鹿児島地方裁判所名瀬支部 平成19年(ワ)379号 判決 2008年1月25日
主文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1請求
1 被告は,原告に対し,1300万円及びこれに対する平成19年4月7日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行宣言
第2事案の概要
1 請求の類型(訴訟物)
本件は,原告が,被告に対して,消費寄託契約に基づき,通常貯金1300万円の返還及びこれに対する払戻請求の後である平成19年4月7日から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。
2 前提事実(当事者間に争いのない事実,当裁判所に顕著な事実又は弁論の全趣旨により容易に認められる事実)
1) 原告の法定代理人成年後見人であるAは,弁護士であるが,平成18年10月27日,鹿児島家庭裁判所名瀬支部によって原告の成年後見人に選任された。
2) 平成18年11月30日当時,日本郵政公社(以下「公社」という。)に原告名義で通常郵便貯金口座(記号番号00000-000000)が開設されており(以下「本件貯金」という。),その残高は1660万4965円であった。
3) 平成19年10月1日,郵政民営化法(平成17年法律第97号)が施行されたことにより,旧郵便貯金法7条1項1号に規定する通常郵便貯金は,被告が受け入れた預金となるとともに(それに伴い,同号に規定する通常郵便貯金は,被告の通常貯金となった。),被告は,公社の業務のうち通常貯金に関する訴訟も承継した。
被告は,金融機関等による顧客等の本人確認等及び預金口座等の不正な利用の防止に関する法律(以下「法」という。)2条1号により,法における「金融機関等」であり,公社は,平成17年法律第102号による改正前の法2条38号により,法における「金融機関等」である。
4) Aは,原告の代理人として,平成18年12月13日,公社に対し,本件貯金に係る郵便貯金総合通帳,取引印及び鹿児島家庭裁判所名瀬支部裁判所書記官の交付した「証明書」(以下「本件証明書」という。)を提示し,本件貯金の払戻しを求めた。本件証明書には,「証明書」と表題があるほか,Aの氏名,Aの所属する弁護士事務所の住所,名称(「B法律事務所」),原告の氏名,生年月日,本籍及び住所の記載並びにAが原告の成年後見人であることを証明する旨の記載があるが,Aの写真の貼付もなければ,A自身の住居及び生年月日の記載もない。
公社の職員は,同日,Aに対し,A自身についての本人確認の方法として運転免許証(道路交通法92条1項に規定するもの。)等の提示を求めた。しかし,Aはこれを拒絶し,逆に,本件証明書の提示では本人確認の方法として不相当であることの理由を説明するよう求めたため,公社は,この日,Aの払戻請求に応じなかった。
5) その後,公社は,数回にわたり,Aに対して,本件証明書は,写真の貼付がないことなどから,法及びその関係法令で定められた本人確認方法でないこと,破産管財人が貯金の払戻請求をする場合には,破産管財人として選任されたことを裁判所が証明する書類の提示も本人確認方法に当たるが,成年後見人が貯金の払戻請求をする場合には,成年後見人として選任されたことを裁判所が証明する書類の提示が成年被後見人及び成年後見人の本人確認方法に当たらないことなどを説明した。
しかし,Aは,このような説明に納得せず,公社に対して,破産管財人も成年後見人も同じく裁判所から選任された者であるのに,破産管財人について認められる本人確認方法が成年後見人については認められないのは納得できない,本件証明書の提示をしている以上は公社は貯金の払戻しに応じるべきであるなどと述べ,公社が求めるA自身の運転免許証等の提示を拒否し続けた。そして,Aは,平成19年3月28日,C郵便局を訪れ,公社の説明に得心しないこと,本件貯金の払戻しを公社から拒絶された場合には支払を求めて訴えを提起するつもりであること,同年4月6日までの回答を求めることなどを記載した「ご通知」と題する書面(甲1)を交付した上,公社に対して,原告の代理人として,本件貯金のうち1300万円の払戻請求を行った(以下「本件払戻請求」という。)。
これに対して,公社は,平成19年3月30日,本件証明書が法及びその関係法令で定められた本人確認方法に当たらないことなどを記載した文書を交付し,Aの払戻請求を拒絶した。
6) Aは,平成19年9月18日,原告の法定代理人として,本件貯金の払戻し等を求めて本件訴えを提起した。
3 争点
本件払戻請求を法6条に基づき拒絶することができるか否か。
4 争点に関する当事者の主張
【被告の主張】
原告の代理人として本件払戻請求を行ったAは,公社に対して,法3条に基づく本人確認に応じない意思表示をしたから,公社及びその承継会社である被告は,法6条に基づき,本件払戻請求を拒絶することができるのであって,原告との間の消費寄託契約に基づく1300万円の返還義務を免れることはもちろん,履行遅滞に基づく遅延損害金の支払義務も免れる。
Aの提示した本件証明書が,本件払戻請求の任に当たったAに関して,法,金融機関等による顧客等の本人確認等及び預金口座等の不正な利用の防止に関する法律施行令(以下「令」という)及び金融機関等によ。る顧客等の本人確認等及び預金口座等の不正な利用の防止に関する法律施行規則(以下「規則」という。)で定められた本人確認方法でないことは明らかである。
【原告の主張】
本件払戻請求の拒絶は,法6条により免責される場合に当たらない。すなわち,成年後見人も破産管財人も裁判所の機関である以上,法の運用に当たっても同等に扱うべきであり,成年後見人であるAが裁判所の交付した本件証明書を提示した上で本件払戻請求を行っている以上,公社及び被告は,規則2条10号ロに規定する「破産管財人又はこれに準ずる者が法令上の権限に基づき行う取引であって,その選任を裁判所が証明する書類又はこれに類するものが提示又は送付されたもの」として扱い,それ以上にAに運転免許証の提示等を求めることなく本件払戻請求に応じなければならない。
第3争点に対する判断
1 まず,本件払戻請求が,法3条1項及び2項で金融機関等に課された本人確認義務の対象に当たるか否かを検討する。
1) 本件払戻請求は,本件貯金のうち1300万円の払戻しを求めるものであって,令3条1項16号に規定する「現金(中略)の受払いをする取引であって,当該取引の金額が200万円(中略)を超えるもの」に該当するから,原則として,法3条1項に規定する「預金又は貯金の受入れを内容とする契約の締結その他の政令で定める取引(以下「預貯金契約の締結等の取引」という。)」ということになり,同項に基づき,公社及び被告は,この取引を行うに際して,自然人たる当該顧客等(本件では原告自身)について,「運転免許証の提示を受ける方法その他の主務省令で定める方法」により,氏名,住居及び生年月日の確認(本人確認)を行わなければならないことになる(注:「主務省令」とは規則を指す。)。
そして,金融機関等は,「顧客等の本人確認を行う場合」(要件①)において,「当該金融機関等との間で現に預貯金契約の締結等の取引の任に当たっている自然人が当該顧客等と異なるとき(次項に規定する場合を除く。)」(要件②)は,「当該顧客等の本人確認に加え,当該預貯金契約の締結等の取引の任に当たっている自然人(以下「代表者等」という。)についても,本人確認を行わなければならない。」と定められており,一切の例外は認められていない(法3条2項。注:同項の「次項」である同条3項は,顧客等が国,地方自治体等の場合には,当該国,地方公共団体等のために当該金融機関等との間で現に預貯金契約の締結等の取引の任に当たっている自然人を「顧客等」とみなして,同条1項の規定を適用するものとしている。)。
本件払戻請求では,現に払戻請求を行っている法定代理人たるAは,「顧客等」たる原告自身とは異なる「代表者等」であって,要件②を充たすから,原則どおり,要件①を充たす,すなわち,法3条1項に基づき「顧客等」たる原告自身について本人確認を行わなければならないならば,「代表者等」たるAについても本人確認を行わなければならないことになる。そして,例外的に,要件①を充たさない,すなわち,法3条1項に基づき「顧客等」たる原告自身について本人確認を行う必要がないのならば,「代表者等」たるAについても本人確認を行う必要がないことになる。
2) そこで,本件払戻請求が,例外的に,法3条1項に規定する政令で定める取引に該当せず,要件①を充たさないことになるか否かを検討する。
まず,法3条1項は,金融機関等は,「顧客等(中略)との間で,(中略)政令で定める取引(中略)を行うに際しては,」本人確認を行わなければならないと規定している。
これを受けて,令3条1項は,法3条1項に規定する政令で定める取引として,1号から27号までの各取引を列挙した上で,この各取引から「主務省令で定めるものを除く」との例外をもうけている。
これを受けて,規則2条は,令3条1項に規定する主務省令で定める取引として,10号において,「令第3条第1項第1号から第25号までに掲げる取引のうち,次に掲げるもの」とした上で,「ロ 破産管財人又はこれに準ずる者が法令上の権限に基づき行う取引であって,その選任を裁判所が証明する書類又はこれに類するものが提示又は送付されたもの」と規定している。
このような法,規則及び令の各規定の構造からすると,規則2条10号ロを適用するためには,「顧客等」が「破産管財人又はこれに準ずる者」であることが必要であることは明らかである。
本件では,「顧客等」たる原告自身は,成年被後見人であって,「破産管財人又はこれに準ずる者」ではないことは明白である。したがって,本件払戻請求には,規則2条10号ロは適用されず,原則どおり,法3条1項に規定する政令で定める取引に該当することになるから,要件①を充たす,すなわち,法3条1項に基づき「顧客等」たる原告自身について本人確認を行わなければならないから,法3条2項により,「代表者等」たるAについても本人確認を行わなければならないことになる。
3) この点,原告は,成年後見人も破産管財人も裁判所の機関であるから,法の運用に当たっても同等に扱うべきであり,裁判所によって選任された成年後見人たるAが裁判所から交付を受けた本件証明書を提示して本件払戻請求を行っている以上,規則2条10号ロを適用し,金融機関等たる公社及び被告は,本人確認なく払戻しに応じなければならないと主張するが,このような主張は,到底許容されることのない規則の拡大解釈である。以下,理由を述べる。
ア まず,法,規則及び令の各規定の構造上,本件払戻請求に規則2条10号ロが直接適用されないことは前記2)のとおりであるが,同号ロの規定自体からも,成年後見人が代理人として行った本件払戻請求のような取引に同号ロの直接適用のないことも明らかである。
すなわち,破産管財人に準ずる者とは,破産法の保全管理人,民事再生法の管財人及び保全管理人,会社更生法の管財人及び保全管理人等を指し,成年後見人が含まれないことは明らかである。破産法の保全管理人,民事再生法の管財人及び保全管理人,会社更生法の管財人及び保全管理人等は,破産管財人同様,権利義務の主体から剥奪された財産の管理処分権等を専属的に行使することができる(破産法78条1項,93条1項,民事再生法66条,81条1項,会社更生法32条1項,72条1項)。これに対し,成年後見人は,法定代理権を有するに過ぎず(民法859条1項),成年被後見人が行った法律行為も取り消すことができるに止まり,取り消されるまでは有効なのであって(民法9条),成年後見人の権限と破産管財人等の権限とは全く異質であるから,「破産管財人又はこれに準ずる者」に該当しない。
また,破産管財人,破産法の保全管理人,民事再生法の管財人及び保全管理人,会社更生法の管財人及び保全管理人等については,裁判所書記官に対して資格証明書の交付が義務付けられていることから(破産規則23条3項,29条,民事再生規則27条1項,20条3項,会社更生規則20条3項,17条1項),規則2条10号ロに規定する「選任を裁判所が証明する書類又はこれに類するもの」に該当するものが常に存在する。これに対して,成年後見人については,裁判所が成年後見人に資格証明書を交付するという制度が設けられていないことに鑑みても,同号ロの規定に際して,成年後見人に対する適用を予定していたとは考えられない(成年後見人について,裁判所書記官に対して資格証明書の交付が義務付けられていないのは,法務局の登記官が発行する登記事項証明書(後見登記等に関する法律参照)により,成年後見人としての資格と権限を証することが予定されているためである。鹿児島家庭裁判所名瀬支部裁判所書記官が本件証明書を交付したのは,家事審判規則12条2項を根拠にしたものと思われるが,成年後見人は,登記事項証明書に基づき対外的に自己の資格と権限を証するのが一般であって,特定の成年後見人が特定の被後見人の成年後見人であることを証明する文書を裁判所書記官が発行することは家庭裁判所実務では殆ど考えられず,本件証明書の交付に至ったのはAが交付を非常に強く求めたためではないかと考えられる。なお,「事件に関する事項の証明」を裁判所書記官の権限とする破産法11条2項が存在するにもかかわらず,破産規則23条3項,29条が規定されていることにも留意する必要がある。)。
以上のとおり,成年後見人が代理人として行った取引は,同号ロに規定する「破産管財人又はこれに準ずる者」に該当しない。
イ そうすると,規則2条10号ロの拡大解釈の適否が問題となるわけであるが,法令の解釈,特に拡大解釈を行うに当たっては,総合的な観点から検討する必要があるが,少なくともそのような解釈を行う必要性(そのような解釈を行わないと,不合理・非常識な結果になるのではないか。)と許容性(そのような解釈を行うことによって,不合理・非常識な結果になるのではないか。)の両面から検討しなければならないことはいうまでもない。
このような観点から検討すると,本件払戻請求に当たっては,Aは,登記事項証明書により,自己の成年後見人としての資格と権限を証するとともに(これは法に基づく本人確認の問題ではない。),規則に則って,運転免許証,健康保健の被保険者証等を提示することによって,極めて容易に本人確認に応じることができるのであって,拡大解釈を行う必要性は皆無である。
一方,法は,テロリズムに対する資金供与の防止に関する国際条約の締結に当たって,同条約及び国連安保理決議1373号を実施するための所要の法整備の一環として立法されたものであって,金融機関等に対して,本人確認未済の状態で取引を行うことを禁止し(法3条),本人確認記録の作成・保存の義務(法4条)や,取引記録の作成・保存の義務(法5条)を課すなどしており(細目については,令及び規則に委ねている。),これらの義務に違反した場合には,是正命令の対象としている(法9条)。このように,本人確認の要否,方法等については,令及び規則によって詳細に規定されているのであって,金融機関等が恣意的にその要否を判断できるものではなく,これに従わなかった場合には是正命令の措置も採られるものであるから,法,令及び規則の解釈に当たっては,できるだけそれらの構造と文言に忠実に解釈を行うべきである。特に,令及び規則のうち例外的に本人確認が不要となる場合に関して定めた部分の解釈に当たっては,安易に拡大解釈を行うと,金融機関等に対して混乱をもたらし大きな不利益をもたらすことになりかねない。
以上検討したところによれば,成年後見人が破産管財人同様に裁判所に選任されているからといって,規則2条10号ロを拡大解釈して,成年後見人が代理人として行った取引に適用すべきでない。
4) 以上より,本件払戻請求は,法3条1項及び2項で金融機関等に課された本人確認義務の対象に当たり,公社及び被告は,原告自身及びAについて,「運転免許証の提示を受ける方法その他の主務省令で定める方法」により,本人確認を行わなければならない。
なお,原告は,公社の職員等が,Aのことを以前から知っていること,Aの事務所を訪れるなどしていることから,Aが実在の人物であること,自らが対応している人物と「代表者等」たるAとが同一の者であることを知っているのであり,本人確認をする必要はないと主張するが,金融機関等の職員等がこれらの事情を知っているからといって,法に基づく本人確認義務が免除されるわけではない。
2 次に,「代表者等」たるAが,本件払戻請求に際して,本人確認に応じなかったか否か(法6条に規定する免責の要件を充たすか否か)を検討する。
Aは,本件証明書を提示して,本件払戻請求を行っているが,前記第2の2の4)のとおり,本件証明書には,「顧客等」たる原告自身に関しては,氏名,住居及び生年月日が記載されているから,規則4条1号トに規定する本人確認書類に当たるものの,「代表者等」たるAに関しては,住居も生年月日も記載されていないから,同号トに規定する本人確認書類に当たらない。
そして,Aが,自らについて,規則3条に規定する本人確認方法に応じた事実は他に見当たらず,それどころか,Aは,前記第2の2の4)及び5)のとおり,公社の職員が,A自身について,運転免許証等の規則4条に規定する本人確認書類を提示するよう求めても,一貫してその提示を拒否し,破産管財人について認められる本人確認方法が成年後見人については認められないのは納得できない,本件証明書の提示をしている以上は公社は貯金の払戻しに応じるべきであるなどと述べ続け,現時点でも,自らについて,同条に規定する本人確認書類の提示に応じていない。
そうすると,「代表者等」たるAが,本件払戻請求に際して,本人確認に応じず,現時点でもこれに応じていないことは明らかであって,公社及び被告は,法6条に基づき,本件払戻請求の履行を拒むことができる。
3 したがって,被告は,消費寄託契約に基づく1300万円の返還義務を免れることはもちろん,履行遅滞に基づく遅延損害金の支払義務も免れる。
なお,成年被後見人たる原告の成年後見人たるAは,本件貯金のうち1300万円の払戻しを受ける必要があるのであれば,本人確認のために運転免許証等を提示しさえすれば良いところ,自己が提示した本件証明書によって本人確認がされたものと扱うべきであると強く主張して,わざわざ原告の法定代理人として本件訴えの提起に及んでいるわけであるが,平成18年12月13日に公社に対して払戻請求を始めてから既に1年以上が経過しているところであって(しかも,自身が公社に対して払戻しに応じなければ訴えを提起すると告知した期限である平成19年4月から本件訴えの提起までの間にも5か月が経過している。),成年被後見人の利益のために真に払戻しを受ける必要があるのであれば,このように訴訟費用と時間をかけること自体,成年後見人に課された善良なる管理者の注意義務(民法869条,644条)に反する可能性があるといわざるを得ない(しかも,法,令及び規則を熟読すれば,自己の考えが通用しないということは理解可能なはずである。)。速やかに法令において定められた本人確認書類を提示をして,成年後見人としての適正な職責を果たすことが望まれるところである。
第4結論
以上によれば,原告の本件請求は,理由がないから,これを棄却することとする。
(裁判官 三輪方大)