鹿児島地方裁判所 平成9年(ワ)100号 判決 2003年3月28日
主文
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は、原告らの負担とする。
事実及び理由
第1請求
被告は、各原告らに対し、別紙請求金目録記載の各金員及びこれらに対する平成5年8月6日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2原告AないしDの請求の事案の概要
本件は、平成5年8月6日に発生した水害(いわゆる8・6水害。以下「本件水害」という。)について、当時、被告の管理にかかる甲突川の流域において居住または営業していた原告AないしD(以下第2、第3においては、単に「原告ら」という。)が、上記水害による溢水被害が発生したのは甲突川の河川管理の瑕疵あるいは鹿児島県知事の河川管理義務違反によるものであると主張して、被告に対し、国家賠償法(以下「国賠法」という。)1条1項または同法2条1項に基づき、損害賠償を請求した事件である。
1 争いのない事実等(証拠によって認定した場合には、証拠を示す。)
(1) 当事者等
① 原告Aは、平成5年8月6日当時、肩書住所地の原告Bの経営にかかるAアパート1階に居住していた(甲6、乙12の①ないし⑥、原告A)。
② 原告Cは、平成5年8月6日当時、肩書住所地の店舗兼居宅に居住していた(甲6、乙13の①ないし③)。
③ 原告Dは、平成5年8月6日当時、肩書住所地を本店として制服及び体操服の製造及び販売等の事業を営んでいた(甲6、乙14の①ないし④)。
④ 甲突川は、鹿児島県日置郡郡山町と同薩摩郡入来町にまたがる八重山の分水嶺に源を発し、郡山町を経て、鹿児島市の中心部を貫流し、鹿児島湾に注ぐ、本川流路延長約25km、流域面積約106平方kmの2級河川である。同川の管理は、河川法10条により鹿児島県知事が行う(乙1、45)
(2) 本件水害の発生
平成5年8月6日、前日から降り続いた豪雨により、同日午後6時30分頃から甲突川が溢水し、鹿児島市内の広い範囲で浸水被害が発生した(本件水害)。
原告らの居宅等の浸水状況は、別紙3の①ないし④の「甲突川浸水区域図」のとおりである(乙7の①ないし③、8ないし10、11の①ないし④、12の①ないし⑥、13の①ないし③、14の①ないし④、原告A)。
2 争点
(1) 河川管理の瑕疵の有無
(2) 鹿児島県知事の河川管理義務違反の有無
(3) 原告らの損害額
3 争点に関する当事者の主張
(1) 河川管理の瑕疵及び知事の管理義務違反について
(原告らの主張)
①ア 河川の管理(河川法7条)とは、河川について洪水、高潮等による災害発生防止、適正な利用及び流水の正常な機能の維持を図るため、総合的な管理を行うことである。具体的には、河川工事、河川管理施設の操作等の事実行為、河川区域の指定、河川使用の許可、河川に影響を及ぼす行為の制限、費用負担命令、公用負担等の行政処分であり、公共用物としての河川の保全・改良、その利用の確保・増進及びこれらに付随して行われる一切の行為を指すものである。
イ 河川法16条は、河川管理者に河川工事実施基本計画の策定を義務づけている。河川工事は河川の流水によって生ずる公利を増進しまたは公害を除去し、若しくは軽減するために河川について行われる工事であって、公共の安全を保持し、かつ、公共の福祉を増進することを究極の目的として河川について洪水、高潮等による災害の発生を防止し、その適切な利用と流水の正常な機能の維持を図るため、これを総合的に管理する河川管理の重要な部分を占めるものである。このことが計画策定義務を根拠付けている。
しかし、現実には、河川法が施行された昭和40年から、本件水害まで工事実施基本計画が甲突川においては策定されず、放置されていた。
また、治水の基本ともいえる河川の洪水防御計画(基本高水、計画高水流量等洪水防御に関する事項を盛り込んだ計画)すら建設大臣、県知事の間でも協議がなされていなかったのが現実である。
ウ 国は、治水事業5ヶ年計画(昭和35年度開始)を策定し、治水設備の整備を進めているが、現実には十分な推進が図られていない。
エ 甲突川は、河川法が施行されてから本件水害以前に、都合7回氾濫を起こしている。昭和30年代後半から急激に市街化が進むなか、県当局は、昭和44年7月5日発生の氾濫を機に、昭和46年から甲突川支川の改修に、昭和56年度から本川の改修に着手した、と説明している。本川改修に入る前年の昭和55年3月には、県土木部河川課と株式会社G(以下「G」という。)が共同で「甲突川河川改修計画検討報告書」をまとめているが、「甲突川は鹿児島市を貫流している都市河川であるが、現在までに抜本的な改修が行われずに至っている。このため集中豪雨等による出水が起これば多大の被害を受けることが予想されている。」との認識を示している。
オ 翌56年3月には、同課は「甲突川総合治水対策調査報告書」を、土木部内部の「技術的検討資料」としてまとめている。それによると、甲突川の工事実施基本計画は「現在検討中」としつつ、その概要を示している。この報告は、「本調査は、都市河川として水害危険度の高まりつつある現在、治水安全度の向上を速やかに図るためにいかなる置、対策を取ればいいか等の方向付けを行い、甲突川の治水対策を計画するものである。」とうたいつつも、内部資料としてとどめ、県民に公表されることもなく、工事実施基本計画の策定、建設大臣許可の手続も取らず、報告書の内容の具体化も全くといっていいほど行われなかった。
この間、本件水害までに県が実施した甲突川の河道改修事業は、年間1千万円余の寄州除去事業と、年間1億数千万円程度の護岸工事が主であった。
カ このように、甲突川の日常的な河川管理は、河川改修の最終整備目標や年次的整備目標、施行方法と必要とされる財源など、その内容は「内部計画」として県民に知らせることも、ましてや鹿児島市や県民の要望・意見も反映されることもなく、無計画に細々と続けられてきた。
キ 県が唯一表明したことのある「大規模開発に伴う調整池設置基準(案)」の策定(運用)も、未来の新たな開発に対してその出水増を回避するためのものであり、既往の調整池なしの開発、その他洪水増を招く水系「整備」の影響を減少させるものではない。
ク それのみか、逆に県は、鹿児島市河頭地区の5.36haの既存の遊水池帯(日通ターミナル一帯)での土盛や建築の規制をせず、下流への洪水抑制機能の保全を怠ってきた。この区域は、昭和45年1月8日付け建設省2局(都市局、河川局)長通達を受け、通常の市街化調整区域よりさらに市街化の困難な、河川の保全区域として指定されるべきであった。「甲突川総合治水対策調査報告書」で、河頭多目的遊水池公園として検討していたこの低地5.36haに建築が続々と許可されている実態は、上下流の洪水水位を下げる効果を失わせ、沿川部の内水排除の条件を悪化してきた。
ケ 河川法は、「河道管理」を中心に構成されている。したがって、総合的治水のための流域管理については、建築基準法や、都市計画法など他の法律を根拠とする管理責任も問題となる。
コ 建築基準法39条は、地方自治体は、条例で災害危険区域を指定し、そこでの建設制限をすることができる旨定めているが、鹿児島県建築基準法施行条例(昭和46年7月19日条例33号)には、その旨の規定はない。
サ 都市計画法は、市街化区域、市街化調整区域を区分した上で(同法7条、13条)、「溢水、湛水、津波、高潮による災害発生のおそれのある土地の区域水源を涵養し、土地の流出を防備する等のため保存すべき土地の区域」を原則として市街化区域に含めない(同法施行令8条2号)としている。
しかし、現実には、鹿児島市においては相当広い市街化区域が設定されている。
また、開発許可に当たっては、あらかじめ関係のある公共施設管理者の同意を得なければならないとされており(同法32条)、同管理者には河川管理者も含まれると解される。
しかし、開発許可件数は高度成長期を中心に莫大な件数、面積に及び、鹿児島市における面積5ha以上の宅地造成だけでも53団地2041.86ha、建設戸数5万9735戸にのぼっており、そのうち砂防調整池が設置されている開発地は19件に過ぎない。これが鹿児島市の甲突川をはじめとする河川の流量増大に著しい影響を与えたであろうことはいうまでもない。
シ 以上に述べた流域管理を進めるための手法となりうる根拠法律は一応あるものの、河川管理者は現在の河川法、建築基準法、都市計画法等を総合治水対策や流域管理のために総合的に活用してこなかった。
ス 結論
河川管理者は、甲突川の河川管理、流域管理について、河川法、建築基準法、都市計画法上の責任があり、内水対策を含めて溢水等による住民の被害を防止する義務があった。
ところが、管理責任者は、甲突川下流域に溢水をもたらす危険が高いことを以前より認識しておりながら、その上流に調整池など災害対策を欠いた団地造成等を許可し、あまつさえ遊水池域にまで建築がなされるのを許可してきた。
この結果、本件水害当日、甲突川流域一帯の降雨は、短時間の内に河川に集積し、甲突川の溢水や集積過程において土砂崩壊、山津波などの災害をもたらすことになった。
8・6水害は天災ではなく人災といわれる由縁であり、原告らは、河川管理者たる県知事の災害防止義務を怠る行為、河川の総合管理を誤る行為により、或いは河川の営造物の設置管理に瑕疵があったために被害を被ったものである。
したがって、被告は、国賠法1条、2条による損害賠償義務を免れない。
②ア 河川管理とは、単に流路とその周辺(河川と堤防)といった狭い範囲を対象とするものではなく、いわば総合的な治水対策を対象としており、それは、降雨が河川に流入することを制し、河川に流入した降雨を溢水させることなく海まで流下させうる総合的な対策である。
イ 具体的には、降雨が河川に流入することを制する方法としては、森林地帯の保持・増加等保水能力を維持・増強する設備等の設置や、宅地開発を河川の治水対策の観点から規制し、既存開発宅地からの降雨流入を規制する設備を設置する等の対策があり、河川を溢水させることなく流下させる方法としては、河川の浚渫、堤防のかさ上げ、補強、放水路、捷水路、迂回水路等の設置、放水池の設置、遊水能力を有する水田の保有等の対策がある。
以上のような、総合的な治水対策に瑕疵があることが河川管理の瑕疵である。
ウ 甲突川のように水害常襲地にある河川については、事前に堤防を強化する施設対策をはじめ、開発規制によって治水緑地帯や多目的遊水池の設置等の総合治水対策を採ることが考えられるところ、このことは、被告も十分に認識しており、昭和55年度にまとめられた「甲突川総合治水対策調査報告書」においては、甲突川の流域状況、計画降雨(既往最大降雨、確率雨量等)、流出係数等からみて計画高水流量を毎秒850tとし、河道処理流量を毎秒400t、残りの450tは、放水路、ダム、遊水池等で処理するとされており、当時の甲突川の流下能力が毎秒350tしかないという認識の下では、河川の安全管理のために上記総合治水対策の実施は、緊要な課題であった。
エ しかるに、被告が本件水害までに実施した河道改修事業は、年間1千万円余りの寄州除去事業と、年間1億数千万円程度の護岸工事というものにすぎず、河川の掘り下げ、拡幅をはじめ、放水路・分水路など甲突川の流下能力の向上という点については、拱手傍観してきた。
オ また、調整池の義務づけ以前に被告が許可した開発行為については治水上の対応策は採られず、上記義務づけ後も野放しの状態であり、調整池の設置基準ですら下流河川改修が完了するまでの期間の暫定的な施設としての基準であり、被告が示した設置基準(案)もこれに準ずる位置づけに過ぎない。
カ さらに、被告は、調整池のない団地等の野放し状態の改善もせず、甲突川流域の開発行為についても、50万人都市の中心を流下する甲突川の治水対策の観点を持たず、無秩序に開発許可を与えてきており、それにより、甲突川流域の山地面積、水田面積が減少した。
キ 甲突川及びその流域は、戦後の経済成長期を経て、調整池のない伊敷団地等の住宅団地、産業廃棄物処分場、社会福祉施設その他旧市街を取り巻く土地改変がなされ、本川・支川の改修による流達時間の縮減により、甲突川に流れ込む降水量が増加した。そして、このことは、昭和55年度の総合治水対策報告書及び平成元年3月の甲突川洪水解析報告書から窺われるにもかかわらず、被告は、無調整池の開発による出水増や、水系の流達時間縮減の対応を放置してきた。
ク すなわち、被告は、上記のように甲突川下流域に溢水をもたらす危険性が高いことを知りながら、あるいは過失によりその認識を持つことができないまま、以下のとおり、調整池を設置せずに合計342.81haにのぼる団地造成を許可した。
緑ヶ丘団地 31.5ha(鹿児島県住宅供給公社施行、3分の2が甲突川流域であるため、調整池を要する面積は21ha)
原良団地 111.5ha(上記公社施行)
城山団地 46.3ha
若葉台団地 6.4ha
さつま台団地 22.95ha
岡之原団地 10.13ha
伊敷団地 101.5ha
永吉団地 17.83ha
つくしの団地 5.2ha
ケ 調整池の不備・設備等は、別紙4「甲突川流域団地の調整池整備状況色分け図」のとおりであり、団地造成の状況、調整池の状況等については、別紙5の「団地造成一覧表」のとおりである。
さらに、被告は、この他にも甲突川流域に甲陵高校、官公庁を設置し、県営住宅を造営した。
コ 甲突川流域の山林減少と宅地造成、道路舗装等によるコンクリート化は、9支川の流量増大をもたらし、しかも短時間で急激な流量増大をもたらすことは誰しも容易に推測がつく。事実、被告県土木部河川課はすでに昭和55年2月には「大規模開発に伴う調整池設置基準(案)」を設定し、平成3年4月には、「大規模開発に伴う調整池設置基準(案)」第3版を出している。それによると、被告は、甲突川流量増大の原因として開発行為があること、対策の必要性を認識し、「一方では、近年の経済社会の発展に伴い、河川流域内における大規模開発が急テンポで進んでおり、これらの開発行為が下流河川に対して、流出率の増大、流入時間の減少、ピーク量の増大という現象を引き起こし、現況河川の洪水に対する安全度の低下につながってきている。
そのため、河川サイドからは開発行為に対して何らかの対応策を採らせる必要が生じてきた。」としている。
サ 被告は、昭和55年12月の「甲突川総合治水対策調査報告書」等で、総合治水概念による治水対策を検討し、下流への洪水の負担を減らす出水抑制策として、上記報告書で、上常磐ダム、油須木ダム、川田第一ダム、川田第二ダム、河頭多目的遊水池計画、小山田遊水池の6件を掲げ、甲突川の流域の都市化の進展にかんがみ、それらの目標年次を昭和65年(平成2年)とする旨を示し、8・6水害後に作成したパンフレット「安全な甲突川をめざして」でも、将来の甲突川について、「河川改修だけでなく、流域全体を考えたダム、遊水池、放水路等を含めた総合治水対策を進めていきます。」と述べたが、被告は、8・6水害が起きるまで、上記にいう総合治水対策を何ら執行してこなかった。
シ 以上のように、被告は、甲突川の許容能力を認識しながら、その管理者として治水対策の観点を持たないまま、流域の開発許可をなし、もって、甲突川の流量増大をもたらしたものであり、本件水害は、起こるべくして起こったといえる。
よって、被告の甲突川の管理には瑕疵があり、河川管理者として安全確保義務違反があった。
③ア 公の営造物の設置、管理の瑕疵における、「瑕疵」とは、「営造物が通常有すべき安全性を欠いていること」をいう。
イ 河川において「通常有すべき安全性」とは、当該河川がおかれた自然的、社会的条件の中で合理的に予測させる洪水を安全に流下させることである。すなわち、当該河川は、その機能の一つとしてその流域における雨水等を集めてこれを安全に下流に流下させる機能を有しているものであるから、河川管理者としては上記機能に欠けることがないようにこれを管理すべきであり、災害の発生についてその定期的な予見が可能である以上、その当時における科学的技術水準によりかかる災害を発生させないだけの耐久性と強度を有する営造物をつくり、かかる営造物が本来の機能を発揮できるような対策を採るべき法的義務があるというべきである。
ウ そして、河川法は、河川の安全性確保の見地から計画高水流量を工事実施基本計画で定めることを要求しており、かつ、計画高水流量の算出基礎となった確率雨量については、河川管理者が定期的に予見しているものであるから、計画高水流量は、河川の安全性の必要条件として法的意味を具有することは明らかである。
エ そうすると、「合理的に予見される洪水」は、上記計画高水流量として算出されるので、計画高水流量を一応の安全基準として、河川改修工事の完成、未完成を問わずこれ以下の流量によって発生した水害については、河川管理の瑕疵を推定すべきである。
④ア 本件水害の原因は、甲突川の流下能力を超える洪水であったことは明らかであるが、日雨量259mmという多量の降雨に加え、無秩序な開発計画、調整池等の流水抑制施設が不十分であったことによる流出量の増大によるものである。降雨量が急激に増大し、許容能力を超過すれば、溢水、氾濫は必至である。しかし、異常降雨であるからといって甲突川の許容能力を超過しなければ、溢水、氾濫を防止できるのである。降雨量の異常さのみを強調することでは、甲突川の本件洪水を正しくとらえられない。
イ 被告は、昭和55年度の時点で、甲突川の流下能力は、毎秒350tであると把握しており、昭和55年度甲突川総合治水対策調査報告書では、「甲突川の基本高水流量は毎秒850tとし、河道処理流量は毎秒400t、残りの450tは放水路及びダム、遊水池等で処理する。これは降雨確率50分の1の規模である。」としており、その目標年次を10年後の昭和65年(平成2年)としていた。
本件水害時における甲突川の最大流量については、被告は毎秒700tと計算しているところ、被告が治水対策で示した計画を、平成2年度までに実現していれば、高水流量毎秒850tを処理可能であったのであるから、本件水害時の最大流量毎秒700tは、余裕を持って処理できたはずである。すなわち、計画高水流量毎秒850tを安全基準として、それ以下の毎秒700tの流量によって本件水害が発生したのであるから、本件河川管理の瑕疵を推定することができる。
甲突川の溢水、氾濫は、本件水害以前に明治31年以降、13回に及んでおり、このこと自体からすでに甲突川の氾濫を、被告は十分予見することができた。
ウ また、被告は、本件水害について、未曾有の降雨量であったと主張する。しかし、鹿児島地方気象台の鹿児島観測所の資料だけみても、本件水害の1日降雨量、1時間の降雨量は過去の記録を下回っており、被告の予見し得ない降雨量ではなかった。そして、本件水害における降雨量を予見しうる以上、被告は、当然甲突川の許容能力を超過することも予見可能であった。
⑤ 被告は、道路がその建設により危険性が作り出されるのに対し、河川には危険性が内在しているとし、その危険性の発生縁由により管理責任を区別しようとする立場であると思われる。しかしながら、国賠法2条は、危険責任の法理を含むものと解釈されており、まさに危険であるが故に管理責任を生じるものであるから、その危険性の発生由縁により区別すべきいわれはない。さらに、河川は、一度洪水氾濫すれば、道路に比し、膨大な生命・財産を奪うものであるからその危険性が大きくなるに応じて管理責任も過重されると考えるのが自然である。
⑥ また、被告は、河川の改修については、膨大な予算と時間を要し、数多い河川について同時に瑕疵を除去することは不可能であるから種々の制約を認めるべきであると主張する。
しかし、国賠法2条の責任が無過失責任とされていること及び被害者救済の見地からは、以下のように考えるべきである。
すなわち、およそ安全確保義務を負う河川管理者が、瑕疵を有する河川を自らの管理下においた以上、管理ゆえに責任が発生するのであるから、改修事業が着手されておらず、あるいはその途上であっても、不可抗力によるもの以外、設置管理の瑕疵は否定し得ないと解すべきである。
この場合、不可抗力として免責されるのは時間的(技術的)制約がある場合のみであり、予算上の制約は、免責事由とはなり得ないというべきである。なぜなら、仮に、予算上の制約が免責事由となるというのであれば、河川行政そのものを法的俎上にのせることになり、その適否の判断は、司法判断としては事実上不可能なばかりか、いきおい裁判において河川行政の姿勢を追認する結果とならざるを得なくなり、被害者にとって過酷な結果を強いることになるからである。
(被告の主張)
①ア 甲突川は、平成5年8月6日当時、河川法16条に定める工事実施基本計画は策定されていなかったものの、同計画の一部を構成する「甲突川中小河川改修工事全体計画」(以下「本件全体計画」という。)に基づいて、現に改修途上にある河川であった。
イ 上記のような、改修途上にある河川にあっては、その河川管理にかかる瑕疵の有無は、いわゆる河川管理の特殊性より、以下のような基準で判断すべきである(最高裁昭和59年1月26日大法廷判決・民集38巻2号53頁。大東水害訴訟判決。)。
すなわち、河川は、もともと自然の状態で公共の用に供され、自然的原因による災害の危険性を内包しているものであり、その通常備えるべき安全性の確保は治水事業を行うことにより達成されていくことが当初から予定されているものである。河川の管理については、全国の河川の治水工事には莫大な費用を要し、国民生活上の他の諸要求との調整を経て議会が配分する予算の下で、必要性・緊急性の程度の高いものから逐次実施するほかないという「財政的制約」、治水事業の実施に当たっては、流域全体について調査・検討を経て計画を立て、緊急に改修を要する箇所から段階的に、原則として下流から上流に向けて行うことを要するなどの「技術的な制約」、流域の開発等による雨水の流出機構の変化、低湿地域の宅地化及び地価の高騰等による治水用地の取得困難その他の「社会的制約」があり、また、道路とは異なって危険区間の一時的閉鎖等の危険回避手段を採ることができないという特質も有する。そうすると、改修の不十分な河川の安全性としては、治水事業による河川の改修、整備の過程に対応するいわば過渡的安全性で足りるとせざるを得ない。
ウ 河川管理についての瑕疵の有無は、過去に発生した水害の規模、発生の頻度、発生原因、被害の性質、降雨状況、流域の地形その他の自然的条件、土地の利用状況その他の社会的条件、改修を要する緊急性の有無及びその程度等諸般の事情を総合的に考慮し、河川管理における財政的、技術的及び社会的諸制約のもとでの同種・同規模の河川の管理の一般水準及び社会通念に照らして是認しうる安全性を備えていると認められるかどうかを基準として判断すべきである。
エ また、改修計画に基づいて現に改修中である河川については、その計画が全体として、過去の水害の発生状況その他諸般の事情を総合的に考慮し、河川管理の一般水準及び社会通念に照らして、格別不合理なものと認められないときは、その後の事情の変動により未改修部分につき水害発生の危険性が特に顕著となり、早期の改修工事を施工しなければならないと認めるべき特段の事由が生じない限り、当該河川の管理に瑕疵があるということはできない。
オ 上記エの基準は、改修計画に基づき現に改修中の河川の管理の有無についての具体的判断基準であり、改修計画がある場合には、その計画自体の合理性を河川管理の一般水準及び社会通念に照らして判断し、計画の実施の仕方について事情の変更により計画を修正して早期の改修工事を実施すべき特段の事由がなかったかを判断すべきとするものである。同基準は、河川について計画行政における行政の裁量を認めたもので、この基準の適用については、河川の管理には諸制約があることを前提に考えても、水準から著しく逸脱し社会通念からも是認できないような計画の策定・実行に限って瑕疵があると判断されるものである。
甲突川に関しては、河川法(以下「法」という。)16条に基づく工事実施基本計画は策定されていないが、同条及び同法施行令(以下「令」という。)10条の定めるところに沿って、本件全体計画及びこれを受けた本件変更計画は、甲突川の工事の実施について、過去の主要な水害発生の状況、甲突川流域の気象、地形、地質、開発の状況等を総合的に考慮し(法16条、令10条1項1号)、計画高水流量並びにその河道及び洪水調節ダム等への配分に関する事項(令10条2項2号イ、ロ、3号)等を定めている。したがって、実際の甲突川の改修も、この本件全体計画を受けた本件変更計画に基づいて実施されており、甲突川の管理瑕疵の判断基準としては、上記エの基準が適用されるべきものである。
カ 甲突川は、明治31年7月5日以降主要なもので9回程度氾濫しているものの、藩政時代に改修が加えられており、また、その形状(羽状流域・堀込河川)から比較的安全性が高いと考えられ、現に、昭和24年ないし27年以降は、昭和44年まで氾濫を起こしていなかったのであり、このような甲突川に比べて、その流域が宅地化していたものの、屈曲が多く、氾濫を繰り返していた永田川、同じく宅地化が進み、川幅が狭く、河床も高く、たびたび氾濫していた新川などの方が河川改修の緊急性が高かったため、限られた河川改修事業に関する予算を永田川や新川の河川改修事業により多く配分しなければならない状況にあったが、全国的に見ても多くの河川を抱える被告は、限られた予算の中から、他の都市河川や県内の中小河川に比べて甲突川の河川改修事業に対しても少なくない予算を投入していた。
キ また、甲突川が鹿児島市の中心部を流れる河川であるという重要性に照らして、100年に1度の確率の降水に対応できるように、1000立方m/秒を基本高水流量とする本件全体計画を立て、甲突川流域の都市化を前提とした検討を加えて、河道配分流量を700立方m/秒とし、残りの300立方m/秒を遊水池等によって処理するという変更計画を立て、その認可を受け、当面は甲突川の流下能力を400立方m/秒に引き上げるために、護岸の積み替えやその根入れ等を行い、投資効果が高い河川改修事業を昭和56年度から行っていたのであり、河川管理の一般的水準及び社会通念に照らして十分な合理性を有するものである。
ク さらに、一定規模の開発に際しては、調整池の設置の行政指導を行い、開発行為による災害防止策も昭和48年頃から行ってきており、昭和45年以降本件水害に至るまでの間に、甲突川の未改修部分について水害発生の危険性が特に顕著となるような事情はなく、他の改修中の河川との優先順位を変更して早期に河川改修を行わなければならなかったと認められる特段の事情も存しない。平成5年は、まれに見る異常気象の年であり、かつてない多量の降雨が長期間にわたって降ることを予測することはできなかったものである。
ケ したがって、その計画自体の合理性を河川管理の一般水準及び社会通念に照らして、計画の実施の仕方について、事情の変更により計画を修正して早期の改修工事を実施すべき特段の事由があったとは到底いえないし、河川管理には諸制約があることを前提に考えて一般的水準から著しく逸脱し、社会通念からも是認できないような計画の策定・実行があったとも到底いえないから、被告に甲突川の河川管理の瑕疵があったとはいえないというべきである。
②ア 原告らは、河川管理の瑕疵とは、総合的な治水対策の瑕疵であると主張し、具体的には、河道の改修や遊水池の設置等の河川自体の改修の遅延と、宅地開発規制等のそれ以外の降雨が河川に流入することを防ぐ方策の不備を主張している。
イ 上記の総合治水対策のうち、前者(河川改修)の点については、前記①のとおりこれを進めてきたものであり、①エの判断基準に照らして被告の河川管理の瑕疵はない。また、調整池の設置指導についても昭和48年頃から実施しているのであって、被告においても総合治水対策を実施してきている。
ウ しかしながら、原告ら主張の後者の点について、これを河川管理の瑕疵の有無という法的責任という観点から見た場合、前記①エの河川管理の瑕疵の判断基準において、直接に判断の対象となるものではなく、このような総合治水対策を講じることを被告または鹿児島県知事に義務づけた法令はなく、被告または鹿児島県知事が国民に対して法律上負っている法的義務とはいうことができない。河川改修の点と流域対策等の点を並立させて河川管理の瑕疵の判断の対象となるとする原告らの主張は、前記①の河川管理の判断基準に反するものとして失当である。
エ さらに、原告らは、治水対策報告書で報告された基本高水流量を安全基準として、それ以下の流量で発生した水害については、河川管理の瑕疵を推定すべきであると主張するが、同主張は、河川管理の特殊性を全く考慮しないものであって、失当である。
(2) 原告らの損害額
(原告らの主張)
原告らは、別紙6計算書①ないし④記載の各損害を被った。
第3原告AないしDの請求についての当裁判所の判断
1 河川管理の瑕疵の判断基準
(1) 国賠法2条1項の営造物の設置または管理の瑕疵とは、営造物が通常有すべき安全性を欠き、他人に危害を及ぼす危険性のある状態をいい、かかる瑕疵の存否については、当該営造物の構造、用法、場所的環境及び利用状況等諸般の事情を総合考慮して個別具体的に判断すべきものである。
そして、河川は、本来自然発生的な公共用物であって、管理者による公用開始のための特別の行為を要することなく自然の状態において公共の用に供される物であるから、もともと洪水等の自然的原因による災害をもたらす危険性を内包しているものである。したがって、河川管理は、道路の管理等と異なり、本来的にかかる災害発生の危険性をはらむ河川を対象として開始されるのが通常であって、河川の通常備えるべき安全性の確保は、管理開始後において、通常予想される洪水等による災害に対処すべく、堤防の安全性を高め、河道を拡幅・掘削し、流路を整え、または放水路、ダム、遊水池を設置するなどの治水事業を行うことによって達成されていくことが当初から予定されているものということができる。この治水事業は、もとより一朝一夕にして成るものでなく、多数存在する未改修河川及び改修の不十分な河川についてこれを実施するには莫大な費用を必要とするものであるから、結局、原則として議会が国民生活上の他の諸要求との調整を図りつつその配分を決定する予算のもとで、各河川につき過去に発生した水害の規模、頻度、発生原因、被害の性質等のほか、降雨状況、流域の自然的条件及び開発その他土地利用の状況、各河川の安全度の均衡等の諸事情を総合勘案し、それぞれの河川についての改修等の必要性・緊急性を比較しつつ、その程度の高いものから逐次これを実施していくほかない。また、その実施に当たっては、当該河川の河道及び流域全体についての改修等のための調査・検討を経て計画を立て、緊急に改修を要する箇所から段階的に、また、原則として下流から上流に向けて行うことを要するなどの技術的制約もあり、さらに、流域の開発等による雨水の流出機構の変化、地盤沈下、低湿地域の宅地化及び地価の高騰等による治水用地の取得難その他の社会的制約を伴うことも看過することはできない。しかも、河川管理においては、道路の管理における危険な区間の一時閉鎖等のような簡易、臨機的な危険回避の手段を採ることもできないのである。河川の管理には以上のような諸制約が内在するため、すべての河川について通常予測し、かつ、回避しうるあらゆる水害を未然に防止するに足りる治水施設を完備するには相応の期間を必要とし、未改修河川または改修の不十分な河川の安全性としては、上記諸制約のもとで一般に施行されてきた治水事業による河川の改修、整備の過程に対応するいわば過渡的な安全性を持って足りるものとせざるを得ない。
以上からすると、上記のような諸制約によって未だ通常予測される災害に対応する安全性を備えるに至っていない現段階においては、当該河川の管理についての瑕疵の有無は、過去に発生した水害の規模、発生の頻度、発生原因、被害の性質、降雨状況、流域の地形その他の自然条件、土地の利用状況その他の社会的条件、改修を要する緊急性の有無及びその程度等諸般の事情を総合的に考慮し、前記諸制約のもとでの同種・同規模の河川の管理の一般水準及び社会通念に照らして是認しうる安全性を備えていると認められるかどうかを基準として判断すべきであると解するのが相当である。そして、既に改修計画が定められ、これに基づいて現に改修中である河川については、同計画が全体として上記見地からみて格別不合理なものと認められないときは、その後の事情変動により当該河川の未改修部分につき水害発生の危険性が特に顕著となり、当初の計画の時期を繰り上げ、又は工事の順序を変更するなどして早期の改修工事を施工しなければならないと認めるべき特段の事由が生じない限り、同部分につき未だ改修が行われていないことの一事をもって河川管理に瑕疵があるとすることはできないと解すべきである(最高裁昭和59年1月26日第1小法廷判決・民集38巻2号53頁参照)。
(2) 原告らは、河川管理の瑕疵の有無を判断するに当たって、財政的ないし予算上の制約を考慮に容れるべきでないと主張するが、採用できない。
2 河川管理について
(1) 河川法1条は、河川管理の目的について、「河川について、洪水、高潮等による災害の発生が防止され、河川が適正に利用され、及び流水の正常な機能が維持されるようにこれを総合的に管理することにより国土の保全と開発に寄与し、もって公共の安全を保持し、かつ、公共の福祉を増進する。」と規定し、同法10条1項は、「2級河川の管理は、当該河川の存する都道府県を統括する都道府県知事が行う。」と規定するところ、同条にいう「河川の管理」とは、河川の保存、利用及び改良並びにこれに付随して行われる一切の行為をいうものと解されている。
そして、河川管理の主位的目的である災害発生の防止の観点からすると、河川管理者が具体的に行うべき管理行為とは、河川について、ダム、堤防等の河川管理施設の設置、放水路の開削、河川区域等における工作物の設置の規制等の洪水調節や河道の維持、流水の流量抑制等洪水被害防止のための措置をとることを指すものと解される。
(2) 原告らは、河川管理とは、総合的な治水対策を対象とすると主張し、甲突川流域の宅地開発の規制をし、また市街化のできない保全区域に指定すべきであったなどと指摘する。
しかし、これらの行為は、上記河川管理の概念に当てはまらないというべきである。
のみならず、都市計画法や森林法は、土地の合理的利用(都市計画法2条)や、国土保全、水源のかん養、自然環境の保全(森林法2条1項)等を基本目的とし、国や地方公共団体に憲法29条の規定する財産権の保障の範囲内において、必要最小限度の規制を行う権限を付与したものである。また、建築基準法は、「建物の敷地、構造、設備及び用途に関する最低の基準を定めて、国民の生命、健康及び財産の保護を図る。」(同法1条)を目的とする。
したがって、被告に対し、治水対策の観点から、都市計画法に基づく開発許可権限の発動、建築基準法に基づく規制の強化を必要最小限度の範囲を越えて過度に求めることは当を得ないものというべきである。
よって、原告らの上記主張は採用しない。
3 認定事実
(1) 原告らは、被告の治水対策の瑕疵として、河川の浚渫、堤防の嵩上げ・補強、放水路、捷水路、迂回路等の設置、遊水能力を有する水田等の保有を行わなかった瑕疵、調整池の不備の瑕疵があったと主張する。
これらは、前記2(1)にみた河川管理行為の瑕疵を指摘するものと解されるので、以下、その瑕疵の有無ないし被告の管理義務違反の有無について判断する。
(2) 証拠(甲6[ただし、採用しない部分を除く。]乙1ないし4、5ないし7の各①ないし③、8ないし10、11の①ないし④、12の①ないし⑥、13の①ないし③、14の①ないし④、15の①ないし③、16,17、18の1ないし⑤、19の①ないし⑨、20の①ないし⑬、21の①ないし⑧、22の①、②、23、25ないし31、32の①、②、33ないし39、45、46、49、原告A[ただし、採用しない部分を除く。]、証人H)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。
① 甲突川及びその流域の概況
ア 甲突川は、鹿児島県日置郡郡山町と同薩摩郡入来町の町境を分水嶺とする八重山南斜面に水源を発し、郡山町を経て、鹿児島市の中心部を貫流して鹿児島湾に注ぐ、本川流路延長約25km、流域面積約106平方kmの2級河川である。同川流域は、10の支川をもって羽のような形状をなしているいわゆる羽状流域である。羽状流域では、各支川の洪水到達時間が異なり、洪水流量が重なり合わないので、洪水ピークが小さく、洪水持続時間が長い特性を有する。
甲突川流域を含む一帯は、シラスが広く分布しており、下流の市街地は、シラス台地が侵食されて堆積した沖積平野が形成されたものであり、かつての氾濫原でもある。
また、甲突川は、堤防のない、いわゆる堀り込み河川であって、有堤河川に比して、安全性が高いとされる。
イ 甲突川流域の市街化地域と山地の割合は下記のとおりであり、年々市街化地域は増加しているが、中流域から上流域にかけて山地の割合は余り減少しておらず、市街化(宅地化)が進んだのは主に下流域であった(乙38)。
記
市街地[平方㎞](%)
山地[同]
水田[同]
畑[同]
昭和10年
6.17(5.8)
84.64
11.33
4.11
昭和20年
7.07(6.7)
84.25
11.09
3.84
昭和40年
15.06(14.2)
80.14
7.33
3.72
昭和55年
22.54(21.2)
74.13
6.10
3.48
昭和60年
25.88(24.4)
71.74
5.60
3.03
平成2年
28.99(27.3)
68.64
5.72
2.90
② 過去の水害
甲突川において過去に発生した水害の状況は、別紙7「甲突川の過去の水害表」のとおりであり、甲突川においては、明治期以来本件水害に至るまで、過去11回洪水が発生しているが、昭和27年から昭和44年までは一度も洪水が発生しておらず、昭和44年以降も、平成元年に至るまで洪水は発生していない。
昭和44年の洪水も、支川の幸加木川の氾濫によるものであり、甲突川本川については、氾濫するまでに至らず、一部浸水被害が発生したにとどまっていた。
平成元年7月28日の洪水は、台風11号による日雨量257.5mmの降雨によるものであったが、被害は局地的なものにとどまった(乙3、4)。
③ 8・6水害の概要
ア 平成5年、九州南部地方は、5月17日に梅雨入りし、鹿児島市における7月の降水量は1054.5mmであり、7月における30年間の月別平均降水量の約3.5倍であり観測史上最高であった。
7月27日に台風5号、29日には台風6号が続けて鹿児島県に上陸あるいは接近し、27日から30日にかけての総降水量は100mmないし200mm、多いところでは300mmを記録した。
さらに、7月31日から8月2日にかけても九州南部を中心に大雨となり、上記期間の総雨量は、鹿児島県内でも大隅半島南部を除き各地で200mmを超えており、甲突川流域付近においては、300mmから500mmに達していた(乙7の2)。
イ 8月5日夕方から、鹿児島地方では局地的に1時間に10mmから20mmのやや強い雨が降りはじめ、同日の降水量は、多いところで20mmから50mmとなった。
8月6日、午前1時頃から弱い雨が降りはじめ、午前4時以降は、北薩地方及び薩摩半島南部で強い雨が降り、夕方前までに弱まったが、午後4時以降、強雨域は日置郡を中心とする地域に南下し、雨量はさらに多くなった。同日午後6時には、局地的に強い雨が降り始め、入来峠で時間雨量65mm、鹿児島で同50mmの強い雨が観測された。また、八重山観測所では午後6時までの1時間に92mmという記録的な強い雨が観測された。
同日午後7時以降は、強雨域は南東に移動し、鹿児島市と鹿屋市付近が強雨域の中心となった。鹿児島市では、午後5時頃から激しい雨が降り続いており、午後7時までの1時間に56mmという降水量が観測され、午後9時までの3時間降水量は、105mmであった。また郡山町役場では、午後7時までの1時間に99.5mm、鹿児島市消防局伊敷分遣隊では、同時刻に94mmという記録的な雨量が観測されている。
同日午後10時以降は、強い雨雲は、さらに南東に進み、鹿児島県内でも強雨域は見られなくなり、小康状態となった。
甲突川流域の降雨量についてみると、上流の郡山町役場では、午後3時から時間雨量15.5mmの雨が降り始め、以降1時間ごとに31.5mm(午後4時)、40.0mm(午後5時)、84.0mm(午後6時)、99.5mm(午後7時)、38.5mm(午後8時)となり、午後3時から午後8時までの総雨量は309mm、8月6日の日雨量は384mmに達している。また、八重山観測所においては、午後3時から時間雨量24.0mmの雨が降り始め、以降1時間ごとに45.0mm(午後4時)、40.0mm(午後5時)、92.0mm(午後6時)、21.0mm(午後7時)、26.0mm(午後8時)となり、午後3時から午後8時までの総雨量は248mm、8月6日の日雨量は361mmに達している。鹿児島地方気象台では、午後3時から時間雨量4.0mmの雨が降り始め、以降1時間ごとに9.0mm(午後4時)、28.0mm(午後5時)、50.0mm(午後6時)、56.0mm(午後7時)、39.0mm(午後8時)となり、午後3時から午後8時までの総雨量は186mm、8月6日の日雨量は259mmに達している。
8月6日の日降水量259mmは、8月の降水量としては観測開始(1983年)以来、第1位の記録であった(乙7の2)。
ウ 甲突川の鹿児島市岩崎橋における水位は、8月6日午前9時40分に指定水位である200cmを超え、午前11時10分には246cmまで上昇したが、その後下降し、午後2時には179cmとなった。しかし、午後3時以降再び上昇しはじめ、午後4時には227cm、午後4時20分には264cmとなり警戒水位である250cmを超え、午後5時には危険水位である350cmを超え、359cmまで上昇した。甲突川の水位は、その後も上昇を続け、午後6時10分には堤防高である500cmに達し、同50分には527cmに達して、以後計測不能となった。
上記水位の経緯からすると、堤防高に達した午後6時10分ころには溢水が始まったものと考えられる(乙45)。
エ 本件水害により、崖(土砂)崩れで多数の死者が出たほか、甲突川流域では鹿児島市において424ha、郡山町で120haが浸水し、浸水家屋は、鹿児島市において1万1586戸、郡山町においては、約150戸に上った。また、甲突川にかかる橋梁のうち15橋が流出し、江戸時代末期に岩永三五郎が築造したいわゆる五石橋のうち新上橋及び武之橋も流出した(乙7の①、②、8ないし10)。
オ 原告らの居宅等の浸水状況は別紙3の①ないし④の「甲突川浸水区域図」のとおりであり、浸水水位は、いずれも1.0m~1.5mであった(乙11の①ないし④、12の①ないし⑥、13の①ないし③、14の①ないし④)。
カ 本件水害により、甲突川の流域で多くの場所が浸食を受け、崖が崩れ、高さ10m以上の倒木は8万6000本に及ぶと推定され、この倒木の一部が橋を流出させたり、橋にかかったり、川岸にかかって被害を大きくしたと考えられた(乙3、4、10)。
また、「1993年・鹿児島豪雨災害浸水図」(乙9)によれば、「高麗町の浸水は、西鹿児島駅付近から南下した流水、内水及び武之橋(石橋)の堰上げと本川水位の上昇に伴う逆流防止のための水門閉鎖、これらの三原因が重なり被害を大きくしている。」とされている。
キ 本件水害時の甲突川の流量については、甲突川流域を16の小流域に分け、ティーセン分割法により甲突川流域全域の平均雨量を算出したうえ、これをもとに貯留関数法により各支流での流量を算出し、岩崎橋付近での流量を算出した結果、同所における推定最大流量は、8月6日午後7時40分頃の696立方m/秒であった。
また、原良橋付近及び岩崎橋付近における甲突川に対する横断線上にある道路部分又は河道部分での洪水痕跡に基づき、上記各箇所での流速をマニングの流速公式により算定した上で、同横断線上での流量を算定した結果、原良橋付近における最大流量は697.5立方m/秒であり、岩崎橋付近でのそれは685立方m/秒であった。
上記結果からすると、本件水害時における甲突川の最大流量は、約700立方m/秒であったと認められる。
そうすると、本件水害当時の甲突川の流下能力は、約300立方m/秒であったから、その流下能力の2倍を超えるものであった(乙3、18の①ないし⑤、19の①ないし⑨、45)。
④ 甲突川の改修状況
ア 甲突川は、天保年間(1842年頃)に、新上橋下流の拡幅と河床浚渫がされ、ほぼ現在の川幅(基本的に45m)が確保されて以来、抜本的な改修は行われず、局部的な護岸の復旧と河床の寄州除去などの維持補修が行われていた(乙16)。
イ 被告は、昭和44年6月29日に支川幸加木川が氾濫したことを契機として、昭和45年から甲突川に関する改修計画を策定することとし、被告は、「甲突川中小河川改修事業全体計画」(乙32の①、本件全体計画。)を策定し、昭和46年6月8日、同計画について建設大臣の認可を受けた。
本件全体計画においては、基本高水流量を100年に1度の確率の降雨に対応できる1000立方m/秒とし、河床の掘り下げを1.5~2m程度行い、一部区間については川幅を5m程度拡幅して河積を確保することとした。
ウ しかしながら、すでに甲突川沿いには多数の住宅やビルが建っていたことから、甲突川の川幅を拡幅し、河積を増大させて流下能力を向上させることが困難な状況であった。また、昭和52年6月に河川審議会の「総合治水対策についての中間答申」が出されたことも踏まえ、昭和54年度から本件全体計画の変更を検討し始めた。
そして、被告(土木部河川課)は、昭和55年3月、Gと共同で、「昭和54年度・中小河川甲突川改修事業・甲突川改修計画検討報告書」(乙15の①ないし③)を作成した。
同報告書は、甲突川の基本高水流量を850立方m/秒(確率1/50)と定め、甲突川の現況河道は、石造橋等が存在するため改修が進展せず、流下能力は350立方m/秒である。治水施設としてダム、遊水池による効果を検討したが、単独による大きな効果は期待できないとしている。
同報告書は、「総合評価」の項目で、甲突川の改修について、石造橋である西田橋、高麗橋、武之橋の3橋を保存するために、分水路案(3橋地点の両岸または片岸に水路を設け、高水時流量を分流処理する案)、放水路案(上流から放水路により直接鹿児島湾に注がせる案)を検討し、分水路による計画高水流量の処理が望ましいとしている。そして、計画高水流量850立方m/秒を上流から、西田橋で本川430立方m/秒、分水路420立方m/秒、高麗橋で本川340立方m/秒、分水路255立方m/秒×2、武之橋で本川330立方m/秒、分水路260立方m/秒×2と配分するものとしている。
さらに、上記報告書は、分水路施設の概算工事費を算出し、武之橋58億0600万円、高麗橋55億1600万円、西田橋26億9400万円、合計140億1600万円を見積もっている。
なお、上記報告書では、放水路案についても検討し、放水路計画流量を450立方m/秒、放水路ルート4案のうち、花野川合流点付近から北方を迂回して磯公園付近に至るルートを採用するものとし、その工事費を呑口施設約3億2941万円、トンネル本体約565億円、放流口施設約5351万円、補償工事費約18億円、合計586億8304万円と見積もっている。
エ 被告(土木部河川課)は、昭和55年12月、「昭和55年度・甲突川総合治水対策調査報告書」(乙16)を作成した。
同報告書は、甲突川の暫定計画を立案することを目的として作成されたものであり、河川改修断面500~520立方m/秒、河頭遊水池60立方m/秒、防災調整池20立方m/秒、低地氾濫0~20立方m/秒と配分処分することを基本方針としている。
そして、流域を保水地域、低地地域、遊水地域に区分して、それぞれ整備計画を立案し、治水計画(工事実施基本計画)は、基本高水流量850立方m/秒(確率1/50)とし、堤防高及び石造橋の保存を考え、本川の流下量を400立方m/秒とし、残450立方m/秒について各施設(ダム、遊水池、放水路、分水路)で処理する案が検討されているが、確実性の高い施設は定められておらず、今後の詳細調査が望まれるとしている。
なお、同報告書では、治水暫定計画として、基本暫定流量600立方m/秒(確率1/10)を、本川で500立方m/秒処理し、残100立方m/秒を河頭多目的遊水池、防災調整池及び低地地域、遊水地域で処理する案についても言及している。
オ 被告(鹿児島土木事務所)は、昭和58年11月、Gと共同で、「甲突川河川計画検討業務委託報告書」(乙34)を作成した。同報告書は、甲突川改修について、これを段階的に行い、早急に高い治水安全度の確保に努めることを目的として、改修計画を策定したものである。
同報告書においては、計画高水流量を100年に1度の確率である、1000立方m/秒として検討され、対応施設として、河道計画、放水路、多目的遊水池等が挙げられている。そのうち、そのすべてを引堤(河道)に負担させる案については、大規模な用地買収及び移転家屋が生じるため現実的に不可能であるとされ、実現可能な700立方m/秒を河道で処理し、残りの300立方m/秒については、放水路で200立方m/秒、遊水池で100立方m/秒を対処するのが妥当であるとされている。河道処理分の700立方m/秒については、河道の掘り下げ及び堤防のかさ上げによって対処するほか、五石橋は保存するものとして、これを迂回するような分水路を設けることとされている。また、同報告書においては、河道の寄州除去については、流域がシラス台地のため流出土砂量が常河川に比べて多く、その効果が大きいことから引き続き継続することが望まれるとされているほか、甲突川の治水事業は投資額からも短期間に終わることはなく、10~30年の長期にわたることは避けられないものとされている。
カ 被告(鹿児島土木事務所)は、昭和59年2月、Gと共同で、「甲突川水理調査業務委託報告書」(乙35)を作成した。同報告書は、五石橋を保存した上で流下能力を確保するための分水路について規模、形状を検討するとともに、水理的現象を確認し、河道改修計画における諸問題を検討し、改修計画立案のための水理資料を得る目的でなされたものである。
上記報告書によると、水理模型実験の結果、玉江橋より下流の4つの石橋を存置した場合の流下能力は、約335立方m/秒であるのに対し、これを撤去した場合は約710立方m/秒であり、現状保存のための分水路を設けることによって、分流効果が期待できそうであるとされているものの、分水路計画を実現化するについては、流下物による石橋閉塞や分水路内への土砂堆積等を踏まえた河川管理上の問題、景観上の問題、分水路建設のための用地の補償、付帯工事、長期的な工事期間等の様々な問題が残されていると指摘されていた。
キ 被告(鹿児島土木事務所)は、Gと共同で、昭和59年12月、「甲突川都市河川改修工事計画検討業務委託報告書」(乙36)を作成した。同報告書は、それまでの各種調査を基に、「甲突川中小河川改修工事全体計画」の見直しを図るためになされたものである。同報告書では、河道改修の基本方針として、五石橋を撤去したうえ、河床の掘り下げや流量不足箇所の引き堤をすることによって、河道の流下能力を700立方m/秒とするものとし、本件全体計画における1000立方m/秒の残りの300立方m/秒については、放水路、遊水池等で処理する計画に変更することとした。
ク 上記検討結果を基に、被告は、本件全体計画を変更することとし、昭和60年6月28日、同計画変更の認可を受けた(乙32の②)。
なお、昭和59年頃から、五石橋を保存するかどうかについて県議会で議論がなされるようになり、同議論は平成4年12月まで続けられていた。
ケ 被告は、上記のような調査・検討を踏まえ、昭和56年度から甲突川の河川改修工事に着手しており、別表8「鹿児島県河川改修工事費」表のとおり、平成4年度まで年間5000万円から1億8000万円、総額12億5900万円(年平均1億円余り)の予算をかけて、当面は、河道の流下能力を400立方m/秒に引き上げるべく、寄州の除去、堤防のかさ上げ、河床の掘り下げ、護岸の積み替えやその根入れ等を行い、平成4年末の時点において、左岸は武之橋から新上橋までの間の約0.7km、右岸側は甲突橋から新上橋の間の約1.2kmの部分の改修が終了していた(乙27、45)。
⑤ 調整池の設置等について
被告は、昭和46年に日本河川協会から「大規模宅地開発に伴う調整池技術基準案」が示されたことから、昭和48年頃から宅地造成やゴルフ場造成等、一定の面積を超える開発行為については、森林法や都市計画法に基づく開発許可の際に、事前に被告(河川課)と協議を行い、その機会に防災上の観点から流出抑制のための調整池の設置を指導してきた。
また、昭和62年からは、鹿児島市に流入する河川流域における指導対象を、開発面積5ha以上から1ha以上に引き下げて、調整池設置の指導を強化した。
このような開発行為に対する調整池設置指導により平成5年時点では、甲突川流域の16団地等で総貯水量約28万立方mの調整池が設置された。
なお、昭和48年以前に開発が行われた団地については、調整池設置の指導は行っていないが、そのような団地は約3.3km2であり、甲突川の流域の約3%程度であり、本件水害のピーク時の流量に与えた影響はさ程大きくないと考えられる(乙17、37、45)。
⑥ 水防体制について
被告は、水防体制の確立を図るため、電話応答式の水位計の設置や、昭和58年には、テレメーターシステム(遠隔地の観測を無線装置等を通じてリアルタイムで行う装置)を整備し、洪水時における水位等の情報を的確に把握して関係機関に伝達し、水防活動等に利用していた(乙45)。
⑦ 8・6水害後の治水対策
8・6水害は、鹿児島市に壊滅的被害をもたらし、緊急かつ確実な治水対策を実施する必要があったことから、被告は、甲突川について、「河川激甚災害対策特別緊急事業」(予定総工事費233億5000万円・いわゆる激特事業)の導入を決定した。同事業は、激甚な災害(浸水戸数2000戸以上)が発生した場合のみ適用されるものであり、計画高水流量を700立方m/秒とし、河床の掘り下げ、一部区間の川幅拡幅、五石橋の撤去、橋梁架け替え等の事業を、概ね5年間の短期間で緊急に実施することとした。また、上流部分については、「河川災害復旧助成事業」(河川災害緊急整備事業・県単激特)(予定総事業費約78億円)を実施し、平成11年度末に完了した。
上記工事に要した費用は、7年間で約390億円(うち激特事業に約270億円)であり、鹿児島県全体の河川改修事業費の約4年間分に相当する金額であった。
⑧ 鹿児島県内の他の河川の状況及びその改修状況
被告は、甲突川は、鹿児島県内で同じく流域の宅地化が進んだ他の河川に比べ、氾濫の頻度が低かったため、限られた河川改修事業予算を他の河川改修事業により多く配分しなければならなかったと主張するので、以下この点につき見ることとする。
ア 鹿児島県内の2級河川は、平成10年4月現在で161水系311あり、河川延長は1761.5km、流域面積は4683平方kmであり、河川延長は北海道、山口県について全国第3位、流域面積は北海道、青森県、岩手県、山口県について全国第5位であり、全国的に見ても河川の多い県である(乙25、39)。
イ 鹿児島市内の都市河川は、北から稲荷川、甲突川、新川、脇田川、永田川及び和田川の6河川ある。鹿児島市の平野部は南北に拡がっており、大きく見ると甲突川・新川を中心とした鹿児島地区と永田川・和田川を中心とする谷山地区に分けることができ、鹿児島地区と谷山地区の境界部に脇田川が存在している(乙28)。
ウ 永田川は、鹿児島県日置郡松元町を源とし、山之田川、滝之下川等の支川を合わせ、鹿児島市谷山地区で鹿児島湾に注ぐ、流域面積36平方km、流路延長約12kmの河川である。
永田川は、藩政時代にも改修が加えられていない未改修河川であり、河川断面が狭小で屈曲が著しいため、氾濫しやすいという特質を有しており、上記6つの河川の中で一番安全度が低いと考えられ、谷山地区の都市化が進んだこと、昭和27年及び同33年に大出水があったことから、被告は、昭和37年度から集中的に予算を投入して改修工事に着手し、支川を含め、昭和63年度には改修工事を終えた(乙27、29、45)。
エ 新川は、鹿児島市と日置郡の境界付近を源とし、数本の支流をあわせながら南東方向に流れ、田上付近からJR指宿枕崎線沿いに流下し、鹿児島市街地を貫流する、流域面積20.6平方km、流路延長約13kmの河川である。新川は、かつて田上付近から東方に流下していたものが、文化年間に現在の状態に人工的に作りかえられたものであったため、河川の形状は整っていたが、断面が小さく、固定堰のため河床も高かったため、溢水の生じやすい構造であり、宅地等の開発により流域の約40%が市街化していたことから、特に中流部において例年浸水被害が発生している状況であったにも関わらず、抜本的な改修は行われていない状況であった。
そこで、被告は、昭和57年度から新川の改修に着手しており、同年から平成4年までの改修事業費は、同年の1500万円を除き、1億円から5億3000万円であり、年平均で3億6000万円程度(昭和57年を除く)であった(乙27ないし29、45)。
オ 被告は、稲荷川については平成元年度から、脇田川については平成2年度から河川改修を開始している(乙27)。
カ 被告は、その他の県内各河川についても、万之瀬川支川、天降川、役勝川で河床掘削や拡幅等の河川改修を進めている(乙45)。
4 そこで、以上認定した事実をもとに、前記1(1)の判断基準に照らし、被告に河川管理瑕疵ないし河川管理義務違反があったかどうか判断する。
(1) 被告は、前記3(2)④イないしク認定のとおり、甲突川について、昭和46年に甲突川中小河川改修事業全体計画(本件全体計画)を策定し(同年6月8日に建設大臣の認可。)、さらに種々の調査・検討を経た上、昭和56年度から改修事業に着手し、昭和59年12月には本件全体計画を見直し、計画高水流量1000立方m/秒のうち河道の流下能力を現況の300立方m/秒から700立方m/秒に高め、残りの300立方m/秒について放水路、遊水池等で処理する計画に変更し、昭和60年6月28日、変更計画について建設大臣の認可を得て、改修事業を進めていたものである。
(2) しかるところ、上記計画高水流量及びこれを河道、放水路、遊水池等で配分処理する計画自体は、本件水害時の最大流量が700立方m/秒であったと推定されるところからほぼ合理的なものであったと認めることができるが、被告が実現可能であるとした河道処理能力を700立方m/秒に高める改修については、前記3(2)④ケ認定のとおり、本件水害に至るまで、寄州の除去及び一部区間の堤防のかさ上げ、河床の掘り下げ等が行われたに過ぎず、上記目標達成にはほど遠い実情であった。
(3) しかしながら、甲突川河川改修工事の計画案では、昭和59年2月までは五石橋を存置し、分水路を設置することによって流下能力を高めるものとされたが、これを実現するには、流下物による石橋閉塞や分水路内への土砂堆積等を踏まえた河川管理上の問題、用地補償問題等のあい路が指摘されており、昭和55年3月の「甲突川河川改修計画検討報告書」(乙15の①ないし③)では、その当時既に、武之橋、高麗橋、西田橋の分水路施工工事費だけでも合計140億1600万円という多額の費用を要することが見込まれていた上、その費用に見合う流下能力の向上効果が得られるかどうか疑問なしとしない状況であったところ、昭和59年12月の「甲突川都市河川改修工事計画検討業務委託報告書」(乙36)では、一転して、五石橋を撤去し、河床掘り下げや引き堤により河道の流下能力を700立方m/秒に向上させる計画に変更されたが、五石橋の撤去問題については、その保存論も根強く、本件水害発生までにこれを撤去することに鹿児島県民の十分な理解が得られない状態であったと認められる。
(4) そして、甲突川の河道の流下能力を700立方m/秒に向上させる抜本的改修工事は、本件水害後に、浸水戸数2000戸以上の激甚な災害が発生した場合にのみ適用される、いわゆる激特事業等を俟たなければならず、同事業は平成5年から同11年まで7年間を要し、総事業費は河川復旧助成事業費等を含め約390億円(年平均約55億7000万円)に達したことが認められる。
これに対し、被告鹿児島県の河川改修事業費予算は、別紙8「鹿児島県河川改修事業費」表のとおり、昭和56年以降平成4年まで県全体でも、63億円ないし95億円(年平均約76億円)であったところ、前記(3)のとおり、五石橋の撤去問題について合意が得られない状況の下、甲突川は、戦後、昭和44年まで氾濫を起こすことがなく、比較的氾濫することの少ない河川であるとされ、同じく宅地化が進み、屈曲が多く、氾濫を繰り返していた永田川や、川幅が狭く、度々氾濫を繰り返していた新川などの方が河川改修の緊急性が高く、改修効果も得られるので、限られた河川改修事業予算を、永田川や新川の改修事業により多く配分すべきであるとした被告の判断には、相応の合理性があるといわなければならない。
(5) 上記事実に加え、前記3(2)③認定のとおり、平成5年は、6月以降、記録的な大雨が降り、7月の月別雨量は、観測史上最高の1054.5mm(月別平均雨量の3.5倍)に達し、7月末には続けて台風が来襲し、8月初めにも大量の降雨があり、地盤が飽和状態にあったところに8月5日から本件水害当日の6日にかけて集中豪雨となり、6日の日雨量は、観測史上2位の259mmに達し、甲突川は、その流下能力をはるかに超える700立方m/秒の最大流量に達し、溢水するに至ったものであり、同年のような降雨量を予測することは不可能ではないとしても、通常予想しうる範囲を超えるものであった。
なお、本件水害の拡大に影響を及ぼした要因として、流木等が橋にかかる、いわゆる堰上げ現象や内水の流出があるが、堰上げは、五石橋を存置した場合、これが起こり得ることは既に予測されていたことであり、内水の流出は、甲突川が市街地を流下する都市河川である以上、平成5年当時の技術水準では避けられない事態であった。
(6) さらに、昭和59年12月の「甲突川都市河川改修工事計画検討業務委託報告書」では、計画高水流量1000立方m/秒のうち、河道で処理する700立方m/秒の残り300立方m/秒を、放水路、遊水池等で処理するものとされたが、放水路施設については、昭和55年3月の「甲突川河川改修計画検討報告書」(乙15の①ないし③)で、その工事費(ただし、計画流量450立方m/秒)を合計約586億8304万円と見積もっており、その実現性には予算上の困難が予想された。
また、遊水池の設置については、その用地確保に多大の困難が予想されていた。
(7) 被告は、前記3(2)⑤のとおり、調整池の設置について、昭和48年頃から一定規模の開発については、調整池の設置を行うように指導を行っており、昭和62年からは、その指導をさらに強化している。昭和48年以前に開発された団地等については、調整池の設置の指導は行われていないが、調整池のない団地が本件水害に与えた影響はわずかであったことが認められる。
(8) 以上認定判断したところを総合考慮すると、甲突川の河川改修計画に基づく実施状況は、本件水害当時、極めて不十分なものであったといわざるを得ないが、被告がその本格的改修整備に着手できなかったことについては、財政的、技術的、社会的制約の下、まことにやむを得なかった事情があるというべきである。
よって、被告に河川管理の瑕疵及び管理義務違反があったと認めることはできない。
この認定に反する原告らの主張は採用しない。
第4原告Fの請求の事案の概要
本件は、本件水害当日、裏山の土砂崩れにより自宅に損傷を受けた原告Fが、同土砂崩れは、傾斜地の上にある被告設置にかかるの県立高校のテニスコートの設置・管理に瑕疵があったためであると主張して、被告に対し、国賠法2条1項に基づき損害賠償を求めた事案である。
1 争いのない事実等
(1) 当事者等
① 原告Fは、平成5年8月6日当時、鹿児島市に自宅(以下「原告F宅」という。)を所有し、同所に居住し、保育園を経営していた(原告F)。
② 被告は、鹿児島県立I校(鹿児島市所在、以下「I校」という。)を設置、管理している(乙40)。
③ I校の敷地内には、テニスコートが設置してあり(以下「本件テニスコート」という。)、その南西側は急な傾斜地(以下「本件傾斜地」という。)となっており、平成5年8月6日当時、同傾斜地を下ったところに原告F宅が存在していた(乙41の①、42,48の②、原告F)。
(2) 土砂崩れの発生
平成5年8月6日、本件傾斜地が土砂崩れを起こし(以下「本件土砂崩れ」という。)、原告F宅に土砂が流入した(甲1、2、3の①ないし③、7、8、48の②、原告F)。
2 争点
(1) テニスコートの設置・管理の瑕疵の有無
(2) 原告Fの損害額
3 争点に関する当事者の主張
(1) テニスコートの設置・管理の瑕疵の有無について
(原告Fの主張)
① 本件テニスコートは、従前果樹園だったところを整地したものである。同テニスコートの地盤はシラスであり、シラス土壌は一定量の雨を吸い込むと、排水対策、土砂崩壊対策がとられていない場合、土砂の崩壊を起こすことはよく知られた事実であるから、整地に当たって、排水設備を設置する等の排水対策、土砂崩壊対策をとるべきであったのに、同対策がとられていなかったため、本件土砂崩れが発生したものであり、本件テニスコートの設置・管理に関し瑕疵があった。
② 被告は、本件テニスコートに降った雨は、市道の側溝を通じて流れるから、斜面を崩壊させない、テニスコートは地下に浸透する水が少ないと主張するが、一般にテニスコートは雨水をよく浸透させ、水はけをよくし、コート面が乾きやすくなるようにつくられているはずであり、本件テニスコートもその例外とは思われない。本件土砂崩れは、テニスコートの西側にあるフェンスの間際から西側部分崖幅約10mが崩壊しており、テニスコートやそれに続く斜面に降り、浸透した水による崩壊であることを示しており、斜面地における被告所有地がわずかであったとしても、テニスコートを含む被告所有地に浸透した雨水による土砂崩れであることは否定し得ない。
(被告の主張)
① 本件テニスコート敷地は、もとはI校園芸科実習地として使用されてきたが、その当時、北西から南東に緩やかな下り勾配となっていた。昭和63年3月に園芸科が廃止されたため、実習地としての使用は停止され、その北西側部分にプールを建設することになり、実習地跡の中ほどに土手を設けて上段と下段の土地となるようにし、その上段北西側部分にプールが建設された。そして、同プールの建設と並行して、上段南東側部分及び下段部分を整地し、上段南東側部分に2面の軟式テニスコート、下段に3面の硬式テニスコートを設置した。さらに平成5年6月に下段北西側部分にテニスコート1面を増設し、本件土砂崩れ時の状態となった。
② 本件テニスコートの上段2面と下段4面との間には、約1.12~1.4mの段差があり、本件テニスコートの南西側は傾斜地(本件傾斜地)となっており、その斜面の下の一部に原告F宅がある。本件テニスコートの北東側には市道があるが、同市道は北西側から南東側に向けて下り勾配で傾斜しており、本件テニスコートの敷地との高低差は、本件テニスコート上段側で最大1.53m、下段側で最大4.8mある。
本件テニスコートは、雨水を本件傾斜地側に流出させないため、全体に本件傾斜地とは反対側(市道側)に下り勾配がつけられている。すなわち、上段部分については、プールの南東角付近に比べ、2面のテニスコート間の中央付近が19cm程度、本件傾斜地側のテニスコートの中央付近に比べ前記2面のテニスコート間の中央付近が7cm程度、テニスコートの南東側(本件傾斜地側)に比べ、その北東側(市道側)がそれぞれ低くなっており、上段テニスコートに降った雨は、北東側に位置する市道側に流れていくような勾配となっている。また、下段部分についても、南西側付近から北東側(市道側)へ、北西側から南東側へ傾斜がついており、下段テニスコートに降った雨水は、下段テニスコートの北東側に位置する市道に流れるような勾配になっている。
さらに、上段部分については、その東隅に、市道側への排水溝が設けられており、下段部分については東端の一辺に排水溝が設けられていて、本件テニスコートに降った雨水は、これらの排水溝に流入して市道に排出されるようになっている。
本件テニスコートの本件傾斜地側には、コンクリート製基礎を有するフェンスが設置されており、そのフェンスの外の傾斜地側には珊瑚樹が植えられており、フェンスの下の方はつる状の雑草等が生えていて、容易には本件テニスコート側から本件傾斜地側に雨水が流れていかないような状態であった。
本件テニスコートについては、業者に造成等を発注し、整地の後、砕石砂利を厚さ5~6cm敷いて転圧し、さらにその上に砂と黒土を混合した混合土を5~6センチ敷いて再度転圧し、その上に5mm~1cm程度の表土をかけるという方法で造成された。さらに、その後の管理については、コート使用後にローラーで転圧することを常時行っていたし、月に2、3回程度塩化カルシウムをまいて転圧し、地面を固めていた。
I校の財産管理担当者は、雨が降ったときなどに本件テニスコート付近に設置されていた排水溝を見回り、ゴミなどで詰まっていた場合にはこれを取り除く作業をしていた。
③ 本件土砂崩れは、本件テニスコート自体が崩壊したものではなく、本件傾斜地の一部が崩壊したものである。本件傾斜地は、そのほとんどが被告所有地ではなく、被告所有地に隣接する民有地である。
④ 国賠法2条1項にいう、「営造物の設置または管理に瑕疵があった」場合とは、営造物が通常有すべき安全性を欠いていることをいい、営造物が通常有すべき安全性を欠くか否かの判断は、当該営造物の構造、本来の用法、場所的環境及び利用状況等諸般の事情を総合考慮して具体的、個別的に判断すべきであり、事故発生が予測できない場合には、設置または管理の瑕疵はないと解すべきである。
そして、雨水による土砂崩れは、崩壊した崖の表面を流れる表流水が崖地に浸透して崖地を崩壊させる場合と、他から浸透してきた地下水が崖地を崩壊させる場合とがあると考えられるが、前記②のとおり、本件テニスコートに降った雨水は、本件土砂崩れの生じた本件斜面地側に排出されるのではなく、その反対側にある市道の側溝を通じて排出されることになるから、本件テニスコートから大量の雨水が本件斜面地に表流水として流れ込んで、本件斜面地を崩壊させたとは考えがたい。
また、雨水の地下への浸透という点についても、ローラー転圧による締め固め等によって従前の果樹園の状態や、造成前の地山の状態よりも地下に浸透する量が少ないと考えられるから、本件テニスコートの管理が不十分であることにより地下に浸透した多量の雨水が本件土砂崩れの原因となったということもできない。さらに、本件土砂崩れは、大量の雨が長期間にわたって本件崖地周辺に降ったことが最大の原因であると考えられるところ、このような異常気象を予測することは到底できなかった。
そうすると、本件テニスコートが、本来テニスコートとして通常有すべき安全性を欠いていたとは到底いえず、また、平成5年のような異常気象を予測することは困難であったから、被告に本件テニスコートの設置・管理の瑕疵があったとはいえない。
(2) 原告Fの損害額
(原告Fの主張)
原告Fは、別紙6計算書⑤記載のとおり損害を被った。
第5原告Fの請求に対する当裁判所の判断
1 認定事実
前記争いのない事実等、証拠(甲1、2、3の①ないし③、4、7、8、乙、24、40、41の①ないし⑤、42ないし44、47、48の①、②、証人J、原告F[後記採用しない部分を除く])及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。
(1) 本件テニスコート敷地は、昭和63年3月までI校の園芸科の実習地(果樹園等)として利用されており、およそ北西から南東に縦長の長方形で、北西から南東に緩やかな下り勾配となっていた(乙41の①、③、47、48の①)。
(2) 昭和63年3月に園芸科が廃止されたことから、実習地としての使用を停止し、平成元年3月、プールとテニスコートを設置することになり、実習地を北西側の上段と南東側の下段に分けて整地し、上段の北西側半分にプールを、プールと平行に上段南東側半分に軟式テニスコート2面が設置され、下段部分に硬式テニスコート3面が設置された。
上記テニスコートの造成に当たっては、果樹園等の樹木を撤去し、砕石砂利を5cmから7cm敷き詰めて転圧し、さらにその上に黒土と砂を5対5で混ぜた土を5cmから7cm敷き転圧して仕上げが行われた。雨水の排水のため、本件傾斜地側から反対にある市道側に向けて下り勾配が付くように造成が行われた。また、本件傾斜地側の端にはコンクリート製の基礎を有する防球フェンスが設置された。平成5年6月には、下段北西側部分にテニスコート1面が増設された(乙24,40、41の①ないし⑤、42、47、48の②)
これに反する原告Fの供述は、採用しない。
(3) 本件土砂崩れ当時の本件テニスコート付近の状況は、別紙9「鹿児島県立I校テニスコート位置図」(以下「テニスコート位置図」という。)のとおりである。
本件テニスコートの敷地の面積は、周辺の法面を含めて約5600m2であり、上段2面と下段4面との間には、約1.12~1.4mの段差がある。本件テニスコートの南西側は傾斜地となっており、その斜面の裾部に原告F方があった。
本件テニスコートの北東側には市道があるが、この市道は、北西側から南東側に向けて下り勾配で傾斜しており、本件テニスコートの敷地との高低差は、本件テニスコート上段側で最大1.53m(テニスコート位置図のC地点)、下段側で最大4.8m(同F地点)ある。本件テニスコート上段側と市道との間には、鹿児島市有地がある(乙24、42、43、47、48の②)。
(4) 本件テニスコートは、雨水を本件傾斜地側に流出させないため、全体に本件傾斜地とは反対側(市道側)に下り勾配がつけられている。すなわち、上段部分については、プールの南東角付近に比べ、2面のテニスコート間の中央付近が19cm程度、本件傾斜地側のテニスコートの中央付近に比べ前記2面のテニスコート間の中央付近が7cm程度、テニスコートの南東側(本件傾斜地側)に比べ、その北東側(市道側)がそれぞれ低くなっており、上段テニスコートに降った雨は、北東側に位置する市道側に流れていくような勾配となっている。また、下段部分についても、南西側付近から北東側(市道側)へ、北西側から南東側へ傾斜がついており、下段テニスコートに降った雨水は、下段テニスコートの北東側に位置する市道に流れるような勾配になっている。
さらに、上段テニスコートについては、その東隅に、市有地を横断する排水溝が設けられており、下段テニスコートについては、その東端の一辺に排水溝が設けられていて、本件テニスコートに降った雨水は、これらの排水溝に流入して、市道の側溝に排出されるように設計されている(乙24、41の①ないし⑤、42、43、47)。
(5) 本件テニスコートの利用に当たっては、テニス部員がコート使用後、ローラーで転圧を行っており、月に2、3回程度塩化カルシウムをまいてローラーで転圧を行い、地面を固めていた。
また、I校の財産管理担当者は、雨が降ったときなどに前記排水溝を見回り、ゴミなどで詰まっていた場合には、これを取り除くなどしていた(乙42の③、⑤、47)。
(6) 本件土砂崩れは、テニスコート位置図G地点から南西側にかけて幅約10mにわたり、上記防球フェンスの根元付近から生じており、防球フェンスは本件テニスコート側に傾いていた(甲3の①ないし③、乙24、42、44)。
2 本件テニスコートの設置・管理の瑕疵の有無について
(1) 国賠法2条1項にいう営造物の設置または管理の瑕疵とは、営造物が通常有すべき安全性を欠いていることをいい(最高裁昭和45年8月20日第1小法廷判決・民集24巻9号1268頁参照)、それは、当該営造物の構造、用法、場所的環境及び利用状況等諸般の事情を総合考慮して具体的、個別的に判断すべきである(最高裁昭和53年7月4日第3小法廷判決・民集32巻5号809頁参照)。
(2) そこで、これを本件テニスコートについてみると、前記1(4)認定のとおり、本件テニスコートの敷地については、本件傾斜地とは反対側(市道側)に傾斜がつけられており、さらに本件傾斜地と反対側の上段及び下段のテニスコートの南東隅部分には、それぞれ排水溝が設けられ、本件テニスコートに降った雨は、排水溝を通じて市道側溝へと水が排出されるようになっていること、I校の財産管理担当者は、雨天時には排水溝を見回り、ゴミを取り除く等の管理を行っていたこと、本件テニスコートの造成に当たり、十分に転圧・締め固めを行っている上、通常の使用に当たってもローラーで転圧し、時々塩化カルシウムをまいて締め固めるという管理を行っていたこと等からすると、本件テニスコートの排水対策・土砂崩壊対策が不十分であり、これが通常有すべき安全性を欠いていたとは認められない。
(3) これに対し、原告Fは、本件テニスコート面に降った雨水が本件傾斜地に浸透してきたことによって、本件土砂崩れが生じた旨主張・供述するが、本件全証拠によるも、その事実を認めるに足りない。
(4) よって、本件テニスコートの設置・管理に瑕疵があったとは認められず、原告Fの請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がない。
第6結論
以上のとおり、原告らの請求は、いずれも理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 吉田肇 裁判官 柴田義明 裁判官 三村憲吾)
別紙請求金目録
1 原告A 金 142万5000円
2 原告B 金 90万5000円
3 原告C 金1014万0000円
4 原告D 金 86万1000円
5 原告E 金 977万0854円