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鹿児島地方裁判所名瀬支部 平成19年(わ)11号 判決 2007年9月13日

主文

被告人を禁錮1年4月に処する。

理由

【犯罪事実】

被告人は,旅行客の宿泊及びダイバー客にダイビングサービスを提供することを業とする民宿「A」の共同経営者として,鹿児島県大島郡a町所在のb島付近海域のダイビングポイントにダイバー客を案内引率し,ダイビングさせる業務に従事していたものであるが,平成17年5月6日午後1時ころ,同町所在のB灯台から真方位232度約2500メートル付近海域において,C(当時37歳。)及びD(当時27歳。)を引率してファンダイビングを行うに当たり,C及びDは,いずれもいまだ初級者の域を脱していないため,不測の事態が発生した場合には,ガイドの適切な指示,誘導等がなければ,パニック状態に陥るなどして自ら適切な措置を講じることができないまま溺水する可能性が予見されたのであるから,常に適切な対応を講じられるように,絶えず同人らのそばにいてその動静を注視し,事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り,

第1  同日午後1時5分ころ,Cが自己に追従するものと軽信し,移動する際にDのみに合図をしてCには合図をせず,漫然とCのそばから離れた上,魚の観察に気を奪われてCの動静を注視せず,Cを見失った過失により,そのころ,上記海域付近において,パニック状態に陥ったCをして,自ら適切な措置を講じることができないまま溺水させ,よって,そのころ,同海域付近において,Cを溺水吸引による窒息により死亡するに至らしめ

第2  同日午後1時10分ころ,上記のようにCを見失ったことから,Cを捜索するに当たり,Dが確実に自己の後方から追従してくるものと軽信し,見失ったCの捜索にDを同行させた上,Cの捜索に気を取られてDの動静を十分注視せず,Dを見失った過失により,そのころ,上記海域付近において,パニック状態に陥ったDをして,自ら適切な措置を講じることができないまま溺水させ,よって,翌7日午前8時46分ころ,同町所在の医療法人E会F病院において,Dを溺水吸引による低酸素脳症により死亡するに至らしめ

たものである。

【量刑理由】

1  本件は,b島にいわゆるIターンをしてスクーバダイビングのガイドを行っていた被告人が,初級者ダイバーの被害者両名をガイドしてファンダイビングを行っている最中に,被害者両名の動静注視を怠り,被害者両名がそれぞれパニック状態に陥り,自ら適切な措置を講じることができないまま被害者両名を溺水させて死亡するに至らせた,2名に対する業務上過失致死の事案である。

スクーバダイビングは,高圧空気を充填したタンク等の重器材を利用して水中世界を散策し,一種の非日常的な体験を楽しむというスポーツであるが,周囲に空気が存在しない,潮流,風波等の海洋条件の直接的な影響を受けやすいなどの特質上,溺死等の重大な事故発生の危険性をはらむ,いわば死と背中合わせのスポーツである。このような性質上,営利目的でファンダイビングのガイドを行う者には,ファンダイビングに参加したダイバーへの危険を回避するため,ダイバーの動静を注視する義務が課されているというべきである。そして,ガイドのこの義務の程度は,参加ダイバーの技能レベルに応じて軽重があると考えられるが,初級者のダイバーに関しては,その危機回避能力を含む技能自体の低さに加えて,不測の事態が発生した場合には容易にパニック状態に陥り易いことから,ダイバーの不安感を取り除くとともに,ダイバーに不測の事態が発生した場合には即座に適切な指示又は措置を行うことができるように,絶えずダイバーのそばにいてその動静を注視する義務を負うというべきである。

本件では,被害者両名は,いずれも,スクーバダイビングの民間資格認定団体であるGから初級資格であるオープン・ウォーターの認定を受けていたに過ぎないこと,これまで約40ないし50本の経験本数であること,最近はダイビングもしていなかったこと,自己のダイビング器材も持っておらず,被告人からレンタルを受けた器材の装着も被告人に任せていたこと,Cについては,オープン・ウォーターの認定を受けてから既に20年近くが経過していること,中性浮力(水中での体勢の維持)すら満足に確保できない状態であったこと,Dについては,オープン・ウォーターの認定から3年程度しか経過していないものの,水中へのエントリーの方法も,船縁をつかんで足からそろそろと水の中に入るというものであったことなどから,被害者両名が初級者のダイバーであったことは明白である。したがって,被告人は,絶えず被害者両名のそばにいてその動静を注視し,事故の発生を未然に防止する業務上の注意義務を負っていたことは明らかである。にもかかわらず,被告人が現実にガイドとして取った行動は極めて杜撰かつ無責任である。

まず,Cを見失った状況は,被告人が,被害者両名と共に水深約12ないし17.5m付近の岩場(幅約10m,奥行き約5m)の上方で魚の観察をしていた際,この岩場の下方に魚が泳いで行くのを見かけたことから,被害者両名にこれを見せようと,Dのみの肩を叩いて合図し,Cに対しては当然被告人らについてくるものと考えて何らの合図もせず,Dと共にこの岩場の下方へ向かい,この岩場の上方にCが居ることはCが吐く気泡だけで一応把握していたものの実際のCの姿は目視せず,漫然と魚の観察に夢中になるあまり,約40ないし50秒の間Cの気泡すらも確認しないうちに,Cを完全に見失ったというものである。特に初級者ダイバーは,空気のない水中世界で一人取り残された場合,パニック状態に陥りがちであるが,被告人の行動は,この初級者ダイバーの心理と行動パターンを全く理解しない不適切なものである。加えて,一般的に,ダイバーが海中で一緒に潜水している仲間とはぐれた場合には,1分間その場で周りの状況を見渡し,それでも仲間が見つからないときには,水面に浮上するという緊急時の対処法が確立されているが,ダイバーの中にはこのルールを忘れて行動し一層の危険に巻き込まれる者も少なからずいることから,多くのガイドは,ブリーフィング(潜水前の打合せ)の際に,この対処法を再確認することを励行しているが,被告人は,被害者両名に対してこの対処法の説明をしていないのみならず,そもそもガイドたる被告人自身がこのような対処法を知らなかったというのである。Cの本件死亡の結果は,起こるべくして起きたものとも考えられる。

次に,Dを見失った状況は,被告人が,見失ったCを捜索するに際して,Dをこの捜索に同行し,時間にして約4分間,距離にして約110m以上泳ぐうちに,Dを見失ったというものである。恋人であるCとはぐれて動揺している上に,初級者の女性ダイバーにとって相当激しい運動を強いられたDがパニック状態に陥るのは当然のことであるが,被告人は,Cの捜索に熱中するあまり,Dの動静を注視することなく漫然と自己の後方を追従させ,Dの動揺や不安感を抑えるためにDの手をつなぐなどの措置すら取っていないのであって,その行動は無謀極まりない。Dの本件死亡の結果も,起こるべくして起きたものというべきである。

本件当時の現場海域は,海水の透明度も高く,潮流,風波等の海洋条件も良好であったが,このような状況で,初級者ダイバーである被害者両名がパニック状態に陥り溺水したのは,偏に被告人の注意義務違反によるものであり,被害者両名に対する各過失の内容はいずれも重いというべきである。

そして,各民間資格認定団体は,ダイバーの生命・身体の安全を十分に確保する観点から,教育・資格体系を設けるとともに,例えばGの場合,ダイブマスター以上の資格を有する者に限ってファンダイビングのガイドを行うことができるとの取決めを行っているが,被告人は,Gにおけるアドバンスド・オープン・ウォーターの資格(ダイブマスターの2段階下の資格)しか有していないのみならず,ダイビングガイドの専門的な講習を受けたこともなければ,安全管理の方法や心肺蘇生法等の溺水者の救助方法等の専門的な教育を受けたこともない。特に,Dは溺水吸引による低酸素脳症により死亡しているが,被告人は救出直後のDに対して人工呼吸すら施していないのであって,人工呼吸が施されていれば,Dの死亡の結果が回避できたかもしれないことを考えると,被告人の責任は誠に重大である。加えて,ダイビングガイド中の過失により発生した死傷事故に関する損害賠償保険は,一般に,例えばGでいえばダイブマスター(他の各民間資格認定団体ではこの資格に相当する資格)以上の資格を有していることを保険契約の条件としていることから,該当資格を有していない被告人はこの種保険に加入していないが,被告人は,各民間資格認定団体の資格の意義をことさらに軽視するのみならず,この種保険に加入する意欲すらないまま,万一事故が起きたときのための補償態勢を整えることもなく,漫然とスクーバダイビングのガイド業を継続していたというのであるから,言語道断である。

結局,被告人は,自己のダイビング経験を過信する余り,通常のダイバーが陥りがちな心理状態や想定される危険の内容を理解せず,その回避策・防止策や適切・安全なガイド方法,万一事故が起きた場合の救助方法等を修得することもなく,また,補償態勢を整えることもなく,漫然とスクーバダイビングのガイド業を営むうちに,被害者両名に対して,杜撰,無謀かつ危険なガイドを行った挙げ句,立て続けに2人の尊い生命を奪ったのであって,犯情は極めて悪質である。

被害者両名は,結婚を前提に交際し,美しい海と空の下での癒しと安らぎの時間を求めてb島を訪れ,楽しく過ごす中,突如,30歳代半ばと20歳代半ばという若さで掛け替えのない生命を失ったのであって,その無念は察するに余りある。被害者両名の遺族も,当公判廷において,意見陳述を行い,深い悲しみと被告人に対する大きな怒りを示しているが,本件の犯行態様と結果の重大性からすると,被告人に強い処罰感情を抱いているのも当然のことである。

そうであるにもかかわらず,被告人は,被害者両名の遺族に対して何ら具体的な慰謝の措置を採っていないどころか,遺族感情を逆撫でするような言動を繰り返しているのであって,本件を真摯に反省しているとは考えられない。

これらのことからすると,被告人の刑事責任は重大である。

2  一方,被告人は,当公判廷において,一応は反省の情を示すとともに,今後は,被害者両名の遺族の慰謝に努めると述べている。また,今後,同じ過ちを繰り返さないことを誓うとともに,本件犯行後,ダイビングガイドを止め,個人の楽しみとしてのスクーバダイビングを止めてもいる。さらに,被告人が正式裁判を受けるのは今回が初めてであること,民宿の共同経営者が被告人の今後の指導監督を約束していることなど,被告人のために斟酌すべき事情も認められる。

ところで,弁護人は,スクーバダイビングというスポーツは,それ自体,生命・身体の危険を必然的に内在しているものであり,被害者両名においても,自らの生命・身体の安全の確保をガイドに一方的に委ねるのではなく,自らの責任において,その生命・身体の安全を適切に管理すべきであり,被害者両名がこれを怠ったことを被告人に有利な事情として考慮すべきであると主張する。

たしかに,ファンダイビングにおいては,ダイビング講習とは異なり,一定の技能を身に付けたダイバーが,想定される危険については自ら回避すべきであるという側面もあり,本件でも,この点を被告人にとってある程度有利な事情として考慮すべきものと考えられる。しかしながら,営利目的でガイドダイビングが行われる以上,ダイビング講習のインストラクターほど高度の注意義務は課されないにせよ,第一次的には,ガイドに対してダイバーの安全管理態勢を整えることが求められることは明らかであることに加えて,被害者両名に対する被告人のガイド内容が,前記のとおり,杜撰,無謀かつ危険であることに照らすと,被害者両名の自己責任を重視することは不相当であり,弁護人主張の点を量刑上決定的に重視することもできない。

3  以上検討したところによれば,被告人にとって有利な事情を最大限考慮しても,前記のとおりの本件犯行の態様の悪質性,結果の重大性,被害者両名の遺族の強い処罰感情等に照らすと,被告人に対しては,実刑をもって臨まざるを得ないというべきである。そこで,以上のとおりの有利不利の一切の事情を総合考慮の上,主文のとおり判決する。

(求刑-禁錮1年6月)

(裁判官 三輪方大)

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