鹿児島簡易裁判所 昭和34年(ろ)26号 1961年6月13日
被告人 船間米造
昭二・一・一生 船員
主文
被告人は無罪。
理由
本件公訴事実の要旨は、「被告人は乙種一等航海士の免状を有し、九州商船株式会社所属の貨客船南松丸(総頓数九十六頓二二)に船長として乗組んでいたものであるが、昭和三十三年十一月十四日乗客二十一名貨物一頓半位を塔載して、同日午後五時三十分頃鹿児島港を出港し、鹿屋市鹿屋港(俗称古江港)に向け航行し、同日午後七時頃、同港に入港するため、同港港口附近にさしかかつたところ、このような場合船長たる者は出航して来る船舶の有無及びその進路を注視確認するとともに、入港に当つては港口に向つて右側港口突堤の赤燈台寄りに右大廻りに航行して入港し、以て出港船との衝突を防止すべき業務上の注意義務があるのに、被告人は右義務を怠り、出港船の有無を確認することなく、かつ白燈台寄りに左小廻りの態勢で入港しようとした過失により、同港を出港して自船に対航して来る機帆船第三蘭丸(百六頓二六)をその七、八米位前方の至近距離に迫つて初めて気附き突嗟に舵を右に一杯操作させたが及ばず、自船を右第三蘭丸の左舷船首に衝突させ、よつて同船の船首左舷梁圧材に二米三十糎の亀裂及び左舷波泊に長さ一米四十糎幅十六糎の折損等の損傷を与えてこれを破壊したものである。」というのである。
当裁判所において取調をした諸証拠によれば、被告人は乙種一等航海士の免状を有し、昭和三十三年十一月十四日当時九州商船株式会社の鹿児島、鹿屋(古江)、大根占間の定期貨客船南松丸の船長をしていたものであること、同日右南松丸に乗船しその運航を指導して同日午後五時三十分頃鹿児島港を出港し鹿屋港に向い、午後七時頃同港入港の際港口附近で同港より出港してきた機帆船第三蘭丸と衝突し、そのため同船の左舷船首部に損傷を生じたこと、その際被告人は南松丸船橋にあつて操舵手に対する操舵及び機関部に対する前後進並びに速力等の指揮をしていたことをそれぞれ認めることができる。
そして右衝突に関する被告人の過失の有無につき、公訴事実によれば、被告人は南松丸の入港に当つて左小廻りに鹿屋港港口白燈台寄りの針路をとつて入港すべく操船したこと、及び同港内からの出港船の有無確認を怠つたことにより被告人に過失ありとしている。
そこで先ず南松丸の進路の点につき案ずるに、被告人の検察官に対する供述調書には南松丸の入港につき左小廻りの進路をとつた旨の記載部分があるけれども、同調書添附の被告人作成に係る図面記載の入港進路自体左小廻りとは云い難いのみならず、又証人前田久幸、同上船辰次、同石場義治、同吉尾仁各尋問調書、当裁判所の検証調書、証人小久保吉太郎及び被告人の当公廷における各供述によれば、前記衝突当時鹿屋港内外海上には相当強い北西風が大略白燈台(港外より見て港口左側)より赤燈台(同右側)の方向に向つて吹き、これが南松丸入港に際しては同船に左舷から吹きつける関係にあつたこと、同港の南松丸の着岸すべき九州商船株式会社の桟橋は同港港口より港内を左へ入つた奥にあるが、同港には右港口を入るとすぐ左手の同港略中央部に前方陸地より概ね白灯台の方向に別の桟橋が伸び、更にその延長として突堤が突出しているため、港外より前記会社桟橋の在る港内左側に入る船はこの港内中央の突堤と白灯台の在る港口突堤との中間を右中央突堤を避けて左転しながら進入しなければならない形態になつていることを認めることができ、従つて仮に左小廻りの方法で入港するときには船体を遠心力と風力とにより顛覆させる危険性及び、更に左転して前記会社桟橋方面に航行するときには船体を右中央突堤に接触させる危険性を二重に伴うこととなり、右事情を勘案すれば、前記供述調書中左小廻りをした旨の記載部分は信用できないし、他に左小廻りをしたことを証明する証拠もない。
更に南松丸が入港に際し、港則法の定めに反して港口に向つて左側即ち白灯台寄りに進入したか否かについては、この点が本件衝突を惹起したとするならば該衝突の位置が赤灯台よりも白灯台に近い場所でなければならないところ、前掲各証拠によれば前記両船の衝突位置は同港港口を港外より見て右端の赤灯台の立つ防波堤先端から左端の白灯台の立つ防波堤先端を結ぶ線の中間の港外、同線より五十米位の海上であることを認めることはできるけれども、証拠上その衝突位置を確定することはできない。そして証人前田久幸尋問調書、証人小久保吉太郎及び同小久保武弘の各供述によれば本件衝突の相手船第三蘭丸は前記中央の桟橋南側を離岸し、港外へ出るべく白灯台方向に向い、一旦港内の同灯台後方のこれに近い位置に停止したが、後更にここから発進して白灯台寄りに出港したことになつているけれども、右証人小久保吉太郎の供述と証人上船辰次尋問調書中同証人が南松丸左舷で見張中衝突直前左前方に右舷灯たる青色の舷灯を発見して初めて第三蘭丸の対航してくるのを知つた旨の部分とを綜合すれば第三蘭丸は港口通過に際し白灯台礎石周囲の海中の捨石を避けながら幾分左斜めに港口を横切り港外に出るや折柄の前記北西の強風とこれにより生ずる波浪に船首を左に流されたことも窺いうるから、その結果同船が南松丸の入港進路を斜めに横断する状況となつたことも想定され、従つて衝突位置が白灯台寄りで被告人の南松丸が同灯台に寄つて進行したため第三蘭丸との衝突を生じたものであるとは断定し難い。
次に被告人の出港船に対する注意義務の点につき案ずるに、およそ入港しようとする船は出港船のあるときは港則法の定めに従い、これが出港を港外で待避すべく、又入港船の船長は衝突の危険を防ぐため予め出港船の有無を確認すべき注意義務を負うものといわなければならない。
本件の場合も被告人において第三蘭丸の出港を知つたならば入港を一時中止して港外でその出港を待ち、その後入港をなすべきであつたことは云うまでもないが、前掲証人上船、同吉尾各尋問調書及び被告人の当公廷における供述によれば、被告人及びその部下たる見張員等が出港してくる第三蘭丸を最初に発見したときは既に南松丸との距離は七、八十米に迫つており、対向して航走してきた両船の惰力による進行等によりもはや互いに回避することは不可能で衝突は必至の状態となつていたことが認められ、右以前の回避可能の時期に被告人が第三蘭丸を発見していたことを証する証拠はない。
そして、右各証拠によれば本件衝突直前被告人等南松丸乗員が第三蘭丸を最初に発見したときには、同船の航海灯のうち檣灯(マストランプ)は全然点灯されておらず舷灯の極めて微弱な光を見たのみであつた旨の部分があるので、同船の電灯設備につき審案するに、証人小久保吉太郎及び被告人の各供述並びに証人前田久幸尋問調書によれば、第三蘭丸の航海灯の電源は当時蓄電池が全く使用不能の状態であつたため主機関を動力とする発電機により発電する外はなく、前記出港に当つても主機関により発電していたが、主機関の回転数の変動に応ずる電圧調整用の自動式電気抵抗器はそのレバーの附け根が弛んで動揺し、又抵抗ノツチが焼損して接触不良の状態にあつたこと、及び右証人小久保吉太郎の供述によれば同船のマストランプはその電線が以前から切断されたままであつたため全然点灯されていなかつたことがそれぞれ認められる(以上認定に反する証人岩本三助の供述及び前掲証人前田尋問調書の記載部分は証明力を争う証拠として取調べた八木電機株式会社の電灯設備検査表及び門司海難審判庁受命審判官の証人出水重美尋問調書に照し信用しない)。
右電気抵抗器の故障の結果、主機関の回転数によつては電圧の関係で航海灯は点灯しても光力が微弱であり、場合によつては全然点灯しないことも考えられ、殊に本件の場合、出港時の低速の際でもあり、又前記のように第三蘭丸は一旦港内の白灯台後方で停船したこともあつて、同船は航海灯の点灯無く、又は光力極めて微弱な舷灯を点滅させながら出港してきたことも想定しうる状態であつたということができる。
更に前掲各証人尋問調書並びに各証人及び被告人の各供述によれば、衝突の当時は暗夜であり前記強風によつて生ずる港口附近の波浪の飛沫もあつて視界の良くない状況であつたことを認めることができる外、証人上船、同吉尾、同石場各尋問調書及び被告人の供述によると南松丸が本件衝突の約五分前頃白灯台沖約千米の位置に到る以前から、被告人は船橋にあつて、入港に備えて長声二発の汽笛を吹鳴させ、左舷船橋脇及び船首に見張員を配置して、これ等の部下に出港船の有無につき注意を促し、被告人自身も操船指揮とともに港口内外を注視していたことが認められ、以上の事実と被告人の供述により認めうる第三蘭丸の船体の色が黒色であつたこととを綜合すれば、本件の場合、被告人において入港の際出港船につき完全に注意義務を尽していたとしても、なお事前に第三蘭丸を発見することが不可能であつたのではないかと疑うに足る相当な理由があり、従つて証拠上被告人の注意義務履行に欠くるところがあつたと断定することはできない。
そして他に本件衝突を惹起せしめたといい得る被告人の業務上の注意義務違反の事実を認めることのできる証拠はなく、結局本件は証拠上被告人の過失を認めることができないから、犯罪の証明がないことに帰し、被告人に対しては刑事訴訟法第三百三十六条により無罪の言渡をなすべく、主文のとおり判決する。
(裁判官 渡辺惺)