鹿児島地方裁判所 昭和26年(行)4号 判決
原告 岩下畩右衛門
被告 鹿児島県農業委員会
一、主 文
被告が昭和二十六年七月二十四日裁決第一四五六号を以て、別紙目録記載の土地に対する鹿屋市農業委員会の農地買収計画不服の原告の訴願を棄却した裁決は、これを取消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
二、事 実
原告訴訟代理人は、「主文と同趣旨」の判決を求め、その請求原因として、「訴外鹿屋市農業委員会は、訴外神田政男の遡及買収の請求に基き自作農創設特別措置法第六条の二、同条の三により、昭和二十六年五月十六日別紙目録記載の土地を訴外岩元徳平、平田太郎共有の同法第三条第一項第二号該当農地なりとして買収計画を定めたので、原告はこれに対し原告に所有権が存在することを理由に同月二十二日同委員会に異議を申立たが翌六月八日これを棄却せられ更に同月十八日被告に訴願したが翌七月二十四日裁決第一四五六号を以つてこれを棄却せられ、その裁決書は翌八月十五日原告へ送達せられた。しかし、被告のなした右裁決には次の二点において違法が存する。すなわち、右土地は元岩元、平田の共有であつたが、原告は昭和十五年中右両名からこれを買受け、岩元の持分については昭和二十一年十二月二十四日、平田の持分については昭和二十二年七月十八日それぞれこれが所有権移転登記を完了したのである。
故に、右土地の所有権は昭和二十年十一月二十三日当時において原告に存したのに、これを岩元、平田の共有なりとして定めた買収計画の違法は、まず、この点において存する。次に、原告は右買受けと同時にこれが引渡しを受けて爾来自作していたのであるが、昭和十九年水稲作から引続き神田政男に賃貸小作せしめ、同年頃から原告において小作料を受領してきた。故に、神田は右土地の所有権が原告に存することを充分了知していたのであるから、これを知りながら敢えてなした遡及買収の請求は信義に反するものというべきであり、これを看過してなした買収計画の違法はこの点においても存する。以上鹿屋市農業委員会の定めた買収計画には違法が存するにもかかわらず、これを適法なりとして容認して原告の訴願を棄却した被告の前示裁決は違法であること当然で、これが取消を求めるため本訴請求に及んだ。」と陳述した。(立証省略)
被告訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁として、「原告主張事実中、鹿屋市農業委員会が神田政男の請求に基き自作農創設特別措置法第六条の二、同条の三により、昭和二十六年五月十六日本件土地を岩元、平田共有の同法第三条第一項第二号該当農地として買収計画を定めたこと、右買収計画に対する異議申立から訴願棄却の裁決書が昭和二十六年八月十五日原告へ送達せられるまでの経過が原告主張のとおりであること、本件土地につきその元の所有者岩元、平田から原告主張の日それぞれ原告名義に所有権移転登記のなされたこと、神田が本件土地を小作していたことは認めるも、その余は全部これを争う。原告が本件土地の所有権を取得したのは、その主張の日ではなく右各登記の日であり、仮に原告主張の日に所有権を取得したとしても、本件買収計画の基準となつた昭和二十年十一月二十三日現在においては未だその旨の登記をなしていなかつたのであるから、当時においては第三者である鹿屋市農業委員会にこれを対抗できる筋合ではなく、従つて同日現在においては岩元、平田の共有であつたというべきところ、同人等のこれが持分は相等しきものとしてこれを含め当時におけるその所有小作地は、岩元において五十五町歩余、平田において七十二町歩余であつたので、前顕各法条により右委員会が定めた本件買収計画が適法且つ正当であることはいうをまたない。又神田政男は昭和二十四年十月八日遡及買収の請求をなしたものであるところ、元来本件土地を昭和十五、六年頃から引続き賃借小作しているものであるが、仮に原告主張の日原告所有権を取得しこれを神田政男が了知していたとしても、原告において前叙のとおり未だその旨の登記をなしていなかつたのであるからこれを神田政男に対抗することのできないものである以上、神田政男において遡及買収の請求をなしたからとてこれが信義に反するなどとはいえないので、前顕各法条により定めた本件買収計画が適法且つ正当であることは明らかである。以上のしだいであるから右買収計画を容認し原告の訴願を棄却した被告の前示裁決にも亦違法の存するはずがないので、原告の本訴請求は棄却を免れない。」
と陳述した。(立証省略)
三、理 由
鹿屋市農業委員会が神田政男の遡及買収の請求に基き自作農創設特別措置法第六条の二、同条の三により、昭和二十六年五月十六日本件土地を岩元、平田共有の同法第三条第一項第二号該当農地なりとして買収計画を定めたこと、右買収計画に対する異議申立から訴願棄却の裁決書が昭和二十六年八月十五日原告へ送達せられるまでの経過が原告主張のとおりであることは、何れも当事者間に争がない。
原告は、まず、本件土地の所有権は昭和二十年十一月二十三日現在において原告に存したのにこれを岩元、平田の共有なりとして定めた買収計画は違法であると主張するので考察するに、証人平田太郎、岩元徳平、徳留亀吉、加治屋喜之助、下清水義盛の各証言、原告本人尋問の結果を綜合すれば、元来本件土地は登記簿上元岩元と平田の先代平田禎の共有名義になつていたが、これは単に名義のみで真実は岩元の単独所有であつたこと、原告(その先代の頃を含み)は岩元から本件土地を明治四十二年頃賃借引続き小作し、その傍ら同地方に存する岩元の所有小作地の管理に従事していたが、昭和十八年十二月頃小作中の本件土地を他の田一反七畝位、山林一反一畝位と共に、代金は本件分につき反当り金六円位で買受け、即時これが引渡しを受けると共に全代金もその頃支払を了したこと、但し、これについては後記の関係からして別段売渡証書は作成されなかつたことこれが登記手続については、原告と岩元の間が前記の関係から非常に懇意な間柄であり、且つまた右土地が平田との共有名義になつていた上に当時未だ両名の各先代の所有名義で殊に平田についてはその相続登記が複雑であつた関係等もあつて、これを未登記のまま放置していたが、岩元関係については昭和二十一年二月二十四日、平田関係については翌二十二年七月十八日ようやくその旨の登記を完了するに至つたことを肯認することができ(もつとも右登記のなされたことについては被告も争わない)、他に右認定を覆すに足る何等の確証も存在しない。
もつとも右買受の日に関し、原告は昭和十五年中と主張するに対し、原告本人は当公廷においては昭和十八年末頃と陳述し、或は他の機会においては昭和十五、六年頃と主張していることが成立に争のない乙第一号証によつて認められ、結局原告本人の陳述は明確を欠きその全体までもが信用できないと疑を生ずるかも知れないが、売渡証書も作成されなかつた本件売買のごとき場合において年経た今日完全な日時の記憶を要求することは、それ自体無理であるといわなければならないから、このことの故を以つて右認定をなすについて何等の妨とならない。
しかれども本件買収計画は昭和二十年十一月二十三日現在の事実に基き定められたものであるところ、鹿屋市農業委員会としては当時において前記のとおり登記簿上の所有者が岩元、平田であり、その後において原告名義に登記手続がなされたため、これを右両者の所有地なりとして買収計画を定めたのであるが、被告はこの点に関し、当時原告において登記を経由していなかつたのであるから、第三者である鹿屋市農業委員会にこれを対抗できる筋合ではないと主張する。元来対等の関係にある私的当事者の私経済的取引関係をその本来の地盤とする民法第百七十七条が、これと異る自作農創設特別措置法に基く農地買収のごとき行政的権力作用に基くものに対し、そのまま適用せられ得ないことは勿論であるが、しかし、これが類推適用されることについて何等の妨がないばかりか、むしろさように解されなければならない。かように解しないならば、自己の取得した権利について未だ登記を経由しない者は、その権利を以つて対等の一私人には対抗し得ないにもかかわらず、かえつてその権利を以つて権力作用の主体たる国家に対してのみ対抗し得るという奇怪な結果に立至るばかりでなく、農地買収は一定の期間内に集団的に多量に行われるものである以上、個々の買収処分にあたり必らず一々の農地所有権の実質的帰属に立入つて調査することを求めるのは殆んど不可能に近く、従つて農地買収の基準日における登記簿記載の資格を信頼して買収処分をなすの外はなく、この場合一々後で真実の所有者に救済を与えることは、行政事務の能率を著しく阻害し、又右救済が農地所有権の移動が自由にされた頃の売買を仮装して買収を免れるという脱法行為に利用される虞が極めて大きく、且つこれが容易になされ得、又現実に数多いことの反面、その阻止に著しく困難なこと、ときには不可能なことさえあることを考えるならば、これによつて生ずる国家の自作農を急速且つ広汎に創設せんと企図した自作農創設特別措置法実施の遂行上の障害は実に甚しい。
従つて、民法第百七十七条の類推適用を否定することによつて、これが国民の権利を厚く保護する点では適切でも、それによつて生ずる前叙行政事務の遅滞その他国家行政遂行上の障害を考えこれと比較、衡量するとき国家の蒙る不利益の方がはるかに大きいことを充分に肯き得るところであり、かような場合私人間において許されているところまで国家の活動を認めること、すなわち民法第百七十七条を類推適用することは、いつこうに差支えないはずであるからである。以上の前提からして、農地買収は、そのなされる基準日における登記簿記載の資格を信頼してこれをなし得ること、すなわちこれによつてなされた農地買収は適法であると解するを相当としなければならない。
さりとて、農地買収にあたつて登記簿の記載のみに頼らずできるだけ真実の所有者を探求しその者を相手として買収処分をするのがよりよいことであり、これが以上の適用上からみても適法であることはもちろんである。してみれば、前叙の経過を以つて定められた本件買収計画において、たとえ買収計画の日である昭和二十六年五月十六日においては既に原告名義に登記がなされていたからとて、そのときに買収基準日に所有者たりしことを鹿屋市農業委員会に対抗できる筋合でもなく、右登記がなされた故にこそ右買収計画が定められたものであるから、右は適法であつて何等の違法は存在しないといわなければならない(なお、右認定によれば、本件土地が登記簿上共有でも岩元の単独所有であるのであるが、登記簿上の資格者に対し及び持分を相等しきものとしてなされた本件買収計画は、これまた以上の理由により適法であるといい得る。)。
次に、本件買収計画が神田政男の遡及買収の請求に基く被告の買収計画を定めるべき旨の指示により定められたものであることは前認定のとおりであるところ、右請求が信義に反するとの原告の主張について判断を加える。前認定のように、原告が(その先代の頃を含み)明治四十二年頃岩元から本件土地を賃借引続き小作中、昭和十八年十二月頃これを買受けたものであるが、証人岩元徳平、徳留亀吉、加治屋喜之助、下清水義盛、神田政男の各証言に原告本人尋問の結果を合せ考えると、原告は右買受後直ちに該土地の地盤の切下工事をなして整地し、以後自作しようと考えていた矢先、当時応召中で留守を守つていた神田政男の妻神田スギが生活の困窮を訴えてこれが貸与方を懇願するので、神田政男が原告の母の兄の孫にあたる関係もあつて深くこれに同情し、前記買受の事情を話すと共に従来の岩元に対する小作料は一石四斗であつたのを特にこれを一石二斗に減額の上貸与することを約し、昭和十九年度水稲作から賃貸小作せしめ、小作料も原告において自ら引続き受領していたこと、従つて神田政男は当然に右の事情を了知して居り、その上原告名義に右売買に基く所有権取得の登記のなされたことを登記後である昭和二十二年九月頃知つたのであるから、以上の事実従つて昭和二十年十一月二十三日現在の所有者は原告であることを充分に知りながら敢えて昭和二十四年十月四日遡及買収の請求をなした事実を肯認するに充分で(右請求の日は被告の自認による)、右認定に反する成立に争のない乙第一号証の記載、神田政男の証言部分、及び証人神田スギ、中村清造の各証言は当裁判所の信用しないところであり、他に右認定を覆すに足る何等の証拠も存在しない。以上の事実関係からみるならば、神田政男のなした遡及買収の請求は、正しく自作農創設特別措置法第六条の二第二号にいう「請求が信義に反する」場合に該当するといわなければならない。この点に関し、被告は、神田は本件土地を昭和十五、六年頃から賃借小作しているのであるから、神田において原告の所有権取得を知りながら遡及買収の請求をなしたとしても、本件買収基準日に未だその旨の登記を経由しておらずこれを以つて神田政男に対抗できるものでない以上、これが信義に反するとはいえないと主張するのであるが、神田政男の賃借の日が原告の所有権取得後である昭和十九年水稲作からであることは前叙認定のとおりであるから、右被告の主張は既にこの点においてその前提を欠き、仮に被告主張のとおりであつたとしても、登記対抗の問題についてはその善意、悪意を問わないにしても右信義に反するか否かについてはその善意、悪意が充分に問題とされて然るべきで、否されなければならないのであるから、右被告の主張を以つてしても右判断を撤回するわけにはいかない。しからば、被告としては前記買収計画を定めるべき旨を鹿屋市農業委員会に指示するに当り、須らく神田政男の遡及買収の請求が信義に反するものと認めて右遡及買収の請求を拒否すべきであつたのに、これを看過してなされたが故に定められた本件買収計画は違法であるといわなければならず、従つてこれを容認して原告の訴願を棄却した被告の前示裁決も亦違法であることは当然である。
しからば右裁決の取消を求める原告の本訴請求は正当であるからこれを認容し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 鹿島重夫 中池利男 生田謙二)
(目録省略)