鹿児島地方裁判所 昭和63年(ワ)167号 判決 1993年4月19日
原告
A1
同
A2
原告ら訴訟代理人弁護士
金井清吉
同
門井節夫
同
加藤文也
同
幸田雅弘
同
八尋光秀
被告
国
代表者法務大臣
後藤田正晴
被告
鹿児島県
代表者知事
土屋佳照
被告国、鹿児島県指定代理人
野崎彌純
外六名
被告鹿児島県指定代理人
竹田紀晟
外五名
主文
一 被告らは各自、原告A1に対し金三五九九万五三六七円、原告A2に対し金三三〇万円及び各金員に対する、被告国は昭和六二年七月三〇日から、被告鹿児島県は昭和六二年七月三一日から、各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告らの被告らに対するその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は被告らの負担とする。
事実
第一 申立
一 請求の趣旨
1 被告らは各自、原告A1に対し金五五四二万二八二四円、原告A2に対し金五五〇万円及び各金員に対する訴状送達の日の翌日から各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告らの請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
3 担保を条件とする仮執行免脱宣言
第二 主張
(請求の原因)
(1) 当事者の地位
一 原告A1は昭和六年三月一〇日生の男子、原告A2は昭和五年六月二七日生で、原告A1の妻である。
二 被告鹿児島県は鹿児島県公安委員会を設置し、鹿児島県警察を管理させ、鹿児島県下の警察官の行う捜査等の公権力の行使について責任を負う立場に、被告国は検察官の行う捜査・訴追及び裁判所の裁判等の公権力の行使について責任を負う立場にあり、各公権力の行使につき、国家賠償法(「国賠法」)一条一項の責任の帰属主体である。
(2) 殺人事件の発生
三 昭和四四年一月一八日正午ころ、鹿児島県鹿屋市<番地略>農業B1方において、B1(当時三八年)(「B1」)及びB2(当時三九年)(「B2」)夫婦が右自宅六畳の間で殺害されているのが発見された(「B夫婦殺害事件」あるいは「本件」)。鹿屋警察署は、鹿児島県警察本部の応援を求めて、高隈町上別府公民館にB夫婦殺害事件特別捜査本部(「特捜本部」)を設置して、捜査にあたった。
(3) 原告A1の別件についての関わりの概略
四 特捜本部の捜査官は、昭和四四年四月九日鹿屋簡易裁判所裁判官に準詐欺、詐欺、鉄砲刀剣類所持等取締法(「銃刀法」)違反の被疑事実(「第一次逮捕事実」)で原告A1の逮捕状を請求して発布を受け、神奈川県足柄上郡山北町の建設工事現場に出稼ぎ中の原告A1を同月一二日午前一〇時五分同県松田町所在の松田警察署において逮捕し(「第一次逮捕」)、翌一三日鹿屋警察署に引致し、鹿児島地方検察庁鹿屋支部検察官は同月一五日第一次逮捕事実につき勾留状の発布を受けて鹿屋警察署留置場に勾留した(「第一次勾留」)。
五 原告A1は、同月二四日準詐欺・詐欺・銃刀法違反の罪で鹿児島地方裁判所鹿屋支部に起訴(「別件起訴」)され、同月一六日詐欺・銃刀法違反の罪で追起訴(「別件追起訴」)され、併合審理の上、同年七月四日懲役一年執行猶予三年の判決を受けた。
(4) 原告A1のB夫婦殺害事件についての関わりの概略
六 原告A1は、昭和四四年七月四日の別件判決宣告の直後、鹿屋警察署において、B2殺害の容疑で逮捕(「第二次逮捕」)、同月七日から鹿児島警察署留置場に勾留(「第二次勾留」)され、同月二五日B夫婦殺害の罪で起訴された。原告A1は同年八月二六日鹿児島刑務所に移監された。
七 鹿児島地方裁判所(「原一審裁判所」)は、昭和五一年三月二二日、B夫婦殺害事件につき原告A1を有罪と認め懲役一二年の判決をし(「原一審判決」)、福岡高等裁判所宮崎支部(「原控訴審裁判所」)は、昭和五五年三月四日、原告A1の控訴を棄却する判決(「原控訴審判決」)をした。最高裁判所第一小法廷は、昭和五七年一月二八日、原控訴審判決を破棄し、事件を福岡高等裁判所に差し戻す旨の判決をし(「上告審判決」)、差戻後の控訴審である福岡高等裁判所(「差戻後の控訴審裁判所」)は、昭和六一年四月二八日、原一審判決を破棄し、原告A1を無罪とする判決をした(「差戻後の控訴審判決」)。検察官は差戻後の控訴審判決に対する上告を断念し、同判決は同年五月一三日確定した。
八 最高裁判所第一小法廷は、上告審係属中の昭和五五年一二月二七日原告A1の保釈を許可し、原告A1は同年一二月五日釈放された。
(5) 誤った捜査、起訴、判決の概要、違法性の判断
九1 捜査機関は、何ら具体的証拠もないのに、特捜本部設置後旬日を経ずして、原告A1を容疑者の重要な一人として位置づけ、別件逮捕のための余罪を明らかにすべく聞込みを行っていたものである。その結果、原告A1を第一次逮捕勾留事実で逮捕勾留し、その実、B夫婦殺害事件を中心に原告A1を朝から夜遅くまで連日取調べ、原告A1が精神的・肉体的疲労とそれからくる発熱により、正常な判断能力を欠く状態で自白調書を作成し、鹿児島地方検察庁検察官は、右自白調書をもとにB夫婦殺害の罪で起訴したものである。原一審裁判所及び原控訴審裁判所は、自白調書の証拠能力、信用性、補強証拠の有無・信用性について充分な検討をせずに安易にこれを認め、誤った結論を導いたものである。
2 国賠法上違法であるとの評価は、全訴訟を事後的にみて、当該逮捕、勾留、起訴が結局客観的には正当性を有しない(国家は無罪たるべき者に対し、逮捕、勾留、起訴、有罪判決をする権利を有しない。)ことを意味するから、被告人が無罪とされ、その判決が確定したからには、国賠法上は、無罪となった者を逮捕、勾留、起訴し、有罪判決をした行為は、いずれも違法であると解するのが相当である。
のみならず、原告ら主張の捜査機関及び裁判機関の各行為には、判断の要素が含まれる職務行為であることを考慮して、個別にその違法性の有無を検討するとしても、原告ら主張の捜査機関及び裁判機関の各行為には、以下のとおり、国賠法一条一項の違法事由が存する。
(6) 捜査機関の違法行為
一〇 捜査機関の注意義務
捜査機関は、犯罪を捜査するにあたっては、憲法及び関係法令を遵守し、被疑者の人権保障に充分な配慮をし、違法な強制捜査・取調べ等は厳しく避けるべき注意義務を負担している。特に、逮捕・勾留は、被疑者の身体を強制力をもって拘束するものであるから、その要件を潜脱することがあってはならず、取調べは、任意取調べにあっては強制にわたってはならないし、強制捜査であっても当然限度があり、被疑者の精神的・身体的状況等健康状態にも充分配慮すべきであり、いやしくも被疑者の健康状態の悪化を放置したり、被疑者の健康状態の悪化や長期間の身体的拘束を利用して不利益供述の強要にわたるようなことは厳につつしまなければならない注意義務を負担している。
また、捜査に際しては、科学的捜査に心掛け、現場の状況等も詳細に記録し、採取された証拠物等はこれを紛失しないことはもとより、変質・形状の変化の生じないようにその性質を充分調査して厳重に保管しなければならず、いやしくも人為的に証拠物等に手を加えたり、紛失したりなどして後の裁判官の判断を誤らせるようなことを決して行ってはならない。
一一 第一次逮捕勾留の違法
1① 特捜本部は、設置と同時に捜査活動を展開し、現場の実況見分を行い、指紋・血痕・毛髪・足跡・車轍痕等を採取し、現場から衣類・時計その他証拠物を領置したうえ、被害者の親族・知人・死体発見関係者等を取調べ、広く地域一帯にわたり聞込みを行い、犯人と証拠の捜査を行ったが、被害者B2の陰部からB1及びB2以外の人物のものと思われる陰毛一本が採取されたものの、② 犯人を特定するには足らず、③ 凶器も発見できなかった。④ その後、第一次逮捕に至るまでの間、特捜本部は捜査を継続したが、⑤犯行現場から原告A1の遺留指紋・血痕・足跡等も発見されず、当時、原告A1が使用していた軽四輪貨物自動車(「原告A1車」)からも血痕等は発見されず、⑥ B1方から原告A1方近くまでの再三の捜索によっても凶器、血痕付着の衣類等の証拠物は発見されず、⑦原告A1と犯行を結びつける客観的証拠は何ひとつ発見されなかった。また、⑧ B1宅の木戸口付近から採取された車轍痕の一つが、原告A1車のタイヤ痕と一致する旨の報告があったものの、⑨ その車轍痕が犯行日に印象されたものと断定できず、⑩ B2の陰部から採取された陰毛も原告A1のものとは断定できない状態であり、原告A1が犯人であると疑うに足りる客観的証拠はなかった。
2 しかるに、① 特捜本部は、原告A1が当時地域で流布していた噂を捜査官に伝えたことをもって、ことさら嫌疑を第三者にむけようとする不審な言動とみ、② 出産の迫った妻をおいて昭和四四年二月一三日に神奈川県の建設現場に出稼ぎに行ったことや、③ 犯行日とされる同年一月一五日の午後八時過ぎころB1方近くで知人と別れて以後約二時間の行動が不明であるとして、③ 捜査の早い段階から原告A1を犯人であると軽々に決めつけ、見込み捜査を開始した。
④ この特捜本部の判断は、B1の死体に着用されていた腕時計の鑑定結果から、犯行時刻は一月一五日午後一一時四五分ころと判断される状況にあり、他方原告A1には午後一〇時以後のアリバイが認められることを無視したものであった。
3① 特捜本部は、客観的証拠に基づかないで原告A1を犯人と断定したため、捜査はゆきづまり、ついに自白を得るため原告A1を別件逮捕勾留して取調べる以外に方法はないと判断し、極めて軽微な ② 第一次逮捕事実を立件し、③ 逃亡のおそれも、罪証隠滅のおそれもないのに、ことさら、④第一次逮捕勾留に踏み切った。
4 そのうえで、特捜本部は、第一次逮捕勾留を利用し、鹿屋警察署に引致の日からB夫婦殺害事件の取調べを開始し、同年四月二四日の別件起訴前からB夫婦殺害事件を主とする取調べを行い、別件起訴後同年五月一〇日ころまではほとんどB夫婦殺害事件の取調べにあて、同月中旬以降は専らB夫婦殺害事件の取調べを行った。その取調べは、連続的で、長時間、時には畳に座らせ片手錠をかけたまま取調べる等「任意の取調べ」とは到底みられないものであった。
5 このような第一次逮捕勾留中の取調べは、いまだ逮捕状及び勾留状の請求をなしうる資料のそろっていない重大事件である本件を取調べて自白を得る目的で、全く関連性のない軽微な事犯である別件について、その必要性もないのに逮捕状及び勾留状の発布を得て執行し、その逮捕勾留期間を利用し、本件で逮捕勾留して取調べるのと同様の取調べを、しかも捜査において許容される逮捕勾留期間を実質的に大きく潜脱して取調べを実施し、自白を追及したものであり、任意捜査の限度を越えて違法であることはもとより、憲法及び刑事訴訟法の保障する令状主義を実質的に潜脱するものであって違法である。
6 そして、第一次逮捕勾留に始まる保釈までの身柄拘束は、一連のものであるから、その起点における第一次逮捕勾留の違法性が認められれば、その余の違法原因について判断するまでもなく、本件請求は認容されるべきである。
一二 第二次逮捕勾留の違法
1 特捜本部は、第一次逮捕勾留中に得られた原告A1の自白をもとに、昭和四四年七月四日鹿屋簡易裁判所裁判官からB2殺害容疑の逮捕状の発布を受け、同日別件の判決宣告の直後逮捕(「第二次逮捕」)し、鹿児島地方検察庁検察官は同月六日鹿児島地方裁判所裁判官から勾留状の発布を受け、同月七日から勾留(「第二次勾留」)を執行し、結局原告A1は昭和五五年一二月五日保釈されるまで身柄を拘束された。
2 原告A1の自白調書は、違法な別件逮捕によって得られた自白であるから、その証拠能力は否定されるべきであり、かつ他にB2殺害容疑の第二次逮捕勾留事実を裏付ける資料は皆無であったにもかかわらず、捜査機関は資料たりえない自白調書を敢えて資料として用いることにより、原告A1の身柄を違法に拘束した。よって、第二次逮捕勾留は違法である。
一三 取調べの違法
1 自白強要の違法
原告A1は、第一次逮捕により鹿屋警察署に引致された昭和四四年四月一三日から本件の取調べを受け、① そのころから同年七月二五日本件で起訴されるまで三か月以上にわたり、その間四日位を除いて、毎日平均して朝八時ころから夜一〇時ころまで長時間、継続的な取調べがなされ、「一月一五日」夜の行動を中心として、「嘘を言うな」と怒鳴られるなど厳しく取調べられ、② そのなかで四月一杯は朝から時には夜一二時ころまでも警察署長官舎で畳の上に座らされて、五月に入ってからは、二、三日ずつ間をおいて一〇日位警察官宿舎で同様に畳の上に座らされて、いずれも片手錠を施し、腰紐を警察官が握り強制的に取調べが続けられ、③ 数人の警察官に取り囲まれた状態で怒鳴られるなどのおどしや、利益誘導を用いた違法な追及がなされ、④ 五月中旬以降肉体的精神的に疲労困憊し、心臓病、低血圧等で不眠症となり、微熱が続き、それが六月以降不眠、発熱はひどくなり、足にむくみもでてくる状態であったが、取調官はこれらのことを知りながら敢えて無視して依然として厳しい取調べを続けた。
このような取調べは、自白強要のための取調であって、違法である。
2 任意捜査の範囲を超えた本件取調べ
特捜本部は、第一次逮捕勾留を利用して本件の取調べを長期間連続的に、長時間行い、しかも勾留場所外で片手錠を施したまま行われたことを含むものであること、原告A1は六月ころから相当に重い肉体的、精神的疲労状態をあらわしてきており、このことは取調官に自明であったのに、厳しい取調べを続けた。このような本件取調べは明らかに任意捜査の限度を超えた違法なものであった。原告A1が本件取調べを拒絶する態度に出なかったのは、第一次逮捕勾留事実以外の、しかもそれと全く関連性のない本件について、その取調べを受忍する義務のないことを知らなかったためである。
3 証拠収集の違法
さらに、特捜本部は、第一次逮捕勾留中、本件の証拠を収集しようとして、第一次逮捕に際し、原告A1方から本件に係る衣類等を捜索し、四月一三日には原告A1から陰毛二三本を採取している。これらの証拠の収集は、別件の被疑事実とは全く関係なく、本件の証拠とするために行われたものであり、これについて特捜本部は原告A1及びA2に対し、右証拠の収集が任意捜査であることについて十分な説明をしておらず、原告A1及びA2が拒否できないものと誤解しているのを奇貨として、任意提出として取扱ったものであり、右証拠の収集も任意捜査の限度を超えた違法なものである。
一四 警察官の証拠捏造等
特捜本部は、原告A1をB夫婦殺害事件の犯人として立件送致するため、次の意図的な証拠の捏造等を行っている。
1 B3の供述調書の改竄
特捜本部は、当初B夫婦殺害事件の犯行日時を昭和四四年一月一六日午後八時ころから一七日午前八時ころまでの間と考えていた。その最大の根拠となったのは、被害者B1の継母B3の供述である。即ち、B3は死体発見日である同年一月一八日に警察官から事情聴取を受け、B1の実家であるB4宅で、B3がB1に直接会って話をしたことについて供述している。B3は、当初調書をとられた時点では、B1と会ったのは「一昨日ですから、一月一六日になる訳です。」とのべ、そのとおり同年一月一八日付司法警察員に対する供述調書が作成されていた。ところが、原一審裁判所に提出されたB3の同調書では、「一昨々日ですから、一月一五日になる訳です。」と『々』の一字が加入され、「一月一『六』日」の記載が「一月一『五』日」と訂正され、訂正印を押したものに変えられている。右訂正は、犯行日を一月一五日とし、原告A1のアリバイ立証困難を見越して、原告A1を有罪とするため意図的に変更改竄したものである。
2 凶器についてのいずれかの鑑定書の意図的作成
特捜本部は、B夫婦殺害事件の凶器と目した「馬鍬の刃」により「被害者の成傷可能」とするC1作成の昭和四四年七月一四日付鑑定書とC2作成の同年八月二三日付鑑定書を得ている。しかし、右二つの鑑定書は、内容、文章まで全く同一であり、どちらかが他の鑑定書を引き写したものであることは疑う余地がない。特捜本部は、原告A1を犯人にしたてるために、いずれかの鑑定書を意図的に作成したものである。
3 被害者B1の腕時計に関する鑑定書の意図的作成
被害者B1着用の腕時計に関する鹿児島県警察本部C2の鑑定書は昭和四四年二月一四日に提出され、それによると停止時刻は一月一五日午後一一時四五分ころとなっている。右鑑定結果によると、犯行は一月一五日午後一一時四五分ころとなり、午後一〇時以降は自宅に帰っている原告A1に、アリバイが成立することになる。
ところが、特捜本部は、右C2鑑定を無視して捜査を継続し、原告A1が犯行を自白した七月二日から二日過ぎた七月四日に、腕時計の再鑑定を依頼している。鑑定人C3は、県警本部鑑識室で僅か三時間位で鑑定を済ませ、何ら科学的根拠もないままに特捜本部の意を体して「停止時刻は一月一五日午後八時二〇分ころから午後一二時ころまで」とする鑑定意見を提出している。即ち、特捜本部としては、原告A1の犯行とするため、犯行時刻を原告A1のアリバイのはっきりしない「一月一五日午後九時ころ」とする必要があって、鑑定人C3をして、特捜本部の設定した犯行時間帯と矛盾しない鑑定書を意図的に作成させたものである。
4 陰毛に対する作為
特捜本部は、原告A1を別件逮捕により鹿屋警察署に引致した際、原告A1から陰毛二三本を採取し、鑑定に付している。県警本部鑑識課技官C4の鑑定によると、B2の死体の陰部から採取した陰毛(「甲の毛」)と原告A1から採取した陰毛とは実質上異なるとの鑑定結果であった。特捜本部は、科学警察研究所(「科警研」)技官C5に再鑑定を依頼し、甲の毛と原告A1から採取した陰毛とは同一であるとの鑑定結果を得ている。特捜本部は、原告A1を犯人とする物的証拠を作出するため、鑑定資料を科警研へ送る段階で、原告A1から採取した陰毛と「甲の毛」をすりかえたものである。仮に、故意にすりかえたものでないにしても、原告A1から採取した陰毛二三本のうち五本が紛失しており、紛失した五本のうち一本が「甲の毛」として取扱われたために、C5鑑定において「甲の毛と原告A1から採取した陰毛とは同一である」との当然の鑑定結果となったものである。警察官に証拠物の保管管理者として負担する善良なる管理者の注意義務を怠った過失が明らかである。
(7) 検察官の違法行為
一五 身柄拘束についての違法
1 検察官の注意義務
検察官は、公益の代表者であるから、被疑者・被告人の正当な利益をも擁護する職責を有する。したがって、検察官が、身柄の送致を受けた事件について、被疑者の身柄拘束を継続すべきかを判断するにあたり、勾留の理由と必要性を充分に検討するのは勿論として、捜査の責任者として、警察の捜査過程において身柄拘束を利用した不当な取調べが行われるなど被疑者の権利が侵害され、身柄拘束の継続が被疑者の利益擁護と権利保障の観点からして不当な結果となっていないか、捜査記録を精査し、警察の捜査の適正を吟味する注意義務を負担する。また、既に勾留した被疑者についても、身柄拘束を利用した不当な捜査によりその権利利益が侵害され、身柄拘束の継続が不当となるおそれがある場合には、被疑者の保釈を含め、不当な捜査の影響を排除するなど、被疑者の権利を擁護するとともに、捜査の適正を確保するため適切な措置を講ずべき義務を負担する。
2 第一次勾留請求の違法及び第一次勾留を継続した違法
① 鹿児島地方検察庁鹿屋支部検察官は、別件詐欺罪等の逮捕事実につき、原告A1の身柄送致を受け、昭和四四年四月一五日鹿屋簡易裁判所に勾留請求をし、勾留決定がされている。右勾留請求の被疑事実は、a 原告A1が昭和三八年九月から四三年三月までの間に近隣の商店から背広、タイヤ、トランジスターラジオ各一台を「掛け」で買ったものを代金不払いということで、ことさら三つの詐欺罪を構成したものと、b 昭和四二年一月ころの空気銃の不法所持というものである。
② しかし、右勾留請求の被疑事実それ自体が犯罪として成立するかどうか疑わしいものであるだけでなく、勾留の必要性もなく、右勾留請求は違法である。さらに、別件詐欺罪等を理由とする検察官の勾留請求は、その実、「専ら」本件の取調べのための請求であって、違法である。
③ 鹿屋支部検察官は、勾留の理由と必要性の検討を怠り、その後の不当な捜査の道を拓いた。更に、同検察官は別件起訴の審理に立会い、別件起訴後の勾留の必要性が消滅していることを知っており、しかも、その身柄拘束を利用して本件について長期間の捜査が行われていることを知りながら、訴訟の促進に努めたり、原告A1の釈放への努力をするなど不当な捜査の影響を排除すべき注意義務を怠り、不当な捜査を助長した。
3 第二次勾留請求の違法
① 特捜本部は昭和四四年七月四日原告A1をB2殺害の容疑で逮捕し、事件の送致を受けた鹿児島地方検察庁検察官は同月六日勾留請求をし、翌七日勾留状の発布を受けて執行し、さらに四月一四日勾留延長請求をし、同月二五日までの勾留延長の決定を得ている。
② 右勾留請求は、原告A1の自白調書を主な資料としてなされたものであり、右自白調書を除外した資料だけでは、原告A1がB2殺害の罪を犯したと疑うに足りる合理的な理由の存しないことが明らかであった。しかし、右自白調書は、前記のとおり、違法な別件逮捕勾留及び実質的に令状主義を潜脱し、任意捜査の限度を超えた過酷な自白強要の違法な取調べにより得られたものであって、証拠能力はなく、検察官はその事実を知りながら、これを資料として勾留請求をしたものであり、また、右勾留請求は実質的に逮捕勾留の繰返しであって許されず、右勾留請求及びその後の身柄拘束は違法である。検察官は、特捜本部との連携及び別件起訴の審理状況の調査を通じ、右事実を充分知りながら、不当な捜査を助長し、不当な目的を達した。
③ そして、検察官の公訴提起の国賠法上の違法性判断の基準につき、その純粋思惟作用性等の故に、違法または不当な目的の存在若しくは著しい経験則・論理則違反の事実誤認の場合に限って違法となるとの考え方に一定の理由があるにしても、勾留請求は純粋思惟作用ではなく、事実行為である権力発動行為そのものないしそれに準ずる行為であるから、勾留請求自体が違法であることは、即ち、国賠法上も違法であると解すべきである。
一六 公訴提起の違法
検察官は、公訴を提起するにあたっては、被疑事実について捜査を遂げ、収集した証拠を総合的に評価し、客観的にみて有罪判決を得る合理的根拠の存することが必要である。本件の場合、検察官において、公訴提起時までに収集した証拠を正しく評価すれば、原告A1に対し有罪判決を得る合理的根拠はなく、公訴提起を控えるべきであった。しかるに、鹿児島地方検察庁検察官は、次のとおり、収集した証拠の評価を誤り、経験則・論理則上到底合理的に理解し難い心証形成をなし、その結果違法な公訴提起をしたものである。
1 自白調書の証拠能力についての評価の誤り
自白調書は違法収集証拠であり且つ自白の任意性を欠き明らかに証拠能力を否定すべき場合であるのに、検察官は安易にこれを肯定し、これを有力な根拠として公訴を提起したものである。即ち、右自白調書は、前記のとおり、違法な別件逮捕勾留及び実質的に令状主義を潜脱し任意捜査の限度を超えた過酷な自白強要の違法な取調べにより得られたものであって、証拠能力はなく且つ自白の任意性もないのに、検察官は安易にこれを肯定し、これを有力な根拠として公訴を提起したものであり、公訴提起は違法である。
2 自白調書の証拠価値についての評価の誤り
本件において、原告A1とB夫婦殺害事件とを結びつける直接証拠は自白調書のみであり、原告A1を真犯人と断定できるかは自白の信用性いかんにかかっていたのであるから、検察官は公訴を提起するかの判断にあたり、自白調書の信用性いかんを慎重に吟味、検討すべきであった。そうすれば、自白にいわゆる「秘密の暴露」にあたるものが見当らず、自白がその内容に照らして高度の信用性を有するものとはいえないことが容易に明らかになったはずである。さらに、① 自白に客観的裏付けがないこと、② 自白と客観的状況とに矛盾があること、③ 証拠上明らかな事実について説明がないこと、④ 自白内容に不自然・不合理な点が多いこと、⑤ 自白は現場での指示説明を欠き不完全なものであること、⑥ 自白の裏付けとされた客観的証拠の証拠価値に疑問があること等経験則・論理則に従って判断すると合理的な疑いを容れる余地が多々存することを容易に知り得たのに、検察官は十分な吟味・検討を怠り、自白調書の証拠価値を過大に評価し、公訴を提起したものであって、公訴提起は違法である。即ち、
① 自白に客観的裏付けがないこと
原告A1の自白には、次のように、真実であれば当然その裏付けが得られて然るべき事実について客観的証拠により裏付けを欠いており、しかも裏付けがないことについて合理的な説明がなされていない。即ち、a 自白によると、本件は全く偶発的な犯行であり、一時間以上も現場に滞留し、茶碗、包丁に触れたというのに、現場遺留指紋の中に原告A1の指紋が一つも発見されていない、b 自白によると、被害者らの血液及びB1から包丁で斬りつけられた際の原告A1の血液が、原告A1の一連の行動を通じ、原告A1の身辺・着衣に全く付着しないというのは常識上ありえないのに、原告A1の身近から人血の付着した衣類等が一切発見されていない、c 自白によると、兇器たる「馬鍬の刃」は容易に発見し得るはずであるのに、発見されていない、d 自白によると、得られてしかるべき血痕付着のちり紙、B2の布団等への手形様の付着血痕、梅干し及びその種、包丁への原告A1の付着血痕等の裏付けが見出だされていない。
② 自白と客観的状況とに矛盾があること
原告A1の自白は、次のように、証拠によって認められる客観的状況と矛盾している。即ち、a 現場に見られる茶碗等の状況は「B2とお茶を飲んだ」という自白と、b B2の左眉毛外端部の創傷の程度は「最初からB2を殺そうとして殴った」旨の自白と、c B1の衣服の位置・状態及び着衣の状況は、原告A1が「B2と関係しようとした時に、B1が突然帰ってきてB2及び原告A1を追及して暴力を振るった」旨の自白と、d B2の下着の位置・状態及び着衣の状況は、「B1が帰ってきた際、B2は若干の時間の後にB1を迎えるために表の間から出ていった」旨の自白と、e B1の傷の大きさ・深さは、「B2はB1の原告A1に対する包丁による侵害行為を制御するためにB1の頭を殴った」旨の自白と、f B2の左右手背に打撲の痕跡及び左第四指に骨折が存することは、「B2を表の間に連れていき、突然いきなり殴り倒して首をしめたところ、ばたつかなくなった」旨の自白と、それぞれ、いずれも明らかに矛盾している。
③ 証拠上明らかな事実について説明がないこと
原告A1の自白には、次のように、真犯人であれば容易に説明することができ、また言及するのが当然と思われるような証拠上明らかな事実についての説明が欠落している。a A型の血痕が北側納戸内鏡台中央部分抽出の取手に、囲炉裏の間側障子前畳に、同障子の南側障子の桟の東側部分の敷居の上方0.85メートルの位置に、炊事場出入口雨戸に、カマドと戸袋間に置いてあった薪に、それぞれ付着している。これらのA型付着血痕は、いずれもB2の傷口から流出した血液が犯人を介して付着したものと考えられ、このことは犯行直後の犯人の一定の動きを推測させるのに、自白には右の点についての説明がない。b B2の死体は、その着衣が臀部付近までまくり上げられ、下半身を露出するという異常な状態で発見されているが、このことは同女が昏倒した後犯人によって何らかの作為を加えられたことを端的に示していると思われるのに、自白にはこの点について説明が一切欠落している。c B1の着衣の状況は、B1が帰宅後上着やズボンを自ら脱いだことを示しており、犯人はこれを現認しているはずであるのに、自白にはこの点につき何らの説明がない。しかも、右の諸点について、特捜本部でも原告A1を追及してその説明を求めたはずと思われるのに、説明が欠落していることにつき首肯すべき事情が明らかにされていない。
④ 自白内容に不自然・不合理な点が多いこと
原告A1の自白には、次のように、重要な事項につき、不自然・不合理で常識上にわかに首肯し難い点や変遷を繰り返したり、凶行の核心につき体験的供述を欠いて曖昧なまま終始している点が数多くある。a 自白によると、原告A1は、犯行当夜の午後八時半ころ、B1の自宅においてその妻B2から誘われるまま情交を遂げようとし、犯行の発端になったというのである。他面、自白によると、事前にB2から、B1が不在中とはいえその帰宅が容易に予測されることを聞かされていたというのであり、不自然である。b 自白によると、原告A1は、B2との情交が露見してB1から刃物で切りつけられた際、B2がB1の頭部を馬鍬の刃で殴打したためようやく窮地を脱することができたというのに、その後引続いてB1を追回して乱打しているB2を放置したまま単身隣室へ移動し、事件の進展をいたずらに拱手傍観していたことになるが、自白にいう原告A1の行動は、夫婦間の重大な闘争の発端を作出した者の行動としてあまりに不自然である。c 自白によると、B2がB1を殴るに至った事情として、原告A1がB1に包丁で追いつめられているとき、B2が「やめてくれ」と止めに入り、それが聞入れられず「いきなり手に持っていたものでB1の頭を後ろから殴った」というものである。この状況は、B2はB1の原告A1に対する加害行為を止めさせようとしてB1を殴ったとみるべきである。他方、自白によると、B2が使用した兇器は馬鍬の刃であり、逃げまどうB1の後頭部ばかりを一〇回前後強打し、即時、死に瀕させたというのであり、不自然である。d 自白によると、B1の首を絞めた動機について、B2から「B1が生返らないようにしてくれ」と言われ、自分でも「B2と共犯にされることをおそれたからである」としている。しかし、物事のはずみでB1を殴打したはずのB2が何故に原告A1にB1の首を絞めて完全に殺すように頼むのか不自然である。また、B2の殴打を隣室で拱手傍観していたとされる原告A1が、B2の求めに応じて、流血夥しいB1の首を絞めたというのは飛躍がありすぎるし、さらに、この一連の経過の中で原告A1がB2を殺害するに至ったというのは、不自然・不合理である。e 以上の他、自白には、B1方への一月一五日の立ち寄りの有無、B2の着衣の状況、B2との同衾の有無、B1帰宅の際の状況、B2を殺害した場所等の重大な事項につき、多くの変遷があるほか、犯行の核心について、特にB1・B2らの悲鳴や同人らから流出・飛散した血液の流出・飛散の状況等についての体験的供述が全く存せず曖昧な供述に終始している。
⑤ 自白は現場での指示説明を欠き不完全なものであること
a 自白は、B1と原告A1が争った状況、B1から原告A1が包丁で右手首を切りつけられた状況、原告A1がB1を殴った状況、B2が包丁を片づけた状況、原告A1がB2を殴った状況、原告A1がB2の首を絞めた状況、原告A1がB2らに布団をかけた状況、部屋の明るさ、原告A1が帰る状況その他重要な事実につき一切の現場説明を欠き不十分・不完全なものである。b 検察官は、自白の信用性を厳格に検討するために、原告A1を現場に連行し、犯行状況全般についての指示説明を詳細に求めるべきであった。しかるに、検察官は、これをせず、その結果不自然・不完全な自白を信用性ありと速断した誤りを犯したものである。
⑥ 自白の裏付けとされた客観的証拠の評価の誤り
検察官は、公訴提起までに、自白を裏付ける客観的証拠として、(一)B2の死体の陰部から採取されたという陰毛三本のうち一本(「甲の毛」)及びこれが原告A1に由来するとするC5鑑定書、(二)B1方前私道上から採取された車轍痕の一部が、原告A1が当時使用した原告A1車のそれと紋様及び磨耗の形状が符合する旨のC6鑑定書を保持していた。検察官の冒頭陳述によると、右二つの客観的証拠が原告A1の自白の信用性を肯定する大きな論拠とされている。
しかし、これらの証拠価値については、疑問が存した。即ち、
(一) 陰毛及びその鑑定について
a 毛髪の形状等は同一人の同一部位から採取されたものであっても、それぞれ微妙な異なりが認められるから、毛髪検査だけで指紋と同じように個人識別を行うことは困難であり、誤りである。したがって、C5鑑定書を過大に評価することはそもそも誤りである。b いわゆる「甲の毛」と原告A1から採取した陰毛とを対比したC4鑑識技官の鑑定によると、毛髪の形状、色調、髄質の形状、毛根側の色調及び形状等は良く類似し同一性を認めるが、毛髪の捻転屈曲において甲の毛は著しく、原告A1の陰毛は少ないと鑑定されていて、右二者の差異が指摘されていた。c C4鑑定において鑑定の対象とされた「甲の毛」と、「甲の毛」としてC5鑑定人に届けられ、同人の鑑定に付されたものとでは、捻転屈曲、濃さ、荒さ、色調、毛先部の形状、毛表皮の亀裂等に明らかな相違が認められ、その同一性に疑問を持つべきであった。d 証拠保管の責任を負うべきC4技官は、原告A1から採取した二三本の陰毛のうち五本を紛失していたのであるから、検察官においてC5鑑定の信用性を吟味するに際しては、捜査官によって「甲の毛」と原告A1から採取した陰毛で紛失したとされている一本とがすりかえられて「甲の毛」としてC5鑑定に付されたとの疑いを持つべきであったのにこれを看過した。
いずれにしても、「甲の毛」と原告A1から採取した陰毛とが同一であるとは認められず、C5鑑定にも多くの疑問が存したのであるから、検察官は、この証拠価値について厳格に検討すべきであったのにこれを怠り、安易にC5鑑定を過大に評価した誤りがあったことは明白である。
(二) 車轍痕及びその鑑定について
車轍痕は犯行日とされた「一月一五日」に印象されたとするには証拠上多くの疑問が存し、仮に車轍痕が原告A1車のそれと一致したとしても、それは「一月一七日」に赴いた際に印象されたものと考えるのが相当であった。即ち、a 車轍痕が採取されたのは、犯行日とされる日から三日ないし四日を経過した一月一八日及び一九日であるところ、一月一六日及び一八日の夜間には、降雨があったのであるから、降雨量のいかんによっては、仮に一月一五日に印象されたにしても車轍痕がその紋様の対象可能な状態で後日採取できなくなることが容易に推測できたはずである。このことは一月一六日朝にB1方に乗入れたDの車のタイヤ痕が発見採取されていないことからも明らかである。b 原告A1の供述調書によると、一月一五日に車を停止させた位置については、そのほとんどが県道から木戸口へ三間位入ったところとのべているが、原告A1車のものと一致するという問題の車轍痕が採取された位置は、県道から相当入った木戸のすぐ手前左側で、供述調書でのべている位置とは著しく異なった場所である。検察官が車轍痕についてのC6鑑定を信用できるとして、これを公訴提起の有力な証拠としたのは、一月一五日の車の停止位置についての原告A1の供述を排斥したことを意味する。検察官は原告A1の自白を一方で信用し、他方で何故排斥するのかつきつめた検討が要請された。d更には、原告A1は捜査段階から一貫して一月一三日及び一七日に同車でB1方へ赴いた事実を供述しているのであって、このような事情からすれば、車轍痕は「一月一七日」に赴いた際に印象されたものと推認するのが相当である。
しかるに、検察官は、右の諸点についての充分な検討を怠り、右車轍痕をもって「一月一五日」夜に原告A1車によって印象されたものと速断した誤りを犯したものである。
3 原告A1のアリバイ主張を排斥したことの誤り
検察官は、本件の犯行日時を「昭和四四年一月一五日午後八時ころから午後九時ころまでの間」と判断し、原告A1のアリバイが存在しないとして公訴提起をしている。
しかし、犯行日が一月一五日なのか、それとも一月一六日等他の日なのかについて、検察官は充分な裏付け捜査を欠いたまま一月一五日午後九時ころと速断した誤りを犯している。また、犯行時刻は、B1の腕時計の停止状況及びB1の残存アルコール量等からみて、一月一五日午後一一時以降というべきであり、少なくとも原告A1には一月一五日午後一〇時ころ以降帰宅していたことが明らかにされているので、アリバイが認められるのである。
しかるに、検察官は、犯行日時の判断を誤り、原告A1のアリバイの成立を排斥した誤りを犯したものである。
(8) 裁判所の違法行為
一七 裁判所の判断の違法
1 裁判所の注意義務
裁判所は、刑事裁判をするにあたり、刑事司法における原理・原則をよく理解し、決して無実の者を処罰することのないようにしなければならない。即ち、裁判所は具体的事件において一切の先入観念を排し、終始公正な態度で公判にのぞみ、刑事司法作用の適正を確保・回復すべく違法収集証拠を排除するほか、自白の任意性・信用性や証拠物の証拠価値を厳格に吟味し、安易に被告人のアリバイ主張を排除しないなど、刑事裁判における訴訟手続及び事実認定上の原理・原則を踏まえ、合理的な疑いを容れない程度まで有罪の証明がなされているかにつき、被告人及び弁護人の正当な主張を考慮し、更に自らは法律適用及び事実認定の専門家として、慎重に審理を遂げて判断し、もって手続の適法性及び有罪の証明について合理的な疑いを客観的に払拭できないものに対し、万が一にも刑罰を科することのないように判決すべき高度の注意義務を負担する。
2 原一審裁判所の重過失
① 第一次逮捕勾留の違法性を看過し、自白の証拠能力を誤って肯定した重過失
(一) 原一審裁判所は、a 別件の捜査ないし公判段階における原告A1に対する第一次逮捕勾留は、その手続が適法で、実体的な理由や必要性もあってなされたもので違法ではない、b 第一次逮捕勾留中における本件犯罪事実に関する取調べ及びその供述調書の作成は、原告A1に対する容疑が深まっている状況にあったので、任意捜査の限度内にあったとして許容できる、c 本件犯罪事実に基づく逮捕勾留は蒸返しではない、として、第一次逮捕勾留は適法であり、これに起因して得られた自白に証拠能力を認めると判断した。
(二) しかし、右判断は、明らかに事実を誤認し且つ評価を誤ったものである。前記のとおり、第一次逮捕勾留が違法性を帯び、これに基づいて得られた自白は違法収集証拠として証拠能力を欠くものであることは明らかである。しかるに、原一審裁判所は、右各点につき合理的疑いすらもたず自白の証拠能力を積極的に肯定したものであり、重大な過失がある。
② 自白の任意性を誤って肯定した重過失
(一) 原一審裁判所は、自白の任意性について、第一次逮捕勾留中の原告A1に対し、健康状態がすぐれない状態のもとで、長時間にわたり、犯行を否認しているのにかかわらず、原告A1の犯行であると決めつけるがごとき厳しく妥当を欠く取調がなされたのではないかとの疑いはあるとしながらも、それは拷問、脅迫、誘導にわたるものではなく、自白に任意性があると判断した。
(二) しかし、右判断は、明らかに事実を誤認し且つ評価を誤ったものである。前記のとおり、原告A1に対する長期にわたる違法な別件逮捕勾留及び違法な本件逮捕勾留下での取調べは、捜査官の拷問、強制、誘導、誤導によりなされ、あるいは原告A1の病気・疲労困憊中になされたものであって、自白は任意性を欠くことは明らかである。しかるに、原一審裁判所は、右各点につき、根拠なくこれを看過し、自白の任意性を敢えて肯定したものであり、重大な過失がある。
③ 自白の信用性を誤って肯定した重過失
(一) 原一審裁判所は、自白の信用性について、自白中「犯行の直前ころB2と同衾中B1が帰宅した」との供述部分は信用し難いほか、兇器が発見されないことなどの問題点もあるが、犯行の日時・順序・方法・態様などについての供述部分は、a 客観的事実とよく符号する、b 実際に経験したものでなければ供述することのできないような具体的内容をもち詳細である、c 重要な点で一貫していて二転三転するような供述の変遷がない、d 動機形成の説明には説得力がある、e 真撃な態度で自白した、として、自白の信用性を認めると判断した。
(二) しかし、右判断は、明らかに事実を誤認し且つ評価を誤ったものである。前記のとおり、a 自白に客観的裏付けがないこと、b 自白と客観的状況とに矛盾があること、c 証拠上明らかな事実について説明がないこと、d 自白内容に不自然・不合理な点が多いこと、e 自白は現場での指示説明を欠き不完全なものであること、f 自白の裏付けとされた客観的証拠の証拠価値に疑問があること、g 精神的・肉体的両面からの拷問に相当する長期間・長時間・多数回にわたり、あるいはその際片手錠をかけるなどの過酷な身体拘束下での取調べ及びこれによる原告A1の病気、疲労困憊に乗じ、不当な方法や異常な場所を用いて得られたものであること、h いわゆる「秘密の暴露」にあたるものがないことなどから、自白は信用性を欠くことが明らかである。しかるに、原一審裁判所は、右各点につき、根拠なくこれを看過し、自白の信用性を敢えて肯定したのもであり、重大な過失がある。
(三) 更に、a 原一審裁判所は、原告A1のB2との同衾にかかる供述部分の信用性を否定し、逆に犯行直前ころB2と同衾しようとした相手はB1であるとしながらも、これに続く自白の信用性を肯定した。b しかし、これは、著しい採証法則・経験則違反である。第1点 本件にあっては、犯行直前ころ「B2と同衾しようとした」旨の供述部分は、犯行の発端となる特異な事実である。右事実は、自白全体を通じてその基調をなし、その有無は自白の同一性を左右するものであり、犯行にかかる供述部分は右発端となる事実の存否に大きく依存しているものである。したがって、同衾にかかる供述の信用性の欠如及びこれと異なる事実が認定されるということは、自白全体の信用性の欠如及び犯行にかかる供述部分の信用性の欠如を当然に導くものである。第2点 客観的証拠とされる陰毛及びその鑑定は、原一審裁判所の事実認定を前提とすれば、犯行の証拠となり得ない。原告A1のB2との同衾の事実を前提として始めて、「甲の毛」及びこれが原告A1に由来するとするC5鑑定書が自白の裏付けとなり、これに続く自白の全体としての信用性を高めることになるからである。原一審裁判所のように、原告A1のB2との同衾にかかる供述部分の信用性を否定し、B2と同衾しようとした相手はB1であるとするからには、「甲の毛」及びC5鑑定書はこれに続く自白全体の信用性を裏付けるものとなり得ないはずである。この点、原一審裁判所は、「甲の毛」及びC5鑑定書を証拠としたうえで、「原告A1がB1方へ立寄ったところ、折しもB夫婦が六畳間に床をとって就寝しようとしているところであり、日頃から心中ひそかにB2の異性関係を疑わないでもなかったB1において、ここにその場の雰囲気から、B2が先に原告A1と通じたのではないかとの疑いを深め、B2や原告A1に種々詰め寄ることになり、原告A1はやがて次第に激昂したB1から手で数回殴打され、更に野菜包丁で切りかかられた」旨、犯行に至る経緯を認定している。これらの認定は何らの証拠をともなわないものであるが、仮にこの認定を前提とした場合「甲の毛」及びC5鑑定書は証拠となり得ないし、これに続く自白全体の信用性を肯定しうる他の証拠はなにもない。
④ 客観的証拠及びその他の情況証拠の価値判断を誤った重過失
本件においては、原一審裁判所は、第1 陰毛及びその鑑定、第2 原告A1の右手首外傷瘢痕、第3 車轍痕、第4 不審な言動及びアリバイ主張を否定する証言等についての価値判断を誤った重過失がある。
第1 陰毛及びその鑑定について
(一) 原一審裁判所は、「甲の毛」につき、捜査官により適正に保管されていたか疑いがあり、「甲の毛」と原告A1から採取した陰毛とがすれかわるおそれがなかったとはいいきれないとしながらも、「甲の毛」と同裁判所が取調べのうえ押収した毛三本のうち最も長い毛(「甲の毛」)とが長さ・髄質・光沢・その他の形状等よりして同一の毛であると認めることができるとし、更に「甲の毛」は原告A1に由来するものとして、「甲の毛」及びその鑑定は、自白を裏付ける補強証拠であり、原告A1の犯行を証明する証拠価値を有すると判示した。
(二) しかし、右判断は事実を誤認し且つ評価を誤ったものである。即ち、ア a 「甲の毛」と「甲の毛」は、捻転屈曲・濃さ・荒さ・長さ・色調・毛先部の形状・毛表皮の亀裂等に明らかな相違が認められ同一性を否定せざるを得ない、b 証拠保管の責任を負うべき捜査官は、その手中において原告A1から採取した二三本の陰毛のうちの五本について紛失したとして公判廷に提出できなかった、c 捜査官は、後日右紛失した五本を発見したとして裁判所に提出したが、真実は人の頭毛であった、d 捜査官は右紛失したことについての首肯しうる説明はもちろん、頭毛五本を紛失した陰毛五本であるとして提出するに至った経緯につき何ら合理的な理由を示していない。したがって、「甲の毛」は「甲の毛」との同一性を肯定できないことはもちろん、捜査官によって「甲の毛」と原告A1から採取した陰毛一本とがすりかえられて「甲の毛」とされた疑いが大きい。イ 毛髪の形状等は、同一人の同一部位から採取されたものであっても、それぞれ微妙に異なっており、形状等の類似性から由来の同一性を断定することは不可能である。したがって、毛髪検査だけで、指紋と同じように個人識別を行うことは困難であり、誤りである。更に、原一審裁判所は、毛表皮の亀裂が「甲の毛」と原告A1から採取した陰毛と類似するとしているが、毛表皮の亀裂はその発生原因が後天的で物理的外力によるものと推測される以上に特定し得ないものであって、これが個人の特性に依拠するものとはされておらず、これもまた由来の同一性を裏付けるものではなく、個人識別の指標とするための合理性を欠くものである。ウ 原一審裁判所は、B2と同衾しようとした相手はB1であって、原告A1ではないと認定しており、このような認定のもとでは、陰毛及びその鑑定は関連性を欠き有罪の証拠となり得ない。
第2 原告A1の右手首の外傷瘢痕について
(一) 原一審裁判所は、原告A1の右手首の外傷瘢痕(「右前腕伸側手関節拇指寄り三分の一の部位」にある「上下方向に長さ五糎の極めて細い線状の外傷瘢痕」)は、「昭和四三年八月三〇日ころ単車を運転していて道路脇の土手下に転げ落ちた際竹の切株で受傷した」旨の原告A1の弁解を排斥し、「右瘢痕は、犯行に至る際B1から包丁で切りかかられ犯行に発展していったとする自白とあいまって、原告A1が犯人であることを裏付ける情況証拠であると評価できる」と判示した。
(二) しかし、右手首の外傷瘢痕は、昭和四三年八月末ころ、原告A1が単車で走行中道路脇の土手下まで転落し竹の切株で負傷し、入院治療を受けたことが客観的に明らかであるが、その際に負傷したもの、少なくとも犯行日に負傷したものとするには明らかに疑問が残るものである。
第3 車轍痕について
(一) 原一審裁判所は、何らの疑問を呈することなく、B1方前路上で発見された車轍痕が「一月一五日」夜原告A1車により印象されたものと認め、「車轍痕は同日B1方を訪れたとする自白を裏付ける補強証拠となる」と判示した。
(二) しかし、車轍痕が採取されたのは一月一八日及び一月一九日であるところ、一月一六日及び一月一八日の各夜間には降雨のあった事実があるのであり、降雨量のいかんによっては、仮に一月一五日に印象されたにしても、車轍痕がその紋様の対照可能な状態で後日採取できなくなることが容易に推認でき、更に原告A1は捜査段階以来一貫して一月一三日及び一月一七日にB1方へ赴いた事実を供述しているのであって、車轍痕は一月一七日に赴いた際に印象されたものと推認するのが相当であるし、少なくとも一月一五日に印象されたものとするには明らかに疑問が残るものである。
第4 不審な言動及びアリバイ主張を否定する証言等について
(一) 原一審裁判所は、原告A1の不審な言動及びアリバイの不成立がどの程度において自白を補強し、犯行を証明する証拠価値を有するものと判断したのかについて、明らかに判示していない。
(二) しかし、不審な言動及びアリバイ主張を否定する証言等は、少なからず有罪心証に影響を与えたのではないかと推察できるが、これらは、そもそも証拠価値が低くあるいは有罪の証拠となり得ないものである。
⑤ 原告A1のアリバイ主張を誤って排斥した重過失
(一) 原一審裁判所は、原告A1のアリバイの主張は、「一月一七日午後五時ころから午後八時までの行動」を、犯行日とされる「一月一五日夜の行動」にすりかえたものであり、採用できないとして排斥した。
(二) しかし、原一審裁判所は、犯行時刻の特定とアリバイの成否を相関的に考慮すべきことを看過し、犯行時刻の特定にかかる事実を誤認し、その評価を誤ったものである。即ち、犯行時刻は、午後一一時四五分ころである。少なくても午後一〇時ころ以前と断定できないものである。原告A1は、一月一五日午後一〇時ころには既に帰宅していたことが、明らかに認められる。原告A1にアリバイが成立したことが明らかである。少なくとも、犯行時刻が午後一〇時ころ以前と断定できなければアリバイの主張を排斥できないところ、犯行時刻を午後一〇時ころ以前と断定することは不可能である。
3 原控訴審裁判所の重過失
① 原控訴審裁判所は、原一審判決中犯行に至る経過に関する事実認定を誤りであるとし、この点について公訴事実に副う事実を認定すべきであるとしたほかは、原告A1がB1、B2両名を順次殺害したとする基本的事実関係に誤りはないとして、原告らの控訴を棄却した。
② 原控訴審裁判所は、上級裁判所として原一審判決の誤りを是正すべき義務に反し、幾多の疑問を何ら解明することなく、尽くすべき審理を尽さず、前記原一審裁判所と同一の過ちを犯し、更には原一審裁判所が示した犯行に至る経過に関する合理的疑問をすら考慮することなく、原告A1を有罪にした重大な過失がある。
(9) 原告A1の損害、原告A2に対する取調べの違法と損害
一八 原告A1の損害
1 休業損害
① 原告A1は、尋常小学校高等科を卒業し、第一次逮捕された昭和四四年四月一二日当時、三八歳の壮健な男子であり、農業のかたわら、トラック運転手や土木作業員として稼働していた。原告A1は昭和四四年四月一二日から昭和五五年一二月五日までの期間身柄拘束を受けた。
② 原告A1は、本件冤罪により身柄拘束を受けなければ、右の期間稼働し、相当額の収入を得られたものである。そこで、賃金センサスに基づき各年度の全労働者平均の月額給与額及び賞与の合計額を算定し、さらに身柄拘束が一年に満たない年については日割計算によって、身柄拘束期間中の得べかりし利益を算出し、その合計額をもって休業損害とするのが相当である。
右によると、原告A1の休業損害の合計額は、別紙休業損害計算書一のとおり二五八四万六三五五円となる。
2 逸失利益
原告A1は、第一次逮捕以前は健康な体であり、慢性疾患などなかった。しかるに、昭和四四年四月一二日に身柄を拘束され、七月二五日にB夫婦殺害事件により起訴されるまでの間、過酷な取調べを受け、五月中旬以降低血圧を患い、六月以降は不眠、発熱状態が続き、足にむくみが出てくる状態に至った。更に、殺人罪で起訴された以降は、無実の罪で「殺人」の汚名をきせられたことに対する苦痛も加わり、ついに心臓障害(心臓脚気)及び低血圧の後遺症を患ったが、右障害は身柄拘束期間中治癒しなかった。そのため、原告A1には、現在もなお、低血圧症、心臓左心室肥大症及び冠不全症により、重度の心臓機能障害(昭和五八年から身体障害者等級三級)の後遺症が残った。原告A1の右身体障害は、違法な別件逮捕勾留によって生じたものであり、原告A1は今後とも右身体障害のため働けないことは明らかである。よって、年収三五二万三五〇〇円(別紙休業損害計算書一記載の賃金センサスによる昭和五五年度の全労働者平均の月額給与額及び賞与の合計額)、労働能力喪失率七九パーセント、昭和五五年一二月時点のホフマン係数12.603として、逸失利益を算出するのが相当である。
右によると、原告A1の逸失利益は、三五〇八万一二六九円となる。
3 慰謝料
原告A1は、国家権力により、殺人の汚名を着せられ被疑者及び被告人とされたことにより、全く人生を狂わされてしまった。原告A1は、逮捕された当時三〇代後半の働き盛りであったのに、保釈された時には五〇代になっており、無罪が確定した時には五〇代後半になってしまっていた。この間の歳月は、どのような償いを受けても取返しがつかない。身柄を拘束されている間、家族との交流もできず、夫として、また父親としての、責任を果たすこともできなかった。特に、逮捕された当時、長男は生まれて間もなくであり、保釈された時には既に小学生になっていた。自分の手で一度も赤子を抱き上げることもできず、子供の成長にとって最も需要な幼少年期に父親らしいことはなにひとつできず、上級学校に行かせることもできなかった。しかも、後遺症により働くこともできない。原告A1の被った精神的損害は、到底これを金銭に見積もることはできないが、敢えて金銭に見積もると、少なくとも二〇〇〇万円を下らない。
4 損害の填補
原告A1は、昭和六一年一〇月一六日、刑事補償法に基づく刑事補償金として三〇五〇万四八〇〇円の支給を受けた。
5 弁護士費用
原告A1は、本件訴訟追行を原告訴訟代理人五名に委任し、その報酬として被害額の約一割に相当する五〇〇万円の支払を約し、損害を被った。
6 原告A1の損害額合計
よって、原告A1の被った未填補の損害額は、五五四二万二八二四円となる。
一九 原告A2に対する取調べの違法と損害
1 原告A2に対する取調べの違法
参考人に対する取調べはもとより任意捜査に限られる。しかるに、原告A2への取調べは自宅から約五キロも離れた野方駐在所に警察の車で連行されて行われた。したがって、車で送られるまで歩いて帰ることもできず事実上取調べを強制されたものであった。しかも、産後まもない原告A2は四月一二日から四月中ほとんど毎日長時間継続的取調べを受けた。右取調べは事実上強制にわたるものであって、任意捜査の限界を越えて違法である。
2 慰謝料
原告A2は、原告A1が逮捕された当時、生まれて間もない長男を含め五人もの小さな子供を抱えていた。原告A2自身、原告A1が逮捕されてからは、四月中毎日のように取調べを受けた。その取調べの時は生まれて間もない長男を伴っていったが、その長男が泣くと、取調官から「泣かせるな」といってどなられることもしばしばであった。また、原告A2が取調べを受けに行くとき、幼い四女は泣きながら母親の乗った車を追いかけてきたりし、筆舌に尽くし得ない悲しみ、無念さを味わった。原告A2は、任意捜査の限界を越えた原告A2自身に対する過酷な取調べと原告A1の自白をきっかけとして、心臓弁膜症を患い、現在もその時壊した体の治療のため、通院を続けている。更に、原告A2は、原告A1の無罪が確定するまでの間、「殺人者の妻」として世間から有形・無形の非難に晒される中で、それに耐えながら夫の無実を信じ、原告A1が無罪となるよう様々な努力をするとともに、五人の子供を育ててきた。この間、あらゆる楽しみというものと無縁であった。子供は「殺人者の子」としていじめにあったりしている。原告A1夫婦の子供達が、いずれも中学を卒業すると生まれ故郷を離れているのは、事件の場所での生活がいかに辛いものであるかを如実に物語っている。その間に、原告A2が被った苦難は、身柄を拘束されている原告A1の苦痛と全く変わらない。原告A2の被った精神的損害は、到底これを金銭に見積もることはできないが、敢えて金銭に見積もると、少なくとも五〇〇万円を下らない。
右慰謝料は、原告A2自身への右違法な取調べ及び原告A1への違法行為を原因とするものである。また、慰謝料額は原告A2自身への不法行為の成否にかかわらず少なくとも五〇〇万円を下らない。
3 弁護士費用
原告A2は、本件訴訟追行を原告訴訟代理人五名に委任し、その報酬として被害額の約一割に相当する五〇万円の支払を約し、損害を被った。
4 原告A2の損害額合計
原告A2の被った損害の合計額は五五〇万円となる。
二〇 結び
よって、被告ら各自に対し、国賠法一条一項(原告A2につき更に民法七一一条)に基づき、原告A1は五五四二万二八二四円、原告A2は五五〇万円及び各金員に対する訴状送達の日の翌日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
(請求の原因の認否)
一 請求の原因一ないし八の事実は認める。
二 同九の事実は否認する。
三1 同一一1の①③④⑥⑧の事実は認め、②⑤⑦⑨⑩の事実は否認する。
2 同一一2の②③の事実は認め、①④の事実は否認する。
3 同一一3の②④の事実は認め、①③の事実は否認する。
4 同一一4、5の事実は否認する。
四 同一二1の事実は認め、2の事実は否認する。
五 同一三の事実中特捜本部が原告A1を取調べたこと及び特捜本部が原告A1から陰毛二三本を採取したことは認め、その余の事実は否認する。
六 同一四1の事実中特捜本部がB3を取調べて供述調書を作成したこと、2の事実中馬鍬の刃に関しC1・C2の二人が鑑定書を作成したこと、3の事実中腕時計に関しC2・C3の二人が鑑定書を作成したこと、4の事実中原告A1から陰毛二三本を採取したこと及び陰毛に関しC4・C5の二人が鑑定書を作成したことは認める。
同一四のその余の事実は否認する。
七 同一五の事実中、2①及び3①の事実は認め、2②及び3②は否認する。
八 同一六の事実中検察官が原告A1を本件につき公訴提起したことは認め、その余の事実は否認する。
九 同一七の事実中、2①②③⑤の各(一)、③(三)a、④第一ないし第四の各(一)及び3①の各事実は認め、同一七のその余の事実は否認する。
一〇 同一八の事実中1①及び4の事実は認め、同一八のその余の事実は否認する。
一一 同一九の事実原告A2が原告A1の妻であり、A1との間に五人の子供をもうけたことは認め、その余の事実は否認する。
(公権力の行使の違法性に関する被告らの主張)
一二 公権力の行使の違法性の判断基準一般
刑事事件において無罪の判決が確定したというだけで、あるいは、検察官の訴訟上の権利の行使に訴訟上の救済方法によって是正されるべき瑕疵が存在したとしても、直ちに起訴前の逮捕・勾留・公訴の提起等の捜査・訴追機関の訴訟上の権利の行使が違法となるものではない。
そもそも、検察官の訴訟上の権利の行使に関しては、検察官がその付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認め得るような特段の事情がある場合ないし検察官の訴訟上の権利の行使がその目的、範囲を著しく逸脱するとき又は甚だしく不当であるときなど訴訟上の権利の濫用にあたる特段の事情のある場合に限って国賠法一条一項の違法を招来するに過ぎないからである。
加えて、逮捕・勾留自体は、その時点において犯罪の嫌疑について相当な理由があり、かつ、必要性が認められるかぎりは適法である。公訴の提起は、検察官が裁判所に対して犯罪の成否、刑罰権の存否につき審判を求める意思表示にほかならないのであるから、公訴提起時における検察官の心証は、その性質上判決時における裁判官の心証と異なり、公訴提起時に検察官が収集した証拠を総合勘案して合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑があれば足り、そのような証拠に基づく公訴の提起は適法であるからである。
一三 勾留請求及び公訴提起の権限行使と違法事由の不存在
第一次・第二次各勾留請求の検察官は、その付与された権限に基づき各勾留請求をしたものであって、身柄拘束は適法であり、本件につき原告A1を起訴した検察官は、捜査段階において収集された証拠の証拠能力を否定すべき理由はなく、殊に原告A1の自白に任意性・信用性に欠けるところはなく、補強証拠も充分であると判断し、これら収集した証拠を総合すると有罪と認められる嫌疑があると判断し、その付与された権限に基づき公訴を提起したものである。検察官の行った、これら捜査及び公訴提起の権限の行使が、その付与された権限の趣旨に背いたことも、その目的、範囲を逸脱したり又は不当であることもない。
したがって、第一次・第二次各勾留請求及び公訴提起毎に、その判断の当否を問うまでもなく、そこに、国賠法一条一項の違法事由は存しない。
一四 第一次逮捕勾留の違法性判断基準と違法事由の不存在
① 第一次逮捕勾留が、「違法な別件逮捕勾留」に該当するかの判断にあたっては、B夫婦殺害事件の捜査当時以降の判断基準ないし視点をもってするのは適切ではなく、その当時実務に理解されていた基準をもって判断されるべきである。それによると、別件逮捕勾留が違法となるのは、専ら、いまだ証拠のそろっていない「本件」について被疑者を取調べる目的で、証拠のそろっている「別件」の逮捕勾留に名を藉り、その身柄の拘束を利用し、本件について逮捕勾留して取調べるのと同様の効果を得ることをねらいとする場合に限られ、別件の逮捕勾留の理由と必要性が肯定されれば、任意の余罪の取調べは許される、というべきである。
② 特捜本部は、B夫婦殺害事件の捜査過程において、原告A1に第一次逮捕勾留事実となった詐欺二件、準詐欺一件、銃刀法違反一件の容疑があることを探知するに至り、その後右被疑事実について、被害届、被害者及び参考人の供述調書等の疎明資料が得られた段階で、原告A1の逮捕について検討した結果、犯罪の個数、被害額、犯行の態様、同種余罪の見込み等から、原告A1を逮捕し身柄を拘束した上で、これら一連の事件の捜査を遂げて全容を把握し、完全な捜査をする必要があった。
原告A1は、妻の出産を控えた時期に敢えて神奈川県下に出稼ぎに行き、更に他の出稼先に移るとの情報もあり、逃走又は所在不明となる虞れがあった。また、原告A1は粗暴な性格で住民に恐れられており、被害者ら関係者を威圧するなどして罪証隠滅を図る虞れがあったものである。また、逮捕後は、犯意について、支払の意思があった旨弁解し、詐欺の意思を否認していた。したがって、第一次逮捕勾留事実について、逮捕勾留の理由と必要性があったものである。
③ 確かに、原告A1は、当時B夫婦殺害事件の重要容疑者でもあり、捜査機関としては、第一次逮捕勾留事実の捜査とともにB夫婦殺害容疑についても、任意捜査の範囲で原告A1の取調べをする意図があったことも事実であるが、第一次逮捕勾留事実の捜査をせずに、「専ら」B夫婦殺害容疑の取調べに充てる目的で原告A1を逮捕勾留したものではない。現に、捜査機関は第一次逮捕勾留期間中にその被疑事実について鋭意捜査を遂げて起訴し、その後も同種余罪の捜査を遂げ、銃刀法違反一件、詐欺一件を追起訴している。
更に、第一次逮捕勾留期間中の原告A1に対するB夫婦殺害容疑の捜査は、捜査対象者が複数存在する段階であったので、早期解決のためにも、原告A1の容疑の有無を早急に明らかにするために、「余罪捜査」の一環として、任意に陰毛の提出を受けての鑑定、ポリグラフ検査及び任意の供述を求め、また詐欺等事件の起訴後は、起訴後の勾留期間を利用して任意の供述を求めるなど、「任意捜査」の範囲内で、その捜査を行ったものであり、第一次逮捕勾留は決してB夫婦殺害事件の捜査を「専ら」その目的とするものではない。よって、第一次逮捕勾留はいずれも適法であり、何らの違法事由も存在しない。
一五 第二次逮捕勾留請求の違法事由の不存在
B1方の木戸口から採取された「車轍痕二個が原告A1車のタイヤ痕の紋様及び磨耗の形状と符合する」旨の鑑定書が昭和四四年四月二五日に提出されていた。当時、「犯行日時は一月一五日午後八時ころから一二時ころまでの間」と推定されていたところ、原告A1は同年五月二日の取調べにおいて「一月一五日夜八時ころB1方に立寄り」「その時原告A1車を木戸口まで乗り入れた」と供述していた。同年四月二一日には、犯人しか知りえない裁決質問事項について「特異反応を示す」ポリグラフ検査結果も出ていた。さらに、一月一五日午後八時過ぎころから一〇時三〇分ころまでの間のアリバイが不明であったところ、原告A1は同年七月三日までに「B2殺害を自白」した。原告A1の自白内容は、犯行に至る経緯、犯行の動機、犯行時刻、兇器を含む犯行の態様、右手首瘢痕の防御創の由来を含む犯行状況を任意に供述したものである。したがって、原告A1には、B2殺害の罪を犯したと疑うに足りる相当の理由があった。そして、自白にかかる兇器は発見されておらず、犯行の目撃者も判明していなかったので、罪証隠滅の虞れがあり、重い刑責を恐れての逃走又は自殺の虞れもあった。よって、捜査官の行った原告A1に対する第二次逮捕勾留及び勾留請求はいずれも適法であり、何らの違法事由も存在しない。
そして、適法な身柄拘束期間中の任意捜査により収集した自白調書が証拠能力を有することも、明らかである。
一六 検察官の行った本件公訴提起の判断の合理性
検察官が、自白と補強証拠の各証拠価値を積極的に肯定し、その他の収集した証拠をも総合勘案し、原告A1には有罪と認められる嫌疑があると判断したのは、次のとおり合理的であって、そこに違法を招来する不合理性は存在しない。
1 自白の信用性について
① 自白には秘密の暴露がある。
a 鹿児島大学教授C1の解剖所見により、B1の後頭部及びB2の頭部の座裂創の創傷は「多少角稜を有する鈍器ないし鈍体」によって打撲されたものと推定されていた。兇器そのものは、犯行現場から郡境付近までの山林等を捜索したが、発見されず特定しえない状況にあったところ、原告A1は昭和四四年七月二日に至り、「B2の頚部をタオルで絞めて殺害した」「B2絞殺に至る過程でB2が夫婦喧嘩の末B1の後頭部を馬鍬の子で殴って殺した」旨「B2殺害」の犯行を自白し、B1の創傷に関する兇器について初めて供述し、「馬鍬」「馬鍬の子」と図示し、「馬鍬の子は長さ約三〇センチ、根元の方の幅一センチ先の方の幅三ミリ位の矩形型のものである」旨具体的に供述した。特捜本部はB1の実父B4から「まんがのこ(農耕用金具)一本」の任意提出を受けて領置し、これが「B1夫婦殺害の成傷器となり得る」とのC1の鑑定結果を得た。
b 更に、原告A1は昭和四四年七月二日の自白の中で「帰宅したB1からB2との関係を疑われて囲炉裏付近で押問答となり、B1から殴られたうえ炊事場から持ち出してきた包丁で切りかかられ、右手でこれを避けようとして右手首に傷を受けた」旨供述し、以後捜査段階を通じ一貫してこれを認めていた。右手首の受傷状況に関する翌七月三日の取調べにおいて、原告A1は「医者にもかかっていない」「悪いことをしたので妻にも話していない」「傷痕は残っている」と供述し、右手首を挟んで長さ1.8センチメートル、1.2センチメートルの傷痕が認められた。右傷痕は「極めて浅い切創痕」で「受傷後の経過日数は判然としない」が、原告A1が交通事故により受傷したという「顔面左眉毛、外端上方に存する小指頭大の陳旧なる外傷瘢痕よりも新しい」とのC1の鑑定結果を得た。
c 右のとおり、兇器及び右手首の外傷瘢痕に関する事実は原告A1の自白により初めてわかったものであり、秘密の暴露にあたる。
② 自白には客観的証拠による裏付けを欠くとの指摘について
(一) 現場遺留指紋の中から原告A1の指紋が一つも発見されていない点について
原告A1はB1方に一時間以上滞留し、その間炊事場の戸、薪、包丁、布団、障子の戸及びタオルに手指で触れたものと思われるが、たとえ右各場所から原告A1の遺留指紋が検出されなかったとしても、その各場所がいずれも指紋を印象し難い材料であることを考えると、指紋が検出されないことはむしろ当然である。
(二) 原告A1の身近から人血の付着した着衣等が一切発見されていない点について
犯行時の原告A1の着衣は特定されていない上、犯行現場の血痕の飛沫状況、B1夫婦の着衣の血痕の付着状況、B1夫婦の傷の部位、症状と出血の状況、自白による原告A1の犯行時の行動を総合すると、原告A1の自白にあるような方法でB1夫婦を殺害した際に、原告A1の身体に血液が付着しなかったとしても不自然ではなく、また、原告A1は着衣を処分した可能性もあり、原告A1の身辺から血液の付着した着衣等が発見されなかったことは、自白の信用性を減殺するものではない。
(三) 自白に基づく捜査によっても兇器が発見されていない点について
原告A1は、馬鍬の刃について、「犯行現場から逃げ帰る際に、乗っていった自動車の荷台に積み込んだが、帰る途中でなくなった。」旨一貫して自白している。原告A1車の荷台の腐食状況、兇器の性状、積込み状況、積荷の状況、道路状況からすると落下の可能性があったこと、現に落下実験によって腐食穴に馬鍬の刃がひっかかっている場合には車両の動揺により同穴から落下したこと、馬鍬の刃は当時の地元の農民にとって貴重な農機具の取換部品として財産的価値も高いこと、兇器の捜索状況の密度も決して濃くないことからすると、馬鍬の刃は第三者によって拾得されたか、捜索漏れによって発見されなかったとしても不合理ではない。原告A1の自白によって、馬鍬の刃が発見されず、客観的証拠の裏着けがなされなかったとしても、自白の信用性に何ら影響はない。更に、原告A1車の後方荷台に粟粒大の血液反応が認められ、「人血痕なるも微量のため、血液型検査は不可能である。」との鑑定結果を得ていることによっても、自白の信用性を裏付けている。
③ 証拠上明らかな事実について説明が欠落しているとの指摘について
(一) 犯人による金品物色の形跡の点について
犯行現場の状況によると、B1方北側納戸の鏡台中央部抽出の取手に付着していた血痕は、犯人による金品物色の形跡ではなく、初動捜査の不手際により捜査官が過って付着させたものであることが明らかであり、捜査官もそのように認識していたため、原告A1の自白にその点の説明がないのであって、それがために自白の信用性を減殺するものではない。
(二) B2の下半身露出の点について
B2の死体及びその周辺の状況によると、B2は殺害される前下着をつけていなかったと推定され、原告A1はうつぶせに倒れたB2の寝巻の裾をめくってB2の両足を持って引っ張ったため、下着を着用していなかった下半身が露出したものであり、瞬時の行動であったため、原告A1の記憶に痕跡をとどめず、そのため、自白の中にB2の下半身の露出についての説明がなかったものであり、それがために自白の信用性を減殺するものではない。
④ 自白内容に不自然・不合理な点が多いとの指摘について
(一) B1の帰宅が予想されるのに同人の自宅でその妻と情交する点について
当夜の特異な状況及び原告A1・B2の気質からすると、B2及び原告A1は、B1の帰宅が遅くなると認識していたこと、B1は予想していたより早く帰宅したことが窺えるのであり、B2の誘惑に負け、一方で性的衝動に駆り立てられ、他方でB1の万一の帰宅に備えて、ズボンを足元にずりさげるにとどめて、人妻と情交に及ぶことはあり得るのであって、これをもって不自然・不合理で非常識過ぎる行動とまでは見られない。
(二) B2のB1への兇器による攻撃を隣室から拱手傍観していたとする点について
原告A1は、B1の攻撃を避けて隣室に移動し、右手首の傷の手当をしていたものであり、B2のB1への兇器による攻撃を隣室から拱手傍観していたものではないのであって、自白は不自然・不合理ではない。
(三) B1から切り付けられた手首の傷をチリ紙で止血したこと、手首のチリ紙が犯行後も付着していて帰途路上に捨てたとの点について
原告A1の右手首の負傷は比較的軽度で、出血も比較的少量であったのであり、チリ紙で応急手当の止血をすること、しかも柔らかいチリ紙が出血部位に付着し、皮膚から離脱しないことも日常経験するところであるから、右手首の手当方法等に関する自白は、むしろ自然で合理的である。
2 客観的証拠に関する疑問について
① 陰毛及びその鑑定の点につき、C5鑑定の資料とされた「甲の毛」がB2の死体の陰部から採取された「甲の毛」と同一のものと断定することはできないとの指摘について
C5鑑定の資料とされた「甲の毛」には、原告A1の陰毛に存すると同様の他にあまり例を見ない極めて特異な小皮の亀裂があり、血液型も同じであることなどから原告A1に由来する陰毛であると判断されるものであり、陰毛の保管状況、陰毛数の不足理由、他の毛髪を不足陰毛であるとして提出した経緯などからすると、鑑定の資料とされた陰毛はB2の死体の陰部から採取された陰毛と同一であることが明らかであるから、この点についての疑問はない。
② 車轍痕につき、犯行の日の一月一五日に印象されたことを確認するに足りる資料はないし、他の日に印象された疑問が残るとの指摘について
一月一五日に印象されたものとされている車轍痕はB1方木戸口から約七三センチメートルの溝付近で採取されたものであり、一月一三日の車の停止位置は県道から私道に入った三叉路の手前であって木戸の間の私道ではなかったこと、同月一七日の停止位置も県道から私道に入った三叉路の手前であって、三叉路から木戸の間の私道ではなかったのであるから、問題の車轍痕は一月一五日に印象されたものとしか考えられないし、しかも、その後の降雨量及び降雨強度等によると、その後の降雨等によっても一月一五日に印象された車轍痕が変容される可能性はなかったものである。そして、鑑定の結果によると、右車轍痕と被告車のタイヤ痕は、トレッド部についてその紋様の形状が極めて酷似し、ショルダー部についてその紋様の形状、特にその特徴点の磨耗の形状が符合した。
③ 原告A1の右手首の外傷瘢痕に関するC1作成の昭和四四年七月二一日付鑑定書(原告A1の右手首の上下方向に長さ五ミリの極めて細い線状の外傷瘢痕は恐らく鋭利な刃先又は刃尖にて擦過された極めて浅い切創痕と判断される。)は、原告A1は昭和四三年八月の交通事故による転倒の際、竹の切株できったと弁解し、現に入院しており、自白の信用性を強く裏付けるに足りないとの指摘について
原告A1は、昭和四三年九月三日交通事故により負傷したが、その際右手首に切創を負ったことはなく、またその事故によって切創を生ずるような状況でもない上、右手首の切創は、交通事故によって生じた負傷箇所とは陳旧度が異なり、その負傷よりも新しいものであったことが明らかであるから、右手首の切創は交通事故によって生じた負傷でないことが明らかであり、自白にある原告A1とB1との攻撃防御の状況、負傷の部位、形状に加え、右手首の外傷瘢痕が自白により初めて防御創であると判明した経緯に照らすと、右手首の外傷瘢痕は、B1から包丁で切りつけられた際に生じたと考えるのが合理的であり、自白の信用性を裏付けるものである。
④ 犯行時刻の特定とアリバイの成否の指摘について
a アリバイの主張も一連の具体的事実の一環であり、アリバイ主張を裏付ける個別事実の存否いかんの認定を通じて、その合理性、信用性が検討されるのは当然である。しかるに、原告A1主張のアリバイに関する個別事実は全く虚偽であり、原告A1には一月一五日午後八時過ぎころから午後一〇時三〇分ころまでのアリバイが存在しない。鑑定人C1の鑑定結果及び県警本部刑事部鑑識課技官C2の解剖立会所見によると、胃内容物の消化程度からB1の死亡推定時刻は一月一五日午後九時前後と推定されていたのである。しかも、本件において具体的に争われたアリバイ成否のための時間の幅は、約一時間程度であるから、胃内容物の消化程度等によりこの程度の時間的差異を正確に識別し得るかは疑問であるばかりか、B1が被害前に食した焼魚及びタコは同じく被害前に食したオロシ大根等の他の食品に比べ消化が早いのであるから、解剖結果によりB1の胃内容物に焼魚及びタコが発見されないことをもって犯行時間を左右するものではない。
b また、B1の左手の腕時計の日付窓の数字が一月一五日午後一一時ころを示している点も、凶器による打撃の衝撃により動いた可能性があって、犯行時刻を一月一五日午後九時過ぎころから午後一〇時過ぎころまでの間と推定する妨げとなるものではない。この間、原告A1にアリバイのないことは明らかであるから、犯行時刻に関する自白にも不合理なものはない。
c なお、特捜本部は、前記C2による「腕時計は一月一五日午後一一時四五分ころ停止し、破壊後は動いていない。」旨の鑑定書を得ていたが、慎重を期し警察外の専門家である日本時計師会公認高級時計師のC3に鑑定を嘱託し、「停止時刻は一月一五日午後八時ころから午後一二時ころまでの間である。」との鑑定結果を得たものであって、原告A1のアリバイを否定せんがため、ことさらにC3に鑑定を嘱託したものではない。
3 その他の客観的証拠、原告A1の不審な言動、他の機会における犯行の自認について
原告A1には「各裁決質問につき特異反応が認められるとするポリグラフ検査結果」があったほか、原告A1は捜査段階においてことさら嫌疑を第三者に向けようとするなどの不審な言動をし、「B2殺害事実」で身柄の送検を受けた検察官による弁解の機会及び裁判官による勾留質問において「事実はそのとおり間違いありません」と陳述し、更に、勾留中の鹿児島警察署留置場の看守勤務員に対し、犯行を認める言動をするなど、捜査の進展に伴い容疑は次第に深まりこそすれ、薄れることはなかった。また、原告A1は、原一審第一回公判以来、B1及びB2殺害の核心部分を否認するに至ったが、原一審第一回公判において、「犯行日とされる昭和四四年一月一五日夜にB1方へ赴いたことがある」旨不利益事実の承認にわたる供述をして、捜査段階における自白の信用性を増強している。
一七 裁判官の裁判の違法性判断基準と違法事由の不存在
裁判官のした争訟の裁判に上訴等の訴訟上の救済方法によって是正されるべき瑕疵が存在したとしても、これによって当然に国賠法一条一項の規定にいう違法な行為があったとして国の損害賠償責任の問題が生ずる訳のものではなく、右責任が肯定されるためには、当該裁判官が違法又は不当の目的をもって裁判をしたなど、裁判官がその付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認められるような特別の事情があることを必要とするところ、原告らは、原一審裁判所及び原控訴審裁判所には原告A1の自白の任意性及び信用性を肯定し、情況証拠の価値判断を誤るなど、その事実認定に違法、経験則違反等の違法事由がある旨主張するにとどまり、原一審裁判所及び原控訴審裁判所の各裁判官に付与された権限の趣旨に明らかに背いてその権限を行使したと認められる特別の事情があったとの具体的主張はないので、原告らの主張は失当である。
第三 証拠<省略>
理由
第一本件訴訟に至るまでの経過の概略
一請求の原因三ないし八の事実は当事者間に争いがない。
二右事実及び証拠によると次の事実が認められる。
1 殺人事件の発生、特捜本部の設置
昭和四四年一月一八日正午ころ、鹿児島県鹿屋市<番地略>農業B1方において、B1(当年三八年、B型)及びB2(当時三九年、A型)夫婦が右自宅六畳の間で殺害されているのが発見された。鹿屋警察署は、鹿児島県警察本部の応援を求めて、鹿屋市高隅町上別府公民館に特捜本部を設置して、捜査にあたった。
(<書証番号略>、証人大重五男、F、家村行夫)
2 被害者の死因、犯行日時
翌一月一九日の死体解剖の結果、B1の死因は後頭部挫裂創に由来する頭蓋骨及び頭蓋底骨骨折並びに脳挫傷、B2の死因は絞頸に基づく窒息死であり、両名の頭部にみられる各傷の成傷器は、いずれも「角稜を有する鈍器ないし鈍体」と認められた。特捜本部には、当初犯行は昭和四四年一月一五日夜あるいは一月一六日との見方もあったが、死後経過時間の推定及び犯行の際に受けた打撃により停止したとみられるB1の左手首にはめられていたカレンダー付腕時計の停止日付が「一五」であることなどから、次第に、被害者両名は「一月一五日」夜、何者かに殺害されたとの見方が有力になっていった。
(<書証番号略>、証人大重五男、F、家村行夫)
3 原告A1(B型)の容疑
そして、特捜本部は、捜査官等に対する原告A1の言動に不審な点がみられる、B1方木戸口付近から採取された車轍痕の中に原告A1が当時使用していた軽四輪貨物自動車(「原告A1車」)のタイヤ、トレッド及びショルダー部において一致するものが発見された、原告A1の一月一五日夜の行動につき、午後八時過ぎころから二時間くらいの行動・所在が不明であるとして、原告A1に対する嫌疑を深めていった。
(<書証番号略>、証人大重五男、F、家村行夫)
4 第一次逮捕勾留
特捜本部は、原告A1とB1及びB2殺害の犯行を直接結びつける証拠をいまだ発見していなかったが、捜査の過程において、原告A1の詐欺、準詐欺、銃刀法違反の容疑を探知し、同事実によって、昭和四四年四月九日鹿屋簡易裁判所裁判官に逮捕状を請求して発布を受け、神奈川県足柄上郡山北町の建設工事現場に出稼ぎ中であった原告A1を、同月一二日午前一〇時五分同県松田町所在の松田警察署において逮捕し(「第一次逮捕」)、翌一三日鹿屋警察署に引致し、原告A1は同月一五日同容疑で、同署留置場に勾留された(「第一次勾留」)。
(<書証番号略>、証人大重五男、家村行夫)
5 別件起訴、追起訴、別件判決
原告A1は、昭和四四年四月二四日詐欺・準詐欺・銃刀法違反の罪で鹿児島地方裁判所鹿屋支部に公訴を提起され、同年五月一六日詐欺・銃刀法違反の罪で追起訴され、併合審理された上、同年七月四日の第三回公判期日において、懲役一年執行猶予三年の判決を受けた。
(<書証番号略>)
6 第二次逮捕勾留
特捜本部は、第一次逮捕勾留中にB夫婦殺害事件(「本件」)について取調べたところ、原告A1は昭和四四年七月二日B2殺害の容疑を自白するに至ったため、同月四日同容疑により鹿屋簡易裁判所裁判官に逮捕状を請求してその発布を受け、同日原告A1が別件判決の宣告を受けて釈放された直後、鹿屋警察署において、同容疑で逮捕(「第二次逮捕」)し、同月五日同容疑により鹿児島地方検察庁に送致した。鹿児島地方検察庁検察官は、同月六日同容疑につき、鹿児島地方裁判所裁判官に勾留請求をし、その結果、原告A1は同裁判所裁判官の発した勾留状により鹿児島警察署留置場に勾留(「第二次勾留」)された。
第二次「逮捕勾留事実」は次のとおりである。
「被疑者は、昭和四四年一月一五日午後九時頃、鹿屋市<番地略>B1方において、同人の妻B2に誘われて性交を求められた際、たまたま帰宅したB1に右の事実を察知され、『お前はB2と関係があるのだろう。』と因縁をつけられたうえ顔面を殴打されたので、これを押し返したところ、B1が同家炊事場より包丁を取り出して切りかかってきたので、表六畳間に逃げて同人と対峙しているとき、B2が農耕用馬鍬の金具でB1を殴打して、これを殺害したが、このとき、B2を生かしておいては、自分と同女との仲を疑われ、またB1の殺害について、B2と共犯とみられることをおそれ、同女を殺害しようと決意し、同家三畳間にあった西洋タオルをもって、同家四畳半の間で同女の頸部を強く絞めつけて窒息死させ、もって同女を殺害したものである」
(<書証番号略>)
7 本件公訴提起
同検察庁検察官は、勾留期間の延長をしたうえ、同月二五日B夫婦殺害の罪で鹿児島地方裁判所に公訴を提起した。原告A1は同年八月二六日鹿児島刑務所に移監された。
本件「公訴事実」の要旨は次のとおりである。
「被告人は、昭和四四年一月一五日午後九時ころ、鹿屋市<番地略>B1(当時三八年)方において、同人の妻B2(当時三九年)と同衾中、折しも帰宅したB1に発見殴打され、さらに野菜包丁で切りかかられるに及び、同人の顔面を殴打し、同人から包丁を取り上げて取り敢えず難をのがれたものの、その間B2が馬鍬の刃をもっていきなりB1の後頭部を背後から殴りつけて重傷を負わせ、同人を昏倒させたのを見届け、かつ、同女より『蘇生しないようにしてくれ。』と言われて殺意を生じ、俯伏せに倒れているB1の頸部に、同人が首にかけていた西洋タオルを巻いて後方より強く絞めつけ、間もなく同人を窒息死させて殺害し、次いで、犯行がB2の口より発覚することを恐れて同女をも殺害すべく決意し、その場にいた同女に対し、先に同女が使用した馬鍬の刃をもって、いきなり同女の顔面、頭部を数回殴打し、同女を俯伏せに転倒させたうえ、その場にあった西洋タオルをその頸部に巻いて後方より強く絞めつけ、間もなく同女をも窒息死させて殺害を遂げたものである。」
(<書証番号略>)
8 原一審判決、原控訴審判決
原告A1は、昭和四四年九月一一日の第一回公判以来一貫して本件公訴事実を否認して争ったが、原一審裁判所は、昭和五一年三月二二日、犯行直前の状況につき公訴事実と異なる認定をしたほかは、ほぼ公訴事実に副う事実を認定したうえ原告A1を有罪と認め、懲役一二年の刑に処した(「原一審判決」)。原控訴審裁判所は、昭和五五年三月四日、犯行直前の状況に関する原判決の認定は誤りであるとし、この点についても、公訴事実に副う事実を認定し、原告A1がB1夫婦を順次殺害したとする原一審判決認定を基本的事実関係に誤りはないとして、原告A1の控訴を棄却した(「原控訴審判決」)。原控訴審判決が原告A1をB1夫婦殺害の犯人として認定した理由の核心は、原告A1が捜査段階において捜査官に対してした詳細かつ具体的な自白が、物証を含む諸種の情況証拠とよく符号し十分信用するに足りる、というものであった。(<書証番号略>)
9 上告審判決
最高裁判所第一小法廷は、昭和五七年一月二八日、原告A1と犯行を結びつける直接証拠としては、原告A1の捜査段階における自白があるだけであるところ、① 自白には、これが真実であれば、当然その裏付けが得られてしかるべきであると思われる事項に関し、客観的証拠による裏付けが欠けていること、② 自白からは、真犯人であれば容易に説明することができ、また、言及するのが当然と思われるような現場の状況など証拠上明白な事実についての説明が欠落していること、③ 自白内容には不自然・不合理で常識上にわかに首肯し難い点が数多く認められること、④ 自白を裏付ける客観的証拠とされた、B2の死体の陰部から採取されたという陰毛三本のうち一本、B1方前私道上から採取された原告A1車のそれと同種同型及び紋様、磨耗の形状の符号するものとされた「車轍痕」、原告A1が現場で負ったとされる原告A1の「右手首の外傷瘢痕」の各証拠価値については疑問があること、⑤ 原告A1のアリバイの成否に関し重大な意味を有する犯行時刻が解明されていないことなどから、これらの証拠上の疑問点を解明することなく、原一審及び原控訴審において取調べられた証拠のみによって原告A1を有罪と認めることはいまだ許されないというべきであって、原控訴審判決には、いまだ審理を尽くさず、証拠の価値判断を誤り、ひいては重大な事実誤認をした疑いが顕著であって、これが判決に影響を及ぼすことは明らかであり、その判決を破棄しなければ著しく正義に反するものと認められる、として、「原判決を破棄する。本件を福岡高等裁判所に差し戻す。」との判決をした(「上告審判決」)。(<書証番号略>)
10 差戻後の控訴審判決
差戻後の控訴審裁判所は、昭和六一年四月二八日、第一次逮捕勾留中の本件の取調べは、任意捜査の限度を越えて違法であるにとどまらず、令状主義を実質的に潜脱する違法なものであって、第一次逮捕勾留中に作成された自白調書は違法収集証拠であるとの見解のもとに証拠能力を否定し、更に第二次逮捕勾留中に作成された自白調書も第一次逮捕勾留中の取調べの重大な違法性を承継具有する取調べのもとで作成されたものであるとして同様に証拠能力を否定し、これら自白の信用性等についても上告審判決が指摘した①ないし④につき考察を加えてその結論を是認するとともに、⑤につき原告A1のアリバイの成立を認め、結局、本件は犯罪の証明がないとして、原一審判決を破棄し、原告A1に無罪の宣告をし、同判決は同年五月一三日確定した。(<書証番号略>)
11 原告A1の保釈
最高裁判所第一小法廷は、上告審継続中の昭和五五年一一月二七日保釈を許可し、原告A1は同年一二月五日保釈された。
第二原告らの主張の要旨と当裁判所の基本的判断
一原告らの主張の要旨は、次のとおりである。
1 捜査・訴追機関は何ら具体的証拠もないのに、原告A1をB夫婦殺害事件の容疑者として位置づけ、違法な別件逮捕勾留を利用して、原告A1に対し自白強要の違法な取調べをして、証拠能力及び信用性のない自白調書の作成、その他の証拠収集をし、この間敢えて証拠捏造等の違法行為までし、これらを資料に更にB2殺害容疑で逮捕勾留を蒸返したうえ、B夫婦殺害の罪で起訴し、原一審裁判所及び原控訴審裁判所は、自白調書の証拠能力、信用性、補強証拠の有無・信用性について充分な検討をせずに安易にこれを認め、誤った判決をするなどの違法行為をし、その結果、原告らに対し財産上・精神上の損害を被らせた。
2 違法性は客観的判断であるから、無罪判決の確定により、逮捕、勾留、自白調書の作成、その他の証拠収集、公訴提起、有罪判決の宣告は、客観的には正当性を有しなかったことが明白になったことを意味するから、国賠法一条一項の公権力行使の違法性の有無を判断するにあたっては、原告A1に対する逮捕、勾留、自白調書の作成、その他の証拠収集、公訴提起、有罪判決の宣告等の公権力の行使は、いずれも違法であると解するのが相当である。
また、捜査・訴追・裁判機関のこれらの行為が職務行為であることを考慮して、個別に違法性の有無を検討するとしても、各行為には国賠法一条一項の違法事由が存する。
二1 国賠法一条一項の公権力の行使の違法性
① この点についての原告らの右主張は、国賠法一条一項所定の公権力の行使の違法性の判断についても、民法七〇九条所定の違法性の判断と異なるところはなく、違法性をもって権利侵害を基礎に置く客観的法秩序違反と把握し、無罪の裁判の確定により、被疑者及び被告人とされた者についてなされた捜査権、公訴権及び司法権の行使は結果的に正当性を失い、違法であることが明らかになったのであるから、国賠法一条一項の適用にあたっても違法として取扱うべきであると主張しているものと解される。
② しかし、公権力の行使については、法の定める一定の要件と手続の下で私人の権利を侵害することが許容されているのであり、いかに権利侵害の結果が重大であっても、公権力の行使として適法である限り、責任主体は国家賠償責任を負わない反面、いかに軽微な法益の侵害であっても、公権力の行使が法の許容する範囲を越えれば賠償責任を免れないと解するのが相当であって、不法行為責任と国家賠償責任とを同一に論じることはできない。この意味で、国家賠償責任の要件としての「違法性」は、法がそのような権利侵害を許容するために設定した要件を具備しその定める手続を履践して行われたか否か、換言すると、公権力行使の主体が公権力の行使にあたって遵守すべき行為規範に違反していないかどうかにかかわるものと解するのが相当である。
これらの公権力の行使は多くの場合法令によって規制されているが、公権力行使の主体が遵守すべき行為規範、狭義の法規のみに限られるものではなく、基本的人権の尊重、令状主義などの憲法・刑事訴訟法の定める精神などの、法運用の一般原則をも取入れて判断の基準とすべきことはいうまでもない。
③ このように考えると、a 逮捕勾留は、犯罪の嫌疑について相当な理由がないこと又は身柄拘束の必要性がないことが明らかであるのに行われたときは、法の許容する限界を越えたものとして違法性を帯びることになり、また、逮捕勾留それ自体としては、その理由と必要性を有していても、その運用が憲法・刑事訴訟法の定める精神に反するときはやはり違法性を帯びることになり、b 公訴の提起は、公訴事実について、証拠上合理的な疑いが顕著に存在し、有罪判決を期待し得る可能性が乏しいのに敢えてなされたとき違法となる、と解すべきである。
しかし、刑事裁判において公訴事実の証明なしとする無罪の判決が確定した場合でも、これによって直ちに警察官又は検察官のした逮捕勾留、公訴の提起などの公権力の行使が違法であると断定することはできない。公訴の提起は、検察官が裁判所に対し犯罪の成否、刑罰権の存否につき審判を求める意思表示にほかならないのであるから、起訴時における検察官の心証は、その性質上、判決時における裁判官の心証と異なり、起訴時における各種の証拠資料を総合勘案して合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑があれば足りると解するのが相当であるからである。
そして、以上の意味の違法性判断の基礎事実たる嫌疑の存在に関する立証責任は、被告ら側にあると解すべきである。被告らは、逮捕勾留請求及び公訴の提起にあたって証拠上犯罪事実立証の可能性のあったこと、少なくとも、後記の判断の多様性、証拠判断に関する個人差といった事情を考慮すれば、犯罪事実の存在が肯定される可能性があっことについて立証責任を負担する。右の違法性判断の資料としては、警察官及び検察官が、当該行為の段階において収集した資料及びその段階において将来入手することを期待し得た資料を、被疑者・被告人に有利なもの不利なものの一切を含めて斟酌すべきであり、その後の公判段階にいたって入手し得た資料は、右の違法性判断の資料となり得ない、と解すべきである。
④ このことは、c 裁判所のした裁判について、国賠法一条一項の違法性の有無を判断するについても、基本的には同様であって、当該裁判所に裁判体として遵守すべき行為規範の違反があったとして国賠法一条一項の違法性を肯定するためには、当該裁判体のした裁判に上訴等の訴訟上の救済方法によって是正されるべき瑕疵が存在するだけでは足りず、裁判体が違法又は不当な目的をもって裁判したなど、裁判体がその付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認めうるような特別の事情があることを必要とすると解すべきであり、刑事裁判において公訴事実の証明なしとする無罪の判決が確定したことから直ちに、国賠法一条一項の違法性が肯定される性質のものでないことはいうまでもない。
そして、以上の意味の違法性判断の基礎事実たる特別の事情の存在に関する立証責任は、原告ら側にあると解すべきである。
2 国賠法一条一項の公権力行使主体の故意・過失
一般に、不法行為における故意とは、一定の結果の発生とそれが違法であることを認識しながら敢えて行う心理状態をいい、過失とは、一定の結果の発生とその違法を認識すべきにかかわらず不注意によってこれを認識しないで行動した心理状態をいう。しかし、警察官・検察官の行う a 逮捕勾留、検察官の行う b 公訴の提起、裁判体の行う c 裁判のような公権力の行使は、その性質上当然に、被疑者・被告人の人権を侵害する結果を生じさせるのであるから、結果の発生についての故意は論ずるまでもないし、違法の認識についても、警察官・検察官・裁判体に前記のような行為規範違反の違法が認められるときは、その態様自体からして、警察官・検察官・裁判体の主観的側面からこれをみれば、その原因が当該警察官・検察官・裁判体の被疑者・被告人に対する職務上の注意義務違反にあることを否定しえない場合が多いものと考えられるから、故意・過失の有無の判断は違法性の有無の判断の中に融合されると考えてよいし、多くの場合違法の程度・態様からして、少なくとも当該警察官・検察官・裁判体の過失の存在を推定することができるものというべきである。
3 ところで、a 逮捕勾留請求、b 公訴の提起、c 裁判官のした裁判につき国賠法一条一項の違法性をもって、各公権力行使の主体が遵守すべき行為規範の違反として把握するのは、これらの各公権力の行使については、法の定める一定の要件と手続の下で私人の権利を侵害することが許容されていること、犯罪の嫌疑・立証の有無の認識といった判断作用にあっては、多様な判断のあり得ることは当然であって、証拠の証明力の評価の仕方ないし一定の証拠によって形成される心証の態様・強弱の程度についても、裁判官と捜査官・検察官の間に、あるいは裁判官相互間にも、ある程度の個人差のあること、また判断の時点の相違により判断資料にも相違があり得ることなどの事情によるものである。
そうすると、d 捜査の過程における捜査官による証拠の捏造、証拠の意図的作成、取調べの際の暴行・脅迫など、それ自体において不相当と評価される行為については、それは事実の存否の問題であって、そこには判断の多様性、証拠評価の多様性といった事情は何ら存しないのであるから、証拠の捏造、証拠の意図的作成、暴行・脅迫などの不相当な行為、それ自体を権利侵害の違法行為として把握し、その点についての故意・過失を問うべきものである。
4 更に、本件損害賠償請求事件において、原告らが公権力行使の違法性の根拠事実として主張するところのものは多様であり、第一次逮捕勾留に始まり保釈までの身柄拘束状態を一連のものとして違法と把握し、e 右「一連の身柄拘束状態」の違法性をも国賠法一条一項の違法事由として主張していることも明らかである。
右 e 一連の身柄拘束状態には、警察官は逮捕状の請求者・執行者として、検察官は勾留状の請求者・執行者として、裁判官及び裁判所は起訴後の勾留に関する処分の主体及び起訴後の勾留の主体として、それぞれその公権力の行使に関与しているものであるが、ここでは、それぞれの公権力の主体の判断の行為規範違法性の有無が問われているのではなく、一連の身柄拘束状態という「事実」を前提として、その違法性が問われているのであるから、損害賠償請求事件を審理する当裁判所が直接その違法性の有無を判断すべきこととなる。
三そこで、次にB夫婦殺害事件の捜査及び公訴提起の概要、別件の捜査、公訴提起及び審理の概要、並びに、その相関関係について検討し、これらを前提として、当裁判所の基本的判断の観点から、原告ら主張の、a 勾留請求、b 公訴提起、c 裁判、d 捜査の過程での捜査官の行為、e 一連の身柄拘束状態につき、個別に国賠法一条一項の違法事由の存否を検討することにする。
第三B夫婦殺害事件の捜査及び公訴提起の概要、別件の捜査、公訴提起及び審理の概要、並びに、その相関関係等について
前記認定事実及び証拠によると次の事実が認められる。
一B夫婦殺害事件の捜査、公訴提起の概要
1 昭和四四年一月一八日正午ころ、鹿児島県鹿屋市<番地略>農業B1方において、B1(昭和五年一二月二〇日生)及びその妻B2(昭和四年二月六日生)が自宅六畳の間で殺害されているのが発見された。その現場の状況は、B1は六畳の間内の東側に南向きに、B2は六畳の間内の西側に北向きに、それぞれ、俯せの状態となり、布団類が乱雑にかけられ、両名ともその頭部に数か所の傷を負い、タオルで絞頸されていた。両名の死体、着衣、布団等に血痕の付着が認められたほか、畳、床の間、タンス、障子、柱、天井等六畳の間の各所に飛沫血痕が多数認められ、六畳の間の北東隅に所在する床の間の飾餅は飛散し、湯呑も転倒して水がこぼれている等六畳の間で乱闘があったことが窺われた。また、六畳の間、4.5畳の間及び2.5畳の間、2.5畳の間の神棚の抽出等には物色した様子はないが、2.5畳の北側に所在する縁側物置に置いてあった鏡台の抽出の取手に血痕の付着が認められ、金品物色の模様が窺われるとされた。
(<書証番号略>、証人大重五男)
2 鹿児島大学法医学教室教授C1による昭和四四年一月一九日の死体解剖の結果、B1の死因は後頭部挫裂創に由来する頭蓋骨及び頭蓋底骨骨折並びに脳挫傷、B2の死因は絞頸に基づく窒息死であり、両名の頭部にみられる各傷を生ぜしめたと推定される成傷器は、いずれも「角稜を有する鈍器ないし鈍体」とみられ、死体解剖着手時までの経過時間は約一日以上三、四日以内であると推定された。特捜本部は、痴情ないし怨恨、あるいは物窃りによる殺害事件とみて捜査活動を展開した。
(<書証番号略>、証人大重五男)
3① 特捜本部は、「B1と最後にあったのは一月一六日である」とのB3の供述、「一月一六日午後三時ころ神社下の道路でB2と会った」とのEの供述を得ていたことなどから、捜査の初期の段階においては、犯行日は昭和四四年「一月一六日夜」と見ていた。
② その後の捜査で、a 犯行の際に受けた打撃により停止したと見られるB1の左手首にはめられていたカレンダー付腕時計の「停止日付が一五」であること、b 一月一六日午前一〇時ころ農協の運転手が家畜の飼料の配達に行った時、雨戸がしめきりになっており、表の間の障子もたてきってあったこと、c その際農協の運転手が小縁に置いていた家畜の飼料及び伝票が、一月一八日事件発覚の際もそのままの状態で発見され、被害者が触れた形跡もなかったこと、d 一月一七日に厩舎の成牛と小牛が綱を噛切って庭に放たれており、飼料を供せられず相当飢えていたと見るべきであったこと、e 死体の腐乱が進んでいたこと、f B3及びE以外に「一月一六日以降にB1及びB2と会った」と供述する者もおらず、三月下旬ころに至り、B3が「B1と最後にあったのは一月一五日である」と供述を変更し、Eも「一月一六日午後三時ころ神社下の道路で会ったのはB2ではなく人違いであった」と供述を変更するに至り、結局、B1及びB2の足取りが「一月一五日夜」から不明であることが、明らかになった。そこで、特捜本部は、四月下旬ころ、犯行は「一月一五日」と断定し、B1夫婦は一月一五日夜何者かに殺害されたものであるとの見込みのもとに、付近の前科者、挙動不審者、日頃B1方に出入りしている者等につき聞込み捜査等を継続した。
③ その捜査線上に浮かび上がってきた原告A1につき、その動向を内偵するうち、a 原告A1は、同月一八、一九日ころ、前年末に忍モータース(田中偲経営)から調子がよければ買受けるとの約束のもとにその引渡を受け乗回していた原告A1車を田中偲方前路上に置いたままにして返していたこと、b 同月二一日自宅に、同月二七日近隣方にきた捜査員に対する原告A1の各言動に不審な点がみられたこと、cB1方木戸付近から採取された車轍痕の中に原告A1車のタイヤとそのトレッドショルダー部において一致するものが発見されたこと、d 原告A1の一月一五日夜の行動につき、午後八時過ぎころから二時間位の行動、所在が不明であることなどの諸点から、原告A1の容疑が深まる状況であった。
④ しかし、原告A1と犯行を結びつける直接証拠は何ら発見されず、特に、昭和四四年二月六日ころから、B1方から原告A1方付近までの道路に沿って、兇器、血痕付着の衣類等の捜索がなされたが、何も発見されなかった。
(<書証番号略>、証人大重五男、F、家村行夫)
4① 原告A1は、昭和四四年四月一二日、別件の詐欺、準詐欺、銃刀法違反の容疑で第一次逮捕され、四月一五日同容疑で第一次勾留され、四月二四日起訴され、更に同年五月一六日詐欺、銃刀法違反で追起訴され、身柄拘束のまま併合審理の結果、同年七月四日、懲役一年執行猶予三年の判決を受けた。
② 原告A1は、第一次逮捕勾留中、B夫婦殺害事件についても取調べを受けた。原告A1は当初「B1方に立ち寄ったこと自体」も否認していたが、五月二日には「B1方に立ち寄ったこと」を認め、六月一二日には「B1方に立ち寄った際B2と口論しB2を殴打したこと」を認め、六月二四日には「B2から誘われ同衾しようとしたこと」を認め、同年七月二日には「B2を殺害した事実」を認める供述をするに至った。
③ そこで、特捜本部は、七月四日「B2殺害」の容疑により逮捕状の発布を受け、同日原告A1が別件判決の宣告を受けて釈放された直後、鹿屋警察署において、「B2殺害」の容疑で第二次逮捕し、七月五日同容疑により鹿児島地方検察庁に送致した。鹿児島地方検察庁検察官は、七月六日「B2殺害」の容疑につき勾留請求をし、その結果、原告A1は勾留状により鹿児島警察署留置場に第二次勾留され、七月一四日右勾留期間が七月二五日まで延長された。
④ 原告A1は、特捜本部の取調べを受けるうち、七月一九日には「B2に馬鍬の刃で殴打されて転倒しているB1の頸部をタオルで絞めたこと」を自白し、七月二四日の検察官の取調べでは、「B1を殺害する意思でタオルで絞めたこと」を自白し、勾留期間の満了日である七月二五日、原告A1は、「B1及びB2殺害」の公訴事実で鹿児島地方裁判所に公訴提起され、身柄は昭和四四年九月一一日の第一回公判期日前の八月二六日鹿児島警察署留置場から鹿児島刑務所に移監された。
(<書証番号略>、証人大重五男、F、家村行夫、大霜兼之)
二別件の捜査の概要及び別件の起訴、審理、判決に至るまでの概要
1① 特捜本部は、原告A1をB夫婦殺害事件の重要容疑者としてその行動、生活歴等を捜査しているうち、原告A1に詐欺等の容疑(後記二2①ないし④)があることを探知し、昭和四四年四月九日鹿屋簡易裁判所裁判官に同容疑の逮捕状を請求してその発布を受け、神奈川県足柄上郡山北町の建設工事現場に出稼ぎ中であった原告A1を、四月一二日午前一〇時五分同県松田町所在の松田警察署において第一次逮捕し、翌一三日鹿屋警察署に引致し、原告A1は四月一五日同容疑で、鹿屋警察署留置場に第一次勾留された。
② 鹿児島地方検察庁鹿屋支部検察官は、四月二四日、第一次逮捕勾留事実のうち三つの事実(後記二2②ないし④)を公訴事実として、鹿児島地方裁判所鹿屋支部に、原告A1を起訴し(同支部昭和四四年わ第一九号事件)、その後、五月一六日三つの事実を公訴事実として追起訴し、同日併合審理決定がなされた。
③ 原告A1は、五月二三日の第一回公判期日において、公訴事実全部を認める陳述をなし、検察官請求の証拠すべての取調べに同意し、その取調べも終了した。弁護人から、被害弁償未済分につき、その弁償と立証のため続行申請がなされた。六月一三日の第二回公判期日において、被告人質問、弁護人の右被害弁償関係の立証がなされて結審し、六月一八日勾留更新決定がなされ、七月四日の第三回公判期日において、原告A1は懲役一年執行猶予三年の判決の言渡を受けた。
この間、原告A1及び弁護人から勾留取消請求及び保釈請求は一度もなされていない。
④ 別件起訴・公判出席検察官は、この間の六月一二日、B夫婦殺害事件につき原告A2を取調べ、「原告A1のアリバイ」に関する事情を聴取し、供述調書を作成している。
(<書証番号略>、証人大重五男、F、家村行夫)
2 前記第一次逮捕勾留事実の要旨は次のとおりである。原告A1は①につき不起訴、②③④につき起訴されている。
① 昭和三八年九月、鹿児島県曾於郡大崎町の有限会社北原商事において、店員に対し、代金支払の意思も能力もないのに、あるように装い、「月賦で支払うから背広を売ってもらいたい。」旨嘘を言って、同人から時価一万二〇〇〇円相当の背広上下一着の交付を受けて騙取した。
② 昭和三八年一〇月ころ、鹿屋市上高隅町のオートバイ修理販売店湯地不二夫方において、留守番の小学校六年生に対し、「おじさんは、あんたのお父さんも、お母さんもよく知っている、タイヤを一本出してくれ。」と嘘を言って、同人をタイヤの話がついているものと誤信させ、時価二〇〇〇円相当の単車用タイヤ一本の交付を受けて騙取した。
③ 昭和四三年三月下旬ころ、鹿児島県肝属郡大根占町の牧原直哉方において、同人に対し、「五五〇〇円のトランジスターラジオ一台を四〇〇〇円にまけろ。代金は二回払として二〇〇〇円だけ入れておく。残金は今度来るときに支払う。」旨嘘をいい、同人から、時価五五〇〇円相当の東芝製トランジスターラジオ一台の交付を受けて騙取した。
④ 法定の除外事由がないのに、昭和四二年一月ころから四四年一月下旬ころまで、鹿屋市高隅町の自宅において空気銃一梃を不法に所持していた。
右各事実につき、第一次逮捕の昭和四四年四月一二日から別件起訴の四月二四日までの間、原告A1の司法警察員に対する四月一三日付、二二日付及び二三日付合計三通の供述調書が作成され、検察官に対する四月二四日付の供述調書が作成されている。原告A1は、当初から事実を争わず犯意も認めているが、供述中には生活苦のため結果的に支払えなかったかのように述べられている部分もある。
そして、原告A1の司法警察員に対する各供述調書は、B夫婦殺害事件の捜査のため県警本部刑事一課から特捜本部に派遣された捜査員によって作成されている。
(<書証番号略>)
3 昭和四四年五月一六日追起訴にかかる別件の公訴事実の要旨は次のとおりである。
① 昭和三八年一月鹿児島県大崎町の電気店西前栄方において、同人に対し、代金支払の意思も能力もないのに、あるように装い、「毎月五日の給料日に一〇〇〇円支払うから月賦でラジオを売ってもらいたい。」旨嘘を言って、同人から時価八八〇〇円相当のトランジスターラジオ一台の交付を受けて騙取した。
② 昭和四二年八月、鹿児島県曾於郡大崎町の養蜂業佐元武義方において、同人の妻に対し、「二、三日すれば給料を貰って払うから蜂蜜を貸してもらいたい。」旨嘘を言って、時価七〇〇円相当の蜂蜜一瓶の交付を受けて騙取した。
③ 法定の除外事由がないのに、昭和四一年五月ころから四四年四月一二日まで、鹿屋市下高隅町の自宅において刃渡り31.7センチメートルの刃一振を不法に所持していた。
右各事実につき、第一次逮捕の昭和四四年四月一二日から別件追起訴の五月一六日までの間、原告A1の司法警察員に対する四月二二日付、二三日付及び五月二日付で合計三通の供述調書が作成され、検察官に対する五月一〇日付の供述調書が作成されている。原告A1は、当初から事実を争わず犯意も認めているが、供述中には生活苦のため結果的に支払えなかったかのように述べられている部分もある。
そして、原告A1の司法警察員に対する右供述調書も、B夫婦殺害事件の捜査のため県警本部刑事一課から特捜本部に派遣された捜査員によって作成されている。
(<書証番号略>)
4 原告A1の第一次逮捕時の住居は出稼先である神奈川県の建設現場であるが、本来の住所は本籍地の鹿屋市であって、そこに面積数十坪の家屋、三反五畝位の畑、雑木林等を所有し、妻と五人の子が住んでおり、妻子に送金もし、手紙のやり取りもしていた。前科も罰金刑に処せられた水産資源保護法違反、道路交通法違反各一回があるのみであった。経歴は農業のかたわらトラックの運転手をしたり、竹材、雑穀などの細々とした商売をしたり、建設現場への運転手兼土工として出稼に出たりしていた。人柄は、近親者からは小心で温厚な人物として受けとられていたが、付近住民からは飲酒すると粗暴になり、口論癖があるとして敬遠されていた節がある。
(<書証番号略>、証人大重五男、F、家村行夫、原告A1、原告A2)
三原告A1に対する第一次逮捕勾留中における本件に関する取調べ
1 前記のとおり、原告A1は、昭和四四年四月一二日第一次逮捕され、四月一五日第一次勾留されたうえ、四月二四日別件起訴され、更に五月一六日別件追起訴されたのであるが、第一次逮捕の翌一三日鹿屋警察署に引致されると、同日から、B夫婦殺害事件についての取調べを受け、同日対象資料用に陰毛の提出を求められて自己の陰毛二三本を提出領置され、翌一四日にはポリグラフによる検査が行われた。
2 特捜本部は、その後七月四日の第二次逮捕まで八〇日余りの期間にわたって、原告A1を食事時間を除いて平均して朝から晩一〇時ころまで連続的に取調べ、そのなかには警察署長官舎等の勾留場所以外の場所において一〇日間位にもわたり片手錠を施したままの取調べをした。
3 原告A1は、一月一五日夜「B1方へ立寄ったこと」自体も否認していたが、四月二四日ころ「B1方へ立寄ったこと」を認め、四月二六日ころには、記憶をたぐりよく詰めて考えると「一五夜はB1方へ立寄っていない」と述べてこれを撤回し、五月二日ころに再び「立寄り」を認め、その後また「否認」に転じ、六月四日ころには「嘘を言っていました」と断って三度「立寄り」を認め、六月二四日ころには「B2と同衾しようとしたこと」を述べ、七月二日には「B2を殺害した事実」を認めるに至ったため、七月四日「B2殺害」容疑で逮捕されるに至った。第一次逮捕勾留中に本件に関する原告A1の司法警察員に対する供述調書が合計二〇通作成されている。
(<書証番号略>、証人大重五男、家村行夫、F、原告A1)
四原告A1に対する第一次逮捕勾留中における本件に関する取調状況
1 原告A1は別件で逮捕されて鹿屋警察署に引致された昭和四四年四月一三日から本件の取調べを受け、そのころから本件で起訴された七月二五日まで三月以上にわたり、その間四日位を除いて毎日、平均して朝八時ころから夜一一時ころまで、一月一五日の行動を中心として「嘘を言うな」と怒鳴られるなど厳しく取調べられ、そのなかで四月一杯は朝から晩一二時ころまで警察署長官舎で、五月に入ってからは二、三日ずつ間をおいて一〇日位警察官宿舎で、いずれも片手錠を施し、腰紐を警察官が握り、数人の警察官に取り囲まれた状態で怒鳴られるなどしながら厳しく追及され、五月中旬以降心臓病(左心室肥大症、冠不全症)、低血圧症で不眠症となり微熱が続き、それが六月以降不眠・発熱はひどくなり足にむくみもでてくる状態で、取調官はこれらのことを知りながら依然として厳しい取調べを続けた旨述べている。
(<書証番号略>、原告A1)
2 取調主任警察官として本件に関し、原告A1の取調べにあたった司法警察員Fは、別件で原告A1を逮捕引致した昭和四四年四月一三日(同日は夜三〇分位)から原告A1を本件の被疑者として取調べ、四月は二週間位日曜日、休日も休むことなく毎日取調べを続け、そのほかは日曜日は休むが大体において月曜日から土曜日までの取調べを行い、日々の取調べは平均して午前九時ころから同一二時ころまで、昼食後から午後五時ころまで、夕食後から午後一〇時ころまでの間、一日当たり八時間位であった、そして四月ころは鹿屋警察署長官舎で一週間位、警察官宿舎で二、三日位取調べを行い、これら警察署外の取調べは畳の間において座机を用い、逃走防止のため片手錠を施したまま行った旨述べている。
(<書証番号略>、F)
3 昭和四四年五月二四日から七月四日まで鹿屋警察署で原告A1の隣房にいた者は、取調べのため出房した原告A1は、夜九時の消灯で在房者が寝てかなりたってから、独房に帰ってくることがしばしばであり、房内では隅にうずくまっていつも頭をかかえており、とてもつらそうに見受けられた、原告A1は体の調子が悪いといって看守に体温計を貸してくれといったり、自分に「うちは殺人は絶対やっていない、いつか疑いを晴らしてやる。」「すっかりやせてしまった、体力的に弱っている。」と何回も言っていた旨述べている。
(<書証番号略>)
五本件に関する証拠、特に客観的証拠の収集状況
1 第一次逮捕に至るまでの証拠収集状況
① 特捜本部は、昭和四四年一月一八日B夫婦殺害事件の発覚と同時に捜査活動を開始し、現場の実況見分、指紋、血痕、毛髪、足跡、車轍痕等の採取、現場からの衣類、時計その他の証拠物の領置、被害者の親族その他死体発見関係者等の取調べ、広く地域一帯にわたる聞込をし、犯人の発見及び証拠の収集に努めた。
② 前記のとおり、犯行日時は一月一五日夜と特定しうる状況であり、B2の陰部からB1夫婦以外の人物のものと考えられる陰毛一本が採取されるなどしたが、犯人を特定しえず、兇器も角稜を有する鈍器ないし鈍体とされるだけで発見に至らず、その種類の特定もできない状況であった。
③ 捜査の過程で、原告A1が一月下旬ころから、ことさら嫌疑を第三者に向けようとする不審な言動をしていたこと、出産の迫った妻をおいて二月一三日ころ神奈川県の建設現場へ出稼ぎに行ったこと、一月一五日午後八時過ぎころ原告A1に叺一俵を積んで脇かず子方を辞し、途中同乗させた小倉肇をそのころB1方近くで降ろしてから帰宅するまで約二時間の原告A1の行動が不明であることが浮びあがってきた。また、一月二四日の原告A1車のルミノール反応検査により、運転室内のハンドル付近、その他後方荷台に粟粒大の血液陽性反応が認められた。
④a しかし、第一次逮捕に至るまでの時点においては、原告A1車の右血液陽性反応も、それが人血によるものであるかもいまだ不明であった。更に、原告A1と犯行を結びつける客観的証拠としての、原告A1の遺留指紋、血痕、足跡等は発見されず、B1方から原告A1方近くまでの道路沿いに行われた兇器や衣類等の捜索によっても、証拠物は何ら発見されなかった。
b ただ、特捜本部は、一月三〇日に県警本部鑑識課技官C6から、「一月一八日及び一九日B1方庭及び木戸道から採取した車轍痕七個の中の一個に、原告A1車の左前輪タイヤとそのトレッドショルダー部において一致するものがある」との電話による報告を受けていた。しかし、一月一六日午前中にB1方へ飼料を配達に行った農協の運転手の車のタイヤ痕と一致するものが採取されていないことなどから、原告A1車のそれと一致するとされる車轍痕が一月一五日に印象されたものと断定し難いうえ、原告A1はB1方をよく訪問しており、犯行日の車轍痕と特定し難い状況にあった。
c 更に、一月一五日夜の原告A1の行動中午後八時過ぎから二時間位の行動が不明であり、B1の行動も同夜午後八時過ぎ下高隅町の久留ウメ方を単車で出て帰宅の途についたあと全く不明であって、原告A1の右約二時間位の行動が問題とされたが、第一次逮捕に至るまでの時点においては、県警本部鑑識課技官C2らの鑑定によれば、B1の死体の腕時計の打撃による停止時刻は「一月一五日午後一一時四五分ころ」と推定する旨鑑定されていた。
右認定事実を総合すると、第一次逮捕に至るまでの時点においては、原告A1車のルミノール反応検査により、運転室内のハンドル付近、その他後方荷台に粟粒大の血液陽性反応が認められたこと、B1方庭及び木戸道から採取した車轍痕七個の中の一個に、原告A1車の左前輪タイヤとそのトレッドショルダー部において一致するものがあることから、一月一五日午後八時過ぎから二時間位の原告A1の行動が不明であること、原告A1の不審な言動と相俟って、容疑が深まったが、原告A1車のルミノール反応検査による血液陽性反応がB1夫婦の血液によるとの資料はなく、車轍痕も一月一六日の朝B1方を訪れた他車の車轍痕が採取されず、「甲の毛」も原告A1から対象陰毛も採取されていない段階であり、この時点において、B夫婦殺害事件につき、原告A1に対する逮捕状及び勾留状を各請求しうる証拠は、いまだ収集されていなかったと認められる。
(<書証番号略>、証人大重五男、家村行夫)
2 第一次逮捕から約一か月間の証拠収集状況
① 原告A1は、昭和四四年四月一二日第一次逮捕により四月一三日鹿屋警察署に引致されたその日からB夫婦殺害事件の被疑者として取調べを受け、四月二四日の別件起訴の日までに本件関係の供述調書が五通作成されている。
四月二四日付調書には、「一月一五日午後八時四〇分ころB1方に、同人方の木戸口の反対側、車の進行方向の左端に車を止めたうえ立寄り、B1夫婦と雑談して午後一〇時三〇分ころB1方を出て帰宅した。」旨記載され、四月二六日ころには「一月一五日の立寄りの事実」を撤回している。更に、五月一〇日までに本件関係の供述調書が五通作成され、五月二日付調書には、再び「一月一五日夜B1方に、同人方の庭と木戸口の境の板扉のところに車を止めたうえ立寄り、B1夫婦と話し、その途中山田実行が来たがまもなく帰って行き、自分は一時間位いて一人で帰った。」旨記載され、五月一〇日付調書には、「山田実行が来たと言ったのは記憶違いである。」と訂正したほかほぼ五月二日付調書と同内容が記載され、「一月一五日夜B1方に立寄り」「原告A1車のタイヤ痕と一致する車轍痕が採取された位置までは車を乗入れていること」が記載されているが、「B1夫婦と話したあと午後一〇時三〇分ころまでにはB1方を出て帰宅した。」と記載され、犯行に関しては全く記載されていない。
② 原告A1の妻原告A2に対する取調べは、第一次逮捕当日の四月一二日からなされ、別件起訴の日の翌日である四月二五日までの間に供述調書が六通作成されが、四月一二日付調書では、「一月一五日夜は午後一〇時のサイレンを聞いてしばらくして、原告A1が帰宅し、囲炉裏横座に座り焼酎を飲みはじめた、薪で火をたき出してから原告A1が腕から囲炉裏の横においた腕時計を見たら午後一〇時三〇分であった。」と述べられ、その後の供述調書においても大体その供述が維持されるとともに、「原告A1の同夜帰宅時の言動、服装、身体等に変わったところは全くなかった」「一月一五日ないし一八日ころ原告A1が着ていた衣類その他所有衣類でなくなったものはなく、原告A1が二月一三日出稼ぎに出る時持って行ったもの以外は全部家に置いてある」旨述べられており、午後一〇時過ぎからB1の腕時計の停止時刻と推定されていた午後一一時四五分ころまでの間は原告A1は自宅にいたことになったほか衣類等で処分されたものもないことになり、これを覆しうる証拠もなかった。
③ 第一次逮捕と同時ころ原告A1及び原告A1方から衣類、一月一五日に原告A1車の荷台に積まれていた叺、その他が領置され、原告A1車とともに改めてそれぞれ鑑定等に付された。
原告A1車の運転室内のハンドル付近、その他後方荷台に認められた前記ルミノール反応検査による粟粒大の血液陽性反応については、県警本部鑑識課技官C2による五月一日付鑑定結果(<書証番号略>)によると「血痕らしきものの付着を認める」にとどまった。C2の五月一日付鑑定結果(<書証番号略>によると「<書証番号略>と別の五月一日付鑑定書」があると認め得る。)によると「叺」につき「粟粒大の血痕及び小豆大の血痕の付着を認めるが、微量で血液型は不明である」とされた。第一次逮捕から約一か月間における血痕に関する証拠の収集状況は、右のとおりであり、B1夫婦の血痕が付着したものは発見されなかった。
④ 県警本部鑑識課技官C4による、第一次逮捕により原告A1が鹿屋警察署に引致された四月一三日に原告A1から提出された陰毛二三本についての鑑定意見によると、原告A1の陰毛とB2の死体の陰部から採取した陰毛三本のうちB1夫婦の毛でない一本(「甲の毛」)とは、類似するところが多く、特に毛の表面に傷がある点において特徴的な類似性が認められるが、「甲の毛」は捻転屈曲が著しいのに原告A1の陰毛はそれが少なく、にわかにこれを同一と決め難い状況にあった(鑑定書は原告A1が犯行を自白した後の七月七日付で作成されている)。
⑤ 県警本部鑑識課技官C6による、車轍痕についての四月二五日付鑑定によると、原告A1車の左前輪のタイヤ痕と現場採取の車轍痕中一個は紋様及び磨耗の形状が符合する、原告A1車の左後輪のタイヤ痕と現場採取の車轍痕中一個は同種同型のタイヤによって印象されたものと認められる旨鑑定された。しかし、原告A1は一月一五日夜B1方に立寄り車轍痕採取位置を原告A1車で通過したことになる供述をするものの、午後一〇時三〇分ころまでにはB1方を出て帰宅したと供述しており、原告A1の帰宅時刻がB1の腕時計の停止時刻と推定される「午後一一時四五分ころ」より相当前の午後一〇時三〇分以前であることになり、これを覆す証拠もなかった。
右認定事実を総合すると、四月二四日の別件起訴の当時及び第一次逮捕から約一か月を経過したころの時点においては、原告A1車の荷台に積まれていた叺に粟粒大の血痕及び小豆大の血痕の付着が認められたこと、原告A1の陰毛と「甲の毛」とに特徴的な類似性が認められたこと、原告A1車の左前輪のタイヤ痕と現場採取の車轍痕中一個は、紋様及び磨耗の形状が符合し、原告A1車の左後輪のタイヤ痕と現場採取の車轍痕中一個は、同種同型のタイヤによって印象されたと認められたことなどの客観的証拠が追加され、そして、原告A1の不利益事実の陳述には、一月一五日の「立寄りの事実の有無」及び「原告A1の停止位置」等に供述の変遷があるものの、原告A1車のタイヤ痕と一致する車轍痕が採取された位置まで車を乗入れたと供述したこともあることと相俟って、更に容疑が深まったが、「甲の毛」には捻転屈曲があって原告A1の陰毛と同一であると断定するには躊躇され、B1の腕時計の停止時刻による犯行時刻と原告A1の帰宅時刻によるアリバイの成否との関係が未解明であり、前記原告A1車のルミノール反応検査による血液陽性反応の点についてもその後「血痕らしきものの付着を認める」程度の鑑定結果にとどまり、叺に付着していた粟粒大の血痕及び小豆大の血痕も「微量で血液型は不明である」との鑑定結果にとどまったことから、犯行と原告A1を結びつけるにはなお疑問が残り、この時点においても、いまだB夫婦殺害事件につき原告A1に対する逮捕状及び勾留状を各請求しうる証拠は収集されていなかったと認められる。
(<書証番号略>、証人大重五男、家村行夫、F)
3 第一次逮捕から約一か月経過以後の証拠収集状況
① 原告A1は第一次逮捕の約一か月後の五月中旬ころから再び犯行日とされる「一月一五日夜B1方に立寄ったこと」を撤回し、六月四日付調書において三度「これを認める」に至り、その後「一人だけいたB2に情交を求められたり、B2を殴った」と供述した後、同月二四日付調書において「B2と寝床に入ったところB1が帰ってきてB1とB2が喧嘩になった」と供述し、七月二日付調書において「B1が原告A1とB2の間に関係があると言って殴ってきて追いかけられているうち、B2がB1を後ろから馬鍬の刃で叩いて殺してしまった。B2の口から共犯にされることをおそれ、B2の首を絞めて殺した」と供述し、遂に「B2殺害の事実」を自白するに至り、七月二日及び七月三日には一気に四通の自白調書が作成され、七月三日には検察官の取調べ(調書作成なし)も行われ、七月四日「B2殺害」容疑の逮捕状が請求されて発布されるに至った。
② 特捜本部は、三月一四日で一応打切られていた犯行現場から原告A1方に至る道路の両側及び付近一帯の山林、畑、やぶ等の捜索を再開し、これを五月三〇日、六月八日、九日、一一日、一八日、二〇日、二六日、二八日及び七月一五日と行ったが、原告A1と犯行を結びつける客観的証拠は何ら発見されなかった。
③ 原告A1の別件勾留状が七月四日に刑の執行猶予の言渡で失効することが予想される直前頃の六月下旬ころからようやく、犯行時刻、原告A1のアリバイ等に関連する脇かづ子、小倉肇、久留ウメ等参考人の供述調書が作成された。
④ 原告A1の自白が得られると急拠、七月七日付で県警本部鑑識課技官C4による原告A1の陰毛と「甲の毛」の対比鑑定書が作成され、B1の腕時計につき七月三日に日本時計師会公認高級時計師C3による部外鑑定に付し、七月四日付で「腕時計の日送車は午後八時ころから午後一二時ころまでの間に停止した」との鑑定結果を得た。また、特捜本部は、自白にもとづき、後記G検事の指示を受けて、七月三日にB1方から自白による兇器と「同種の馬鍬の刃」を領置した。
⑤ この間の六月中旬ころ、鹿児島地方検察庁検察官検事GがB夫婦殺害事件の主任検事を命じられた。G検事は直ちに犯行現場を見分し、別件詐欺等事件の記録を検討し、第一次逮捕勾留事実、公訴事実及び公判経過を把握した。特捜本部は、六月二〇日過ぎころ、G検事に本件の捜査及び証拠収集状況を説明し、「一月一五日夜B1方の訪問を認めている。犯行を否認しているが、関係証拠により原告A1の犯行と認められるので、逮捕したい。」として、逮捕状請求の許可を求めた。G検事は「現時点で殺人罪の逮捕状請求は困難である」「余罪があるから別件勾留中の原告A1を長期間殺人で任意取調べをするのは適当でない」「逮捕状の疎明資料が整い次第殺人罪で逮捕して取調べるように」指示した。その後、特捜本部は、原告A1を取調べるうち別件判決公判期日である七月四日を目前に控えた七月二日「B2殺害」の前記自白を得たので、再度、G検事に殺人罪による逮捕状請求の許可を求め、G検事は七月三日鹿児島地方検察庁鹿屋支部で原告A1を自ら取調べて自白内容を確認し、逮捕状請求を許可した。
右認定事実を総合すると、五月中旬以降七月二日の自白に至るまで原告A1の犯行ではないかと窺わしめる新たな客観的証拠は加えられず、原告A1の取調べは専ら別件の勾留を利用した本件の取調べであり、その捜査の重点は原告A1の自白を追及することにあったといわざるをえない。そして、七月二日の自白以前の原告A1の供述調書を既存の収集証拠と総合しても、第一次逮捕から、二か月経過した六月中旬当時においても、いまだB夫婦殺害事件につき原告A1に対する逮捕状及び勾留状を各請求しうる証拠は収集されていなかったと認められる。
そして、右認定事実を総合すると、既存の収集証拠に、七月二日の自白及びC3によるB1の腕時計に関する七月四日付鑑定結果を総合して、ここに初めて「B2殺害」容疑の逮捕状及び勾留状を各請求しうる証拠が一応収集されたものと認められる。
(<書証番号略>、証人大重五男、家村行夫、F、G、弁論の全趣旨)
4 第二次逮捕勾留中の原告A1の供述調書
① 特捜本部は、原告A1に対し、昭和四四年七月二日付、三日付各自白調書等を資料として七月四日「B2殺害」容疑の逮捕状の発布を受け、同日別件起訴による刑執行猶予の言渡により勾留状が失効して釈放されると即日右逮捕状により逮捕し、七月六日逮捕事実による勾留請求をなし、七月七日逮捕事実の勾留状が発布され、七月一四日勾留期間は七月二五日まで延長された。
② 七月四日から七月二五日まで二二日間の第二次逮捕勾留期間中に六通の自白調書が作成され、七月一九日には「B1の首をタオルで絞めたこと」、七月二四日には「殺意をもってB1の首を絞め殺害したこと」などを自白し、結局、原告A1は勾留期間満了日の七月二五日「B1及びB2殺害」の公訴事実で起訴されるに至った。
③ 右六通の自白調書は、第一次勾留中に作成された七月二日付、三日付各自白調書にもとづいて、それと社会事実的に同一性を有する事実内容を詳細化、具体化したものであって、それを八〇日余りにわたる第一次逮捕勾留中の取調べに連続した取調べにより作成されたものであることも明らかであり、また、第一次逮捕勾留中の取調べ状況からすると、第二次逮捕勾留は実質的に逮捕勾留の繰り返しともいいうるものであり、そのもとで作成された第二次逮捕勾留中の原告A1の供述調書である。
(<書証番号略>)
5 第二次逮捕勾留中の客観的証拠等の収集状況
① 特捜本部は、昭和四四年七月五日、自白による絞殺方法の実演を命じたところ、原告A1は「右大腿部にタオルをまきつけ両手で交差して絞めつけたあと、右手で右ひねりに絞めつけ右手で保持する」方法を実演したので、写真に撮影した。
② 特捜本部は、七月九日ころ、科警研技官C5に「甲の毛」と原告A1から提出を受けたとされる陰毛二一本を送付して鑑定を嘱託した。C5は七月九日特捜本部に、「甲の毛」と原告A1の陰毛は同一でB型であるとの鑑定結果を電話で連絡し、七月一七日、「甲の毛と原告A1の陰毛はほぼ同一である。甲の毛と原告A1の陰毛を比較した結果、毛の表面に横の亀裂があり、一般に陰毛においてこのような亀裂がみられるのは、過去の検査、研究及び鑑定においても非常に希であり、個人的特徴である」との鑑定書を提出した。
③ 鹿児島大学教授C1は、七月一四日、前記領置にかかる同種の馬鍬の刃はB1夫婦殺害の成傷器足り得るとの鑑定意見を特捜本部に寄せた。七月一五日以降に自白による兇器である「馬鍬の刃」の捜索がなされたが、発見に至らなかった。また、七月一六日、原告A1車の腐食部の実況見分がなされた。
④ 原告A1は、七月二日の自白の中で「B1から包丁で打ってかかられ、右手首に傷を受けた」と供述していた。そこで、右手首の外傷瘢痕の陳旧度が自白の情況証拠として重要であるが、前記C1は七月二二日「右手首の外傷瘢痕は鋭利な刃先または刃尖にて擦過された極めて浅い切創痕と判断される。受傷後の経過日数は判然としないが、左顔面左眉毛外端上方に存する小指大の陳旧なる外傷瘢痕よりも新しい」との鑑定書を提出した。
(<書証番号略>)
6 本件起訴後の客観的証拠等の収集状況
① 特捜本部は、本件起訴後の昭和四四年八月一日、馬鍬の刃が走行中の原告A1車から落下するかの実験をした。原告A1車の腐食した『コ』の字の穴に馬鍬の刃先がひっかかっている場合には、車両の動揺により、馬鍬の刃が落下したが、それ以外の場合には落下しなかった。
② 県警本部鑑識課技官C2は、八月一四日、原告A1から提出を受けた渋沢陸運のマーク入りカーキ色半袖シャツ右袖上部に「小指大の淡黄褐色斑がありB型の人血痕である」と鑑定した。
(<書証番号略>)
第四身柄拘束の違法性について
一第一次逮捕勾留自体の違法性について
第一次逮捕勾留の理由と必要性に関する前記第三の二2、4の事実、殊に第一次逮捕勾留事実の罪質、罪数、態様、当時の住居、人物についての付近住民の受取り及び当時前記第三の二3の追起訴にかかる同種余罪が見込まれた事実を総合すると、第一次逮捕勾留の理由と必要性は、一応あったと認められる。そして、逮捕勾留請求の許否は、請求のあった事実につき逮捕勾留の要件があるかどうかによって決すべきであるから、第一次逮捕勾留の理由と必要性が存する以上、仮に捜査官において、第一次逮捕勾留の期間中を利用してB夫婦殺害事件を取調べる意図があり、現にその取調べをし、かつそれが逮捕勾留の主たる目的であったとしても、第一次逮捕勾留自体は許されないというほかはない。
よって、第一次逮捕勾留には「逮捕勾留の理由と必要性がない」として、第一次逮捕勾留それ自体及び検察官による第一次勾留請求の各違法をいう原告らの主張はいずれも理由がない。
二本罪の逮捕勾留を利用する余罪取調べの違法性の判断基準
1 ところで、被疑者の逮捕勾留は、本来は罪証隠滅及び逃走の防止のためであって、被疑者の取調べを直接の目的とするものではない。しかし、刑事訴訟法一九八条一項但書は、逮捕勾留されている被疑者には、捜査官のもとに取調べのために出頭する義務があり、かつ一旦出頭したら取調受忍義務があつて勝手には退去できない趣旨を定めている。実際にも、逮捕勾留はほとんど例外なく取調べのために利用されている。このように、逮捕勾留中の被疑者に出頭義務及び取調受忍義務を肯認した法律の趣旨及び捜査の実際に照らすと、逮捕勾留中の被疑者の取調べは強制処分であると解すべきである。そうすると、逮捕勾留中の被疑者が出頭義務及び取調受忍義務を負うのは、裁判所による司法的審査がなされた事実、即ち、逮捕勾留の基礎となった事実(「本罪」)に限定されるといわなければならない。しかし、このことは、逮捕勾留中の被疑者については任意の取調べとしても、逮捕勾留の基礎となった犯罪事実以外の事実(「余罪」)を取調べることができないということを意味するものではない。例えば、被疑者に多数の余罪があり、被疑者もその取調べを拒まないときは、できるだけ本罪の逮捕勾留を利用して余罪の取調べをすませ、身柄拘束期間の短縮を図るべきである。もっとも、そこでの余罪の取調べは、被疑者が身柄拘束中であるという現実を踏まえた上で、あくまでも、出頭義務及び取調受忍義務のない完全な任意処分としての取調べでなくてはならない。
したがって、もし余罪につき強制処分としての取調べの必要があるときは、事件単位の令状主義の原則に立返り、捜査官はこの余罪につき令状請求等の措置をとり司法審査を経た上、その令状によって身柄を確保し、法定の期間内に捜査を遂げ、起訴、不起訴、身柄釈放等の措置をとるべきである。かかる措置を取ることなく、仮にも本罪の勾留を利用して、いまだ逮捕状及び勾留状の各請求をなしうるだけの資料のそろっていない余罪について、その具体的状況のもとにおいて、実質的に強制処分であるとの評価を受ける取調べを続行した場合には、憲法及び刑事訴訟法の保障する令状主義の趣旨にもとる取調べとして、その取調べが違法となるのはもとより、その身柄拘束も実質において令状なくして余罪につき逮捕勾留したものとの評価を受け、違法となるものと解すべきである。
2 また、起訴後の勾留は、本来被告人の逃走及び罪証隠滅を防止し、勾留の基礎となった公訴事実の審理の円滑、適正を確保するためのものであるから、公訴事実以外の余罪の捜査のため被告人の身柄を確保し、被告人を取調べる必要があるときは、余罪について新たに逮捕状及び勾留状の発布を求め、これに基づいて身柄を拘束すべきものである。しかし、このことは、起訴後の勾留中の被告人についは、右の意味での完全な任意の取調べとしても、余罪を取調べることができないということを意味するものではない。既に、公訴事実について適法に身柄が拘束されていれば、再度身柄拘束の手続をとることなく、公訴事実についての身柄拘束を利用して余罪につき被告人を取調べても、その取調べの期間、方法、程度に照らし、その取調べが実質的にも完全な任意処分としての取調べであると評価でき、起訴後の勾留本来の目的を損なうことのない限り、許されると解すべきである。ここに、起訴後の勾留本来の目的を損なうとは、例えば、余罪についての被告人の取調べが、公訴事実の審理に通常必要と考えられる期間を超過し、しかも、その間の取調べが連続集中して多数回にわたり行われていて、到底任意処分としての取調べといえないような場合である。このような場合は、起訴後の勾留がその実質においてほとんど余罪につき被告人を取調べるための身柄拘束に転化しており、起訴後の勾留の利用の限度を超えているものというべきである。
したがって、もしこの限度を超えてまで身柄確保のうえ余罪取調べの必要があるときは、事件単位の令状主義の原則に立返り、捜査官はこの余罪につき令状請求等の措置をとり司法審査を経たうえその令状によって身柄を確保し、法定の期間内に捜査を遂げ、起訴、不起訴、身柄釈放等の措置をとるべきである。かかる措置を取ることなく、仮にも起訴後の勾留の利用の限度を超えて、いまだ逮捕状及び勾留状の各請求をなしうるだけの資料のそろっていない余罪についての取調べを続行した場合には、その具体的状況のもとにおいて、憲法及び刑事訴訟法の保障する令状主義の趣旨にもとる取調べとして、その取調べが違法となるのはもとより、その身柄拘束も実質において令状なくして余罪につき逮捕勾留したものとの評価を受け、違法となるものと解すべきである。
3 そして、本罪による逮捕勾留中の余罪についての取調べが、具体的状況のもとで令状主義の趣旨にもとる取調べとして、その取調べが違法となるか否かは、a 本罪と余罪との罪質及び態様の相違、法定刑の軽重、並びに捜査当局の両事実に対する捜査上の重点の置き方の違いの程度、b 本罪と余罪との関連性の有無及び程度、c 取調べ時の余罪についての身柄拘束の必要性の程度、d 余罪についての取調べ方法(場所、身柄拘束状況、追及状況等)及び程度(時間、回数、期間等)並びに被疑者の態度、健康状態、e 余罪について逮捕勾留して取調べたのと同様の取調べが捜査において許容される被疑者の逮捕勾留期間を超えていないか、f 余罪についての証拠、特に客観的証拠の収集程度、g 余罪に関する捜査の重点が被疑者の自白を追及する点にあったか、物的資料や被疑者以外の者の供述を得る点にあったか、h 捜査担当者らの主観的意図はどうであったか等の具体的状況を総合して判断するという方法をとるのが相当である。
三第一次逮捕勾留及び起訴後の勾留を利用してのB夫婦殺害事件の取調べと身柄拘束の違法性
1 第一次逮捕勾留及び起訴後の勾留を利用してのB夫婦殺害事件の取調べの具体的状況
前記認定事実を総合すると、次のとおり認定、判断できる。
① 第一次逮捕勾留は、逮捕勾留の理由及び必要性が一応認められるが、B夫婦殺害事件と比較して、その法定刑がはるかに軽いのはもとより、その罪質及び態様においても質的大差のある軽い犯罪であることは明白である。また、昭和四四年一月一八日の特捜本部の設置以来、約八〇日にわたって捜査を展開してきた捜査官らの関心は、主としてB夫婦殺害事件の事実の解明に向けられていたことは明らかである。このことは、別件詐欺等事件が一応自白事件であったこと、別件の詐欺等に関する原告A1の司法警察員に対する供述調書が県警本部捜査一課から特捜本部に派遣された捜査官によって作成されていること、別件起訴・公判出席検察官がB夫婦殺害事件に関し、原告A2を取調べ「原告A1のアリバイ」に関する事情を聴取し供述調書を作成していること、当然のことながら特捜本部はB夫婦殺害事件の主任検事となったG検事に捜査状況を説明し、G検事も第一次逮捕勾留事実、公訴事実及び公判経過、本件の捜査及び証拠収集状況を把握し、両者は六月中旬ころから密接な連携関係にあったものと認められること、執行猶予による第一次勾留の失効が予測される七月四日の別件判決公判期日を目前に控えて自白の追及が急ピッチであったと窺えること、現に七月二日の「B2殺害」の自白を得て急遽七月四日「B2殺害」容疑で逮捕していることなどから容易に推認することができる。
② 第一次逮捕勾留事実と第二次逮捕勾留事実とは、同種余罪といった関係にないことは勿論、その罪質、被害者、犯行日時、場所、犯行態様のいずれをも異にして関連性がなく、一方の取調べが他方の取調べにつながるといった密接な関係は、全く存在しない。
③a 前記のとおり、第一次逮捕勾留の理由と必要性は一応認められる。しかし、四月二四日には別件起訴、五月一六日に同種余罪の追起訴がなされて捜査は完了しており、原告A1はその取調べに対し当初から事実を争わず犯意も一応認めていたこと、罰金刑の前科が二回あるのみで、出稼ぎ中ではあるが留守宅の妻子とも密接な連絡がとれていた。五月二三日の別件第一回公判期日で全起訴事実を認め、検察官の立証が終り、被害弁償のために続行された。六月一三日の第二回公判期日で被告人質問及び被害全事実の弁償の立証等がなされて結審している。事件も誰がみても、刑執行猶予が予測される事案であった。
b してみると、第一次勾留にひきつづく起訴後の勾留は、刑事訴訟法八九条の権利保釈事由に該当し、同法六〇条二項の勾留更新の回数制限のある身柄拘束状態にあったのは勿論、勾留更新事由も存在しない身柄拘束状態にあったと認められる。このような事案にあっては、事件の迅速な処理や保釈による身柄の釈放の努力が期待されるところであり、実務上も結審当日に判決宣告をしたり、すくなくとも結審後に勾留更新をしたりすることのないように速やかに判決を宣告するのが、実務の一般的な取扱いであるといってよい。
c そうすると、第一次勾留及び起訴後の勾留の必要性は、四月二四日の別件起訴によってある程度減少し、五月一六日の追起訴により更に少なくなり、五月二三日の別件第一回公判期日の終了によってなくなっていたと認められる。原告A1は、六月一三日の別件第二回公判期日、六月一八日の勾留更新、七月四日の判決宣告を経て、同日第二次逮捕されるまでの間、更に四〇日余も起訴後の勾留を受けている。
④ しかも、第一次逮捕勾留中の本件の取調べは、鹿屋警察署への引致の当日である四月一三日から始められ、四月中は二週間位休日もなく連続して、五月ころは大体において日曜日を除いて連続的に、平均して朝から晩一〇時ころまでの間に一日あたり八時間位(別件関係の供述調書が作成された四月一三、二二、二三、二四、五月二日、一〇日には本件の取調時間はその分少なくなる)の密度の濃い取調べが恒常的に八〇日余りの期間にわたって続けられ、このうち四月ころは約一〇日間にわたり警察署長官舎及び警察官宿舎の畳の間で座らせて、片手錠を施したままの取調べを行っていたものである。B夫婦殺害事件についての取調べは第一次逮捕勾留を利用してなされ、四月二四日の別件の起訴まではB夫婦殺害事件を主とし別件を従として、別件追起訴事実に関する原告A1の最終調書が作成された五月一〇日ころまではB夫婦殺害事件の取調べにそのほとんどをあて、その後は専ら、B夫婦殺害事件の取調べにあてて長期間連続的、日々長時間行われ、しかも警察署外で片手錠を施したまま行われたことを含むものであること、そして原告A1は六月ころからは相当に思い身体的、精神的疲労状態をあらわしてきており、そのことは取調官に自明であったといえるものであり、原告A1がB夫婦殺害事件に関する取調べを拒絶する態度に出なかったのは、逮捕勾留事実と全く関連性のないB夫婦殺害事件について、その取調べを受忍する義務のないことを知らなかったためであるといえる。
⑤ 仮にB夫婦殺害事件につき逮捕勾留がなされても、取調べのために捜査官に許される被疑者の身柄拘束期間は、最長二三日間であり、この期間内に起訴できないときは、被疑者を釈放しなければならない(刑事訴訟法二〇三条ないし二〇八条)。しかるに、B夫婦殺害事件について捜査官は第一次逮捕勾留を利用してB夫婦殺害事件について逮捕勾留して取調べると同様の取調べを二三日間を超えて八〇日余りの期間にわたって行ったのみならず、最後に至って「B2殺害」の自白が得られると、更にこれを資料として「B2殺害」容疑で逮捕勾留し、改めて二二日間も取調べてB夫婦殺害事件の起訴をおこなったものである。
⑥ 逮捕状及び勾留状の各請求をするには、犯行と被疑者の結びつきを疎明する必要があるところ、(一)第一次逮捕に至るまでの時点においては、原告A1車のルミノール反応検査により、運転室内のハンドル付近、その他後方荷台に粟粒大の血液陽性反応が認められたこと、B1方庭及び木戸道から採取した車轍痕七個の中の一個に、原告A1車の左前輪タイヤとそのトレッドショルダー部において一致するものがあること、一月一五日午後八時過ぎから二時間位の原告A1の行動が不明であること、原告A1の不審な言動と相俟って容疑が深まったが、原告A1車のルミノール反応検査による血液陽性反応がB1夫婦の血液によるとの資料はなく、車轍痕も一月一五日の朝B1方を訪れた他車の車轍痕が採取されず、「甲の毛」も原告A1から対象陰毛も採取されていない段階であり、この時点において、B夫婦殺害事件につき、原告A1に対する逮捕状及び勾留状を各請求しうる証拠は、いまだ収集されていなかった、(二)四月二四日の別件起訴の当時及び第一次逮捕から約一か月を経過したころの時点においては、原告A1車の荷台に積まれていた叺に粟粒大の血痕及び小豆大の血痕の付着が認められたこと、原告A1の陰毛と「甲の毛」とに特徴的な類似性が認められたこと、原告A1車の左前輪のタイヤ痕と現場採取の車轍痕中一個は、紋様及び磨耗の形状が符合し、原告A1車の左後輪のタイヤ痕と現場採取の車轍痕中一個は、同種同型のタイヤによって印象されたと認められたことなどの客観的証拠が追加され、そして、原告A1の不利益事実の陳述には、一月一五日の「立寄りの事実の有無」及び「原告A1の停止位置」等に供述の変遷があるものの、原告A1車のタイヤ痕と一致する車轍痕が採取された位置まで車を乗入れたと供述したこともあることと相俟って、更に容疑が深まったが、「甲の毛」には捻転屈曲があって原告A1の陰毛と同一であると断定するには躊躇され、B1の腕時計の停止時刻による犯行時刻と原告A1の帰宅時刻によるアリバイの成否との関係が未解明であり、前記原告A1車のルミノール反応検査による血液陽性反応の点についてもその後「血痕らしきものの付着を認める」程度の鑑定結果にとどまり、叺に付着していた粟粒大の血痕及び小豆大の血痕も「微量で血液型は不明である」との鑑定結果にとどまったことから、犯行と原告A1を結びつけるには疑問が残り、この時点においても、いまだB夫婦殺害事件につき原告A1に対する逮捕状及び勾留状を各請求しうる証拠は収集されていなかった、(三)五月中旬以降七月二日の自白に至るまで原告A1の犯行ではないかと窺わしめる新たな客観的証拠は加えられず、原告A1の取調べは専ら別件の勾留を利用した本件の取調べであり、その捜査の重点は原告A1の自白を追及することにあり、七月二日の自白以前の原告A1の供述調書を既存の収集証拠と総合しても、第一次逮捕から、二か月経過した六月中旬当時においても、いまだB夫婦殺害事件につき原告A1に対する逮捕状及び勾留状を各請求しうる証拠は収集されていなかった、(四)そして、既存の収集証拠に、七月二日の自白及びC3によるB1の腕時計に関する七月四日付鑑定結果を総合して、ここに初めて「B2殺害」容疑の逮捕状及び勾留状を各請求しうる証拠が一応収集されたものである。
⑦ 第一次逮捕勾留の当初は原告A1側から陰毛・着衣その他B夫婦殺害事件との関連性が考えられる物の任意提出を得て鑑識・鑑定に付し、また、妻原告A2等の供述調書を作成するなどの捜査があったことは認められるが、これらによっても、原告A1と犯行を直接結びつける資料が発見されない事態に至り、B夫婦殺害事件に関する捜査の重点は、昭和四四年五月中旬以降は一層、原告A1の自白の追及に向けられていった。
⑧ 特捜本部は、昭和四四年四月一三日の第一次逮捕による引致の日から七月四日の第二次逮捕に至るまで、第一次逮捕勾留による身柄拘束を積極的に利用して、B夫婦殺害事件についての原告A1の取調べ、その他の捜査を行ってきており、特捜本部が第一次逮捕の当初からB夫婦殺害事件の自白に至るまで、第一次逮捕勾留による身柄拘束を、いまだ逮捕状及び勾留状の各請求をなしうるだけの資料のそろっていないB夫婦殺害事件の取調べに積極的に利用しようという意図を有していた。
2 B夫婦殺害事件取調べ過程の身柄拘束状態及び起訴後の勾留による身柄拘束状態の違法性
以上の認定、判断を総合すると、更に次のとおり判断できる。
① 第一次逮捕勾留中の原告A1に対するB夫婦殺害事件についての取調べは、いまだ逮捕状及び勾留状の各請求をなし得るだけの資料のそろっていない重大事犯であるB夫婦殺害事件について原告A1を取調べる目的で、B夫婦殺害事件の捜査中資料のそろってきた関連性の全くない軽い事犯である第一次逮捕勾留事実について逮捕状及び勾留状の発布を受けたものである。第一次逮捕勾留それ自体は、その理由及び必要性が一応認められ、その事実について取調がなされて四月二四日に起訴されているけれども、それ以後は別件の公判審理のための勾留であり、勾留の理由及び必要性が高いとはいえない事案である。しかるに、特捜本部は、原告A1の第一次逮捕による引致の日からB夫婦殺害事件の取調べに入り、第一次逮捕勾留を利用して、別件の起訴前からB夫婦殺害事件の取調べを主とし別件を従とする取調べを行い、別件起訴後五月一〇日ころまでは別件同種余罪の取調べを若干なしたものの、ほとんどをB夫婦殺害事件の取調べにあて、五月中旬以降は専らB夫婦殺害事件の取調べをなし、その取調状況は平均して朝から晩一〇時ころまで、四月中は二週間位休日もなく連続してといえる八〇日余りの期間にわたる長時間、長期間、連続的なもので、そのうち四月後半ころは約一〇日間にわたり警察署長官舎の畳の間で座らせて、片手錠を施したまま取調べたものである。そして、特捜本部の右捜査によっても、第一次逮捕から一か月経過してもいまだB夫婦殺害事件の逮捕状及び勾留状の各請求をなし得る証拠の収集はなく、五月中旬以降も原告A1の犯行であることを窺わせるような客観的新証拠の収集がなく、六月中旬に至ってもいまだB夫婦殺害事件の逮捕状及び勾留状の各請求をなしうる証拠は収集されず、原告A1は取調受忍義務のないことを知らずやむなく取調べを受け、六月ころからは相当重い身体的精神的疲労状態をあらわしているなかで、B夫婦殺害事件について逮捕勾留して取調べるのと同様の取調べを、捜査において許容される逮捕勾留の時間制限を実質的に大きく超過して行いつつ、原告A1の自白を追及したものということができる。
② 右のような、原告A1に対するB夫婦殺害事件に関する取調べの具体的状況に照らすと、五月一六日の別件追起訴により別件詐欺等の捜査が完了した後の取調べは、違法であるとの疑いが強いものというべきであり、少なくとも別件第一回公判期日の日の翌日である五月二四日から七月四日の「B2殺害容疑」の逮捕までの取調べは、到底任意処分としての取調べであるとは認められず、別件起訴後の勾留が、その実質において、いまだ逮捕状及び勾留状の各請求をなしうるだけの資料のそろっていないB夫婦殺害事件につき原告A1を取調べるための身柄拘束に転化しており、起訴後の勾留の利用の限度を超えているものというべきであり、憲法及び刑事訴訟法の保障する令状主義の趣旨にもとる取調べとして、その取調べが違法となるのはもとより、その身柄拘束も、形式的には別件詐欺等の起訴後の勾留であるが、その実質において令状なくしてB夫婦殺害事件につき逮捕勾留したものと評価でき、違法な身柄拘束状態にあったものと解すべきである。そして、七月四日の「B2殺害容疑」による逮捕及びこれによるその後の起訴前の勾留は、実質において既に「B2殺害容疑」で逮捕勾留し捜査において許容される身柄拘束期間を利用しきった後に、合理的理由がないのに再度同じ容疑で逮捕勾留を繰り返したものとして、違法な身柄拘束状態にあったものと評価できる。更に、B夫婦殺害を公訴事実とする七月二五日の起訴から昭和五五年一二月五日の保釈までの起訴後の勾留は、右違法な起訴前の勾留を前提として継続されているものであり、その違法性を承継していると評価できる。
③ そして、ここまでに問題にしてきた一連の身柄拘束状態には、警察官は逮捕状の請求者・執行者として、検察官は勾留状の請求者・執行者として、裁判官及び裁判所は起訴後の勾留に関する処分及び起訴後の勾留の主体として、それぞれその公権力の行使に関与しているものであるが、ここでは、それぞれの公権力行使の主体が、その身柄拘束状態の適否につきどのように「判断」していたか、更にその判断につき公権力の行使主体に遵守すべき行為規範の違反があったか否か、即ち、「判断の違法性の有無」が問われているものではなく、一連の身柄拘束状態という「事実」を前提とし、その「事実の違法性の有無」が問われているのであるから、損害賠償請求事件を審理する裁判所が、直接その違法性の有無を判断すべき筋合であることは、先に説示したとおりである。そして、当裁判所は、右一連の身柄拘束状態のうち、少なくとも別件第一回公判期日の日の翌日である昭和四四年五月二四日から昭和五五年一二月五日の保釈までの身柄拘束状態は違法であると判断するものである。
④ 更に、損害賠償請求事件を審理する裁判所の立場からの事後的判断としては、昭和四四年五月二四日以降に作成された原告A1の捜査官に対する供述調書は、違法に収集された証拠として、その証拠能力が否定されるべきものであったと解する。
3 警察官の右身柄拘束状態への関与と因果関係
警察官は、別件第一回公判期日の日の翌日である昭和四四年五月二四日から、原告A1の司法警察員に対する起訴前の最終の供述調書(<書証番号略>)が昭和四四年七月二五日に作成されていることからも明らかなように、B夫婦殺害事件の公訴提起の日でもある同日まで、右違法な身柄拘束状態を利用して原告A1を取調べの対象とすることによって、右違法な身柄拘束状態に関わりをもったことは明らかである。警察官は、その後のB夫婦殺害の公訴事実についての起訴後の勾留につき、直接には関わりをもっていないが、B夫婦殺害事件の公訴提起の日までの右違法な身柄拘束状態を利用しての取調べ、調書の作成、身柄の送検の一連の職務行為は、特段の事情のない限り、その後の検察官の勾留請求、公訴提起、裁判所の勾留更新等に主要な影響を与えたものと認められるから、社会通念上は、警察官のB夫婦殺害事件の公訴提起の日までの違法な身柄拘束状態への関わりとその後の昭和五五年一二月五日の保釈までの違法な身柄拘束状態との間には、相当因果関係があるものと認められる。
4 検察官の右身柄拘束状態への関与と因果関係
第一次逮捕勾留自体が適法であることは、先に説示したとおりであるから、B夫婦殺害事件に関与した検察官は、昭和四四年七月六日の「B2殺害」容疑の勾留請求をするまでの間、法形式的には右違法な身柄拘束状態に直接的な関わりをもっていないことになる。しかし、前記のとおり、昭和四四年六月中旬ころ、B夫婦殺害事件の主任検事を命じられた鹿児島地方検察庁検察官は、直ちに別件詐欺等事件の記録を検討し、第一次逮捕勾留事実、公訴事実及び公判経過を把握していること、六月二〇日過ぎころには、特捜本部からB夫婦殺害事件の捜査及び証拠収集状況の説明を受け逮捕状及び勾留状の請求が困難であるとの認識に至り、余罪の殺人罪で長期間取調べるのは適当でないから、逮捕状請求の疎明資料が整い次第殺人罪で逮捕して取調べるように指示していること、その後警察官の取調べによる「B2殺害」の自白を経て、自らも原告A1を取調べて自白内容を確認し、「B2殺害」容疑の逮捕状請求に許可を与えていること、これらの行為が検察官の職務行為であることも明らかであることなどを総合すると、検察官としても別件第一回公判期日の日の翌日である昭和四四年五月二四日から七月六日の「B2殺害」容疑の勾留請求までの間の違法な身柄拘束状態に関わりを持っていたと認めるのが相当である。そして、検察官が七月六日の「B2殺害」容疑の勾留請求の日から七月二五日のB夫婦殺害の公訴提起の日までの違法な身柄拘束状態に関わりを持っていたことは勿論である。更に、検察官は、B夫婦殺害の公訴事実についての起訴後の勾留につき法形式的にみると直接には関わりをもっていないが、検察官の再逮捕、再勾留による違法な身柄拘束状態を利用しての取調べ、調書の作成、公訴提起の一連の職務行為は、特段の事情のない限り、その後の裁判所の勾留更新等に主要な影響を与えたものと認められるから、社会通念上は、検察官の別件第一回公判期日の日の翌日である昭和四四年五月二四日から七月二五日のB夫婦殺害事件の公訴提起の日までの違法な身柄拘束状態への関わりと昭和五五年一二月五日の保釈までの違法な身柄拘束状態との間には、相当因果関係があるものと認められる。
四検察官のした第二次勾留請求の職務行為自体の違法性
1 検察官のした第二次勾留請求は、損害賠償請求事件を審理する裁判所の立場からの事後的判断としては、違法に収集された原告A1の自白調書を資料として、しかも、合理的理由もなく実質的に同じ容疑で勾留を繰返し求めるものであって、却下されるべきものであったというほかない。
2 しかし、原告らの主張のように、検察官の職務行為である第二次勾留請求自体につき、請求の根拠たりうる資料の存否及び違法な再勾留該当性の存否の角度から、その請求が国賠法一条一項の違法事由となるかを問題にする限り、それは、やはり「判断の過誤の違法性の有無の問題」であって、行為規範違反が問われることになり、勾留の理由と必要性のないことが一見明白であるときに限り、勾留請求の違法性をもたらすと解するほかない。そして、第二次勾留請求自体に勾留の理由と必要性のないことが一見明白であるとまでは、認められない。
五別件起訴立会検察官の第一次勾留を継続した違法性
別件起訴立会検察官が、第一次勾留の取消請求権者であることは明らかであるが、同検察官が第一次勾留の取消請求権を行使しなかったことなど第一次勾留による身柄拘束の排除のための行動をとらなかったこと、それ自体が国賠法一条一項の違法事由になるとは認められない。
第五捜査過程での捜査官の違法行為について
一請求の原因一三1、2、3について
取調べ方法が任意捜査の限度を越えて違法であり、本件取調べが任意捜査の限度を越えて違法であることは、前記一連の身柄拘束状態の違法性の判断の中で判断し評価されつくした。損害賠償額の算定にあたっての斟酌事由となる。また、原告A1からの陰毛二三本の採取及び原告A1宅からの衣類等の捜索が任意捜査として適法であることは前記捜査の経過に関する事実認定から明らかである。
二B3の供述調書の改竄
1 前記認定事実によると次の事実が明らかである。
① 特捜本部は、「B1と最後にあったのは一月一六日である」とのB3の供述(訂正前のB3の昭和四四年一月一八日付司法警察員に対する供述調書)、「一月一六日午後三時ころ神社下の道路でB2と会った」とのEからの聞込みを得ていたことなどから、捜査の初期の段階においては、犯行日は昭和四四年「一月一六日夜」と見ていた。
② その後の捜査で、a 犯行の際に受けた打撃により停止したと見られるB1の左手首のカレンダー付腕時計の「停止日付が一五」であること、b 一月一六日午前一〇時ころ農協の運転手が家畜の飼料の配達に行った時、雨戸がしめきりになっており、表の間の障子もたてきってあったこと、c その際農協の運転手が小縁に置いていた家畜の飼料及び伝票が、一月一八日事件発覚の際もそのままの状態で発見され、被害者が触れた形跡もなかったこと、d 一月一七日に厩舎の成牛と小牛が綱を噛切って庭に放たれており、飼料を供せられず相当飢えていたと見るべきであったこと、e 死体の腐乱が進んでいたこと、f B3及びE以外に「一月一六日以降にB1及びB2と会った」と供述する者もおらなかったこと、g 三月下旬ころに至り、Eが「一月一六日午後三時ころ神社下の道路で会ったのはB2ではなく人違いであった」と供述を変更するに至ったこと、結局、B1夫婦の足取りが「一月一五日夜」から不明と判明した。
2 そうすると、「B1と最後にあったのは一月一六日である」とのB3の供述だけが突出し不自然であるから、特捜本部がB3を再度取調べたと容易に推認できる。そして、訂正前のB3の司法警察員に対する供述調書は「一昨日ですから一月一六日になる訳です。」となっていたが、原一審裁判所に提出されたB3の同調書では「一昨々日ですから、一月一五日になる訳です。」と『々』の一字が加入され、「一月一『六』日」の記載が「一月一『五』日」と訂正され、訂正印を押したものに変えられているが、右訂正は刑事訴訟法規則に定める方式にはずれてはいないのであるから、その際、B3の供述の変更により、調書が訂正されたものと見ることもできる。
3 したがって、特捜本部が犯行日を一月一五日として、原告A1を有罪とするため、訂正前のB3の調書を意図的に変更改竄したものと認めるには足りない。
三兇器についての鑑定書の意図的作成
1 原告ら指摘の「『馬鍬の刃』はB夫婦殺害事件の成傷器になりうる」とするC1作成の昭和四四年七月一四日付鑑定書(<書証番号略>)とC2作成の同年八月二三日付鑑定書(<書証番号略>)は、内容、文章まで全く同一であることがその記載に照らし明らかである。
2 特捜本部は、昭和四四年七月一一日、鹿児島大学医学部法医学教室教授C1に、領置にかる馬鍬の刃が「B夫婦殺害事件の成傷器足りうる」かの鑑定嘱託をした。C1教授は、馬鍬の刃の物体検査及び死体解剖記録に基づき鑑定をし、七月一四日付で前記鑑定書を作成した。
3 C2鑑識技官は、七月一二日鑑定嘱託を受け、八月二三日付で前記鑑定書を作成した。C2技官は、日頃からC1教授の指導を受ける関係にあり、B1夫婦の司法解剖にも立会っており、「自己の学識に基づいてありのまま書いた」と刑事法廷で証言している。
4 右事実からすると、C1教授がC2技官の影響下に意図的に鑑定書を作成する関係にないし、C2技官も自己の学識に基づいて鑑定しても「文章まで全く同一の鑑定に至った」というのであるから、誠実な鑑定作業を放棄したとの疑いを甘受せざるをえないが、敢えて鑑定書を意図的に作成したとまでは認定できない。
(<書証番号略>、証人家村行夫、大重五男)
四被害者B1の腕時計に関する鑑定書の意図的作成
B1の腕時計に関する鹿児島県警察本部技官C2の鑑定書は昭和四四年二月一四日に提出され、それによると停止時刻は一月一五日午後一一時四五分ころとなっている。特捜本部は、原告A1が犯行を自白した七月二日から二日過ぎた七月四日に、日本時計師公認高級時計師C3に、腕時計の再鑑定を嘱託し、C3は同月四日付で「停止時刻は一月一五日午後八時二〇分ころから午後一二時ころまで」とする鑑定書を提出している。
しかし、本件全証拠によっても、特捜本部が、原告A1を犯人とするため、犯行時刻を原告A1のアリバイのはっきりしない「一月一五日午後九時ころ」とする必要があって、鑑定人C3をして、特捜本部の設定した犯行時間帯と矛盾しない鑑定書を意図的に作成させたものとは、認めるに足りない。
(<書証番号略>、証人家村行夫、大重五男)
五陰毛に対する作為について
1 原告らは、遺留毛(「甲の毛」)と原告A1から採取した陰毛との対比鑑定を科警研技官C5に鑑定嘱託するに際し、特捜本部は、① 原告A1から採取した陰毛を「甲の毛」であるとして「故意にすり替え」、② 少なくとも、原告A1から採取した陰毛を「甲の毛」に「過失により混入」させて、鑑定嘱託し、その結果、「『甲の毛』と原告A1から採取した陰毛とは同一である」との鑑定結果を作為的又は過失により得たと主張する。
2 ところで、右主張が損害賠償請求権の発生原因事実として肯認されるためには、鑑定人C5による右鑑定作業にあたって、C5が遺留毛(「甲の毛」)として取扱った陰毛(刑事事件では「甲'の毛」と略称されている)は、実は原告A1から採取した陰毛であったとの事実(要証事実→甲'の毛」=原告A1の陰毛)が立証されなくてはならない。つまり、「すり替えまたは混入の疑い」の立証では足りず、現実に「すり替えまたは混入された」事実の立証がなされなくてはならない。この点につき、差戻後の控訴審においては、「甲の毛」及びC5鑑定の証拠価値、即ち、鑑定人C5が遺留毛(「甲の毛」)として取扱った陰毛(「甲'の毛」)が現実に遺留毛(「甲の毛」)であったのか(要証事実→「甲'の毛」=「甲の毛」)をめぐって、詳細な事実調べがなされた。しかし、後に認定するとおり、差戻後の控訴審裁判所は、鑑定人C5が遺留毛(「甲の毛」)として取扱った陰毛(「甲'の毛」)が現実に遺留毛(「甲の毛」)である(「甲'の毛」=「甲の毛」)と断定するには疑問が残るとしたが、逆に、鑑定人C5が遺留毛(「甲の毛」)として取扱った陰毛(「甲の毛」)は、実は原告A1の陰毛であったとまでは断定していない。
3 そして、損害賠償請求権の存否を判断する当裁判所としては、重要な争点ではあるが、差戻後の控訴審裁判所において詳細な事実調べを経ても解明できない事実について、更に証拠調べを重ねる訳にはいかず、結局、原告らの主張に即し、書証として提出されている刑事事件での詳細な証拠調べの結果に基づき、陰毛の管理方法及び陰毛自体の類似性の角度からこれを子細に検討して、損害賠償請求権の発生原因事実たる要証事実(→「甲'の毛」=原告A1の陰毛)の存否を判断することになるが、いまだ右要証事実について心証形成にいたらない。
(<書証番号略>)
第六公訴提起の違法性
一公訴提起の違法性の判断基準再論
1 公訴の提起は、検察官が刑事訴訟法二四七条に基づき、裁判所に対して犯罪の成否、刑罰権の存否につき審判を求める訴訟上の権利行使にほかならない。したがって、公訴の提起が、違法な公権力の行使として国賠法一条一項の違法事由となるのは、検察官がその付与された権限の趣旨に明らかに背いて公訴権を行使した場合に限られる。
2 そして、公訴提起時における公訴事実に関する証拠資料の有無を問題にする本件に即していえば、公訴の提起は、公訴事実について証拠上合理的な疑いが「顕著」に存在し、有罪判決を期待し得る「可能性が乏しい」のに敢えてなされたと判断できる場合に限って、その付与された権限の趣旨に明らかに背いた公訴権の行使にあたるとして、違法となるものと解すべきである。この意味の違法性判断の根拠事実たる「嫌疑」の存在に関する立証責任は、被告ら側にあると解すべきである。被告らは、検察官が公訴を提起するにあたって、公訴提起時における各種の証拠資料を総合勘案して合理的な判断過程をたどると公訴事実の立証の可能性があったこと、即ち、検察官の主観においてはもちろん、客観的にも犯罪の嫌疑が十分であって、有罪判決を期待しうる合理的根拠の存在することが必要であり、少なくとも、判断の多様性、証拠判断に関する個人差といった事情を考慮すれば、公訴事実の存在が肯定される可能性があったことについての立証責任を負担すると解すべきである。
3 右の違法性判断の資料としては、検察官が、公訴提起の段階において収集した資料及びその段階において将来入手することを期待し得た資料を、被告人に有利なもの不利なものの一切を含めて斟酌すべきであり、その後の公判段階にいたって入手し得た資料は、右の違法性判断の資料となり得ない、と解すべきである。
二B夫婦殺害事件についての原告A1及び起訴検察官の各基本的認識並びに自白に位置付
1 原告A1の基本的認識
原告A1は、捜査段階において、当初B夫婦殺害事件の犯行を全面的に否認し、その後公訴事実に副う自白をするに至ったが、昭和四四年九月一一日の原一審裁判所第一回公判において、再び犯行を否認する陳述をし、今日に至るまでその否認を続けている。
2 起訴検察官の基本的認識
検察官は、「犯行の態様、犯行後の兇器の処置等に関する自白部分の信用性には疑問も残り、犯行の態様、犯行後の兇器の処置等につては、あるいは真相を語っていない『いわゆる半割れ』であるかもしれないが、原告A1がB夫婦を殺害したという核心部分の自白は信用できると判断した結果、B夫婦殺害事件の公訴提起に踏み切った」旨その起訴に至った心情を語っている。
3 違法収集証拠と嫌疑の立証資料
公訴提起の違法性を判断するにあたり、嫌疑の立証資料は適正なものでなければならないが、収集資料が適正かの判断も、一つの法律上の価値判断に属するので、事後的に判明した事情を捨象して行為当時の事情にかからしめて判断すべき事柄であるから、それが一見明白に違法収集証拠である場合は別として、検察官が適正な証拠と判断している収集資料についは、一応これをも基礎資料として、ここにいう嫌疑の有無を判断すべきであると解する。損害賠償請求事件を審理する当裁判所は、先に説示したおり、昭和四四年五月二四日以降に作成された原告A1の捜査官に対する供述調書は、違法に収集された証拠として、その証拠能力を否定されるべきものであったと判断するものである。しかし、それは多角的要因について子細に検討を加えた上でようやく達した事後的判断であって、一見明白に違法収集証拠であるとまではいえないから、これらの供述調書をも基礎資料として、公訴提起の違法性の有無を判断することになる。
4 自白の位置付
そして、公訴提起時において、原告A1と犯行を結びつける直接証拠としては、原告A1の捜査の最終段階における次項2記載の自白があるだけであり、原告A1をB夫婦殺害事件の真犯人であると断定することができるか否かは、一にかかって、原告A1の自白の信用性いかんによるものであった。
(<書証番号略>、証人G、弁論の全趣旨)
三原告A1の自白内容
原告A1の捜査の最終段階における司法警察員及び検察官に対する自白内容は、大略次のとおりである。
「昭和四四年一月一五日午後八時二〇分ころ、鹿屋市下高隅町上別府の脇かづ子から買った籾の入った叺一俵を原告A1車の荷台に積み、同女方を出発し、その途中、県道上で小倉肇を乗せ、同人方近くで降ろし、同日午後八時三〇分ころ、B1方へ立寄った。車は県道からB1方木戸道へ三間位入った所にとめた。炊事場横の出入口から入ったところ、B2が一人囲炉裏の膳棚側に座っていた。B2の向い側囲炉裏の大黒柱側に上がり座った。梅干しのお茶請で、B2の出したお茶を飲んだ。二、三〇分位話した後、六畳間に誘われた。肉体関係の誘いであった。六畳間には敷布団が敷いてあった。誘惑に負け、床に入り、ズボンを下ろし、B2の上に乗った。B2はパンツを脱いでいた。そうするうちにB1が帰ってきた。しまったと思い、寝床の中からはね起き、ズボンを上にあげながら六畳間の納戸側障子の陰に隠れた。B2は四畳半の間の方に出て行った。自分の事でB1とB2との間に争いとなり、B1はB2を殴った。B2が可哀相になったので、自分も二人の所へ出て行った。B1がものすごい剣幕で自分に殴りかかってきたので、争いになった。B1は叶わないと思ったのか炊事場から包丁を持出して、囲炉裏の大黒柱のところにいた自分に殴りかかってきた。自分は殺されると思い囲炉裏にあった薪を持って応じた。このとき、右手首に傷を受け、持っていた薪を土間に投げ、六畳間に逃げた。B1が追ってきたので六畳間で逃げられないと思い、敷いてあった寝床の端より納戸側に立ってB1と向い会った。B2が『やめてくれ』と言って入ってきた。B1はB2に『ここにくるな、お前も切り殺すぞ』と怒鳴った。すると、B2はB1の後頭部を何かで殴った。自分もB1の顔を殴り、B1がふらふらしたのでB1から包丁をもぎ取った。自分は、その包丁を持ち、四畳半の方に出て、包丁を囲炉裏脇の板張りのところに投げてから、囲炉裏の横座にきたとき、右手首を切られていたので持っていたちり紙で手当した。その間にも、B2とB1は六畳間で喧嘩していた。悲鳴は主にB1の方から聞こえた。静かになったので、六畳間に行こうと思い、四畳半と六畳間の境の障子付近まで行ったとき、B2が一人で六畳間から出てきて『殺してしまった』と言った。みると、馬鍬の刃を持っていた。腹が立ち、馬鍬の刃を取り上げ、『何で殺すのか』と言い、B2の顔を殴り、『自分のやったことは自分で始末せよ』と言うと、B2は六畳間に入って行った。自分もB2の後について行った。B1は南側の縁側を頭にして敷いてある布団の向う側に俯せに倒れており、全く動く気配がなかった。B2が『生き返らんようにしてくれ』と言ったような気がした。B1が生き返れば当然自分も共犯にされるだろうと思い、B1を殺そうと決意した。B1を見ると首にタオルをマフラーにしてかけているのが判ったので、それで絞め殺そうと考えたが、B1の体は余りにも縁側の方に寄りすぎており、首を絞めるのに不便であったので、B1の足を持ち真中の方に引摺り出した後、頭の方にまわり、タオルを取り上げ、前からまわし後からねじるように絞め、タオルはそのままにして置いた。B2がB1の死体の上に部屋の隅においてあった敷布団と掛布団をかけた。自分とB2は三畳間の囲炉裏の方に戻り、B2に板張りのところに置いていた包丁を片付けるように言った。B2が炊事場へ行って包丁を片付けているとき、犯罪が発覚するのを恐れ、B2を殺そうと決心した。囲炉裏の横座にタオルが転がっていたので、それを拾い上げたのち、包丁の始末をして上がってきたB2を六畳間に連れて行った。床の間付近にきたとき、不意に持っていた馬鍬の刃でB2を数発殴った。夢中であったのでどこを殴ったのか分からない。B2は敷いてあった布団の上にB1とは反対方向に俯せに倒れたが身動きをしていた。とどめをさすべく持っていたタオルをB2の首にまわし、後からねじるようにしてB2が動かなくなるまで絞めて殺し、布団を上からかぶせた。それから、囲炉裏の間に戻ったが、幸い返り血はあびていない様子であり、手にも血はついていなかったので、馬鍬の刃を持ち、炊事場横の出入口から家を出た。馬鍬の刃は途中で捨てるつもりで運転席横から車の荷台に置いた。午後一〇時を過ぎたころB1方を出て自宅へ帰る途中、郡境付近で単車に乗り大崎町方向から鹿屋市下高隅町方面へ向かう長崎留雄と会った。郡境のガードレール付近で馬鍬の刃を捨てようと思い、車を停め荷台を見たら馬鍬の刃は落ちたのかなかった。家に帰り晩酌をした。」というものである。(<書証番号略>)
四自白の信用性を支えるべき客観的証拠
そして、検察官が、原告A1の自白の信用性を支えるべき客観的証拠として、公訴提起の段階までに収集した主な資料は、次のとおりである。
1 被害者B2の死体の陰部から採取されたという陰毛三本のうちの一本(「甲の毛」)、及び、これが原告A1に由来すると認められる旨のC5作成の鑑定書
2 B1方前私道上から採取された車轍痕の一部が、原告A1のそれと紋様及び磨耗の形状が符号する旨のC6作成の鑑定書
3 原告A1の右前腕伸側手関節に存する外傷瘢痕は、恐らく鋭利な刃先又は刃尖にて擦過された極めて浅い切創痕と判断される旨のC1作成の昭和四四年七月二二日付鑑定書
4 各質問裁決につき原告A1に特異反応が認められるとするC7作成のポリグラフ検査結果回答書
5 原告A1が捜査段階において、ことさらに嫌疑を第三者に向けようとするなどの不審な言動をしていた旨の記載のある捜査報告書
6 自白にいう馬鍬の刃と同種のものとして領置された馬鍬の刃はB1夫婦殺害の成傷器足り得るとのC1作成の鑑定書
7 原告A1の運転室内ハンドル付近、後方荷台にルミノール液による粟粒大の血液陽性反応がある旨の捜査報告書及びC2作成の鑑定書
8 原告A1が原告A1車の荷台に積んだ叺に粟粒大の血痕及び小豆大の血痕の付着を認める旨のC2作成の鑑定書
9 原告A1の半袖シャツ右袖上部に小指頭大のB型人血痕である淡黄褐色斑を認める旨のC2作成の起訴前の鑑定嘱託に基づく起訴後の鑑定書
10 馬鍬の刃が原告A1車から落下するかの実験結果に関する起訴後の捜査報告書
(<書証番号略>)
五客観的証拠の「公訴提起時における」証拠価値について
1 甲の毛及びC5作成の鑑定書の証拠価値について
① 県警本部鑑識課技官C4は、昭和四四年一月一九日、犯行現場でB2の死体の陰部から三本の陰毛を採取した。県警本部鑑識課技官C2、同C4連盟の五月三〇日付鑑定書は「毛髪検査法により検査した結果、『甲の毛』は、B2の陰毛と類似しない」とした。C4作成の七月二日付鑑定書は、「甲の毛」と原告A1の陰毛との対比鑑定をし、「毛髪の形状色調、髄質の形状、毛根側の色調及び形状等は、『甲の毛』と原告A1の陰毛とは良く類似し同一性を認める」が「捻転、屈曲において『甲の毛』は著しく、原告A1の陰毛は少ない」としている。科警研技官C5の七月一七日付鑑定書(第一次C5鑑定)は、「『甲の毛』と原告A1の陰毛とはほぼ同一のものではないかと推定される」「捻転、屈曲も良く似ている」「『甲の毛』と原告A1の陰毛とを比較した結果、毛の表面に横の亀裂があり、一般に陰毛においてこのように亀裂がみられるものは、過去の検査や研究及び鑑定においても非常に希であり、個人的特徴である」と鑑定した。
② 甲の毛及び右C5の鑑定書は、原告A1の自白に、少なくとも犯行の発端となる特異な事実、即ち「被害者B1の留守宅で、同人の妻B2から誘われるまま、肉体関係を持とうとした」との事実につき、客観的裏付けがあることになり、その全体としての信用性も容易に否定し難いことになり、検察官が、自白は「半割れ」ではないかとしつつも「原告A1がB夫婦を殺害したという核心部分の自白」は信用できると判断して公訴提起に踏み切った主要な理由もこの点にあるものと推認できる。
③ ところで、県警本部鑑識課においては、鑑定のため「甲の毛」を科警研技官C5へ送付する以前の段階である昭和四四年四月一三日に、原告A1から対比鑑定用の資料として陰毛二三本を任意提出させていたものであるところ、原告A1から提出を受けた右陰毛二三本のうち五本が、のちにC4の手中で所在不明となって刑事公判廷に顕出されなかったばかりでなく、その後同人が右所在不明の陰毛を発見したとして検察官を通じて裁判所に提出した五本の毛髪が、昭和五五年一二月二二日付C5鑑定書(第三次C5鑑定)により陰毛ではなく頭毛であると判明した事実がある。原一審裁判所及び原控訴審裁判所は、この事実を踏まえても、第一次C5鑑定の資料とされた「甲の毛」が現にB2の死体の陰部から採取された「甲の毛」と同一のものであるとして第一次C5鑑定の証拠価値を高く評価し、有罪判決の主要な根拠としている。しかし、上告審判決は、右紛失した陰毛の一部がB2の死体の陰部から採取された陰毛の中に混入し「甲の毛」として第一次C5鑑定の資料とされたのではないかとの疑いを否定できないし、C2、C4連名の鑑定書及びC4の鑑定書と第一次C5鑑定書とを対比すると、「甲の毛」の外見・形状についての各認識が、その長さ、捻転、屈曲の点などにおいて微妙なちがいのある状況も看取されるので、第一次C5鑑定の資料とされた「甲の毛」が現にB2の死体の陰部から採取された「甲の毛」と同一のものであると断定できないとして、原控訴審判決を破棄し、審理を尽くさせるため差戻した主要な理由にもなっている。そして差戻後の控訴審裁判所は、詳細な事実取調べをした結果、第一次C5鑑定の資料とされた「甲の毛」が現にB2の死体の陰部から採取された「甲の毛」と同一のものであると断定するには疑問が残り、毛髪の分析結果の類似性に過分の証拠価値を付与するのは危険であるとして、無罪判決をする主要な理由にもなっている。逆に、差戻後の控訴審裁判所は、詳細な事実取調べの結果によっても、第一次C5鑑定の資料とされた「甲の毛」は現にB2の死体の陰部から採取された「甲の毛」と別物であるとまでは断定していないこと、ここでは「疑わしきは被告人の利益に」の観点から心証形成がなされていることにも注意をひかれる。また、上告審判決が指摘する「C2、C4連名の鑑定書及びC4の鑑定書と第一次C5鑑定書とを対比すると、甲の毛の外見・形状についての各認識が、その長さ、捻転、屈曲の点などにおいて微妙なちがいのある状況も看取される」とする点も鑑定の前提条件である「第一次C5鑑定の資料とされた『甲の毛』とB2の死体の陰部から採取された『甲の毛』とが同一であること」に疑いを持って眺めることによって初めて看取される性質のもののようにも見受ける。
④ 右にみた陰毛に関する状況に照らすと、本件における中心的な証拠物である遺留陰毛について、保管の公正さを疑われ、その証拠価値の著しい低下を招いていること、ひいてはその後の刑事裁判の帰趨に重大な影響をもたらしていることが明らかである。
ひるがえって検討してみるに、原告A1から任意提出された陰毛二三本のうち五本が所在不明となっている事実が発見されて問題になったのは、昭和四八年四月二四日の原一審裁判所第一六回公判以降のことである。B夫婦殺害事件の起訴検察官は、昭和四六年一月一九日原一審裁判所第九回公判までしか、その審理に関与していない。起訴検察官が第一次C5鑑定の前提条件に疑いを挟むことなく、その鑑定結果に「公訴提起時において」特に高い証拠価値を認めたとしても、その心証形成の手法に何ら不都合な点はない。
そして、自白の信用性を判断するにあたっては、多角的要因から分析と総合を加えることが肝要であるが、要因相互は無関係ではないために、ある要因を肯定した上で他の要因を眺める場合と、逆にある要因を否定した上で他の要因を眺める場合とでは、他の要因の持っている意味合いも違ってくることがあり、ひいては、その全体としての自白の信用性の総合的把握においても微妙な相違をもたらすことのあることは、多々経験するところである。
(<書証番号略>、証人家村行夫、F、大重五男、G、弁論の全趣旨)
2 車轍痕の証拠価値について
① 県警本部鑑識課技官C6は、「原告A1車の左前輪のタイヤ痕と一月一八日、一九日に採取した車轍痕中一個は紋様及び磨耗の形状が符合する、原告A1車の左後輪のタイヤ痕と現場採取の車轍痕中一個は同種同型のタイヤによって印象されたものと認める」旨鑑定した。そして、右鑑定によると、右車轍痕と原告A1車のタイヤ痕は、トレッド部についてその紋様の形状が極めて酷似し、ショルダー部についてその特徴点の磨耗の形状が符合した。車轍痕採取状況報告書によると、「私道上は赤土を踏み固めた通路であり」「一月一六日、一八日の降雨を考慮し極めて新しい路面痕跡はなるべく採取しない」方針で採取したとされている。右車轍痕はB1方木戸口から約七三センチメートルの位置から採取されたものであるが、一月一五日の原告A1車の停止位置に関する原告A1の捜査段階における供述は必ずしも一定していないが、右位置付近に停車したとする供述調書も存する。
検察官が公訴提起時にこれをもって自白の信用性を保障する有力な資料と見たとしても不合理ではない。
② 差戻後の控訴審裁判所は、「一月一六日、一八日の降雨の量及びこれによる車轍痕の変容の可能性の有無を明らかにしないまま、車轍痕は一月一五日に原告A1車により印象されたとすることはできない」との上告審判決の指摘を受けて、「車轍痕が一月一五日に原告A1車により印象されたとして、一月一六日、一八日の降雨の量及びこれによる車轍痕の変容の可能性の有無」の観点から詳細な事実調べをした。九州大学農学部助教授C9作成の鑑定書及び福岡県警本部鑑識課技官C8作成の鑑定書によると「降雨を考慮しても印象された日から四日目においても車轍痕を残しその印象を止める」とされた。右鑑定は、C9助教授において現場付近土壌の性質、右土壌への降雨の方法、降水量、降雨強度に基づく浸食実験を担当し、C8技官において、右土壌への車轍痕の印象、降雨浸食実験後の車轍痕の印象の有無を担当してなされた共同鑑定であった。しかし、差戻後の控訴審判決は、C9鑑定書、C8鑑定書自体は評価するとしつつ、その前提である降雨の量と強度の設定に問題があるとして、C9鑑定書、C8鑑定書及びC6鑑定書には限界があるとして、他の証拠との兼合いもあり、有罪を推認させる有力な根拠とすることはできないとした。
③ C6鑑定書をめぐる右のような証拠状況に照らすと、C6鑑定書は、差戻後の控訴審裁判所において、降雨の量及びこれによる車轍痕の変容の可能性の有無の観点から詳細な事実調べを経ても、証拠価値を否定されたわけではなく、なお相応の証拠価値を有していたことが事後的にも明らかになっている。
(<書証番号略>、証人G)
3 原告A1の右手首外傷瘢痕の証拠価値について
① 原告A1の右手首外傷瘢痕に関し、鹿児島大学医学部法医学教室教授C1作成の昭和四四年七月二二日付鑑定書が存する。右鑑定書は、鹿児島県警察本部長の鑑定嘱託事項である、原告A1の身体(頭部、顔面、上肢、下肢等)についての、Ⅰ 損傷の有無、存在すればその部位、形状、程度及び個数、Ⅱ 成傷兇器の種類及び成傷の方法、Ⅲ 受傷後の経過日数等に答えたものである。鑑定書は、「右手首(右前腕伸側手関節拇子側寄り三分の一の部位)に上下方向に長さ五センチの極めて細い線状の外傷瘢痕を認める。該瘢痕の中央二センチ内外の範囲では瘢痕が淡くなって殆ど認め難い。恐らく鋭利な刃先又は刃尖にて擦過された極めて浅い切創痕と判断される。この右手首外傷瘢痕の受傷後の経過日数は判然としないが、幼少年時に火傷を受けたという顔面右眉毛の中央上方の大鶏卵大の陳旧且つ軽度の外傷瘢痕及び昭和三七、八年ころ丸鋸により受傷したと申立てる右上腕上方外側殆ど片側近くの帯状の陳旧且つ著しい外傷瘢痕よりも新しいのは勿論、昭和四三年九月初めころ交通事故により受傷したと申立てる顔面左眉毛外端上方の小指大の陳旧なる外傷瘢痕よりも新しい。」と鑑定している。
② 原告A1は、昭和四三年九月初めころ交通事故により受傷し、同年九月三日から同月一〇日まで八日間春別府医院に入院している。春別府稔作成の国民健康保険診療録には、昭和四三年九月三日入院した際の傷病名につき「顔面摩過傷、右前腕部擦過傷、左前腕部打撲傷、左胸部擦過傷、頭部及び頸部打撲傷」と記載されていて、「右手首関節部分の切創」という記載はない。「右前腕部」と「右手首」とは異なるし、「擦過傷」と「切創」とは医学概念上異なることは常識であるから、原告A1は交通事故による入院時に「右手首関節部分の切創」を受けていなかったと理解することもあながち不合理ではない。
③ 次に、C1鑑定書の記載からは、原告A1は鑑定人に他の外傷瘢痕につきそれぞれその由来を申立てているのに、右手首外傷瘢痕の由来につき交通事故による旨申立てていた形跡は何ら窺えない。原告A1は、昭和四四年七月二日初めてB2殺害の事実を自白した。その際、原告A1とB2の肉体関係の有無につき、原告A1とB1間で囲炉裏端付近で押問答となり、B1が原告A1に殴りかかったりするうち炊事場から包丁を持出し原告A1に切りかかったため、手で受けとめたところ、右手首に怪我をしたと供述している。それ以降、捜査段階においては、一貫して、B1から切りつけられ右手首に怪我したことを認めている。特に、七月三日には、右手首の傷については医者にかかっていない、妻にも話していないが傷は残っていると言って、捜査官に傷を示してみせ、捜査官は傷を検証した結果を、右手首の関節をはさんで長さ1.8センチ及び1.2センチの傷痕を認めた旨調書に記載している。七月一六日には、囲炉裏横座において右手首の傷を持っていたちり紙を当て手当てしたと供述し、更に七月一六日と七月二五日には、右手首の傷を持っていたちり紙で止血し車で帰る途中、馬鍬の刃を捨てようと思い、郡境のガードレールのある付近で車を停め、その時血止めをした手を見たところ血もとまっていたので、ちり紙を取りその付近に投げ棄てたと供述している。原告A1は、昭和四四年九月一一日の原一審裁判所第一回公判において「一月一五日夜B1方に立寄ったことがある」旨供述していたが、昭和四五年六月四日の原一審裁判所第六回公判から右供述を覆し「一月一五日夜B1方に立寄っていない」旨供述し詳細なアリバイを主張するようにり、同年一一月二四日の原一審裁判所第八回公判において「捜査官に手首の傷を示して一月一五日夜B1から切りつけられた傷であるとのべたのは嘘である。右手首の傷は昭和四三年八月三〇日単車がひっくりかえり土手下に転落したとき竹の切株で切ってできた傷である。」旨供述し、原告A1は、ここで初めて、「右手首関節部分の切創は昭和四三年九月初めころの交通事故により受傷したものである」と供述するに至ったものである。
④ また、起訴検事は、「右手首の傷がちり紙で止血できるか疑問であり、犯行の途中で付着したちり紙が、帰途につくまで付着していたというのは不自然である」との上告審判決の指摘に答えて、起訴時の心証形成の理由を「都会の人とは違い田舎で肉体労働の仕事をしている人は、少々の傷でも、例えばよもぎとかその他そばにありあわせのもので止血するのが通常である。B1から切りつけられ傷を負い、これを持合わせのちり紙で止血したとしても、不思議とは思わない」「止血のため傷口にあてたちり紙がいつまでも付着しているのは日常経験するところである」と証言している。
⑤ もっとも、原告A1が右交通事故の際に負った傷害は、身体の相当多数の部位に及んでおり、しかも、「右前腕部」は「右手首」を含む概念として診療録に記載されたともとれ、診療にあたった医師が、傷害の範囲の広い「右前腕部擦過傷」のみを診療録に記載し、比較的軽微で部位及び症状がこれと近似している「右手首切創」の記載を落とすこともないではない。
⑥ 以上のような原告A1の右手首外傷瘢痕をめぐる公訴提起時の証拠状況、原告A1が「右手首関節部分の切創は昭和四三年九月初めころの交通事故により受傷したものである」と供述するに至ったのは起訴後の昭和四五年一一月二四日以降であること、また、「ちり紙による止血とその付着の継続」に関する検察官の心証形成の理由も傷の程度によってはあながち不自然とも認められないことなどを総合すると、原告A1の右手首外傷瘢痕及びこれに関するC1鑑定書は、自白の信用性を強く裏付けるに足りる証拠価値を有していたとまではいえないが、確かに原告A1に不利益な情況証拠の一つとして相応の証拠価値を有していたものと認められるから、検察官が公訴提起時にこれをもって自白の信用性を保障する有力な資料と見たとしても不合理ではない。
(<書証番号略>、証人F、G)
4 Ⅰ 原告A1車の運転室内ハンドル付近、後方荷台にルミノール液による粟粒大の血液陽性反応がある旨の捜査報告書及びC2作成の鑑定書、Ⅱ原告A1が原告A1車の荷台に積んだ叺に粟粒大の血痕及び小豆大の血痕の付着を認める旨のC2作成の鑑定書、Ⅲ 原告A1の半袖シャツ右袖上部に小指頭大のB型人血痕である淡黄褐色斑を認める旨のC2作成の起訴前の鑑定嘱託に基づく起訴後の鑑定書、Ⅳ 各質問裁決につき原告A1に特異反応が認められるとするC7作成のポリグラフ検査結果回答書、及び、Ⅴ 原告A1が捜査段階において、ことさらに嫌疑を第三者に向けようとするなどの不審な言動をしていた旨の記載のある捜査報告書の証拠価値について
① 前記のとおり、右Ⅰの原告A1車の運転室内のハンドル付近、その他後方荷台に認められた前記ルミノール反応検査による粟粒大の血液陽性反応については、県警本部鑑識課技官C2の鑑定結果により「血痕らしきものの付着が認められる」にとどまり、右Ⅱの叺に認められた粟粒大の血痕及び小豆大の血痕についても、C2の鑑定結果によると「微量で血液型は不明である」とされ、右Ⅲの原告A1の半袖シャツ右袖上部に認められた小指頭大の淡黄褐色斑についても、C2の鑑定結果により「B型人血痕」と認められたが、原告A1、B1ともB型であり、それ以上の詳細な鑑定はなされていない。
② したがって、右ⅠⅡⅢ自体で自白の信用性を強く裏付けるに足りる証拠価値を有していたとまではいえないが、他の要因とあわせてこれを見ると、原告A1に不利益な情況証拠の一つとして相応の証拠価値を有していたものと認められるから、検察官が自白の信用性を保障する資料と見たとしてもそれ程不合理ではない。また、同じように、ⅣⅤの証拠価値については、多様な評価がありうるところであって、それ自体によって自白の信用性を高度に保障するものとはいえないとしても、他の要因と合わせてこれを見ると、原告A1に不利益な情況証拠の一つとして相応の証拠価値を有していたと見ることも可能であるから、検察官が自白の信用性を保障する資料と見たとしてもそれ程不合理ではない。
四自白には客観的裏付けがないとの指摘について
1 指紋について
① 自白によると、本件は全く偶発的な犯行であり、原告A1は一時間以上も現場に滞留し、茶碗、包丁に触れたというのに、現場遺留指紋の中に原告A1の指紋が一つも発見されていないのは極めて不自然である。
② しかし、検察官が炊事場の戸、薪、包丁、布団、障子の戸及びタオルの各場所から原告A1の指紋が検出されなかったのは、その各場所がいずれも指紋を印象し難い材料であるからとし、また、B夫婦の指紋が当然ついていてしかるべき包丁等に指紋がついていないことも勘案し、他の要因との関係で右の点を重視しない心証形成方法をとったとしても、極めて不合理であるとまではいえない。
2 血痕について
① 自白によると、被害者らの血液及びB1から包丁で切りつけられた際の原告A1の血液が、原告A1の一連の行動を通じ、原告A1の身近着衣に全く付着しないというのは常識上ありえないのに、原告A1の身辺から確実に被害者のものだと認定できる人血の付着した衣類等が一切発見されていないのは一応不自然である。
② しかし、前記のとおり、Ⅰ 原告A1車の運転室内ハンドル付近、後方荷台にルミノール液による粟粒大の血液陽性反応がある旨の捜査報告書及びC2作成の鑑定書、Ⅱ 原告A1が原告A1車の荷台に積んだ叺に粟粒大の血痕及び小豆大の血痕の付着を認める旨のC2作成の鑑定書、Ⅲ 原告A1の半袖シャツ右袖上部に小指頭大のB型人血痕である淡黄褐色斑を認める旨のC2作成の起訴前の鑑定嘱託に基づく起訴後の鑑定書は存したのである。右ⅠⅡⅢはそれ自体で自白の信用性を強く裏付けるに足りる証拠価値を有していたとまではいえないが、他の要因とあわせてこれを見ると、原告A1に不利益な情況証拠の一つとして相応の証拠価値を有していたものと認められたのであるから、検察官がこれらの情況証拠に依拠して自白を信用し、原告A1の身辺から確実に被害者のものだと認定できる人血の付着した衣類等が一切発見されていないのは不自然ではないとしたとしても、不合理とまではいえない。
3 馬鍬の刃について
① a C1教授作成の昭和四四年二月五日付及び二月六月付鑑定書によると、B1の頭部、B2の頭部及び顔面の各成傷兇器は、多少とも角稜を有する鈍器ないし鈍体であるとされていた。
b 原告A1は、昭和四四年七月二日、B2の首を絞めて殺した旨自白するに至った。その際、絞殺に至る経緯のなかでB2がB1の後頭部を馬鍬の刃で殴った旨供述し、その馬鍬の刃とは、農耕用の馬鍬につける刃であり、長さ約三〇センチ位、根元の方が幅一センチ位、先の方が三ミリ位の矩形型のものである旨馬鍬の絵図を書いて説明した。
c そこで、特捜本部はG検事に右自白調書を見せて「B2殺害」容疑の逮捕状請求の許可を求めた。G検事は自らも原告A1を取調べたうえで逮捕状請求を許可するか決めることにし、馬鍬の刃とはいかなるものか見本を見せるように特捜本部に指示した。そこで、特捜本部は、七月三日、B1方炊事場側軒下に立掛けてあった馬鍬の刃一本を取り外しB1の父B4から任意提出を受けG検事に見せた。G検事は、七月三日、右見本を示して原告A1を取調べたうえ、右逮捕状請求を許可した。
d 原告A1は「B2殺害」容疑で逮捕勾留されて取調べを受けるなかで、七月一六日に至り、B1を馬鍬の刃で殴ったのはB2であるが、自分がB2を殺害する際は、B2の頭部を馬鍬の刃で殴り、B2が布団の上に倒れた後首をタオルで絞めた旨自供するに至った。
e C1教授作成の昭和四四年七月一四日付鑑定書及びC2技官作成の鑑定書によると、右押収された馬鍬の刃は、B1及びB2の各成傷兇器となり得るとされている。
f 右の捜査経過に照らすと、馬鍬の刃が兇器であることは、原告A1が最初にのべたことであって、しいていえば、「秘密の暴露」があったと見られないものでもない。
② 自白によると「馬鍬の刃を用いてB2を殴打しその頸部を絞めて殺害した後、右兇器を車の後部荷台に投げ入れて帰宅の途につき、現場から約0.7キロ離れた郡境のガードレール付近で見たらこれが紛失していた」というのである。もしも右自白が真実であれば、右兇器は、原告A1車の後部荷台から何らかの理由により路上に落下したものと考えるほかはない。原一審判決及び原控訴審判決は、右兇器は原告A1車の後部荷台に存する腐食孔から路上に落下した可能性を否定することはできないとしている。しかしながら、「馬鍬の刃が原告A1車から落下するかの実験結果に関する捜査報告書」によると、原告A1車の後部荷台に放置された兇器が車体の動揺によりその腐食孔から路上に落下する可能性は、これを完全に否定することはできないにしても、その蓋然性は極めて小さく余程の偶然が重ならない限り発生しないことが明らかである。のみならず、馬鍬の刃は全長三〇センチメートルに達する決して小さいとはいえない鉄製の棒であり、右兇器が真実路上に落下して紛失したのであれば、後日の捜索によりこれが発見されない合理的な理由はないように思われる。しかるに、昭和四四年五月一五日付及び五月一八日付捜査報告書によると、原告A1を容疑者として二月六日から七月一五日までに合計一一回にわたり犯行現場から原告A1方に至る道路の両側及び付近一帯の山林、畑、やぶ等につき綿密な捜索を繰返したが、兇器と認められるもの及び血痕付着の衣類等を発見するに至らず、原告A1が犯行を自白した後、郡境のガードレール付近に馬鍬の刃を捨てた可能性もあるとして、七月一七日、一八日の両日、ガードレール付近を兇器発見器、強力磁石等を使用し薮払いする等して捜索したが馬鍬の刃は発見できなかったとされている。
③ そうすると、馬鍬の刃の処分方法に関する自白は、虚偽であるとみるほかはない。その場合、さかのぼってB2殺害の兇器が馬鍬の刃であるとの自白部分も信用しないのか、馬鍬の刃が兇器であることは、原告A1が最初にのべたことであって「秘密の暴露」にあたるとして信用するのかは、評価の分かれるところのように思われる。G検事は「車の荷台に乗せたというのは信用できない」「眉唾物だと思った」「警察も疑いを持っていた」「落下実験も乗気でなかったようであるが、全く落ちないでもなく、何回かやって落ちたので物理的に不可能ではなく、信用せざるをえなかった」と心情を吐露している。思うに、被疑者が犯行そのものは自白しても、その決定的証拠となる兇器の処分方法を秘匿したり、あるいは虚偽の供述をすることもありうるから、検察官が兇器の処分方法に関する自白部分に疑いを抱きつつも、その兇器によってB2を殴打したとの自白部分を信用したとしても不合理とまではいえない。
(<書証番号略>、証人G、家村行夫、F、大重五男)
五自白自体の公訴提起時における信用性について
1 自白と客観的事実との符合性について
① 自白と客観的事実の一致点について
a 自白によると「馬鍬の刃でB1を殴打したのはB2であり」、「B1の頭部に頻回の打撃を加えた加害者にB1の返り血が付着しないはずはない」と考えられるが、「B2が一番上に着ていたネル単衣には、B1の血液型と一致するB型飛沫血痕が付着していた」。
b 自白によると「B2から六畳間に誘われ、誘惑に負け、関係しようとしたとき、B2はパンツを脱いでいた」ところ、「倒れていたB2の左下肢近くにパンツと女物ネル袴下が別々に裏返しの状態で丸められた形でおかれ、その女物ネル袴下にはB型飛沫血痕が付着していた」。
c 自白によると「原告A1は、B1の首を絞めるとき、B1の頭が縁側の方に寄りすぎ首を絞めるのに不便であったので、B1の足を持ち真中の方に引き摺った」のであるが、裁縫台の左脚部付近の血痕部分から死体発見時倒れていたB1の頭部のあるところまでの間に帯状の血痕が続いていた。
d 自白によると、「首の絞め方」につき、B2の場合「後ろからねじるようにして、B2が動かなくなるまで絞め」、B1の場合単に「後ろからねじるようにして絞めた」とあり、その絞め方に差異が認められるが、B1のタオルによる絞頸は死戦期に絞めたとみられるものの直接の死因ではなく、項部における索痕の幅は約一センチ、前頸部の索痕は著しくないのに対し、B2の死因は、凶器による頭部の殴打ではなく、絞頸に基づく窒息死にあり、項部における索痕が著しく、その幅1.8センチ、前頸部にあっては下縁に沿って線の表皮剥離が著しいものであった。
(<書証番号略>、証人家村行夫、大重五男、F)
② 自白と客観的事実の不一致点として指摘されている事項について
a 自白によると「原告A1は三畳間囲炉裏そばに一人でいたB2と向かい合って座り」「茶請に梅干しをもらい茶飲み話をし」「二、三〇分位してB2に誘われ六畳間に行き肉体関係を持つため床に入ってから、あのようなことになり」「あわてて帰ったので湯呑みはそのまま囲炉裏の周りに置いてあると思う」というのであるが、実況見分の結果によると「囲炉裏の中の薪は灰に埋め込まれており」「囲炉裏周辺には盆の中に、B1が使用していたとみられる湯飲茶碗は洗って伏せてあり、B2が使用していたとみられる赤色湯飲茶碗は立てて置かれていたが、お茶が残っている状態ではなくきれいになっており、来客用湯飲茶碗は土間の炊事場に洗って置いてあり」「梅干しの種、梅干、梅干の入っているかめも発見されていない」。
b 自白によると原告A1は「自分は木戸口に車を停めてB1方に立寄り」「B2から誘われて六畳間で肉体関係を結ぼうとしていたときB1が帰ってきた」「B2は六畳間から四畳半の間の方へ行った」「B1は自分とB2の関係を察知しB2を殴り出した」「B2が可哀相になったので自分も隠れていた場所から出ていった」「その後犯行に発展していった」ことになっており、B1が外出先から帰宅してすぐに犯行に発展していったようになっているが、B1としては木戸口で原告A1の車を見て原告A1の来訪を知り得たはずであり、家の中に入って囲炉裏の側にB2と原告A1の二人がいないので不思議に思って、なにはともあれ二人を探すはずであるのに、実況見分の結果によると「B1の乗っていた単車は裏庭の小屋にしまってあり」「土間に地下足袋が整然と脱がれてあり」「三畳間囲炉裏横座付近でその身につけていた帽子、軍手、靴下、ジャンパーが脱がれ」「六畳間、B1の死体の右肩部分にはB1が着ていたバンド付作業ズボン、黒ジャンパーが置かれ」「六畳間で発見されたB1の死体は上半身外側に濃紺の背広チョッキ、その下に白木綿カッターシャツ等を着用し、下半身にはメリヤスのズボン下二枚を重ねて着用しており」、そこにB1は帰宅後身繕いをといている様子が窺えるのであり、自白にあるように外出から帰宅してすぐに犯行に発展していったものとは認め難いB1の服装の状態であるとも認められ、そうであれば、B2としてもパンツを着用し身繕いを整える余裕もあると思われるのに、B2の死体は下半身裸で発見されている不自然さが際立つことになる。
c 原一審判決は、主としてこの点から、B1は就寝しようとしていたもので、B2と肉体関係を持とうとしていたのはB1であり、そこに折しも原告A1が訪れたとし、日頃からB2の異性関係に疑念を有していたB1は、その場の雰囲気から、B2が以前に原告A1と通じていたのではないかとの疑いを深め、B2と原告A1を種々難詰するうち、双方とも次第に激昂し犯行に発展していったとして、犯行直前の経過につき公訴事実と異なった認定をしている。しかし、これとても、そうであれば「原告A1の陰毛がB2の陰部に付着残存した」と認定するに足りる合理的な説明がつき難いことになるばかりか、いわば夫婦の濡れ場に遭遇した双方間でこのように攻撃的になり乱闘に発展していくのかも疑問であり、一方は照れてその場を繕い、他方はそそくさと退散しそうにも思われる。ひるがえって考えてみると、B1は原告A1と学校の同級生であり日頃から交友もあったのであるから、木戸口で原告A1の車を見て原告A1の来訪を知り得ても、予期せざる珍客とも思わないであろうから、悠々と単車を裏庭の小屋にしまってから屋内に入り、囲炉裏の側にB2と原告A1の二人がいないので不思議に思っても、まずは身繕いをとこうと考えても極端に不自然とまではいえないし、一方B2と原告A1としては目前の目的を達成するのに急でB1の帰宅に気付くのが遅れたために、その対応が遅れることになり、状況の認識としてもB1の帰宅後すぐに犯行に発展していったと供述するに至っていると考えることも可能であり、そのように考えても極端に不合理であるとまではいえない。原控訴審判決は、原一審判決の犯行直前の経過についての認定を誤りであるとして、公訴事実と同じ認定をするに至っている。
このように検討してみると、この点については評価が分かれるところであり、検察官が「自白と客観的事実に不一致点はない」と判断しても、極めて不合理であるとまではいえない。
(<書証番号略>、証人G、家村行夫、F、大重五男)
2 証拠上明らかな事実についての説明の欠落の指摘について
① 血痕の付着状況についての説明の欠落について
a 実況見分の結果によると、B1方三畳間の北側障子の桟、物置(縁側)、鏡台の抽出、かまど出入口の戸の間にある薪一本、その出入口東側の柱にはいずれもA型血痕が付着しており、自白によるとB2(A型血液)は原告A1から馬鍬の刃で数発殴られ出血した後動かなくなっているので、右A型血痕は犯人に付着した血痕が犯人の動きにより付着したものとも考えられるのに、自白には、これらの点につき説明が欠落しているのは不自然である。
b しかし、実況見分及びその後の捜査の結果により、B1方内で物置の鏡台よりも人目につき易い三畳間膳棚にあったB2のハンドバッグ、六畳間タンスの中が物色された形跡がないこと、犯人がすぐ気がつくようなB1方囲炉裏の側の柱にかかっている女物腕時計が盗まれていないことが判明し、捜査機関は金品物色の可能性があるとの当初の認識をあらため、犯行は痴情によるものとの認識にいたっていること、更に捜査機関としては犯行の態様には必ずしも真相を語っていないところもあるかもしれないとして、細部の質問及び事実の確定を控えた形跡もあることを勘案すると、自白に右の点につき説明が欠落していても、不合理であるとまではいえない。
(<書証番号略>、証人F、大重五男、家村行夫、G)
② B2の下半身露出の点について
a 実況見分の結果によると、B2は俯せになりパンツもつけていないまま、着衣のネル単衣が腰までまくり上げられて、仰向けにしてみるとへその部分までまくり上げられている状態で発見されている事実が認められ、犯人によって何らかの作為が加えられたことを物語っているともとれ、そうすると自白に右の点につき説明が欠落しているのは不自然である。
b しかし、B2と原告A1は目前の目的を達成するのに急な余り、B1の帰宅に気付くのが遅れたために、その対応が遅れることになり、B2はパンツもつけないままネル単衣で四畳半の間に出て行かざるをえなくなり、犯行に発展して行き、原告A1がB2に攻撃を加える過程でB2の着衣のネル単衣が腰までまくり上げられ、へその部分までまくり上げられている状態になった可能性が全くないとも認められないのであり、更に捜査機関としては犯行の態様には必ずしも真相を語っていないところもあるかもしれないとして、細部の質問及び事実の確定を控えた形跡もあることを勘案すると、自白に右の点につき説明が欠落していても、不合理であるとまではいえない。
(<書証番号略>、証人F、大重五男、家村行夫、G)
③ B1の脱衣途中の状況について
a 前記のとおり、B1が身につけていたと思われる帽子、軍手、靴下、ジャンパーが三畳間囲炉裏付近に脱ぎ置かれ、バンド付作業ズボン、黒ジャンパーが六畳間のB1の死体の右肩部に置かれ、更にB1が上半身に濃紺の背広チョッキ、その下に白木綿カッターシャツ、下半身にメリヤスズボン下を着用するという脱衣途中ともいえる服装になっていることが窺えるところ、B1がこのような脱衣途中といえる服装になったのは、どの時点からであり、どうしてそうなったのかについて、自白にはその説明が欠落しているのは不自然である。
b しかし、原告A1の自白は「しまったと思い、寝床の中からはね起き、ズボンを上に上げながら六畳間の納戸側障子の陰に隠れた」とものべており、自らの身を繕うのに急でB1の脱衣の様子にまで観察が行届かなかったとも考えられるのであり、更に捜査機関としては犯行の態様には必ずしも真相を語っていないところもあるかもしれないとして、細部の質問及び事実の確定を控えた形跡もあることを勘案すると、自白に右の点につき説明が欠落していても、不合理であるとまではいえない。
(<書証番号略>、証人F、大重五男、家村行夫、G)
3 自白内容に不自然・不合理な点が多いとの指摘について
① B1の帰宅が予想されるのに同人の自宅でその妻と情交する点について
a 自白によると「当夜午後八時ころB1の自宅においてB2から誘われるまま情交をとげようとした」「B1はテレビの修理のことで外出していると聞かされていた」というのであるから、いかにB1の外出中であるとはいえ、その帰宅の容易に予測される時刻にB1の自宅でその妻と情交をとげようとするのは非常識であり不自然である。
b しかし、検察官は「B2は男出入りの多い人であった」との根強い風評及び「原告A1はB2を女房のような呼び方をしており、B2と肉体関係があるのではないか」との風評も掴んでおり、検察官が「原告A1は、一方で性的衝動に駆り立てられ、他方でB1の帰宅に備えて、ズボンを足元にずりさげるにとどめて、人妻と情交に及ぶことはあり得ることであって、これをもって不自然・不合理で非常識過ぎる行動とまでは見られない」として原告A1の自白を評価したとしても不合理であるとまではいえない。
(<書証番号略>、証人F、大重五男、家村行夫、G)
② B2のB1への兇器による攻撃を隣室から傍観していたとする点について
a 自白によると、原告A1はB2との情交が露見してB1から刃物で切りつけられた際、B2がB1の頭部を馬鍬の刃で殴打したためようやく窮地を脱することができたというのに、その後引続いてB1を追回して乱打しているB2を放置したまま単身隣室へ移動し、事件の進展をいたずらに拱手傍観していたことになるが、自白にいう原告A1の行動は、夫婦間の重大な闘争の発端を作り出した者の行動としてあまりに不自然である。
b しかし、原告A1は、B1の攻撃を避けて隣室に移動し、右手首の傷の手当をしていたものであり、B2のB1への兇器による攻撃を隣室から拱手傍観していたものではないととれないでもなく、更に捜査機関としては犯行の態様には必ずしも真相を語っていないところもあるかもしれないとして細部の質問及び事実の確定を控えた形跡もあること、検察官は「むしろ原告A1が馬鍬の刃でB1を殴打したのではないかとも思ったが、原告A1が涙を流し信じて下さいといって供述するので、自白に副う調書を作成するほかなかった」とその心情を吐露しており、右の点も不合理であるとまではいえない。
(<書証番号略>、証人F、大重五男、家村行夫、G)
③ B1から切り付けられた手首の傷をチリ紙で止血したこと、手首のチリ紙が犯行後も付着していて帰途路上に捨てたとの点について
a 自白によると「原告A1はB1と争いになり、包丁で右手首に傷つけられたので所持していたチリ紙で止血し、帰途郡境のガードレール付近で車を停めたとき、血止めした手を見たところ、血も止まっていたのでちり紙をとり投げ棄てた」のであるが、右手首の傷がちり紙で止血できるか疑問であり、犯行の途中で付着したちり紙が、犯行後郡境付近まで付着していたというのは不自然であるとも考えられる。
b しかし、前記認定によると、原告A1の右手首の負傷は比較的軽度で、出血も比較的少量であったとも窺えるのであり、起訴検事のように「都会の人とは違い田舎で肉体労働の仕事をしている人は、少々の傷でも、例えばよもぎとかその他そばにありあわせのもので止血するのが通常である。B1から切りつけられ傷を負い、これを持合わせのちり紙で止血したとしても、不思議とは思わない」「止血のため傷口にあてたちり紙がいつまでも付着しているのは日常経験するところである」と考えたとしても不合理とまではいえない。
(<書証番号略>、証人F、大重五男、家村行夫、G)
4 自白は現場での指示説明を欠き不完全であるとの指摘について
① 殺人事件の捜査にあっては、被疑者を現場に同行し、警察官を仮想被害者にみたてたりして、犯行に至る経過、犯行態様、犯行後の逃走経路、兇器の処置方法等につき指示説明を求めて再現させ、自白と現場の符合度合を検証するのが、捜査実務の一般的取扱であると思われる。本件は、夜間の目撃者のない犯行で、物証に乏しく、捜査が難航し、犯行発覚後相当の日時を経て被疑者が別件により逮捕され、右別件の起訴前及び起訴後の身柄拘束を利用して長時間・多数回にわたり本件に関する取調べがなされた後に自白するに至った事件である。それだけに、客観的事実と経験則を充分に駆使して自白及びこれを支える客観的証拠の証拠価値を量る「冷静な法律家の目」を持つことが、一層に期待された事件である。しかるに、原告A1の自白については、B1と原告A1が争った状況、B1から原告A1が包丁で右手首を切りつけられた状況、原告A1がB1を殴った状況、B2が包丁を片づけた状況、原告A1がB2を殴った状況、原告A1がB2の首を絞めた状況、原告A1がB2らに布団をかけた状況、部屋の明るさ、原告A1が帰る状況その他重要な事実につき一切の現場説明を欠き、その意味で不充分・不完全なものであるといって差支えない。
② この点につき、捜査官は等しく「自白は犯行の態様の細部等については必ずしも真相を語っていない『いわゆる半割れ』かもしれないとし、捜査の進捗状況と身柄拘束の時間制限との兼合いで、原告A1を現場に同行して指示説明を求めるに至らなかった」「現場に同行しての指示説明の必要を感じなかった」「原告A1がB夫婦を殺害したという核心部分の自白は信用できた」とのべている。しかし、自白及びこれを支える客観的証拠の証拠価値の検討にあたっては、多角的要因からの分析と総合の相互作用が必要であって、たとえば陰毛及びこれに関する鑑定結果といった要因のうちのいくつかに過度の証拠価値を置いて、他の要因からの分析検討を怠ったり、総合的観点からの各要因の証拠価値の再検討を怠るようなことがあると、結局全体としての自白の信用性の判断を誤りかねないのであるから、「『いわゆる半割れ』かもしれないが、原告A1がB夫婦を殺害したという核心部分の自白は信用できた」といった心証形成の方法が、合理的な心証形成の手法であるといえないことも明らかである。原告A1を現場に同行し、指示説明を求めて、自白内容を検討することがぜひとも必要であったのであり、これを欠く自白の全体としての信用性に幾多の疑問が投ぜられるのも当然のことである。
(<書証番号略>、証人F、大重五男、家村行夫、G)
5 アリバイについて
原告A1の行動中一月一五日午後八時過ぎから二時間位の行動が不明であり、B1の行動も同夜午後八時過ぎ下高隅町の久留ウメ方を単車で出て帰宅の途についたあと全く不明であるが、原告A1がおそくも一月一五日午後一〇時ころには帰宅していたことは原告A1及びその妻原告A2が捜査の初期の段階から一貫して供述していたところであり、右供述を裏付ける第三者の供述もあった。警察技官C2は、一月末ころの時点で、「B1の死体の腕時計の打撃による停止時刻は一月一五日午後一一時四五分ころと推定する」旨鑑定していたので、アリバイが成立するかにみえた。しかし、原告A1は、七月二日、「一月一五日午後九時ころB2を殺害した」と自白した。特捜本部は七月三日にB1の腕時計につき日本時計師会公認高級時計師C3の部外鑑定に付し七月四日付で「腕時計の日送車は午後八時ころから午後一二時ころまでの間に停止した」との鑑定結果を得た。犯行時刻に関する自白を裏付ける客観的証拠としては、C3による幅のある右鑑定結果の他には、C2技官が、昭和四四年一月二一日ころ、死体解剖結果等から「犯行時刻を一月一五日午後九時ころと推定する」との推測的意見を特捜本部に寄せていたのみであった。
そうすると、犯行時刻が午後一〇時ころ以前であったのか午後一〇時ころ以降であったのかは、原告A1のアリバイの成否を決するうえで、決定的ともいえる重大な意味を有する事実であったといえる。したがって、更に、C1作成のB1の死体解剖鑑定書に現われた胃内容物の消化程度等から、犯行時刻の特定につき専門家の意見を求める等の捜査が期待されたが、行われていない。しかし、検察官が、自白の信用性を量る他の要因との関係で自白に信を置き、この点につき更に捜査を詰めず、これを信用したとしても、極めて不合理であるとまではいえない。
六B夫婦殺害事件の公訴提起の違法性
1 前記認定事実によると、検察官が公訴提起時に収集していた証拠のうち、原告A1とB夫婦殺害事件の犯行を結びつける直接証拠は、原告A1の捜査の最終段階における前記二2記載の自白があるだけであり、検察官が原告A1をB夫婦殺害事件の真犯人であるとして起訴できるか否かは、原告A1の自白の信用性のいかんによるものであった。そこで、右のとおり、原告A1の自白自体の信用性・合理性及び自白の信用性を支える客観的証拠の証拠価値の各観点から、原告A1の自白の信用性の有無を検討してきた。それによると、原告A1の自白及び自白の信用性を支える客観的証拠の証拠価値には種々の観点から疑問が残りこれらを証拠として、有罪を宣告しうるかについては、多々疑問もあり、評価の分かれるところであると思われる。しかし、原告A1の自白は犯行及びその前後の状況を詳細かつ具体的にのべるものであり、そののべるところには、犯行現場の状況等客観的事実と符合する部分も少なくなく、指摘されている自白内容の問題点も極端に不自然、不合理であるとまではいえず、自白を支える客観的証拠も、公訴提起時において、相応の証拠価値を有していたとみることもできる。
2 ところで、検察官の行う公訴提起が、どのような場合に違法な公権力の行使として国賠法一条一項の違法事由となるかについては、先に検討したが、ここで、犯罪の嫌疑の程度との関係で更に検討する。
検察官が捜査を遂げたうえ、犯罪の嫌疑ありとした場合の嫌疑の程度については、三つの場合があると思われる。即ち、① 一応の証拠がある程度の嫌疑、② 有罪判決の得られる可能性、即ち、検察官の主観においてはもちろん、客観的にも犯罪の嫌疑が十分であって、有罪判決を期待しうる合理的根拠を有する程度の嫌疑、③ 有罪判決を期待しうる嫌疑のあるのは勿論、その期待が確信の程度に高められた合理的根拠を有する程度の嫌疑、の三つである。①の場合、検察官は嫌疑不十分として不起訴にするであろうし、万一起訴されても無罪判決に至ることは明らかである。③の場合、合理的な疑いを容れないとして有罪判決となることも明らかである。②の場合は、限りなく①に近い嫌疑から限りなく③に近い嫌疑まで、その嫌疑の程度も多様であろうし、事実認定は純粋な客観的実在事実の認識ではなく、証拠評価という価値判断をともなうものであり、そこに価値判断の多様性、証拠判断に関する個人差のあることも否定し得ないから、その嫌疑が合理的な疑いを容れない程度に達しているとして有罪判決となる場合と、合理的な疑いを容れる余地があるとして無罪判決に至る場合とがありうることになる。
そうすると、検察官によるB夫婦殺害事件の公訴提起時における証拠収集状況が、①程度の嫌疑にとどまっておれば、その公訴提起は公訴事実について証拠上合理的な疑いが「顕著」に存在し、有罪判決を期待し得る可能性が乏しいのに敢えてなされた場合というべきであるから、その付与された権限の趣旨に明らかに背いた公訴権の行使にあたるとして、国賠法一条一項の違法事由となると解すべきであるが、②程度の嫌疑に至っている場合には、検察官の主観においてはもちろん、客観的にも有罪判決を期待しうる合理的根拠が存在したものであり、少なくとも、判断の多様性、証拠判断に関する個人差といった事情を考慮すれば、公訴事実の存在が肯定される可能性があったことになるから、仮に結果的に無罪判決に至ったとしても、その公訴権の行使が付与された権限の趣旨に明らかに背いてなされたのではないから、国賠法一条一項の違法事由とはならないと解すべきである。
そして、原告A1の自白は犯行及びその前後の状況を詳細かつ具体的にのべるものであり、そののべるところには、犯行現場の状況等客観的事実と符合する部分も少なくなく、指摘されている自白内容の問題点も極端に不自然、不合理であるというほどのものでもなく、自白を支える客観的証拠も、少なくとも公訴提起時においては、相応の証拠価値を有していたとみるべきであるから、公訴提起時における嫌疑の程度は、②程度の嫌疑には至っていた場合であると認められる。
したがって、検察官の主観においてはもちろん、客観的にも有罪判決を期待しうる合理的根拠が存在したのであり、少なくとも、判断の多様性、証拠判断に関する個人差といった事情を考慮すれば、公訴事実の存在が肯定される可能性があったことになるから、本件公訴提起には、国賠法一条一項の違法事由があるとは認められない。
更に、その嫌疑が合理的な疑いを容れない程度に達しているとみるかどうかについては評価の分かれるところであり、原一審判決及び原控訴審判決は合理的な疑いを容れない程度に達しているとみて有罪判決をし、上告審判決は自白及びこれを支える客観的証拠等の証拠価値について幾多の疑問があり合理的な疑いを容れる余地があるとして破棄差戻判決をし、差戻後の控訴審判決は詳細な事実調べを経ても合理的な疑いを容れる余地があるとして無罪判決をするに至ったものと理解できる。
第七裁判の違法性
裁判官のした争訟の裁判に上訴等の訴訟上の救済方法によって是正されるべき瑕疵が存在したとしても、これによって当然に国賠法一条一項の規定にいう違法な行為があったとして国の損害賠償責任の問題が生ずる訳のものではなく、右責任が肯定されるためには、当該裁判所又は裁判官が違法又は不当の目的をもって裁判をした場合、当該裁判所又は裁判官に違法な裁判の是正を専ら不服申立の方法によるべきものとすることが不相当と解されるほどに著しい客観的な行為規範への違反がある場合など、裁判官がその付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認められるような特別の事情があることを必要とすると解すべきである。
しかるに、原告らの主張は、原一審裁判所及び原控訴審裁判所には原告A1の自白の任意性及び信用性を肯定し、情況証拠の価値判断を誤るなど、その事実認定に違法、経験則違反等の重大な違法事由がある旨主張するに帰し、その是正は刑事訴訟法に定める上訴制度によらせるのが相当であり、結局、原一審裁判所及び原控訴審裁判所の各裁判官が付与された権限の趣旨に明らかに背いてその権限を行使したと認められる特別の事情があったとの具体的主張立証はないことに帰するから、原告らのこの点の主張は失当である。
第八責任原因
右検討結果によると、警察官及び検察官は、別件第一回公判期日の翌日である昭和四四年五月二四日から昭和五五年一二月五日の保釈の日までの一連の違法な身柄拘束状態に関わりをもっていたことが明らかであり、少なくとも警察官及び検察官の過失の存在が推認される。そして、これらが警察官及び検察官の職務行為から生じたものであることは明らかである。また、被告鹿児島県及び被告国が、各職務行為につきそれぞれ国賠法一条一項の責任主体であることは、争いがない。そうすると、被告らは、原告A1に対し、国賠法一条一項に基づき、右一連の違法な身柄拘束状態から生じた損害を賠償する責任を負担すべきものである。そして、取調べ方法が任意捜査の限度を越えて違法であり、本件取調べが任意捜査の限度を越えて違法であることは、右一連の身柄拘束状態が違法であるとの評価の中で評価されつくしたことになり、損害賠償額の算定の評価の資料となる。
更に、原告A1に加えられた右一連の違法な身柄拘束状態を原因として、原告A2につき固有の慰謝料請求権の発生を肯認する場合には、国賠法一条一項、民法七一一条の類推適用によることとなる。
第九損害
一原告A1の損害
1 休業損害
① 原告A1は、尋常小学校高等科を卒業し、右一連の違法な身柄拘束状態が始まった昭和四四年五月二四日当時、三八歳の壮健な男子であり、農業のかたわら、トラック運転手や土木作業員として稼働していたが、昭和五五年一二月五日の保釈までの期間違法な身柄拘束を受けた。
② 原告A1は、右違法な身柄拘束を受けなければ、右の期間稼働し、相当額の収入を得られたものである。そこで、賃金センサスに基づき各年度の全労働者平均の月額給与額及び賞与の合計額を算定し、さらに身柄拘束が一年に満たない年については日割計算によって、身柄拘束期間中の得べかりし利益を算出し、家族の差入れなどの負担を考慮して各年度の算出額の各一割程度を生活費の支出を免れた分として控除し、その残額の合計額をもって休業損害とするのが相当である。
右によると、原告A1の休業損害の合計額は、別紙休業損害計算書二の逸失利益の合計額二五七四万二二六四円の九割に相当する二三一六万八〇三七円となる。
(<書証番号略>、原告A1、弁論の全趣旨)
2 逸失利益
原告A1は、第一次逮捕以前は健康な体であり、慢性疾患などなかった。しかるに、昭和四四年四月一二日の第一次逮捕に引続く、同年五月二四日に始まり七月二五日にB夫婦殺害事件により起訴されるまでの間、右一連の長期間にわたる違法な身柄拘束下での取調べにより、五月中旬以降低血圧を患い、六月以降は不眠、発熱状態が続き、足にむくみが出てくる状態に至った。更に、B夫婦殺害事件により起訴された以降は、身柄拘束の負担からついに心臓障害(心臓脚気)及び低血圧の後遺症を患い、右障害は身柄拘束期間中治癒しなかった。そのため、原告A1には、現在もなお、低血圧症、心臓左心室肥大症及び冠不全症により、重度の心臓機能障害(昭和五八年から身体障害者等級三級)の後遺症が残った。原告A1の右身体障害は、右一連の違法な身柄拘束状態から生じたものとみてよい。元来、原告A1は農業のかたわら、トラック運転手や土木作業員などの肉体労働に従事していた者であり、長期間の実社会との断絶により社会適応能力もかなりの低下をきたしているものと推認できるから、右身体障害がもたらす労働能力の喪失は大きいものと認められる。
よって、原告A1の昭和五五年一二月五日(当時四九歳)から六七歳までの一八年間(ホフマン係数12.6032)の逸失利益を損害として評価し、年収三五二万三五〇〇円(昭和五五年度賃金センサスによる全労働者平均の月額給与額及び賞与の合計額)、労働能力喪失率五六パーセントとして算出するのが相当である。右によると、原告A1の逸失利益の損害は二四八六万八一三〇円となる。
(<書証番号略>、原告A1本人、弁論の趣旨)
3 慰謝料
原告A1は、右一連の違法な身柄拘束状態が始まった当時三〇代後半の働き盛りであったのに、身柄拘束状態がようやく終了した保釈時には五〇代になってしまっていた。原告A1は、身柄を拘束されている間、原告A2との夫婦同居もできなかったことはもとより、家族との交流もできなかった。原告A1は「夫として、また父親としての、責任を果たすこともできなかった。特に、逮捕された当時、長男は生まれて間もなくであり、保釈された時には既に小学生になっていた。自分の手で一度も赤子を抱き上げることもできず、子供の成長にとって最も重要な幼少年期に父親らしいことはなにひとつできず、上級学校に行かせることもできなかった。」と苦衷を語っている。右違法行為たる身柄拘束の態様(取調べ方法の違法を含む)、期間、違法性の程度、原告A1の苦衷、心情、その他本件口頭弁論に顕れた諸般の事情を総合すると、原告A1の慰謝料を一五〇〇万円と認めるのが相当である。
4 損害の填補
原告A1が、昭和六一年一〇月一六日、刑事補償法に基づく刑事補償金として三〇五〇万四八〇〇円の支給を受けたことは、争いがない。右刑事補償額の内訳は、第一次逮捕の日の翌日である昭和四四年四月一三日から同年五月二三日までの四一日間は一日四〇〇〇円の割合、同年五月二四日から昭和五五年一一月二七日の保釈決定の日までの四二一四日間は一日七二〇〇円の割合により算出した合計三〇五〇万四八〇〇円である。そうすると、損益相殺として、昭和四四年五月二四日から昭和五五年一二月五日までの一連の違法な身柄拘束期間の損害の填補に充当すべき刑事補償対応額は、昭和四四年五月二四日から昭和五五年一一月二七日の保釈決定の日までの四二一四日間一日七二〇〇円の割合により算出した三〇三四万〇八〇〇円となる(<書証番号略>)
5 弁護士費用
記録及び弁論の全趣旨によると、原告A1は、本件訴訟の追行を原告ら訴訟代理人に委任し、その報酬として五〇〇万円の支払を約した事実が認められる。そして本件訴訟の経過、難易度、認容額その他諸般の事情を総合すると、相当因果関係のある弁護士費用の損害は三三〇万円と認めるのが相当である。
6 原告A1の未填補の損害額
よって、原告A1の被った未填補の損害額は、三五九九万五三六七円となる。
二原告A2への違法行為の存否と損害
1 原告A2は、原告A2自身に対する任意捜査の限界を越えた過酷な取調べがあったとして、これを違法行為として主張している。そして、その取調べが、原告A2にとって相当の負担となったことは容易に推認できるが、その取調べは刑事訴訟法二二三条によるものであって、違法行為を構成するとまでは認められない。したがって、それから生じた原告A2の精神的負担は、原告A2において受忍すべきものであって、損害賠償の対象とはならない。
2 慰謝料
そこで、原告A1に加えられた右一連の違法な身柄拘束により、妻たる原告A2が被った精神的損害を賠償の対象とすべきかについて検討する。妻は夫と同居し夫婦としての共同生活を営んでこそ人生の意義を全うすることができる。しかるに、原告A2は、昭和四四年五月二四日に始まり昭和五五年一二月五日までの原告A1に加えられた右一連の違法な身柄拘束の期間にわたって、夫と隔絶されたため、人生の重要な時期に、長期間にわたり、その意義を全うすることを阻まれ、原告A1が死亡した場合に比して著しく劣らない程度の重大な精神的苦痛を被ったと推認できる。そこで、原告A2に対し、その固有の法益を侵害されたものとして、独自の損害賠償請求権を認めるべきである。そして、右別居を余儀なくされた期間の長さ、原告A2がその間の心労として訴えるところなどを総合すると、原告A2の慰謝料額は三〇〇万円と認めるのが相当である。
3 弁護士費用
記録及び弁論の全趣旨によると、原告A2は、本件訴訟の追行を原告ら訴訟代理人に委任し、その報酬として五〇万円の支払を約した事実が認められる。そして本件訴訟の経過、難易度、認容額その他諸般の事情を総合すると、相当因果関係のある弁護士費用の損害は三〇万円と認めるのが相当である。
4 原告A2の損害額合計
原告A2の被った損害の合計額は三三〇万円となる。
第一〇結論
そうすると、被告らは各自、原告A1に対し三五九九万五三六七円、原告A2に対し三三〇万円及びそれぞれ訴状送達の日の翌日であること記録上明らかな、被告国は昭和六二年七月三〇日から、被告鹿児島県は昭和六二年七月三一日から、各完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。
よって、原告らの本訴請求を、右の限度で認容し、その余を棄却し、訴訟費用につき民事訴訟法九二条、九三条を適用して被告らの負担とし、仮執行宣言は相当でないのでこれを付さないことにし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官宮良允通 裁判官原田保孝 裁判官宮武康)
別紙休業損害計算書<省略>