大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

鹿児島家庭裁判所 昭和44年(家)853号 審判 1970年1月20日

申立人 野村定夫(仮名) 外三名

被相続人 野村ミツ(仮名)

主文

本件各申立は、いずれも却下する。

理由

一  申立人定夫は、「被相続人亡野村ミツの相続財産全部を特別縁故者である申立人定夫に与える」旨の、申立人セツ、同サト及び同徳次は、「被相続人亡野村ミツの相続財産全部を特別縁故者である申立人セツ、同サト及び同徳次に与える」旨の審判をそれぞれ求めた。なお、相続財産管理人村松則夫の意見を求めたところ、亡ミツの相続財産は、申立人定夫と同セツ等三人の双方に折半して分与するのが相当である旨述べた。

二  関係戸籍謄本並びに申立人野村定夫、同野村セツ、申立外野村達、同野村ミヤ、同大橋エツ及び同増山幸雄に対する各審問の結果、当庁川内支部昭和四一年(家)第三五号及び同第一一六号相続財産管理人選任申立事件記録等を総合すると、次の事実が認められる。被相続人ミツは、昭和一七年夫俊一と死別してから、夫婦間に子がなかつたので、昭和二三年申立人セツの三女エツ及び申立外大橋太郎を夫婦養子として迎え入れたが、昭和二五年不仲となつて、わずか二年で事実上離縁し、以来農業をしながら独りで暮していた。昭和三五年ころから高血圧症のため働けなくなり、生活保護を受けて細々と生活していたが、持病と将来を悲観して昭和四〇年七月二〇日自宅において縊死により死亡したので、同人につき相続が開始した。しかしながら、同人は、昭和三三年九月二五日前記エツ及び太郎夫婦と正式に協議離縁していたので、相続人はなかつた。そこで、相続人不存在により昭和四一年一一月三〇日、当庁川内支部において相続財産管理人村松則夫が選任され、相続債権申出の公告、相続権主張の催告がなされ、昭和四三年三月二〇日、同催告期間が満了したが、相続債権者、受遺者及び相続権を主張する者は全く現われなかつた。なお関係各登記簿謄本、薩摩郡鹿島村長作成の証明書二通及び土地台帳謄本を総合すると、亡野村ミツの相続財産は、別紙財産目録記載のとおりであることが認められる。

三  そこで、本件申立人等が果して被相続人の特別縁故者に該当するかどうかにつき、前掲各証拠に基づき検討すると、(イ)まず、申立人定夫については、同人は、亡ミツと従姉弟の間柄であり、昭和三五年ごろ同女が病気のため生活保護を受けるようになつたが、定夫及び妻ミヤは、生活の補助として時々金品を与えてきたこと、妻ミヤは、時々不偶な亡ミツ宅に泊りにゆき独り暮しの同女を慰めてやつたりしていたこと(もつとも、ミヤと亡ミツは、宗教上の争いから一時交際が絶えていたこともある。)、同女の死亡に際しては、お通夜葬儀の一切を申立人定夫夫婦が行ない、その後墓地を買い求めて埋葬し、現在、供養も同人等において行なつていることが認められる。(ロ)又、申立人セツについては、同女は、亡ミツの亡夫俊一の兄である亡野村市郎の遺妻であるが、亡市郎と亡俊一は、生前同一敷地を二分し隣り合つて住んでいたため、亡ミツの死亡当時まで申立人セツとは隣同志であつたこと、したがつて、近隣の親類として平素親しく交際し、昭和二三年ころ亡ミツは、申立人セツの三女エツ夫婦と養子縁組したが、不仲のため昭和二五年ごろ事実上離縁して以来両家の仲は疎遠となつていたこと、しかしながら亡ミツの死亡する少し前からは隣同志として時々往来しお茶を飲み交わすなどの日常の交際が復活していたことが認められる。(ハ)次に、申立人サトについては、同女は、申立人セツの四女であるが、唖で、現在も前記セツと同居していること、前記セツと亡ミツの間が不仲となつていた期間を除き、申立人サトは、よく亡ミツを尋ね、仕事を手伝つたりなど、面倒をみていたことが認められる。(ニ)最後に、申立人徳次については、同人は、申立人セツの長男であるが、昭和三五年ごろから大阪に出稼にゆき、その後も同地で働らいていること、亡ミツとは、平素近隣としての交際はなかつたが、亡ミツに対して金品を送つてきたことが、二、三度あつたことが認められる。

上記認定の事実によれば、まず遠隔地にあつた申立人徳次のなした行為が親類としての通常の交際の範囲を出ないことは勿論、申立人セツ、同サトのなした前記各行為も、近隣に住む親類として通常の交際の域を出ず、しかも、この関係は久しきにわたつて跡絶えていたことでもあり、したがつて、この程度の関係があつたからといつて、これを民法第九五八条の三のいわゆる特別縁故者に該当するものといえないことは明らかである。次に申立人定夫についていえば、同人は、亡ミツの生前唯一の血縁者として妻ミヤとともに、精神的、経済的に援助の手をさしのべてきたことがうかがわれるが、これとても、近隣に住む親族として道義的、人情的にみて通常の協力扶助の域を出ないものというほかはない。加うるに、亡ミツが前記のような申立人定夫夫婦から与えられる生存への幾何かの希望も、死への誘惑の前には、ついに抗しえなかつたわけであり、かかる死因の異常性からみても、当裁判所としては、生前の特別縁故関係につき否定的判断に到達せざるをえない。亡ミツは、その死亡当時精神的、物質的なより強力な接助を必要としていたものと思われるが、若しも、申立人定夫において亡ミツを自己のもとに引き取るなどの方法を講ずることにより、生計を同じくする状態をつくり出し、又はその療養看護に心を致したならば、亡ミツとしては、自から死を選ぶようなことはしなかつたであろうと考えられないわけではないからである。

問題は、申立人定夫が自己の出捐により亡ミツの死後その葬儀をとり行ない、墓を建立して供養に努めるなどの行為をしている事実が、果して特別縁故関係を構成するかどうかである。ところで、民法九五八条の三の規定によれば、被相続人の相続財産を分与される資格ある者として掲げるところは、被相続人と生計を同じくしていた者、被相続人の療養看護に努めた者その他被相続人と特別の縁故があつた者に限られ、その例示内容からみて、被相続人の生前において、被相続人と特別の縁故関係にあつた者に限定する趣旨と解するのが相当であるから、申立人定夫が被相続人の死後葬儀、供養を行なつた事実があつても、その事実は、生前の特別縁故関係の存否又は程度を推測させる事情となりうるに止り、それ自体は特別縁故性を具有するものではないといわなければならない。しかして、前掲証拠によれば、亡ミツの葬儀等については、申立人セツ側において行なうつもりであつたところ、申立人定夫から同人において執行するとの申出があつたため辞退したといういきさつが認められ、かかる事実からすれば、申立人定夫が葬儀、供養をなしたという事実も、主として農村を支配する社会的習俗及び同族感情に由来するものと考えられ、生前の特別縁故関係を推測させる事情としては、いささか稀薄というべきであろう。

四  よつて、本件申立人等は、いずれも、いわゆる被相続人の特別縁故者に該当しないので、申立人等に相続財産を分与するのは、相当でないから、本件申立は、いずれもこれを却下すべきである。

よつて、主文のとおり審判する。

(家事審判官 橋本享典)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例