に関するA男の供述は秘密の暴露には当たらない上,B男が戻ってくるまで3時間余りもの間の花子とA男の行動に関し,花子がカーペットを拭いていた気もするし,A男が家に帰ってカッターで草を切って牛に餌をやった気もするがはっきりせず,線香とろうそくをともして通夜をしたこと以外に確実な供述がないということがむしろ不自然である。A男は,深夜零時を過ぎ,実弟を殺した直後,その犯行現場で死体を目の前にして,速やかに死体を堆肥に埋めなければならない状況にあったもので,B男が家に帰ってしまい,何をしているのか,いつ戻ってくるのか分からない状況であったにもかかわらず,花子がろうそくをわざわざA男方まで取りに帰ったり,A男が同人方牛小屋に帰ってカッターで草を切って牛に餌をやっているが,隣のB男方にB男を呼びに行くこともなく,殺害したばかりのE男の通夜をし,夜中に牛に餌をやったというのであるが,その行動からは全く緊迫感がうかがえず,いささか不自然の感を免れない。

イ B男の行動

B男は,C男に死体遺棄の手伝いをさせるつもりで帰宅したが,帰宅してすぐにはC男に頼みにくかったため,布団に入って2,3時間うたた寝をしたというのであるが,実弟を殺害した直後,明け方までには死体を処分しなければならない状況にあった犯人の行動としては,A男と同様にまことに緊迫感に欠け,不自然で不合理な行動であるといわざるを得ない。

(4)  本件事件の翌日以降の行動について(10月13日ないし15日)

ア 花子,A男,B男及びC男らの行動について

(ア) 10月13日

朝食時,花子は,A男に,E男は向かいの溝にひっくり返っておって,それを子供たちが見つけて,誰か分からないでいたら,辛浜P男さんが見に行って,E男だったことが分かって,丁野さん達に電話があって,H男さんと戊谷さんが迎えに行って,トラックに乗せて連れて帰ってきてくれたということを話した。A男は,E男はよっぽど焼酎を飲んで,覚えんがったんだなあと思った。花子は「E男は,布団をといかぶって寝ておいごとあっど(布団をかぶって寝ているようだぞ)。」と言った。A男は,E男の牛が鳴くので,家の草を持って,E男の牛小屋に行き,草と水をやった(A男11/3員面(検106))。

午前8時ころ,花子が,D子方に来て,「夕べは音がすごかったが。」などと言い,前夜,丁野と戊谷がE男を連れてきた後,3人で丁野宅に行った,戊谷と2人でE男宅に行ったところ,E男は寝ていたようだったなどと言っていた(D子10/19員面(未提出記録・当請求審弁94,弁78))。午前9時ころ,A男と花子は,畑に行った。10時のお茶の時,F子が団子やお茶を持って行くと,花子が,「E男は,きのう結婚式にも行かず酒を飲んで寺の下にひっくり返っていたげな,隣のH男さんたちが連れてきた。」と言い,A男は,「今朝は,E男は,まだ寝ているもんじゃ,牛に餌もやらじ,自分が食わしてきたが。」と言っていた(F子10/16員面(検89),10/22員面(検90))。午後零時過ぎころ,花子とA男は,昼食のために帰宅した。A男は,午後零時40分ころ,E男の牛に餌をやり,E男の家をのぞいてみたら,布団が盛り上がって中に寝ていると言っていた(花子10/16員面(検134))。A男は,午後2時ころには畑に出た。花子は,昼ころ,未林商店に電話をし,対応したn子に対し,「私は,E男の兄嫁ですが,E男が焼酎を買ったそうですが,酔って迷惑をかけたどが。」,「それ(E男が無断で盗っていったたまねぎと焼酎の代金)は,私が払いますからすみませんでした。」と言って詫びた(未林m男10/19員面(検41))。花子は,みかん畑に行ってみかんを取ってから畑に行き,F子にみかん1袋を渡した(F子10/16員面(検89),10/22員面(検90))。

D子は,午後2時50分ころ,E男方に結婚式の引き出物を届けて帰ると,ようやくC男が起きていたので,一緒に昼食をとったが,B男はまだ寝ていた(D子10/16員面(検97))。夕方か夜に,花子が,戊谷方にみかん約3キロを届け,昨夜のE男のことについて礼を言って帰った(戊谷10/20員面(検74))。花子とA男は,午後6時ころ帰宅した(花子10/16員面(検134))。A男は,午後6時30分ころ,E男の牛に餌をやろうとしたが,懐中電灯がなかったので,E男方の庭から,D子に懐中電灯を貸してくれと言ったところ,D子方にも懐中電灯がなかったので,D子は,ろうそく3本に火を付けてA男に持って行った。D子とA男は,ろうそくの明りで牛小屋の電気をつけ,E男方の部屋の中を見たところ布団がへこんでいたので,E男はどこかに行っていると言っていた(花子10/16員面(検134),D子10/16員面(検97))。B男は,食事もとらないで一日中寝ていたが,二日酔いした時にはいつものことである(D子10/16員面(検97))。

(イ) 10月14日

A男は,朝,E男の牛に餌をやり,牛小屋の糞の掃除もした。午前8時ころ,A男が,E男がいないというので,A男と花子がE男方に行き,土間からのぞいてみたところ,E男は布団に寝ていなかった。花子は,E男方の庭の柿の木の下に,小さく畳んだカーペットに緑色の杉の葉がのせてあるのを見て,A男にカーペットをどこかに片づけておくよう言い,A男は,これを車庫の耕運機の上に持って行った(A男11/3員面(検106),花子10/16員面(検134))。花子は,午前9時ころから,庚町L子と甲山Q男に対し,E男が行方不明であると電話で連絡し(庚町L子10/17員面(検54),甲山K子10/22員面(検64)),午前10時ころ,A男方に来たD子にもE男が行方不明になったと伝え,D子は,A男夫婦と一緒にE男方を探した(D子10/16員面(検97))。花子は,午前11時30分ころ,丁野方に行ってE男が行方不明になったと伝え,丁野は,E男方に行き,花子,E男方にいたA男,B男,Q男らと一緒にE男方を探した(丁野員面10/17(検79),検面10/29(検82))。花子は,午後1時ころ,癸井B男にE男が行方不明であると電話で連絡し,B男は,息子と一緒にE男方に行ったが,花子とA男は,みかん取りに行って不在だったので,B男,その息子及びC男の3人でE男方を探した(癸井B男10/17員面(検58),10/18員面(検59))。その後,E男は,子供の大崎小学校の運動会に行っているかもしれないということになり,午後4時50分ころ,A男とC男がF子方に行き,E男が来ていないかを尋ねた(F子10/16員面(検89))。午後6時ころ,A男方に,花子,A男,Q男,B男,庚町L子,丁野らが集まり,Q男,B男,丁野,L子らでE男方を探した。花子が,丁野に,警察に連絡した方がよいというので(丁野10/17員面(検79)),丁野は,午後8時ころ,大崎駐在所にE男が行方不明であると電話連絡し(10/17捜査報告書(検3)),花子は,壬原g子にもE男が行方不明であると電話で連絡した(壬原g子10/20員面(検51))。午後8時30分ころから午後9時30分ころまでの間,A男方に集まった兄弟達がそれぞれE男方を捜索した(壬原g子10/20員面(検51),午町K子10/21員面(検62),甲山Q男10/15員面(検67)),花子は,午後9時ころ,C男と一緒に占い師の丁野W男を訪ねてE男の所在を占ってもらった(花子10/16員面(検134))。花子は,帰りに丁野方に立ち寄り,占い師が言ったことを伝え,「12日,戊谷さんとこから家に帰る途中,E男はもう寝たろうか様子を見てみるがと話し,戊谷は,私の所まで来たかはっきりしないが,自分がE男の部屋の中を見たところ,2燭光はついており,E男は寝ているようだった,あれからどこに行ったのだろうか。」などと話した(丁野T子10/16員面(検83))。

(ウ) 10月15日

花子とA男は,午前7時30分ころ,みかんの収穫に行き,壬原g子に頼んで選果場に出荷してもらった(壬原g子10/20員面(検51))。丁野は,午前9時ころ,大崎駐在所に正式に届出をし,逆瀬川部長が来たので,案内してE男方に行った。E男方には,E男の親戚一同が集まっており,皆でE男方及びその付近を捜索した。午後1時55分ころ,庚野L子と壬原a子がE男方牛小屋の堆肥置き場から,E男の死体を発見した(壬原a子10/15員面(検47),10/21員面(検48),10/22員面(検49),庚町L子10/17員面(検54))。

イ 花子とA男は,13日朝から畑仕事をこなし,花子とA男間,花子とD子間,花子,A男とF子間では,13日朝に昨夜E男が丁野らに連れ帰られたことが自然に話題にされ,A男は,E男の牛が鳴くので朝昼晩と餌をやり,花子は,E男が焼酎を買ったと聞いていた未林商店に電話を掛けて前日のE男の非礼を詫びている。このような花子とA男の行動は,前日にE男を殺害していた者のそれとしては,そぐわないものである。

また,14日には,花子が親戚中にE男が行方不明であると連絡をし,花子,A男,B男及びC男らも加わってE男方を探し,C男とA男はF子方まで探しに行き,花子が丁野に依頼して警察にE男が行方不明になったという届け出をした上,花子は,C男と2人で丁野W男のところに行ってE男の行方を占ってもらうなどしている。この点,A男は,警察から引っ張られたときのためにD子と一緒にE男を探したふりをした,E男を探しても見つからないと言うために探したまねをした,花子も占い師のところに行って探したまねをしたなどと供述し(A男11/3員面(検106)),C男は,花子と一緒に大崎町の占い師の所に行った際,花子は,「死体はどげんなちょっどかいわかっだろうかい,占い師の所へ行けば心配して探していると思って人にうたがわれないから。」と言い,死体を埋めたとは言うなと念を押されて口止めされたなどと供述する(C男11/6検面(検120))。しかしながら,花子は,今までも,A男と2人で同占い師を訪ねて,A男やその息子X男が今後どうなるかを見てもらいに行ったことがあるというのであるから,(A男11/6検面(検109)),花子,A男らの行動は,実際にE男の行方を捜している者の行為として自然なものであり,あえてこれを擬装のためとみるべき必然性はない。

(5)  まとめ

以上によれば,本件殺人の動機に関し,確定判決は,花子やA男が日ごろから実弟のE男の存在を快く思っていなかったということを認定したが,B男がこのような動機を有していたこと自体に疑問があり,A男や花子についてもこのような動機がE男殺害の動機足り得たかについて疑問が生じる(前記(1))。また,本件事件直前の関係者らの行動については,花子が土間で前後不覚の状態のE男を現認したかについて疑問が生じ,ひいては,花子の殺意の発生についての推認過程が揺らぐことになる(前記(2))。更に,本件直後の関係者らの行動のうち,花子とA男はE男の通夜をし,B男はそのまま家に帰って2,3時間うたた寝をしたという点(前記(3))は,いずれも花子らの犯行を前提とするものであるが,緊迫感に欠け,不自然なものである。また,本件翌日以降の花子とA男の行動のうち,E男が酔って搬送されたことを,F子やD子との間でも自然に話題にしたり,E男が行方不明になったことを親戚中に連絡した上,警察に届け出てもらうなどという点(前記(4))は,いずれも,花子,A男及びB男と本件各犯行とを結びつけるのには消極に働く情況証拠というべきである。

6  D子供述の信用性

(1)  D子供述の証拠構造上の位置づけは,前記第2,2(2)(3)のとおりである。D子供述は,①花子がB男とE男殺害を共謀しているのを目撃したという直接証拠であり,②同共謀の前提事実として,10月12日夜に花子はB男方に立ち寄ったこと,③12日夜から翌日未明にかけて,B男が1時間以上外出していたこと,④同夜,B男が「E男を殺してきた。」と言い,⑤C男が「加勢してきた。」と言って本件各犯行を打ち明けたことなどの状況を直接証明する重要な証拠であり,共犯者らの自白を支える唯一の第三者供述であって重要な意味を持っている。

(2)  D子の原1審から当請求審までの供述経過は以下のとおりである(捜査段階の供述として,(ア)10/16員面(検97(原1審取調べ済み)),(イ)10/19員面(原審未提出記録・当請求審弁94,弁78),(ウ)10/29員面(検98(原審不同意)),(エ)10/31員面(検99(原審不同意),(オ)11/3検面(検102(原審不同意)),(カ)11/4員面(検100(原審不同意)),(キ)11/29員面(原審未提出記録・当請求審弁93,弁77),(ク)12/2員面(検101(原審不同意)),原1審の公判供述として,(ケ)原1審第6回公判供述,当請求審での供述として,(コ)弁護人によるS60/1/27聴取事項反訳書(当請求審弁2,弁24),(サ)当請求審における証言(①平成10年4月24日,②同年5月13日,③同年6月11日,④同年7月8日))。

(ア) 10月16日付け警察官調書(検97)

①12日夜に花子がB男方に来たこと,②B男と花子の殺人共謀を目撃したこと,④⑤B男やC男が本件各犯行を打ち明けたことに関する供述は全く録取されておらず,③12日夜から翌日未明までのB男の行動に関し,B男は,C男とのけんかが一段落して間もなく床に就き,13日午前2時ころに1回用便に外に出たが,すぐに帰ってきてまた寝ていたなどとしている。

そして,D子の12日夜の行動に関し,B男とC男のけんかが一段落した後,外に出たところ,E男の家の前まで車が来た音がして,丁野と戊谷の「家に帰りついたど。降りらんな。」という声がした,馬小屋の方に行ったり来たりする人影を見たが,ものの2,3分したら車は走り去った,D子は,家に入って間もなく床に就いたとし,C男の同夜の行動に関し,B男が用便の際に障子を開け放しており,C男が,「寒い,閉めて。」と言ったが,D子が「早く寝なさい。」と言うと,C男は,こたつのところに座って何か勉強していたようだったが,自分の床に就いたなどと供述し,13日朝の出来事に関し,花子がB男方に来たことに関する供述は全く録取されておらず,多分午前10時ころ目が覚めたが,B男とC男は,まだ寝ていたので,2人をそのままにして,午前11時30分ころ巳浜商店に買い物に行ったなどと供述している。

(イ) 10月19日付け警察官調書(原審未提出記録・当請求審弁94,弁78)

13日朝に花子がB男方に来たことに関して詳細な供述をしたにもかかわらず,12日夜のことは今まで述べたとおりであるとして,①同夜に花子がB男方に来たこと,②B男と花子の殺人共謀を目撃したこと,④⑤B男やC男が本件各犯行を打ち明けたことに関して全く供述せず,③12日夜から翌日未明までのB男の行動に関し,B男は,D子より早く寝て,1回用便に出たが2,3分で帰ってきた,用便に行った以外は家にいたと思うなどと供述している。

そして,12日夜のD子の行動に関し,午後7時30分ころ結婚式から帰り,午後9時過ぎには寝たなどと供述し,13日朝の出来事に関し,午前8時ころ,花子がB男方に来た,最初に「夕べは音がすごかったが」と言い,C男がB男とけんかした後,土間に投げて壊したどんぶりの破片が散っていたのを見て,花子は,「B(B男)さんの仕業だろう,夕べは丁野H男さんやI男さんがE男を送ってきてくれたが,結婚式にも行かず,焼酎を飲んでおった。」と言い,更に,H男さんとI男さんがE男を送り届けた後,3人でH男さんの家に行った,H男さんかI男さんが寝ているか見てこいと言ったので,I男さんと2人,またE男の家に行ったところ,E男は寝ていたようだったので家に帰ったと言った,D子が,「E男は,けがもせず,送って来てもらってよかったな。」と言うと,花子は,「あんしも迷惑なことじゃ,いつものことじゃが。」と言っていたなどと供述している。

(ウ) 10月29日付け警察官調書(検98)

今まで,夫や息子のことを自分の口からは言えず,花子が恐くて言ったら殺されると思って本当のことを言えなかったが,甲山家から出されても,本当のことを言わなければならないと思っているなどとした上,①12日夜に花子がB男方に来たこと,その時間は時計を見ると15分だったが,それが9時15分か10時15分かは思い出せないこと,②B男が花子からE男殺害を持ちかけられたが難色を示していたこと,③同夜,B男が1時間半くらい外出していたことについて供述したが,④⑤B男やC男が本件各犯行を打ち明けたことに関しては供述せず,⑥花子は,E男がF子と離婚した5月ころから,E男に保険を掛けて殺さないといけないと言っていたなどと供述する。

具体的には,12日夜のD子の行動に関し,丁野達がE男を送ってきたのが庭から見え,しばらくして丁野達が帰る車の音が聞こえた,D子は,炊事場の片づけをし,お湯をポットに入れて,4畳半間でC男とテレビを見ていたなどとし,①に関し,C男とテレビを見ていた時,花子が,美容院に預けていた紙袋入の着替えを持ってきてくれた,その時見ていたテレビ番組の内容は思い出せず,時計を見ると15分だったが,それが9時15分か10時15分かは思い出せない,花子は,炊事場の板間の小縁に座って,E男は,結婚式に行かずに飲んでいて,銭1万円も包まずにみやげばっかり貰って,E男が川に落ちていたのを丁野達が連れてきてくれた,どこか体を打っているが,頭は打っていないようだ,頭を打っていれば死んでいたからそのほうがよかった,保険を掛けていれば死んだときは保険金がとれるな,戊谷がE男の金玉は太かった「お前げんしも,あげん太とかとって持っちゃいな」と言って笑っていた,今,E男を見てきたら,玄関の小縁のところに座ったまま,頭を前に下げ,もたれて寝ていたなどと言って,その格好をして見せたなどとし,②に関し,B男は,丁野らが帰る音が聞こえた時には,既に肌着のまま寝ていたが,花子とD子が話している時,起きてきて肌着のまま外に出ると,花子も外に出た,庭で花子がB男に「E男をうっ殺すっで加勢をしやんせ。」と言い,B男は「うん。」と言いながらも「そげん訳いかんじゃー。」と言っていたなどと供述する。そして,③に関し,E男のことが気になってなかなか寝付くことができなかったが,1時間半くらい経ったころ,炊事場側の雨戸を開ける音がし,「父ちゃんそこを閉めんと寒かが。」というC男の声がして雨戸を閉める音がした。B男は,帰ってくると最初寝ていた部屋に入って寝た,C男の部屋に行くと,C男は布団に入っていたが目を覚ましており,テレビの上の時計で午前零時12,3分だった,私はそのまま小便に行き,帰って寝たなどと供述する。そして,④⑤に関し,13日午前5時30分ころ,釜屋のところでカーンという音がし,しばらくして小便に行くと,C男が4畳半間をあちこち歩いており,B男は小便に行ったのか下着のまま庭から部屋に上がってきて寝たなどと供述する。そして,翌13日の出来事に関し,午前6時30分ころ起床し,午前8時ころ,花子がB男方に来たとするが,その時の会話内容等については供述していない。

(エ) 10月31日付け警察官調書(検99)

10月29日付け警察官調書の内容に加えて,①12日夜に花子が来たのは午後10時15分であると思うこと,②花子がB男にE男殺害を持ちかけたのに対してB男が即座に応じたこと,④⑤13日未明にB男が「殺してきた。」と言い,C男が「加勢してきた。」と言うなどそれぞれ犯行を打ち明けたこと,13日朝の出来事に関し,花子が来たときはE男が酔っぱらって丁野や戊谷に連れて帰ってもらったなどと12日夜と同じ話をしていたことを供述する。

具体的には,10月29日付け警察官調書の内容に加えて,12日夜のD子の行動に関し,丁野達が帰ってから,C男と1時間くらいテレビを見ていたなどとし,①に関し,薬を飲んで寝ようと思っている時,花子が,美容院に預けていた洋服を入れた紙袋とスリッパを持ってきた,その時だったか,寝る時だったか,はっきりしないが,テレビの上の時計を見ると長針が右側に水平になっていたので,午後10時15分だったと思うなどとし,花子は,土間に立って板間に両手をついて身体を支えるような格好でE男のことを話し出したとして,その内容については,10月29日付警察官調書の内容に加え,E男の尻は丸出しで鶉みたいだったなどという具体的な供述をし,②に関し,D子は,B男と花子に続いて外に出ると,花子とB男が向かい合って話をしていたので,B男の右側に行って話を聞いた,花子は,「こげん時でなけやE男をうっ殺すこちゃでけんじ,こげん時自殺したごっすれば自分でしたごっみゆっで,今かいうっ殺すで加勢をしやい。」と言い,B男は「うん。」と言った。このとき,B男は,「そげん訳いかんじゃい。」とは言っていない。前回の調書は9月中旬ころのことと勘違いしていたなどと供述する。そして,③④に関し,E男を殺すというのが本当かどうか分からなかったが,帰りが遅いので心配はしており,床についてもぐっすり眠れずにいたところ,1時間半くらい経った午前零時ころにB男が帰ってきたので心配になりすぐ起きると,B男は,炊事場,板間から4畳半間を通って玄関6畳間に行くところで,私の方は見ないで,襖を開けながら「うっ殺してきた。」と一言言って部屋に入って寝た,D子は,気になりながらも用便に行ってまた寝た,⑤に関し,それから約4,5時間後,カーンという音で目が覚めた。C男が中6畳間で棒を持って立っておりねずみを追い散らしていたと言っていた。私は小便に行って帰ると,C男は布団に座っていたので「早よ寝らんか。」と言うと,C男は,「加勢をしてきた,黙っちょらんな。」と言っていたので,私はそのまま自分の布団で寝た,B男が本当にE男を殺してきたとは思っていなかったし,C男が言った時もまさかと思っただけだったなどと供述する。そして,翌13日の出来事に関し,午前6時ころ,起きて,洗濯をすませた後,午前8時30分ころ,花子が来て,私が土間で割れた茶碗を片づけていたのを見て,いきなり,「B男さんがしやったたあろ,お前げえな夕べはけんかじゃったなあ。」などと言った,そして,土間に入り,板間に座って,夕べはE男は,酔って小能部落の川に落ちていて,H男さんやI男さんが送ってきてくれた,結婚式にも行かずに焼酎を飲んでいたそうだ,E男を送ってもらった後,3人でH男さんの家に行った,あんしの話ではE男のズボンが濡れていたから脱がせておいた,「E男の睾丸は太かったお前げんしも太かな。」と言って笑っていた,帰りに,I男さんに電気を照らしてもらってE男の家を見たところ,E男は,土間の所に座って寝ていたなどと12日の晩に来た時と同じ様なことを言うので,B男がうっ殺してきた,C男が加勢してきたなどと言っていたが,E男に特に変わったことはなかったと思い,「E男は,けがもせず送ってもらってよかったな。」というと,花子は,「あんしも迷惑なことじゃ,いつものことじゃが。」と言っていた,同日午後3時ころ,E男方に結婚式の引き出物を届けたなどと供述する。

(オ) 11月3日付け検察官調書(検102)

①ないし⑤の事実に関し,おおむね10月31日付け警察官調書の内容のとおり供述し,③に関し,時間は正確ではないが,B男は約1時間程度外出していた,帰ってきたときのB男の格好は肌着とステテコだったなどと供述し,花子は,E男と普段からうっ殺すぞなどと言ってけんかをしていたので,本当にE男が殺されたとは思っておらず,15日に死体が発見されて,あの時B男が殺したのかと思った,D子の取調べがある度に花子がなんと言ったか聞きに来て,F子の所に謝りに行こうという誘いを断ると「…お前どめ罪をかぶせておいは帰る,わいは長男の嫁じゃっでかまうばってん,おいがいないならわいがねんでもしがならんよ」「お前のおやじが行たっくっでといったのをお前が行ったけというたいう」と言っていたのでなかなか本当のことを言えなかったなどと供述する。

(カ) 11月4日付け警察官調書(検100)

⑥花子の動機に関し,今回の事件は,花子が保険金やE男の財産が欲しくてやったことだと思うと供述した上,花子は,E男が酔って暴れる度にE男はうっ殺さんといかんと言っており,E男も花子とけんかするときにはうっ殺すと言っていた,昭和54年8月末ころ,花子は,どうせE男の面倒を見ないといけないが,保険を掛けておけば自分たちが取れると言い,花子の弟乙川Y男の紹介で保険勧誘員がE男の所を尋ねたようだった,A男も,E男は稲刈りの手伝いもせずに焼酎ばかり飲んでいる,罪にならないなら保険をかけて殺せばいいなどと言っていた,昭和54年5月にE男とF子が離婚した後,花子は,夜にしょっちゅうE男の家をのぞきに行っているようだった,花子はE男の保険や夜の動向を気にしていたから,今回の事件も保険金の目的があったのかと思うなどと供述し,花子は,E男死亡後になって,F子が復縁していたのを知って,農協の保険がとれないと言って悔しがっていたなどと供述する。

(キ) 11月29日付け警察官調書(原審未提出記録・当請求審弁93,弁77)

①ないし⑤の事実に関し,おおむね10月31日付け警察官調書及び11月3日付け検察官調書の内容のとおり供述した上,一部供述を訂正するとして,11月29日に現場検証を行った後,①12日晩に花子が来た時刻については,炊事場の後片づけが終わり,テレビの前に座ったときに午後9時のサイレンが鳴り,その後,薬を飲もうと思って時計を見ると午後9時15分であった。その時のテレビ番組が終わって,午後10時からの番組が始まって約10分経った時に花子が来た,E男を殺すと言ってB男を連れて行った後,家に入ってテレビの上の目覚まし時計を見ると,時計の長針が右の方にあったから,午後10時15分であり,花子が来た時刻は午後10時10分ころである,花子が土間で話をした状況について,最初両手を板間についていたが後では立ったまま話をしていたことを思い出した,②花子とB男の殺人共謀を目撃した時,B男と花子が炊事場の出入口から3,4メートルの釜屋の前に立って話をし,D子は,炊事場の出入口から1メートルくらいの所に立って話を聞いたから,2,3メートルは離れていたことを思い出したので訂正するなどと供述する。

(ク) 12月2日付け警察官調書(検101)

事件後の花子の言動に関し,10月25日朝に花子が来て,12日午後10時ころ自分は丁野の家にいた,その時にA男とB男がしたことだろう,自分は離婚して下永吉に帰ればこの事件には関係ない,D子には帰るところがないだろう「そうすればおはんたっが罪をうっかぶればよかっど」と言ったので,C男が怒ってE男と花子の仲が悪かったことは世間が知っていると言い返していた,同月28日朝にも花子が来て,12日晩に花子が着替えを持ってきたことを警察に言わないでくれ,13日朝に持ってきたことにしてくれと言って帰ったなどと供述する。

(ケ) 原1審第6回公判供述(同公判調書)

①ないし⑤の事実に関し,おおむね10月31日付け警察官調書及び11月3日付け検察官調書の内容のとおり供述した上,①に関し,10月12日夜に花子が来た時間は,テレビの上の夜光時計(83)の針が横になっていたから,午後10時15分過ぎだった(31),テレビは,8時から9時までの「太陽にほえろ」が済んで,別なのがあって,その次の映画の時だったなどとし,②に関し,花子とB男が勝手口の所にいた,40問「そこで,花子とB男はどういう話をしていましたか。」,答「…。」,41問「花子は,何かB男に言っていたんでしょう。」,答「…。」,42問「花子とB男がそこで話しているのを聞いたことはないですか。」,答「聞いたです。」,43問「花子は何と言いましたか。」答「…。」,44問「花子の前では言いにくいですか。」,答「…。」…,81問「勝手口の前で,花子はB男に何と言ったんですか」,答「E男さんをどうにかして殺したいから加勢しろと言いました。それでお父さんも一緒になったんです。」,82問「その時,B男は,何と返事をしましたか」,答「ぶっ殺せばと言いました。」などと供述する。そして,12日晩にB男が帰ってきて「E男をうっ殺してきた。」と言い,C男からは「加勢をした。」という言葉を聞いたが,いつも普段使われている言葉だから気にしなかった,翌13日の出来事に関し,午前7時か8時ころ,花子が来て,土間で,12日の晩に話したのと同じ様なことを話していた,花子がいた時間は10分くらいだったなどと供述する。

(コ) 昭和60年1月22日の弁護人に対する供述(弁護人によるD子とB男供述の聴取事項反訳書・当請求審弁2,弁24)

B男は,本件各犯行を一切していないとした上,①に関し,10月12日晩は,花子は,B男方には来ていない(72〜75),③に関し,同日結婚式から帰った後,C男とB男はけんかをして,B男は,怒って風呂にも入らずすぐ寝て,明朝まで二日酔でそのままずっと寝ていた(61〜65)などと供述する。そして,12日夜に花子が丁野方に寄った時,花子と丁野夫婦でE男を殺す段取りをしたのだと思う(58〜60),同日午後9時前ころ,丁野がE男を連れてきたとき,C男は,懐中電灯とタオルを取り出しておかしなことをしているのを見たり,きゃーという声を聞いたりしている(137〜150),その時,花子は,自宅の縁側でシミズいっちょになって立って見ていた(151),C男は,出所してからこのようなことを言っていたが,人に言うと犯人に捕まえられると言って口止めされていた(169)などと供述する。

(サ) 当審請求審における証言(①平成10年4月24日,②同年5月13日,③同年6月11日,④同年7月8日)

a 10月12日夜の花子とB男とのE男殺害の共謀について

同日夜,花子は,B男にE男を殺そうというようなことは言っていない(①162〜)。

b 12日夜に花子はB男方に立ち寄ったかについて

午後8時ころ,車の音がしたので庭に出ると,E男が車で連れてこられたようであり,丁野と戊谷の声が聞こえた,薬を飲むために沸かしていたお湯が沸いたので,家の中に入り,その後,C男も家の中に入って2人でテレビを見ていた時,車が帰る音がした,時計を見たら午後9時15分だった,それから10ないし15分後,テレビを見ている時,花子が美容院に置いてきた私の荷物を持ってきてくれた(①57〜,③82〜,④223)。花子は,私に「持ってきたから,これじゃったなあ。」などと話しただけで,それ以上の話はせずに,すぐに帰った。花子が来たのは午後10時にならないころだった(①76〜)などと供述する。

c 12日夜から翌日未明にかけて,B男が1時間以上外出していたか,B男が「E男を殺してきた。」と言い,C男が「加勢してきた。」と言うなどして本件各犯行を打ち明けたかについて

B男は,C男とけんかをした後,風呂に入らず,顔と足を洗い,自分の部屋で肌着とパンツのまま寝てずっと寝たままだった,13日午前3時ころ,B男が肌着のままで小便から帰ってきたのとすれ違ったが,B男は,「下の家は,今朝は早くから明るいが早く起きられたものだ。」と言っていた,殺人の話はしなかったなどと供述する(①)。そして,夜中にC男がねずみを追いかけていたので,「夜中やっどが,寝らんね。」と言うと,B男は寝たなどと供述する(①)。

d 10月12日夜のD子の行動について

D子は,花子が荷物を届けてくれた後,C男と一緒に「太陽にほえろ」を見ていたが,番組が変わったので,そのまま寝た。

e 13日朝の出来事について

10月13日朝,花子が,D子方に来た。花子は,「茶碗を割ったのは誰か。」と言っていたが,D子は知らないと言った。それ以外に特に話はしていない。C男は,花子の声で目が覚めて起きてきたが,花子とは話はしていない。その後,私は,近所に印鑑をもらいに行き,最後の□□の家を出たのが午後2時半頃だった。帰りに戊谷に会った。帰宅して,E男宅に引き出物を届けに行ったが,いくら呼んでも返事がなく,寝ているかと思って障子を開けたら,寝床はそのままだった,帰宅後,C男と一緒にご飯を食べた,B男は,遅れて昼飯を食べたが,また寝た(①117〜,②15,④29〜)。

f 捜査段階及び原1審公判での供述について

D子は,12日に花子が来て,B男にうっ殺す加勢をしてくれと言ったというようなことは,警察官にも言っていない。花子は,そういうことは言っていないから,D子も,人が言わないことは言っていない(①162〜)。D子は,警察の取り調べの時も,C男が加勢したとは言っていない。信じられないと言った(①165〜)。警察で図面を書いた覚えもないし,調書は読んでもらっていないし,見せてくれと言っても見せてもらえなかったので,調書にどんなことが書いてあるのか分からなかった(①170)。家族が2人逮捕されて,病院に連れて行ってもらったりしていた。裁判の時の証言のことは記憶にない(②288)。

g 捜査段階で供述をした際の花子に対する心情等について

17日にB男が逮捕され,27日にC男が逮捕され,D子は,29日に警察の取調べを受けた時,どうして自分の家族が逮捕されたか信じられず,刑事にも信じられないと言った(①156〜160)。無実の家族を逮捕されて,罪に落とされ,裁判をしないといけないのなら,書類が一杯にならないのなら,嘘でも言うから書いてくれと言うと,嘘は書けないと言われた(②239,③156)。最初に調べられたときは本当のことを言っていたが,家族が逮捕されてからは,誰かが嘘を言ったために家族が逮捕されたと思った(①175,③152)。刑事から,花子は事件に関係ないと言っている(②248),花子がE男やD子に生命保険を掛けていると言われ,保険を掛けられているけど悔しくないのかなどと言われた(②264)。花子は,自分で言う放題,し放題している人だったから,あんな人だから保険を掛けているんだと思ったが,1人残されて,夜にどんな人が侵入して来るか,命を取られるかと思うと恐ろしかった(②271)。取調べの時,花子がC男が持ち加勢(死体遺棄の手伝い)をしたと供述していると刑事達が言っていた(同280〜283)。10月16日のB男の通夜の席で丁野の様子がおかしかったから,丁野がE男を殺したと思った(③382)。B男やC男をこんな目に遭わせたのは,花子が丁野たちと一緒になって,あることないことを言っているからだと思った(②277)。花子は,E男とF子が離婚すれば不動産を自分のものにできると言っていた。F子は戻って来んでいいというようなことをD子方の門口まで来てしょっちゅう言っていた。花子は,酒を飲んでいるときでなければできないと言っていたので,何をするのかと思っていた。花子は,C男をいじめており,D子もいじめていた(④309)。事件当時も,今も,花子とは精神が合わず,好きではなかった。このことは警察の人にも言ってある(④419〜245)などと供述している。

(3)  D子の新供述の評価について

ア 新証拠としてのD子供述は,前記(2)のとおり,弁護人に対する供述及び当請求審での証言である。その内容は,おおむね,①12日夜に花子がB男方に来ていないこと(前記(2)(コ)),②12日夜にB男が花子と殺人を共謀した事実はないこと(前記(2)(コ),(サ)),③B男は12日夜から13日未明にかけて1度用便に外に出たがすぐ戻ってずっと寝ており,1時間以上も外出した事実はないこと(前記(2)(コ),(サ)),④13日未明にB男が「殺してきた」と言い,C男が「加勢してきた」と言うなどといった本件各犯行を打ち明けたことはなかったこと(前記(2)(サ)),⑤捜査段階で供述をした際の花子に対する心情等(前記(2)(コ),(サ))について供述したものである。もっとも,D子は,①に関し,弁護人に対する供述では,12日夜に花子がB男方に来ていないと供述していたが(前記(2)(コ)),当請求審での証言では,同夜花子はB男方に来たなどとして(前記(2)(サ)),供述を変遷させている上,原審でもC男やB男に不利益な供述をした覚えはないなどとして,自らが原1審で証言し,又は捜査段階に供述したことが明らかである供述を否定し,原審と当請求審とでその供述内容が変遷していること自体を否定する。そのため,新証拠としてのD子供述は,①12日夜に花子がB男方に来たか否かという共謀の前提になる重要な事実について変遷している上,自らが原1審で夫や息子に不利な供述をしたという客観的に明らかな事実を否定しているため,原審と当請求審とでその供述内容が変遷した理由が明らかでない。

弁護人らは,D子の当請求審における証言の信用性は慎重に判断されるべきであり,D子は,現時点ではB男とC男の無罪を信じており,原1審において,D子自身が,B男とC男が殺人や死体遺棄に関与したという証言をしたために夫や息子を罪に陥れてしまったということを認めたくないという心情が働いていることから,自己の供述の変遷自体を否定するという供述態度に出ていること,D子は,現時点でもなお花子が真犯人であり,花子のために無実の夫や息子が罪を着せられたと信じ込んでいるから,花子にとって不利な証言部分についてはその信用性を認めるべきではないなどと主張する。

イ 検討

(ア) ①ないし④の事実に関する供述について

D子は,当請求審において,花子のB男方への立ち寄りという重要な事実について特に理由を示さず供述を変遷させ,自らが原1審で夫や息子に不利な供述をしたという客観的に明らかな事実をかたくなに否定している(前記(2)(サ)f)。その供述態度からすれば,D子は,当請求審の時点では,夫や息子が無実であると強く思い込んでおり,原審においてD子自身が夫や息子に不利益な供述をしたために同人らが有罪の認定を受けたこと自体を受け入れたくないという心情が働いた結果,夫や息子にとって不利益な事実があったこと自体が受け入れられないという思い込みが働き,事件当時の事実を夫や息子にとって有利な方向に曲解して思い込んでいる可能性が否定できない。また,丁野がE男方に来た時刻,花子がB男方に来た時刻等についても他の証拠関係に比して不合理な供述をしており,20年以上前の行動に関する事実については,現時点での記憶の正確性には疑問がある。そうすると,D子が,B男やC男の本件各犯行への関与について供述している①ないし④の事実については,当請求審でのD子供述の信用性を直ちに認めることはできない。

(イ) ⑤の捜査段階で供述した際の花子に対する心情等について

原1審での関係各証拠によれば,D子は,昭和54年当時,心臓病により身体障害者3級の認定を受けていて,病弱で,農作業等の仕事はほとんどできなかったが,性格は,優しい反面,勝ち気で強情な面もあり,B男の知能が低いことなどから,家庭生活はD子がリードしていたこと,兄嫁の花子との関係では,D子は,花子よりおとなしく,E男が酔って牛に餌をやらないので餌をやりたいけど「姉さんがいるから。」などと言って,花子に遠慮したり,花子が意地悪なので,日頃からつきあいに苦労していたといったことなどが認められ(D子10/31員面(検99)卯野f男10/28員面(検42),癸井B男10/17員面(検58),甲山V子10/30員面(検43),辛浜O男10/24員面(検43)),D子が,兄嫁である花子に対し,日ごろから遠慮をして,気苦労を重ねており,もともとあまり良い感情を持っていなかったものと推認される。そして,捜査官らは,10月17日に花子が,E男やD子を被保険者とする生命保険契約を締結していた事実を知り,同日以降,保険金取得目的での殺人という面から花子の関与を疑い,同月21日にはこれらの保険証書を領置していたこと,花子は一貫して本件各犯行への関与を否定していたことが明らかである(戊谷S子10/17員面(検86),10/16捜査報告書(検2),10/17捜査報告書(検3))。そうすると,D子の新供述のうち,⑤捜査段階で供述をした際の花子に対する心情等については(前記(2)(サ)g),D子がもともと花子に対して良い感情を持っていなかったこと,捜査官らから情報を与えられ,働きかけられたことによって,花子の本件各犯行への関与を疑い,E男の次には自分の命が狙われるとの恐怖心をあおられたこと,夫のみならず息子までもが罪に陥れられたのは花子の責任であると思い込んで,花子に対して悪意を抱くようになり,C男が逮捕された10月27日以降,その心情の変化が供述に影響したということに関しては,他の証拠関係に沿うものである。また,このような事件当時の特異な心情については,時間の経過によってたやすく記憶が曖昧になるとは考え難いことからも,このようなD子供述には信用性が認められる。なお,当請求審の段階でも,D子は,花子が丁野らとともに本件各犯行を犯した真犯人であると考えており,B男やC男は,無実であるにもかかわらず,花子が嘘の供述をしたために罪に陥れられたものと信じ込んでいることがうかがえる。D子のこのような心情を考えると,捜査段階において,C男が逮捕された10月27日以降,D子が,花子に対してこと更に不利な虚偽供述をしてもおかしくない状況が存在したことは否定できない。

(4)  D子供述の変遷とその信用性について

ア D子供述の変遷内容

(ア) 12日夜に花子が来たこと,同夜花子がE男方をのぞいたときの様子に関する供述の変遷について

前記のとおり,D子は,10月19日付け警察官調書では,花子は13日朝に来て,E男は寝ていたようだったので家に帰ったと言っていたなどと供述している(未提出記録・当請求審弁94,弁78)。捜査官らは,遅くとも10月17日以降は花子の関与を疑っていたのであるから(10/17捜査報告書(検3)),10月19日の段階において,事件当夜の花子の行動を,D子から聴取していなかったとは考え難いこと,13日朝に花子が来たことを詳細に供述しているにもかかわらず,事件当夜に花子が来たことが録取されていないことからすれば,D子は,10月19日の時点では,事件当夜に花子が来たことを否定していたものと推認される。これに対し,同月21日にB男が,事件当夜に花子が来たという供述を始め,同月29日にC男とA男が花子の関与を含めて本件各犯行を自白した同日,D子がそれまでの供述を翻し,事件当夜に花子が来たことを供述し,花子がE男が土間で寝ているのを現認したというように供述を変遷させているが,10月29日からのこれらの供述の変遷について,合理的な説明がされていない。

(イ) 保険金目的という動機を前提にした供述に関して

確定判決は,保険金取得目的という殺人の動機を否定しており,これは正当であると認められるところ,花子が保険金取得目的でE男殺害を計画し,その準備行為をしていたなどということは考え難い。したがって,花子がE男に保険を掛けて殺すと言っていた(D子10/29員面(検98)),花子が夜にE男の動向をのぞきに行っており,E男殺害の機会をうかがっていた(D子11/4員面(検100))などというD子供述の存在自体が不自然であり,保険金殺人という見込みで捜査をすすめていた捜査官らによる誤導がされたことがうかがわれる。そして,D子は,10月29日に,花子の保険金取得目的について初めて供述していることからすれば,同日,同様に供述し始めた,①花子がB男とE男殺害を共謀していた,②10月12日夜に花子がB男方に立ち寄った,③12日夜から13日未明にかけてB男が1時間以上外出していたといった事実に関するD子の供述の信用性についても疑問が生じる。

(ウ) 12日夜のD子自身の行動について

D子は,10月29日を境に,今まで夫をかばい,花子が恐くて本当のことを言えなかった等として供述を変化させているが,12日夜のD子自身の行動に関しても,当初,午後9時ないし9時30分ころ丁野らがE男方から帰った後,間もなく就寝し,深夜に1回用便に立っただけであるとしていたのが,(D子10/16員面(検97),10/19員面(未提出記録・当請求審弁94,弁78))10月29日を境に,丁野らがE男方から帰った後,4畳半間でC男と1時間近くテレビを見ており,花子が着替えを持って立ち寄った時にも,C男と一緒にテレビを見ていたというように変化している(D子10/31員面(検99),11/3検面(検102),11/29員面(未提出記録・当請求審弁93,弁77))。10月29日を境に,前記①ないし③の事実というB男及び花子と本件殺人の結びつきに関する供述だけでなく,D子自身の行動に関しても大きく供述が変化している。そして,このような供述の変遷については,合理的な説明がされていない。

イ 他の共犯者らの供述経過との対比

D子は,10月29日を境に供述を大きく変遷させているところ,10月29日の段階においては,B男は,既に殺人及び死体遺棄については自白し,少なくとも花子が12日夜にB男方に立ち寄った事実についても供述していたこと,C男は,同日,死体遺棄について自白し,共犯者であるA男も,同日,2人犯行から3人犯行へその供述を変遷させていたことが明らかである(後記7(1))。そうすると,D子は,夫や息子が自白する前に同人らの本件各犯行への関与を供述したのではなく,B男やC男の本件各犯行への関与については同人ら自身の自白に,花子の立ち寄りの事実についてはB男の供述内容に追従して供述した可能性も十分ある。加えて,同日以降のC男供述の内容は,花子のB男方への立ち寄りの事実,12日夜のD子の行動に関し,D子の10月29日付け警察官調書の内容に沿って変遷していると認められる。

ウ 原審のB男供述の信用性

D子は,B男の妻で,C男の実母であるという身分関係にある以上,一般的には,こと更に夫や息子に対して不利な虚偽供述をするといった事態は考え難く,その供述の信用性は高いというべきであるとも考えられる。しかしながら,前記イのとおり,D子は,夫や息子が自白する前に同人らの本件各犯行への関与を供述したのではなく,B男やC男の本件各犯行への関与については同人ら自身の自白に,花子の立ち寄りの事実についてはB男の供述内容に追従して供述した可能性も十分ある。更に,D子供述は,10月29日以降,B男と花子が本件殺人に関与していたことについて初めて供述するとともに,花子がE男に保険を掛けて殺すと言っていたなどという捜査官らによる誤導をうかがわせる明らかな虚偽供述をしていること,犯行当夜のB男,C男,花子らの行動のみならず,D子自身の行動についても大きく供述を変遷させていることは前記のとおりである。そして,前記(3)のとおり,D子は,C男が逮捕された10月27日以降,花子に不利益な虚偽供述をしてもおかしくない状況があったのであるから,原審での10月29日以降のD子供述は,その供述過程及びD子の新供述に照らすと,その信用性に疑問が生じるといわざるを得ない。

(5)  原審のD子供述の内容の合理性について

ア 12日夜の花子の立ち寄り時刻について

前記(2)のとおり,D子は,花子の立ち寄りの事実を供述し始めた当初から,ほぼ一貫して,花子が立ち寄った時又はそれから間もなく,テレビの上の時計を見ており,それが15分だったことは間違いないと供述している。そして,それが9時15分か10時15分か分からない,その時見ていたテレビ番組も思い出せないという当初供述(D子10/29員面(検98))が,15分であることの根拠として,時計の長針が右を向いていたのを見たことを挙げ,時間についても10時15分であったと思うとなり(D子10/31員面(検99),11/3検面(検102)),更に10時15分であることの根拠として,9時から見ていたテレビ番組が終わった後だったことを挙げるに至り(D子11/29員面(未提出記録・当請求審弁93,弁77)),原1審第6回公判供述では,9時からのテレビ番組が終わった後の映画を見ていたときだったことを思い出したなどとその内容がより詳細に変化している。一方,関係各証拠によれば,丁野と戊谷がE男を連れ帰った時刻は午後9時ないし午後9時30分ころ,2人が丁野方に帰った時刻が午後9時30分ころであり,戊谷と花子が丁野方を辞して帰宅する途中,E男方をのぞいた時刻は午後10時30分ころと認められ,確定判決の認定もこれに沿う。そして,花子がB男方に立ち寄ったとすれば,花子がE男方をのぞいた後,いったん自宅に帰り,D子の着替えの洋服入りの紙袋を取った後,B男方に行ったことが明らかであるから,B男方に立ち寄ったのは,少なくとも午後10時30分よりも遅い時刻であったということになる。そうすると,花子がB男方に立ち寄った時刻が午後10時15分であるとするD子供述は,他の供述証拠と矛盾する。そして,D子が当初から時計を見たことを根拠に15分であることを一貫して供述している上,花子が立ち寄った時刻が10時15分であることの根拠として,時計の長針の位置や,テレビ番組等を具体的に供述していることを考慮すると,その根拠が具体的であるだけに,かえって時間の矛盾は不自然に感じられる。もっとも,花子がE男方をのぞいた時刻がおおむね午後10時30分ころであったという関係者の供述には,いずれも確実な根拠がある訳ではなく,それぞれが供述する時間にも相当の幅がある。しかし,丁野が,「I男と花子さんが私の家を出て行ったのは,午後10時4,50分ごろで,午後11時ころには床に入った。」(丁野10/17員面(検79))と述べ,戊谷が,「私が花子さんと別れ,自宅に着いたのは,午後10時35分か40分ころではなかったかと思う。」(戊谷10/16員面(検72))と述べていることに対比すると,D子の前記供述は,時間的に整合しない疑いが強く,少なくとも,確定判決の認定とは矛盾する。

イ 10月13日のD子の言動について

(ア) 10月13日のD子の言動について,原1審でのD子供述は,以下のとおりである。

①12日夜に花子がB男方に来てB男とE男殺害の共謀をし,B男が出ていった後,約1時間半経った深夜に帰宅した時の状況について,D子は,花子やA男は,以前からE男をうっ殺さんといかんなどと言っていたので,本当かどうか分からなかったが心配はしており,なかなか寝付かれず,B男の帰りが遅かったので心配になってすぐ起きると,B男は,4畳半間を通って玄関6畳間に行くところで,D子の方は見ないで,襖を開けながら「うっ殺してきた。」と一言言って,部屋に入って寝た。D子は,気になりながらも小便に行ってまた寝た。その後13日未明に用便に起きたところ,C男は,「加勢してきた,黙っちょらんな。」と言っていた。D子はそのまま自分の布団で寝た。②夜が明けて,同日朝に花子が来た時のD子との会話について,D子が「E男は,けがもせず送ってもらってよかったな。」というと,花子は「あんしも迷惑なことじゃ,いつものことじゃが。」と言っていた(D子10/31員面(検99))。③同日午後2時50分ころ,用事を済ませた後,帰宅する途中にE男方を見ると,玄関やガラス戸は閉っていたが,勝手口の戸が半分開いていたので,E男はいるなと思い,家に帰り,結婚式の引き出物を持ってすぐに行った。しかし,呼んでも返事がなかったので,引き出物をテーブルの上に乗せ,回りを見回したところ,テーブルの下の土間にミカンの皮やたばこの吸い殻,マッチ等がちらかっていた。土間に接した6畳間の障子を開いたところ,奥の6畳間に布団が敷きっぱなしになっており,E男の姿は見えなかった。布団は上部の脇が少しよっていたが,平面に近い状態だった。私は,海老や鯛など腐りやすいものを冷蔵庫に入れ勝手口はそのままにして外に出た(D子10/16員面(検97))。

(イ) B男とC男から犯行を打ち明けられた後のD子の行動について(①)

D子は,夜間にB男が花子からE男殺害を持ちかけられて外に出てゆき,約1時間半もの間帰宅しないことを心配してなかなか寝付かれず,B男がようやく深夜に帰宅したことから心配してすぐ起きたという状況下で,B男が「うっ殺してきた。」と言い,E男殺害を打ち明けているのに,D子がそのまま何も言わずに寝たというのであり,のみならず,未明にC男が「加勢してきた,黙っちょらんな。」と言い,C男までもが犯罪行為に加担したことを打ち明けているのに,D子はそのまま何も言わずにまた寝たというのである。しかし,このようなD子の供述は,当時の状況,妻あるいは母としてのD子の立場に照らすと,極めて不自然であるとの印象を免れない。

(ウ) 13日朝の花子との会話について(②)

まず,花子は,開口一番,お前のところは夕べはけんかだったなあなどと言ったとされるが,B男とC男のけんかは遅くとも午後8時30分ころには終わっており,花子がB男方に来たとされる12日午後10時15分にはすでに花子が認識していた事情である。それを12日夜には話題にせずに,なぜ13日朝に初めて話題にしたのか,いささか疑問がある。また,花子は,E男が丁野から連れ帰ってもらったことについて話したというが,このことは,E男を殺害する契機となった重要な事情であり,E男を殺害した当人としては,できるだけ触れたくない話題と考えるのが自然である。そうだとすると,花子は,12日夜にB男方に来たときに既に同じ話をしていたというのに,殺害翌日に,再度これを漫然と話題にしたということ自体,了解しにくい事柄である。更に,前夜,夫にE男殺害を持ちかけた上,夫を連れて行った花子を相手に,「E男は,けがもせず送ってもらってよかったな。」,「あんしも迷惑なことじゃ,いつものことじゃが。」などと,E男について何事もなかったような極めて日常的な会話がされているというのも不自然である。

(エ) 13日昼にE男方に引き出物を届けていることについて(③)

前夜,殺害されているかもしれないE男方に結婚式の引き出物を届けに1人で行き,E男の名前を呼んで探した上,腐りやすいものを冷蔵庫に入れるなどしてE男が後で食べられるように計らっていることなどは,およそE男が殺害されたことや,それに夫や息子が加担した可能性があることを知っていた者としては,経験則上理解し難い不自然な言動であるといわざるを得ない。

(オ) この点について,D子は,E男が本当に殺害され,それにB男やC男が加担していたとは信じていなかったとし,花子がE男とけんかをする時や,B男がC男とけんかをする時に,「うっ殺す。」などという言葉は日常的に使われていたので,まさか花子やB男がE男を殺したとは思わなかった,C男が「加勢した。」と言った時もまさかと思っただけだった,普段から親子や夫婦間の会話はあまりないし,B男やC男は無口だから,B男やC男に対して特に何をしてきたかは聞かなかった,翌朝,花子が,E男は,土間の所に座って寝ていたなどと12日の晩に来た時と同じ様なことを言うので,B男がうっ殺してきた,C男が加勢してきたなどと言っていたが,E男に特に変わったことはなかったと思ったなどと供述する(D子10/31員面(検99),11/3検面(甲102))。しかしながら,前記のとおりの,殺人共謀の具体的状況や,それからB男が1時間半もの間帰宅せず,B男やC男が「うっ殺してきた。」「加勢した。」と言って本件各犯行を打ち明けたという状況を考慮すると,D子の前記供述は,容易に理解できないものであり,前記のD子の言動が不自然であることを合理的に説明する理由になるとは認められない。

(6)  まとめ

以上検討したとおり,D子の新供述(前記(3))及びその変遷理由(前記(4)),原1審でのD子の供述内容の不自然さ(前記(5))等を併せ考えると,第1審でのD子供述の信用性には疑問が生じるといわざるを得ない。

7  共犯者供述の信用性について

(1)  共犯者の供述経過と信用性について

ア A男の供述経過と信用性について

(ア) A男の原1審から当請求審までの供述経過は以下のとおりである。

① 10月15日の警察官の取調べ・否認(10/16捜査報告書(検2))

A男は,死体発見当日の10月15日午後3時ころ,志布志警察署での任意取調べに応じたが,本件各犯行への関与を否定し,同月12日は午後8時前ころ甥の結婚式から帰宅し,かなり酔っていたので寝てしまい,丁野らがE男を連れ帰ったことも知らないなどと供述した。

② 10月17日の警察官の取調べ・2人犯行(10/17捜査報告書(検3))

A男は,同日午前9時ころ,同署での任意取調べに応じ,殺人につきB男との2人犯行を,死体遺棄につきC男を加えた3人犯行を自白した上,同日12日午後10時ころに自宅で寝ていたところをB男に起こされ,B男から「今晩E男をやるから兄も加勢せよ。」と殺人を持ちかけられてこれに応じた,タオルで絞殺することに決め,E男方土間の小縁で寝ていたE男を中6畳間に上げ,同所でタオルを首に巻き2人で締め殺した,奥6畳間の布団に寝かせた後,13日明方にC男を加えた3人で死体を牛小屋の堆肥の中に埋めたなどと供述した。

③ 10月29日付け警察官調書・3人犯行(未提出記録・当請求審弁80,弁64)

同月18日にA男とB男が殺人及び死体遺棄事件で通常逮捕され,同月27日にC男が死体遺棄事件で通常逮捕された。A男は,同月29日に,初めて殺人につきB男及び花子との3人犯行を,死体遺棄につきC男を加えた4人犯行を自白し,今まで花子は加勢していないと言っていたのは嘘で,いつかばれると思っていたが,自分の口からは話せなかったなどとした上,同月12日午後10時か午後11時ころ,テレビを見ながらうとうとしていたところ,B男が「あにょ,あにょ(兄よ,兄よ)。」と呼ぶ声で目が覚め,B男から「E男をうっ殺すっで,加勢してくれ。」と殺人を持ちかけられてこれに応じた,その時,花子もタオルと懐中電灯を持って外に出てきたので,B男と話し合って自分を起こしたのだと思い,3人でE男宅に行った,E男方土間の小縁で寝ていたE男をB男と2人で2,3回殴った,E男を2人で中6畳間に上げ,花子が投げたタオルを用い,B男とA男がそれぞれタオルの両端を引っ張ってE男を絞殺したが,花子は土間に立って見ていた,E男を奥6畳間の布団に寝かせ,B男と2人でE男を堆肥に埋めようと話し合った後,B男はいったん家に帰り,しばらくしてC男を連れて帰ってきたので,13日夜明け前に,4人で死体を堆肥置場まで運び,男3人で堆肥の中に埋めた,花子は懐中電灯を照らしていたなどと供述した。

④ 11月2日付け検察官調書・3人犯行(検107)

A男は,殺人の3人犯行,死体遺棄の4人犯行の自白を維持し,B男と2人でやったと話していたのは別に隠すつもりはなかった,そのうち分かると思ったので本当のことを話すなどとした上,10月12日夜にテレビを見ながらうとうとしていたところ,花子が私の体をゆすって「コラコラ,おはんも起きてみいやい。」と言っておこし,「E男が我家の土間でフラフラしちょっで,今んこめじゃが。」と言ったので,花子は「今の内にうっ殺そう。」と言っているのだと思い,これに応じた,その後,B男が「あにょ,あにょ。」と外から呼び,「E男をうっ殺しに来た。」と言うので,A男は「よかついでじゃが。」と言い,花子がタオルと懐中電灯を持ってきたので,3人でE男の家に行った,E男方土間の小縁で寝ていたE男をB男と2人で2,3回殴り,足を蹴ったが,花子は土間に立って見ていた,E男を3人で中6畳間に上げ,花子が投げたタオルを用い,A男がタオルの両端を力一杯引っ張ってE男を絞殺し,B男はE男の両手を,花子は両足を押さえていた,3人でE男を奥6畳間の布団に寝かせた後,E男を堆肥に埋めることになったが,B男は「一時,もどって来っで。」と言って出ていってしまい,A男と花子の2人でE男の通夜をした,ろうそくが消えない間にB男がC男を連れて帰ってきたので,4人で死体を堆肥置場まで運び,花子が持ってきたスコップ2本と牛小屋にあったフォーク1本を使ってA男とC男の3人で堆肥の中に埋めた,花子は懐中電灯を照らしていた,3人は足をわらで拭き,A男は自宅の水道で足を洗った,その後のことはよく覚えておらず,カーペットを拭いたことはないかと聞かれても自分は拭いていないなどと供述した。

⑤ 同月3日付け警察官調書・3人犯行(検106)

A男は,殺人の3人犯行,死体遺棄の4人犯行の自白を維持し,おおむね④の同月2日付け検察官調書と同旨の供述をし,当初本当のことを話さなかったのは,花子から「誰にも言うな。」と言われていたので,私の口から話せなかったなどとした上,動機について,E男は,焼酎ばかり飲んで庭でわめき散らし,私の家に来てやまいもを掘ったり,花子をうっ殺すと言って追い回したりしていたので,罪にならないのならうっ殺してやろうかと思っていた,花子もE男の保険をかけたので,いつかうっ殺すと言っていた,こんなわけがあったので,10月12日の晩に花子から言われ,B男が来たのでよかついでだと思って殺した,E男方で,私が首を締めたところ,E男が両手をバタバタと動かせたので,E男の両手を捕まえて,横から腹の上に乗せて押さえていた,私とB男は,E男が死んでから,ノロ(泥)のついたシャツを脱がせて花子に渡すと,花子は,玄関の小縁の方に持って行った,B男が出て行ったきりなかなか戻ってこないので,家に帰って牛小屋に行き,牛にカッターで草を切って食べさせたような気もするが,これはE男の死体を埋めた後かも知れない,1時間は経っていないと思うが,B男が戻ってきた,花子は,通夜をしているとき,私が首を締めたタオルで中の間のカーペットを拭いており,E男を縁側に持ち出したとき,布団を少し持ち上げていたと思っている,13日から15日にかけて,E男を探しているようなまねをしたなどと供述した。

⑥ 同月4日付け検察官調書・3人犯行(検108)

A男は,殺人の3人犯行,死体遺棄の4人犯行の自白を維持し,おおむね④の同月2日付け検察官調書及び⑤の同月3日付け警察官調書と同旨の供述をした上,付け加えて,3人でE男方に行く時,3人とも何も話しておらず,誰がどのようにして殺すかは何も話し合っていない,使用したタオルについて,花子が家のどこから持ってきたのか分からず,タオルを見てもどれか特定できない,E男を埋めるときに使ったスコップは握るところに黄色い紐がついていた,花子がカーペットを拭いたり,布団を人が寝ているように持ち上げていたのは覚えている,本件事件前にK子が家に来て,E男がF子と出稼ぎに行こうとしていると言ったことがあり,花子もそのことを知っていた,事件後,花子に言われて,E男方チリ置き場にあったカーペットを物置きの耕運機の上に置いたなどと供述した。

⑦ 同月6日付け検察官調書・3人犯行(検109)

A男は,殺人の3人犯行,死体遺棄の4人犯行の自白を維持し,おおむね④の同月2日付け検察官調書の内容と同旨の供述をした上,付け加えて,事件後,13日及び14日の行動について説明し,E男がいなくなったことは部落の人も知っていたのでB男と話し合って,尋ねられたときは探しても見付からんと言うことにしたなどと供述し,犯行時のA男,花子及びB男の服装,懐中電灯,A男が使用したスコップを説明するが,タオルについては瞬間的でよく憶えていない,警察で17本ほどのタオルを見せられたが,私がE男の首を締めたタオルではないと思うなどと供述した。

⑧ 原1審第4回公判供述・3人犯行(同公判調書)

A男は,殺人の3人犯行,死体遺棄の4人犯行の自白を維持したが,10月12日夜にテレビを見ながらうとうとしていた時,花子に体を揺すられたかどうか分からない,B男に「あにょ,あにょ。」と言われて目が覚めた(30〜34,92〜98),B男から「E男をばうっ殺しけいこや。」と言われてよかついでじゃということになった,その時花子が何をしていたのか分からない(99〜111,126〜131),その日E男が酔っぱらって寝ているという話は誰からも聞いていなかった(218〜221),死体を堆肥置場まで運んだのは花子を除いた3人である(84〜86),誰かがカーペットを片付けるところは見ていない(224),などと一部検察官調書の供述内容を変遷させた上,弁護人からの質問に対しても,どのようにしてE男を殺そうと思っていたのか(130),今から殺す人をどうして叩いたのか(137),E男が目を覚まして抵抗されると思わなかったか(148),どうして土間ではなくナカエ(中6畳間)で首を締めたのか(152〜157),どうして死体を堆肥に埋めたのか(161〜170),B男が何をしに家に戻ると思ったのか(192〜196)などの質問に対して沈黙したりして,ほとんど供述しなかった。

⑨ 原1審第5回公判供述・3人犯行(同公判調書)

A男は,殺人の3人犯行,死体遺棄の4人犯行の自白を維持し,検察官の質問に対し,10月12日夜にテレビを見ながらうとうとしていた時,花子が「ちょっと起きてみやい。」と言ったから起きたところ,「E男が土間でふらふらしちょいが,今んこめじゃが。」と言われた(8,9)としたが,裁判長の質問に対しては,B男が来て「あにょ,あにょ」と言ったので起きた(73〜77)などとし,K子からE男が出稼ぎに行くという話は聞いていない(42〜46),花子から今のうちだと言われ,B男がE男を殺しに行くと言ったことからE男を殺そうと思ったのかなどと聞かれてもよく分からない(47〜49)とし,捜査段階の取調べが厳しくて,していないことを言わされたという趣旨の供述した(⑧⑨の証人尋問の結果,不同意とされていた検107ないし検109の各検察官調書(⑤ないし⑦)が,刑訴法321条1項2号により証拠として採用された。)。

⑩ 原2審第2回公判供述・否認(同公判調書)

A男は,花子の本件各事件への関与を否定した上,A男自身の関与も否定し,捜査段階では警察官からの強制によって虚偽の自白をした(12,15,23,26,27,31),花子の原1審の公判廷では毎日頭が痛くて本当のことを言えなかった(18),花子は10月12日夜にはE男方には行っておらず,A男自身も行っていない(19,27),A男はE男の首を締めておらず,E男を殺していない(26,32)などと供述したが,弁護人から,A男自身は全て罪を認めた上懲役8年の刑が確定しているのであるから,A男らがやったことには間違いないのだろう,花子の関与を否定するだけではなく,自分自身の関与まで否定してはいけないなどと言われ,それ以上の供述をしていない(20,31)。

⑪ 平成5年11月20日,己田J子の弁護人に対する供述・否認(聴取事項反訳書・当請求審弁4,弁26)

平成5年10月2日にA男が死亡した後,長女己田J子は,弁護人らに次のとおり供述した。A男が花子の原2審で証言する直前に面会に行ったところ,A男は,花子はしていない,自分もしていないと初めて言った(55〜58,71)。警察の取調べは厳しく,花子のことも最初はしていないと言っていたが,したした言え言えなどと問いつめられて,したと言ってしまったと言っていた(7)。A男は,元々自分から話をするような性格ではなく,非常に口が重く,事件のことに触れると機嫌が悪くなって話そうとしないため,歯がゆいくらいだったが(43,70,80),J子が刑務所に面会に行って聞くと自分はやっていないと言っており,その後もやっていないということは言っていた(70,74〜76)。B男やC男のことについては特に何も話していなかった(4〜6,74)。J子は,在監中のA男からの手紙が花子の裁判の証拠になるかもしれないと考え,これを全部花子の実母が住む鹿児島の実家に渡していたが,昭和57年ころ同人方が火災にあい,その手紙も全て焼失してしまった,その中には,昭和55年5月ころに来た,「やっていないことを言ってしまった,悪かった。」という内容の手紙1通もあった(8〜36,61)。A男は,出所後もE男方のすぐ隣の自宅に1人で居住しており,J子が,恐くないかと尋ねると「してないから恐くない。」と言っていた(76)。J子が最後にA男に会ったのは,平成5年8月18日ころ,二女Z子と一緒にA男方に宿泊した際であった,A男は,本件のことについて少しは話したが,事件に関する何かを知っている様子なのに,最後まではっきり言わないまま死んでしまった,それは丁野H男に関することのようだった(37〜54,82〜87)。

(イ) 花子,A男間の殺人の共謀に関する供述の変遷

寝ていたところを誰から起こされ,誰から殺人を持ちかけられたかについて,A男は,②2人犯行の自白では,B男から起こされ,「今晩E男をやるから兄も加勢せよ。」と言われ,B男から殺人を持ちかけられたと供述していた。そして,③10月29日付け警察官調書では,3人犯行に転じたにもかかわらず,家の外で「あにょ,あにょ。」と呼ぶ声で目が覚め,外に出ると,B男が「E男をうっ殺すっで,加勢してくれ。」と言ったとして,B男から起こされ,殺人を持ちかけられたとして従前の供述を維持した(A男10/29員面(未提出記録・当請求審弁80,弁64))。これに対し,④11月2日付け検察官調書からは,花子が私の体をゆすって「コラコラ,おはんも起きてみいやい。」と言って私を起こし,「E男が我家の土間でフラフラしちょっで,今んこめじゃが。」と言ったとして,花子から起こされ,殺人を持ちかけられたとして供述を変遷させた(A男11/2検面(検107))。ところが,⑧原1審第4回公判期日の検察官の質問に対し,30問「うつらうつらしている時に,誰からか体をゆすられたことはないですか。」,答「…。」,31問「わからないですか。」,答「わかりません。」,32問「花子が体をゆすったんじゃないんですか。」,答「…」,33問「わからないですか。」,答「わかりません。」,34問「その後,B男が来たことには気付きませんでしたか。」,答「あれが,2回ぐらい『あにょ,あにょ。』と言ったのは覚えています。」,弁護人の質問に対し,98問「B(B男)さんの『あにょ,あにょ。』という声で目が覚めたわけ?」,答「はい。」,99問「Bさんは何しに来たと思ったんですか。」,答「…。」,100問「その声で目が覚めてからBさんと何か話をしましたか。」,答「はい,私は,一口言ったように覚えがありますが,『わや,ないごっよち(お前は何の用か)。』,101問「そしたらBさんは何と言ったの。」,答「E男をば,うっ殺しけいこや,2人で,そらよかついでやがち。」,102問「どうしてよかついでやということになるわけ?」,答「…。」などと供述し,B男から起こされ,殺人を持ちかけられたと,再度供述を変遷させた上で曖昧な供述をし,⑨原1審第5回公判期日の検察官からの質問に対しては,花子から起こされ,「E男が土間でふらふらしちょいが,今んこめじゃが。」と言われたなどと,供述を3転させておおむね検察官調書の供述内容に戻ったが,裁判長の質問に対しては,73問「あなたは,自分で起きたのか,人に起こされたのかどちらですか。」,答「起こされました。私は,B男が来て,『あにょ,あにょ』と高く呼んだようだったから外に出ました。」,…76問「なんか体を揺り動かされて起こされたような記憶はありませんか。」,答「…。」,77問「分かりませんか。」,答「分かりません。」などとして,供述を四転させた上で曖昧な供述をしている。

以上のとおり,A男は,誰から起こされ,殺人を持ちかけられたか,という花子との殺人共謀という自白の根幹部分について,3人犯行を自白した後も,当初B男から持ちかけられたとしていたのを(A男10/29員面(未提出記録・当請求審弁80,弁64)),花子から持ちかけられたと変遷させた上(A男11/2検面(検107),11/3員面(検106),11/6検面(検109)),公判廷においては,B男(第4回公判),花子(第5回公判の検察官からの質問に対し),B男(第5回公判の裁判長からの質問に対し)と質問される度に供述を変遷させている。A男が,実際に,殺人の共謀という特異な経験をしたのであれば,事件から第5回公判供述までのわずか5か月余りの間にその記憶が曖昧になったとは考え難く,A男は,10月29日以降は原1審公判供述も含め,花子の関与を認めた上で3人犯行の自白を維持していたにもかかわらず,前記のとおり供述が三転,四転しているというのであるから,こと更に妻の花子をかばったという理由だけでは説明がつかず,これらの供述の変遷について合理的な理由が認められない。

(ウ) 実行行為について

A男は,③E男を中6畳間に仰向けに寝かせたところ,土間に立っていた花子がタオルを投げたので,タオルを首に巻いてB男とA男が両方から力一杯引っ張った,花子は土間で立って見ていた(A男10/29員面(未提出記録・当請求審弁80,弁64)),④土間に立っていた花子が,「こいで締めんや。」と言ってA男にタオルを投げたので,そのタオルを拾い上げて,E男の右肩あたりに立ち,タオルを1回だけ顎の下あたりで交差させ,タオルの両端を両手で握り,力一杯両方に引っ張った,その時,花子は両手でE男の両足を,B男はE男の左側から両手を手で押さえつけていた,首を締めたときE男が暴れたかどうかは,覚えがない(A男11/2検面(検107)),⑤土間に立っていた花子が「こいで締めんな。」と言って私にタオルを投げたので,タオルを取って,E男の頭を少し抱えてタオルを首に巻き,仰向けに寝ているE男の左側から,横向きにタオルを首に巻き,腰と膝を曲げて両手でタオルの両端を引っ張って力一杯締めた,その時,花子はE男の両足を押さえ,B男は,E男が両手をバタバタと動かせたので,その両手を捕まえて,横から腹の上に乗せて押さえていた,E男の右肩付近に立って首を締めたと言ったのは,自分から見て右肩にE男がいたからであって,E男から見れば左肩付近に立っていたことになると供述を訂正し(A男11/3員面(検106)),⑥⑦以降の検察官調書でもおおむねその供述を維持するが(A男11/4検面(検108),11/6検面(検109)),⑧第5回公判期日では,弁護人や検察官からの質問に対し,A男が1人で締めた,他の2人はE男の手足を押さえていたという捜査段階の供述を維持するが,花子が土間からタオルを投げてよこしたとき「ほい。」と言っただけだったと供述し,裁判長から,86問「あなたは,E男さんの首を締めたことがあるのかないのか。」,87問「E男さんを,堆肥小屋に連れていって埋めたのに,あなたは加わっているのかいないのか。」などと質問されたのに対し,いずれの質問に対しても沈黙している。

以上のとおり,A男は,3人犯行を自白した後も,殺人の実行行為の役割分担という自白の根幹部分について,B男とA男がタオルの両端を引っ張って2人で締めた,花子は見ていた(A男10/29員面(未提出記録・当請求審弁80,弁64)),A男が1人で締めた,他の2人は手足を押さえていたと供述を変遷させ(A男11/2検面(検107),11/3員面(検106)),更に,絞頚の際にE男が暴れたかどうかについても,覚えがないとしていた供述を(A男11/2検面(検107)),E男は手をばたばたさせた(A男11/3員面(検106)),そう暴れはしなかった(第4回公判供述60,214)などと変遷させ,何のために花子やB男がE男の手足を押さえたのかが不明確になっている。そして,第5回公判供述では,それまでE男を殺す方法について何ら話しをしていなかったのに,花子が土間から「ほい。」と言ってタオルを投げてよこしただけで,意を通じてタオルを拾って首を締めたという不自然な供述に変遷しているが,これらの供述の変遷について合理的な理由は認められない。

(エ) A男の知的能力と被暗示性の強さ

a A男の知的能力について

A男は,事件当時52歳で,大崎小学校高等科を経て,青年学校を卒業後,農業に従事しており,右足薬指と小指を耕運機で切断しているため,身体障害者6級の認定を受けていた。A男は,おおむね,無口で,温和しい性格の人だが,酒好きで,酒癖が悪いという評であり,花子との関係は,全くかかあ天下で,A男は花子の言いなりだったと認められる。また,約10年前,交通事故を起こして脳の手術をし,九死に一生を得たことがあり,そのせいか農作業は人よりはできず,事故の後遺症か,足腰が不自由で,体が思うようにならず,重い物が持てなかったと認められる。また,事故以来,寒い時には頭がしびれることがあるし,物忘れもするようになり,考える能力が低下し,頭が少し弱くなったようで,知能の程度も低かったと認められる(A男10/18員面(検105),11/3員面(検106),癸井B男10/17員面(検58),同10/20員面(検60),11/3検面(検61),甲山K子11/3検面(検66),F子11/4検面(検95),己田J子11/9員面(検103))。

b 捜査官による強制や誘導について

A男は公判廷において,…弁護人からの質問に対し,112問「今,あなたは頭がどうかあるの。」,答「はい。」,113問「どんなあるんですか。」,答「ガンガンする。」,…115問「警察で取調べを受けるときはどうでしたか。」,答「あのときも,ガンガンしていたものですから,刑事さんが,言わんか言わんかと言われるけど,答えることは出来なかったから,刑事さんの帽子を持ってきて,毎日それをかぶって調べを受けました。」,116問「帽子をかぶればどうなるの。」,答「頭が暖かくなって非常にいいです。」(第4回公判供述),…検察官の質問に対し,82問「あなたが検察庁で私に話したことは間違いないですか。」,答「まちがいありません。ただ,志布志での調べの時刑事さんが私に『おいせえ,任せ(おれに任せ)。』と言われました。」,弁護人の質問に対し,83問「志布志の警察署であなたがあまりしゃべらなかったから,警察官がおれに任せと言ってずらずら調書を書いていったということですか。」,答「はい。」,84問「調べは厳しかったですか,それとも優しくしてもらったの。」,答「それは,厳しかったです。それで,私も1度,刑事さんに向かって『おはんたちゃ,人を泣かせて,しておらんことをば言え言えと言うが,それで刑事さんが務まっとな。』と言いました。」,85問「しておらんことを言え言えと言われて,言ったというわけですか。」,答「最初から,私は『絶対何事も知っていません。』と言えば,『お前が知らんはずがあるか,早く言わんか。』と言われました。」(第5回公判供述),弁護人からの質問に対し,15問「証人は,警察に逮捕された当初の取調べの時は,被告人花子は本件殺人事件には関係していないと言っていましたね。」,答「はい。取り調べられて3日位経ってから,夜の9時ころから12時ころまで刑事が私のそばにいて,私が花子は本件には関係していないと言いますと,早く言わんかと強く責められて,花子も関係したと言いました。」,16問「刑事はその時どんなことを言ったのですか。」,答「私が思っていないことを言って責め立てたのです。私が花子はしていないと言ったら早く言えと責められたのです。」,…23問「被告人花子がタオルを持ってきたとか,スコップを花子に取りにやらせたとか,いろいろ花子が関係したことになっていますが,これも違うのですか。」,答「はい,それは全然違います。その時は刑事が私のそばにいて『お前はこうしたろうが,ああしたろうが。』と言って,私に言わんか言わんかと責めますので,事実でないことを言ったのです。私は口が下手なもんですから。」,…検察官からの質問に対し,26問「証人自身正直なところE男を締めたのですか。」,答「締めません,刑事がそばにいて言わんか言わんかと責められ言わされたのです。」(原2審第2回公判供述)などと,捜査段階で捜査官からの強制や誘導があったことをうかがわせる供述をしている。A男は,前記aのとおり,その知的能力が低く,被暗示性が強いと推認されるのであるから,捜査官からの強制や誘導に迎合した可能性が否定できない。

(オ) A男が当初花子の関与を秘して2人犯行の自白をし,その後花子の関与を含めた3人犯行の自白をするに至った理由について,A男は,いつかは分かると思っていたが,妻のことを自分の口から言えなかった(A男10/29員面(未提出記録・当請求審弁80,弁64),11/2検面(検107))花子から口止めされていた(A男11/3員面(検106))などと供述しており,原2審第2回公判供述で花子の関与を否定する供述をしたことについても,控訴審判決では,妻をかばう気持ちから供述が曖昧になったものと評価されている。そして,夫がその妻の不利益供述をしているという外在的事情に加え,A男が自らの殺人及び死体遺棄被告事件の公判廷においても自白を維持し,懲役8年に処せられたにもかかわらず控訴もせずに刑が確定しているという事情からも,確定審で取り調べられたA男の自白供述は信用性が高いというべきであるとも考えられる。

しかしながら,当請求審で新たに取り調べた証拠によって,A男の捜査段階の供述経過が明らかになり,A男は,原2審第2回公判の証言以降,服役中及び出所後も一貫してその娘に本件各犯行への関与を否認する供述を続けていたことが認められる。そして,A男の供述は,誰から殺人を持ちかけられたかという殺人の共謀状況や,殺人の実行行為の役割分担などという自白の根幹部分において不合理な変遷がある。また,A男は知的能力が低く,被暗示性が強い性格であったにもかかわらず,捜査官からの強制や誘導があったことがうかがわれる。以上によれば,A男の捜査段階の自白と原1審における花子の関与を認めた供述の信用性には疑問が生じるといわざるを得ない。

イ B男の供述経過と信用性について

(ア) B男の原1審から当請求審までの供述経過は以下のとおりである。

① 10月16日の警察官の取調べ・否認(10/16捜査報告書(検2))

B男は,死体発見翌日の10月16日午前10時ころ,志布志警察署での任意取調べに応じたが,本件各犯行への関与を否定し,同月12日は午後7時過ぎころ結婚式から帰宅し,かなり酔っていたのですぐ就寝したなどと供述した。

② 10月17日の警察官の取調べ・2人犯行(10/17捜査報告書(検3))

B男は,同日午前9時ころ,同署での任意取調べに応じ,殺人及び死体遺棄ともにA男との2人犯行を自白した上,同月12日午後9時過ぎごろ,たまたまE男が酔っぱらい,車で連れ込まれたのを知り,この機会を逃すと二度と機会はないということで,犯行に及んだ,午後10時ころ,寝ていた兄A男を起こし,「今晩E男をやるから加勢してくれ。」と相談したところ,承諾したので,殺す方法を語り合い,兄A男が持っていたタオルで絞殺することに決めた,6畳居間の小縁にうつ伏せに寝ていたE男を2人で6畳居間に上げ,E男の首にタオルを巻いて2人で絞殺した,その後死体は牛小屋の堆肥の中に埋めることにし,13日早朝埋めたなどと供述した。

③ 10月19日の弁解録取及び勾留質問・否認(B男10/21員面(未提出記録・当請求審弁79,弁63))

同月18日にA男とB男は殺人及び死体遺棄で通常逮捕された。B男は,検察官の弁解録取及び裁判官の勾留質問に対し,本件各犯行を再度否認し,自分と兄A男がやった事ではない,事件のことは知らないなどと供述した。

④ 10月21日付け警察官調書・2人犯行(未提出記録・当請求審弁79,弁63)

B男は,同日,再度殺人及び死体遺棄についてA男との2人犯行を自白し,A男から,この事件は俺達がしたことではないぞ,誰にも言うてはならんぞと言われたため,そのように言えばいいと思っていただけで,罪を逃れようと思っていたのではない,昨日から反省しているので全部話したいなどとした上,同月12日夜,C男とのけんかが落ち着いて2,30分後に玄関6畳間で横になっていたところ,更に約2,30分後,炊事場出入り口付近で,D子と花子の話声が聞こえた,花子が「どこか溝にへって(落ちて)いるE男を丁野達がつれてきてくれた,今,E男は小縁になんかかって(もたれて)寝ている。」などと言っていたので,何事かと外に出ると,花子の姿はなく,D子が「今,姉さんがE男は丁野達が連れてきてくれて,小縁になんかかって寝ている。兄さんがすっ殺すでいっとっかせをせえ(加勢しろ)というど。」と伝えた,A男が殺すというのなら加勢をしようと思い,作業着等に着替えてA男方に向かった,今考えると,A男の家には行っておらず,E男方の柿の木の下にA男が待っていたような気がする,A男が「E男のくずれもんが(ならず者が)すっ殺すでね,B男お前も加勢せえね。」と言うので「よう。」と返事をしたと思う,2人でE男方に行くと,E男は,中居6畳間の小縁の真中辺りに,6畳間の方に向いて土間に膝をつき,両手を小縁によいかかって(もたれて)小縁に頭を付けてぐたーとなった様な格好で寝ていたなどと供述した。

⑤ 11月6日付け警察官調書・3人犯行(検111)

同日27日にC男が死体遺棄で通常逮捕された。B男は,殺人につきA男,花子との3人犯行を,死体遺棄につきC男を含めた4人犯行を自白した上,10月12日は,結婚式から帰宅してC男とけんかをした後,午後8時半ころ,中6畳間の寝床に入ってうとうとしていたところ,D子が,私を揺り動かして,「花子が話があると言って来ているよ。」と言うので,花子がかねてからE男を殺してくれる人はいないか,E男に保険を掛けているなどと言っていたので,E男を殺す相談に来たのだとピンときてすぐに起きた,花子はD子と板間に座って話をしており,花子が私に目配せで外に出るよう合図したので,外に出ると,花子は,「今殺さんにゃやるときはない,兄さんもやるといっているが,加勢をせんや。」と言ったので,すぐに「うん,加勢すいが。」と言った,D子もこの話を聞いていた,B男は,E男が憎くはなかったが,花子がE男に生命保険を掛けているので加勢をすれば半分くらいは金が貰えると思った,A男方に行って土間に入ると,A男が作業着を着て,3畳の小縁の所の敷居に腰掛けており,3人でE男方に向かった,E男は,土間に背を小縁の方に持たれるようにして首をいくぶん前の方に曲げた格好で寝ており,「こんくずれ者が」と言いながら3人でE男を殴る蹴るした,花子が「そびっ上げい」と言ったので,3人で小縁に乗せ,中6畳間に上げた,A男がE男の左肩辺りにかがみ込み,花子が渡したものと思われるタオルを手にしていたので,首を締めるのだと思った,B男はE男の両腕を,花子は両足を押さえ,A男がE男のどの前でタオルを交差させていっぺんに締め上げた,花子は「もっそん力を入れんないかんど(力を入れて押さえてよ)」と言い,E男は「グーッ」と声を出して目を少し開けて苦しみ出し,両手や体全体に力が入りもがこうとしたがやがて動かなくなった,花子が,「クソをひっかぶったが,ちょっしもた。」と言い,B男も左足の膝の後方に小便を引っかけられた,3人でE男を奥6畳間の布団に寝かせた後,夜が明ける前にC男の加勢をもらってE男を堆肥に埋めることに決め,B男はいったん家に帰った,家に帰るとD子に対し,頭をこっくりとしてみせて「殺してきたぞ」という合図をして玄関6畳間に入った,床に入ったものの眠れず,約2時間経ったと思うころ,小便に出て炊事場の戸を開けると,4畳半間のC男が起きあがったので,土間から「いっときてみれ」と言って呼びつけ,「兄さんと2人で殺してきた。堆肥の中いくっでお前も加勢せんか。」と言った,C男は,びっくりした様な顔になり,返事はしなかったが私の後をついてきた,E男方に行き,E男を布団から出して回り縁の所にいったん降ろし,堆肥小屋に運んだ,B男は花子が持ってきた柄の握るところが赤色のスコップを使い,A男も花子が持ってきた掘りものを使い,C男は堆肥小屋の奥のフォークを使い,3人で並んで堆肥を掘って堆肥に埋めた,その後,花子は雑巾か何かで中6畳間のゴザを拭いていた,B男もちょっとだけクソを拭いた,ゴザは花子と2人で畳んでいったん小縁の隅に置き,花子が持ち出した,途中でA男が入ってきて,奥6畳間のかやの辺りに行ってごそごそしていた,その後,花子が3人に「こんちゃ,みんな,だまっちょかんといかんど」と口止めしたなどと供述した。

⑥ 11月7日付け検察官調書・3人犯行(検113)

B男は,殺人についてA男及び花子との3人犯行を,死体遺棄についてA男,C男及び花子との4人犯行の自白を維持し,おおむね⑤の同月6日付け警察官調書と同様の供述をしたが,12日夜にうたた寝から目を覚ました状況について,私が小便に起きようと思った時,D子が揺り起こしたような気もする,小便がしたかったし,花子が外に出るときに私に何か合図するように目くばせしたようだったので外に出たなどとし,動機については,E男は,酔っぱらっては迷惑を掛けるし,花子との仲が悪く,花子が打ち殺すというので加勢する気になったなどとし,E男の殺害方法については,3人で話し合ってはいなかったとし,E男を殺害した後,B男はいったん家に帰ったが,B男とけんかをしておりすぐには加勢を頼みにくいのでいったん寝ようと思い,D子とC男がまだテレビを見ていた4畳半間を通って自分の部屋に入る際,「打殺してきた。」と言い,布団に入って2,3時間うとうとしたなどとし,ゴザはB男と花子でたたみ,花子がE男の柿の木の下のチリ捨て場に枯れた杉の葉を置いておいたなどと供述した。

⑦ 原1審第5回公判供述・3人犯行(昭和55年3月13日)

B男は,殺人の3人犯行,死体遺棄の4人犯行の自白を維持したが,B男方の外での花子との殺人の共謀に関して,検察官の質問に対し,37問「花子さんはあなたに何と言いましたか。」,答「『E男が帰ってきて酔っておるから,いっとき加勢をせんや。』と言いました。」,38問「何をいっとき加勢をせんやと言ったのですか。」,答「…。」,39問「E男を打ち殺すから加勢せんかと言ったんじゃないんですか。」,答「たぶん,そうだったと思います。」,…120問「…その時に,花子さんから,『こげん時でなければうっ殺しができん。』と言われたことは記憶がありますか。」,答「はっきりは覚えていません。」,…126問「あなたは,花子さんから加勢せんかと言われてついて行ったのは何をするつもりだったんですか。」,答「たぶん,E男を殺すつもりで行ったと思います。」,127問「どうしてE男を殺すために行ったということになるんですか。」,答「ちょっとわかりません。」,…76問「(A男は,)何で首を締めましたか。」,答「それは覚えません。」などとし,弁護人の質問に対しても,148問「E男さんの所に行って,E男さんをほんとにたたいたの。」,答「はい。」,149問「それは,殺そうと思ってたたいたの。」,答「A男が首を締めるときになって初めて殺すんじゃないかと思いました。それまでは,私は,E男を殺そうという気は全然無かったです。」などとし,殺人の共謀状況,実行行為等について極めて曖昧な供述をした上,警察での取調べでああしたのだろうが,こうしたのだろうがなどと言われ,刑事から供述を強制され恐ろしくて言われるとおりに供述したこともあった(133,142)などと証言した(この証人尋問の結果,不同意とされていた検113の検察官調書(⑤)が,刑訴法321条1項2号により証拠として採用された。)。

⑧ 昭和60年1月22日のB男及びD子の弁護人に対する供述・否認(聴取事項反訳書・当請求審弁2,弁24)

B男は,昭和60年1月17日に仮出獄した後,D子とともに再審請求の相談に訪れた弁護士亀田徳一郎の事務所で,以下のとおり供述した。B男も,A男もE男殺害には加担していない(6,126〜128)。警察では,絶対していないと言っても,したやろうがしたやろうがと言われ(7),早く言わんか早く言わんかと言って,調書を取られた,鹿児島の警察署にD子が面会にきたときもそんなことはしていないと言って泣いた(174),警察に面会に来た弁護人にも言った(130)。法廷でも言おうと思ったが,裁判で言ったってだめだと,口止めされて,だめだだめだと言われた(187)。控訴をすると言っても,丑川d男から一緒にしないとだめだと言われた(135,136)。10月12日に結婚式から帰った後,C男とB男はけんかをして,B男は,怒ってお風呂にも入らずすぐ寝て,そのまま寝た(61〜)。その晩は,花子は,B男方には来ていない(72〜)。D子は,12日夜に花子が丁野方に立ち寄った際,花子と丁野夫婦がE男を殺す相談をしたのだと思う(58,59)。B男もD子も,花子がD子に保険を掛けていたことは知らなかった,自分ですらD子の保険を掛ける金などない,人の保険など絶対に掛けないと思う(170〜172)。

(イ) 花子,B男間の殺人の共謀に関する供述の変遷

a 2人犯行から3人犯行への自白の変遷について

B男は,①否認(10月15日),②2人犯行(同月17日),③否認(同月19日),④2人犯行(同月21日),⑤ないし⑦3人犯行(11月6日,同月7日,第6回公判供述)と供述を変遷させ,⑧仮出獄後,再度,本件各犯行を否認している。そして,B男と花子の関係は,隣家の親戚とはいうものの,B男は,自分はほとんど仕事に行くし,口が重い方で花子ともあまり話をしない方だった,5,6年前に自分の山林2反8畝が勝手にA男名義になっていたので,花子に8000円を支払って登記を戻したが,これは花子の仕業だと思う(B男10/21員面(未提出記録・当請求審弁79,弁63),B男11/2検面(検112))など,むしろ花子に対する不信感を示す供述をしており,花子に親密な感情を持っていたとは考えにくい。そうすると,B男には,花子をかばう動機があったとは考えられないから,B男が,当初,共犯者として実兄のA男を挙げながら,義姉の花子の関与を秘して2人犯行の自白をしていたことについて合理的な理由が認められない。

b B男が起きて家の外に出た状況について

自室で寝ていたB男が目覚め,外に出て,花子と殺人を共謀するに至った経緯について,B男は,④2人犯行の自白の際には,話し声が聞こえて目が覚めた,花子とB男は直接顔を合わせていないという供述をするが(B男10/21員面(未提出記録・当請求審弁79,弁63)),⑤殺人の動機を保険金取得目的とする警察官調書では,D子から揺り動かされて起こされ,花子が話があると言っていると聞いただけで,E男殺害の相談に来たと分かり,花子の目配せだけで外について出たなどとして,花子とB男の間に保険金殺人という事前の共通認識を基にした意思疎通があったことをうかがわれる供述をし(B男11/6員面(検111)),⑥その動機を主としてE男に対する悪感情であるとする検察官調書及び⑦公判供述では,目覚めた状況や,外に出た状況等について,先の警察官調書での供述が曖昧になると共に,話し声が聞こえて目が覚め,小便に外に出たところ,花子も外に出たというように,最終的にはおおむねD子供述に沿う内容に変遷している。

このように,花子との共謀の場面設定について,その動機に関する供述の変遷に従って供述内容が大きく変遷する上,その変遷過程において,花子とB男の間にあたかも保険金殺人という事前の共通認識があったことを前提とするかのような供述をしているが,本件では保険金目的による殺人という事実が認められないのであるから,B男がこのような供述をしたということ自体が不自然である。また,B男の供述は,最終的にはD子供述に一致しているが,そのD子供述が,前記のとおりそもそも12日夜の花子の立ち寄りの事実自体に疑問を生じさせることを併せ考えると,祝い酒に酔って寝ていたB男が,どのような契機で起き出して,外に出て花子との殺人共謀の場面設定がされたのかについて,その供述の変遷は不自然かつ不合理であり,最終的な検察官に対する供述や公判供述の供述内容についても疑問が生じる。

c 殺人の共謀状況について

B男は,2人犯行を自白した際,当初,②殺人の共謀状況について,E男が酔って連れ込まれたのを知り,この機会を逃すと二度と機会はないと思い,寝ていた兄A男を起こし,「今晩E男をやるから加勢してくれ。」と相談したとしていたのを(10/17捜査報告書検3)),④D子が「今,姉さんがE男は丁野達が連れてきてくれて,小縁になんかかって寝ている。兄さんがすっ殺すでいっとっかせをせえというど(兄さんが殺すから加勢しろと言っている)。」と伝えた,B男は,A男が殺すというのなら加勢はしてやろうぐらいの軽い気持ちですぐに支度をしたと変遷させていた(B男10/21員面(未提出記録・当請求審弁79,弁63))。そして,⑤3人犯行を自白した後には,花子が,「今殺さんにゃやるときはない,兄さんもやるといっているが,加勢をせんや。」と言った,一応花子の態度からE男を殺す相談に来ているのだなあという予想を持っていたので,すぐに「うん,加勢をすいが。」と言った(B男11/6員面(検111)),⑥花子が「こげん時なきゃ,打殺しちゃできん。今かい打殺すで,加勢しやい。」というので,「加勢すいが。」と答えた,E男は,酔っぱらっては迷惑を掛けるし,花子との仲が悪く,花子が打ち殺すというので加勢する気になった(B男11/7検面(検113))などと供述していたが,⑦第6回公判期日では検察官からの質問に対し,37問「花子さんはあなたに何と言いましたか。」,答「『E男が帰ってきて酔っておるから,いっとき加勢をせんや。』と言いました。」,38問「何をいっとき加勢をせんやと言ったのですか。」,答「…。」,39問「E男を打ち殺すから加勢せんかと言ったんじゃないんですか。」答「たぶん,そうだったと思います。」,…120問「…その時に,花子さんから,『こげん時でなければうっ殺しができん。』と言われたことは記憶がありますか。」答「はっきりは覚えていません。」,…126問「あなたは,花子さんから加勢せんかと言われてついて行ったのは何をするつもりだったんですか。」,答「たぶん,E男を殺すつもりで行ったと思います。」,127問「どうしてE男を殺すために行ったということになるんですか。」,答「ちょっとわかりません。」などとし,弁護人の質問に対しても,148問「E男さんの所に行って,E男さんをほんとにたたいたの。」,答「はい。」,149問「それは,殺そうと思ってたたいたの。」,答「A男が首を締めるときになって初めて殺すんじゃないかと思いました。それまでは,私は,E男を殺そうという気は全然無かったです。」などとして共謀内容,殺意の形成等についてははなはだ曖昧な供述をするに至った(原1審第6回公判供述)。

このように,誰から殺人を持ちかけられたかについて,B男は,2人犯行の自白の際は,②B男自身が殺人を決意してA男に持ちかけた(10/17付け捜査報告書),④A男が花子及びD子を介して自分に持ちかけたとし(B男10/21員面(未提出記録・当請求審弁79,弁63)),3人犯行の自白に転じると共に⑤⑥花子が自分に持ちかけたと供述を変遷させたが(B男11/6員面(検111),11/7検面(検113)),公判供述では,⑦外形的には検察官に対する供述を維持しながらも,花子からE男殺人を持ちかけられた状況,自らの殺意の形成過程などについて,検察官からの質問に沈黙したり,「多分…と思います。」「よく分かりません。」などという曖昧な供述をした挙げ句,弁護人からの質問に対しては,共犯者が実際に首を締めるまでE男を殺害するとは思っていなかったなどと事前共謀の成立自体を否定する供述をするなど,自白の根幹部分である共謀の成立過程に関し,供述を三転させた上,公判廷で具体的に問われるほど検察官調書の供述を維持できないというものである。およそ犯罪とは無縁であったB男が,初めて殺人という重大犯罪を犯したにもかかわらず,殺人の共謀状況や殺人を決意した心情等というような特異な体験に関する記憶が,5か月余りの時間の経過によって曖昧になるとは考え難く,また,B男の公判供述は,概要としては花子の関与を含めた3人犯行の供述を維持する内容であり,花子の関与の程度等についてことさら言葉を濁しているというものではないから,花子の面前で圧迫を受けて供述ができなかったという理由も当たらない。そうすると,このような供述の変遷過程に合理的な理由があったとは認められない。

(ウ) 殺人の実行行為に関する供述の変遷について

B男は,A男が首を締めれば,E男も暴れるだろうから押さえつけておこうと思い,E男の右脇付近からE男の腹の上に馬乗りになるような格好で,左足の膝を畳に付けたまま,右足の膝をE男の胸か腹辺りに押しつけ,両手でE男の両手を畳に押しつけた。花子は,E男の足もと付近で中腰になり,身体を前に倒すような格好でE男の両足を両手で押さえつけていた,A男は,タオルをE男の首の後ろに通し,のどの前でタオルを交差させ,前屈みの格好になり,右足か右膝をE男の左肩に押しつけ,タオルの両端を握りいっぺんに締め上げた,花子は気合の入った声で,「もっと力を入れんないかんぞ。」と言った,A男は力一杯タオルの両端を握って引っ張っていた,E男はグーッと苦しそうな声を出して苦しみ出し両手や身体に力が入りもがこうとしたので,更に前屈みになってE男の両手を押さえつけたなどと供述していたが(B男11/6員面(検111),11/7検面(検113)),第5回公判期日において,検察官からの質問に対し,75問「6畳間でA男さんはどういうことをしましたか。」,答「E男の首を締めたんです。」,76問「何で首を締めましたか。」,答「それは,覚えません。」,77問「あなたはどうしたんですか。」,答「私は,E男の手を押さえただけです。」,78問「花子さんはどうしておりましたか。」,答「花子さんは後ろに立っておりました。」,79問「何もしなかったんですか。」,答「やっぱり何かしたと思いますが,記憶はありません。」,80問「足を押さえていたんじゃないですか。」,答「はい,多分押さえたと思います。」…82問「A男さんが何かで首を締めている時に,E男さんは暴れましたか。」,答「暴れた記憶はありません。」,83問「あなたはE男さんの手を押さえておる時,E男さんの手に力か何か入りませんでしたか。」,答「そのことは,はっきり覚えていません。」,84問「A男さんがE男の首を締めている時に花子さんは何か言いませんでしたか。」,答「そんなことは記憶にありません。」,…裁判長からの質問に対し,157問「E男の首を締めた時に側にいた人は誰ですか。」,答「私,A男,花子の3人しかおりません。」158問「その中で,E男の首をしめたのは誰ですか。」,答「それは,たぶん,兄A男だと思います。」などと供述する。

このように,B男は,3人犯行を自白してからは,A男が1人で締めた,他の2人は手足を押さえていたと供述していたが(B男11/6員面(検111),11/7検面(検113)),公判供述で,首を締めたのはたぶんA男だと思うが,A男が何で首を締めたのか分からない,B男はE男の手を押さえていたが,花子が何をしていたのか知らないなどと曖昧な供述をし,捜査段階の検察官調書の内容を維持することができなくなっているが,主としてA男の実行行為についての供述が曖昧になっているのであるから,花子の面前で圧迫を受けて供述ができなかったなどという理由は当たらない。面前で共犯者が行った殺人の実行行為の態様という自白の根幹部分についてのこのような供述の変遷は不合理であるといわざるを得ない。

(エ) B男の知的能力と被暗示性の強さ

a B男の知的能力について

B男は,事件当時50歳で,尋常高等小学校高等科2年卒業後,工員や作業人夫等を経て,当時は農業の傍ら◇◇建設の日雇として月に20日程度稼働していた。B男は,おおむね知的能力が低く,酒好きで,酒癖も悪いという評であり,勤務先の事務員によると,B男は,話しぶりはややスローで,普通の人に話をすれば十分理解することでも,7,8割程度しか理解できないというところがあり,話していても何となく普通の人と変わっているという感じを受けるし,動作もしゃんとしたところが見受けられないなどと言われていた(寅谷e子10/24員面(検88))。また,性格的には几帳面で実直であり,仕事もよくこなし,親しみの持てる人物だが,知能が低いので,家庭生活ではD子がB男をリードしていたと認められる(卯野f男10/28員面(検42))。

b 捜査官による強制や誘導について

B男は,原1審第5回公判において,弁護人の質問に対し,133問「警察,検察庁で調べられる時は,いろいろ細かなことをはっきりと覚えておったんですか。」,答「小さいところは,はっきり覚えません。ただ,取調べの時,向こうから,ああしたのだろうが,こうしたのだろうが,と言われました。」,…141問「話し声がしたから目を覚ましたんですか。」,答「はい,女の話し声が聞こえました。」,142問「あなたは,検察庁の検事さんに調べられた時,揺り動かされて起きたような気もすると言ったでしょう。」,答「それは,刑事さんから『お前は,揺り動かされて起きたと言わんか。』と言われましたから,私は,恐ろしくてそんなことを言いました。検察庁では,検事さんには,警察で言うたとおりに言ったわけです。」などと,捜査官による誘導に迎合したことをうかがわせる供述をしている。B男は,前記aのとおり,その知的能力が低く,被暗示性が強いと推認されるのであるから,捜査官からの誘導に迎合した可能性が否定できない。

(オ) B男は,自らの死体遺棄被告事件の公判廷においても自白を維持した上,懲役7年に処せられたにもかかわらず控訴もせずに刑が確定しているという外形的事情からすれば,その捜査段階の自白は信用性が高いというべきであるとも考えられる。

しかしながら,当請求審で新たに取り調べた証拠によって,B男の捜査段階の供述経過が明らかになり,B男は,受刑中から,本件各犯行への関与を否定していたことが認められる。そして,B男の捜査段階の供述は,①否認,②2人犯行,③否認,④2人犯行,⑤⑥3人犯行と変遷した上,⑦原1審の公判供述では,3人犯行の自白を維持しながらも,具体的な殺人及び死体遺棄の共謀状況や実行行為という自白の根幹部分についてはなはだ曖昧な供述しかできず,実質的に検察官調書の供述内容が維持できないという不安定なものである。また,どのような経緯で殺人を持ちかけられたか,誰から殺人を持ちかけられたかといった殺人の共謀状況や,共犯者の殺人の実行行為の態様といった自白の根幹部分について不合理に変遷している上,殺人の動機に関し,花子の保険金が半分くらい貰えるだろうと思ってE男殺害に関与したなどという,捜査官らによる誤導がうかがわれる明らかな虚偽供述をしている。また,その知的能力の低さから,被暗示性が強いと推認されるにもかかわらず,捜査官からの強制や誘導があったことがうかがわれ,これに迎合した可能性が否定できない。以上によれば,B男の確定審で取り調べられた自白供述の信用性には疑問が生じるといわざるを得ない。

ウ C男の供述経過と信用性について

(ア) C男の原1審から当請求審までの供述経過は以下のとおりである。

① 10月28日の警察官の取調べ・否認(検114)

C男は,同月27日死体遺棄により通常逮捕された後,同月28日,死体遺棄への関与を否認した上,12日午後9時ころ,丁野と戊谷がE男を送ってきた声や車の音が聞こえた,B男は,13日午前零時ころ,炊事場の出入口から外へ出たが,10分位して戻ってきて,何も言わず表6畳間に入って寝た,D子は,B男が出てすぐ用便に出て戻り,早く寝るように言って,奥の6畳間に行って寝た,私は同午前零時半ころ眠って翌朝まで家を出ておらず,午前11時ころ起きたなどと供述した。

② 10月29日付け警察官調書・4人犯行(検115)

死体遺棄について,A男,B男,花子の4人犯行を自白し,花子から絶対に言うなと言われたし,死体を埋めたのが怖かったからやっていないと嘘を言ったが,嘘をつき通すことはできないと思い本当のことを話すとした上,10月12日はB男は午後9時ころに,D子は午後10時ころに寝た,13日午前零時ころ,B男が炊事場入口から外に出て行ったので用便に行ったと思った,D子もすぐ用便に行ったが,すぐに戻ってきて奥6畳間で寝た,B男は,30分くらいして戻ってきて,表6畳間で寝た,それから2,3時間眠ったが午前4時ころ,B男から「ちょっと来てみれ。」と言われて外に出ると,A男兄さんと俺と2人でE男を殺した,E男を堆肥に埋っでお前も加勢をせんか。」と言うので,私は,びっくりして「それは本当な。」と聞いたが,本当だと言うので,その晩父とけんかをしてすまなく思っていたこと,父が本当に殺したのなら死体を埋める加勢をしようと思い,後を付いていった。E男の死体を3人で堆肥置場まで運び,花子が持ってきたスコップ2本と,E男方牛小屋にあったフォークを使ってE男を堆肥に埋め,A男方の水道で足とスコップを洗ったなどと供述する。

③ 11月3日付け検察官調書・4人犯行(検119)

死体遺棄の4人犯行の自白を維持した上,10月12日午後8時半ころ,B男は表6畳間に入った,その後,丁野と戊谷がE男を連れて帰ってきた声や車の音がした,C男は,4畳半間でD子と話をしたりテレビを見たりしていた,午後10時ころ,「恋路海岸」という番組を見ていると,花子が来て,D子と話す声が聞こえた,花子は,丁野達がE男を連れて帰ってきた,1人で見に言ったところE男は布団の中で寝ていたなどと言っていた,その時,B男が外に出たので小便に行ったと思った,13日午前零時ころ,漢字の書き取りをしていたところ,D子が起きてきて早く寝るよう言って6畳間に入った,死体遺棄の共謀状況及び実行行為については,おおむね10月29日付け警察官調書の供述内容と同様であるが,死体遺棄の後,B男と花子は,中6畳間のゴザをタオルか雑巾のようなもので拭いており,A男は奥6畳間の枕付近で何かの片づけをし,C男は小縁の所にいた。花子は「寝ちょっごいしちょかんないかん」と言って,掛布団をまっすぐに掛けて布団の縁側の方を盛り上げていた。ゴザを畳んだのが誰だったかははっきりしないが,B男が畳んだゴザを持って柿の木のゴミを集めるところに置くと,花子が杉の葉をゴザの上にかぶせた,A男の玄関の所で,花子が「絶対誰にもいうな,知らないまねをしとけよ」と言って口止めしたなどと供述した,C男は,家に帰っても眠れず,奥4畳半間でネズミが騒いでいたので棒を持って追いかけていると,奥6畳間から出てきたD子に何をしているのかと言われたので,ネズミを追いかけていると言ったなどと供述した。

④ 11月6日付け検察官調書・4人犯行(検120)

死体遺棄の4人犯行の自白を維持した上,付け加えることとして,10月14日に花子と一緒に占い師のところに行った際,花子は「死体はどげんなちょっどかいわかっだろうかい,占い師の所へ行けば心配して探していると思って人に疑われないから。」と言い,「お前はもし死体が見つかっても知らんふりをしとけ,埋めたとは絶対に人にいうな。」と念を押しており,同月23日に警察が来たときにも花子から口止めされた。同月10日ころ,C男は,E男から出稼ぎに誘われ,B男もD子からも一緒に行くよう勧められていたが,はっきり返事をしないままいた。花子は,E男と仲が悪く,「E男は,け死んだ方がええ。」,「誰か打ち殺してくれた方が。」と言っていたなどと供述した。

⑤ 原1審第3回公判供述・4人犯行(同公判調書)

おおむね③の11月3日付け検察官調書と同旨の供述をした。10月12日は午後6時過ぎころB男とD子が結婚式から帰宅し,C男とB男がけんかをしたが,午後7時30分か8時ころにけんかもおさまり,B男は表6畳間に入った,C男が午後9時からの「恋路海岸」をテレビで見ていると,花子が来て,結婚式の話や,E男のところに1人で見に行ったら,布団の中で寝ていたなどと言っていた,そのころ,B男が出てきて外へ出たが,すぐには帰ってこなかった,その後,B男が帰ってきて,E男を殺してきたと言って,そのまま寝た,13日午前零時ころと思う。D子もその後出てきて,小便に行ったと思うなどと供述した。

⑥ 昭和60年1月27日の弁護人に対する供述・否認(聴取事項反訳書・当請求審弁3,弁25)

C男は,当時,▽▽病院に入院しており,医師申山P男の立会いのもと,面会にきた弁護士亀田徳一郎に対して以下のとおり供述した。自分は死体遺棄の加勢はしていない,やっていないのにやったと言われ,考えすぎておかしくなって病気になった(52,102)。12日の晩は,B男とけんかした後はずっと家にいて,家から一歩も外には出ていない(52,59,60),B男も,けんかをした後寝ていたと思う(4,5)。警察からやったろがなどといろいろ言われ,警察でも法廷でも認めた(55,56)。丁野と戊谷が車でE男方に来たのを見ていた(8〜14),E男方の方から「あっー」というような苦しそうな声が聞こえた(22〜28),その後,2人が家の中からバタバタと出てきた(64〜69),丁野は牛小屋に草をやりに行き,戊谷は水を汲んで持って行っていた(15〜19),その後,丁野が何かハンカチかタオルのようなものを取り出していたが,そのまま帰った(35〜47),2人が来てから帰るまでは15分くらいだった(75)。本件はA男と花子がやったのだと思う,A男はE男に恨みを持っていて,罪がなければ殺すなどと言っていた(79〜88)。B男とD子は,丁野が花子から5万円を受け取ったから,丁野がやったのではないかと言っていた(92〜100)。

⑦ 当請求審における証言・否認(①平成9年9月24日,②同年10月17日,③平成10年1月16日,④同年3月25日,⑤平成13年4月11日)

C男は,死体遺棄への関与を否定し,おおむね以下のとおり供述した。

a 10月12日夜の丁野,戊谷の行動について

12日晩,B男とD子が帰宅した後,B男とけんかしたがD子が止めた(①103〜127)。その後,B男は風呂にも入らずに寝た(①130)。午後8時ころ,C男は,D子と一緒にテレビで「太陽にほえろ」を見ていたところ,外で車の音がしたので,D子とC男は外に出た(①125,681)。丁野と戊谷が車で来て,E男宅の玄関の方ヘバックでつけると,戊谷が,水を汲んで牛小屋の方に行った(①676)。E男の姿は見えなかったが,戊谷が「起きいやないか」(起きることができるか)と言う声がして,「ううん」という声が聞こえた,その後,見えなかったがE男を中に運んだのではないかと思う,ギャアーという声が聞こえたのでE男が焼酎を飲んでまた暴れているのかと思った,その後,2人が家から出てきた(①163〜213,657〜670,③196〜198)。丁野は,ポケットからハンカチかタオルを出して手を拭いていた(①673〜675)。丁野,戊谷が来てから帰るまでは10分から15分程度だった(①237)。

b 10月12日夜のC男の行動と,花子の立ち寄りについて

D子は,午後10時ころに寝たが,C男が急須等をかまどで壊したりしていたところ,「はよう寝らんか。」と言っていた(①257〜300)。C男は,13日午前零時ころ寝て,翌朝まで寝ており(①306),小便に1回起きただけで,B男もC男の部屋を通って小便に起き,D子も小便に起きただけである(①321,③209,④167)。13日は午前7時か8時ころ,花子とD子が話をする声で目が覚めた(①337)。花子は,12日の晩は家には来なかったと思う(①334,③277)。

c 捜査段階の自白の理由について

志布志署では,逮捕前から犯人扱いだった(①466,③393〜411)。10月12日夜は外には出ていないのに,刑事から出た出たと言われ,死体の持ち加勢をしたことになってしまった(①463,③24)。警察から犯人と決め付けられて本当のことを聞いて貰えず(①522),逮捕された段階であきらめた(②61)。逮捕後も,「お前はしたろが。」と言って机を叩かれたり,「警察をなむんな。」と言われて泣いたりした。取調べは,逮捕前後を通じて午前10時ころから午後7時ころまでだった(①714)。陰毛を出せなどと言われた(④255)。自白した理由は,E男方にはしょっちゅう行っていたし,見つけ加勢をしたので指紋がたくさん付いている(①558〜562,③426〜439),証拠があると言われた(①517,②264〜266,③426),他の3人の誰か又は全員が自分に濡れ衣を着せようとしているから助からないと考え,3人に裏切られたと思ったからだった(②217,③402)。検察庁でもやっただろうと言われ,D子を捕まえると言われた(①556,727〜730)。D子が鹿児島の西警察署に面会に来たが,警察官の立会いもあり,事件のことは言うなと言われていたから,D子にも思いを伝えることができなかった(①602〜610)。

自白の内容は,警察官に教えられたことや,自分の頭で作り上げたことを言った(①792)。花子の家も知っていたし,E男方のことは隅から隅まで知っていたから自分がやったように作って供述することは簡単だった(①533〜537)。死体を運んだことについては,おじいさんやおばあさんの死体を持ったこともあったし,E男が酔ったときに介抱したこともあったから,作って供述するのは簡単だった(①797〜802,④106)。A男やB男が警察で供述した内容を刑事から教えてもらったことはない(②46)。

d 共犯者らの名前を出した理由について

花子やA男の名前を出した理由は,花子はE男と仲が悪く,A男はE男とは特に仲が悪くなかったが「おいが殺すったいが」と言っていたし,14日に見つけ加勢をしていたときも,花子,A男,B男の3人があそこも見たここも見た,堆肥小屋も見たと言っていたのに堆肥小屋から死体が発見されたし,14日に他の人はE男を捜していたのに,A男と花子はミカンちぎりに行ってしまったことから花子やA男の行動や態度がおかしいと思ったこと,A男から余計な話しをするなと言われたことから,当時,花子やA男が殺したと思っていたからだった(①548,②114〜116,156,③414〜423,④28,53,90)。B男の名前を出した理由は,B男とけんかして腹が立っていて憎かったからと,B男たちの様子がおかしかったのでひょっとするとB男も,花子やA男と一緒にやったのかもしれないと思っていたからだった(①550,④387〜391)。

e C男の裁判の公判廷での自白の理由について

裁判では,B男とA男が本当のことを言ってくれると期待していたのに,本当のことを言ってくれず,助からないと思った(③441)。捜査段階で,花子がやったというように作り上げた供述をしているから今更仕方ないと思い,人を信用することができなくなって(①614〜620),自分は逮捕されているのだから,裁判長に言っても本当のことは聞いてくれないと思い,B男もA男も本当のことを言ってくれないから,罪状認否では間違いないと言った(②307〜328)。

f 花子の裁判の原1審での公判供述で嘘を言った理由について

花子の裁判で証言したとき,12日夜に花子が来たと言ったのは嘘である(①633〜647)。嘘の証言をしたのは,本当のことを話しても警察に信じてもらえなかったし,花子ら3人から裏切られたと思って腹が立ったからである(④63)。原1審の公判供述の内容については,丁野,戊谷がE男を運んだとき下半身が裸だったと言った理由は,E男は,今までも酔って他の家で小便をして下半身裸になったことがあったこと,死体が発見された様子を見ていたことからであり(②73〜87),3人がゴザを拭いていたと言った理由は,15日にゴザは柿の木のところにあり,汚いものがついているふうで,15日に誰かが糞だと言っていたので,糞だということははっきり知らなかったが,作って言ったからであり(②88〜100,③331〜341),花子がアリバイ工作をしたと言ったのは,花子が占い師の所で態度が落ち着かず,14日に皆が見つけ加勢をしているのに花子はみかんちぎりに行ってしまって態度がおかしかったので花子がやったと思っていたからだった(②102〜110)。フォーク,スコップ2本を使ったと言った理由は,警察の人が死体を掘り出すのに家にあったスコップ2本を貸したからである(②242〜257)。

g 控訴をしなかった理由について

弁護人は,志布志署に1度面会に来ただけであり,裁判を受けてみても,弁護人は何をしてくれる人か分からず,自分の味方かどうかもよく分からなかった(①579〜583,②338〜349,③4,19,483)。もう,いくら裁判所に言っても信用してもらえないと思っていたし,控訴の制度を知らなかったから控訴もしなかった(①629,②334〜337,352)。

h 刑確定後の服役状況等

自分はやっていないから刑務所に行く必要はないと思っていた(②329)。A男が濡れ衣を着せたと思っており,大分刑務所で,A男に「本当のことを言え」と言って騒いで,保護室に入れられたりした(②387〜392,③26〜43)。D子から再審を勧められ(②359),小倉刑務所で仮出獄の前に再審を考えるようになった(④430)。

i 出所後の経過について

昭和55年11月に出所したが,事件のことを考えているとおかしくなり,昭和57年3月にうつ病で▽▽病院に入院し,昭和60年1月27日に病院で亀田弁護士に面会して話をテープに録音してもらった(①2,16,41,②3)。その後,志布志町の芳春苑に入院した(②26)。当請求審での,平成8年10月7日の現場検証の際に花子にくってかかったのは,花子らが本当のことを言ってくれればこういうことにはならなかったと思っていて,見つけ加勢を頼まれただけなのに,死体を運ぶ加勢をしたことにされてしまったことで,花子に反感を持っていたからだった(②33,④148)。本件は,花子がやったと思っていたが,花子と話をして誤解が少し解けたので,今は思っていない(②40)。出所後,仲のいい友人は弁護士に相談することを勧めたが,他の近所の眼は厳しかった(②288〜293)。誰も信じてくれないし,世間から変な目で見られるから,昭和57年3月3日に▽▽病院で自殺を図った(④198)。B男は,出所後,自分はやっていないと言っており(②165〜176),12日夜には一歩も外には出ていないと言っていた(④316)。A男は,本件について黙っていて何も話をしなかった(④322)。

(イ) C男の新供述の評価

C男の新供述のうち,12日夜の事実関係に関する供述(前記(ア)⑦a,b)のうち,10月12日夜から翌13日朝まで,用便に立った以外は寝ていたこと,12日夜には花子はB男方には来なかったように思うこと,花子が来たのは13日朝であったことについては(前記(ア)⑦b),捜査段階のC男の当初の供述(C男10/28員面(検114))及びD子の当初の供述(D子10/16員面(検97),10/19員面(未提出記録・当請求審弁94・弁78))に沿う内容ではあるが,前記(ア)のとおり,捜査段階から変遷を重ねていること,丁野と戊谷の行動については他の証拠関係にそぐわない不合理な供述をしており,思い込みによる記憶の歪曲が否定できないこと(前記(ア)⑦a)などからすれば,事件から20年以上前の行動に関する事実については,現時点での記憶の正確性には疑問がある。しかしながら,捜査官から犯人であると決め付けられてあきらめて自白をし,他の3人の誰か又は全員が自分に濡れ衣を着せようとしていると思い,3人に裏切られたと思って3人のことについても嘘を言ったなどと,捜査段階で虚偽供述をした理由等について説明していることについては(前記(ア)⑦cないしf),C男は,その後もA男と花子が犯人ではないかと疑い,花子によって罪に陥れられたと信じていたことに沿い,特に不合理な点も認められない。

(ウ) C男の知的能力と被暗示性の強さ

a C男の知的能力について

C男は,事件当時25歳で,B男とD子の長男であり,E男の甥にあたる。昭和44年に中学校を卒業後,名古屋,地元,東大阪,大崎,鹿屋,堺,埼玉,大阪,地元,鹿児島,志布志,高知というように転々とし,仕事が長続きせず,合計35回ほど職を変えており,昭和54年6月に実家に戻ってからは無職で,農業の手伝い等をしながらぶらぶら暮らしていた。C男は,知能の程度が低く,IQ64で精神薄弱と判定され,10月12日夜も国語辞典を広げて漢字の書き取りの練習をしていたことが認められる(癸井B男10/20員面(検60),C男11/3検面(検119),捜査関係事項照会回答書(当請求審弁8))。

b 捜査官らによる強制や誘導について

C男は,当請求審では,前記のとおり,捜査段階において自白をした理由,花子を初めとする共犯者らの名前を出した理由,自分の事件の公判廷において自白を維持した理由,控訴しなかった理由等について詳細な供述をし,特に,逮捕前から警察から犯人と決め付けられて本当のことを聞いて貰えず,逮捕されてあきらめた,見つけ加勢をしたときの指紋がたくさん付いているから助からないと思い,証拠があると言われて助からないと思い,他の3人の誰か又は全員が自分に濡れ衣を着せようとしていると思い,3人に裏切られたと思い,自白をしたなどと,捜査段階で捜査官から自白を強要されたことをうかがわせる供述をしている。これに,前記のとおり,C男がその知的能力の低さから,被暗示性が強く,捜査官の強制や誘導に迎合した可能性が否定できないことを併せ考慮すると,その捜査段階の供述の信用性には疑問が生じる。

(エ) C男は,自らの公判廷においても,花子の公判廷においても捜査段階の自白を維持した上,懲役1年に処せられた有罪判決に対しても控訴をしなかったなどという外在的,形式的事情のみからすれば,その信用性は高いというべきであるとも考えられる。

しかしながら,当請求審で新たに取り調べた証拠によって,C男の捜査段階の供述経過が明らかになり,加えて,C男が刑が確定した服役後も,仮釈放後も一貫して本件各犯行への関与を否認する供述を続けていたことが明らかになり,捜査段階で虚偽供述をした理由についての当請求審での新供述の内容は信用性が認められる。そして,C男の知的能力の低さから,被暗示性が強いと推認されるにもかかわらず,捜査官からの強制があったことがうかがわれ,これに迎合した可能性が否定できない。以上によれば,C男の原審で取り調べられた供述内容の信用性には疑問が生じるといわざるを得ない。

(2)  共犯者の供述内容の合理性について

ア 殺人共謀について

(ア) B男の供述内容自体の不自然性について

結局,花子とB男の共謀について,B男の最終的な供述は,11月7日付け検察官調書(検113)及び第6回公判供述ということになるが,その供述内容についても,以下のとおり,不自然な点が認められる。

まず,花子がB男にE男殺害を持ちかけた際の行動について,花子は,E男方玄関戸まで寝ているE男を見て殺意を生じた後,B男に殺人を持ちかけるためにB男方に直行することなく,預かっていたD子の着替えを取りにわざわざいったん自宅に戻っているが,結局,D子の面前でB男とE男殺害の共謀をしている以上,夜分にB男方を訪れるための口実を作る必要は全くなかったはずである。更に,花子は,自宅にいったん戻りながら,夫A男が自宅勝手口の土間からすぐ手が届くような位置でうたた寝をしていたにもかかわらず(A男11/6検面(検109)),同人に対して殺人を持ちかけることなく,まずB男に対して殺人を持ちかけているのであるが,花子とB男の関係は,前記のとおり,隣家の親戚とはいっても,B男がもともと知能程度が低く,口数も少なく,畑に出ていることが多いことなどから,日ごろから親しく会話をするような仲ではなかったことを考えると,行動の順序としても,人的関係を見ても,殺意を生じた後,まず夫A男に殺人を持ちかけるのが自然であり,花子のこれらの行動は不合理である。

次の,花子がE男殺害を持ちかけた状況について,花子が「こげん時なきゃ,打殺しちゃできん。今かい打殺すで,加勢しやい。」,「E男が帰ってきて酔っておるから,いっとき加勢をせんや。」と言ったという以上に具体的な説明がされていない。10月12日夜,B男は,結婚式の祝い酒に酔ってうたた寝をしており,丁野らが酔ったE男を連れ帰ったことも認識していなかったのであるから,「E男が帰ってきて酔っている」と言われただけでは,いつものようにE男が酔って暴れている状態は想像できても,直ちに,E男が前後不覚の状態にあることまで予想したとは考えにくい。加えて,B男は,以前に花子からE男殺害を持ちかけられたこともなく,B男と花子は日頃から親しく会話をするような関係にもない上,前記のとおり,B男自身は酔った時のE男を迷惑には思っていても,特に憎んではいなかったというのであるから,このような抽象的かつ弱い働きかけによって直ちに花子の意を酌み,花子に協力するために,それまで憎しみさえ持っていなかった実弟に対してにわかに殺意を生じたというのは,まったく不自然で不合理であるといわざるを得ない。

また,A男は,B男よりも先に花子から起こされて殺人を持ちかけられたか否かについては供述が変遷するものの,B男から「兄貴,兄貴。」と呼ばれて,「何事か。」と言うと,「E男を殺しに行こう。」と言われたので「それは,良いついでだ。」と答えたとほぼ一貫して供述しているのに対し,B男は,A男方において,A男とは話をしなかったという点ではほぼ一貫しており,B男がA男に対してE男殺害を持ちかける,又はA男とE男殺害を確認しあう会話をしたという供述が存在しないとしており,それぞれの公判供述や最終的な検察官調書の内容自体が相互に矛盾する。

更に,殺人という重大事犯実行の合意をしながら,花子は,具体的な段取りを打ち合せることもないまま帰宅してしまっており,今後,いつ,誰と,どこで,どのような方法でE男を殺害するのかについて全く謀議をせず,B男が,このような状況で,とりあえず,E男殺害について承諾し,A男方に行ってみたというのも不自然な行動である。

(イ) A男の供述内容自体の不自然性について

花子とA男の共謀について,A男の最終的な供述は,11月3日付け検察官調書(検106),第5回及び第6回公判供述ということになるが,その供述内容についても,以下のとおり,不自然な点が認められる。

まず,A男は,花子が「E男が我家の土間でフラフラしちょっで,今んこめじゃが。」と言われただけで,花子が,E男を殺すのだと思いその意を酌んだとし,その理由として,A男は,花子の下男と同じで,日ごろから花子から指図を受けて生活をしてきたなどと説明する(A男11/2検面(検107),11/6検面(検109))。しかしながら,10月12日夜,A男は,結婚式の祝い酒に酔って下着姿で布団をかぶってうたた寝をしており,丁野らが酔ったE男を連れ帰ったことも認識しておらず,E男が酔って寝ているという話も全く聞いていなかった(第4回公判供述218〜221)というのであるから,「E男が土間でふらふらしている。」と言われただけで,E男がどのような状況にあるかを認識し得たとは到底考えられない。そして,花子が「E男に保険を掛けてあるのでいつか殺そう。」と話していたなどという供述(A男11/3員面(検106))は,保険金目的殺人が認められないことと矛盾することからすれば,A男は,花子との間でE男殺害について具体的な話し合いをしていたといった事情はうかがわれず,うたた寝をしていたところを起こされて,E男の状況も分からない状態で,花子から「今のうちだ。」と言われたというのであるから,A男が日頃から花子の指図を受けて生活をしてきたという花子との夫婦関係を考慮したとしても,このような会話だけで,A男が花子の意を酌んで,E男殺害を持ちかけられたと認識したというのは不合理である。

また,A男は,「今んこめじゃが。」と言われたとき,E男を花子が殺すのだと思い,私もE男が酒を飲んで迷惑かけていたので,殺そうと思った(A男11/2検面(検107),11/6検面(検109)),花子が今んこめじゃがうっ殺すがと言ったし,私もE男をうっ殺そうと思ったこともあったので,花子と2人でE男をうっ殺そうという気になった(A男11/3員面(検106))と供述するのに対し,原1審第5回公判期日の検察官からの質問に対しては,47問「…花子さんが『E男が土間でふらふらしちょいが,今んこめじゃが。』と言って,B男さんが『E男をばうっ殺しけ行っとこいじゃが。』と言って,あなたもE男を殺してやろうと思わなかったのですか。」,答「…その時は,もう,酒をよばれて頭がガンガンしておったから分かりません。」,48問「あなたは,検察庁で花子さんからE男が土間でふらふらしておる,今んこめじゃがと言われたので,花子は,今の内にうっ殺そうと言ったと思って,自分もE男が酒を飲んで迷惑を掛けるので殺そうと思ったと言っておりますけれども,その点どうですか。」,答「…。」,49問「よく分かりませんか。」,答「いいや。」などと供述し,殺意が生じた状況について捜査段階の供述を維持していない。前記のとおり,A男は,E男に対して酒癖の悪い世話のかかる弟という認識は持っており,うっ殺そうと思ったこともあったとするが,これは,酔って暴れたり迷惑を掛けるE男に対する一時的な感情に過ぎず,A男が恒常的にE男を憎んでいたという事情は認められない。加えて,A男は,当時,うたた寝をしていたところを起こされて,E男の状況も分からない状態で,花子から「今のうちだ。」と言われたというのであるから,仮に花子の殺意を酌んだということがあったとしても,具体的なE男の状況を認識していない以上,直ちに花子に加勢をするために,それまでさして憎しみを持っていなかったE男に対する殺意を生じたとするのは不合理である。

更に,殺人という重大事犯実行の共謀でありながら,花子,A男及びB男の3人の間では,結局,最後まで誰が,どこで,どのような方法でE男を殺害するのかについて全く謀議がされなかったというのであり,A男もB男も,E男に暴行を加え,E男を中6畳間に上げた時にも殺害の方法は考えていなかった,A男は,花子が「これで締めんや。」と言ってタオルを投げたのでそれで締めた,まったくいきあたりばったりだったとし(A男11/2検面(検107),第4回公判供述156〜159),B男は,A男がタオルを持っているのを見て,E男の首をタオルで締めて殺すのだと初めて分かったなどとする(B男11/7検面(検113))。当時のE男の状況については,B男はE男が酔っているということしか知らず,A男はE男が土間でふらふらしているということしか知らなかったというのであるが,E男は,身長が166センチメートル,体重も70キロ近くあったといわれており,B男やA男とは体格差があり,(B男11/6員面(検111)),力では到底かなわず(花子10/18員面(検136)),しかも,酔うと暴れて手に負えないというのが一致した認識であったというのであるから,E男が帰ってきて酔っているという認識だけで,殺害方法の打合せもないまま,E男方に赴いたというのは,不合理である。

イ 殺人の実行行為について

(ア) 客観的証拠との不一致について

前記のとおり,E男の首をタオルで力一杯締めて殺したという殺人の実行行為の態様は,頚部に皮内・皮下出血,皮膚の表皮剥奪,陥凹等といった索条痕が認められないことと矛盾する可能性が否定できない。また,ビニールカーペットの楕円形脱糞痕は中6畳間の畳の尿痕,2つの脱糞痕と一致しない。そうすると,中6畳間に敷かれていたカーペットの上で,E男の首をタオルで力一杯締めて殺し,その際,E男が脱糞したという,殺人の実行行為について,A男とB男の自白の根幹部分の信用性に疑問が生じるといわざるを得ない。

(イ) 土間での暴行について

E男の家の炊事場入口から土間に入ったときのE男の状況について,A男は,当初,土間に背を向けて小縁にうつぶせになって前後に体を動かしてフラフラしていたとしていたが(A男11/2検面(検107)),小縁の前の土間に,小縁を背にして尻をついて,頭を前にかがめてフラフラしていた(A男11/3員面(検106),11/4検面(検108)),土間に体を揺すって座り込んでいた(第4回公判供述)などと供述を変遷させ,B男も,6畳間の方に向いて土間に膝をつき,両手を小縁にもたれて小縁に頭を付けてぐたーとなった様な格好で寝ていた(B男10/21員面(未提出記録・当請求審弁79,弁63))としていたのを,E男は,土間に背を小縁の方に持たれるようにして首をいくぶん前の方に曲げた格好で眠っていた(B男11/6員面(検111))などと変遷させる。

E男に暴行を加えた者についても,A男は,3人犯行を自白しながら,花子は,土間でB男とA男がE男を殴るのを見ていたが何もしなかったなどと供述するのに対し(A男11/2検面(検107),11/3員面(検106),第5回公判供述),B男は,花子も加えた3人で「こんくずれ者が。」などと言いながら蹴ったり殴ったりしたと供述していたが(B男11/6員面(検111),11/7検面(検113)),公判廷では花子は暴行していないと供述しており(第5回公判供述),最終的にはA男供述と一致するが,変遷が見られる。

そして,E男に2人又は3人が殴る蹴るなどの暴行を加えたことは,両足の伸側及び屈側に皮下出血痕があるという死体の客観的状況(鑑定書(検1))と矛盾しないが,A男もB男も,E男に暴行を加えた理由について明確に供述しない。A男は,「わや,何ごっか(お前は何をしているか)。」と言っても返事もしなかったので頭を叩いたり,足を蹴るなどしたとし(A男11/2検面(検107)11/3員面(検106),検面11/4(検108)),第4回公判期日では検察官からの質問に対しても,お前は何をしているのかと言って,肩に手をやって2,3回揺すったけど何とも言わなかったなどと供述するが,弁護人からの質問に対しては,113問「肩を揺すったけれども気が付かなかった。」,答「はい。」,134問「どうして殴ったんですか。」,答「…。」,135問「本当にE男を殴ったの。」,答「…。」,136問「それとも本当は,叩いていないの。」,答「たたいた。」,137問「今から殺そうという人を何でたたいたんだろうか。」,答「…。」,138問「わからんの。」,答「そういうことは,もう全然頭が悪いですから分かりません。」…150問「腹が立って打ったわけですか。」,答「はい,わやないごっ(お前は何事か)と言っても,体を揺すっても返事もせんかったから。」などと供述する。これに対し,B男は,捜査段階では,E男が土間に座り込んでいるのを見るや3人でいきなり暴行を加えたと供述し,第5回公判供述でも,148問「E男さんの所に行って,E男さんをほんとにたたいたの。」,答「はい。」,149問「それは,殺そうと思ってたたいたの。」,答「A男が首を締めるときになって初めて殺すんじゃないかと思いました。それまでは,私は,E男を殺そうという気は全然無かったです。」などと供述しており,結局,E男に暴行を加えた理由について供述しない。前記のとおり,B男もA男も,E男が酔って丁野らに連れ帰られ,前後不覚の状態にあるという事情を認識しないままE男方に行っており,仮に一目見てE男が酔って寝ていることが分かったとしても,E男が起きてしまえば,酔っている以上,暴れたり大声を出すなどして手に負えなくなる危険があるという認識はあったものと考えられる。そうすると,殺意を持ってE男方に行ったのであれば,E男が寝ている間に即座に殺害行為に出るのが合理的であるところ,E男の肩を揺すって声を掛けて起こそうとした上,頭を叩くなどして寝ているE男をわざわざ起こすような行為をしたというのは不自然である。

(ウ) 土間から中6畳間に上げたことについて

A男は,B男と2人で中の間に抱えて仰向けに寝かせた,その時花子は見ていたと供述していたが(A男10/29員面(未提出記録・当請求審弁80,弁64)),A男が「上にあげて,すっ殺すいが。」と言って倒れているE男の体を起こし,B男が後ろから両脇を,A男が両足を,花子が横腹を抱えて小縁に上げ,A男とB男が中6畳間に上がり,B男が両脇を,A男が両足を持って引きずり上げたと供述を変遷させている(A男11/2検面(検107),11/3員面(検106),11/4検面(検108))。これに対し,B男は,花子が「そびっ上げい(引きずり上げろ)。」と言ったので,A男が後ろから両脇を,B男が尻から胴のあたりを,花子が両足を持って持ち上げて小縁に乗せ,A男が後ろから抱き,B男が腰の辺りに手を添え,花子が足を持って中6畳間に上げた(B男11/6員面(検111)),花子だったと思うが,「そびっ上げ。」と言ったので,A男兄が両脇を,B男は胴体の辺りを,花子が両足を持って小縁に乗せ,B男とA男が小縁から6畳間に上がり,A男がE男を後ろから抱くようにして,B男は腰辺りを持って中6畳間に引きずり出した,花子は足を押していたと思うなどと供述しており(B男11/7検面(検113)),中6畳間に上げようと言い出した者がA男か花子か,A男とB男のどちらがE男の体のうち重い両脇を抱えていたのか,軽い足側を持っていたのかなど,実際に体験した者であれば明確に記憶しているような事柄について供述が一致しない。

中6畳間において,E男を寝かせた場所についても,A男は,頭を奥6畳間の方(南西方向)に向けて仰向けに寝かせたと供述するのに対し(A男11/2検面(検107),11/3員面(検106),11/4検面(検108)),B男は,中6畳間の真中より少し左(南東方向)に寄った位置に,頭を部屋の南角に向けて仰向けに寝かせたと供述しており(B男11/7検面(検113)),E男の頭の向きは,A男とB男では若干異なる。そして,ビニールカーペットの脱糞痕の位置は,部屋の土間寄り(東角)か,奥6畳間寄り(西角)であるのに,A男もB男もE男の臀部が部屋のほぼ中央部になるよう犯行再現をしており(11/17検証調書(検8),11/7検証調書(検9)),さらに,脱糞痕の位置が部屋の土間寄りであれば,E男の足は小縁にはみ出していたはずであるし,奥6畳間寄りであれば,E男の頭は奥6畳間にはみ出していたはずであるのに,両名ともE男の身体の一部が中6畳間からはみ出していたというような供述や犯行再現をしておらず,いずれもビニールカーペットの脱糞痕の状況と矛盾する。

そして,E男を中6畳間で絞殺したというのは,原1審では,中6畳間に敷かれていたカーペットに糞尿の混合付着が認められるという客観的事実と一致すると考えられていたのではあるが,体が大きく体重も重いE男を,土間で殺さずに,わざわざ中6畳間に上げてから絞殺した理由について,A男もB男も明確には供述しない。特に,A男は,自分から中6畳間に上げようと言い出したとしながら,第4回公判期日では,弁護人の質問に対し,152問「どうしてナカエ(中6畳間)に上げたの。」,答「…。」,153問「首を締めた場所はほんとうにナカエに間違いないの。」,答「…。」,154問「土間ではどうして首が締めにくかったの。」,答「…ナカエで。」,155問「ナカエで首を締めたというのは間違いないの。」答「はい。」,156問「ナカエに上げる前にどうして殺そうかというのは決めていたんですか。」,答「…。」,157問「それもまだ決めていなかったわけ?」,答「いいや,それも何とも言ってません。」などと曖昧な供述をしている。

ウ 死体遺棄の共謀について

(ア) E男が死亡してから布団に寝かせるまでの行為について

B男は,E男を絞殺した後,3人が疲れを休めていると,花子が「クソをひっかぶったが,ちょっしもた。」と言い(B男11/6員面(検111),11/7検面(検113)),B男は,E男を押さえている間に左足膝付近に小便を引っかけられた,E男を移した後のビニールゴザには丁度E男の尻があった辺りにクソがべったりぬりついていた,運ぶとき,花子が踏みつけているのではないかと思う(B男11/6員面(検111))などと供述するが,A男は,E男が脱糞したことに関する供述を一切せず,B男もA男も,E男の臀部を拭いたというような供述は一切していない。そして,A男は,E男を殺した後,半袖シャツにノロ(泥)がついていたため,B男と2人でこれを脱がせ,花子がシャツを小縁に置いた(A男11/3員面(検106),11/4検面(検108))などと供述するが,B男は,これに関する供述を一切していない。また,B男は,花子が「こんくずれ者を見れ,け死んでよかったが。」と言い,B男とA男はこれには返事をしなかったと供述するが(B男11/6員面(検111),11/7検面(検113)),A男は,これに関する供述を一切していない。そして,E男を布団に寝かせたことについては,A男は,奥6畳間の布団にE男を寝かせておこうということになり,B男が頭の方,A男が足の方,花子は横腹を持ち,頭を縁側の方にして,布団に寝かせ,花子が掛布団をかぶせたなどと供述し(A男11/2検面(検107),11/3員面(検106)),B男は,花子だったと思うが,E男を布団に寝かせようかと言いだし,B男が両脇を,A男と花子が胴や足を持ち,E男を布団の上まではこび,頭を縁側の方に向けて寝かせ,花子が掛布団をかぶせた(B男11/7検面(検113)),重かったので,持ち上げたり引きずったりしながら,E男を敷き布団の上に寝かせたなどとA男供述とほぼ一致する供述をする(B男11/6員面(検111))。

しかしながら,大きな脱糞をした後の死体を引きずったりして移動させたビニールカーペット上にはそれに伴う脱糞痕が認められない上,そのまま死体を寝かせた敷布団にも,敷布団カバーにも脱糞痕があったことをうかがわせる証拠が存在しないなど,これらの供述内容を前提にすれば本来当然認められるべき客観的事情が存在しない。加えて,B男供述にあるような大きな脱糞にA男が気付かず,それに関する供述を一切していないのは不自然である上,大きな脱糞痕を臀部に残したままの死体をそのまま引きずったりしながら布団に寝かせているのに,半袖シャツにわずかに認められるノロ(泥)を気にして布団に寝かせる前にシャツを脱がせていること,憎しみからE男を殺し,花子が「こんくずれ者を見れ,け死んでよかったが。」などと悪態をついたその直後に,3人で大柄で重いE男の死体をわざわざ布団に寝かせているが,その理由が全く不明であるなどE男殺害後の花子,A男及びB男の行動は不自然で,不合理である。なお,前記供述に秘密の暴露はなく,E男の泥の付いた半袖シャツが小縁にあったこと,ビニールカーペットに脱糞痕と,これを素足で踏んだような足痕が認められること,中6畳間の畳に尿痕が認められること,奥6畳間の敷布団は,全体的に砂がザラザラとしており,中央部分に長さ2センチメートル,幅4センチメートル大の帯状に乾燥した土砂が落下していること(実況見分調書(検12))などという事情は,10月15日ないし16日の実況見分によって既に明らかになっていたことから,これに合致するようにA男やB男が供述をすることは可能であったと考えられる。

(イ) 花子,A男及びB男間の死体遺棄の共謀について

A男は,E男を布団に寝かせた後,死体をどうするか話し合い,A男が堆肥の中に埋めようと言い出したところ,B男は,「一時,もどって来っで。」と言い,私が「何ごっか。」と言っても返事もせず出て行った,その後,B男がC男を連れて戻ってきたので,C男を加勢に連れてきたのだと分かった(A男11/2検面(検107),11/3員面(検106))などと供述する。そして,B男が戻ってくるまでの時間の経過については,B男はしばらくして帰ってきた(A男10/29員面(未提出記録・当請求審弁80,弁64)),通夜のために点けたろうそくが消えない間に戻ってきた(A男11/2検面(検107)),1時間は経たない間に戻ってきた(A男11/3員面(検106))などと表現は異なるものの,そう長い時間を置かずにB男が戻ってきたという趣旨の証言であるところ,証拠関係によれば,B男は午前零時過ぎに家に帰ってから死体遺棄の直前の午前4時前ころまで少なくとも3時間以上は戻ってこなかったというのであるから,A男供述はこれと矛盾する。更に,第4回公判期日では,検察官からの質問に対し,68問「E男に布団を掛けてからE男をどうしようか,3人で話しませんでしたか。」,答「…。」,69問「誰も話さなかったですか。」,答「…その時は,話したんだろうと思います。」,70問「どんなことを話したんだろうと思いますか。」,答「後始末じゃなくて,死体を埋ける場所を」,71問「どこに死体を埋けようと思ったんですか。」,答「…。」,72問「E男の死体を後で堆肥小屋に埋めていますね。」,答「はい。」などと死体遺棄についてどのような話をしたかについて曖昧な供述をした上,弁護人からの質問に対し,191問「…堆肥小屋に埋めようと言ったのはB夫(B男)さんが帰る前に言ったの。」,答「はい。」,192問「そしたら,いっとき戻ってくっでということでB夫さんは帰ったわけですか。」,答「はい。」,193問「あなたは何しに帰ると思ったの。」,答「…何しに戻ると言ったのか私には分かりません。」,194問「夜中の12時過ぎているわけでしょう,人を殺しているわけでしょう,早く始末したいという気が出てくるのが普通だと思うんですが,いったんうちに戻ってくっでと言って戻るのに,別に引き止めも何もしなかったわけ。」,答「いいえ。」,195問「そのまま,B夫さんがまた戻ってこなければどうするつもりだったの。」,答「…。」,196問「そんなことも何も考えなかったわけ。」,答「いいえ,何も考えていない。」などと供述し,非常に曖昧なものになっている。そして3時間以上もの間B男が戻ってこなかったという事実を前提にすれば,A男の供述内容は,深夜に,殺人を犯し,死体遺棄を共謀しながら,その犯行現場で死体を目の前にしたまま,何をしに帰ったのか,いつ戻ってくるのかも分からない共犯者を3時間以上もの間ただ待っていたということになり,犯罪をしたものの心理としては,まことに不自然なものと感じられる。

B男は,E男を布団に寝かせた後,3人で死体をどうするか話し合い,花子が「堆肥小屋に埋けたら。」と言い出し,A男とB男もこれに同意した,A男が「こら重いが,埋け方もじゃっが,運っ方に誰か加勢をもらわにゃいかんが。」と言うので,「C男でも加勢をさせんなら。」と言い,花子とA男がいつ頃死体を持ち出すかと言うので,「夜が明けんうちせんなら。」と言うと,2人がそれでいいと言うので,B男は「戻ってくるわ。」と言って,家に帰った(B男11/6員面(検111),11/7検面(検113))などと供述するが,第5回公判期日では,92問「E男さんをあそこ(布団)に寝せてから,3人でE男さんをどうしようという話はしなかったですか。」,答「いや,別に詳しいことは言いませんでした。」,93問「後で,E男さんを堆肥小屋に運んだでしょう。」,答「はい。」,94問「E男さんを堆肥小屋に運ぼうと言ったのは誰ですか。」,答「それは3人で言ったと思います。」,95問「最初に言い出した人は誰ですか。」,答「それは,記憶にありません。」,96問「それから,あなたは家に帰っておられますね。」,答「はい。」,97問「どうして家に帰ったんですか。」,答「C男に加勢を求めるためです。」,98問「それは,誰が加勢を求めろと言ったんですか。」,答「自分でです。」,99問「A男なり花子から,C男の加勢を求めようと言われたことはないんですか。」,答「…それは,はっきり覚えません。」などと供述し,堆肥小屋に埋めると言い出したのは誰か,どうしてC男に加勢を求めることになったのか,いつ死体遺棄をすることになり,家に帰ったのかなどについて捜査段階の供述が公判段階で曖昧になっている。B男の捜査段階の供述は,死体を埋める時期について,夜が明ける前に埋めればいいと3人で話がついたので,それまでの間,家に帰ったなどとするが,公判供述でも維持されていない上,前記のA男供述とも矛盾し,その供述内容自体も不合理である。

(ウ) B男,C男間の死体遺棄の共謀について

B男は,C男とけんかをしており,家に帰ってすぐC男に「加勢してくれ。」とも言えず,少し間を置いてからC男に頼もうと思い,いったん自分の部屋で寝ようと思った,布団に入ったがなかなか寝付かれず,2,3時間うとうとした,その後,小便に起き,作業服を着て,C男に頼もうとして勝手口に行くと,C男は目を覚ましていたので,土間からC男に,「ちょっと来てみれ。」と行った,C男も土間の近くに来たので,「兄さんと2人でE男を殺した。E男を堆肥の中に埋むっでお前も加勢せんか。」と言った,するとC男はびっくりしたようで,加勢するとも何とも言わなかったので,あきらめて1人でE男方に行きかけたところ,途中でC男が付いてきているのに気が付いて加勢してくれると思ってホッとした(B男11/6員面(検111),11/7検面(検113))などと供述する。これに対し,第5回公判期日において,検察官からの質問に対し,106問「C男には何と言って加勢を求めたんですか。」,答「加勢してくれと言っただけです。」,107問「何をするから,加勢をしてくれというのは言ったんですか。」,答「何をするからも,そんなことははっきりとは言いませんでした。」,108問「C男には,兄さんと2人でE男を殺してきたから,堆肥の中に埋めるから加勢をせんかと言ったんじゃないですか。」,答「覚えません。」などと,C男に死体遺棄をどのように持ちかけたかについて,捜査段階の供述を維持せず,公判段階では,未明に,寝床で目を覚ましていた息子が,ただ加勢してくれと言っただけで,起き出してE男の家まで付いてきたなどという不自然な供述内容になっている。また,捜査段階の供述も,B男は,実弟を殺した直後,共犯者らを犯行現場に残したまま,家に帰って2,3時間もの間うたた寝をしていること,C男とのけんかは前日の午後8時ころには終わっていたのに,午後零時ころには頼みにくいとして2,3時間の間を置いていること,B男は,C男の協力がなければ死体遺棄が困難になるとして,いったん帰宅した上2,3時間もの間をおいて頼む機会を図ったのに,C男に対して弱い働きかけをしただけで,あきらめて1人で行こうとしているなど,殺人の犯行後,夜が明けるまでに死体を処理しなければならないという現場の臨場感,切迫感が全くない供述内容であり,不自然である。

C男は,勝手口の板戸を開ける音がして目覚めると,B男が「一寸来てみれ。」と言って外に出ていったので,外に出ると,「A男と俺と2人でE男を殺してきた,E男を堆肥に埋っでお前も加勢せんか。」と言うので,びっくりして「本当な。」と聞いたが「本当だ。」と言うので,その日B男を押し倒して蹴ったりしたこともあり,加勢しようと思い,返事はしなかったが,どこに埋めるのか聞く間もなくB男について行った,その時は気が動転していて見さかいがつかない気持ちだった(C男10/29員面(検115),C男11/3検面(検119))などと供述し,その供述内容は,C男の捜査段階の供述内容とほぼ一致する。これに対し,第3回公判期日において,検察官からの質問に対しては,114問「車の所でB男さんから何か言われましたか。」,答「はい,兄とおいと2人でE男を殺したで,堆肥の中に埋むっで,お前も加勢をせいと言ったです。」,115問「そう言われてあなたは加勢をすると返事をしたんですか。」,答「いいや,返事はしなかった,また嘘のようなことばかり言って,ばかじゃないかと思って尻から付いていきました。」,116問「その時は,本当のことじゃないと思っていたんですか。」,答「はい,いつも焼酎を飲んで,嘘か本当か分からないようなことばかり言うから。」などと供述するが,…弁護人からの質問に対し,49問「お父さんは,何と言われましたか。」,答「ちょっと来て,加勢をせんかと言われました。」,50問「何の加勢だと思いましたか。」,答「一番最初は分かりませんでした。」,51問「何の加勢かも分からないままお父さんの後からついてE男さんの家に行ったんですか。」,答「はい。」などとして,結局,B男の言うことが嘘が本当か分からず,何の加勢をするかも分からないままB男の後を付いて行ったと供述し,明確に死体遺棄の共謀を遂げたとする捜査段階の供述を後退させている。

エ 死体遺棄の実行行為について

(ア) 死体遺棄の実行行為について

堆肥を掘るのに使用した道具について,A男は,A男は花子が持ってきた黄色いひもの付いたスコップを使い,B男とC男はE男方堆肥場にあったスコップとフォークを使ったと供述していたが(A男10/29員面(未提出記録・当請求審弁80,弁64),11/2検面(検107),11/3員面(検106)),第4回公判期日において,弁護人からの質問に対しては,C男はE男方堆肥場のフォークを,B男はどこから持ってきたか分からないがB男の家のスコップを,A男は花子が家から持ってきたスコップを使ったなどと供述を変遷させる(第4回公判171〜189)。B男は,A男は,花子に「掘るもんを持ってこい。」と言い,花子が自分の家からスコップ2本を持ってきたと思う,A男はそのうち1本のスコップを,B男はもう1本の柄の握るところが赤色のスコップを,C男は堆肥小屋奥にあったフォークを使ったと供述していたが(B男11/6員面(検111),11/7検面(検113)),第5回公判期日において,検察官からの質問に対し,117問「何を持って掘りましたか。」,答「私は,スコップです。C男と兄A男のことは分かりません。」,118問「あなたは,スコップはどこから持って行ったんですか。」,答「E男の家にもスコップがあるから,たぶんそれじゃなかったかと思います。」などと供述を変遷させる。C男は,花子が家から先が丸くなったスコップ2本を持ってきたので,B男とA男はこれらのスコップで,C男は堆肥置場の南奥セメント壁に立て掛けてあったフォークで掘ったなどと供述する(C男10/29員面(検115),11/3検面(検119),第3回公判供述197〜208)。

使用した後の道具については,A男は,A男が使ったスコップを家に持ち帰ったかどうかよく分からない,他の2人は堆肥置場の元あった場所に戻したと思うとし(A男11/3員面(検106)),B男は,私が使ったスコップは花子に渡した,C男はフォークを基の場所に置いたと思う(B男11/7検面(検113)),C男は,3人でA男方に行って足とスコップを洗った(C男10/29員面(検115)),自分が使ったフォークは,もとの位置に戻したような気もするし,牛小屋の後に置いた気もする(C男10/29員面(検115),第3回公判199,第4回公判89〜)などと供述しており,結局一致しない。また,これらの供述からすれば,フォーク1本(握り部分の赤色塗料がはげて薄くなっているもの,昭和55年押第3号の2)は,10月15日の実況見分時にE男方別棟牛小屋の堆肥置場の堆肥の被害者の頭部付近に刺してあったとして領置されていること,A男所有のスコップ1本(柄に黄色いひもの付いたもの,同号の3)は,10月18日A男方北側別棟物置北東側壁に立てかけてあったとして差し押さえられていることとは整合するが,詳細な実況見分及び捜査差押の際には発見されなかったA男所有のスコップ1本(「三」と印のあるもの(同号の4))が,B男所有のスコップ1本(「キ」と印のあるもの(同号の5))とともに,10月19日にF子が現場検証に立ち会った際,E男方牛小屋の堆肥搬出土間南側に立てかけてあったとして任意提出されており,これらのスコップが同所に置かれた経過が不明であって不自然である。

堆肥を掘ったときの状況について,A男は,上の方(右側)から,A男,B男,C男の順に並んで堆肥を掘り,掘った堆肥は手前においたと供述するが(A男11/2検面(検107)),B男は,手前からB男,C男,A男の順に並んで堆肥を掘り,B男は堆肥を手前に跳ね上げていたが,A男とC男がどちらに跳ね上げていたかは分からないなどとし(B男11/6員面(検111)),C男は,左からC男,A男,B男の順に並んで堆肥を掘った,掘った堆肥は手前に掻き出したなどと供述しており(C男11/3検面(検119)),長さ約1,2メートル,深さ約5,60センチメートルの堆肥を掘るのにはある程度の時間を要し,男性が3人並んで掘ったとすればほぼ肩が触れ合うくらいの位置関係であったと考えられるところ,3人の位置関係に関する供述が3人とも全く異なるというのは不可解である。

堆肥にE男を埋める際に死体のどこを持ったかについては,B男が頭を,C男が横腹を,A男が両足を持ち,手前に掘り出した堆肥の上に頭を下に向けて仰向けに乗せ,E男が下向きになるよう先の方に転がし,上から堆肥をかぶせた(A男11/3員面(検106)),A男が頭,B男が足,C男が右脇腹を抱え,穴の手前の堆肥を盛り上げたところに仰向けに乗せ,A男とB男が合図して3人で死体を穴に落とすと死体はうつぶせになった(C男11/3検面(検119))とし,矛盾があって不合理である。

(イ) 後始末等について

首を締めたタオルがどのようなもので,首を締めた後どのように始末したか,死体遺棄に使用したスコップ2本とフォーク1本をどのように片付けたのかといった,凶器や犯行用具については1人も満足に供述しておらず,不自然である。一方,A男,B男及びC男は,裸足で堆肥を掘って足に泥が着いたので,B男が持ってきたわらで足を拭き,堆肥場の右側角に投捨てたこと,花子がゴザを拭いていたこと,E男を寝かせていた掛け布団を少し持ち上げてE男が寝ていたような格好にしたことについては,A男,B男及びC男の供述は一致する。このように,3人の供述が一致していることについては,堆肥場の右側角に新しい藁が1束捨ててあったこと,糞が目地に詰まったように付着したビニールカーペットが押収されたこと,A男が,13日にE男方をのぞいたときに布団が盛上がっていたと供述していることなどという事情が15日と16日の実況見分(検12),16日までのA男の取調べの結果明らかになっていたことから(10/16捜査報告書(検2)),A男,B男及びC男がこのような事情に沿って供述をすることも可能であったと考えられるのに対し,最後まで特定されなかった凶器や,犯行用具の後始末については誰一人として供述をしていないというのは不均衡であり,不自然である。

(3)  まとめ

以上のとおり,共犯者供述については,当請求審で新たに取り調べた証拠によって,A男,B男及びC男の原1審の供述経過及び同人らがいずれもその刑が確定し,服役中から一貫して本件各犯行への関与を否認する供述を続けていたことが認められる。そして,A男及びB男供述については,殺人の共謀,実行行為の態様,その動機などという自白の根幹部分について不合理な変遷が認められる上,原1審の公判供述では検察官調書の供述内容を維持していないという不安定なものであることが認められ,特に,B男供述については,保険金取得目的で本件殺人に加功したなどという明らかな虚偽供述をしているなど,捜査官からの誤導をうかがわせる供述が認められる。また,C男については,原1審の公判廷でも自白を維持していたが,当請求審での新供述によって,原審において虚偽供述をしたこと及びその理由を供述しており,その供述内容についてはそれなりに了解できる。加えて,同人らがいずれも,知的能力が低く,被暗示性が強いとうかがわれるにもかかわらず,それぞれ捜査官らによる強制や誘導があったことがうかがわれ,これに迎合した可能性が否定できず,同人らの供述内容自体,不自然かつ不合理な内容を含むものであると認められる。以上によれば,共犯者らの自白の信用性には疑問が生じるといわざるを得ない。

第5  結語

新証拠である城補充鑑定及び池田鑑定によれば,本件死体には,皮内・皮下出血,皮膚の表皮剥脱,陥凹などの外見所見(索条痕)が認められず,絞頚を示す内部所見も認められないことから,このような死体の客観的状況は,A男とB男の自白を前提とする犯行態様とは矛盾する可能性が高いと認められる。そして,A男とB男の自白について,犯行態様という自白の根幹部分が死体の客観的状況と矛盾する可能性が高いといわざるを得ない以上,その信用性を慎重に吟味する必要が生じ,本件がA男とB男の自白以外の証拠によってどの程度支えられているかについても再検討する必要が生じる。

そうしたところ,殺人の実行行為に関するA男とB男の自白を裏付ける客観的証拠に関しては,ビニールカーペット及びE男方中6畳間の畳の状況に関し,畳に尿痕や2か所の脱糞痕ができたのは,ビニールカーペットが外された後ではないかとの合理的な疑いが生じ,敷布団や同カバーに脱糞痕や尿痕が認められないのは不合理であることなどから,これらの客観的証拠は,A男とB男の自白を裏付けるものではなく,むしろ同人らの自白と矛盾する可能性が生じた。

そして,情況証拠に関しては,本件殺人の動機には疑問が生じる上,花子,A男及びB男らの犯行直前の行動,犯行直後の行動,翌13日以降の行動のいずれについても,同人らと本件各犯行との結びつきを否定する方向の情況証拠であると認められる。

加えて,A男,B男及びC男の自白を裏付ける唯一の第三者供述であるD子供述の信用性についても,10月29日以降のD子供述の信用性については,その供述経過,虚偽供述の動機があったこと,その供述内容自体が経験則上不合理な内容を含むものであることなどから,その信用性には疑問が生じるといわざるを得ない。

そして,A男,B男及びC男の自白の信用性については,新証拠によって,A男,B男及びC男の原1審の供述経過,同人らはいずれもその刑が確定したものの,服役中から一貫して本件各犯行への関与を否認する供述を続けていたことが認められる。そして,いずれの自白についても,その根幹部分が不合理に変遷し,客観的証拠とも矛盾する可能性が高く,その供述内容自体も経験則上不自然かつ不合理な内容を含むものであるといわざるを得ない。

そうすると,新証拠である城補充鑑定,池田鑑定のほか,当請求審において取り調べた新証拠が原審の審理中に提出されていたならば,花子,A男,B男及びC男を本件各犯行について有罪と認定するには,合理的な疑いが生じるといわざるを得なかったものと認められる。

したがって,本件再審請求は理由があるから,刑訴法448条1項,435条6号により,本件について再審を開始することとし,主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官・笹野明義,裁判官・菱田泰信,裁判官・横田典子)

別紙

1 提出証拠・平成7年(た)第1号事件<省略>

2 提出証拠・平成13年(た)第1号事件<省略>

3 証人尋問<省略>

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